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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


東京怪談・ゴーストネットOFF「白い牢獄」

■オープニング■
【132】無題 投稿者:さくら
ここからだして

「…まただ」
 その短い書き込みに雫は眉根を寄せた。
 その言葉通り、その短い書き込みは周期的に繰り返されていた。
 いつも同じ。件名が無くただ同じ言葉だけを繰り返す。だしてと、それだけを。
 悪戯かとも思ったが、それにしてはいくらなんでも執拗に過ぎた。あまり気は進まなかったがホスト情報を調べてもみた。毎週土曜の深夜、同じような時刻に同じ文面で同じ場所から『さくら』の書き込みは続いている。
 それで悪戯と言うのは少々無理がある。
「それに…」
 雫はマウスを動かし、画面を移動させて表示された書き込みを食入るように見つめた。

【140】病院 投稿者:白衣の天使
はじめまして、当方看護婦をしている22歳の女性です。
先日事情があって病院を変わったのですが今の職場は少し、おかしいのです。
小さな病院なのですが、それでもおかしいのです。勤めて二ヶ月になりますが、私はその間た

 この書き込みはここでぶっつりと切れている。
 こちらも悪戯にしてはおかしな文面だ。印象が堅すぎる。
 そして何よりも、
「同じなのよね」
 この二つの書き込みは同一の場所から送信されているのだ。
 雫は暫く難しい顔で考え込んでいたが、ややあってから一つ頷くと調査を依頼する旨を自ら掲示板へと書き込みはじめた。

■本編■
 ここからだして。ここをでたいの。

「掲示板って、「ホスト」とか「IP」っていうのが残るんだよね?そこから、それがどこなのか、判らないかな???」
 鬼頭・なゆ(きとう・なゆ)は雫に用意してもらった幼児椅子の上でワクワクと両拳を振り回した。
 誉めて誉めてとあからさまに要求しているその顔に、雫はにっこりと笑いかけてくれる。
「うん、それを今やってみようと思ってね」
 言いつつ、雫の指はキーボードの上を流れるように動き、アドレスを入力していく。
 なゆはきょとんと目を瞬かせた。
 単語としてなんとなく分かっているだけだが、やってみようであっさりと中学生が、つまりは子供が出来るようなことだとは少し思い難かったのだ。
「雫ちゃん、出来るの?」
「うん、これならね」
 そう言って雫はメモ用紙をなゆに示した。アルファベットが羅列されているその短い一文が、多分IPだとかホストだとかいうものなのだろう。
「これね、ドメインっていうやつなんだ。うーん、会社とか、そういうのが使ってることが多いんだけどね」
「うん」
「これだとフツーのより簡単に場所とかわかっちゃうんだよね」
 言って雫はマウスを動かす。
 ドメインIPならば検索をかければある程度の事は調べられる。これが極普通のIPならば東京なら精々東西が分かる程度でその先は犯罪行為になるのだが。
「ふうん、すごいね」
 早速表示された情報をプリントアウトしている雫に、なゆは素直に感銘を受けた。
「よしっと、これで住所はおっけー! 後は駅とか調べたいし、手伝ってくれる?」
 雫の問いかけになゆはくまのぬいぐるみを抱きしめたまま『うんっ!』と元気よく頷いた。

 その病院は白衣の天使という戯けたHNで書きこんだ看護婦の記述通り、小ぢんまりとした佇まいを見せていた。
 正面の出入り口から入ると総合病院らしくすぐに会計と薬局、そしてロビー。ロビーの革張りのソファーは古く艶がなく、その数も決して多いものではない。柱に隠れるように売店があり、そのすぐ脇に古ぼけたエレベーターがあった。エレベーターの上部に点滅する数字に、紫ははあと息を吐き出した。階数を示すその数字は1、2、3、4。幾度数えてもそれだけしかない。たった四階建、外観も決して大きいとはいい難い様子だったから、本当に小さな病院だった。
 なゆはそのロビーですっかり困ってしまっていた。病院、と言う場所に一人で来た事は無い。そして五歳児が一人でうろつくにはあまり適した場所でもない。何しろ子供というものは普通医者からは逃げるものである。
 途方に暮れているところに近付いてきたのは背の高い女だった。
「迷子なの?」
 その相手に、なゆはぱっと顔を輝かせた。
 何がどうというわけでもないが確かに感じるものがあったのだ。少し、少しだけ他の誰かと違う何か。同じものを女もまた感じたらしい。こちらは感覚ではなく、なゆの握り締めたピンクの可愛らしいメモ用紙を見て、だが。
「まさか……ゴーストネットから?」
「うんっ!」
 なゆは大きく頷いた。女が途方に暮れたような顔で沈黙したが、それに構いはしなかった。

 シュライン・エマ(しゅらいん・えま)と名乗った女のおかげで、もうなゆは奇異の視線を受けることはなくなった。少々若すぎるきらいはあるが、シュラインがなゆの母親程度の年齢であることが幸いしたのだろう。
 練り歩きながら情報を集め、その部屋に辿り付いたのは小一時間ほどしての事だった。
 三回のエレベーターのすぐ近くにあるその部屋には、パソコンがずらりと並んでいる。
「ここ、かな?」
「可能性は高いわね」
 シュラインはすぐにパソコンを立ち上げて弄り始める。そうなってしまうとなゆに出来ることはない。邪魔になるだろうことぐらいは分かるから話し掛ける事も躊躇われる。
 少し考えて、なゆは冒険を続行する事にした。
「ね、少し探検してきてもいい?」
 遠慮がちに声をかけるとん、とシュラインが顔を上げる。
「いいけど、あんまり目立たないようにね」
「うん」
 満面の笑顔で頷き、なゆは駆け出した。
 先ほどと同じく子供が一人でうろついていると言う状況だが、保護者がいるといないとでは気分的なものが違う。
 なゆは愛らしい笑顔を振り撒きながらチョコチョコと病院の中を見て回った。
 こうした場所で病室よりも何よりも子供の意識を引くのは売店や食堂である。例に漏れずなゆも来た時に見た売店を目指して一階へと下りた。
 なゆはそこで売店で売られている花より興味の引かれるものを見つけた。
 まだ若い女である。
 明らかに落胆した風のあるその女は、シュラインに感じたものと同種のものを漂わせながらエレベーター付近に立っている。なんとなくわくわくして、なゆはその女にチョコチョコと近寄った。 
「まあその分調査とかは楽なんだろうけど」
 女がそう一人ごちる。
 なゆはきょとんと小首を傾げて女の様子を窺った。目線があまりにも違いすぎて、女はなゆの存在に気付いた様子はない。
「……居るんでしょうねえ、若くて腕がよくて顔がいい医者……」
「いなかったら?」
「そりゃまー看護婦さんの情報か本体GETして退散するけど」
 意味が図れず思わず問い返すと、やはり思わずといった風に女が答える。そして現金この上ないことをあっさり答えた女ははっと息を飲んだ。
 何かに意識を持って行かれているときにはありがちなことだが、話しかけてきた相手を確かめもせずに答えを返してしまっていたのだ。
 慌ててきょろきょろと辺りを見渡した女は、大分下の方へ視線を投じて、そしてぴたりと動きを止めた。
 金髪に碧眼という目立つ色合の子供がこれまた目立つふわふわとよく膨らんだ服を着て立っている。おまけに熊のぬいぐるみまで抱えているのだから女の思考は一旦完全に停止しのだろう。
 その愛らしい子供は女を見て嬉しそうに笑っている。
「あー……ええとお嬢ちゃん? お母さんとはぐれたりとかしたのかな?」
「うーん、はぐれちゃったんだけど。でもおかあさんじゃないの」
 それにあなたに会えたから大丈夫なの。
 そういってなゆは腕の中の熊をぎゅっと抱き締めて天使のように笑う。
 可愛らしい。可愛らしいのだがしかし……!
 女は痛み出したコメカミに指を当て、しゃがみ込んで子供に目線を合わせた。状況以前にこの国の風土に既にそぐわない西洋人形の肩に手を置き、その青い瞳を間近から覗き込む。
「えーとまさかと思うんだけどね。あなたひょっとして……」
「さくらちゃんを探しに来たのよ」
 紫の希望を見事に打砕いた事に気づく様子もなく、なゆはにっこりと笑った。

 なゆが女、冴木・紫(さえき・ゆかり)を引っ張り込んだのは3階のエレベーター脇にある先ほどの部屋だった。病院の常として階が上がるごとに外来から病室へとフロアの使われ方は変化する。この小さな病院は3階と言う段階で、そこは既に病室とナースセンターのみの階層になっていた。
 その部屋はこの古ぼけた病院のにあるにしては妙に新しい香りのする部屋だった。長方形の部屋の一面は全て窓、廊下に面した部分もガラス張りになっている。光彩をよく考えられたその部屋の中にはずらりとパソコンが並んでいる。入院患者用の娯楽の一環なのだろう。
 少し感心して部屋を見渡すと、幾人かのパジャマ姿に混じって、それとは明らかに異質な女の姿がある。相変わらずパソコンに向かっているシュラインに、なゆはぱたぱたと足音を立てて近寄った。
「あら」
 眼鏡を外しながら声をあげるシュラインに、紫は軽く片手を挙げて答えた。シュラインは更に頷きを返し、少し体をずらして紫となゆに、パソコンのディスプレイを示した。そこにはゴーストネットの件の書き込みが表示されている。

【140】病院 投稿者:白衣の天使
はじめまして、当方看護婦をしている22歳の女性です。
先日事情があって病院を変わったのですが今の職場は少し、おかしいのです。
小さな病院なのですが、それでもおかしいのです。勤めて二ヶ月になりますが、私はその間た

「これが?」
 近寄りながら問い掛けると、シュラインは軽い苦笑を浮べる。
「とりあえずこの『私はその間た』の続きは想像がついてるでしょう?」
「まあね」
 言って紫は人差し指を唇に当てた。
「た、でその前がその間。まぁ普通に考えるなら『退院』よね。その間退院した人が居ない、そんな所じゃない?」
「つまりそういうこと。居ないみたいよ、どうやらね」
 肩を竦めるシュラインに、紫は少しだけ目を見張った。
「どうやって調べたのよ、そんな事?」
 えへんとなゆは胸を張る。
「へへ、なゆがね聞いてきたの」
「正確には聞いてきて貰ったのよ。『おばあちゃんがずっと入院してるけど、退院できないみたいなの、どうして?』ってね」
 その先は誘導尋問だ。
 二人は看護婦から『そう言えばこのところ退院する患者さん居ないわねぇ』と言う発言を引き出す事に成功したと言う。
 成る程と頷いた紫は、シュラインの示すディスプレイに視線を投じた。
「それで? 件のパソコンはこれなわけ?」
「どのマシンかまでの特定は無理ね。少なくとも病院側の協力がないと。ただ…」
「この部屋からなのは多分間違いがないって?」
 言葉を継ぐように問い掛けると、シュラインは大きく頷いた。
「まあ断定は危険だけど。ざっと見て回ったけど誰にでも使えるパソコンってここにしかないわね。各病室への持込は認められてないみたい」
「でしょうね」
「どうして?」
 デスクの端に両手をかけ、なゆは二人を覗き込んだ。シュラインが苦笑してその頭に手を置いた。
「ペースメーカーとか……」
「ぺえすめえかあ?」
 絶対に分っていない発音で問い返してくるなゆに、シュラインは思わず口を噤む。言うまでもなくペースメーカーは心臓疾患などの患者の体に埋め込み心臓の働きを補助する機械だが、そういったところでなゆには通じまい。
 困ってしまったシュラインに代って、紫が口を開く。
「人に迷惑かけるからよ」
「そうなの?」
「そうよ、勝手にパソコンなんか使われたり携帯鳴らされたりしたら迷惑だからよ、わかった?」
 うーんと唸って小首を傾げたなゆは、ややあってからそうかと顔を上げた。
「同室のひとがうるさいもんね!」
 おりこうでしょう? と胸を張ると紫がよしよしと頭を撫でてくれる。シュラインが呆れた様子で紫の耳元に囁いた。
「……かなり違わない?」
「別に違わないわよ」
「それは、まあ……」
 シュラインは困ったように口篭もった。確かに間違いではない。大雑把に言ってしまえば携帯やパソコンの使用が自由にならないのは人に迷惑をかけるからだ。
 だがなゆの解釈と真実は大きく違う。ペースメーカーなどの機器は電波によって影響を受けることがままある。煩いだとかそんな容易い問題ではない。
「……信じ込んで恥かかなきゃいいんだけど」
「子供ってのはそうやって騙されて成長するのよ」
 全く反省する様子の無い紫に、シュラインは頭を抱えたくなった。

「……こりゃもう突入しかないわねー」
 草間興信所のソファーに陣取った紫は大きく溜息を吐いてテーブルに果てた。
 因みにそこらの喫茶店に入らなかったのは言うまでもなく幼児にも劣る紫の懐事情の為である。
 あの後、三人で病院内をそれとなく調べて回った。なゆのテレパスの能力が頼みの綱だったが、
「……だっていっぱいなんだもん」
 なゆはぷうっと頬を膨らませる。
 つまり病院なのだ場所は。
 癒しの場所はしかし、終焉の場所でもある。医者にかかったもの総てが健康を取り戻せる訳ではなく、そして総ての死者が静かに終焉を受け入れる訳ではない。
 その場にはその思いの残滓が、ヘドロのように蟠っていて当然、なゆが神経を張り詰めさせれば張り詰めされるほど、そのヘドロにどんどん足を取られてしまう。
 なゆはすっかりお冠だった。だがそれは紫も同じである。
 へたっとテーブルに懐いた紫は草間の冷たい視線など勿論物ともせずに、ぐだぐだとそのままくだを撒いている。
「居ないしー。化粧品代もままならないってのにフルメイクで化けてったってのに居ないしー……」
「あのね……」
 紫の横に紅茶のカップを置いてやりながら、シュラインは呆れた眼差しで紫の後頭部を見やった。
 その愚痴を聞くだけでもう問いただす必要もない。紫が何の目的でゴーストネットの書き込みに飛びついたかなど。
 自分も紅茶を片手に紫の前に腰掛けたシュラインはとりあえず紫の惨状は無視する事にしたらしい。こくりと一口紅茶を飲み下した。
「まあ、土曜の深夜に忍び込んで見るって言うのは賛成ね。他に手の打ち様がないわ」
「そうだねっ! さくらさんも来るかも知れないしねっ!」
 両拳を握り締めて勢い込むなゆに、シュラインは曖昧な笑みを返した。なゆの相手を紫に任せ、それとなく病室前のネームプレートを確認してみた。『さくら』と言う音を持つ名前は二つほど見かけた。一つは整形外科病棟の集団部屋、ちらりと中を覗いてみたが居るのは老齢の男性ばかりだった。骨折などの患者が多いらしく、まともに動き回れるとは到底思われない。もう一つは新生児。全く話にならない。
「さて、現れるのはどんな『さくら』かしらね」
「……医者ー…医者がいいー、若くて騙しやすそうで白衣が似合う医者ー……」
 間髪入れずに紫が呻いた。
 はあと息を吐き出したシュラインがなゆに向かって、
「こういう大人にだけはなっちゃダメよ」
 と人差し指を立てた。
 意味は良く分からなかったが、なゆは『はあい』と良い子の返事を返した。それに対して、紫は何の反応も見せなかった。

 病院と言う場所のセキュリティは場所にも選るが実の所甘い場合が多い。基本的に人の出入りは自由だし、監視カメラや警備員もさほど機能していない事が多いからだ。
 三人は見舞い客を装い、まんまと深夜の病院への潜入を果たしていた。
 足音の響く廊下を出来るだけそっと歩きながら、紫は肌寒いものを感じで肌を粟立てた。
 外気による感覚ではない、心理的なものだ。
「……やな空気よね」
 ポツリと呟くと、シュラインが大きく頷く。
「そうね、深夜の病院なんてぞっとしないわ」
 その声に、なゆはシュラインの腰にぎゅっと抱きついた。肩にそっと暖かい手が置かれてそれに少しだけ安堵する。
 怖い。
 恐らくはこんな時刻の病院に、誰もが感じる事だろう。
 癒しの場、そして同時にこの場は死の場でもある。気持ちのいいものでは決してなかった。
「……治るために来る場所のはずなのにね」
 紫がそう呟き、二人に廊下の先を指し示した。目指す部屋は、もう目の前だった。

 そっと部屋に忍び込みやはりそっと一台のパソコンに電源を入れる。ぶうんと言う小さな機械音にさえ心臓が跳ねた。
「それで電源入れてどうするつもりなの?」
 シュラインの問いかけに、紫が片目を瞑って見せた。
「よろしくね?」
「なにが?」
 紫の膝に手を乗せ、伸び上がるようになゆが問い掛けてくる。紫はふふんと鼻を鳴らした。
「ゴーストネットに書き込むのよ。さも事件知ってますって風にね。なんにせよそれで何かが出てくるんじゃない?」
「……事も無げに言ってくれるわね」
 シュラインが呆れたように肩を竦めた。それも当然だろう。その出てくるだろう何かが一体『何』であるかもわかっていないのだ。友好的な存在であるかどうかさえも。
「だからこうしてわざわざ断ってるんでしょ。何かあったらよろしくね?」
 鼻歌でも歌いかねない気軽さで、紫はキーボードを叩いた。もうすっかり馴染みの深くなったアドレスを打ち込み、ゴーストネットを表示させる。
 掲示板に手早く用意してあった文面を打ち込むと、紫は送信するにポインタを合わせ二人を振り返った。
 時刻時に22:57。
「カウントしろってことかしら?」
「どうせなら劇的な方がいいじゃない?」
 間接的に答えると、なゆがよじ登るような有様でディスプレイを覗き込んでくる。
「後一分だよ」
 コチコチと、秒針の進む音が聞こえてくる。事前に打ち合わせたわけではないからそれぞれの時計は微妙にずれた時間を刻んでいる。その微細さに、誰も構いつけはしなかった。
 真っ先に新しい日への時間を刻んだのはなゆの見つめるディスプレイの表示だった。
「紫お姉ちゃん!」
 トーンを抑えたなゆの叫びに、紫は迷わずボタンをクリックする。読み込みの鈍い音がして、画面の表示が切り替わる。
「え?」
 紫は思わず目を見開いた。書き込んだのはたった今。だと言うのに紫の書き込みの上に、速くも別の書き込みが表示されている。

『ここからだして。ここをでたいの。』

「な……!」
 紫が腰を浮かせるよりも早くその音は暗闇の中に高く響いた。部屋中が軋んでいるような、みしみしと言うその音は。
「あ……」
 シュラインが掠れた声を上げる。
 空中に白く浮かび上がるものがある。透けてその先にあるパソコンが見えるところから考えても、少なくとも生身の存在では在り得ない。
「ちょっとホントに出たわよ!」
 医者は出なかったのにっ!
 紫が悪態を吐くと即座にシュラインの怒鳴り声が返ってくる。
「それしかないのあんたはっ!」
 いよいよ部屋を包む軋みは大きくなっていく。今や宙にはっきりと姿を現した何かは宙に蹲り、膝を抱きかかえていた。
 悲しみの声が聞こえる。
 なゆにはその何かの正体がはっきりと分かった。
 食入るようにそれを見つめていたなゆが、ぽつりと言った。
「さくら……ちゃん?」
 その声に答えるように、白い何かは大きく震えた。

『ここからだして。ここをでたいの。』

 それは声ではなかった。その明確な意思が伝わっては来ても、耳で聞いた音ではない。だがそれは霊感と呼ばれる感覚には乏しいシュラインや紫にさえはっきりと聞こえた。
 ただ切ないほどの、渇望。
「……この病院に入院してたみたい。だけど…」
 声の続きは言わなくとも分かるはずだ。口に出すのは辛すぎた。嘗ては少女であったのだろうこの白い何かは退院することが出来なかったのだ。

『どうしてでられないの……でたいの、ここから』

 紡がれる言葉に、胸が押される。
 どう言ってやればいいのだろう。恐らくはなゆほどの年齢のまま永久にその時を留めてしまった、この白い牢獄の囚人に。
 白い何かはふっと遠くを見つめるように首を擡げ、そして透き通るその口元を歪めた。

『わたしがでれないなら……だれもださないの』

「それは…っ!」
 音を立ててシュラインが立ち上がった。その刹那、それは起こった。

「…誇り高い意志を持て。踏み潰されたくなければな……否最早そんな気概はないか」
 低い男の声がした。紫は思わずシュラインを振り返った。シュラインは怯えるなゆを抱きしめ、ただ首を振る。
「なんなの!?」
「ないなら消えるがいい」
 再び男の声が響く。同時に、空間が割れた。
 夜の闇を引き裂く一条の光は、その後ろの男の姿を真っ暗な部屋に浮かび上がらせながら一閃される。
 そして、白い何かは真っ二つに断ち割れた。

 悲鳴にあわせて部屋が振動を繰り返す。
 その危うい床にどうにかバランスを取って立ちながら、紫は現れた壮年の男に向かって叫んだ。
「なに…してくれてんの!?」
 怒鳴り声に、男はふっと遠くを見る目つきをした。
「さあ、何をしているんだろうな私は」
「自分が何をしたかもわかってないの?」
 かっとなりかかる紫を抑え、シュラインが冷たく言い放つ。こちらもまた腹に据えかねて居るようだ。しかし男は一向に動じた様子もなくただ泰然と三人を見下ろすばかりだった。
 真っ二つに断ち割られた『さくら』に、なゆは泣きたい気持ちになった。
「ひど…ひどいよこんなのっ!」
「そうだな、酷くは見えるかもしれないな」
「…っ!」
 物の一つもぶつけてやろうかとしたその時、次の来訪者がまたしても空間を断ち割って現れる。
「式!」
 怒鳴り声と同時に新たな光が一閃される。
 かっと光輝に満ちる室内で、なゆはただ一瞬、その壮年の男が笑んだのを見た気がした。
 そして光輝が去った後に、室内には男の姿はなかった。

「なんだったのよ…」
 乱れた髪をかきあげ、紫が呆然と室内を見回した。
「さあ……最後のは志堂くんの声だったような気がするけど」
 一瞬の事過ぎてシュラインでも判断はつけ辛いらしい。
 大人の会話の中に知らない名前があったが、なゆはそれに反応はしなかった。そんな事よりも目の前の、余りにも無残な存在の方が余程重要だったのだ。
「さくらちゃん!」
 なゆの上げた泣声が、大人二人を目の前の現実に引き戻す。
 紫とシュラインは顔を見合わせた。断ち割られた『さくら』は中点のずれた姿のまま、それでも今だパソコンの近くに漂っている。
「痛い? 痛いの? ごめんねなゆなにもしてあげられないよ…」

『ここから、だして』

 幼い子供の霊は呪文のようにただそれだけを繰り返す。彼女の望みはただそれだけだった。
 今だ人であったときから、ただそれだけ。

 ふうとシュラインが息を吐き出す音が聞こえる。
「出られるわ。あんたの望む形ではなくてもね。あんたはここから出る事が出来るのよ」
『…でたいの……』
「ちょ……」
 出しかけた声を、紫が噤んだのが分かった。シュラインの横顔には憂いが濃い。
「行きたいところへ、行って御覧なさい? こんな所に居なくていいのよ」
『でられる、の?』
 問い掛けてくる『さくら』に頷きを返す事を酷く躊躇った。それは何もなゆばかりではない、シュラインも、紫もだ。
 傷つけられてしまった『さくら』の霊がどうなるのか、誰にも分からない。生まれ変わりも、成仏と言う言葉ですら、誰にも実感は出来ない。
 彼女達は生きているのだから。
 だが、
 それでも、
「でられるよ」
 なゆは頷いた。
 そう答えるしかなかった。

 さくらは二三度瞬いて、そしてふっと掻き消えた。

 白みかけた空にまだ微かに星が見えた。
 静まり返る病院を振り返り、紫はふっと息を吐き出した。
「……治るために来る場所のはずなのにね」
「うん」
 なゆはきゅっと紫のスーツの裾を掴んだ。しんみりとしてしまった二人に、シュラインが明るく言った。勤めて。
「帰りましょ」
 それに頷きを返し、三人は揃ってその牢獄を後にした。

 掲示板に一つの書き込みが増えた事に三人が気付いたのは翌日の事。
『ごめんね。さよなら』
 人事不省の看護婦が病院前に倒れていたと言う情報と相俟って、その書き込みは少しだけ、三人を慰めた。

「…きっと」
 さくらは出られたのだ。そう、信じる事ができたから。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【0969 / 鬼頭・なゆ / 女 / 5 / 幼稚園生】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0970 / 式・顎 / 男 / 58 / 未来世界の破壊者】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、里子です。今回は参加ありがとうございました。
 今回納品がギリギリになってしまいまして申し訳ありません。

 病院って言うのは結構特殊な空間ですよね。閉塞してると言うか。
 なんか治療に行ってるはずなのにあの空気吸ってるだけで逆に病気になりそうな気分がすると言うか。
 いい年こいて医者嫌いの私は、どうしようもなくなってから医者へ行って医者に怒られるというしょうもない特技を持ってたりします。

 今回はありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。ご意見などお聞かせ願えると嬉しいです。