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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


調査コードネーム:案山子

■ オープニング ■

『案山子が駅に向かって走っていった』
『案山子が店の目の前を通っていった』
『案山子を見た』
『案山子が女の子の後を付けていた』
    
 午後八時。月刊アトラス編集部内。
 定時など無いこの職場の電話が立て続けに鳴り響いた。
 それによると、とある店に飾ってあったオブジェの案山子が、突然走り出して雑踏に消えたと言う。
 “大都会を疾走する案山子”
 記事になりそうな予感がした。麗香は電話の情報を元に、持ち主である店に問い合わせて見た。すると……。
『あの〜。どうもそうらしいんです。隣の店の人に言われて見てみたら、いなくなってまして。実家の倉に放置されていた案山子だったんですけどね? あんまり良く出来てるから、店の前に置いといたんですよ。いやー、アイツ生きてたんですねえ』
と、妙に感心のしきり。麗香は三下を呼びつけた。
「これ。面白そうだから、今からちょっと行って調べてきてくれる?」
「ええ? 今からですか?」
 三下はチラリと時計を見る。
 帰って熱い風呂に入り、好きなテレビを見ながらカップラーメンを啜る。そんなあってないような予定がガラガラと音を立てて崩れていった。
「そうよ。何か文句ある?」
「い、いえ……ありません、です」
 麗香は三下に、電話をくれた店の名前とその場所を記した地図を手渡した。持ち主の店は“雑貨屋“とある。右隣、その向こう、右斜め前の店とその隣。それから駅に続くまで飛び飛びで目撃情報が寄せられていた。が……。
「真向かいの店は見ていないんですね」
「ええ。今日に限って早じまいしたらしいわ。やってたら都合が良かったわね。店は花屋だそうよ。いつもは雑貨屋が見える位置に店番の女の子がいたらしいの。この子が見てたら案山子が消えた理由が分かったかも、って雑貨屋が言ってたわ」
「なるほど。じゃあ、案山子の行方と消えた理由を探ればいいんですか?」
「はい、行ってらっしゃい」
 いつもながらの有無をも言わさぬ返答だった。
 
 
 ====================================================
 
   案山子
 
 ■■ 二十分前 ■■
 
 その案山子は驚く人々に目もくれず、一心不乱に走っていた。
 ハアハア。
 雑踏を掻き分け。
 ──色々とお世話になりました。
 指さす人を躱して。
 ──いや、こちらこそ。長い事、あそこにいた君がいなくなると寂しくなるなあ。幸せになるんだよ?
 いつも笑顔をくれた彼女を。
 ──はい、ありがとうございます。
 ハアハア。
 死にもの狂いで探していた。
 ハアハア。
 ──こっちへ出てきた時は、遊びにおいで。ホラ、きっとコイツも喜ぶから。
 ──ええ……。もう花もあげられなくなるけど、元気でね。
 ゲンキデ……。
 ──“カンタ君”。
 彼女は。
 ──あまり引き留めてちゃ、怒られちゃうか。これから送別会だろう?
 ──はい、駅前の居酒屋さんで。
 行ってしまう。
 ──嫁入り前が飲み過ぎないようにね。
 笑いかけてくれた瞳。
 ──大丈夫。今日は雰囲気に酔います。それじゃ、失礼します。“ドットさん”もお元気で。
 オゲンキデ……。
 ──ああ。
 ハアハア。
 ──元気でね。
 ゲンキデ……。
 ゲンキデネ──
 
 ■■ 路地裏にて ■■
 
 街を彩る気の早いクリスマスデコレーション。商店街に設置された大きなツリー。腰を抱き、胸にもたれかかってそれを眺める恋人達には目もくれず、彼は案山子を探していた。
 銜えタバコの先に灯る明かりは、どの光よりも鈍い。フウッと吐き出す白い煙が、夜空に吸い込まれていった。 
 着崩しの洒落たスーツに、抜いた髪の色は金。夜の街に紛れるにはハマリきったスタイルだが、漂う気配は尋常一様ではない。
 彼──真名神慶悟は、歩きながら話しかける。自らの肩で耳を澄ます式神に向かって。
「相手は九十九神系の存在。手荒な事は不要だ。見つけ次第知らせろ」
 キュッ。
 慶悟にしか聞こえない、甲高い声でそれは鳴いた。
 鳶だ。大きな羽根を広げ空に舞い上がると、急滑降し人の足下を縫うように消えた。
 それにしても、案山子は何処へ消えたのか。動けば目立つ存在だ、そんなに遠くへ行けるとは思えない。まして電車に乗るなどという事は、慶悟の思考からは外れていた。どこか近場に潜んでいるはずだ。恐らく。 
(店番の女の子が結婚かなんかで店を離れ、花屋はそこに出席するため早仕舞い、とかな。案山子はそれを知って、追った。女の子に惚れたか……?)
 自らの考えに慶悟は苦笑した。相手は生の無い案山子だ。あまりにも荒唐無稽、怪しすぎる。
 だが、とにかく案山子が追ったという娘の情報を探して、慶悟は聞き込みを開始した。
 午後八時過ぎ。商店街にとって、この時間はボーダーラインのようだ。半数の店は、店じまいの準備を始めている。花屋に近いケーキ屋で詳しい話が聞けた。
「ああ、あの子。いい子だよ? いつもね “ドットさんの案山子君”に花やりに行ってたっけ」
 『ドット』というのが雑貨屋の名前らしい。ケーキ屋の主は、陳列棚で少し斜めになった正札を真っ直ぐに戻した。『焼きたての自家製クッキー、一袋三〇〇円』。試食の一破片を、何気ない素振りで慶悟に渡す。
「今日限りで辞めるって、店を早終いして送別会だ。今頃は、駅の近くの飲み屋にいると思うよ」
 そう言って、今度はワッフルの試食片をホイと渡す。ここにいると、いずれ腹が満たされそうな気がした。
「案山子は彼女を追ったそうだが」
「そうらしいね。でも、あれはきっと、ドットさんの悪ふざけだよ。ただの案山子だなんて言っといて、おおかた『案山子ロボット』か何かだったのさ」
 ホイ。
 今度はエクレアの破片だ。慶悟は無言でそれを口に放った。どれも少しづつ固い。だが、味は良かった。
 ケーキ屋の主人は、それから案山子ロボットの出来具合について延々と語った。この辺りの人間は、皆そうだと思っているらしい。その間、慶悟は試食品攻撃から逃れる事が出来なかった。
「はい、これも食べてみて。良かったら好きなの、つまんでいいよ。どうせ捨てちゃうヤツだから」
 アップルパイの欠片をくれる。閉店間際に来るもんじゃないな、とさえ思い始めた頃、スイと音もなく自動ドアのガラスを通り抜け、式神が戻ってきた。どうやら案山子の居場所が分かったらしい。
 店を出ようとする慶悟に、ケーキ屋の主はシュークリームの欠片をくれた。

 ■■ 月刊アトラスにて ■■
 
「案山子……カカシ? カカシが走って消えたっていうワケ? 冗談じゃないわ」
「いや、その……でも、現に案山子を見たって言う人達から連絡が」
「そもそも、その目撃情報もひどく漠然としてるじゃない。駅に向かって走った? 電車にでも乗るつもり? 案山子が?」
 ハン、と鼻を鳴らして、たなびく黒髪を掻き上げたのは、ありとあらゆるパーツから『女』を発散させている、ラウラ・ミシェル・オーカーだ。今にも爆発しそうな素晴らしいスタイルに、金の瞳のサイコテラピストは、無言の眼力で三下を圧す。
 彼女の国では案山子が走る事は無い。いや、通常どこの世界でも走る事は無いのだが、彼女の気質が『走る案山子』を否定した。
「でで、ですから。それを皆さんに調べて頂きたく……。た、助けてくださいよう、編集長ぉ」
「この私から逃げるの? 上等だわ。あなたのその弱々しい根性を叩き直してあげる。そこへお座りなさい」
 ラウラは三下の襟首に手をかけると、問答無用で引き寄せた。三下は死にそうな声で、麗香に助けを求めている。過酷な説教地獄が、今まさに始まろうとするその時、麗香の携帯電話が鳴った。
「はい。あら……」
 親しげな声の様子。話の内容からするに、どうやら『仲間』のようだ。
 ラウラは三下から手を離し、デスクの端に腰を預けた。
 山と積まれた資料の一枚を手に取る。
 何かのチラシらしいが、古めかしいドロドロとした書体で『コワイ! 誰もが! 電話〇〇──』と、書かれている。
 全く宣伝の意味を為していない内容だった。
「何なの? これ」
 三下を振り返ると、彼は情けない顔で肩をすくめた。彼にも分からないようだ。
 その他にも麗香の机の上には、『死んでも立ち退かない、と管理人と押し問答する幽霊』、『化けて出てやる! と脅す、人に化けたタヌキの霊』など、奇怪な走り書きが無数にある。
 それを調べる役目は、恐らく彼になるだろう。情けない顔をするのも無理は無さそうだ。ラウラでさえ、眉間に皺が寄った。
 チラシを置き数分。麗香は電話を切った。
「花屋がどこにいるか分かったわよ。駅前の居酒屋ですって」
 たった今、書き殴ったばかりのメモをラウラは受け取る。細い線の文字が、“和民”と綴られていた。
「案山子じゃないのが残念だけど……まあ、いいわ。彼が付けていた女の子の事が、気になっていたの。早速、そこに行って彼女に詳しい話、聞いてみるわ」
 メモを麗香に返した手が、再び三下を捕まえる。
「いつも店番をしてたようだし……見続けてきたお嬢さんに、恋でもしたのかしらね。その案山子」
 フフッと笑ったラウラの横で、三下は涙目になっていた。
 その様子はサザエさんなら花沢さんとカツオ。ドラえもんならジャイアンとのび太だった。
 そんな哀れな三下を助ける気など、麗香には全くないらしい。涼しい顔で眼鏡を押し上げた。
「かもしれないわね。万事解決して、いい記事になる事、期待してるわ」
「まぁ、私が手伝うんだから、解決しないワケがないわ。大船に乗ったつもりでいらっしゃい──それで、あなた」
 ラウラは三下に笑いかけた。
 恐笑。
「足手まといになったら、承知しないわよ」
「そ、そんなぁ、ラウラさあん」
 三下の中で、走馬燈のごとく記憶が駆けめぐった。麗香に叱られた事、麗香に怒られた事、麗香に叱り飛ばされ、麗香に叱り付けられた事。皆、同じだった。
 だが、三下はそこに気が付かなかった。東京湾へ沈められる自分や、車で引き回される自分を思い描いて、震え上がっていた。
「へ、編集長! そう言えば他の皆さんは? 十桐さんや、真名神さん、それに相生さんに……」
「あら、朔羅もいるのね。楽しみだわ」
 ウフフ。怪。
「ウフフ……って、お、お知り合いですか?」
 三下は泣いた。
 麗香より怖いラウラと二人きり。
 道行く人が振り返る程の美女と一緒で涙を流すのは、彼くらいなものだろう。そんな三下に、麗香は素っ気なく言い放った。
「皆、現場に直行じゃないかしら。“彼女“も、もう少し調べ物をしてから行くって言ってたわよ?」
「彼女? そう言えば、電話をくれたのは誰なの?」
 ラウラの視界から、突然三下が消えた。彼は脱兎のごとく、編集部のドアを潜って外へと駆けて行く。
「逃げたわね」
 不敵な笑いがラウラの顔に貼り付いた。
 
 ■■ シュライン自宅にて ■■
 
 大苦戦。まさにその言葉に尽きる。
『ええ? 案山子? 案山子って、あの武雄が持ってった倉にホッちらかしてあったヤツかい?』
「そうです。雑貨屋を経営してらっしゃる──」
『さ、作家?』
「いえ、雑貨」
『ああ、雑貨屋かい! 武雄だ、武雄。それで、何だってかい?』
 オーナーの父親には、ひどい訛りがあった。
 翻訳が職業とはいえ、方言は対応外だ。地元言葉。独特な節回し。早口な上に語尾が滑る。付け加えてお年寄りな事もあり、シュライン・エマは必然的に大声を強いられた。
 黒髪に碧眼。細身だが抜群のボディライン。冷艶な声には、才知が溢れ。誰もが一瞬、目を留める……そんな美女。が──電話で、しかも老人にそれが伝わる事は微塵にも無かった。
 見えない事を良い事に、シュラインの眉間に皺が刻まれつつあった。
「その案山子について、詳しく教えてもらいたいんですが」
 五分ほどかかって、ようやく質問の意図を分かってもらえたシュラインは、ホッと安堵の息をついた。
 父、七五歳。息子四十歳。「親父は耳が遠い」と、オーナー武雄も言っていた。
 その親父の話によると、案山子は親父の“親父”が、鳥達から畑を守る為にこしらえたらしい。
 ところが、元々器用だった“親父”は、この案山子を立派に作りすぎてしまった。顔はともかく体がリアルだったのだ。
『暗くなりかけの畑にコイツが立ってっと、気味が悪いって皆がなあ』
 言うそうだ。
 案山子と言えば、真っ直ぐ横に伸びた手に、足は一本。服の中身は空洞で、ペラペラと厚みが無い。しかし、この案山子は。
『肘も膝も曲がるし、足も二本あるのさ。そりゃアンタ、よく出来てるよ。こうさ大量のワラで体作って。こりゃもう案山子っつうより、そら、えっと……のろ、のろ、のろし?』
「……呪いのワラ人形?」
『そうそう! ワラ人形、ワラ人形!』
 それを帰り道の学生がイタズラするらしく、ポーズも毎日違うものになっていたようだ。
「は、はあ……」
 シュラインは、思わず返答に困ってしまった。
 要するに不評だからお蔵入り、という事らしい。だが、親父は。
『でも、ホレ。案山子はもともと畑の神様なのさ。もしかしたらイタズラで無くて、自分で動いたんでない? 親父が上手に作りすぎたから、魂が宿ったのさ。俺はそう思うのさ』
 シュラインが電話を切ったのは、アトラスへ連絡を入れてから二十五分が経過した後だった。
「方言の翻訳があると便利ねえ」
 フーッと、大きな深呼吸をする。
 必要な物をカバンに詰め込み、走りやすそうなローヒールをつっかけた。疾走する案山子対策だ。
(好きだから追ったのかしら……それとも、心配だったから? どちらにしても、彼女のいる場所に彼もいるのよね)
 畑から倉へ。倉から都会へ。
 彼が光だと感じたのは、太陽でもネオンでもなく、一人の娘だったのかもしれない。
 玄関の扉を開けると、十一月の冷たい空気がシュラインの頬を撫でていった。
 
 ■■ 雑貨屋『ドット・ストア』 ■■
 
(案山子……か。そのまま放っておけば混乱を呼び兼ねん。それに、本来命を持たぬ物が動き出すからには、余程の想いがあるのだろう)
 その扉を押すと、ガランガランとカウベルが鳴った。
 雑貨屋『ドット・ストア』の店内には、所狭しと時代不明の雑貨小物が置かれている。和洋折衷、新旧問わず。何でもありの構えらしい。
 薬局の前に置かれていたという腰丈のマスコットや、作者不明の怪しい絵画。ビロード敷きの台の上には、小さな陶器の犬の置物が乗っていた。
 『昭和期。複製ではありません。一万円。ビクター犬のニッパー君』
 と、いう札が添えられている。かと思えば頭上には『流行のロングマフラー、千円均一』など雑多に多彩だ。
 十桐朔羅(つづぎりさくら)は、ゴチャゴチャとした店内奥のカウンターで、小説を読みふけっているオーナーへと近づいた。
 細い銀髪と白い肌の麗容に、通称『ドットさん』と呼ばれるオーナーの口から、銜えタバコがポロリと落ちる。
「か、案山子の次は雪女……いや、アンタ男だから“雪男“……?」
 表情を変えず、朔羅はいいやと首を振った。オーナーはまじまじと朔羅を見つめている。読んでいた小説は『死を招く雪美人』だった。
「案山子の事を聞きたいんだが」
「なんだ。アンタ、新聞屋さんの……。さっきも電話が来たんだけどさ、アイツはソラ。そこの表の……扉の横に立てかけておいたんだよ」
 木製のドアを指す。上半分のガラスの向こうに、花屋の閉じられたシャッターが見えた。案山子の位置なら、何の障害物もなく花屋が見渡せるだろう。
「駅へ向かったそうだな」
「そう、そうらしいんだよ。俺は見てなかったんだけどね? 女の子を追っかけたとかいう話も聞いて、多分花屋の──“実“ちゃんじゃないかと思うんだ。彼女、毎日ウチの“カンタ”に花をくれてたから」
 それが案山子の名前だった。花屋の娘は、品出しの際にもげてしまった花を、カンタにあげていたようだ。
(なるほど……。それなら生まれる想いがあったとて、不思議ではないか……)
 朔羅は内で呟く。しかし、案山子が思念を抱く事自体が、そもそもの問題なのだ。
「ただの案山子とは思えない。何か曰くは無かったか」
「さあ。俺はよく知らないんだよ。親父の話じゃ『出来すぎて不評を喰らった』から、倉ん中にうっ払っちまったらしいんだけど。いや、実際……良くできてるんだ」
 オーナーは身振り手振りを交え、案山子の風体を教えてくれた。
「頭には白い毛糸の帽子と、ベージュのセーターにカーキ色のズボン。首には帽子とお揃いの、白いマフラーを巻いてるんだ。結構、お洒落でしょ? でも顔は案山子のアレなんだよねえ」
 “へのへのもへじ“を指で宙に描く。
「分かった。とりあえず駅へ向かおう」
 チラリ、と朔羅は投げ出してある、読みかけの小説へと目をやった。あと、三分の一。
 邪魔をしたと背を向けると、オーナーは朔羅の手に携帯カイロを投げてよこした。
「彼女を追ったのなら駅まで行かなくても、駅近くの居酒屋にいると思うよ。これは……アンタ着物だと寒いだろう? 良かったら使ってくれ」
「……すまない。もらっておこう」
 朔羅はカイロを袂に収めて、店を後にした。
 
 ■■ 合流 ■■
 
 駅周辺。緑の髪が、雑踏を泳ぐ。肩が触れ合いよろけた女を、彼は咄嗟に抱き留めた。
「ごめんね。僕がボンヤリしていたせいで。怪我は?」
「い、いいえ。怪我なんて……」
「良かった。いつもはこんなこと無いんだけど。君が可愛いから、引き寄せられちゃったのかも」
 甘く優しい眼差しと、耳に心地良いテノール。女性の目がウットリと溶けた。相生葵(そうじょうあおい)はホストクラブの五本指。口説きの魔法使いだった。
 だが、今日の所は女を口説いている場合では無い。ターゲットは案山子。それを探している。
 葵はぶつかりついでと、案山子の事を訊ねてみた。
「案山子? もしかしてさっきの『ロボット』の事?」
「ロボット?」
「え? だってロボットでしょ? 案山子が歩くわけないし……」
 どうやら勘違いをしているようだが、その方が都合がいい。余計な説明をせずに済む。葵はニコリと笑って、話の先を促した。
 彼女曰く案山子ロボットは、大きな花束を持った一団の後を付けていたという。
「何かお祝いとかお別れ会があったんじゃない? 四,五人の団体で歩いてたんだけど、ロボットも一緒にあっちへ行っちゃったわ」
 彼女が指さしたのは、一際賑やかなネオン街だ。飲み屋とおぼしき看板が、多数見える。葵は礼を言い、目指す方へと足を向けた。
 平日だが週末も近い事あって、人気は多い。赤い顔の若いサラリーマンや学生風情が、所々で笑い合っている。
 葵はその人混みの中に、すこぶるつきの美女を発見した。下僕のような男を一人従えている。首根っこを掴まれて、思うように身動きできないようだ。
「和民……和民。ほら、あなたも早く探して」
「は、はいい。探してますぅ」
 葵はニコリと笑った。その声には聞き覚えがあったのだ。この情けなさ、この口調。間違いない。男に向かって声をかけた。
「こんばんは」
 二人が同時に振り返る。男の顔にパーッと喜びが広がった。
「相生さん! ラウラさん、ほら。彼も今日の案山子捜索をしてくれる仲間ですよ」
「相生? そう言えば最初に、そんな名前を聞いたような気がするわね」
 葵は三下に目もくれず、微かに眉根を寄せるラウラに、とびきりの微笑を浮かべてみせた。
「ラウラさん、って言うんですね。貴方のような美しい女性と、ご一緒できて嬉しいです」
「ありがとう。あなたもなかなかの美男子ね。でもこんな所で、油を売ってる場合じゃないわ。急ぐわよ」
 こんな台詞は聞き慣れているのだろう。動じない笑みを返し、ラウラは権柄に歩きだした。その後ろ姿が艶っぽい勇ましさに揺れる。
「お店には来ないタイプのヒトだなぁ」
 葵はクスリと笑って、二人の後に従った。
 
 ■■ 和民 ■■
 
「いませんねえ、案山子。まさか、店の中へまで入っていったなんて事は……」
 三下はキョロキョロと、和民の看板を背に周囲を伺った。辺りには酔っぱらいが数人いるだけで、案山子の姿は見あたらない。
「動けば周りが騒ぐでしょう。中へ入るわよ」
「そうですね、ひとまずは女の子に話を聞いてみないと」
 三人は、和民の暖簾をくぐった。
 混雑と暇の間。客入りはそんな感じだろうか。早速、店内を見渡すが、座席ごとを仕切るついたてが邪魔をして、その所在が確認出来ない。
 ラウラは注文待ちの店員を招き寄せた。
「ここに花屋が来てないかしら。そんな名前で予約が入ってないか、調べてみてちょうだい」
 葵も添える。
「大きな花束を抱えた女性と、他に四、五人の団体です」
 二人の言葉に、店員は一番奥の個室を指さした。だがやはり、ここからでは何も伺えない。
「悪いけど、『今日の主役』を呼び出してもらえる?」
 店員はラウラの色気と迫力に気圧されて、慌てて娘を呼びに行った。
 出てきたのは、年二四,五歳の細身の女性。肩よりも少し長い真っ直ぐな髪に、穏やかな目をしている。
「あの、何でしょうか」
 案山子が後を付けている事など知らない彼女の顔には、見知らぬ訪問客に対する戸惑いが浮かんでいた。
「あなた、雑貨屋の案山子をご存じ?」
「あ、ええ。“カンタ”君ですか?」
「その案山子の事で、ちょっと聞きたい事があるのよ。時間、いいかしら?」
 一行は店員の計らいで、空いているテーブルに移動した。個室から、男がこちらの様子を伺っている。「オーナーです」と彼女は言った。
「今日は送別会なんです。四年いたんですけど、今度、結婚する事になって……」
 四年もの間、同じ職場に通っていれば、馴染みの顔も情も増す。それらとの決別に、寂しさを感じているのだろう。彼女の笑顔は、どこか弱かった。
「そう言えば、まだ名前を聞いて無かったわね」
「渡瀬実(わたらせみのる)です」
「そう、私はラウラ。このヒトは相生君で、こっちは三下。行方不明の案山子を探してるの」
 まあ、と実は絶句した。少しの間があって、恐る恐る口を開く。
「まさか、走って逃げた……とか?」
「その、まさかなの」
「やっぱり!」
 ラウラはフーッと大きな溜息をついた。この街の人間は皆、どうかしている。動かないはずの案山子が走って逃げたのだ。それなのに、まるで綱を切って行方を眩ました犬程度の反応しか示さない。
「貴方も何て事なく受け止めるのね……。まあ、いいわ。案山子の目撃情報を追ってるんだけど、あなたの店は目の前だし、何か知っていたら話してもらいたいのよ」
「知っている事ですか。うーん……普通の案山子とは少し違ってました。肘も膝も曲がるし、足も二本あって……いつ動いてもおかしくないような感じでした」
「足が二本? 肘と膝が曲がる? 案山子が?」
 今度はラウラが絶句した。
「“オズの魔法使い”でもあるまいし」
「あ、本当にそんな感じです」
 実は笑って、フッと遠い眼をした。
「彼の帽子に、毎日花をさすのが日課だったんです。彼があそこに置かれてから半年の間、休みの日以外は欠かさず……ただでさえ、仕事を辞めたら逢えなくなるのに、遊びに行っても、もういないんですね」
 いい話なのだが、どこかが、何かが違う気がする。案山子が逃げたのだ。本当は動かないものなのだ。
 ラウラはこめかみを揉んだ。その横で葵は苦笑している。
「君は案山子に、花をあげてたの?」
「ええ、ディスプレイの時に使えなくなった花を、捨てるのが可哀相で、彼の帽子にさしてたんです。最初はちょっとしたイタズラだったんですけど……」
 実は照れて笑った。
 案山子が彼女を追いかけた理由。
 それはやはり恋心に違いない。
 
 ■■ 案山子 ■■
 
 慶悟が式神に案内されてやってきたのは、飲屋街の一角だった。鳶はゆっくりと頭上を滑る。それが、建物と建物の間、人一人がやっと通れるような狭い路地へと消えた。
 奥は暗くてよく見えない。慶悟は息をついた。
「隠れていても仕方ないだろう。いるなら、来い」
 ガタ。
 闇が微かに動いた。
「想いは吐き出すに限る。このままじゃ店先に黙って立ってられないだろう?」
 ガランガランガラン。
 空き缶にでも蹴躓いたのだろうか。大きな音がした。通りすがりのサラリーマンが、訝しげな顔で慶悟をジロジロと眺めていった。やれやれ、と慶悟は目を閉じる。
「その姿が問題か……」
 印を結び──。
「摩利支天の行法により……汝が異なる姿……暫し……留めん」
 呟く。
 沈黙。
「さあ、出てこい」
 ノソ、ともう一度闇が蠢いた。ヒタヒタと歩く音がする。ネオンに照らし出されたその顔は、どこか扁平で強張っていた。
「ボクハニンゲンニナレタノ?」
「見て見ろ」
 案山子は、自分の体を見下ろした。セーター、ズボン、マフラー。格好は変わりない。掌を見、そして顔をなでる。ツルリとした肌。それが、店のショーウィンドウに映り込んでいた。面長で特徴の無い顔を、案山子はまじまじと見つめている。
 口を開けた。白い歯が並んでいる。案山子はそれが不思議なようだ。何度も口を開閉する。その度に帽子についた花が揺れた。彼女がくれた白いカーネーションだ。
 案山子は慶悟を振り返った。
「ボク、ニンゲンニナレタ」
「ああ」
 頭上に光る“和民”の文字。恋しそうに店を覗き込む案山子に、慶悟は言った。
「ここに彼女がいるのか?」
「ウン、イル。ゲンキデネ」
「それは後だ。他に言う事があるだろう?」
 慶悟が店へ入ろうとすると、後ろから呼び止める声が聞こえた。振り返ると、道の左右に二つの人影があった。
「それ、あなたの仕業なの?」
 と、右にシュライン。
「それなら驚かれる事も無い。考えたな」
 こちらは左、朔羅。
 二人は慶悟の横でキョトンとしている案山子を眺めた。駆動する手足、がっしりとした体。想像していたモノがモノだけに、あまり違和感が感じられない。
 シュラインは感心したように呟いた。
「あちこちに電話して聞いたんだけど……、人間になった姿の方が想像通りって、どういう事なのかしら」
「そうか、主が言っていた電話の主はあなたか」
 雑貨屋での会話を朔羅は思い出していた。シュラインは頷いて、謎めいた苦笑を浮かべている。
「ええ。おかげで翻訳家としての自信を無くす所だったわ」
 慶悟と朔羅は顔を見合わせた。
「話す程の事じゃないの。さ、行きましょ」
 案山子を挟んだ一行は、揃って店の敷居を踏んだ。
 
 ■■ 想われ人と想い人 ■■
 
 話せ、と言われても直ぐには話せないのが心情と言うもの。案山子は追いかけた実を前に、一言も話す事が出来なかった。介した一同の前でモジモジと指を付き合わせ、野ざらしで焼けた顔を赤らめている。
 実はと言えば、よっぽど気が長いのか。彼が誰かも問わずに、黙って面を付き合わせている。
「アノ」
 口を開いて、また閉じる。
 個室で実の帰りを待つ仲間達が、頻繁にトイレに行くフリをしながら、様子を伺っていく。いつまでも主賓を欠けさせる訳にもいかない。シュラインが小さく案山子を諭した。
「今、伝えないと、もう二度と言えなくなるわ」
「ウン……」
 案山子の手が帽子の花に伸びた。言葉は無い。ただそれを、大事そうに両手で持ち、実に差し出した。
「ありがとう。いいの?」
 コクリ。
 案山子は頷く。
「キミガワラウ。ハナ。ボクノハナ」
 案山子は赤い顔で、自分の胸にソッと手を置いた。実は花と、案山子の帽子を見比べて黙り込んでいる。
「ちょっと待っててね」
 実は仲間の所へ戻っていった。再び帰ってきた彼女の手には、赤いバラが一輪あった。
「これを……」
 枝を折り、案山子の帽子につける。
「まだ生きてるけど。最後だもの……いいわよね。カンタ君」
 案山子の顔に火が点いた。彼は突然、踵を返すと止める間もなく走り出し、アッという間に店の外へと飛び出した。
「ま、待って下さ〜い!」
 三下がその後を追う。ウフフ、と実は笑った。五人の視線が彼女の笑顔へと集まった。
「良くできてますね。彼、“最新作”ですか?」
 誰も本当の事を話そうとする者はいなかった。
 花屋のオールキャストが、通路の向こうに揃っている。実を心配しているようだ。
 暇を告げ、去ろうとする一行を、実の声が追いかけた。
「あの、ドットさんの所へ行かれるようなら、伝言をお願いできますか? 言い忘れがあるんです」
 五人は足を止めた。
「『雨の日は、彼を中に入れてあげて下さい』って。そう、伝えて下さい。いつも皆で可哀相だって話してたんですよ」
 そう言って、ニッコリと彼女は笑った。あながち、案山子が花だと言ったのは、嘘ではないような気のする笑みだった。
 
 ■■ 案山子、雑貨屋へ帰る ■■
 
「ロボットかあ! そりゃあいい。まあ、いつも色々なモンを仕入れてるからねえ。そう思われたのかな」
 雑貨屋の主は動く案山子に、最後まで普通に受け止めた。周囲の者は、多かれ少なかれ何らかのカラクリがあると信じているようだが、この主はそれが単純にワラとホウキで出来た案山子だと知っている。
 この案山子にして、この持ち主あり、と言った所であろうか。
 ラウラは、呆れた眼差しを主に向けた。
「この案山子、このままでいいのかしら。除霊は必要?」
「除霊? とんでもない! こんなに面白いモンを。コイツはこのまま、『走る案山子』って名札をつけて、ウチの名物看板にするよ。いやあ、祖父さんも、いいモン作ってくれたよ。なぁ、カンタ!」
 ガハハハハ。
 主の大きな笑い声。
 その傍らで案山子は、いつもの場所に落ち着いていた。彼女からもらった最後の花を帽子に差し、壁に立てかけられて寒空を見上げている。
 文字でしかないその顔が、本の少しだけ寂しそうに見えた。
 
 ■■ 花はいつもその胸に ■■

 今日という日も、あとわずかで終わる。
 ゾロゾロと駅へ向かう道の途中で、慶悟は月を見上げていた。
「案山子が惚れた理由が、分かる気がするな」
「あら、そう?」
 シュラインはからかい気味の笑みを浮かべ、慶悟を見る。慶悟は銜えタバコの煙を吐き出し、微かな微笑を浮かべていた。
「男なんて単純なもんだ」
「女性以上に」
 葵もそれに同意する。
 たわいもない一言、小さな優しさ。恋に落ちる瞬間は、皆同じだろう。
 ラウラの目が朔羅へと向いた。彼女はずっと朔羅をからかう機会を狙っていたのだ。それが巡ってきたようだ。
「まさか、あなたもそうだなんて言わないでね、朔羅」
 笑いを含んだ少し意地の悪い声に、朔羅は立ち止まる。
「何故、私がそうだと言ってはまずいんだ」
「あなたは私の“部下”だもの。持ち駒に恋愛なんて必要ないわ」
「私は“部下”のつもりはない。単なる友人だ」
「言うじゃない。誰に向かってそんな口を利いてるの?」
 フフ。
 一色触発。
 ラウラの顔に怪しい笑みが浮かんだ。
 朔羅が東京湾の底へと沈んで行く姿を想像して、三下は慌てふためいた。
「まあ、待って、待って下さい! 暴力はいけません! 暴力はああ」
 三下は飛んだ。二人の緊張の合間に割り入るべく、格好いいヒーローのつもりで。
 しかし、二人は大人だった。何事もなかったかのように歩きだした。目標を失った三下は、素晴らしいスライディングをアスファルトにきめた。やや遅れてついてきた足が、パタリと落ちた。
「……手を貸したい所だけど、甘やかすのは良くないって言うし」
 シュラインは肩をすくめる。
「そ、そんなシュラインさあん」
「行くぞ。終電に間に合わない」
「ま、真名神さんまで」
 葵は微笑を浮かべて、三下を見た。見ただけだった。彼はシュラインに近寄ると、彼女を口説き始めた。
「シュラインさん。想像以上にステキな方だなぁ。挨拶が遅れまたけど、僕──」
「そ、相生さん……」
 冷たい地面、冷たい仲間。
 倒れたままの三下の頭上で、星が一つ静かに流れた。
 叶わなかった案山子の、小さな恋心を乗せて。
 
 三日後──月刊アトラス編集部。
「えぇ? また案山子が逃げた? 今日は三軒向こうのパン屋の子ですって? 昨日は斜向かいの喫茶店、一昨日は通りすがり。癖になった? もうウチはいいから直接、電話して頂戴。これからあの五人の連絡先を教えるから。いい? 一人目──」
 




                        終




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業 】
     
【0086 / シュライン・エマ(26)】
     女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
     
     
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
     男 / 陰陽師
     
【0579 / 十桐・朔羅 / つづぎり・さくら(23)】
     男 / 言霊使い
     
【0974 / ラウラ・M・オーカー(28)】
     女 / サイコセラピスト
     
【1072 / 相生・葵 / そうじょう・あおい(22)】
     男 / ホスト

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■         ライター通心          ■
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 こんにちわ、紺野です。
 大変遅くなりましたが、『案山子』をお届けします。
 少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
 
 さて、改めましてご挨拶を。
 ラウラ様、葵様、初めまして。
 この度は当依頼に参加して下さって、ありがとうございました。
 朔羅様、またお逢いできた事がとても嬉しいです。
 シュライン様、慶悟様、いつもありがとうございます。
 そして皆様……挨拶下手で、ごめんなさい(滝汗)
 感謝は言葉以上に……。
 
 案山子──なのですが皆様の所はいかがでしょうか?
 私は東京を離れてから、よく見るようになりました。
 案山子にも色々あるのですね。
 今までに見た中で、相当『悩ましかった』のは、
 原寸(?)のモー娘の顔が貼られた総勢十数人の案山子で、
 二番目は山奥にいた、ゾンビみたいなヤツです。
 
 話が長くなりそうですので、これで終了させて頂きます。
 
 
 それでは今後ますますの皆様のご活躍を祈りながら、
 またお逢いできますよう……
 
                紺野ふずき 拝