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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


黄泉返り
++ 死者からのメール ++
始まりは、彼の死でした。
 式場の予約をした帰り――笑顔で、手を振りながら私に背を向けたのが、生きた彼の最後の姿でした。次に会ったときには、彼は冷たくなっていました。あの日、私と別れたその帰り道に、事故に巻き込まれたのだそうです。
 彼のご両親は、残された私の未来のことを第一に考えてくれたのでしょう。彼のことを忘れて幸せになって欲しいと、そう言われました。ですが私には、それがまるで彼との最後の絆を断ち切られてしまうかのように響いて、ひどく辛かったのを覚えています。
 そして、私はそれを彼の墓標へとぶつけてしまいました。
「どうして、一人で行っちゃったのよ……どうせなら、一緒に……!」
 天気の良い日でした。
 墓の側では、小さな毛並みのよい黒猫がにゃあと、小さく鳴いていました。
 その日からです、私の身の回りで不思議な出来事が起こり始めたのは。


 届いたのは、メールでした。
 死んだ筈の彼からのメールです。


『あと7日で、君を迎えに行く。だからもう泣かないで』


 ありえないことでした。
 彼のご両親はパソコンを使うことができません。そして彼の部屋に入ったという人もいないそうです。
 けれど毎日、毎日メールは届けられるのです。


『あと6日で、君に会える』


 どうか、誰か助けてください。
 何が起こっているのか、私には分からない。けれど、何かとてもよくないことが起こるような気がしてなりません。もしかしたら……本当に彼が、戻ってこようとしているのでしょうか? どうして、彼は安らかに眠ることができないのでしょうか?
 私の名は、水月(みずき)といいます。
 明日、駅前の広場でお待ちしております。どうか――誰か力を貸してください。


 この掲示板に書き込むことを躊躇っているうちに、もう数日が経過してしまいました。
 今日もまた、メールが届いています。


『あと1日。もうすぐ、一緒に――』


 庭で、にゃあと猫が鳴いています。今日も。


++ 墓守の男 ++
 水月との待ち合わせまでには、まだ少し時間があった。
 そして水月の恋人が埋葬されているという墓が、駅から歩いてすぐのところにあると知ったシュライン・エマ(しゅらいん・えま)は、墓所の管理人と対峙していた。
 霊園はつい最近になってようやくぽつぽつと埋まり始めたらしく、まだところどころに墓石のない区画が見える。事務所とは名ばかりのプレハブ小屋の長テーブルの上に、緑茶が注がれた紙コップが置かれるとシュラインは小さく頭を下げた。
 短い髪をきっちりと撫で付けた男の身長は、シュラインのそれよりも頭一つほど高い。がっちりしている、とまではいかないが程よく筋肉がついた体つきと、穏やかそうな笑顔の青年は黒のスーツを着込んでいる。そこまで徹底しているにもかかわらず、それを嫌味に感じないのはやはり男の纏う、人を安心させるような雰囲気が原因だろう。
「すみません。お茶くらいしかないもので……」
「いいえ。ここに来る途中で猫の鳴き声が聞こえたような気がしたんですが、多いのかしら?」
「どうでしょう。実際数えてみたことはありませんが、ちょくちょく目にはしているのかもしれません。まあ、ああいった鳴き声が一度気になってしまうと、やはり声そのものに敏感になることですし――今日は水月さんから何かを聞かれていらっしゃったんですか?」
 問いかけられた言葉の中に登場した水月の名に、シュラインが瞬きする。
 すると男は、テーブルを挟んで向こう側のパイプ椅子に腰掛けた。
「水月さんも何度かここにいらっしゃったんですよ。あの人も何故か猫のことを聞かれていきましたし――それにしてもよりにもよって結婚式の直前とはね……」
「水月さんもここに――?」
「毎日いらっしゃっていますよ。忘れられないのは当たり前ですし、分かりもしますが――水月さんもまだ若い。死者のことを覚えているのも、失ったときの悲しみを覚えていることも大切ではありますが、それでもいつか人はその悲しみを乗り越えなければなりません。今の彼女の姿を見たら、それこそ死んだ婚約者は今の彼女以上に悲しむのではないかと、僕は思うんですよ。もっとも、僕のこんな言葉こそ無神経そのものなのかもしれませんが――」
 建てつけが悪いのだろうか?
 きっちりと閉めきっている窓の窓枠が、強い風にがたがたと揺れる。
 そこから見える木々もまた風に抵抗するかの如く枝をしならせていた。
「けれど、もしも大切な人を亡くしてしまったら――多分そう簡単には割り切れないものなのかもしれないわ。前を向いて歩かなくてはならないのは分かっているし、死者がそれを望んでいないことも分かっている――それでもやはり、時間は必要よ」
 だがこんな言葉ですらも傲慢であるのかもしれない、とシュラインは思う。
 死者の考えていることなど、所詮生者には理解することはできない。
 果たして彼らが本当に生前の意思と同じものを所有しているのかどうかさえも。
「お名前を、聞いてもいいかしら?」
 何故かここで、彼の名を聞いておかねばならないような気がした。
 すると男は自分の前においた紙コップに伸ばしかけていた手をぴたりと止めると、照れたように笑った。
「なんだか照れますね……私は倉田惣一といいます」
 その時のシュラインは知るよしもなかった。
 その名が、後々大きな意味を持つということを。



 墓所での聞き込みを終えたシュラインが、待ち合わせ場所に向かう――少し遅刻してしまったが、おそらく水月らはまだ駅前にいるだろうという確信があったのは、今回の事件にとある人物が参加すると聞いていたからである。
 案の定、駅前でぐるりと辺りを見渡すとすぐに彼女たちの姿が目に入った。
「ほーら犬。取ってこーい!」
「くるかっっ!!」
 大きなモーションで何かを振りかぶったのはくるくるとよく動く表情が印象的な村上・涼(むらかみ・りょう)だった。彼女の手から放たれたのは、どこかで拾ってきたものらしい木の枝だ。
 そんな彼女の言動につっかかっているのは、年の頃は二十代であろうかと思われる男だった。太陽の光に透けるような見事な金髪の男の名は橘神・剣豪(きしん・けんごう)。彼もまた涼に負けず劣らず、考えたことがすぐに顔に出てしまうタイプの人物である。
 道を行く人々は、不思議そうな顔をしつつ遠巻きに涼たちに視線を向けている。無理もない――こうして見る限り、剣豪は人間以外の何者でもない。だが彼の本来の姿はオレンジ色の毛並みのポメラニアンであり、飼い主である崗・鞠(おか・まり)を守るべく死の縁より舞い戻った守護獣なのである。涼の剣豪に対する犬扱いは、剣豪の本当の姿を知るが故のものだった。
「だいたいなー、このカッコであんなんに飛びつける筈ないだろ。見ろよこの姿を。カンペキすぎるくらい人間だろ? な? 人間はあんなのに飛びついたりしないからな」
 胸を張って主張する剣豪に対し、涼はじっとりと呆れたような顔をして見せる。
「つまりカッコの問題で、犬なら飛びついたってことね……」
「あとは鞠たんが取ってこいっていうならこのカッコでも走るぞ俺は」
「…………」
 じとりと涼が何かを訴えかけるような視線を、少し離れたところで見守っていた鞠へと向けた。
「…………」
「…………ごめんなさい」
 長い沈黙の末に、鞠は申し訳なさげな様子でぺこりと頭を下げた。
「ホラ見ろ! 鞠たんはいつも俺の味方なんだ!」
 放っておけば果てがないであろう涼と剣豪の口喧嘩を、鞠は涼しい顔で見守っている。
 そして、そんな二人に向けて呆れたような言葉を向けたのは、鞠の隣に立っていた小学生前後と思われる少年――御崎・月斗(みさき・つきと)だった。
 少年の髪は、後ろの一房だけが長く伸ばされており、そこだけ金髪なのがまずシュラインの目に留まった。そして次に、彼の歳不相応ともいえる落ち着いた眼差し。
「道の真ん中で暴れるな。隅に寄れ隅に」
 一番若いであろう彼が、周囲の年長者たちに注意している様子にシュラインは危うく吹き出しそうになるのをこらえた。足元にはつい先ほど涼が投げた木の枝が転がっている。シュラインはそれを拾い上げて、彼らの元に歩みだした。
「あ……」
 いち早く気づいたらしい鞠に、軽く片手を上げてみせる。時間がたつにつれて混迷の一途をたどっていく事態をどう収拾したものか困り果てていたらしい彼女は、ほっとした様子で頭を下げる。
 そして涼はといえば、注意する声にぐるりと振り返り月斗の姿を視界に収めるとうんうんと至極満足そうな様子で何度も頷いている。
「偉い偉い」
 ぐりぐりと頭を撫でてやろうとすると、すかさず月斗がその手を振り払う。
「学生か?」
「そうだけど」
「自分で生活費も稼いでいないヤツが、俺を子供扱いするとはいい度胸だな」
 月斗は知らない。その言葉が涼にとっての逆鱗にあたるということを。
「…………」
 重苦しい沈黙。そして沈黙の末に涼はずずいと月斗の顔のごく近くに自分のそれを寄せた。
「……うるさいわねどーせ就職決まらないわよ悪かったわね!!! 私だってねー……好きで別にふらふらしてる訳じゃないわよ仕事探してるわよ。決まらないモノな仕方ないでしょ! だいたいキミだってまだ子供のクセに……」
「その人は一応ネット上で有名な陰陽師の方で……」
 鞠が月斗を知っていたのは、やはり鞠自身が特殊能力を所有しているという点にあるのだろう。鞠の力と、月斗のそれでは種類は全く違う。だが鞠は自分意外の人々――それもさまざまな能力を持つ人々の生き方を見つめることで、まるで自身のこれから先についての指針を定めているようにシュラインには思えていた。
 鞠の言葉に、涼がゆっくりと月斗のほうを振り返る。その目がどこか空ろだ。
「…………」
「…………」
 そして、再び沈黙が落ちる。
 じっと間近で凝視され、月斗が根負けしたのか深いため息をついた。
「……わかった。俺が悪かった」
 小学生である男が、大学生である女に対して譲歩した上で謝るというある意味不思議な光景に、くすくすと笑いながらシュラインが涼たちに声をかける。
「相変わらずみたいねぇ、本当に」
 そして手にしていた木の枝を涼に返す。危ないからこんなところで投げちゃ駄目よ、といわれた涼が複雑そうな顔をしたのを目の端に捉えると、さらにシュラインは笑みを深くした。
「遅れてごめんなさい。ちょっと調査に手間取ったの」
 シュラインがぐるりと周囲を見回す。どうやら集まった人物の中で自分が一番遅かったらしいことを悟る。
 そして、シュラインたちは水月の自宅へと向かった。
 問題のメール。そして猫の鳴き声など幾つかの謎を解き明かすために。


++ 返信 ++
 駅から歩いて数分――小さな二階建てアパートの一階に水月の部屋があった。主要な大通りから一本裏道に入っているためか、民家が密集しているにもかかわらずあまり人の姿は見られない。
 部屋に入ってすぐにキッチン兼ダイニング。そしてカウンター越しにはフローリング張りの部屋。あまりモノに執着しないタイプなのか、年頃の女性の一人暮らしにしては物が少ない、というのが部屋を見たときにシュラインが感じた印象だった。
「あの二人は?」
「なんか外で猫探してくるっていっていたけれど……ほら、なんだか猫の鳴き声がって話もあったじゃない? その件で」
 このアパートには小さいながらも庭らしきものがある――といっても住人たちの共用スペースのようなものらしい。窓の外を指し示した涼の指先を視線でたどると、庭に鞠と剣豪の姿が見えた。
 キッチンでお茶を入れている水月の横を通り過ぎると、シュラインと涼はパソコンに向かっている月斗の背後からディスプレイを覗き込む。
 幾つか開かれたウインドウは全て、水月のメールアドレス宛に届けられた死者からのメール。ざっと見たところ、それは毎日深夜0時前後に発信されているようだった。
「メールの発信元は分からない訳? まあ一応は脅迫みたいなものなんだし、事情を話せばプロバイダも協力してくれるんじゃないかしら?」
 んー、と考え込みつつ言葉にならない声を漏らしていた涼の悩んだ末の発言に、月斗は呆れ顔をして振り返った。
「『死者からメールが来ます』という理由で個人情報を流すほどプロバイダもおめでたくはないだろうな。それに警察もだ」
「じゃあ調べようもないじゃないのよ。どーすんのよ?」
「プロバイダでは、『死者からのメール』らしきものは確認されていない」
 再びディスプレイに向かった月斗の後頭部を涼が睨みつける。
「つい今しがた、プロバイダは協力してくれないって言ってたじゃない」
「調べる方法は幾らでもあるさ。知人にこういった事情に詳しい人がいるからな――だが、プロバイダの線が消えるとなると、調べようがないな」
 完全に行き詰ってしまったらしい二人をよそに、自分のこめかみのあたりを指先で押さえながら考え事をしていたらしいシュラインが、ふと顔を上げた。
「いっそのこと、メールに返信してみたらどう? 何か起こるかもしれないんじゃないかしら」
 すると、お茶をテーブルに運んでいた水月の肩がびくりと震えた。
 水月は不安に怯えているのだ。そんな彼女があのメールに直接返事を書くなどできる筈もない――シュラインは自分の不用意な発言が、彼女をさらに怯えさせてしまったことに反省する。だが、この案を捨てる気はなかった。
 シュラインの視線が、月斗に向けられる。
「できるわよね?」
 小さく首を傾げて問うと、月斗はにまりと不敵に笑った。
 そして彼は問いに答える代わりに、再びディスプレイに視線を戻してキーボードのキーを慣れた手つきで叩き始める。食い入るように涼がその作業の様子を見つめていた。


『どうして、安らかに眠れないの?』


 返信されたのはその一文のみ。
 庭でにゃあ、と猫の鳴き声が聞こえる。鞠と剣豪はあの猫と――墓の前で水月の想いを聞いたであろう猫を見つけることができただろうか?
 そんなふうに考えながら、シュラインが出された紅茶に口をつけた。
 そして再び、猫の声。
 水月はひどく神経が過敏になっているように見えた。猫の鳴き声が聞こえる度に、どこか不安げな様子で周囲を見回している。
 そしてシュラインの目から見て、神経過敏になっている人物がもう一人いた。
「…………」
 にゃあ、と再び鳴き声。
「…………水月さん鍋ある?」
「ありますけど」
 出してきましょうか? と水月が腰を上げるよりも、涼ががらりと窓を開けるほうが早い。
「……いい加減うるさいわよ猫! こっちは真面目に相談事してるんだからそれ以上邪魔するつもりなら鍋で煮るわよ!!!!」
「煮るな」
 月斗は心底呆れたように、そしてため息混じりにそう言った。


++ 黒猫 ++
 がらりと、涼が派手に窓を開けたその先には、ぽかんと口を開けた剣豪と、いつもよりも僅かに――おそらくは鞠をよく知る者でなければ気づかないのではないか、といった程度に目を見開いた鞠の姿があった。
 そして二人の間には、にゃあと小さな鳴き声を上げる黒猫。
 立ち上がり、いつの間にか涼のすぐ近くまでやってきていたシュラインが、黒猫に目を留めた。
「その猫は気になるわね。猫が死人に近づくと動き出すなんて話もあるくらいだし……けれど……そうね、どちらかといえば、死んだ彼氏にとってのメッセンジャー的な役割を与えられているように思うのだけれど」
 黒猫はシュラインの足元に擦り寄るようにして近づいてきた。それを抱き上げ、頭を優しく撫でてやると、猫が気持ちよさそうに目を細める。剣豪は羨ましそうな顔をしてそれを見ていた。
 すると、月斗がようやくパソコンのディスプレイから目を放す。
「猫自体に霊がついている様子はないな」
 目を細め、じっと猫に視線を注ぐ月斗――おそらく猫を霊視したのだろう。
 鞠は自分の胸の前で両手を握り締めると、こくりと頷いた。
「ええ――猫は協力を求められたのだと――」
 さらに鞠が言葉を続けようとしたその時、パソコンが小さな音を立てた。
 水月が使っているメールソフトは一般に広く普及しているものであり、月斗やシュラインが日頃使用しているものと同じだ。だからこそ、二人と――そしてパソコンの持ち主である水月には分かった。その音がメールの着信を知らせるものであるということを。


『わからないのかい?』


 月斗が出した返事に対する言葉なのだろう。
 だが、そのメールの文面に目を通した月斗が眉を寄せる。険しい表情のままで、何かを感じたらしい月斗がはっとシュラインを振り返った。
「それから離れろ!!」
 鞠と剣豪もまた猫の纏う空気の変化にいち早く気づいたようだった。驚いたシュラインが身を硬くすると、黒猫はすとんと地面に降り立つ。その目は、赤く爛々と光っていた。
 符を構えている月斗の正面で、黒猫が威嚇するように毛を逆立てる。その時だった――まるで黒猫の低い鳴き声に共鳴しているかのように、家が――アパートの建物そのものがぎしぎしと軋みを上げながら揺れる。だが、それが地震などではないことを、月斗もシュラインも悟っていた。
 ばんばん、と数十の手が窓を、壁を叩いているような激しい音が響く。すると水月は両耳をふさぎながらその場に膝をついた。
 パソコンのディスプレイに向かっていた涼が、シュラインたちの方を振り返った。
「またメールが届いてるわよ!」
 その言葉に、シュラインがメールの文面に目を通した。


『むかえにきたよ』


 庭にいた剣豪と鞠は、ちょうど黒猫の背後にいた。背後に鞠を庇いながら立っていた剣豪は拳を握り締め、自分の足元におとしていた視線をぎりりと猫へと向けた。
「お前、コイツのこと大事じゃないのかよ! なあ……コイツずっと泣いてる。でもコイツのこと大事なら、笑っていて欲しいって思うだろ……笑っていてほしいなら、話を聞いてやれよ……!」
 訴えかける剣豪の声には迷いがあった。そう――剣豪は一度死に、そして鞠を守護するために蘇った守護獣なのだ。おそらく、死からの復活を遂げた自身には、その言葉を男に向ける権利などないのかもしれないと悩んでいるのだろう。彼は、口調は乱暴だしいつもいつも涼と喧嘩ばかりしているが、それでも本当はとても優しいことをシュラインは知っていた。
 そして、その想いが剣豪と長く一緒にいて――彼を死の淵から呼び戻した張本人であるところの鞠に分からない筈がない。
 剣豪には、大切な人を残していった男の気持ちが、そして鞠には、残された水月の気持ちが理解できた。それは過去に、確かに自分たちが抱いた感情と同じものなのだから。
「どう、したいのですか?」
 真摯な光を瞳に浮かべた鞠が、猫を通り越したその先の水月に向かって問いかけた。
「一緒にいることを望んだのは貴女です。それなのに何故今それを恐れるのですか?」
「だって――違います。これは……こんなカタチを望んだ訳じゃない!」
 叫ぶように言った水月の目からは透明な涙が溢れていた。
「念のためにお聞きします――貴女は、彼が安らかに眠れることを望んでいるのですね? 天が分かつた道に背いて一緒にいようとは、考えてはいないのですね?」
「違うもの。それは……そんなのは違うわ! 私が考えていたのは、ずっと一緒で、笑いながらゆっくりと時間を重ねていけるようなそれだった。今のこれは……こんなのは違うもの!」
 猫が、ゆっくりと鞠の方を振り返った。
 それを見ていたシュラインは思う。
「猫から、何か聞いたんだわ――きっと」
 そう、鞠は動物や植物と意思を交わすことのできる特殊能力を持っているのだ。
 にゃあ、と猫が寂しげな鳴き声を上げる。
 すると鞠が猫に向かって小さく頷いた。そしてさらに言葉を続ける。
「言ってあげたらどうですか。自分は大丈夫だと――」
 月斗が猫に歩み寄る。すると猫は毛を逆立てて彼に対し威嚇しようとしたが、月斗はそれには構わなかった。
 小さな体を大きく見せることに精一杯な小さな黒い生き物の頭を、ぽんぽんと軽く叩いてやる。
「あんたも、もういいだろう――」
 それまで敵意をむき出しにしていた猫は、触れる月斗の手に僅かに戸惑いを覚えたようだ。だが、月斗に攻撃の意思がないことを悟ると彼の手に擦り寄っていく。
「ごめん、ね……」
 謝罪の言葉を口にしつつも、それでも嘘はなかったのだと水月は思う。
 だが今水月の前には、この謝罪を聞かせるべき相手もいないのだ。
 それでも尚、水月はぺたりと座り込み、自分の膝の上で指先が白くなるほどに手を強く握り締めて、そして言った。
「ごめんね……本当にごめんね……でも生きたいの。できれば本当に一緒にずっといたかった。でも私はこっちで生きないとならない。だからそっちには行けないの……!」
 透明で、それでいて空虚な猫の眼差しがじっと水月を捉えている。
 彼女はおそらく気づいてはいない。もう既にその猫に、最愛の男の意思は宿ってはいないことに。
「一緒にいたかったのは本当なの。でも駄目だわ……でもいつか、生まれ変わるとか、そんな奇蹟が本当にあるならそのときは……。ごめんね……でも、私はこっちで生きていくから――そう、決めたから!」
 奇蹟は、あるのだろうか?
 シュラインは他の誰にでもなく、己自身に問いかける。
 生まれかわりなど――それこそ気の遠くなるほどに低い可能性でしかないのかもしれない。あるいは全く有り得ないことなのかもしれない。もしもそれが叶ったとしても、どちらかが生まれてくると同時に、どちらかが死に至るようなすれ違いが何度となく繰り返されるかもしれない。約束など、意味をなさない。
 それでも、とシュラインは思う。
 生まれかわりがあるのかなど、自分には分からない。
 それでも、信じるだけで救われるのならば、それを信じたいと思う自分がいる。
「彼は、心配だったんです」
 鞠がぽつりぽつりと語りだす。
「残されたあなたにいつまでも過去に捕らわれることなく、幸せになって欲しかった。彼は貴女の口から、さっきのあの言葉を、聞きたかったんです。そのためにあんなことを――」
 猫は、男に協力しただけなのだと鞠は言った。そして元々彼らはとても気まぐれですから、とつけ加える。
 ふと、シュラインの耳に小さな音が響く。それは月斗や涼、そして水月の耳にも届いたようだった。
 メールの受信を知らせる音。
 涙を拭いて、水月はパソコンへと向かった。そこには死者から送られた最後のメールが表示される。


『さよなら、元気で』


++ 奇蹟 ++
 あの黒猫は、結局水月が飼うことにしたらしい。
 数日後、シュラインは改めて男の墓を訪れた。あの時は管理人に話を聞くのが目的であったが、今日は純粋に、男の墓参りをしようと考えたのだ。
 ふと、以前訪れ紙コップ入りのお茶を出されたプレハブ小屋に入っていく中年の男の姿が目に入る。確かあの時管理人をしていたのは、若い男だった気がする。あれから変わってしまったのだろうか、と首を傾げながらも問いかけてみた。
「こちらを管理されている方は、どちらにいらっしゃいますか?」
「ああ――それは私ですが」
「……あの、それはいつから……?」
 すると男は不思議そうな顔をして、けれどシュラインの問いに答えた。
「この墓所が埋まり始めた頃からずっとですよ」
 釈然としない。
 ならばあの時、お茶を出してくれた人物とは誰だったのだろう。
 しきりに首を傾げながらも、それでもシュラインは目的の墓石へと足を進めた。そこには既に水月の姿がある。
 ふと、あることが気になってシュラインは墓に両手を合わせる水月へと問いかけた。
「そういえば、彼の名前をまだ聞いていなかったような気がするわ。聞いてもいいかしら?」
「――惣一、です。倉田惣一」
 シュラインが大きく目を開く。
 風がふき、彼女の持っていた花束を揺らした。



―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【0778 / 御崎・月斗 / 男 / 12 / 陰陽師】


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■         ライター通信          ■
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 いつもありがとうございます。久我忍です。
 ここ数ヶ月というもの、いろいろな意味で私を苦しめ続けていた歯医者通いがようやく終了しました。めでたいです! とてもめでたいです! 
「歯を磨くときは歯間ブラシをなるべく使ったほうがいいよ」
 とか言われて本日ウキウキと買ってきたのですが、家に帰って買ってきたものを部屋で広げてみると歯間ブラシが消えていました。なのでやっぱり全然めでたくないです。

 とりあえず今までは依頼文を書きためていたのですが、とうとうストックが尽きてしまいました。
 また執筆作業と平行してネタ探しの日々が始まります。まだどこに窓を開けるかは未定ですが、コミネットなどで次の依頼オープン予定ですとか、日常の出来事などをつらつらと書いていたりするので、興味のある方は是非どうぞ。

 では、またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。