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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


寿退社

「私、結婚するから」
 編集部へ入ってくるなり、彼女は開口一番そう告げた。

 一瞬の沈黙。
 そして。
「えぇぇぇぇぇ〜ッ!」
「ま、まじですか?!」
「ちょ、ちょっとどういうことです!」
「なんでっ!」
「ていうか、相手いたんですか?!」
 騒然となる編集部。口々に叫ぶ驚愕の声は瞬く間に広がる。中には随分失礼な事を口にした輩もいたが、その者は彼女の鉄拳で瞬時に撃沈していた。
 そんな騒ぎを後目に悠々と部内を歩きながら、彼女は己の席に着いた。
 碇麗香。その見事なプロポーションを持ち、また敏腕編集者としてもその名を馳せた彼女は、そのキツイ言動もつと有名だった。曰く、男達は皆、その色香に迷い近付いてくるが、その鋭い視線と辛口で一刀両断される。見も心もボロボロにされて。
そんな彼女がいきなり結婚をすると言い出した。騒ぎになるのも当然だ。
「へ、編集長! け、け、け、結婚って一体誰とですか!!」
 デスクに詰め寄る三下忠雄。その表情に浮かぶのは、驚きと不安と安堵が入り混じった奇妙なものだ。碇が結婚する事に驚くと共に、この編集部から居なくなる事を心配したのだが、そこに少なからず喜んだ自分がいたのを必死に隠そうとしているのだ。
 その顔を見るなり、彼女はふぅと力なく溜息を吐いた。三下の考えている事など百も承知だ。
「誰って……彼よ」
 そう呟いて差し出したのは、一冊の週刊誌。見開かれたページには、「今明かされる、現代のプリンス」と見出しの書かれ、誰でも知ってる財閥の御曹司が紹介されていた。
「え、えぇ〜こ、これって?!」
「彼、随分私に惚れてるみたいなのよね〜この前なんか、ご両親にまで紹介されるし。それにすごく優しいから、ま…私もいいかな〜と思ったワケよ」
 あっけらかんとそう告げる碇。ショックで固まる三下を無視して、彼女は視線を雑誌に戻す。
「それに……なんてったって財閥夫人になるわけだし。あ、一応あなた達にも招待状出してあげるから、私の花嫁姿、見にいらっしゃいよ」
 うっすらと口元に笑みを浮かべる。
 明らかに財産目当てとも思える言動だが、真相は彼女以外解りえない。ただ彼女の視線は、見開いたページの下に記載されたコラムを見つめていた。

『――葛城家に対する呪いか? 代々の花嫁の胸を飾る宝石【蒼い彗星】に纏わる悲劇の数々!』



 過去。それほど遠くない昔。
 全てを捧げてもいいと思える恋をした。何もかもを捨てて、ただ彼の為だけに生きる自分。地位も財産もいらない、プライドすら彼の為ならなくせる自分がいた。
 周囲の声も耳に入らず、ただ彼だけを見続けた日々。愛し、愛されてると実感した幸せだった毎日。
 だけど、その恋は突然終わりを告げた。
 どちらにも非はない、まるで引き裂かれるような形で。それは予想し得た未来の中の一つでも最悪なもの。
 その日から私は、泣いて泣いて泣いて…泣き続けて―――そして一つの誓いを決めた。

■花嫁は編集長■
 衝撃の結婚宣言から一週間。
 関係各位に瞬く間に伝わったそのニュースは、当然の事ながら最初から疑惑に満ち溢れていた。ありとあらゆる深読みと憶測が飛び交う中、ただ一人直球で真に受けた三下だけが慌てふためき、なんとかしようと――何を?と聞いてはいけない。本人ですら解っていないのだから――あらゆる関係者へ連絡を取り続けた。
 かくして五人の人物が、ここアトラス編集部に集まったワケだが――

「麗香さんが幸せになるのならおめでとうと言いたいのですが…どうも素直にそう言えない何かがあるようで気になるんですよね」
 開いた雑誌のコラムを指差しながら、宝生ミナミ(ほうじょう・みなみ)は軽く溜息を零す。長く伸ばした赤く染めた前髪を掻き上げ、あくまで無表情のまま彼女はそう言った。
「そうねぇ。……まあ何が目当てだか、分かり易いって言えば分かり易いわよね、麗香さん」
 そう苦笑するのは、切れ長の目に中性的な顔立ちのシュライン・エマだ。何度かの事件で親しくなった碇の結婚と聞き、お祝いをと思ったのも束の間、その実情を聞かされては苦笑すら禁じ得ない。
 その隣で同じように苦み走った笑みを浮かべつつ頭を抱えているのは、スラッとした長身の持ち主である真名神慶悟(まなかみ・けいご)だった。
「碇の奴…自ら試そうってのか…?」
 本当に結婚するとは毛頭思っていない慶悟は、やれやれと呟きながら煙草に火を付ける。
 面倒な事になりそうだ。そんなぼやきが思わず口をついて出そうになる。
「でも…その宝石って一体どんなんですか?」
 興味津々といった感じで志神みかね(しがみ・みかね)は、抑え切れぬ好奇心を覗かせる。怖がりのくせについその手の話に首を突っ込んでしまう辺り、所謂典型的な女子高生な性格のようだ。
 彼女の質問を契機に、彼らはそれまでに調べた事を報告し合う。
 最初に口火を切ったのはミナミだ。
「とりあえず私はこのコラムの担当者に会いに出版社まで訪ねたのですが」
 そこで聞いた話によると、葛城家の代々の当主の花嫁の胸を飾る宝石【蒼い彗星】に関わって死んだ人間が、実際に何人もいるらしい。事故死・病死・自殺・他殺、その理由は様々なれど、どれもが結婚して一週間以内だという。
 そして、最近でもその宝石を胸に飾った事で亡くなった女性がいるのだ。それも結婚式当日に。
「で、どうもそれがこの担当者の知り合いだったらしくて。その人、よけいに取材なども必要以上に熱が入ってるという事みたいですよ」
「みたい、て本人から聞いたんじゃないの?」
「違うわ。私が話を聞いたのはコラム担当者の後輩の人よ」
「え? だってそれじゃあ…」
 みかねが不思議そうに尋ねると、ミナミは急に声のトーンを押さえた。
「その人、今行方不明らしいの」
 その場にいた全員が息を飲む。
 沈黙が支配する中、彼女は言葉を続ける。
「調べると言って出たきり、連絡が取れないそうなの」
 そこまで聞いた段階で、それまで黙って聞いていたクリスティナ・ブライアンが静かに口を開いた。
「そこから先は私がお話ししましょう」
 黒い神父服を身に纏い、銀のクロスを胸元に掲げている。四対の視線が集まる中、少し沈痛な面持ちで彼は語り始めた。
「ここに来る前に碇さんにも連絡して確認を取ったのですが、やはり彼女は呪いの事をご存じだったようですね」
「…やっぱりな」
 慶悟が苦虫を潰したような顔でポツリと一言。
「まさか本気で宝石の効果を実践する気じゃ…ないですよね…?」
 おそるおそる尋ねたみかねに対する返事は、誰もが無言で視線を逸らした。中にはあからさまに遠くを見る者もいる。
 それはともかく。
「私なりにその宝石の事を調べてみたのですが、出自自体はかなり古い物らしいですね。ヴァチカンの資料に僅かな記載がありました」
 そう言って差し出した一枚の書類。それほど重要なものではない事は、こうして外部に持ち出していることからも解る。
 そこに記載されている内容によると、元々【蒼い彗星】はヨーロッパ地方で流通していた宝石だったようだ。サファイアには高貴で神聖なものというイメージがあるから、貴族の間を色々と渡り歩いてきたらしい。
「それが流れ流れて、葛城家に辿り着いたって事ね」
 自分の調べた情報と照らし合わせて、シュラインが小さく息を吐く。その横顔はどこか疲れたような感じに見受けられた。
「シュラインさん?」
「私の調べた情報でも、元々この宝石には呪いなんてなかったみたいよ」
「え、そうなんですか?」
「そうです。ヴァチカンの情報でも、この宝石自体は最初から呪いなどなかったようです。その為、あまり重要視されていませんでしたが」
 問題は葛城家に渡ってからです、とクリスは言った。シュラインが静かに同意し、自分が調べた内容の文書を全員に見せた。
「葛城家所有になって最初にこの宝石を身につけた人、つまり当時の花嫁さんね。彼女自身はなんともなかったそうなんだけど…」
 が、代を重ねる毎に花嫁の身に異変が起こっていった。
 最初は重ねて起きる怪我。次いで病気になる人が多くなり、とうとう死者が出るようになったらしい。その為、長い間蔵の中に封印されていたのだが。
「呪いの噂が薄れてきた今、再び表舞台に出てきたってワケか」
 慶悟の相槌にシュラインがこくりと頷く。
「結局…呪いは残ったままなのですね」
 じっと報告を聞き入っていたミナミが、そうポツリと呟いた。
「宝石自体は今厳重に保管されているそうですから現物を見る事は叶いませんでしたが、式には私も神父として参加しますから、なんとか呪いを解きたいと思ってますよ」
 呪いなど神がお許しになる訳がありませんから。
 胸裡でそう呟いて、クリスは胸の前で静かに十字を切った。
「そうですね。後は式当日に何かが起きるのを防がなければ」
「そうよ! 碇さんに何かあったら大変だもん!」
 だから私、ずっとくっついて離れないんだから。元気よく立ち上がったみかねは、どうどうと胸を張る。
 危機感に反応する自分の『力』。いつもは周りに迷惑をかけているそれを、今度は他人の為に役立てるかもしれない。そんな思いから、彼女は今度の事件に足手まといになろうとも関わろうと決めた。
 すくっと慶悟が同じように立ち上がる。
「まあホントに結婚するとは思っちゃいないが…」
 知り合いに死なれちゃあ、後味悪いしな。
 そう言うと、席を離れて三下を捕まえる。なにやら密談を交わしているのは、どうやら特別報酬を確約させようという腹か。相変わらずクールな雰囲気を装っている。勿論、この場にいる全員には、彼の態度はポーズだと理解していた。
「さて、と。それじゃあ、私はもう少し色々と調べてみるわね。何か分かったらお互い連絡し合うという事でどうかしら?」
 シュラインの提案に一同異存はない。
 そして、その場は一時解散となった。次の集まるのは結婚式当日。それぞれの意気込みを胸に、彼らは編集部を後にする。



「我が内の理に従いて疾く。急々如律令!」
 懐から取り出した数枚の呪符を宙に飛ばし、指で印を切る。
 途端、何もない空間に数体の人影が浮かび上がった。朧気な輪郭のそれは、慶悟の術によって生まれた『式神』と呼ばれる存在。常に主の意のままに行動する、いわば僕である。
 今回、彼らを召喚した目的といえば。
「さて、お前達にはこれから碇女史を護ってもらう」
『御意』
 恭しく頭を垂れる三体の『式神』。
「行け!」
 さっと腕を差し伸ばせば、彼らは瞬時にしてその場から消えた。『式神』自体は普通の人間に見えないから、誰にも気付かれる事なくあらゆる厄災の盾となる事だろう。
 テーブルに置いていたグラスを手に取り、喉を湿らせるように一口含む。
「いよいよ明日か。…どうなることか」

■花婿控え室■
 結婚式当日。
 その日は両者の意向もあって、招待客は殆ど身内の人間で占められていた。おかげで参列する人数もかなり少なく、これなら守る対象が少なくてすむな、そんな感想を慶悟は胸裡の中で呟いた。
「で、どうだ? 神父様」
 振り向いた先でそう問い掛けた慶悟に対して、クリスはじっと手にした宝石を見つめながら軽く息を吐いた。
 半ば予想していた事だが、この宝石自体に呪いの類の力は宿っていなかった。小さく首を横に振る。
「やはり駄目ですね。ここに呪いの類は宿っていません」
「そうか…」
 答える慶悟の声に、特に落胆の響きはなかった。彼の眼から見てもこの宝石自体に禍々しい物を感じなかったからだ。
「あの…いかがでしょうか?」
 そんな二人の背後から声を掛ける人物がいた。
 本日の式の主役の片割れ――花婿でありこの宝石の所有者・葛城直人である。白のタキシードに身を包み、ビシッとした格好の彼は、正に夢に描く王子様そのもの。財閥の当主だけあって纏う雰囲気もどこか近寄り難いものがあった。が、浮かべる笑みが柔和な為、その辺りの印象を和らげてもいた。
「そうですね…この宝石自体には特に呪いといったものは感じられません。問題はないでしょう」
「ああ、俺が見た限りでも、特に呪いがかかってるとも思えないな」
 二人の言に直人はホッと息をついた。
「そうですか。流石麗香のご友人達ですね。これなら安心して結婚式が挙げられます」
 嬉しそうに言う彼の言葉に何故か引っ掛かるものを感じる。
「おい、それって」
「麗香が言ってましたよ。自分の友人達にはそういうのに詳しいのが沢山いるから、何も心配しなくていい、と。本当にあなた方がいてくれるのは心強いです」
「……麗香さんらしいですね」
 苦笑を零すクリスに、頭を抱える慶悟。
 大方の予想通りの展開だったが、ここでふと疑問が沸く。
「そういえば…あんた、どこで女史と知り合ったんだ?」
 そもそも碇と御曹子との接点が見つからない。が、その疑問はあっさりと解き崩された。
「彼女とは幼なじみなんですよ。小学校の時からですからもう随分経ちますね。まあ、腐れ縁ってヤツですか? 一時期会わない時が間にありましたけどね」
 そう言って、直人は少し複雑な笑みを浮かべた。
 それを見た瞬間、なにやら含みがありそうだと感じた二人は、互いに視線を合わせたままその話題をそれっきりで終わらせた。
 そして再び視線を宝石に戻す。
「宝石自体には確かに何も問題はなさそうだがな」
「そうですね…」
 顔を見合わせながら、どうやら二人とも同じ考えに至ったようだ。
 宝石自体には特に異常はない。問題は、宝石の周りを取り囲むようにある奇妙な空気だ。何かの残滓であることは明白だが、それがなんなのかまで読み取る事が出来ない。
 どうやら、最後まで気を抜くことは出来ないようだ。
「そろそろ時間ですね」
「それじゃあ俺は、周囲から見守るか」
「よろしくお願いします」
 そして、三人は控え室を出た。

■宝石の持ち主■
 式は滞り無く順調に進んでいった。
 バージンロードをゆっくりと歩く麗香の姿には、参列者から時折感嘆の声が洩れる。
 同じように参列席に並んでいた女性三人は、固唾を呑んで麗香を見守りながら周囲に目を配っていた。クリスは神父として、慶悟は穏形法を用いて姿を消し、常に麗香を目の見える範囲に置いて些細な気配を注意深く探っていた。
 直人が麗香の手を取り、二人でゆっくりと祭壇を登る。
 静かに流れる賛美歌の中、二人は十字架の前で止まる。それを認めて脇からゆっくりとクリスが彼らの前に立った。
「……よろしいですね」
 二人が小さく頷く。
 クリスが手にしていた箱の蓋を開けると、そこにあるのは葛城家の秘宝【蒼い彗星】。スタンドグラスから射し込む光にキラキラと輝き、一層美しさを増した気がする。
 直人が【蒼い彗星】をそっと手に取り、スッと麗香の方に振り向いた。
「いいかい?」
「――ええ」
 当主である花婿が迎え入れる花嫁の胸元に飾る。これが代々葛城家に伝わってきたしきたりだった。
 今まさに目の前でその儀式が行われようとしたその時。
 パラリ。
 クリスの頬に何かの粒が当たった。彼だけでない。参列者も天井から落ちてくる小さな何かに気付き、ざわめき始めた。
 そして。

「危ないッ!」

 誰の声だったのか。
 静寂の式場に甲高い声が響いた直後、天井からぶら下がったシャンデリアが落ちてきたのだ。三人が気付いた時には既に遅く、彼らは咄嗟に動く事すら出来なかった。
 目の前に迫ってくる硝子の凶器。
 今正に押し潰されようとした寸前。
「麗香さん!」
 いつの間に移動したのか、彼女を背後に庇うように飛び出した人影。長い髪が振り乱された姿が視界に広がる。
「みかねちゃん」
 麗香の叫び。
 その直後。
 迫ってくるシャンデリアがもの凄い音を立てて砕け散ったのだ。それこそ破片すら粉々になり、降り注いだ人達にはかすり傷一つ負わなかった。
 それこそが彼女の力である念動力だった。麗香の危機に自らを危険に曝し、その極限状態の危機感によって自分の力を発動させたのだ。
 だが、あまりにも強い力を発動してしまった反動で、みかねはそのままふっと意識を失ってしまった。
 慌てて駆け寄る女性陣。
「みかねちゃん、しっかり!」
「まって麗香さん。あまり動かさない方がいいわ」
「そうね。頭に血が上ってるみたいだから」
 一方、クリスの方は花婿の手から素早く宝石を取り、素早く十字を切った。同時に慶悟も自らの姿を現し、禁呪をその宝石にかける。
 すると、低い唸り声が辺りに響き、なにやら黒いもやのようなものが宝石を取り巻き始めた。
『…返せぇ〜返せぇぇぇ〜これはワシのもの…私のモノよぉぉぉ〜…俺んだ〜私のぉぉ…

 地獄の底から響く呪いの声。聞く者を震え上がらせながら、何度も何度も繰り返す。『自分の物だ』と。
「ったく。死んじまった後でも浅ましいもんだな、人間の欲ってヤツは」
「これは…?」
 シュラインの問いに答えず、慶悟は臨戦態勢に入った。懐から数枚の呪符を取り出し、もやに向かって突きつける。
 変わって答えたのは、同じく浄霊の準備をすべく十字架を構えたクリスだった。
「聞いての通り、この宝石に未練を残す人々の念ですよ。これだけ凝り固まった物が憑いていれば、それこそ死人が出てもおかしくなかったでしょうね」
「で、でも呪いの類は何も…」
 唖然となる花婿に変わって、どこまでも気丈な花嫁が問えば、彼はフッと口元に緩める。
 その雰囲気が空恐ろしく感じ、女性陣は思わず身震いした。
「勿論、あの宝石自体に憑いてる訳ではありません。そもそも直前まで私には何も感じられなかったのですから。負の気も、本来あるはずの聖なる気もね」
 不意に沸く疑問。
 それを問おうとした時、ミナミは背後の気配にいち早く気付く。
「麗香さん、後ろッ!」
 持ち前の反射神経から素早く麗香の手を引いたミナミ。彼女が今いた場所に突っ込んできたのは、折れた十字架の破片だった。
「成程、そこですか」
 クルリ、とクリスが宝石とはまるで別方向に振り向く。そして十字架を片手に彼は己の気を高めていく。
「神の御名において、その姿を現せ悪魔よ」
 発した声と同時に、彼は手にした銀のクロスを何もない空間目掛けて投げつけた。
 十字架は空を切っていくという大半の予想を裏切り、目に見えない何かに勢いよく突き刺さった。
『ぐぉぉぉぉっっ!!』
 轟いた悲鳴は、先程の声とは違うものだった。
 すると、何もなかった空間に黒い影が滲み出ててきた。十字架が刺さった場所からはシューシューと白い煙が上がっている。
 誰もが目を疑う中、クリスと慶悟だけは冷静だった。
 既に宝石を取り巻く思念をあらかた浄化した慶悟だったが、特に息を切らした様子もなく余裕があった。クリスにしても目の前の影のレベルを一目で見抜き、過去の悪魔払いの経験からそれほど強くないと判断していた。
『お、おのれぇぇ……』
 苦しげに呻きながらも反撃しようと影が伸びる。
 だが、それより先に慶悟の術が発動する。
「無駄だ。我、ここに汝が存在を禁ず!」
 札が舞い、影の手足と思われる場所に取り付くと、白い煙を噴き上げてその存在を消した。つんざく絶叫が響くも、彼らは一切の顔色を変えない。
 悪魔に対して、一切気を許してはならないと二人は知っていたからだ。
「元々宝石というは、どんなものにもなんらかの気が宿ってるものなのですよ」
 多少余裕が出てきたからか、先程の続きをクリスが説明し始めた。
「それが何の力も宿っていない。そうすると、何らかの力が外部から働いていると考えるのが自然でしょう」
「ところが、だ。幾ら霊視した所で僅かな痕跡が見えるだけだ。おそらくこの宝石が誰かの物になった時点で発動する条件だったんだろう」
「そういう訳でしたので、碇さんには少し囮的なものを担って頂きましたが…巧い具合にいきましたね」
 二人の説明に多少納得しつつも、肝心な説明になっていない。
「でも、それじゃあこの宝石に憑いていたのっていうのは…」
 シュラインが問い質すと、クリスが答えを出した。
「この宝石に使われているサファイアというには、神聖なる石としては最高峰のものです。故に私達のようなエクソシストや高位の僧などはこぞって身につけているのですが。時折、そのサファイアを巡って酷く醜い争いが起きたりもするのですよ」
 そこで一旦言葉を区切り、彼は影へと向き合った。
 同じく、慶悟も止めを刺すべく気を集中する。
「神の御遺志のままに…悪霊よ、退け!」
「我、光をもって一切の闇を禁ず」
 退魔の光と浄化の光。
 放たれた二つの光が破魔の力となって影を撃ち抜く。
『ぐぉぉぉぉぉぉぉ―――』
 断末魔の悲鳴。
 やがて辺りは静寂を取り戻す。
「――サファイアという名前、その語源たるサンスクリット語でsanipriya――サンプリア――と言いましてね。その意味は―――『悪魔の貴重品』」
 告げられた言葉。
 影が残した最後の言葉の意味を、彼らはそれで理解する事になる。

『それはオレのものだぁぁぁぁ―――ッッ』

【調査報告】
「さーてと。いい記事が書けそうだわぁ。シュライン、ちゃんとメモ取れてるんでしょうね?」
「れ、麗香さん?」
 いきなり立ち上がって、麗香が最初に口にしたのは雑誌の編集の事。
 思わず唖然としたのは、シュラインだけではない。流石にこの切り替えの早さに誰もが開いた口が塞がらない。
 いくら予想してあったとはいえ――
「ちょ、ちょっと麗香さん。この結婚式、一体どうするの?」
 とっとと歩いていこうする彼女を、シュラインが慌てて引き留める。流石に花婿に対しては何か言うべきなのでは、そう思ったのだが。
 振り向いた麗香はじっと彼を見つめた後、床に落ちていた宝石を拾ってツカツカと歩み寄る。未だに茫然としている相手に向かい、静かに宝石を手渡すと、誰をも魅了するような笑みを浮かべてこう言った。
「はい、これで呪いは解けたわよ。それを持って早く彼女の所へ行く事ね」
「えぇぇっ?」
「彼女って…」
「それじゃ」
 もうここには用はない、そう言わんばかりの潔さで麗香はドレスを引きずりながら式場を出ていった。
 後に残されたのは、花婿と集まった五人。そして―――
「え、エキストラだってぇ?」
 事の真相を聞こうと花婿に詰め寄った慶悟が聞き出したのは、今この場に参列している連中が彼に雇われたエキストラである事、そして、彼には結婚相手が別にいる、という事だった。
「呪いの事で彼女に相談したら、いい連中を紹介するから記事にするのを了承するよう言われましてね……」
「それって、麗香さん…」
「それじゃあこいつは」
「麗香さんたら……」
「まったくあの人ときたら」
「――麗香さん、私達を利用したんですかぁ―――!」
 四人それぞれ思いは、意識を取り戻したみかねの一声に全て集約されていた。
「ったく、やってくれるぜ、女史よ」
「すいません、あなた方にご迷惑をかけて」
 謝ろうとする直人に慶悟は、いや、と手をかざす。
「別に怒っちゃいないさ。あの人の性格ならこれぐらいは……ま、当然だしな」
 もはや苦笑すら出てこない。いつもいつも自分達は彼女に振り回されている。
 そう思いつつも、怒る気になれないのは彼女の人徳か?
「そうねぇ、どうせこんな事だろうとは思ってたけど…ホント麗香さんたらやってくれるわね」
「心配して損した気分ですね」
 そう言いつつも、シュラインもミナミも怒っているワケでない。
「それで、あんたらの関係ってホントはなんだったんだ?」
 最後にそれだけは聞きたいと思い、つい慶悟は質問していた。が、すぐにそれを撤回する。
「いや、いいや。他人の詮索してもしょうがないしな」
「さて、それではそろそろ私達も参りましょうか。きっと原稿を片手に碇さんが待ちかねていますよ」
 クリスの言い分に苦笑しつつも同意した五人は、連れ立って式場を後にした。

 一人ぽつんと残された花婿は、手にした宝石を握り締めぼそりと呟いた。
「――付き合っていたんですよ。ずっと昔に」
 叶わなかった恋、でしたけど。

 やがて。
 射し込む光が徐々に陰を落としていった。



 誓い。
 あの日から心に決めていた事。
 泣き疲れてしまったあの頃、生きる気力をなにもかもなくして、それでも彼と同じ世界を生きていこうと決めた。生きていれば、また再び巡り会えると信じて。
 そうして過ごした日々。
 やがて私達はすっかり大人になってしまって、もう同じ道を歩く事が出来なくなっていたけれど。
「……お互い、別々の目標を見つけてしまったのよね」
 あの日、私は決めたのだ。
これから先、何があったとしても彼の幸せだけは見届けようと。そうすることであの時の想いにきちんとした決着を付けたかったから。
 グラスを片手に、写真立てに向かって軽く手を伸ばした。
「結婚、おめでとう」
 チン。
 ガラスが澄んだ音を立てる。少しだけ口元に笑み。写真の中では、あの日の二人が幸せそうに笑っている姿があった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所でバイト
0249/志神・みかね/女/15/学生
0389/真名神・慶悟/男/20/陰陽師
0800/宝生・ミナミ/女/23/ミュージシャン
1070/クリスティン・ブライアン/男/25/神父
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■       ライター通信            ■
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この度は、『寿結婚』にご参加いただき、ありがとうございました。
担当ライターの葉月十一です。
そして、大変お待たせして申し訳ありませんでした。
非常に遅くなってしまい、本当にごめんなさい。少し体調管理が失敗してしまい、結局一週間以上寝込む羽目になってしまった為、このように遅くなってしまいました。
とはいえ、全ては自分の責任ですので、なんとも言い訳しようもないのですが。

そして、今回の依頼ですが、あのような結果になりました。
一応御祓いは成功致しましたので、万事解決という感じです。
それにしても皆さんのプレイングを見てますと、麗香さんの性格がよくわかってらっしゃる…まさにその通りでした。

それではまた機会がありましたら、参加していただけると嬉しいです。
この次はこのような事がないよう努力致しますので。