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<PCシナリオノベル(シングル)>


誘う青
 机上に広げた資料を前に、草間武彦は組んだ手のまま肘をついて首の後ろの筋を伸ばす様子に疲れが見える。
「お忙しいようですね」
雨宮隼人は来客用の茶碗の蓋を手にしたまま、頭を抱えているようにも見える草間に気遣い…というより社交辞令でそう声をかけた。
 草間は渋そうに眼鏡を持ち上げて目蓋の上から目を揉むと、「零」と血の繋がらない義妹の名を呼ぶ。
「雨宮さん、伺っていた書類はこちらに」
呼ばれただけで用件を察した零は、これ以上ない程に磨き上げられていた窓硝子をいっそすり減らすつもりでか更に雑巾掛けていた手を止め、フォルダに入れられた書類を笑みと共に差し出した。
「ありがとうございます」
外見は隼人より遥かに年下の…けれども実年齢はかなり年上の、彼女に丁寧な礼を述べて受け取る。
「まったくどいつもこいつも…来る調査といえば妙な事件ばかり、さもなきゃあの資料をくれ、この資料を寄越せと…うちは図書館でもなけりゃ情報屋でもないんだぞ」
いつになくやさぐれている。
 ある意味、情報を商品とするのが興信所だが、どこぞの呪いの背後関係どーのとか、術師の家柄に連なる者かどうかだとかそういった情報を取り扱っているのは東京広しと言えども、ここ草間興信所位である…必然に駆られて、であるがそれが所長の望まない怪奇系の依頼が集中するのを助長させても無理のない事態だ。
「貧乏暇なし、と言いますし」
隼人は滅茶苦茶失礼な発言を優雅にお茶を飲む動作に混ぜてさらりと流す。
 溜まる一方の依頼を捌くのにデスクワークを余儀なくされてストレスが溜まっているのだろう、と客観的な分析は所詮は他人事だからだ。
「仕事はなくとも希望はあったあの頃と…仕事こそひっきりないが夢のない現在と…」
遠い目になっている草間だが、そのどちらの場合も『貧乏』の二文字が重くのし掛かっているのがご愛敬か。
 ブルーどころかダークブルーな様子に薫第一主義の隼人が思わず「何か難しい事件でもありましたか?」と思わず気遣ってしまった。
 それに無言で草間は片頬杖で、書類を一枚、指でピンと弾いた。
 それはす、と机上を滑って応接テーブルの上に落ちる。
「………草間さんは100mを8秒で走れるんですか」
「目指すは世界新。次の金メダルは俺のモンだな」
レポート用紙のコピーと思しきそれに列挙されているのは、怪奇探偵に関する噂…興信所に足を踏み入れると二度と出てこれないとか、煙草が切れると暴れ出すとか、法外な料金を請求されて払えないと海外に売り飛ばされるとか…都市伝説の焼き直しのような代物がズラズラと。
「心理学ゼミに提出するレポートで使う資料だそうだ」
どんなレポートだ、という無言の問い掛けを受け草間はげんなりといった様子で言を続ける。
「依頼を持ってきた大学生が噂とか都市伝説とかを題材に不確定要素に於ける人間心理のどーたらという題材でレポートを作成しようとしてたんだが、その内に妙な噂を拾ったらしい…」
 深夜の公園で人が消えるのだという。
「ありがちですね。それで翌朝に夥しい血痕だけが残され…とか」
「いや、キレイサッパリ何も残さずに消えるそうだ」
都市伝説にはある人物が一人で禁じられた時刻、禁じられた場所、禁じられた行為によって姿を消す…というのはよくあるパターンだ。彼等が何処へ消えたのか…生死すら定かでない物も多い。
 けれどもまことしやかに口伝されていくそれら、例えば鏡の中から黒い手が出てきて被害者を引きずり込んだ…というような噂は第三者の視点が必要であるにも関わらず、その現場に居るのは引きずり込まれた当人だけ…という設定である。と、いうだけで信憑性が薄さがあるにも関わらず、何故に人がそういった噂を信じてしまうのかは疑問である。
「ところが、目撃者が居る」
草間は別の書類の束をデスク越しに隼人に差し出した。
 顔写真のついた報告書…老若男女を問わない彼等はどれもとある公園の付近で深夜から早朝と思しき時間に蒸発し、以降の足取りが掴めていない、との記述で締めくくられている。その数は7人。
 立ち上がった草間は隼人の背後に回り、ソファ越しにテーブルに広げられた行方不明者の資料のうち一枚を示す。
「大学生の友人と飲みに行った帰り、公園の出口で別れようとした時に足下が何かの図形みたいに青く光って消えたそうだ…だが、警察はその目撃証言は酔っていたって事もあって重要視はしてない」
クリップで止められたスナップ写真、年若い女性は脱色した流行りの髪型とメイクの笑顔でこちらに視線を向けたまま焼き付いている。
「そしてコレがその居合わせた友人」
人一人を挟んで揃えたように色を抜いた髪の青年を示す。
「この真ん中のが、愉快な噂を集めてきてくれた我等が依頼人」
一人黒髪の青年も屈託のない笑顔だ。
「………我等が?」
隼人はしばしの沈黙の後に首を巡らせて背後に立つ草間を見上げた。
「そー、我等が。その友人に泣きつかれてな、丁度噂で調べてもいたウチに手土産持参で来たってワケだ」
ヒラヒラと興信所に関する噂のコピーを振り、草間は口の端を上げて笑うと煙草に火をつけ、これみよがしに紫煙を吐き出す。
「まぁ、忙しかったら時間の空いてそーなヤツにでも頼むが…お宅の坊ちゃん、オフはいつ?」
「お引き受け致します」
即答だった。
「そうか?助かるな」
興信所の未だに黒電話の受話器を置いて鈴の音を鳴らし、草間は策士の表情を笑みの下に隠した。


 人が消える…という時点で放っておけないと思ったのは事実なのに、何やら大切な主人を盾に取られたようで釈然としない隼人である。
「薫様の耳に入る前に…解決させたいものですね」
学生の本分は学業、などと黴の生えたような意見ではないが、今でなければ得られぬ物も多いと思う…故に出来うる限り、まだ学生である主人を仕事だけに忙殺させたくはなく、些細な事件ならば尚のこと、彼の手を煩わせたくはない。
 興信所を辞したその足で管轄の警察署に赴いたものの、草間が揃えていた以上の情報は入手出来なかった…腕はいいのに、とままならぬ人生を送る草間にいっそ哀れみを覚える事に僅かに胸が透く。
 陽はとうに暮れ、街灯の弱々しい光は木々の作り出す影に領域を広められない。
 人間の為の街の一画にのみ許された自然、それでも人間の奥底に潜む闇への恐怖を内包して、ザワと梢を揺らす。
「お待ちしていました」
隼人はベンチから立ち上がった。
 下方に行く程に丸く広がる白熱灯の領域に踏み込む足。
「中島様ですね。草間興信所の調査員をしております、雨宮隼人と申します」
写真のまま…否、表情は重くどこか警戒するように周囲を見回した中島は口を開いた。
「榊はまだ来てねーの?」
依頼人の名だ。
 草間の名を借り、連絡を取ったのは依頼人である榊勇一、彼に頼んで目撃者である中島勲と共に事件の裏を取る為に今夜0時に公園で落ち合う約束をしたのは日中の事である。
「まだお出でになっていません」
隼人は穏やかな物腰を崩さずに続けた。
「貴方にはご都合が悪いでしょうが」
その一言に中島はギクリと足を止めた。
「な、なんで…」
「貴方は前から噂に聞いていた『青い図形』でご友人が消えるのを見た、と伺っていますが、相違ありませんか?」
「ねぇよ!俺だってホントだなんて信じてなかったから酔い覚ましにココに来たんだ、それとも俺がワザと秀美をここに誘ったって言いたいのか!?」
夜目にも白い顔色でまくし立てる青年の激昂と見せかけた不安を看破し、隼人はその攻撃的な感情を受け流す。
「おかしいですね」
僅かに肩を竦め。
「貴方の仰るとおりであれば…何故、噂が立つ前に本条秀美さんは消えなければならなかったのでしょうか?」
失踪者達のデータを見て気付いたのは、証言に添えば噂の後期に行方不明になった筈の彼女が最も先に失踪していたという事。
「ならば、それを知って榊さんに話を持ちかけた貴方は何を知っていたのですか?」
諭し、促す口調で…けれど眼差しは逃れる事を許さずに鋭く。
「何を…って」
中島は何かから逃れるように叫んだ。
「榊が悪ィんだ!秀美の気持ちなんか考えもしねぇで他の女に…!」
元々、榊から見れば秀美は友人である中島の知り合い程度の認識でしかなかった。
 けれど、秀美が榊に向ける好意は中島の目に明かで、ある晩、中島が自分の気持ちを抑えてセッティングした飲み会の席に榊は付き合い始めたばかりという彼女を連れてきた。
「元々思い詰めるタチだったけどさ…」
秀美の精神を蝕み始めた狂気は静か過ぎて、気付かなかったのだという。
 あの晩、携帯のメールに入った別れの言葉にその姿を求めてこの公園でようやくその姿を見つけた。
 冷たくなった身体と、古びた一冊の洋書…その傍らには己の血で、書き上げた赤い赤い方陣。
 おどろしい状況に、秀美が己の命を放棄する程に狂っていたのだと、その時初めて知った。
「アイツ、ホントはそんなじゃねーんだ…誰かを呪ったりするなんてコワイ真似するハズねーのに…そんなコトであいつが汚れていいハズがねーんだ…」
だから。
 その方陣は、願いを異界の者に届ける為に魂を賭すという代物であった…中島は特定の人物を指定した箇所を、時と場とに書き換え、強く願った。
 秀美を生き返らせて欲しい、と。
 青い光を放ち瞬く方陣に、彼は術の完成を知り、高く笑った。
 そして今、同じ笑いを喉の奥から迸らせて、中島は隼人を凝視する。
「アレはきっと秀美に命を注ぐんだ…なら、秀美が欲しかった榊の命もやるべきだろう?アイツのせいで死んだんだから!」
それこそが狂気である事に、中島は気付いていないのか…否、気付いていながらも身を委ねるしかなかったのか。
「アンタの命もやってくれよ…そしたら秀美も喜ぶから…もう、大分痛んできちゃっててさ?触ると肌が剥けるんだよ」
 不意に、隼人の足下に青い光が零れた。
 一点から地を走るそれ、連なる文字が図を描く…まるで、大輪の薔薇を模したように。そして青く。
「青いバラってさ…天国の花なんだって?それを秀美にやるんだ…沢山、沢山。そしたら目を覚ました時にキレイだって笑ってくれる…」
ぶつぶつと呟く中島の目に、もう正気は見られない。
 描かれた図は隼人を中心に捉えて綺羅、と青い粒子のような光を立ち上らせる。その一つが肌に触れる毎、痛みはないが喪失感が広がるのに僅か隼人は眉を顰めた。
「成る程…こうやって肉体の構成を奪うのですね」
冷静な判断に、ピッと符を人差し指と中指の間に挟み込み、眉間の前に立てた。
「けれど、相手が悪い」
指を離す。
 一瞬、中空で止まった符は、めらりと舐めるように紅の焔に燃え上がった。それに応じ、隼人を中心に闇の一点一点に赤い火が点った。
「…え?」
脅えたように周囲を見回す中島に、隼人は静かに声をかける。
「青い薔薇が、神の庭にのみ咲く事を許されるように」
方陣の光は押さえつけられたように明滅し、対して隼人の眼前で燃え続ける符、今は一握の焔の固まりであるそれは勢いを増す。
「BlueRoseの意味する所が『不可能』であるように…喪われた命が戻る事は決してありません」
 焔が溶け崩れた。
 けれど力を失っての事でなく、地に落ちたそれは方陣を連ねる文字のひとつひとつを舐めるように包み、燃やし、連なって真紅に染め変える。
「あぁ…あぁぁッ!」
中島は嘆きを言葉にする事さえ出来ず、今や真紅の薔薇と化した陣を、壊れた術を止めようと地を這って手を伸ばす…が、掌を炎に焼かれて身を引いた。
 自身の術による炎が隼人の身を損なう事はないが、邪悪な術に手を貸した中島に浄化の炎は
痛みしか与えない。
 焼け焦げた掌を胸に抱えて痛みからか、それとも絶望からか泣き崩れる彼に、哀れみは感じなかったが、喪う事に耐えられなかった…それを果たして弱さと呼んでいいものか、隼人には分からなかった。


「隼人、何かあったか?」
助手席で、車窓を流れる景色を何気なく見つめていた主が、ふと口をつく。
「いいえ、どうか致しましたか?」
後味の悪い事件を知らせるつもりは毛頭なく、隼人はハンドルを握ったまま穏やかにそう答えた。
「……お前がそう言うなら、それでいい」
一族の次代を担う少年は、一瞥だけ向けるとまたふいと外に意識を戻す…素っ気ないのではなく、それが信頼であるというのを知っている。
 知らず小さく微笑んだ隼人は、ふと前に広がる景色、その領域の半分を占める空の色に気付いた。 
「薫様、花を摘んであげましょうか」
「…はぁ?」
従者の唐突な申し出に思わず声を上げる薫。
「何処に咲いてるんだ、この寒空に」
冷たく、けれど陽気に光るような空。果てなく絶えなく、続く青。
「いえ、貴方の為でしたら不可能でないような気も致しまして」
少し笑ってシフトを切り替え、スピードを上げる。
 神の庭にのみ咲く花を、捧げる事も。