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東京怪談・ゴーストネットOFF「白い牢獄」
■オープニング■
【132】無題 投稿者:さくら
ここからだして
「…まただ」
その短い書き込みに雫は眉根を寄せた。
その言葉通り、その短い書き込みは周期的に繰り返されていた。
いつも同じ。件名が無くただ同じ言葉だけを繰り返す。だしてと、それだけを。
悪戯かとも思ったが、それにしてはいくらなんでも執拗に過ぎた。あまり気は進まなかったがホスト情報を調べてもみた。毎週土曜の深夜、同じような時刻に同じ文面で同じ場所から『さくら』の書き込みは続いている。
それで悪戯と言うのは少々無理がある。
「それに…」
雫はマウスを動かし、画面を移動させて表示された書き込みを食入るように見つめた。
【140】病院 投稿者:白衣の天使
はじめまして、当方看護婦をしている22歳の女性です。
先日事情があって病院を変わったのですが今の職場は少し、おかしいのです。
小さな病院なのですが、それでもおかしいのです。勤めて二ヶ月になりますが、私はその間た
この書き込みはここでぶっつりと切れている。
こちらも悪戯にしてはおかしな文面だ。印象が堅すぎる。
そして何よりも、
「同じなのよね」
この二つの書き込みは同一の場所から送信されているのだ。
雫は暫く難しい顔で考え込んでいたが、ややあってから一つ頷くと調査を依頼する旨を自ら掲示板へと書き込みはじめた。
■本編■
ここからだして。ここをでたいの。
その病院は白衣の天使という戯けたHNで書きこんだ看護婦の記述通り、小ぢんまりとした佇まいを見せていた。
正面の出入り口から入ると総合病院らしくすぐに会計と薬局、そしてロビー。ロビーの革張りのソファーは古く艶がなく、その数も決して多いものではない。柱に隠れるように売店があり、そのすぐ脇に古ぼけたエレベーターがあった。エレベーターの上部に点滅する数字に、紫ははあと息を吐き出した。階数を示すその数字は1、2、3、4。幾度数えてもそれだけしかない。たった四階建、外観も決して大きいとはいい難い様子だったから、本当に小さな病院だった。
「なにが起きてるって言うのかしら……?」
シュライン・エマ(しゅらいん・えま)はほっそりとした指を唇に当てた。
件の書き込みはドメインIPだった。
雫がそこからあっさりと調べたらしい住所を受け取ってこの病院に出向いてきたが、こうしてみる限りはあまり奇異なところも感じられない。
そして小さいながらも病院と名のつくだけはあって、それなりに職員の数も居るようだ。これだけ居れば当然の如くに職員の出入りも激しかろうし、ただ『看護婦』というキーワードのみで何処まで探れるのかは謎だ。
シュラインは軽く被りを振るとその後ろ向きな思考を追い出した。
本来なら場所の特定から時間を食うはずだったのだ。その分の時間が短縮されたのだからここは喜ぶべきだろう。
そう思い直し改めてロビーを見回して、シュラインは軽く目を見開いた。
金髪に碧眼という目立つ色合の子供がこれまた目立つふわふわとよく膨らんだ服を着て立っている。おまけに熊のぬいぐるみまで抱えている。
子供は困ったように周囲を見回しては溜息を吐いている。
「……しょうがないわね」
どう見ても迷子である。事件と直接関わりはなかろうが、見捨てるのは人としてよろしくない。
「迷子なの?」
声をかけると、子供はぱっと顔を輝かせた。
それと同時に、シュラインは先刻より更に目を見開いた。
子供は手に、大事そうにメモ用紙を握り締めている。自分の手の中にあるものと同じ、ピンクの可愛らしいメモ用紙だ。
「まさか……ゴーストネットから?」
「うんっ!」
子供は大きく頷いた。
シュラインはぽかんと口を開けた。
調査の最中に妙なものも人も一通り見たつもりで居た。眼前の少女はそれに比べればどうということもない、単にちょっと国籍が違っているだけで妙なわけではない。だが、この少女は今まで見てきたどんなものよりシュラインの意表をついた。
調査中に化物を見たり、妙な連中に遭ったりするのは至って当然のことなのだ言ってしまえば。だが、ここまで『調査』だとか『事件』だとかいう単語とそぐわない相手に会ったのは初めてだった。
そぐわない少女はシュラインの動揺を余所に、ニコニコと笑っていた。
鬼頭・なゆ(きとう・なゆ)と名乗った少女を連れてシュラインは病院内を練り歩いていた。視線が痛い。なゆ一人出歩きまわらせるよりはましだろうが、投じられる視線の意味を思うとめまいがした。少々若すぎるきらいはあるが、どう見ても親子なのだ。
練り歩きながら情報を集め、その部屋に辿り付いたのは小一時間ほどしての事だった。
三回のエレベーターのすぐ近くにあるその部屋には、パソコンがずらりと並んでいる。
「ここ、かな?」
「可能性は高いわね」
シュラインはすぐにパソコンを立ち上げて弄り始める。そうなってしまうとなゆに出来ることはない。邪魔になるだろうことぐらいは分かるから話し掛ける事も躊躇われるのだろう。
少し考えて、なゆは冒険を続行する事にした。
「ね、少し探検してきてもいい?」
遠慮がちに声をかけるとん、とシュラインが顔を上げる。
「いいけど、あんまり目立たないようにね」
「うん」
満面の笑顔で頷き、なゆは駆け出した。
先ほどと同じく子供が一人でうろついていると言う状況だが、保護者がいるといないとでは気分的なものが違うのだろう。
なゆの後姿を見届けてから、シュラインは再び作業に入った。これだけの数があると一台一台確認していく事は難しい。それでもその一台にストレスを感じさせないだけのネット環境が整っている事を確かめてシュラインは沈思した。ややあってからパソコンに張り付いている少年に声をかけた。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
にっこりと微笑んでやると、恐らく思春期前後だろう少年はぽっと赤くなってしどろもどろに答えた。
「な、なに?」
「ここって、部屋にはやっぱりパソコンとかは持ち込めないの?」
「え?」
予想外の質問だったのだろう、少年は一瞬間の抜けた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「ああ、うん。なんか確かダメだったと思うよ」
「そう、ありがとう」
どういたしましてと答えて慌てたように席を立つ少年を見送って、シュラインはふむと一つ頷いた。
やはり件の書き込みがあったのはこの部屋からだと見て間違いはないだろう。電子機器などの問題がある以上、個々の部屋への持込は許可されないはずだ。
ぐるりと部屋を見回すとそこここにパソコンに張り付いているパジャマ姿があった。概ね若い患者だが、看護婦に付き添われた老人の姿もある。それに少しだけ気分が暖かくなった。
病院は入院患者にとって閉塞した空間なのだ。世話をしてくれる人間がいても、それによって不自由をすることがなくとも、医者の許可なくして立ち去る事は出来ない。
そうした場所に、擬似的にではっても自由に外と交信できる場所があるのはいいことのような気がした。
「案外、その辺りなのかしら……」
『ここから、だして』
訴える声は閉塞された空間にあるからこそだ。
病院と言う空間の持つ冷たさを、シュラインは改めて感じていた。
なゆが戻って来たのはそれからすぐの事だった。だが戻って来たなゆは一人ではなかった。
子供特有の高い声に顔を上げると、ぱたぱたと近付いてくるなゆの後ろに見知った顔が見える。
「あら」
眼鏡を外しながら声をあげるシュラインに、冴木・紫(さえき・ゆかり)は軽く片手を挙げて答えた。シュラインは更に頷きを返し、少し体をずらして紫となゆに、パソコンのディスプレイを示した。そこにはゴーストネットの件の書き込みが表示されている。
【140】病院 投稿者:白衣の天使
はじめまして、当方看護婦をしている22歳の女性です。
先日事情があって病院を変わったのですが今の職場は少し、おかしいのです。
小さな病院なのですが、それでもおかしいのです。勤めて二ヶ月になりますが、私はその間た
「これが?」
紫が近寄りながら問い掛けると、シュラインは軽い苦笑を浮べる。
「とりあえずこの『私はその間た』の続きは想像がついてるでしょう?」
「まあね」
言って紫は人差し指を唇に当てた。
「た、でその前がその間。まぁ普通に考えるなら『退院』よね。その間退院した人が居ない、そんな所じゃない?」
「つまりそういうこと。居ないみたいよ、どうやらね」
肩を竦めるシュラインに、紫は少しだけ目を見張った。
「どうやって調べたのよ、そんな事?」
えへんとなゆは胸を張る。
「へへ、なゆがね聞いてきたの」
「正確には聞いてきて貰ったのよ。『おばあちゃんがずっと入院してるけど、退院できないみたいなの、どうして?』ってね」
その先は誘導尋問だ。
二人は看護婦から『そう言えばこのところ退院する患者さん居ないわねぇ』と言う発言を引き出す事に成功した。
成る程と頷いた紫は、シュラインの示すディスプレイに視線を投じた。
「それで? 件のパソコンはこれなわけ?」
「どのマシンかまでの特定は無理ね。少なくとも病院側の協力がないと。ただ…」
「この部屋からなのは多分間違いがないって?」
言葉を継ぐように問い掛けると、シュラインは大きく頷いた。
「まあ断定は危険だけど。ざっと見て回ったけど誰にでも使えるパソコンってここにしかないわね。各病室への持込は認められてないみたい」
「でしょうね」
「どうして?」
デスクの端に両手をかけ、なゆは二人を覗き込んだ。シュラインが苦笑してその頭に手を置いた。
「ペースメーカーとか……」
「ぺえすめえかあ?」
絶対に分っていない発音で問い返してくるなゆに、シュラインは思わず口を噤む。言うまでもなくペースメーカーは心臓疾患などの患者の体に埋め込み心臓の働きを補助する機械だが、そういったところでなゆには通じまい。
困ってしまったシュラインに代って、紫が口を開く。
「人に迷惑かけるからよ」
「そうなの?」
「そうよ、勝手にパソコンなんか使われたり携帯鳴らされたりしたら迷惑だからよ、わかった?」
うーんと唸って小首を傾げたなゆは、ややあってからそうかと顔を上げた。
「同室のひとがうるさいもんね!」
おりこうでしょう? と胸を張ると紫がよしよしと頭を撫でてくれる。シュラインは呆れた口調で紫の耳元に囁いた。
「……かなり違わない?」
「別に違わないわよ」
「それは、まあ……」
シュラインは困ったように口篭もった。確かに間違いではない。大雑把に言ってしまえば携帯やパソコンの使用が自由にならないのは人に迷惑をかけるからだ。
だがなゆの解釈と真実は大きく違う。ペースメーカーなどの機器は電波によって影響を受けることがままある。煩いだとかそんな容易い問題ではない。
「……信じ込んで恥かかなきゃいいんだけど」
「子供ってのはそうやって騙されて成長するのよ」
全く反省する様子の無い紫に、シュラインは頭を抱えたくなった。
「……こりゃもう突入しかないわねー」
草間興信所のソファーに陣取った紫は大きく溜息を吐いてテーブルに果てた。
因みにそこらの喫茶店に入らなかったのは言うまでもなく幼児にも劣る紫の懐事情の為である。
あの後、三人で病院内をそれとなく調べて回った。なゆのテレパスの能力が頼みの綱だったが、
「……だっていっぱいなんだもん」
なゆはぷうっと頬を膨らませる。
つまり病院なのだ場所は。
癒しの場所はしかし、終焉の場所でもある。医者にかかったもの総てが健康を取り戻せる訳ではなく、そして総ての死者が静かに終焉を受け入れる訳ではない。
その場にはその思いの残滓が、ヘドロのように蟠っていて当然、なゆが神経を張り詰めさせれば張り詰めされるほど、そのヘドロにどんどん足を取られてしまう。
なゆはすっかりお冠だった。だがそれは紫も同じであるらしい。
へたっとテーブルに懐いた紫は草間の冷たい視線など勿論物ともせずに、ぐだぐだとそのままくだを撒いている。
「居ないしー。化粧品代もままならないってのにフルメイクで化けてったってのに居ないしー……」
「あのね……」
紫の横に紅茶のカップを置いてやりながら、シュラインは呆れた眼差しで紫の後頭部を見やった。
その愚痴を聞くだけでもう問いただす必要もない。紫が何の目的でゴーストネットの書き込みに飛びついたかなど。
自分も紅茶を片手に紫の前に腰掛けたシュラインはとりあえず紫の惨状は無視する事にした。こくりと一口紅茶を飲み下し、口を開く。
「まあ、土曜の深夜に忍び込んで見るって言うのは賛成ね。他に手の打ち様がないわ」
「そうだねっ! さくらさんも来るかも知れないしねっ!」
両拳を握り締めて勢い込むなゆに、シュラインは曖昧な笑みを返した。なゆの相手を紫に任せ、それとなく病室前のネームプレートを確認してみた。『さくら』と言う音を持つ名前は二つほど見かけた。一つは整形外科病棟の集団部屋、ちらりと中を覗いてみたが居るのは老齢の男性ばかりだった。骨折などの患者が多いらしく、まともに動き回れるとは到底思われない。もう一つは新生児。全く話にならない。
「さて、現れるのはどんな『さくら』かしらね」
「……医者ー…医者がいいー、若くて騙しやすそうで白衣が似合う医者ー……」
間髪入れずに紫が呻いた。
はあと息を吐き出したシュラインはなゆに向かって、
「こういう大人にだけはなっちゃダメよ」
と人差し指を立てた。
意味は良く分からなかったのだろうが、なゆは『はあい』と良い子の返事を返した。それに対して、紫は何の反応も見せなかった。
病院と言う場所のセキュリティは場所にも選るが実の所甘い場合が多い。基本的に人の出入りは自由だし、監視カメラや警備員もさほど機能していない事が多いからだ。
三人は見舞い客を装い、まんまと深夜の病院への潜入を果たしていた。
足音の響く廊下を出来るだけそっと歩きながら、紫は肌寒いものを感じで肌を粟立てた。
外気による感覚ではない、心理的なものだ。
「……やな空気よね」
紫のポツリとした呟きに、シュラインは大きく頷いた。
「そうね、深夜の病院なんてぞっとしないわ」
流石に怖いのかシュラインの腰の辺りになゆが抱きついている。その肩をシュラインが抱き返してやると安堵したのか少しだけなゆの肩から力が抜けた。
怖い。
恐らくはこんな時刻の病院に、誰もが感じる事だろう。
癒しの場、そして同時にこの場は死の場でもある。気持ちのいいものでは決してなかった。
「……治るために来る場所のはずなのにね」
紫がそう呟き、二人に廊下の先を指し示した。目指す部屋は、もう目の前だった。
そっと部屋に忍び込みやはりそっと一台のパソコンに電源を入れる。ぶうんと言う小さな機械音にさえ心臓が跳ねた。
「それで電源入れてどうするつもりなの?」
問いかけると、紫は片目を瞑って見せた。
「よろしくね?」
「なにが?」
紫の膝に手を乗せ、伸び上がるようになゆが問い掛ける。紫はふふんと鼻を鳴らした。
「ゴーストネットに書き込むのよ。さも事件知ってますって風にね。なんにせよそれで何かが出てくるんじゃない?」
「……事も無げに言ってくれるわね」
シュラインが呆れたように肩を竦めた。それも当然だろう。その出てくるだろう何かが一体『何』であるかもわかっていないのだ。友好的な存在であるかどうかさえも。
「だからこうしてわざわざ断ってるんでしょ。何かあったらよろしくね?」
鼻歌でも歌いかねない気軽さで、紫はキーボードを叩いた。もうすっかり馴染みの深くなったアドレスを打ち込み、ゴーストネットを表示させる。
掲示板に手早く用意してあった文面を打ち込むと、紫は送信するにポインタを合わせ二人を振り返った。
時刻時に22:57。
「カウントしろってことかしら?」
「どうせなら劇的な方がいいじゃない?」
間接的に答えると、なゆがよじ登るような有様でディスプレイを覗き込んでくる。
「後一分だよ」
コチコチと、秒針の進む音が聞こえてくる。事前に打ち合わせたわけではないからそれぞれの時計は微妙にずれた時間を刻んでいる。その微細さに、誰も構いつけはしなかった。
真っ先に新しい日への時間を刻んだのはなゆの見つめるディスプレイの表示だった。
「紫お姉ちゃん!」
トーンを抑えたなゆの叫びに、紫は迷わずボタンをクリックする。読み込みの鈍い音がして、画面の表示が切り替わる。
「え?」
紫は思わず目を見開いた。書き込んだのはたった今。だと言うのに紫の書き込みの上に、速くも別の書き込みが表示されている。
『ここからだして。ここをでたいの。』
「な……!」
紫が腰を浮かせるよりも早くその音は暗闇の中に高く響いた。部屋中が軋んでいるような、みしみしと言うその音は。
「あ……」
シュラインは掠れた声を上げた。
空中に白く浮かび上がるものがある。透けてその先にあるパソコンが見えるところから考えても、少なくとも生身の存在では在り得ない。
「ちょっとホントに出たわよ!」
医者は出なかったのにっ!
紫の悪態に即座にシュラインが怒鳴返す。
「それしかないのあんたはっ!」
いよいよ部屋を包む軋みは大きくなっていく。今や宙にはっきりと姿を現した何かは宙に蹲り、膝を抱きかかえていた。
食入るようにそれを見つめていたなゆが、ぽつりと言った。
「さくら……ちゃん?」
その声に答えるように、白い何かは大きく震えた。
『ここからだして。ここをでたいの。』
それは声ではなかった。その明確な意思が伝わっては来ても、耳で聞いた音ではない。だがそれは霊感と呼ばれる感覚には乏しいシュラインや紫にさえはっきりと聞こえた。
ただ切ないほどの、渇望。
「……この病院に入院してたみたい。だけど…」
声の続きは言わなくとも分かるはずだ。口に出すのは辛すぎた。嘗ては少女であったのだろうこの白い何かは退院することが出来なかったのだ。
『どうしてでられないの……でたいの、ここから』
紡がれる言葉に、胸が押される。
どう言ってやればいいのだろう。恐らくはなゆほどの年齢のまま永久にその時を留めてしまった、この白い牢獄の囚人に。
白い何かはふっと遠くを見つめるように首を擡げ、そして透き通るその口元を歪めた。
『わたしがでれないなら……だれもださないの』
「それは…っ!」
音を立ててシュラインが立ち上がった。その刹那、それは起こった。
「…誇り高い意志を持て。踏み潰されたくなければな……否最早そんな気概はないか」
低い男の声がした。紫がシュラインを振り返る。シュラインは怯えるなゆを抱きしめ、ただ首を振る。
「なんなの!?」
「ないなら消えるがいい」
再び男の声が響く。同時に、空間が割れた。
夜の闇を引き裂く一条の光は、その後ろの男の姿を真っ暗な部屋に浮かび上がらせながら一閃される。
そして、白い何かは真っ二つに断ち割れた。
悲鳴にあわせて部屋が振動を繰り返す。
その危うい床にどうにかバランスを取って立ちながら、紫は現れた壮年の男に向かって叫んだ。
「なに…してくれてんの!?」
怒鳴り声に、男はふっと遠くを見る目つきをした。
「さあ、何をしているんだろうな私は」
「自分が何をしたかもわかってないの?」
かっとなりかかる紫を抑え、シュラインは冷たく言い放つ。しかし男は一向に動じた様子もなくただ泰然と三人を見下ろすばかりだった。
真っ二つに断ち割られた『さくら』に、なゆは泣きたい気持ちになった。
「ひど…ひどいよこんなのっ!」
「そうだな、酷くは見えるかもしれないな」
「…っ!」
物の一つもぶつけてやろうかとしたその時、次の来訪者がまたしても空間を断ち割って現れる。
「式!」
怒鳴り声と同時に新たな光が一閃される。
かっと光輝に満ちる室内で、シュラインはただ一瞬、その壮年の男が笑んだのを見た気がした。
そして光輝が去った後に、室内には男の姿はなかった。
「なんだったのよ…」
乱れた髪をかきあげ、紫が呆然と室内を見回した。
「さあ……最後のは志堂くんの声だったような気がするけど」
一瞬の事過ぎてシュラインでも判断はつけ辛い。はた迷惑な時空超越者の名前に、紫は眉を顰めた。
「……まあ非常識は専売特許だった見たいだけど」
脱力する二人を現実へと引き戻したのはなゆの上げた泣声だった。
「さくらちゃん!」
紫とシュラインは顔を見合わせた。断ち割られた『さくら』は中点のずれた姿のまま、それでも今だパソコンの近くに漂っている。
「痛い? 痛いの? ごめんねなゆなにもしてあげられないよ…」
『ここから、だして』
幼い子供の霊は呪文のようにただそれだけを繰り返す。彼女の望みはただそれだけだった。
今だ人であったときから、ただそれだけ。
ふうとシュラインが息を吐き出す音が聞こえる。
「出られるわ。あんたの望む形ではなくてもね。あんたはここから出る事が出来るのよ」
『…でたいの……』
「ちょ……」
出しかけた声を、紫が噤んだのが分かった。シュラインの横顔には憂いが濃い。
「行きたいところへ、行って御覧なさい? こんな所に居なくていいのよ」
『でられる、の?』
問い掛けてくる『さくら』に頷きを返す事を酷く躊躇った。それは何もシュラインばかりではない、なゆも、紫もだ。
傷つけられてしまった『さくら』の霊がどうなるのか、誰にも分からない。生まれ変わりも、成仏と言う言葉ですら、誰にも実感は出来ない。
彼女達は生きているのだから。
だが、
それでも、
「でられるわよ」
シュラインは頷いた。
そう答えるしかなかった。
さくらは二三度瞬いて、そしてふっと掻き消えた。
白みかけた空にまだ微かに星が見えた。
静まり返る病院を振り返り、紫はふっと息を吐き出した。
「……治るために来る場所のはずなのにね」
「うん」
なゆがきゅっと紫のスーツの裾を掴んだ。しんみりとしてしまった二人に、シュラインは明るく言った。勤めて。
「帰りましょ」
それに頷きを返し、三人は揃ってその牢獄を後にした。
掲示板に一つの書き込みが増えた事に三人が気付いたのは翌日の事。
『ごめんね。さよなら』
人事不省の看護婦が病院前に倒れていたと言う情報と相俟って、その書き込みは少しだけ、三人を慰めた。
「…きっと」
さくらは出られたのだ。そう、信じる事ができたから。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【0969 / 鬼頭・なゆ / 女 / 5 / 幼稚園生】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0970 / 式・顎 / 男 / 58 / 未来世界の破壊者】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、里子です。今回は参加ありがとうございました。
今回納品がギリギリになってしまいまして申し訳ありません。
病院って言うのは結構特殊な空間ですよね。閉塞してると言うか。
なんか治療に行ってるはずなのにあの空気吸ってるだけで逆に病気になりそうな気分がすると言うか。
いい年こいて医者嫌いの私は、どうしようもなくなってから医者へ行って医者に怒られるというしょうもない特技を持ってたりします。
今回はありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。ご意見などお聞かせ願えると嬉しいです。
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