コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に
 奇妙な事件が巷を賑わし、排気ガスに混じってどこか血の臭いを感じるように物騒な昨今。
 人の死を読み上げるアナウンサーの無感動な表情から、大上隆之介は視線を歩行者用の信号へと戻した…と同時、赤から青へ切り替わるのに流れ出す人波に僅か出遅れる。
 先週末位からか、ニュースは専ら謎の神経症を報じ続けていた。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 少なからぬ死傷者の出ているその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないそれは、willies症候群と名付けられる。
 そしてそれは何故だか、とある地下鉄の沿線で立て続けに起きる為、周囲の方は充分に注意を…と、警戒を呼び掛けてニュースは次の話題、ダイエット食品の売れ行きへと切り替えるのを見届け、隆之介は漸く足を踏み出した。
 人波から突出した長身もさる事乍ら、その雰囲気が人目を惹く。野性味がありながら整った相貌を際立たせるような漆黒の髪は長く首の後ろで一つに纏め、生気を宿す薄茶の瞳が光の加減で僅かに金めいて色を透かす。
 いつもならば楽しげな微笑を浮かべるその口元が、事件の報に引き結ばれて精悍な表情に移り変わる。
 世論が意味を見出さずに公表される事なく埋もれていく情報、特に口伝で伝えられる物の中に真実が含まれているという事もある。
 事件が広がりを見せるにつれ、それに対する噂も多く耳に入る…けれども徒に流布するそれ等の中で、彼と、その知人達の間では、ある特徴を持った人物への警戒が厳に促されていた。
 それは西洋人の神父なのだという。
 ちなみに知人の中にも同職の者も居り、話の場でさんざ犯行動機を問われたりなどしたが、当然の如く彼ではなかった。
 それは噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめと」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる… 放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 場合に応じるだろうが、助力を惜しむ人間ではない自負もあるし、貸せる力なら普通の人間よりはありはする。
「でもなぁ」
珍しく、気乗りがしなかった。
 それは決して彼女好意…というよりも神父を敬う純粋さにナンパしようとしても一蹴すらされなかったからでは決してない。多分。
 なんとなく、きな臭い気がしたのだ。
「でも、見つけちまうんだよな…」
そう、隆之介は同じ特徴を持つ神父の姿を見つけ、人に紛れて後を追っていたのだ。
 その後ろ姿が件の沿線へと向かう地下鉄に足を踏み入れるのに、歩調を早める…傍らの路地の壁面、空調が生み出す生暖かな風に髪を乱され、大上隆之介は埃臭いそれを吸い込まないように息を詰めた、視線の先に。
 見慣れ始めた黒い皮コートの姿があった。
「ピュン・フー……」
口中に名を呟く。
 身を異形に蝕ませて平気で笑い、会話を楽しむ事も、人を傷つける事も同じ引き出しに放り込む、赤い瞳を持つ青年。
「変…って事に関しちゃ人の事言えねぇけど…」
ガリ、と後頭部を掻いて、こちらに気付かぬままで地下鉄へと降りていく姿を見送り、隆之介は盛大な溜息をついた。
 自称・テロリストな彼が今この場に姿を現すのはなんとも…符号としてみるに都合が良すぎる。
「どっちにしろ、放っとくワケにもいかねぇか」
神父の居住を確かめるだけのつもりだったが。
 隆之介は足早に、階段を下り始めた。


 構内に人の姿は少ない。
 話題になっている為か、それても平日の午前中である為か次の電車を待つ者は十数人。
 そのうちに女性は三人、全員隅に踞って震え、男はそこここで倒れ伏す姿が見えるのみ。
「あれ?隆之介じゃん。今幸せ?」
思わぬ出会いにか、先に構内に降りていたピュン・フーが朗らかな声を上げた。
「ぐーぜん、こないだ紹介したコ、良かったろ?」
ひょんな貸し借りで女の子を紹介して貰っていたのに、隆之介は思わず乗ってしまう。
「あー、よかったなーステラちゃん♪ナイスバディのブロンド美人だしジョーク分かるし可愛いし、25歳っても若いよなー…」
「あれ?ステラ、ホントは29だぜ?」
「えっマジ!?衝撃の事実って馬鹿野郎!ステラちゃん人妻だったじゃねぇか!」
知ってる中で一番イイ女を、という隆之介の要望に応えての紹介だったのだが、彼女は既に人のモノだった。
 紹介したピュン・フーはとっとと消えるし、楽しい時間ではあったが新婚ほやほやだった彼女にしっかり惚気られてしまっていた隆之介である。
「それよか、その手に持ってんのなんだよ」
「森本」
紺の制服は警察官の…ピュン・フーが掴んだ襟だけで支えられていた身体は、手を放せば無造作に床に転がる。
 ピュン・フーの肩越に、淡い金の色が見えた。
 先ほどまで隆之介が追っていた神父がホームの中央、こちらに背を向けて立つ。
「…憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような聖句が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱えた。
 同時に脅えていた女性に変化が起こった。
 瞳が焦点を失い、中空に向かって恐怖の叫びを放つ。
「おい…ッ!」
思わず走り出そうとした隆之介だが、ピュン・フーに行く手を阻まれた。
「仕事の邪魔、しねぇでくれる?」
笑う瞳が紅い。
「何?テロリストって本当だったんだ?またえらく変ったテロみたいだけど」
努めて口調は軽く、隆之介はピュン・フーの言を受ける。
「で。ピュン・フー達はいったい何がしたい訳?テロって言うからにはそれなりの思想とかがある訳だろ?」
暗みを持つ紅を真っ直ぐに見据える瞳が怒りに鋭く、強く、金に変じる。
「この方法はちょっと頂けないね。女を傷付けるやり方はよ」
右から掬うように、避けるに難しい胴を狙って拳を突き出すが腕を払われて力が逃げる。
 それに止まらずに突き出す掌底に顎を取られまいと後進するピュン・フーの動きを追って踏み出した勢いに足を軸に蹴りで胴を横から薙ぐ。
「…へぇ、隆之介強いじゃん」
その一連の動きが交わされた一瞬の間、隆之介の蹴りを腕で防いだピュン・フーがニ、と笑った。
 その爪が鉱物の鋭利さで伸び、翻す手首の動きが狙うのは、隆之介の喉。
 致命傷を狙った攻撃を避けようと咄嗟に翳した腕が裂かれ、痛みが弾けるのに隆之介は呻きを洩らした。
「おやめなさい」
そこで止まらずに更に一撃を加えようとしていたピュン・フーを止めたのは先の神父だった。
「祝福すら得られぬお前如きが、救済の意を阻むのは許しません」
「つったって、ヒューの術を邪魔させねぇのが俺の仕事だろ?お前弱ぇし」
ピュン・フーの言は無視したまま、神父はゆっくりと振り返った。短く刈り込まれていても柔らかな金髪の頭を軽く振ると、神父…ヒューは閉じたままの目蓋を開けた。
 焦点を結ばない瞳は、青。
「初めまして…私はヒュー・エリクソンと申します。隆之介さん…でしたか?思想、と仰いましたね」
コツ、と白い杖先が床を探る。
「救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
「…こんな救いがあるかよ!」
謂われのない恐怖で心の内から蝕む、救いが。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか…中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する…けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
その恩恵を、現代の人々にも。
「思わない」
即答した隆之介に、ヒューはやはりといった感じで笑みを浮かべた。
「なら、隆之介さんの思想は如何なものでしょう?」
会話の間に、ピュン・フーは肩を竦め、ヒューのに付き従う位置に立った。
 隆之介は今はじくじくとした痛みに気を散らす傷口から溢れる血を手で押さえ、言葉を探す。
「俺は…俺にはまだ東京でやらなきゃいけない事があるからな」
「ナンパ?」
「そう、ナンパ…って違うっつの!人が折角シリアスに…」
その場にしゃがみ込んで、ぐりぐりとのの字を書く…己の血で床に赤く後が残るのはちょっと洒落にならない。
「ピュン・フー黙ってなさい」
穏やかに、だがぴしゃりとヒューははねつけて先を促す。
「失った記憶の欠片が…手掛りがどこかにある筈なんでね。俺的にとっても困る訳よ」
しゃがんだままで見上げる、光を透かして金の瞳。
「だから…悪いけど今回は邪魔させてもらう。ピュンピュンの事割と好きだし正直遣り合いたく無いんだけどこれはちょっと譲れないかな」
「ピュンピュンゆーな!」
確信的な隆之介の発言にピュン・フーが口を開いた瞬間、ヒューの杖が弁慶の泣き所を強かに殴りつけた。
「砂漠に真珠を求めるような話ですね」
ヒューは首を傾げる。
「貴方と私の行動は交わらないという事が理解出来ました。貴方の記憶が取り戻せる事を…貴方にとっての救いが得られる事を祈っています」
胸の前で小さく十字を切るヒューに、女性達は糸が切れたように意識を失って倒れた…何らか
の術を、解いたようだ。
 ヒューはそのままゆっくりと、地上へ抜ける階段へと向かって…隆之介に向かって歩を進める。
 応じてピュン・フーが隆之介とヒューとの間を阻む形で従うのに、隆之介は無事な手で膝を払いながら迎えるように立ち上がった。
 すれ違う一瞬に、平静を装いながら空気は緊迫する。
 けれど、双方共にそれ以上動く事はなかった。
 二人分の足音が遠ざかるのを聞き…隆之介はその場にストンと座り込む。
 血に塗れた掌を開閉すれば軋む感触で、乾きかけた血が動きを阻んだ。
「つっかれた…」
身体が、己で思う程に動かなかった。
 何かに抑制されていると特に感じるのはこんな時だ…考えた通りに動かないのがもどかしく、それ以上に思うように動かないのがおかしいと感じる自分も理解出来ない。
 他者の恐怖を植え付けられるのと、身の内に違う己を感じるのと…どちらが怖いのだろう。
 対する救いが何であるのか…形の掴めないそれを求めている自分を、隆之介はいつになく強く感じていた。