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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・仮面の都 札幌>


調査コードネーム:黄昏  〜邪神シリーズ〜
執筆ライター  :水上雪乃
調査組織名   :界鏡線シリーズ『札幌』
募集予定人数  :1人〜4人

------<オープニング>--------------------------------------

 火の手があがる。
 閃光と爆炎が空を焦がし、地上は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
 北の拠点都市に、いま、崩壊の慟哭が響き渡っていた。
 一連の事件の首謀者と目される少女が拘禁され、誰しもが解決を予感していた。
 だが、札幌は巨大生物の攻撃にさらされている。
 邪神と呼ばれる、不条理を具現化したような存在だ。
 蛸とも烏賊ともつかぬ頭部をもった怪物。
 幾人かが、それの名を知っている。
「第三突撃大隊! 全滅しました!!」
「第一猟兵大隊も通信途絶! 戦線崩壊の模様!!」
「なんとか持ち堪えさせろ!!!!」
 悲鳴と化している報告に怒鳴り返しているのは、三浦陸将補という人物だ。
 実績、人望、ともに備えた有能な指揮官ではあるが、さすがに今回ばかりは荷が勝ちすぎるのかもしれない。
「もう少しだ! もう少しだけ持ち堪えれば、嘘八百屋があいつらを連れてきてくれる。一気に逆転できるぞ!!」
 必死に部下たちを鼓舞する。
 指揮を執る者は、ときとして自分でも信じていないようなことを口にしなくてはならない。
 三浦が待ち望む人間たちがあらわれたからといって、戦局に劇的な変化があるとは思えなかった。
 今までの敵とは格が違うのだ。
 それでも、
「絶対……守り抜いてみせる」
 鋭い眼光を、怪物に投げつける三浦。
 クトゥルフと呼ばれる怪物に。





※邪神シリーズ最終回です。
※バトルシナリオです。推理の要素はありません。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日と木曜日にアップされます。
 受付開始は午後8時からです。

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黄昏

 ごうごうと渦を巻き、風が唸る。
 狂風という表現にふさわしい風。
 冬を目前に控えた札幌の地は、ときならぬ嵐に見舞われていた。
 人工の嵐である。
「もうすぐです‥‥まもなく、我が主がおみえになります‥‥」
 額に汗を浮かべた青年が笑みを浮かべる。
 大通公園。
 邪神の来襲により、街には避難命令が出され、常ならば人であふれた公園も空白地帯となっている。
 そしていま、閑散とした公園に不気味な呪が流れていた。
 呪を紡ぐものたちを、名状しがたき教団という。
 けっして歴史の表舞台には現れない、秘密教団だ。
 崇めるのは、邪神ハスター。
 とある神話の中で語られる異世界の邪神である。
 そして、現在、札幌を襲っている邪神‥‥クトゥルフの敵対者であり、異母兄弟たる存在だ。
 それを、彼らは遠くヒヤデス星団から呼び寄せようというのだ。
 ばかげた夢想だろうか?
 然らず。
 もともと、ハスターとクトゥルフでは召喚のための星辰条件が近い。
 まして、この地にはクトゥルフのみならず、ブラックファラオまで存在しているのだ。
 凡庸なものには判らぬだろうが、むせかえるほどの魔力が北の拠点都市を覆っている。
 これほどの条件はまたとない。
「ふふふ‥‥自衛隊が時間を稼いでいる間に、こちらは為すべき事を成してしまいましょう‥‥」
 黒髪の小柄な青年が呟く。
 彼の名は星間信人。
 肩書きは、図書館司書である。
 裏の顔は、
「そこまでだ。邪神ハスターの使徒」
 突然、男の声が星間の聴覚域に割り込んできた。
「やれやれ。我が主を邪神呼ばわりとは。いくら武神さんでも失礼の度が過ぎるというものでしょう」
 悠然と振り返る。
 見知った顔が黒い瞳に映った。
 かつては仲間として共闘し、ついに袂を分かった男。
 武神一樹の顔が。
「人に仇なす神を邪神と呼ばぬとしたら、そもそも邪神などという言葉は必要あるまい」
「あなたたちの小さな価値観で物事をとらえては困りますね」
 じりじりと距離を詰める二人。
 黒髪黒瞳の調停者の手には、天叢雲の剣が握られている。
 一方、星間は徒手空拳である。
 本来なら勝負になるはずがない。
 だが、星間は怯まず、武神は踏み込もうとしなかった。
 調停者として、あるいはハスターの使徒として、相手の実力が判るだけに、先に動くことを躊躇うのだ。
「‥‥ところで、お一人ですか?」
「回りくどいな。奈菜絵のことが気になるか?」
「ええ。サカナ女は主に捧げる贄ですから」
「それならば、俺の答えは知っているだろう」
「もちろん判りますとも」
「ならば、問う必要はあるまい」
「全くです。ところで‥‥」
 さらに何か言おうした星間が、大きく飛びさがる。
 白銀の剣光が、一瞬前まで司書のいた空間を切り裂いた。
「悪いが、時間稼ぎに付き合うつもりはない」
 笑いもせずに言いつのる武神。
「やれやれ。せっかちですねぇ」
 懐から広刃のナイフを取り出す星間。
 瞬間、二条の光が衝突し無明の火花を飛び散らす。
 剣とナイフが絡み合い、互いの息がかかりそうなほど男たちの顔が急接近した。
「貴様が不安になるのももっともだ。俺より強いさくらが奈菜絵のガードについているのだからな」
「さて、それはどうでしょうね」
 猛々しい冷静さと毒々しい微笑がぶつかり合い、飛び離れる。
 双方の後退によって開いた距離は、だが、すぐさま双方の突進によって埋められた。
 再び絡み合う剣光。
「魔闘會というものをご存じですか?」
 唐突に星間が話題を変える。
「夏に札幌で催されたイベントだ。それがどうした」
 疑問を感じつつ武神が応えた。
 剣がぶつかる澄んだ音が響き渡っていなければ、茶飲み話のような気軽さである。
「あの大会を主催したのは我が教団です。そして大会の参加者一四名が、サカナ女を捕獲に向かっています。いくらさくらさんといえども」
 穏やかな微笑で言い切る。
「貴重な情報だな。そんなことを教えて良いのか?」
「もはや貴方にとっては意味のない情報ですから」
「そうか。では俺も、貴様にとって意味のない情報を教えてやろう」
 剣とナイフ、魔力と神法が鬩ぎ合う。
「べつにいりませんよ」
「まあ、そういうな。あの大会の優勝者を知っているか?」
「京極山とかいう力士です。それがなにか?」
「その正体は、さくらだ」
「な!?」
 意外な事実に邪神の使徒が狼狽し、極小単位の隙が生まれる。
 そしてそれは、調停者にとって付け入るに充分な隙だった。
「破!」
 天叢雲が閃き、星間のスーツが切り裂かれる。
 だが、図書館司書はぎりぎりのところで回避に成功していた。
「ちぃ!」
 思わず口をついて出た舌打ちは、どちらが発したものか。
 星間が体勢を立て直そうと後退する。
 好機を見て取った武神がたたみかける。
「もう一つ良いことを教えてやる。さくらは一人ではない、師ともいうべき人物を伴っている」
「‥‥どなたですか?」
「そこまでサービスしてやる義務はないな」
 めまぐるしく体勢が入れ替わる攻防は、調停者が有利になりつつあった。
 精神的な優勢を確立したものの強みであろう。
 ここで油断するようであれば、武神にも「可愛げ」というものがあるのだろうが、残念ながら、それほど甘い相手ではあるまい。
「とはいえ、僕が完全に不利になったわけではありません」
 内心に言い聞かせる星間。
 虚勢ではない。
 この深刻で滑稽な生き残り(サバイバル)ゲームにおいて、最も有利な位置にあるのが星間の陣営なのだ。
 なにしろ、ほとんど無傷の戦力を温存する唯一の組織なのだから。
 追いつめられているように見えて、邪神の使徒は、いまだ勝算を失っていない。


「まったく! なんなのよ一体!!」
 降り注ぐ瓦礫を避けながら、巫聖羅が怒鳴り声をあげる。
 自衛隊真駒内駐屯地である。
 雪のように白い肌が、興奮と怒りに色づいていた。
「‥‥すみません。なにといわれましても、邪神の攻撃だとしか申し上げようがありませんが‥‥」
 嘘八百屋という名の諸悪の根元が申し訳なさそうに告げる。
 むろん、聖羅としては、この男に謝られたところで嬉しくもなんともない。
「そんなのは見れば判るわよ!」
「はあ‥‥」
 激戦の舞台であるはずなのだが、どことなく間の抜けた会話であった。
 そもそも、一介の女子高生がこんなところにいる方がおかしい。
 たとえ、あの浄化屋の妹だとしても、である。
「兄貴が体調悪いっていうから、代わりに来てみれば!!」
「はあ‥‥それで巫さまの容態は‥‥」
「ぴんぴんしてるわよ! ただの食あたりなんだから!!」
「‥‥それはようございました‥‥」
「よくないわよ! なによ! 自分たちばっかりイチャイチャイチャイチャして!!」
 なんだか怒りの方向性が一定していない。
 兄の方は猫科の猛獣を思わせるが、妹は、まず性格的に猫なのかもしれない。
 むろん、嘘八百屋は余計なことを言って、火に油を注ぐようなことはしなかった。
「と、とにかく、巫さまの代わりを務めていただけるなら、これに勝ることはありません。どうかよろしくお願いいたします」
 えらく無難なことを言う。
「やるわよ! やればいいんでしょ!!」
 怒鳴りつけながら、和装の男から得物をひったくる聖羅。
 どうやら覚悟は決まったらしい。
 自棄、という言い方もできるが。
 滅多に連絡もよこさない兄に呼び出されて来てみれば、まるで怪獣大戦争のようなありさまだ。
 あげく、呼び出した本人は恋人の看護でだらだらしている。
 聖羅でなくとも機嫌が悪くなろう。
 もっとも、不機嫌になったところで事態の解決には一グラムも寄与しない。
 そのあたりの割り切りができるのが、聖羅が普通の女子高生と一線を画する部分だろう。
 聖羅のもう一つの顔。
 反魂屋、という。
 兄とは反対の属性である。
『ほっほっほ。威勢がよいの。小娘』
 突然、聖羅の意識野に声が響いた。
「‥‥だれよ? あんた」
『儂か? 儂は貞秀じゃよ』
「‥‥インテリジェンスソード‥‥」
 茶色い髪の反魂屋が呟きを漏らす。
 それは、伝説にのみ語られる存在。
 魂の宿りし剣。
「あたしに使えるかな‥‥こんなの‥‥」
『さっきまでの威勢はどうした? そなたの兄は使いこなしておったぞ』
 笑いを含んだ意識が伝わる。
「えぇ!?」
『驚くほどのことではない。さすがに兄妹よの。霊力が良く似ておるわ』
「そういう問題じゃないような気がするけど‥‥」
『ほれ。長々と会話を楽しむ余裕はないぞ。自衛隊が壊滅しかかっておる』
「判ってる‥‥いくわよ!!」
『応!』
 気合いの声と共に、聖羅は血戦の舞台へと飛び乗った。
 兄の愛刀を携えて。


 真駒内駐屯地内部。
 戦火の音が高く低く響いてくる。
 閑散とした地下通路を、一人の男が歩いていた。
 浅黒い肌。漆黒の瞳。口元を彩る笑み。
 ブラックファラオという。
 目的地は、もうすぐそこだ。
 だが、青年の足が止まる。
「‥‥出てきたらどうだい? 気づかれていない思っているわけじゃないんだろう?」
 誰もいない廊下に向かって語りかける。
 まるで友人を茶会に誘うような気軽さで。
 ややあって、戦装束をまとった女性が姿を現した。
 天照大神が光臨したしたかのようなりりしい姿は、草壁さくらである。
 体ほどもある大剣を、軽々と持っている。
「ふふん。エクスカリバーか。それで僕を倒せるとでも?」
「何事も、やってみなくては判りません。もっとも、貴方が多弁なっているということは、恐れているからかもしれませんね」
 鈴を鳴らすような笑声をたてる金髪緑瞳の美女。
 むろん、ブラックファラオは笑いに感応しなかった。
「悪いんだけど、キミと遊んであげるほど暇じゃないんだ。通らせてもらうよ」
「ところが、貴方を奈菜絵さんに会わせるわけにはいかないんです。こちらも」
「あ、そう。人の恋路を邪魔する子には、お仕置きが必要だね」
 ブラックファラオの手にシミターが現れる。
 次の瞬間!
 大剣と三日月刀が正面から衝突していた。
「貴方が恋をなさるとは、寡聞にして知りませんね」
「そうかい? じゃあ世の中は驚きの連続だろう。老後の楽しみできて結構なことだね」
「全くですね。老後を心配する必要のない貴方には判らないでしょうが」
 辛辣な皮肉の応酬をおこないながら、互いの得物をぶつけ合う二人。
 切り裂き、薙ぎ払い、突き上げ、斬り下げる。
 互角‥‥。
 余人にはそう見えるかもしれない。
 だが、金の髪をもつ妖狐は、自分が圧倒的に押されていることを知っていた。
 もしもブラックファラオが全力で戦ったら、勝負など一瞬でついてしまう。
 そうならないのは、青年の性格のせいと、なによりこの建物に奈菜絵が囚われているからだ。
 ここは霊峰カムイヌプリの護り手たちが張り巡らせた結界で守られている。いかなブラックファラオをいえども、お得意の転移能力は使えない。
 それが、さくらにとって唯一の勝機だった。
 体力勝負、剣技勝負に持ち込めば、たとえ異界の神であろうとも、絶対的な強さなど発揮できない。
「破!」
 高く飛んださくらが、必殺の一撃を放つ。
「あまいよ」
 軽くいなしたブラックファラオが、カウンターで妖狐の腹部に回し蹴りを叩き込んだ。
 小さな悲鳴を残し、後に吹き飛ぶさくら。
 二転三転と転がり、一〇歩ほどの距離をおいて再び対峙する。
 造形美を極めたような唇から、赤い雫が滴っていた。
 今の一撃で、内蔵に達するほどのダメージを受けたのだ。
「肉弾戦なら僕に勝てると思ったのかい? さすが狐の浅知恵だよ」
「浅知恵でけっこうです‥‥それでも私は‥‥私と一樹さまが愛するこの国を、貴方たちのような存在の好きにさせるわけには参りませんから」
 さくらが微笑する。
 怒りよりも凄味のある笑いがあるとすれば、まさにこれがそうであった。
「理想に殉じるってわけだ。立派立派」
 だが、その決意すらも、ブラックファラオは嘲笑する。
 無造作にシミターを構える。
 さくらもまた、のろのろとエクスカリバーを構え直した。
 ひどく腕が重い。
「せっかくの覚悟からねぇ。感動して、せいぜい派手に殺してあげるよ」
 一歩進み出る青年。
「死ぬのは‥‥」
 さくらの唇が言葉を紡いだ。
「貴方です」
 そして言葉の後半は、さくら以外の唇から発せられる。
 閃く剣光。
「グ、ガァァァァァァァ」
 獣のような絶叫。
 血しぶきをあげて宙に躍るシミターを握った右手。
 中国史に登場する妖剣が軌跡を彩る。
 それでも彼は、ぎりぎりのところで回避したのだ。
 後背からの一撃は、本来、ブラックファラオの頸を斬り落とすはずだったのだから。
「久しぶりですね。ナイアラーホテップ」
 のんびりとした声が響く。
「‥‥貴様‥‥玉藻‥‥」
「その名はすでに捨てました。でも、忘れてられていなかったことは感謝すべきなのでしょうね。誰に対してかは知りませんが」
 黒い瞳に憂愁の色をたたえ、玉ちゃんが微笑する。
「‥‥生きていたのか‥‥?」
「死んでいましたとも。でも、貴方がまた騒ぎ出すとあれば、ゆっくり地下で眠っているわけにも参りません」
 嫣然と笑う。
「く!」
 ブラックファラオが身を翻した。
 逃げたのだ。
 あのブラックファラオが。
 その事実は衝撃となって、さくらの追撃をわずかに鈍らせた。
 とっさに繰り出した大剣の一撃も、青年の影を貫いたにとどまる。
「ぁ‥‥」
 そのまま床に膝をつくさくら。
「大丈夫ですか? 櫻姫」
 玉ちゃんが歩み寄ってきた。
「大丈夫です‥‥それより、あのものを追わなくては‥‥」
「良いのです。追ったところで逆撃を受けるだけのこと。いまはあなたの手当の方が先ですから」
「でも‥‥」
「わたくしたちが彼に勝てるのは、この建物の中だけ。それは櫻姫‥‥いえ、さくらさんも知っているでしょう?」
「‥‥はい、玉姉さま‥‥玉ちゃん」
「傷を癒して差し上げます。でないと次は死んでしまいますよ」
「つぎ‥‥?」
「おやおや。まだ修行が足りませんねぇ。見えませんか? ここに向かう悪意の群が」
 徐々に間延びしたいつもの玉ちゃんに戻っていく。
 思わず微苦笑を浮かべるさくらだったが、すぐに表情を引き締めた。
 彼女も感じたのだ。
 この建物に向けられた、はっきりとした意識を。
「これは‥‥魔闘會のときの‥‥」
 そして伝わる、知人の気配。
「‥‥そうですか‥‥なるほど‥‥」
 さくらの脳裏で、方程式が完成していた。
 あの男だ。
 黒髪の小柄な青年が計略を巡らせた結果なのだろう。これは。
「判りましたか?」
「はい。どうやら遠慮して勝てる相手ではないようです」
「そうですか。先ほどのように罠にはめる、というのはできないのですね」
 さくらの作戦で、ブラックファラオを撃退には成功した。
 だが、いまからでは罠の作りようがないし、そもそも相手が単数ではない。
 無理な注文だった。
 ゆっくりと頭を振るさくら。
 もう傷の痛みは消えていた。
「では、正攻法で行きましょうか」
「はい」
 帝王剣と妖剣を携えた金髪の美女たちが歩き始める。
 奈菜絵の囚われている部屋へと向かって。
 人数差がある以上、ターゲットの最近距離でガードするしかない。
 その程度のことは話し合わなくとも通じている二人であった。
「玉ちゃん‥‥」
「はい?」
「ごめんなさい。巻き込んでしまって」
「もみじまんじゅう」
「え?」
「広島のもみじまんじゅう。それで手を打って差し上げますよ」
「‥‥はい☆」
 にっこりと笑う玉ちゃんにつられるように、さくらが満面の笑みを浮かべた。


 不気味な光景が、地上に現出していた。
 邪神の眷属と互角に戦う自衛隊。
 どれほどの傷を受けても前進をやめない兵士たち。
 腕が千切れても、頭が吹き飛んでも戦い続ける。
 不死身の戦士(アンデッドウォリアー)。
 いかな邪神といえども生物だ。
 不死者相手では分が悪いというものだろう。
 むろん、これには事情がある。
「ごめんね‥‥みんな。死んでからまで戦わせて‥‥」
 聖羅が呟いた。
 彼女の特殊能力は反魂だ。
 ようするに、この世を去った魂を強引に呼び戻すのである。
 死人使い、という表現方法もできる。
「気にすんなや。嬢ちゃん。このまんまだったら犬死や。せめてあのバケモンに一太刀浴びせたいやないか」
 呟きを聞いた無名の隊士が、そう告げた。
 そしてその隊士も、ゾンビとなって邪神と戦っている。
「‥‥つらい‥‥よ‥‥こんなの」
 膝が崩れそうになる。
 戦闘開始から数時間。
 戦っている自衛隊員の数は減っていない。
 だが、生きている自衛隊員は、すでに半分を切っているだろう。
 ここまでしなくては勝てないのだろうか?
 こんな、何の救いもない戦いを繰り広げてまで、この国を守らなくてはならないのだろうか?
 死者に鞭打ってまで‥‥。
「あたし‥‥」
『では、邪神どもの手の内に落ちた方がましと思うか?』
「‥‥‥‥」
『命を捨てて戦った兵(つわもの)たちは、ただの犬死だの。これでは』
「‥‥だって‥‥」
『しゃんとせぬか。これ以上、人死にを出したくなければ、そなた自身で決着をつければよいこと』
「あたし‥‥ただの女子高生なんだよ! あんなバケモノ相手に戦えないよ!!」
『やれやれ。困った小娘だ。そなたの兄はけっして怯んだりしなかったぞ』
「‥‥兄貴‥‥」
『どんなに追いつめられても、どんな逆境に立っても、けっして諦めたり投げ出したりしなかったぞ』
「そんな‥‥」
『とはいえ、そなたの若さでは仕方あるまい。ここは儂が少しだけ力を貸してやろう』
「なにをする気‥‥?」
『今風に言えば「黒貞秀モード」じゃ』
「‥‥そんなの今風じゃないよ」
 聖羅が意味のない反論を試みている間にも、貞秀の刀身が黒く染まってゆく。
 それは無明の闇。
 一片の光の存在すら許容しない、常闇。
 赤い瞳の反魂屋の右手にわだかまる漆黒の刃。
「これ‥‥」
『‥‥これなら邪神どもと互角以上の戦いができるはず‥‥じゃ‥‥』
「ちょっと貞秀!? どうしたの!?」
『儂の全霊力を負の力に転化した‥‥聖羅よ‥‥愚孫に‥‥灰滋に伝えてほしい‥‥そなたは我が孫を託すに足る男だとな‥‥」
「ちょっとぉ! 貞秀! 貞秀ったら!!!」
 だが、聖羅の呼びかけに、貞秀は応えなかった。
 もう刀匠貞秀は、存在しない。
 純粋なパワーとしてしか。
 インテリジェンスソードという呼称は、もはや適当ではない。
 知性はすべて力となった。
 それは、荒ぶる神の力。
 邪神を滅ぼし、大切なものを守るための祈りの力。
「‥‥わかったよ‥‥あんたがここまでしてくれたんだ。あたしが動かなきゃ女がすたる‥‥そういうことだろ? 貞秀」
 誰にともなく宣言した聖羅が、ゆっくりとクトゥルフに向けて歩き出す。
 限りなき負の力を身に纏って。
 邪神の触手が、次々聖羅に襲いかかる。
 生きている自衛官たちは、茶色い髪の女子高生が触手に貫かれるのを幻視したかもしれない。
 しかし、それは現実にはならなかった。
 彼女に触れた触手が、まとめて消滅する。
 爆発でも蒸発でもなく、消滅である。
 苦悶に身をよじる水の邪神。
「‥‥無駄だよ。この闇は扉だから。黄泉平坂への」
 冷然と聖羅が続ける。
「初対面だけど、そろそろあんたの変な顔にも飽きてきた。そろそろ消えてくんない?」
 クトゥルフが怒りと恐怖の絶叫をあげる。
 そう、邪神は恐怖を感じていた。
 たかが人間に。
 その事実はますますクトゥルフをいきり立たせる。
「怖い? そう‥‥でもね、それはあんたに殺された隊員のみんなも同じ。ふふ‥‥どうやらあんたが金を借りた相手は、高利貸し(アイスキャンディー)だったみたいだね」
 ゆっくりと、聖羅が貞秀を振りかぶった。


「貴様の負けだ! 星間!!」
 武神の叫びとともに、小柄な青年の手からナイフが飛んだ。
「く!?」
 どちらが勝つともしれぬ死闘に、決着のついた瞬間であった。
 同時に、真駒内方面の戦火も沈静化しつつある。
 大勢は決したといって良いのだろう。
 むろん、ここ大通りから、戦局全体が見えるはずもない。
 それでも、武神は戦略的センスによって、星間は卓抜した知性によって戦局を俯瞰する事ができた。
 そしてそれは、一方に勝利の実感を、他方に失望を与えた。
「結局、ご自慢の精鋭部隊は奈菜絵を連れてこれなかったな。ブラックファラオをクトゥルフの気配も消えつつある」
「‥‥‥‥」
 贄もなく、触媒としての邪神たちの力も急速に萎んでいる。
 もはやハスターの来臨は、不可能とはいわないまでも至難だった。
「‥‥矛を収めないか? これ以上の戦いは無意味だ」
 静かな声で、調停者が譲歩する。
 はじめから譲歩すれば無用の血は流れなかった。
 その認識は武神の心に苦い。
 だが、一定以上の勝利を得た後でなくては、相手を交渉のテーブルにひきずり出すことができないのも、事実だった。
「‥‥もし断ったら?」
「そのときは‥‥全力を挙げて貴様を討つ」
「できるとお考えですか? そんなことが」
「たしかに魔術戦となれば俺に勝ち目はない。だが、それでもこの国を、邪神の自由にはさせない」
「‥‥やめときましょう。僕はこの国に何の興味もないですから。そんなものを賭けて戦うのは、ばかばかしすぎます」
「‥‥そうか」
「じゃあ、僕たちは退去します。まさか追撃などかけないでしょうね」
「むろんだ」
 そんな余力など残っていない、と、武神は心の中で付け加えた。
 水の眷属と風の眷属によって、散々に打ちのめされた街。
 ぼろぼろに打ち減らされた自衛隊。
 復興には、どれだけの歳月と費用が必要であろうか。
 どうやら勝利に終わったとはいっても、手放しで喜べる状況ではないのだ。
 星間のハスター教団を逐う余裕など、あろうはずがない。
「それでは、またお会いすることもあるでしょう。そのときまでご壮健で」
 ほとんど傲然と胸をそらし、邪神の使徒が歩み去ってゆく。
 いつものスーツはあちこちが切り裂かれ、体の各所からは血を流しながら、それでも歩調は、敗者のそれではなかった。
 そう。
 べつに彼は敗北などしていない。
 自衛隊、奈菜絵の陣営、そしてハスター教団。
 もっとも損害の少なかった組織はどれか。
 曰く、ハスター教団である。
 鼎立する三者のうち、最大の利益を得たものはどれか。
 曰く、ハスター教団である。
 自衛隊は損害から立ち直るのが容易ではない。
 そしてなにより、水の邪神どもの陣営の損害は、筆舌に尽くしがたいだろう。
 主導者たる奈菜絵を自衛隊に押さえられ、最大の実力者であるブラックファラオは能力のほとんどを失い何処かへと逃亡した。部下と愛人を見捨てて。
 クトゥルフもまた、封印されたか滅ぼされたか。
 いずれにしても星間が生きている間に復活することは、もはや不可能だろう。
 唯一残念なことはハスターの来臨が叶わなかったことだが、水の邪神が傷を受けたのに対して、風の邪神は揺るぎなく健在である。
 クトゥルフの復活は阻止できなかったものの、その眷属どもには壊滅的な打撃を与えた。
 たとえ成したのが教団でなくとも、である。
 大切なのは結果であり、過程ではなかろう。
「とはいえ、これを勝利と称するのは些か情けないですね。まあ、痛み分けというところにしておきましょうか」
 あるいは星間の胸中には、そのような思いが去来していたのかもしれない。
 相変わらずの古拙的な微笑からは、推し量ることができなかった。
 武神の聡明さをもってしても。


 済んだ音を立てて、日本刀が地面に落ちる。
 鍛え抜かれた鋼の刀身は、あちこちが刃こぼれし見るも無惨な姿と成り果てていたが、それでも、色はもとに戻っていた。
 聖羅もまた、どっかりと地面に腰をおろす。
 疲れた。
 とにかく眠りたかった。
 何もかも忘れて。
 だが、まだ眠るわけにはいかない。
 破壊された基地の再建も、戦死者の弔いも、これからの課題なのだから。
 クトゥルフの封印に成功したとはいえ、まだまだ休めるわけがない。
「あらあら。随分ぼろぼろになってしまいましたねぇ」
 女性の声が、聖羅の耳道に滑り込んだ。
 けだるげに顔を動かすと、金髪の美女が二人、彼女のそばにたたずんでいた。
 姉妹のように似ているが、背の低い方の瞳は黒く、高い方は緑玉のような瞳だ。
 たしか戦いの前に紹介されたのだが、名前が出てこない。
「えっと‥‥」
「さくらです」
「玉ちゃんと呼んでくださいな」
 微笑を浮かべながらもう一度、自己紹介する人ならざる美女たち。
 しかし、さくらの注意は、むしろ、ただの日本刀と化した貞秀に注がれていたといって良い。
「いってしまわれたのですね‥‥貞秀さま」
 寂しげな呟き。
「ごめん‥‥あたしがもっとしっかりしていれば‥‥」
 思わず謝る聖羅。
 ただ、謝罪する相手が違うかもしれない。
 所有者の嘘八百屋か、使用者の浄化屋にこそ罪は謝するべきだろう。
 むろん、さくらはそんな余計なことは口にしなかった。
「‥‥もののふとして死場所を得たのです。幸せなことなの思いますよ。きっと」
 玉ちゃんの唇が動く。
 仮定形にとどめたのは、あるいは一般論にとどめたのは、彼女なりの配慮なのかもしれない。
「そうだね‥‥」
 聖羅が微笑した。
 無理に笑っているのは明白だった。
「ところで、奈菜絵さんの処分はどうなるのでしょうね?」
 やや唐突にさくらが話題を変える。
 それに対する答えを、聖羅も玉ちゃんも持ち合わせてはいない。
 応じたのは、べつの人物である。
「は能力と記憶の永久封印。これしかないかと。まさか死刑にするなどというわけにも参りませんし」
 嘘八百屋だった。
 彼女ら三人に劣らぬほどぼろぼろの姿ではあるが、歩調も口調もしっかりしている。
「そうですか‥‥」
 さくらが頷いた。
 甘いとも厳しいとも言わなかった。
 きっとそれは、人が考えるべき事だから。
 少しだけ寂しげに笑う。

 冷たく湿った風が髪をなぶってゆく。
 沈みかけた夕日が、四人の影を長く細く、大地に映しだしていた。





                          終わり


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0377/ 星間・信人    /男  / 32 / 図書館司書
  (ほしま・のぶひと)
0173/ 武神・一樹    /男  / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店主
  (たけがみ・かずき)       with天叢雲
1087/ 巫・聖羅     /女  / 17 / 高校生 反魂屋
  (かんなぎ・せいら)       with貞秀
0134/ 草壁・さくら   /女  /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
  (くさかべ・さくら)       withエクスカリバー
                   with雌雄一対の剣

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■         ライター通信          ■
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大変お待たせいたしました。
「黄昏」お届けいたします。
12回に渡った邪神シリーズ、ついに終幕です。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
ブラックファラオ(ニャルラトテップ)、奈菜絵、城島教授、そのた大勢のNPCたちにかわり、お礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

それでは、またお会いできることを祈って。