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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


しあわせのおくりもの
++ 問いかける声 ++
 月刊アトラス編集部。
 超常現象などを中心にすえた雑誌である。そういった雑誌にありがちなことではあるが、毎月さまざまな品物の広告が掲載される。

『幸せを呼ぶペンダント』
『金運を招く石』

 などその種類はさまざまだ。ある日そんな品物について困りきった人物が月刊アトラス編集部を訪れてきたのが始まりだった。
「困っている、とは言いがたいんですけれど……」
 商社のOLをしている、という女――狩野千尋は先月発売された月刊アトラスの、とあるページを開いて指し示す。すると麗香はテーブルの上に広げられたそのページに視線を落とした。
「『これを身に着けることで、あなたにはさまざまな幸運が訪れることでしょう。三ヶ月着用しても効果がなかったときには返品を受け付けるので安心です?』……もしかして買ったの?」
「はい。それで、実際にこれを身に着けてから本当にいろいろなことがあったんです。商店街の抽選で温泉旅行があたったり、雑誌のプレゼントに当選したり……あとお財布を拾って、持ち主の方から謝礼をもらった、というのもありますし……今勤めている会社よりも条件のいい別の会社から、『ウチに来ないか』というお誘いも……細かなことをあげればキリがないくらいについているんです。それは問題ないんですけれど、不思議なこともあって」
「それだけ幸せなら、何も問題ない気もするけれど?」
「それが、毎日夢を見るんです」


 そのペンダントは、銀色のプレートに文字のようなデザインが刻まれたもので、隅にあいた穴にチェーンが通されているというシンプルなデザインのものだ。
 千尋がそれを身に着けたときから、さまざまな幸運をが舞い込んだ。だが、それから毎日夢を見るようになったのだという。
「夢の中で、声がするんです。『ねえ、幸せ? 今幸せ?』――そんなふうに毎日毎日、夢の中で問いかけられるんです。まだ、一度もその声に答えたことはないんですが……」
「毎日じゃあ、偶然じゃあすまされませんねぇ……」
 ぽそりと、小声で三下が口を挟むと麗香がぎろりと睨みつける。すると三下はすごすごと自分のデスクへと戻っていく――どうやら、担当分の原稿を書き終えていないらしい。
「夢の中だけなら、まだ良かったんですが……とうとう起きているときまで……」
「それは、確かに変な話ね……」
 詳しく麗香が状況を尋ね、返って来た答えは次のようなものだった。
 一人で暮らしているマンションの一室でくつろいでいると、窓ガラスをとんとんと叩く音がするのだという。
 千鶴の部屋は三階だ。その窓はテラス側の窓ではないために、人がそこを叩くなど不可能だろう。だが、気になって窓を開けてみると小さく声がするのだという。


『ねえ、幸せ? 今幸せ?』


 声がするだけで、害はない。むしろこのペンダントのおかげで次々と幸運が舞いこんでいる。だが、だからこそ怖いのだという。
「ペンダントのせいなのか偶然なのか分かりません。けれど、幸運が次々と舞い込んでいるこの時に、『幸せ?』と問いかけられるというのがどこか不気味で……ペンダントの発売元に連絡を取ってみようと思ったのですけれど、二週間ほど前に倒産してしまったらしくて連絡がつかないんです……なので、ご迷惑とは思ったのですが、広告を掲載していたこちらの雑誌の編集部に相談してみようかと……」


 これは、と麗香は思う。詳しく調べれば、雑誌のネタに使えるかもしれない。
 麗香は幾つかの名前を脳裏に思い浮かべる。こういった類の調査に慣れているであろう人々の名前を――。


++ 再会までの道 ++
「願いが叶ったぁ〜。ありえませんよそんなの。それどころか返品希望の電話ばっかりでしたもん」
 待ち合わせに指定した場所は、バイト先である草間興信所から歩いて五分ほどのところにある小さな喫茶店だった。店内に流れる音楽はピアノソングばかり。こじんまりとした店内もそこにある椅子やテーブルも、毎日念入りに磨きこまれて汚れ一つない。決して流行っている様子はないが、なにより老夫婦が楽しげに仕事をしている姿を見るのがシュライン・エマ(しゅらいん・えま)は好きだった。
 だが、待ち合わせの相手はこの場にはひどく不似合いな雰囲気を醸し出している。
 どぎついメイクに、舌ったらずな口調。
 かつて、問題のプレートを販売していた会社に勤めていたという女は、薄手のピンクのコートを畳むと椅子の背にかける。
「ここモチロン奢りですよね〜。わざわざ仕事休んでまで来てるんですからぁ」
「ええ。そのかわり話を聞かせて欲しいの。前に務めていた会社のことで」
「スミマセーン、カフェオレくださーい! 話すのはいいですけど、でも今更あんな会社について調べてどうするっていうんですかぁ?」
 バックから手鏡を取り出し、ウェーブかかった髪をしきりに直しながら女が問いかける。シュラインは薄く――女に気づかれない程度に目を細めた。
「あそこで売っていたプレートについてちょっとだけ興味があって。会社の規模ってどのくらいだったのかしら?」
「うーん。ちゃんとした社員なんていなかったと思いますけど〜。アタシも派遣だったし。電話応対兼発送っていうか、申し込みの電話を受けると、電話受けた子が発送作業するっていうくらいの会社だったんですよぉ。たぶん一人だけいた男の人が社長だったんじゃないですかぁ」
「そう……」
 運ばれてきたカフェオレを、銀色のスプーンでぐるぐると執拗にかきまぜている女の姿を視界に収めながらシュラインが呟く。
 シュラインがこうして話を聞くのはこれで三人目だった。だが、連絡先が分かっているのは今目の前にいる女で最後だ。
 皆、話すことは同じだった。
 会社の規模はごくごく小さなもので、電話番兼発送担当の女が数名とおそらく代表者である男が一人。扱っている商品は問題のプレートだけであったが、倉庫として借りてきたアパートの隣室にはそのほかにも様々な商品があったので、おそらく過去にも同じような商売を繰り返していたのだろう。
「んーでも間違ってもアレで願いが叶うなんてことないと思いますよぉ。もしもアタシだったら、高い金だしてあんなの買うくらいならもっと別のもの買いますね。だってねぇ、社長自らいつも言ってましたよ。『こんなのに頼るやつは馬鹿だ。そして世の中には馬鹿が多いから金になる』とか。まあ酷いとは思いますけど――でも潰れたんですか。ザマーミロですよね」
「あら、じゃあその仕事は嫌いだったの?」
 それはシュラインが始めて、女に対して親近感を抱くことができた瞬間だった。
 からかうようなシュラインの口調に、女は歳不相応にもぷうと頬を膨らませた。
「仕事は仕事ですけど〜。でもアタシも高校時代とかはああいうの欲しかったですもん。女なら誰もが通るんじゃないですかねそーゆーの。それを信じて売ってるならともかくとして、食い物にされてるのって見てていー気持ちじゃないですよ」


『そう……つまり社員は何も知らないということね』
 現状を報告するとともに、碇麗香のもとに何か新しい情報が入っているかもしれないとシュラインは月刊アトラス編集部に連絡を入れた。だが電話口に出た麗香の口調から察するに、事件に進展はないのだろう。
「ええ。次は問題の会社のほうに行ってみるつもりです。住所は分かりますか?」
『勿論よ。今書きとめられる?』
 首を曲げて肩と頭とで携帯電話を固定しつつ、シュラインが開いたメモ帳に麗香が読み上げる住所を書きとめていく。
『多分、もう何人かが行っていると思うわ。ついさっき、同じことを聞かれたから』
 そこで参考までにと聞き出した人物の名前は、シュラインのよく知るものだった。
 通話を終えると、シュラインは携帯をしまいこみながらふうとため息をついた。
「……それにしても、よく会うわね」
 偶然とはいえ、こういった事件の場で彼女たちに会うのは何度目になるのだろう?
 だが、その偶然を心の中で喜んでいる自分がいることもシュラインは自覚していた。


++ 幸運を呼ぶもの ++
 住所の書かれたメモと電信柱に貼り付けられたプレートを交互に見比べながら、シュラインは目的の場所を探しつつ足早に歩いていた。
 駅前には小さなビルが密集している。こまごまとした路地が入り組み、下町と開発途中の駅前の雰囲気とが同居する不思議な景色。
「ふんふんふーん。ふんふんふーん」
 駅の構内にあったコンビニエンスストアにて購入した地図に視線を落とし、現在地を確かめたシュラインの足元で、鼻歌が響く。
「…………?」
 思わず首を傾げ足元に視線を落とす。
「ふんふんふーん。ふんふんふーん」
 声の主は、オレンジ色の毛並みのポメラニアンだった。鼻歌まじりで毛づくろいをしている。
 犬が鼻歌を歌うという事態に、もはや驚くことすらしなくなってしまった自分に苦笑しつつ、シュラインはその犬――橘神・剣豪(きしん・けんごう)に声をかけた。
「あら。こんにちわ」
「おう! おまえも来たのか。鞠たんは中だぞ中」
「留守番してるの?」
「まあな。なんか会社が怪しいとか言って中に入っていった。俺はこのカッコじゃ入ったらダメだってさ。人間になれればいいんだけど、人目があるから大人しくしてるんだ。偉いだろ俺?」
 ぶんぶんと尻尾を振りながら足元にすり寄ってくる剣豪の頭を撫でてやると、彼は気持ちよさそうに目を細めている。なまじ人間体になった時の彼の姿を知っているだけに、激しい違和感に襲われたがシュラインはそれについては考えないことにした。
「そう――じゃあ私も行くわ」
「おう。鞠たんを頼むな。俺もここにいるから平気だとは思うけど」
「彼女のついででいいから、私たちのこともよろしくね?」
「まかせとけ。ちゃーんと守ってやるからな」
 すると剣豪は自信満々な様子で、右前足を持ち上げ自分の胸を叩こうとしているのだがなかなか美味くいかないらしい。四苦八苦している彼の様子に笑いをこらえながら、シュラインはビルの内部へと足を踏み入れた。


 販売会社があった場所はもぬけのからだった。
 四階建てのビルの、二階のフロアはその会社が借りきっていたものらしい。ポストの中にはダイレクトメールの類がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。その中身を引っ張り出したシュラインは最後の消印を確認した。
「狩野さんのもとにプレートが送られた直後に潰れたのね」
 剣豪と別れたシュラインは、その後やはり調査途中である村上・涼(むらかみ・りょう)と崗・鞠(おか・まり)と合流した。
 フロアの隅には、ここで使われていたらしいデスクが積み上げられていた。残っているものといえばこのデスクと、ところどころに散らばっている紙くずだけだった。その一枚を拾い上げた涼はつらつらと紙片に書かれた文章に視線を走らせた後に、再びくしゃくしゃと丸めるとてい、と窓ガラスに向けて投げつけた。
 やつあたりにも似た涼の行動にシュラインと鞠は顔を見合わせ肩をすくめる。
「会社の規模はとても小さなものだったそうよ――代表者と思われる男と電話番の女性が数名ほど。扱っていた品物は今回問題になっているプレートと似たような、『願いを叶える』とかいうものが多かったようね――けれど勤めていた女性から聞いたところでは、それで願いが叶ったなんてことは聞いたことがない、ですって」
「ペンダントに刻まれていた模様には何か意味があるのでしょうか?」
 どこから見つけたのか、鞠はシルバーのプレートを握り締めていた。そっと掌を開き、そこに刻まれている文字に視線を落とす。
「意味はあるかもしれないけど、売っているほうもその意味を知らないってパターンじゃないの? そもそもペンダントのおかげで願いが叶ったとかいってる根性が既に気に入らないのよ。自分の力よ自分の。何事もね!」
 涼はガラス窓にぶつかって跳ね返ってきた紙くずを、今度は蹴りつけた。
「…………」
「……な、なによその目は……」
 シュラインが何か言いたげな顔をしているのに気づき、何故かいたたまれないものを感じた涼が問いかける。
「ちょっとだけ、悲しくなったりしなかった。今?」
「……な、なななななんで私がここで悲しくなるのよ」
 思い当たるふしでもあるのか、しどろもどろになる涼を首を傾げて見ていた鞠に、そっとシュラインが耳打ちした。
「まだ就職内定取れないんですって。初めて会ったときからずっと就職活動しているみたいなんだけれど彼女――たぶん、私の予想だと面接官に暴言吐いたりしちゃっているんだと思うけれど……自分をごまかせないし、彼女は」
「そこ! そこ! 親切丁寧に説明してやらなくっていいし!」
 びしりとシュラインに人差し指をつきつけるものの、状況は涼にとって圧倒的に不利だ。
 涼を慰めるためにはどんな言葉を発したらいいだろうか――しばし考えた末に鞠はそれを放棄した。おそらく涼もまた慰めなどを欲してはいまい。
「プレートのおかげで幸せになったとしても、その幸福に縋ってしまうのは不幸であると思っていたのですが……精神的に追い込まれている人というのは、それでもやはり、こういったものを欲するのかもしれませんね」
「……ちょっと待って。なんで私のほうを見て言うのかなソレを」
 ゆらり、と振り返った涼は不自然なまでにすがすがしい笑顔だ。
 だが鞠は動じなかった。
「たまたま思いついただけなので、気になさらないでください」
「いえだからなんでそれを今思いついたのかが気になるんだけど……」
 ねえ私ってそんなに追い詰められているように見える、と問いかけながら涼がぐるりとシュラインの方へと振り返った。
「んー、答えは保留でいいかしら?」
「それってつまりそう見えるってことじゃない! うわもう周り敵ばっかりもしかして!?」


++ しあわせのおくりもの ++
「これが幸せのぺんだんとってヤツなのか? へーえ」
 狩野千尋が購入したプレートの匂いをかいでいる剣豪をよそに、シュラインは窓を開けて外へと顔を出している。
「どう?」
 その背後から問いかける涼に、シュラインは首を横に振って見せた。
「ダメね。人が隠れていられるようなところはないし――誰かのイタズラっていう線はこれで消えたわね」
 その後からひょいと涼も外に顔を出してみる。確かに人が長時間隠れていられるような場所はない。足がかりになるものといえば、せいぜいエアコンの室外機くらいなものだが、その上に留まっていたとしてそれが目に入らない筈がない。
 千尋のペンダントをしげしげと眺めていた鞠がそれを手に取った。
「立ち入った質問かと思いますが、千尋さんは何故このペンダントを購入されたのですか?」
 揺ぎ無い眼差しに、千尋は言葉につまる。
 だが鞠の視線は、じっと千尋に注がれたままだった。神秘的ですらある黒い瞳に、千尋は射抜かれたようにして動けずにいる。
「何故って、幸せになりたいと思うのは、当たり前のことではないでしょうか?」
「では、千尋さんはいま幸福ですか?」
「……え……」
 鞠からの思わぬ問いかけに、千尋が黙り込んだ。その手にはしっかりとプレートが握りこまれている。
 プレートの匂いから新たな発見があるかと匂いをかいでいた剣豪は、対象であるそれを取り上げられてしまったために前足を揃えて、ちょこんとその上に自分の顔を乗せる。いじけたようにも見える動物特有の愛らしい仕草に、シュラインは吹き出しそうになるのを懸命にこらえていた。
 鞠の問いに答えを返すことができずにいる千尋に向かって、剣豪がふいと立ち上がり、正座している千尋の膝の上に両足を置いて、千尋の顔を間近でじっと見つめる。
「あのさ、美味いドックフードって、不味いヤツ食ってるから美味いって判るんだよな。で、ソレずっと食ってたら不味いやつ食いたくなくなって、もっと美味いの食いたくなんの」
 じっと、剣豪の話に耳を傾ける千尋とは裏腹に、涼はシュラインに耳打ちする。
「……あれって私に対する嫌味かしらね」
 剣豪と約束の末に、ドックフードを買ってやったがその味が不味かったと剣豪がふてくされた件を思い出したのだろう。
 涼の小さな囁きには構わずに、剣豪はさらに言葉を続ける。
「美味いのが美味いとわかるから、俺はソレ時々でいいけど。でもお前は美味いもの食いすぎて、今自分が幸せかどうか分からなくなってるんじゃないのか? 亡くすのが怖いんだろ? だから幸せかどうかって聞いてくる声に答えられないんだ。本当は何てことないのに、怖く思えているだけってことないのか――ゼータクだな、お前。でもさっきのドックフードはマズかったぞ」
 くるり、と顔だけをこちらに向けた剣豪の言葉の最後の部分は、明らかに涼へと向けられていた。
「文句あんなら自分で買え!」
「お前美味いの買ってくれるっていっただろ!」
「ドックフードの味なんて分かるはずないでしょーが私にっ!」
 犬と人間が怒鳴りあう様というのはなかなかにシュールな光景ではある。
 しかも両者ともに遠慮している様子はない。つまり互いに本気であり、一歩たりとも譲る気配が感じられない。
「止められない?」
「無理だと思いますが、一応やってみますか?」
 表情にこそ出ないのだろうが、鞠は困っているようだった。剣豪の世界は明らかに広がりつつある。そしてそれに引きずられるようにして自分の世界も。
 だが、不快ではなかった。
 こうしてさまざまな事件に接し、それを解決する上でさまざまな人に出会うということは、鞠にとっても剣豪にとっても必要なことなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、鞠が首を傾げる。
 この世界は、どこまで続くのだろうか、と。
「こういうのはどうかしら?」
 シュラインは涼と剣豪の口論には口出しをすることはなかった。
 人差し指と中指で、自分の顎のあたりを撫でながらシュラインがまるで、様子を伺うようにすぐ隣にいた千尋に視線を走らせた。
「声の主が何者かどうかを、聞いてみればいいわ」
「けれど、答えてくれると思いますか?」
「答えるわ――声の主は千尋さんが幸せであるかどうかを確認したいのでしょう? ならば、『声の主が何者かわかれば、幸せになれるかもしれない』と聞いてみればいいのよ」
 手探りの状態が続いていた。
「答えがどんなものであれ、前進することはできるわ。相手の考えさえ分かれば、あとはどうとでも対応できるものよ」
 小首をかしげたシュラインは、まるで千尋にどうするのかと問いかけているかのようだった。


『幸せ?』


 怒鳴りあっていた涼と剣豪がぴたりと押し黙った。
 そう――それは明らかに、その場にはいない『何か』の言葉であり問いかけ。
 千尋は、問いかけに対し明らかに答えることを躊躇していた。
「怖いの?」
 鞠に駆け寄る剣豪の姿を視界の隅に捉えながら、涼が尋ねる。すると大きく見開かれた千尋の目が、すがるように涼へと向けられる。
「怖いの? 降って沸いた幸運が、答えることで消えそうで? でも所詮元々なかったものでしょ? ねえ、そもそもキミ本当に不幸だったの? そうじゃないでしょ。誰だって、そこそこは幸福でそこそこは不幸なのよ。結局気の持ちようじゃないの?」
「…………」
「毎日の中で、ソレを見出せることが出来たか出来ないかの、ただそれだけの差なんじゃないの本当は? 本当にそれすらなかったの?」
 畳み掛けるような涼の言葉に、千尋は無言で考える。
 不思議と、あれだけ彼女を苦しめ続けた見えない何者かの問いかけは、気にはならなかった。常にたった一人でそれと対峙していた頃とは違い、今は剣豪たちが側にいてくれている。
 千尋は押し黙り、膝の上で拳を握り締めていた。
 幸福は、あっただろうか?
 目を向けることさえできれば、それは日常の中に確かに『在る』のだと涼は言う。ならば自分にもそれはある筈。それを見るべき目がなかっただけならば。
 そう、確かに幸福はあったのだ。ひどくささやかで、与えられたと信じた幸福の前にはかすんでしまいそうなものであっても、その時に感じた温かな気持ちには嘘はなかった筈なのだ。
 例えば、乗り遅れそうだったバスがわざわざ停車して自分を待ってくれた――そんな小さなものであっても。幸福であると思える出来事は、プレートを手に入れる前にもあったはずなのだ。
 そして千尋は口を開く。緊張からか、口の中がからからに渇いているのが自分でも分かった。シュラインはそんな彼女を安心させるようにして頷いて見せる。


「あなたの――この声の正体が分かれば、きっと、幸せになれる気がします――」


 沈黙の中で、皆の視線は千尋のプレートに注がれていた。
 やがて、重苦しいほどの静けさの中で、そのプレートが光に包まれる。やわらかな光に。
『ただ、幸せになってほしいという意志のみ――』
 与えられた言葉はそれだけ。
 首を傾げるシュラインと涼の間で、鞠だけには分かった。常に動物や植物と語らい続けた彼女であるからこそ、その意志を正確に汲み取ることができたのだろう。
「実体すらなく、人を幸福にしたいという意思だけの存在であるということですか? けれどその先に何があるのです。人の願いをかなえたその先に、何を求めているのですか?」
 それが、鞠の心配している点だった。
 古来より、人の願いを叶えるという怪異は多く語り継がれている。だが、願いと引き換えに何らかの代償を求めるもまた珍しくはない。
 淡い光に包まれ、ふわふわと宙に浮いているプレートに興味を引かれた剣豪が、ちょいちょいとそれに触れようとするが、プレートはするりとその手をかわした。
『人の意志の積み重ね――同じ方向を向いていたそれらが、私を作った。幸せを望む気持ちは誰にでもある。ならば、それを叶えるモノが必要だ。人を幸福にして、そして感謝されることのみを私は望む』
「生まれて間もないのね。だからやり方に融通が利かないんだわ」
 シュラインの口調には、呆れたような響きが含まれていた。とりあえずこの『意志』が、千尋に害を与えようとしているモノでないことだけは分かった。理解できたのならば、次は対策を立てる必要がある。
「つまり、このプレートを購入しようとした人たちの『幸せになりたい』って意志から生まれたってコト?」
 首を傾げながら問いかける涼に、鞠が頷いてみせた。
「幸福かと問いかけたのは、ただ純粋に確認がしたかったのでしょう。幸福になって、感謝されることをアレが望んでいたのであれば、それしか理由はありませんから」
「純粋で、不器用すぎるのね――けれど、それなら狩野さんの悩みを解決するのは簡単だわ」
 シュラインが言うと、千尋は宙に浮いたそれをぎゅっと握り締めた。
 手段こそ不器用ではあるが、その『意志』は純粋に千尋の幸福を願っていた。その事実が、千尋には嬉しかった。
 誰かが自分の幸福を心から願っているならば、既にそれは幸福であると思う。
 自分はここまで純粋にはなれないけれど――。


「幸せです、私は」


 千尋の手の中で、プレートがひときわまばゆい光を放つ。
 部屋の中が光で満たされていく中で、再び千尋が言った。


「幸せです、私は――あなたは私の幸福を心から願ってくれた。ねえ、そんなふうに思ってくれる人と、なかなか出会うことはきっとできない。だから、あなたと会うことのできた私は、そしてそれを悟ることができた私は、きっと幸福なんです」


 そっと、千尋が両手を開く。
 プレートを包む光が、一瞬大きく膨れ上がったかに見えた。まばゆい閃光に皆が一瞬目を閉じる中で、それは窓ガラスをすり抜け、そして夜空高くに消えていく。そう――まるで流れ星のように。
 暗い空を流れていく星を見上げていた剣豪が、ぽつりと呟いた。
「なあ、流れ星って願いを叶えてくれるんだよな?」
「どんな願いを叶えたいんですか?」
 優しく剣豪を見下ろす鞠の姿を見つめながら、シュラインは思う。
 幸福は、どこにでもあるのだと。
 ただ、その存在に気づきさえすれば、どこにでも――。


++ 日々の中で ++
「だからこないだ買ってやったでしょーがっ!!」
「美味いの買ってくれるって話だっただろ。あれはマズかったからナシだナシ!!」
 相変わらずぎゃいぎゃいと言い争いをしている涼と剣豪。
 これが昼間ならば、犬の姿をしている剣豪が人の言葉を話しているのを見られるのに問題があるために、多少なりとも声を潜めるくらいの配慮はあっただろう。だが、幸か不幸か時間は夜であり、駅前ですらもしんと静まり返っている深夜である。
 二人のやりとりに、くすくすと笑いを漏らしているシュラインの隣には鞠の姿があった。
「あのプレートは、どこに消えたのでしょうか?」
 あの後、千尋の部屋のどこを探してもプレートは発見されなかった。
 流れ星になったんだ、などという剣豪の発言はともかくとして、その後千尋が幸せかと問いかける声に悩まされることがなくなったのは事実である。
 シュラインは夜空を見上げた。
「あれが、今でも『人を幸福にしたい』と思っているなら、またどこかで誰かを幸福にしようとしているのかもしれないわね。ただし、次はもう少し器用になっていると思うけれど」
「――そうですね。もう、同じことは繰り返さないのではと、私も思います」
 シュラインの言葉に鞠も同意を示す。
 プレートがあくまで人を幸福にすることを望んでいたならば、問いかけたその声によって千尋を怖がらせてしまったことは不本意であったはずだ。
 次は、もっとささやかに。
 誰かを幸福にし、そしていつの間にか消えてしまっているような――そんな手段を取っているに違いない。
 夜道を歩きながら、シュラインと鞠が視線を交し合う。
 その数歩先では、相変わらず涼と剣豪が言い争いをしていた。
「だから、美味いとか不味いとか言われたってわかんないわよそんなのはっ」
「分からないクセに、『美味いの買ってくれる』っていったのか。嘘つきだなお前」
「なんですってぇ!」
 そんな二人の後姿を見つめていたシュラインが再び夜空を見上げた。そこにはもう、あの時の流れ星は見えない。


 幸福を願う気持ちは誰にも止められはしないだろう。
 けれど、とシュラインは思う。
 誰しもが、幸福になれる資質をその内に秘めているに違いないのだと。



―End―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】


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■         ライター通信          ■
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 いつもありがとうございます。久我忍です。
 幸せとかいうとかなり広範囲なので、『これ!』ってあまり断言できないのではないかと思うのですが、お金があれば幸せかというとそれも違うと思うし、かといってなさすぎるのも困るんじゃないかなーと思ったりします。
 けれどコタツの中でぬくぬくでうたた寝とかしていたりとかすると、幸せだなーと思ってしまう自分は案外簡単な人間なのかもしれません。