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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


東京怪談・ゴーストネットOFF「白い牢獄」

■オープニング■
【132】無題 投稿者:さくら
ここからだして

「…まただ」
 その短い書き込みに雫は眉根を寄せた。
 その言葉通り、その短い書き込みは周期的に繰り返されていた。
 いつも同じ。件名が無くただ同じ言葉だけを繰り返す。だしてと、それだけを。
 悪戯かとも思ったが、それにしてはいくらなんでも執拗に過ぎた。あまり気は進まなかったがホスト情報を調べてもみた。毎週土曜の深夜、同じような時刻に同じ文面で同じ場所から『さくら』の書き込みは続いている。
 それで悪戯と言うのは少々無理がある。
「それに…」
 雫はマウスを動かし、画面を移動させて表示された書き込みを食入るように見つめた。

【140】病院 投稿者:白衣の天使
はじめまして、当方看護婦をしている22歳の女性です。
先日事情があって病院を変わったのですが今の職場は少し、おかしいのです。
小さな病院なのですが、それでもおかしいのです。勤めて二ヶ月になりますが、私はその間た

 この書き込みはここでぶっつりと切れている。
 こちらも悪戯にしてはおかしな文面だ。印象が堅すぎる。
 そして何よりも、
「同じなのよね」
 この二つの書き込みは同一の場所から送信されているのだ。
 雫は暫く難しい顔で考え込んでいたが、ややあってから一つ頷くと調査を依頼する旨を自ら掲示板へと書き込みはじめた。

■本編■
 ここからだして。ここをでたいの。

 差し出されたメモ用紙に冴木・紫(さえき・ゆかり)はきょとんと目を瞬かせた。細面の、どこかシャープなものを感じさせる女の似合わない愛らしい仕草は、彼女の困惑の度合を雄弁に語っている。
「これ?」
 困惑する紫を他所に、差出人であるところの雫はにぱっと子供らしい笑みを浮べる。
「へへ、住所」
「……実に有難いけど実に簡単に差出してくれるわねー」
 呆れる紫に雫は得意そうに鼻の下を擦って胸を張った。張るほど無いというのは言わないで置いてやるのが情というものだろう。大体紫も人のことは絶対に言えない。
「うん。IPがね、ドメインだったんだ」
「はい?」
 意味が図れずに問い返すと、雫はうーんと唸ってぱちくりと目を瞬かせた。
「うーん、まぁ詳しい事はおいといて、ドメインだとハッキングとかそういうことしなくても登録者の情報くらいは分かるんだよ」
「……そりゃ便利ねー」
 紫は思わず眉を顰めた。
 便利さは兎も角、その指し示すもう一つに嫌でも気付いたからだ。
 そんなにも容易く所在が知れてしまうならば。
「なーんか悪戯の線薄くなったわね」
「うん、そーなの」
「ふうん」
 紫は気の無い返事を返し、唇に指を当てた。そして雫に渡されたメモ用紙を覗き込む。可愛らしいピンクのハート型のメモ用紙には住所と最寄駅が記されている。ネット上で検索しただけで最寄駅までもが分かる訳ではなかろうから、駅は地図か何かで雫が改めて調べたものだろう。たいした手間ではないがそうした事に気が回る辺りが雫の『事件慣れ』を示しているようで、紫は肩が下がった。
「ま、行って見るわ」
 そう言って席を立とうとした紫に、雫が『あ』と小さく声を上げる。眉根を寄せて雫を窺うと雫はわくわくした様子でずいっと身を乗り出してくる。
「ねえねえ、なんで紫さんはこの事件調べに行ってくれる気になったの?  私中学生だよ?」
 紫さんの大好きなお金はそんなに出せないよ?
 小首を傾げ、正しく中学生である事を証明するような遠慮のない問いかけを口に昇らせる雫に、紫は笑顔を返した。
 にっこりと、ではない。にんまりと。その笑顔だけで『何か良からぬ事を考えています!』と自己申告しているような代物である。
「まぁ、私だってこれが直接的に金になるとは思ってないわよ」
「じゃ、なんで?」
「いーい、世の中にはね、例外とか置いとけばとりあえず男と女しかいないわけなのよ?」
「は?」
 その通りかもしれないが行き成り脇道へと飛んだ話題に雫が間抜けな問い返しの声を上げる。紫はそれには一切構わずぐぐぐっと拳を握り締めた。
「病院なんて場所にはね、男って種族の中でも美味しい部類が必ずいるはずなのよ」
「…………お医者さん?」
 病院から連想される医者、看護婦、患者の三つの内から雫がそれを選び出すのにそう時間はかからなかった。紫は雫にぐっと親指を立ててみせる。
「そういうこと。て、訳だから医者誑かしにいってくるわ」
 鮮やかな笑みを残して立ち去る紫を、雫は呆然と見送った。
 紫がしっかりとレシートを残していったことに気づけたのはもはや追おうにも追い切れないほどの時間が経ってからのことだった。

 その病院は白衣の天使という戯けたHNで書きこんだ看護婦の記述通り、小ぢんまりとした佇まいを見せていた。
 正面の出入り口から入ると総合病院らしくすぐに会計と薬局、そしてロビー。ロビーの革張りのソファーは古く艶がなく、その数も決して多いものではない。柱に隠れるように売店があり、そのすぐ脇に古ぼけたエレベーターがあった。エレベーターの上部に点滅する数字に、紫ははあと息を吐き出した。階数を示すその数字は1、2、3、4。幾度数えてもそれだけしかない。たった四階建、外観も決して大きいとはいい難い様子だったから、本当に小さな病院だった。
「まあその分調査とかは楽なんだろうけど」
 だが、楽だとてそれは決して紫の求めるところではない。
 小さいということはそれだけ職員も少ないということであり、少ないということは獲物が居る確立が下がったということだ。タダでさえ選り好みするというのに。
「……居るんでしょうねえ、若くて腕がよくて顔がいい医者……」
「いなかったら?」
「そりゃまー看護婦さんの情報か本体GETして退散するけど」
 現金この上ないことをあっさり答えてから、紫ははっと息を飲んだ。
 何かに意識を持って行かれているときにはありがちなことだが、話しかけてきた相手を確かめもせずに答えを返してしまっていたのだ。
 慌ててきょろきょろと辺りを見渡した紫は、大分下の方へ視線を投じて、そしてぴたりと動きを止めた。
 金髪に碧眼という目立つ色合の子供がこれまた目立つふわふわとよく膨らんだ服を着て立っている。おまけに熊のぬいぐるみまで抱えているのだから紫の思考は一旦完全に停止した。
 調査の最中に妙なものも人も一通り見たつもりで居た。眼前の少女はそれに比べればどうということもない、単にちょっと国籍が違っているだけで妙なわけではない。だが、この少女は今まで見てきたどんなものより紫の意表をついた。
 調査中に化物を見たり、妙な連中に遭ったりするのは至って当然のことなのだ言ってしまえば。だが、ここまで『調査』だとか『事件』だとかいう単語とそぐわない相手に会ったのは初めてだった。その愛らしい子供は紫を見て嬉しそうに笑っている。
「あー……ええとお嬢ちゃん? お母さんとはぐれたりとかしたのかな?」
「うーん、はぐれちゃったんだけど。でもおかあさんじゃないの」
 それにあなたに会えたから大丈夫なの。
 そういって子供は腕の中の熊をぎゅっと抱き締めて天使のように笑う。
 可愛らしい。可愛らしいのだがしかし……!
 紫は痛み出したコメカミに指を当て、しゃがみ込んで子供に目線を合わせた。状況以前にこの国の風土に既にそぐわない西洋人形の肩に手を置き、その青い瞳を間近から覗き込む。
「えーとまさかと思うんだけどね。あなたひょっとして……」
「さくらちゃんを探しに来たのよ」
 紫の希望を見事に打砕いた事に気づく様子もなく、鬼頭・なゆ(きとう・なゆ)はにっこりと笑った。

 なゆが紫を引っ張り込んだのは3階のエレベーター脇にある部屋だった。病院の常として階が上がるごとに外来から病室へとフロアの使われ方は変化する。この小さな病院は3階と言う段階で、そこは既に病室とナースセンターのみの階層になっていた。
 その部屋はこの古ぼけた病院のにあるにしては妙に新しい香りのする部屋だった。長方形の部屋の一面は全て窓、廊下に面した部分もガラス張りになっている。光彩をよく考えられたその部屋の中にはずらりとパソコンが並んでいる。入院患者用の娯楽の一環なのだろう。
 少し感心して部屋を見渡すと、幾人かのパジャマ姿に混じって、それとは明らかに異質な女の姿がある。ぱたぱたとそちらへ駆けて行くなゆを追いつつ、紫はふっと息を吐きだした。既知のその顔が心なしか疲れて見えるのは、おそらく紫と同じ理由からだろう。
「あら」
 眼鏡を外しながら声をあげるシュライン・エマ(しゅらいん・えま)に、紫は軽く片手を挙げて答えた。シュラインは更に頷きを返し、少し体をずらして紫と……おそらくはなゆにもだろう、パソコンのディスプレイを示した。そこにはゴーストネットの件の書き込みが表示されている。

【140】病院 投稿者:白衣の天使
はじめまして、当方看護婦をしている22歳の女性です。
先日事情があって病院を変わったのですが今の職場は少し、おかしいのです。
小さな病院なのですが、それでもおかしいのです。勤めて二ヶ月になりますが、私はその間た

「これが?」
 近寄りながら問い掛けると、シュラインは軽い苦笑を浮べる。
「とりあえずこの『私はその間た』の続きは想像がついてるでしょう?」
「まあね」
 言って紫は人差し指を唇に当てた。
「た、でその前がその間。まぁ普通に考えるなら『退院』よね。その間退院した人が居ない、そんな所じゃない?」
「つまりそういうこと。居ないみたいよ、どうやらね」
 肩を竦めるシュラインに、紫は少しだけ目を見張った。
「どうやって調べたのよ、そんな事?」
 えへんとなゆが胸を張る。
「へへ、なゆがね聞いてきたの」
「正確には聞いてきて貰ったのよ。『おばあちゃんがずっと入院してるけど、退院できないみたいなの、どうして?』ってね」
 その先は誘導尋問だ。
 二人は看護婦から『そう言えばこのところ退院する患者さん居ないわねぇ』と言う発言を引き出す事に成功したと言う。
 成る程と頷いた紫は、シュラインの示すディスプレイに視線を投じた。
「それで? 件のパソコンはこれなわけ?」
「どのマシンかまでの特定は無理ね。少なくとも病院側の協力がないと。ただ…」
「この部屋からなのは多分間違いがないって?」
 言葉を継ぐように問い掛けると、シュラインは大きく頷いた。
「まあ断定は危険だけど。ざっと見て回ったけど誰にでも使えるパソコンってここにしかないわね。各病室への持込は認められてないみたい」
「でしょうね」
「どうして?」
 デスクの端に両手をかけ、なゆが二人を覗き込んでくる。シュラインが苦笑してその頭に手を置いた。
「ペースメーカーとか……」
「ぺえすめえかあ?」
 絶対に分っていない発音で問い返してくるなゆに、シュラインは思わず口を噤む。言うまでもなくペースメーカーは心臓疾患などの患者の体に埋め込み心臓の働きを補助する機械だが、そういったところでなゆには通じまい。
 困ってしまったシュラインに代って、紫が口を開く。
「人に迷惑かけるからよ」
「そうなの?」
「そうよ、勝手にパソコンなんか使われたり携帯鳴らされたりしたら迷惑だからよ、わかった?」
 うーんと唸って小首を傾げたなゆは、ややあってからそうかと顔を上げた。
「同室のひとがうるさいもんね!」
 おりこうでしょう? と胸を張るなゆをよしよしと撫でてやっている。シュラインが呆れを隠さず耳元で囁いてきた。
「……かなり違わない?」
「別に違わないわよ」
「それは、まあ……」
 シュラインは困ったように口篭もった。確かに間違いではない。大雑把に言ってしまえば携帯やパソコンの使用が自由にならないのは人に迷惑をかけるからだ。
 だがなゆの解釈と真実は大きく違う。ペースメーカーなどの機器は電波によって影響を受けることがままある。煩いだとかそんな容易い問題ではない。
「……信じ込んで恥かかなきゃいいんだけど」
「子供ってのはそうやって騙されて成長するのよ」
 全く反省する様子の無い紫に、シュラインは頭を抱えたくなった。

「……こりゃもう突入しかないわねー」
 草間興信所のソファーに陣取った紫は大きく溜息を吐いてテーブルに果てた。
 因みにそこらの喫茶店に入らなかったのは言うまでもなく幼児にも劣る紫の懐事情の為である。
 あの後、三人で病院内をそれとなく調べて回った。なゆのテレパスの能力が頼みの綱だったが、
「……だっていっぱいなんだもん」
 なゆはぷうっと頬を膨らませる。
 つまり病院なのだ場所は。
 癒しの場所はしかし、終焉の場所でもある。医者にかかったもの総てが健康を取り戻せる訳ではなく、そして総ての死者が静かに終焉を受け入れる訳ではない。
 その場にはその思いの残滓が、ヘドロのように蟠っていて当然、なゆが神経を張り詰めさせれば張り詰めされるほど、そのヘドロにどんどん足を取られてしまう。
 なゆはすっかりお冠だった。だがそれは紫も同じである。
 へたっとテーブルに懐いた紫は草間の冷たい視線など勿論物ともせずに、ぐだぐだとそのままくだを撒いている。
「居ないしー。化粧品代もままならないってのにフルメイクで化けてったってのに居ないしー……」
「あのね……」
 紫の横に紅茶のカップを置いてやりながら、シュラインは呆れた眼差しで紫の後頭部を見やった。
 その愚痴を聞くだけでもう問いただす必要もない。紫が何の目的でゴーストネットの書き込みに飛びついたかなど。
 自分も紅茶を片手に紫の前に腰掛けたシュラインはとりあえず紫の惨状は無視する事にしたらしい。こくりと一口紅茶を飲み下した。
「まあ、土曜の深夜に忍び込んで見るって言うのは賛成ね。他に手の打ち様がないわ」
「そうだねっ! さくらさんも来るかも知れないしねっ!」
 両拳を握り締めて勢い込むなゆに、シュラインは曖昧な笑みを返した。なゆの相手を紫に任せ、それとなく病室前のネームプレートを確認してみた。『さくら』と言う音を持つ名前は二つほど見かけた。一つは整形外科病棟の集団部屋、ちらりと中を覗いてみたが居るのは老齢の男性ばかりだった。骨折などの患者が多いらしく、まともに動き回れるとは到底思われない。もう一つは新生児。全く話にならない。
「さて、現れるのはどんな『さくら』かしらね」
「……医者ー…医者がいいー、若くて騙しやすそうで白衣が似合う医者ー……」
 間髪入れずに紫が呻いた。
 はあと息を吐き出したシュラインがなゆに向かって、
「こういう大人にだけはなっちゃダメよ」
 と人差し指を立てたのが視界の端に写ったが、とりあえずもうどうでも良かった。

 病院と言う場所のセキュリティは場所にも選るが実の所甘い場合が多い。基本的に人の出入りは自由だし、監視カメラや警備員もさほど機能していない事が多いからだ。
 三人は見舞い客を装い、まんまと深夜の病院への潜入を果たしていた。
 足音の響く廊下を出来るだけそっと歩きながら、紫は肌寒いものを感じで肌を粟立てた。
 外気による感覚ではない、心理的なものだ。
「……やな空気よね」
 ポツリと呟くと、シュラインが大きく頷く。
「そうね、深夜の病院なんてぞっとしないわ」
 流石に怖いのかシュラインの腰の辺りになゆが抱きついている。その肩をシュラインが抱き返してやっているのが視界に入った。
 怖い。
 恐らくはこんな時刻の病院に、誰もが感じる事だろう。
 癒しの場、そして同時にこの場は死の場でもある。気持ちのいいものでは決してなかった。
「……治るために来る場所のはずなのにね」
 紫はそう呟いて二人に廊下の先を指し示した。目指す部屋は、もう目の前だった。

 そっと部屋に忍び込みやはりそっと一台のパソコンに電源を入れる。ぶうんと言う小さな機械音にさえ心臓が跳ねた。
「それで電源入れてどうするつもりなの?」
 シュラインの問いかけに、紫は片目を瞑って見せた。
「よろしくね?」
「なにが?」
 紫の膝に手を乗せ、伸び上がるようになゆが問い掛けてくる。紫はふふんと鼻を鳴らした。
「ゴーストネットに書き込むのよ。さも事件知ってますって風にね。なんにせよそれで何かが出てくるんじゃない?」
「……事も無げに言ってくれるわね」
 シュラインが呆れたように肩を竦めた。それも当然だろう。その出てくるだろう何かが一体『何』であるかもわかっていないのだ。友好的な存在であるかどうかさえも。
「だからこうしてわざわざ断ってるんでしょ。何かあったらよろしくね?」
 鼻歌でも歌いかねない気軽さで、紫はキーボードを叩いた。もうすっかり馴染みの深くなったアドレスを打ち込み、ゴーストネットを表示させる。
 掲示板に手早く用意してあった文面を打ち込むと、紫は送信するにポインタを合わせ二人を振り返った。
 時刻時に22:57。
「カウントしろってことかしら?」
「どうせなら劇的な方がいいじゃない?」
 間接的に答えると、なゆがよじ登るような有様でディスプレイを覗き込んでくる。
「後一分だよ」
 コチコチと、秒針の進む音が聞こえてくる。事前に打ち合わせたわけではないからそれぞれの時計は微妙にずれた時間を刻んでいる。その微細さに、誰も構いつけはしなかった。
 真っ先に新しい日への時間を刻んだのはなゆの見つめるディスプレイの表示だった。
「紫お姉ちゃん!」
 トーンを抑えたなゆの叫びに、紫は迷わずボタンをクリックする。読み込みの鈍い音がして、画面の表示が切り替わる。
「え?」
 紫は思わず目を見開いた。書き込んだのはたった今。だと言うのに紫の書き込みの上に、速くも別の書き込みが表示されている。

『ここからだして。ここをでたいの。』

「な……!」
 紫が腰を浮かせるよりも早くその音は暗闇の中に高く響いた。部屋中が軋んでいるような、みしみしと言うその音は。
「あ……」
 シュラインの掠れた声に面を上げると、空中に白く浮かび上がるものがある。透けてその先にあるパソコンが見えるところから考えても、少なくとも生身の存在では在り得ない。
「ちょっとホントに出たわよ!」
 医者は出なかったのにっ!
 悪態を吐くと即座にシュラインの怒鳴り声が返ってくる。
「それしかないのあんたはっ!」
 いよいよ部屋を包む軋みは大きくなっていく。今や宙にはっきりと姿を現した何かは宙に蹲り、膝を抱きかかえていた。
 食入るようにそれを見つめていたなゆが、ぽつりと言った。
「さくら……ちゃん?」
 その声に答えるように、白い何かは大きく震えた。

『ここからだして。ここをでたいの。』

 それは声ではなかった。その明確な意思が伝わっては来ても、耳で聞いた音ではない。だがそれは霊感と呼ばれる感覚には乏しいシュラインや紫にさえはっきりと聞こえた。
 ただ切ないほどの、渇望。
「……この病院に入院してたみたい。だけど…」
 なゆの声の続きは聞かなくとも分かる。嘗ては少女であったのだろうこの白い何かは退院することが出来なかったのだ。

『どうしてでられないの……でたいの、ここから』

 紡がれる言葉に、胸が押される。
 どう言ってやればいいのだろう。恐らくはなゆほどの年齢のまま永久にその時を留めてしまった、この白い牢獄の囚人に。
 白い何かはふっと遠くを見つめるように首を擡げ、そして透き通るその口元を歪めた。

『わたしがでれないなら……だれもださないの』

「それは…っ!」
 音を立ててシュラインが立ち上がった。その刹那、それは起こった。

「…誇り高い意志を持て。踏み潰されたくなければな……否最早そんな気概はないか」
 低い男の声がした。紫は思わずシュラインを振り返った。シュラインは怯えるなゆを抱きしめ、ただ首を振る。
「なんなの!?」
「ないなら消えるがいい」
 再び男の声が響く。同時に、空間が割れた。
 夜の闇を引き裂く一条の光は、その後ろの男の姿を真っ暗な部屋に浮かび上がらせながら一閃される。
 そして、白い何かは真っ二つに断ち割れた。

 悲鳴にあわせて部屋が振動を繰り返す。
 その危うい床にどうにかバランスを取って立ちながら、紫は現れた壮年の男に向かって叫んだ。
「なに…してくれてんの!?」
 怒鳴り声に、男はふっと遠くを見る目つきをした。
「さあ、何をしているんだろうな私は」
「自分が何をしたかもわかってないの?」
 かっとなりかかる紫を抑え、シュラインが冷たく言い放つ。こちらもまた腹に据えかねて居るようだ。しかし男は一向に動じた様子もなくただ泰然と三人を見下ろすばかりだった。
「ひど…ひどいよこんなのっ!」
「そうだな、酷くは見えるかもしれないな」
「…っ!」
 物の一つもぶつけてやろうかとしたその時、次の来訪者がまたしても空間を断ち割って現れる。
「式!」
 怒鳴り声と同時に新たな光が一閃される。
 かっと光輝に満ちる室内で、紫はただ一瞬、その壮年の男が笑んだのを見た気がした。
 そして光輝が去った後に、室内には男の姿はなかった。

「なんだったのよ…」
 乱れた髪をかきあげ、紫は呆然と室内を見回した。
「さあ……最後のは志堂くんの声だったような気がするけど」
 一瞬の事過ぎてシュラインでも判断はつけ辛いらしい。はた迷惑な時空超越者の名前に、紫は眉を顰めた。
「……まあ非常識は専売特許だった見たいだけど」
 脱力する二人を現実へと引き戻したのはなゆの上げた泣声だった。
「さくらちゃん!」
 紫とシュラインは顔を見合わせた。断ち割られた『さくら』は中点のずれた姿のまま、それでも今だパソコンの近くに漂っている。
「痛い? 痛いの? ごめんねなゆなにもしてあげられないよ…」

『ここから、だして』

 幼い子供の霊は呪文のようにただそれだけを繰り返す。彼女の望みはただそれだけだった。
 今だ人であったときから、ただそれだけ。

 ふうとシュラインが息を吐き出す音が聞こえる。
「出られるわ。あんたの望む形ではなくてもね。あんたはここから出る事が出来るのよ」
『…でたいの……』
「ちょ……」
 出しかけた声を、紫は噤んだ。シュラインの横顔には憂いが濃い。
「行きたいところへ、行って御覧なさい? こんな所に居なくていいのよ」
『でられる、の?』
 問い掛けてくる『さくら』に頷きを返す事を酷く躊躇った。それは何も紫ばかりではない、シュラインも、なゆもだ。
 傷つけられてしまった『さくら』の霊がどうなるのか、誰にも分からない。生まれ変わりも、成仏と言う言葉ですら、誰にも実感は出来ない。
 彼女達は生きているのだから。
 だが、
 それでも、
「でられるわよ」
 紫は頷いた。
 そう答えるしかなかった。

 さくらは二三度瞬いて、そしてふっと掻き消えた。

 白みかけた空にまだ微かに星が見えた。
 静まり返る病院を振り返り、紫はふっと息を吐き出した。
「……治るために来る場所のはずなのにね」
「うん」
 なゆがきゅっとスーツの裾を掴んでくる。しんみりとしてしまった二人に、シュラインが明るく言った。勤めて。
「帰りましょ」
 それに頷きを返し、三人は揃ってその牢獄を後にした。

 掲示板に一つの書き込みが増えた事に三人が気付いたのは翌日の事。
『ごめんね。さよなら』
 人事不省の看護婦が病院前に倒れていたと言う情報と相俟って、その書き込みは少しだけ、三人を慰めた。

「…きっと」
 さくらは出られたのだ。そう、信じる事ができたから。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【0969 / 鬼頭・なゆ / 女 / 5 / 幼稚園生】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0970 / 式・顎 / 男 / 58 / 未来世界の破壊者】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、里子です。今回は参加ありがとうございました。
 今回納品がギリギリになってしまいまして申し訳ありません。

 病院って言うのは結構特殊な空間ですよね。閉塞してると言うか。
 なんか治療に行ってるはずなのにあの空気吸ってるだけで逆に病気になりそうな気分がすると言うか。
 いい年こいて医者嫌いの私は、どうしようもなくなってから医者へ行って医者に怒られるというしょうもない特技を持ってたりします。

 今回はありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。ご意見などお聞かせ願えると嬉しいです。