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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に
『湊〜、もう帰ろうよ〜つまんないよ〜』
肩の上で踞り、力無く左右に振った尾の先で背を叩く使い魔、今は黒猫の姿を形取ったサムの思念を高山湊は暖かなカフェ・ラテを飲む事で聞かなかったふりをした。
 国道に沿って伸びる地下鉄の沿線、そのホームへ向かう流れを如何にも人待ち顔で雑誌を片手に植え込みに腰掛け、もう幾度も読み返して内容を覚えてしまった情報誌の記事を最初からまた追い直す。
 もう冬だというのに水族館の記事が大きく取り上げられ、透明に光を透かした青は寒々しい雰囲気が荒い画像の写真に凍り付く。
『こーゆう雑誌もさ、季節感てモノをちょっとは考えた方がいいよね…』
襟巻きよろしく湊の首に巻き付いたサム、外気温に影響されるようなヤワな造りはしていないはずだが、小動物的な動きでふるると耳の先を震わせた。
 少年めいたその思考は、先の呼び掛けを黙された事で諦めたのか暇なら暇で時間の潰しようはあるとばかりに漆黒の毛並みに鮮やかな赤い瞳を閉じてうとうとと眠りの体勢に入る…。
 湊は、使い魔のそれと揃えたように同色の、紅玉の瞳を通り過ぎる人波に視線を走らせた。
 今、このホームを利用する乗客は少ない。
 それもその筈…先週末位からか、ニュースが報じ続ける謎の神経症…何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 そしてこここそが、話題の沿線である為だ。
 警戒を呼び掛ける広報車が先ほどから幾度も行き交い、警察官が威圧するように二人組となって路上を見回る…そんな中で何故に現役高校生である湊が、平日の日中に補導されないかと言えば深夜バイトの為に培った大人びて見えるメイクと衣服と…些か育ち過ぎな感のある胸のおかげか。
 それでもあまり長く一カ所に居て怪しまれてはマズい、と場所を変えながら沿線を張り続けている…しかもその間の授業もバイトもサボって。
 初日は信じられない、2日目はこんな馬鹿な事が、と騒いでいたサムも諦めモードに突入した三日目。
 事の始まりは、willies症候群に関するある情報からであった。
 それは噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる… 放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 自分でも、何故こんな原因も分からない事に時間を費やしているのかが分からない…そう、敢えて理由をつけるのならば、興味…否、強すぎるコレは義務感とも呼べる。
 この件に、あの青年が関わっているという確信はないというのに、情報が流れてきた先から「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という最後の一文が彼女を動かしていると言える。
 湊はパタン、と雑誌を閉じると手首の時計に目をやった。
 この場所に腰を据えて30分。そろそろ移動の頃合いか。
 すれ違いの可能性を考えるとかなり効率の悪いやり方だが、他に上手い手段も思いつかないのが正直な所で、湊は軽い息と共に立ち上がると、地下鉄のホームへ続く階段を下り始めた。


 ホームに人の姿はまばらである。
 平日の日中である事も手伝ってはいるだろうが、女性の姿が圧倒的に少ないのも無理はない…自分を含めて4〜5人程か。
 奇妙な緊張感の中、次の電車が前の駅を出た事を示す電光板を見上げる動きに、首に纏いつくように寝息を立てていた使い魔がその鮮やかに赤い瞳を開いた。
 くわぁ、と大きく欠伸をする…こんな所ばかりは普通の猫を真似るのが巧い…最も、地なのかも知れないが。
『次は何処…?』
まだ寝ぼけているのか、とろんとした響きの思念に同じく思念で答えようとした折に、左手の闇の奥から一対の光が見えると同時、眼前に電車が滑り込んできた。
 そして変化は瞬時。
 彼女の使い魔はその輪郭を崩すと街を生きる黒猫から密林に君臨する黒豹の姿へと変じた。
「サム、駄目ッ!」
目立つから、と、変化を禁じようとした矢先に電車のドアがスライドした…一般の人々に使い魔の姿を晒して脅かすワケには行かず、また檻越しでもなく肉食獣を見た場合の反応も容易に想像がつき、湊は脳裏で目まぐるしく手段を考じる…必要はなかった。
 油圧に開閉する音と共に、スライドする扉…其処から降りる人間は、居なかった為である。
 窓から覗き込む車内、利用客のほとんどが意識を失って無造作に倒れ伏し、意識があるのは女性ばかり…だが、それも正気を保っているとは言い難い。
 ホームに居た人々もそれに気付き、慌てて逃げ出すか車内の人間を助けようと乗り込む。
 慌ただしさが増す中でサムに注意を払う余裕がある者が居ないのはある意味幸いか。
 ただ、こちらの意を聞こうとしない使い魔は、二両先に向かって威嚇に口を大きく開いた。
 ゆっくりとした足取りで降りる、人影は二つ。
 一人は淡い金の髪を短く刈り、穏やかに瞳を閉じた神父…手に持つ白い杖で、コツ、と床を探るように鳴らす様に、その目が光を映さぬのだと知る。
 そして、もう一人は…
「ピュン・フー?」
湊は口中にその名を呟いた。
 身を異形に蝕ませて平気で笑い、会話を楽しむ事も、人を傷つける事も同じ引き出しに放り込む、赤い瞳を持つ青年。
 相も変わらぬ黒尽くめの姿、そして目元を隠す円いサングラスもそのままに…けれど、遮光グラスに隠された視線は一度湊を認めたような気がしたのだが、まるで反応を見せはせずに彼は神父に従う形で地下鉄ホームの出口へ向かおうとする。
 自称・テロリストな彼が今この場に姿を現すのは符号としてみるに都合が良すぎる…疑問に思うよりも先、身体は勝手に走り出していた。
『湊!?』
「待って!」
制止の籠もったサムの思念を無視して二人の前に立ちはだかり、湊はその足を止めた。
「犯人って、あんた達?」
単刀直入に、用件のみを。
 主語の欠けた問い掛けに、神父は僅かに首を傾げた。
「……何のお話でしょう?」
「惚けないで」
穏やかに気勢を受け止めた神父に誤魔化される事なく、湊は続ける。
「コレが…『虚無の境界』の活動?ピュン・フー、そうなの?」
問いに込められた二つの名詞に神父は軽く肩を竦め、ピュン・フーは片手で額を押さえた。
「湊、知らないフリくらいしとけよ…幸せな脳みそしてんなー」
あまりな言い様にカチンと来る。
「知ってるのに知らないフリなんか出来ない!それより何でここに居るのか答えなさい!」
『あの金色の方…キレイなのにヤな匂いしてる』
するりと湊の足に身を絡ませるように、サムが護りの体勢を取るのに湊はショルダーバッグから取り出した銃を両手で構えた。
「そりゃ仕事だから…」
何を今更な風に不思議そうなピュン・フーに、神父が盛大に息を吐いた。
「またお前は浅はかな行動を…救い難いとはまさにこの事」
苛立ちからか一度カッと杖で地面を突くと、神父は顔を上げた。
「お察しの通りです、お嬢さん…あぁ、ご挨拶がまだでした」
短く刈り込まれていても柔らかな金髪の頭を軽く振ると、神父は閉じたままの目蓋を開けた。
 焦点を結ばない瞳は、青。
「初めまして…私はヒュー・エリクソンと申します」
口調は何処までも静かで、穏やかだ。
「…動かないで。銃で狙ってるから」
警告に、ヒューは軽く両腕を広げてまるでそれを受け容れるような動作をした。
「何故?」
「どうやってかは知らないけど、沢山の人が傷ついた…それをしたあんたを警戒しないワケないじゃない」
「救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
謂われのない恐怖で心の内から蝕む、救いが。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか…中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する…けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
その恩恵を、現代の人々にも。
「要らない。自分の罪は自分で決める」
「流石、湊。自分の思想があんのはカッコイー♪」
うんうんと頷くピュン・フーを相手にはせず、ヒューは小さく息を吐いた。
「…残念です」
ヒューが懐から聖書を取り出すのに、サムが動いた。
 トン、と軽い音の跳躍は頭上高く、ヒューへ向かって牙を向く。
 けれど、それは瞬時に動いたピュン・フーに阻まれた。
「やっぱ獣の動きは一味違うねッ!」
『人間の癖にナマイキッ!』
攻撃を阻まれ、膝蹴りに胴を狙われたサムは捻るようにしてそれを避け、地に四肢をつくと同時に後方に跳びすさる。
 先日の深夜に、ピュン・フーの爪は鋭利な武器と成り得るのを知ったばかり、故に距離を取る…何分にもサムの牙も爪も近接戦にしか向かない。
 その間に、ヒューは朗々と聖句を詠み上げる。
「…憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような声が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱え、ふ、と一息分、灰を空中に散らした。
「…え?」
それは湊にまとわりつくように漂う。
 途端、足先から灼熱の痛みが湧き上がった。
「…ぃ………やッ!」
這い上がるようなそれに意識が覆われる…その奥底から浮かび上がるのは、恐怖。
 瞳が現実の像を結ばす、勝手な情景を映し出すのに湊の瞳は見開かれたまま焦点を失い、ガクと身体が震え出す。
『湊ッ!』
「だから知らねーフリしろっつったのに…」
ピュン・フーに気を取られていたサムが、主人の異変に気付いて狼狽の声を上げた。
 その隙を逃さず、ピュン・フーはふわりと体重を感じさせずに跳躍すると湊の眼前に下り立った。
「湊、俺が殺してやるっと約束したろ?こんなくだんねー幻に囚われるんじゃねーよ」
言い、サングラスを外して湊の瞳を覗き込む…注ぎ込まれる真紅の色に、湊の瞳が唐突に意志の光を取り戻し、ガクリとその身体から力が抜ける。
「本当に勝手ばかりしますね、お前は。暗示を重ねてどうにかなるような呪いでないはずですが?」
怒りを通り越して呆れた様子の神父に、ピュン・フーは答える。
「人間、更にショックな事があればそっちに上塗りされるもんさ………で、サム」
湊の身体を支えたピュン・フーは安堵とも取れる息をついて足下を見下ろした。
「囓んなって!」
主人を取り返そうと、律儀な使い魔はピュン・フーの脛に力の限り食いついていた。


 収容先の病院の寝台の上で意識を取り戻した湊は、命があった事…というよりも見逃して貰った顛末をサムから聞いて事の成り行きを理解した。
 病室の外、梢に烏の形態を取って止まるサムは、状況を話し終えた後にいつになく消沈した様子の主人に、おそるおそると…けれど興味を抑えられない様子で問い掛けた。
『ピュン・フーがさ…暗示を上書きしたって言ってたけど、湊、そんなにショックな事見せられたの…?』
むっつりと黙り込み、布団を頭まだ被った湊は、ぶっきらぼうな思念で答えた。
『通帳の………預金残高が0になってる夢見たの!』
そりゃ死ぬよりショックだ。
 サムは心の底から納得した。