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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


黄泉返り
++ 死者からのメール ++
始まりは、彼の死でした。
 式場の予約をした帰り――笑顔で、手を振りながら私に背を向けたのが、生きた彼の最後の姿でした。次に会ったときには、彼は冷たくなっていました。あの日、私と別れたその帰り道に、事故に巻き込まれたのだそうです。
 彼のご両親は、残された私の未来のことを第一に考えてくれたのでしょう。彼のことを忘れて幸せになって欲しいと、そう言われました。ですが私には、それがまるで彼との最後の絆を断ち切られてしまうかのように響いて、ひどく辛かったのを覚えています。
 そして、私はそれを彼の墓標へとぶつけてしまいました。
「どうして、一人で行っちゃったのよ……どうせなら、一緒に……!」
 天気の良い日でした。
 墓の側では、小さな毛並みのよい黒猫がにゃあと、小さく鳴いていました。
 その日からです、私の身の回りで不思議な出来事が起こり始めたのは。


 届いたのは、メールでした。
 死んだ筈の彼からのメールです。


『あと7日で、君を迎えに行く。だからもう泣かないで』


 ありえないことでした。
 彼のご両親はパソコンを使うことができません。そして彼の部屋に入ったという人もいないそうです。
 けれど毎日、毎日メールは届けられるのです。


『あと6日で、君に会える』


 どうか、誰か助けてください。
 何が起こっているのか、私には分からない。けれど、何かとてもよくないことが起こるような気がしてなりません。もしかしたら……本当に彼が、戻ってこようとしているのでしょうか? どうして、彼は安らかに眠ることができないのでしょうか?
 私の名は、水月(みずき)といいます。
 明日、駅前の広場でお待ちしております。どうか――誰か力を貸してください。


 この掲示板に書き込むことを躊躇っているうちに、もう数日が経過してしまいました。
 今日もまた、メールが届いています。


『あと1日。もうすぐ、一緒に――』


 庭で、にゃあと猫が鳴いています。今日も。


++ 依頼 ++
 それはもはや習慣の一つでしかない。
 例えば目覚めてすぐに顔を洗うような――毎日毎日同じことを繰り返しているが故に、何も考えていなくとも自然と体が動いてしまうといった行為の一つ。
 薄暗い室内で仄かな光を放つパソコンのディスプレイ。そして幾つも開かれたウインドウを静かな眼差しで見つめている御崎・月斗(みさき・つきと)にとっては、そのホームページは毎日巡回する場所の一つであり、そこをチェックすることは半ば習慣化してしまった行為にすぎなかった。
 ゴーストネット。
 陰陽師であり、インターネット上のホームページにて退魔依頼を受け付ける月斗にとっては、その場所は時に重要な情報収集場所となり得る。そのため彼はパソコンの電源を入れると必ず自分のホームページにて退魔依頼をチェックし、そしてこのゴーストネットを訪れることにしていた。
「死者からのメール、か」
 ここ数日、ゴーストネットを騒がせている水月という人物による書き込み。
 果たしてそれが事実なのか、それとも単なる冷やかしなのかこの時点で月斗に判断することは難しい。
 だが、すぐ後に月斗は水月の助けを求める書き込みが、紛れもない事実であることを確信するに至る。
 一緒に立ち上がっていたメールソフトが小さな音を立てた。それはメール着信を知らせるものだ。月斗は慣れた様子でマウスをクリックすると、そこにはつい先ほど彼が見ていた書き込みの主と同じ名前の人物からのメールが届いていた。
 内容はゴーストネットに書き込まれたものと大差ない。この水月という人物はおそらくゴーストネットに書き込んだものの、それでも不安は拭えなかったのだろう。そして、月斗のホームページを見て依頼してきたに違いない。
「死者からの、メールか……」
 水月の元に、『あと一日』というメールが届いているのだとすれば、もはや時間は残り少ない。だが、このメール事態が悪戯であるという可能性も否定できない。
 全ては、『死者からのメール』がどこから送られているものかを確認しなければ話にならない。おそらくプロバイダに問い合わせをしたところで、情報は得られないだろう――だとすれば、こういった裏の事情に詳しい誰かに、協力を仰ぐしかない。
 幸いなことに、月斗にはそういった知人がいた。立ち上がったままのメールソフトを使用して、できる限りの情報とともに調査を依頼するメールを送る。
 これで今、月斗にできることは終わった。
「あとは明日、だな」


 待ち合わせ場所は駅前の広場。
 月斗はうんざりした様子で、もはや今日で何度目になるのか分からないため息を吐き出した。
 待ち合わせ場所に月斗の次に――つまり二番目に現れた女は村上・涼(むらかみ・りょう)と名乗った。彼女は駅前広場の隅に植えられている銀杏の木の下で拾ってきた小枝を手に、集まった面々をぐるりと見渡すと、悪戯を企む子供のような笑みを浮かべた。
「楽しそうですね」
 涼を止めるわけでもなく、ただ問いかけたのは黒髪の、育ちの良さそうな――それでいてどこか影を秘めていそうな神秘的な少女。だが、彼女の名を聞いたときに驚愕したのを覚えている。
 崗・鞠(おか・まり)。静岡県のとある一族の分家に生まれ、動物や植物と話ができるという異能力ゆえに最近まで幽閉されていたという少女だ。最近になってどうやら自由を得たという噂を聞いていたが、まさか実物に会うことになるとは思わなかった。
 そして、月斗の噂もまた鞠に届いていたらしい。
 互いに名乗りあったとき、鞠が驚いたように目を見開き、まじまじと月斗の方を見たのと彼はまだ覚えていた。
「ええ、とっても!」
 ぶんぶんと、派手に頭を縦に振った涼とは裏腹に、金髪の青年――橘神・剣豪(きしん・けんごう)は機嫌でも悪いのか、ふいとそっぽを向いている。
「だいたいなんでお前がいるんだよ。俺は何も聞いてないぞ!」
 食って掛かる剣豪に対し、涼はふふんと余裕の笑みだ。
「私は知ってたわよ。鞠と電話したときに教えてもらってたし――」
「お、俺に内緒で鞠たんと仲良くすんな!」
「女同士で友情深める邪魔すんじゃないわよ」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる涼と剣豪に、月斗は呆れたような眼差しを向けた。そして気持ちを切り替えるためにぶん、と頭を振ると鞠に目を向ける。
「あの二人はいつもああなのか?」
「そうですね。たいていは」
「止めないのか――?」
 月斗としては至極当然のことを言っただけのことである。なにせ往来でああも騒がれては人目を引くことこの上ない。だが月斗にとっては『当然のこと』であっても、鞠にとってはそうではなかったらしい。鞠はまるでそれが始めて聞く言葉であるかの如く、不思議そうな顔をして首をかしげた。そしてしばし考えた末に答える。
「……止めても、止まりませんから」
「……そうか」
「はい」
 脱力したくなるのを月斗は気力でこらえた。願わくば鞠の言葉が、過去の経験からのものであって欲しいと願わずにはいられない。
 だが、月斗と鞠がそんなことをしているうちに、涼たちの行動はさらにエスカレートしていた。
「ほーら犬。取ってこーい!」
「くるかっっ!!」
 大きなモーションで振りかぶり、涼が手にしていた木の枝を放り投げる。
 道を行く人々は、不思議そうな顔をしつつ遠巻きに涼たちに視線を向けている。無理もない――こうして見る限り、剣豪は人間以外の何者でもない。だが彼の本来の姿はオレンジ色の毛並みのポメラニアンであり、飼い主である鞠を守るべく死の縁より舞い戻った守護獣なのである。涼の剣豪に対する犬扱いは、剣豪の本当の姿を知るが故のものだった。
「だいたいなー、このカッコであんなんに飛びつける筈ないだろ。見ろよこの姿を。カンペキすぎるくらい人間だろ? な? 人間はあんなのに飛びついたりしないからな」
 胸を張って主張する剣豪に対し、涼はじっとりと呆れたような顔をして見せる。
「つまりカッコの問題で、犬なら飛びついたってことね……」
「あとは鞠たんが取ってこいっていうならこのカッコでも走るぞ俺は」
「…………」
 じとりと涼が何かを訴えかけるような視線を、少し離れたところで見守っていた鞠へと向けた。
「…………」
「…………ごめんなさい」
 長い沈黙の末に、鞠は申し訳なさげな様子でぺこりと頭を下げた。
「ホラ見ろ! 鞠たんはいつも俺の味方なんだ!」
 放っておけば果てがないであろう涼と剣豪の口喧嘩を、鞠は涼しい顔で見守っている。 だが、とうとう月斗は我慢できなくなったらしい。
「道の真ん中で暴れるな。隅に寄れ隅に」
「あ……」
 鞠が小さく声を上げた。駅のほうから、つい先ほど涼が投げた木の枝を拾い上げて歩いてくる女の姿が見えた。あれがこの依頼に協力するという最後の一人、シュライン・エマ(しゅらいん・えま)なのだろう。
 涼はといえば、注意する声にぐるりと振り返り月斗の姿を視界に収めるとうんうんと至極満足そうな様子で何度も頷いている。
「偉い偉い」
 ぐりぐりと頭を撫でてやろうとすると、すかさず月斗がその手を振り払う。
「学生か?」
「そうだけど」
「自分で生活費も稼いでいないヤツが、俺を子供扱いするとはいい度胸だな」
 月斗は知らない。その言葉が涼にとっての逆鱗にあたるということを。
「…………」
 重苦しい沈黙。そして沈黙の末に涼はずずいと月斗の顔のごく近くに自分のそれを寄せた。
「……うるさいわねどーせ就職決まらないわよ悪かったわね!!! 私だってねー……好きで別にふらふらしてる訳じゃないわよ仕事探してるわよ。決まらないモノは仕方ないでしょ! だいたいキミだってまだ子供のクセに……」
「その人は一応ネット上で有名な陰陽師の方で……」
 鞠が月斗を知っていたのは、やはり鞠自身が特殊能力を所有しているという点にあるのだろう。鞠の力と、月斗のそれでは種類は全く違う。だが鞠は自分以外の人々――それもさまざまな能力を持つ人々の生き方を見つめることで、自身のこれから先についての指針を見つけようとしているのかもしれない。
 鞠の言葉に、涼がゆっくりと月斗のほうを振り返る。その目がどこか空ろだ。
「…………」
「…………」
 そして、再び沈黙が落ちる。
 じっと間近で凝視され、月斗が根負けしたのか深いため息をついた。
「……わかった。俺が悪かった」
 小学生である男が、大学生である女に対して譲歩した上で謝るというある意味不思議な光景に、くすくすと笑いながらシュラインが涼たちに声をかける。
「相変わらずみたいねぇ、本当に」
 そして手にしていた木の枝を涼に返す。危ないからこんなところで投げちゃ駄目よ、といわれた涼が複雑そうな顔をしたのを目の端に捉えると、さらにシュラインは笑みを深くした。
「遅れてごめんなさい。ちょっと調査に手間取ったの」
 シュラインがぐるりと周囲を見回す。どうやら集まった人物の中で自分が一番遅かったらしいことを悟る。
 そして、月斗たちは水月の自宅へと向かった。
 問題のメール。そして猫の鳴き声など幾つかの謎を解き明かすために。


 駅から歩いて数分――小さな二階建てアパートの一階に水月の部屋があった。主要な大通りから一本裏道に入っているためか、民家が密集しているにもかかわらずあまり人の姿は見られない。
 部屋に入ってすぐにキッチン兼ダイニング。そしてカウンター越しにはフローリング張りの部屋。簡素な印象が拭えないのは、年頃の女性の部屋にしては、あまりにもモノが少ないことに原因があるのかもしれないと、そんなことを思いながら月斗は水月のパソコンに向かっていた。
 その背後では、さりげなく室内を見回したシュラインが涼へと問いかけている。
「あの二人は?」
「なんか外で猫探してくるっていっていたけれど……ほら、なんだか猫の鳴き声がって話もあったじゃない? その件で」
 このアパートには小さいながらも庭らしきものがある――といっても住人たちの共用スペースのようなものらしい。窓の外を指し示した涼の指先を視線でたどると、庭に鞠と剣豪の姿が見えた。
 キッチンでお茶を入れている水月の横を通り過ぎると、シュラインと涼はパソコンに向かっている月斗の背後からディスプレイを覗き込む。
 幾つか開かれたウインドウは全て、水月のメールアドレス宛に届けられた死者からのメール。ざっと見たところ、それは毎日深夜0時前後に発信されているようだった。
「メールの発信元は分からない訳? まあ一応は脅迫みたいなものなんだし、事情を話せばプロバイダも協力してくれるんじゃないかしら?」
 んー、と考え込みつつ言葉にならない声を漏らしていた涼の悩んだ末の発言に、月斗は呆れ顔をして振り返った。
「『死者からメールが来ます』という理由で個人情報を流すほどプロバイダもおめでたくはないだろうな。それに警察もだ」
「じゃあ調べようもないじゃないのよ。どーすんのよ?」
「プロバイダでは、『死者からのメール』らしきものは確認されていない」
 再びディスプレイに向かった月斗の後頭部を涼が睨みつける。
「つい今しがた、プロバイダは協力してくれないって言ってたじゃない」
「調べる方法は幾らでもあるさ。知人にこういった事情に詳しい人がいるからな――だが、プロバイダの線が消えるとなると、調べようがないな」
 完全に行き詰ってしまったらしい二人をよそに、自分のこめかみのあたりを指先で押さえながら考え事をしていたらしいシュラインが、ふと顔を上げた。
「いっそのこと、メールに返信してみたらどう? 何か起こるかもしれないんじゃないかしら」
 すると、お茶をテーブルに運んでいた水月の肩がびくりと震えた。
 水月は不安に怯えているのだ。そんな彼女があのメールに直接返事を書くなどできる筈もない――シュラインは自分の不用意な発言が、彼女をさらに怯えさせてしまったことに反省する。だが、この案を捨てる気はなかった。
 シュラインの視線が、月斗に向けられる。
「できるわよね?」
 小さく首を傾げて問うと、月斗はにまりと不敵に笑った。
 そして彼は問いに答える代わりに、再びディスプレイに視線を戻してキーボードのキーを慣れた手つきで叩き始める。食い入るように涼がその作業の様子を見つめていた。


『どうして、安らかに眠れないの?』


 返信されたのはその一文のみ。
 庭でにゃあ、と猫の鳴き声が聞こえる。鞠と剣豪はあの猫と――墓の前で水月の想いを聞いたであろう猫を見つけることができただろうか?
 そして再び、猫の声。
 水月はひどく神経が過敏になっているように見えた。猫の鳴き声が聞こえる度に、どこか不安げな様子で周囲を見回している。
 だが、月斗の目から見ても明らかに神経過敏になっている人物がもう一人いた。
「…………」
 にゃあ、と再び鳴き声。ぴくりと涼の眉が動く。
「…………水月さん鍋ある?」
「ありますけど」
 出してきましょうか? と水月が腰を上げるよりも、涼ががらりと窓を開けるほうが早い。
「……いい加減うるさいわよ猫! こっちは真面目に相談事してるんだからそれ以上邪魔するつもりなら鍋で煮るわよ!!!!」
「煮るな」
 月斗は心底呆れたように、そしてため息混じりにそう言った。


++ 黒猫 ++
 がらりと、涼が派手に窓を開けたその先には、ぽかんと口を開けた剣豪と、いつもよりも僅かに――おそらくは鞠をよく知る者でなければ気づかないのではないか、といった程度に目を見開いた鞠の姿があった。
 そして二人の間には、にゃあと小さな鳴き声を上げる黒猫。
 立ち上がり、いつの間にか涼のすぐ近くまでやってきていたシュラインが、黒猫に目を留めた。
「その猫は気になるわね。猫が死人に近づくと動き出すなんて話もあるくらいだし……けれど……そうね、どちらかといえば、死んだ彼氏にとってのメッセンジャー的な役割を与えられているように思うのだけれど」
 黒猫はシュラインの足元に擦り寄るようにして近づいてきた。それを抱き上げ、頭を優しく撫でてやると、猫が気持ちよさそうに目を細める。剣豪は羨ましそうな顔をしてそれを見ていた。
 月斗はパソコンのディスプレイから目を離して振り返った。薄く目を細め――黒猫を霊視してみる。だが、猫が霊に憑かれているような様子は感じられない。
「猫自体に霊がついている様子はないな」
 鞠は自分の胸の前で両手を握り締めると、こくりと頷いた。
「ええ――猫は協力を求められたのだと――」
 さらに鞠が言葉を続けようとしたその時、パソコンが小さな音を立てた。
 水月が使っているメールソフトは一般に広く普及しているものであり、月斗やシュラインが日頃使用しているものと同じだ。だからこそ、二人と――そしてパソコンの持ち主である水月には分かった。その音がメールの着信を知らせるものであるということを。


『わからないのかい?』


 月斗が出した返事に対する言葉なのだろう。
 だが、そのメールの文面に目を通した月斗が眉を寄せる。険しい表情のままで、何かを感じたらしい月斗がはっとシュラインを振り返った。
 つい先ほどまでは猫から霊的なものは何も感じなかった。だが、このメールが届いた途端、猫が纏っていた空気が変貌する。
「それから離れろ!!」
 鞠と剣豪もまた猫の纏う空気の変化にいち早く気づいたようだった。
 爛々と輝いた赤い目。それは水月をじっと見つめている。
 符を構えている月斗の正面で、黒猫が威嚇するように毛を逆立てる。その時だった――まるで黒猫の低い鳴き声に共鳴しているかのように、家が――アパートの建物そのものがぎしぎしと軋みを上げながら揺れる。だが、それが地震などではないことを、月斗は悟っていた。
 揺れているために足元がおぼつかない。それでも涼はパソコンへと向かう。
 さらに不可思議な現象が続いた。ばんばん、と数十の手が窓を、壁を叩いているような激しい音が響く。すると水月は両耳をふさぎながらその場に膝をついた。
 パソコンのディスプレイに向かっていた涼が、シュラインたちの方を振り返った。
「またメールが届いてるわよ!」
 その言葉に、シュラインがメールの文面に目を通した。


『むかえにきたよ』


 庭にいた剣豪と鞠は、ちょうど黒猫の背後にいた。背後に鞠を庇いながら立っていた剣豪は拳を握り締め、自分の足元におとしていた視線をぎりりと猫へと向けた。
「お前、コイツのこと大事じゃないのかよ! なあ……コイツずっと泣いてる。でもコイツのこと大事なら、笑っていて欲しいって思うだろ……笑っていてほしいなら、話を聞いてやれよ……!」
 訴えかける剣豪の声には迷いがあった。そう――剣豪は一度死に、そして鞠を守護するために蘇った守護獣なのだ。おそらく、死からの復活を遂げた自身には、その言葉を男に向ける権利などないのかもしれないと悩んでいるのだろう。
「どう、したいのですか?」
 真摯な光を瞳に浮かべた鞠が、猫を通り越したその先の水月に向かって問いかけた。
「一緒にいることを望んだのは貴女です。それなのに何故今それを恐れるのですか?」
「だって――違います。これは……こんなカタチを望んだ訳じゃない!」
 叫ぶように言った水月の目からは透明な涙が溢れていた。
「念のためにお聞きします――貴女は、彼が安らかに眠れることを望んでいるのですね? 天が分かつた道に背いて一緒にいようとは、考えてはいないのですね?」
「違うもの。それは……そんなのは違うわ! 私が考えていたのは、ずっと一緒で、笑いながらゆっくりと時間を重ねていけるようなそれだった。今のこれは……こんなのは違うもの!」
 猫が、ゆっくりと鞠の方を振り返った。
 それを見ていたシュラインは思う。
「猫から、何か聞いたんだわ――きっと」
 その言葉に、月斗も頷いた。
 シュラインも月斗も、鞠が動物や植物と言葉を交わすことのできる能力を所有しているということを知っている。おそらく鞠は、庭で黒猫と話をしたのだろう。
 にゃあ、と猫が寂しげな鳴き声を上げる。
 すると鞠が猫に向かって小さく頷いた。そしてさらに言葉を続ける。
「言ってあげたらどうですか。自分は大丈夫だと――」
 月斗が猫に歩み寄る。すると猫は毛を逆立てて彼に対し威嚇しようとしたが、月斗はそれには構わなかった。
 小さな体を大きく見せることに精一杯な小さな黒い生き物の頭を、ぽんぽんと軽く叩いてやる。
「あんたも、もういいだろう――」
 それまで敵意をむき出しにしていた猫は、触れる月斗の手に僅かに戸惑いを覚えたようだ。だが、月斗に攻撃の意思がないことを悟ると彼の手に擦り寄っていく。
「ごめん、ね……」
 謝罪の言葉を口にしつつも、それでも嘘はなかったのだと水月は思う。
 だが今水月の前には、この謝罪を聞かせるべき相手もいないのだ。
 それでも尚、水月はぺたりと座り込み、自分の膝の上で指先が白くなるほどに手を強く握り締めて、そして言った。
「ごめんね……本当にごめんね……でも生きたいの。できれば本当に一緒にずっといたかった。でも私はこっちで生きないとならない。だからそっちには行けないの……!」
 透明で、それでいて空虚な猫の眼差しがじっと水月を捉えている。
 彼女はおそらく気づいてはいない。もう既にその猫に、最愛の男の意思は宿ってはいないことに。
「一緒にいたかったのは本当なの。でも駄目だわ……でもいつか、生まれ変わるとか、そんな奇蹟が本当にあるならそのときは……。ごめんね……でも、私はこっちで生きていくから――そう、決めたから!」
 奇蹟は、あるのだろうか?
 生まれかわりなど――それこそ気の遠くなるほどに低い可能性でしかないのかもしれない。あるいは全く有り得ないことなのかもしれない。もしもそれが叶ったとしても、どちらかが生まれてくると同時に、どちらかが死に至るようなすれ違いが何度となく繰り返されるかもしれない。約束など、意味をなさない。
 それでも――。
 生まれ変わりがあるのかなど、自分には分からない。
 けれど信じることで救われるならば、それでも構わないのではないかと月斗は思う。
「彼は、心配だったんです」
 鞠がぽつりぽつりと語りだす。
「残されたあなたにいつまでも過去に捕らわれることなく、幸せになって欲しかった。彼は貴女の口から、さっきのあの言葉を、聞きたかったんです。そのためにあんなことを――」
 猫は、男に協力しただけなのだと鞠は言った。そして元々彼らはとても気まぐれですから、とつけ加える。
 ふと、月斗の耳に小さな音が響く。それは涼やシュラインたちの耳にも届いたようだった。
 メールの受信を知らせる音。
 涙を拭いて、水月はパソコンへと向かった。そこには死者から送られた最後のメールが表示される。


『さよなら、元気で』


++ 前へ ++
 庭で猫が鳴いている。
 久しぶりの珍客を、水月は笑顔で歓迎した。その表情には死者からのメールに恐怖を感じていたあの頃とは違った、強いものが感じられる。
 皆が手土産代わりに買ってきたケーキと、水月が入れた紅茶がテーブルには並べられている。庭ではあの時の黒猫が、少し伸びた草にじゃれついていた。
「結局、あの猫は私が飼うことにしたんです。あの時の私の言葉を聞いていてくれた猫ですから。だけど不思議ですね、猫って」
「不思議?」
 月斗が問い返すと、水月はこくりと頷いた。
「あの猫――なにもない場所をじっと見つめていることがよくあるんです。けれど全然怖い感じとかは全然なくて。どちらかというと懐かしいっていうか……」
 月斗は無言で、水月の背後に目を止めた。おそらく猫が常々見ているというモノも、今月斗が見ているモノと同じなのだろう。
 水月の背後で、彼女を守るようにして笑う男の姿。月斗だからこそ気づいた――もうおそらく多少霊感が鋭い程度の人間でも見えないだろう。その男の姿が、ゆっくりと、光に溶け込むようにして消えていってしまう。
 あえて月斗は、猫が見ていたものの正体を水月に語ろうとはしなかった。その必要はないように感じたからだ。
「なあなあ、お前それ食わないならくれよ。そのケーキ。栗乗ってるやつ」
 涼の前に出されていたケーキに手を出そうとする剣豪。慌てて涼は皿をさっと移動させた――剣豪の手の届かないところへと。
「ふざけんじゃないわよ犬が人間様の食べ物に手をつけるなんて生意気よ!」
「食ってないならいいだろ!」
「食べてないんじゃなくてとっといてるのよ。ゆっくり食べるの! 犬はドックフードでも食べてなさい!」
「お前ら煩い。人のうちで騒ぐな。少しは大人しくできんのか」
 じろりと、ねめつけるような視線を涼と剣豪に向ける月斗。
 すると恐れをなしたのか、剣豪が鞠の背後へと隠れた。無論人間の姿をしている剣豪では、隠れられるはずもない。どうも剣豪は、月斗に逆らうと自分が封じられてしまうのではないかと誤解をしているようだ。
 涼はしばし黙り込んだ末に、月斗に言った。
「なんだか前から思ってたんだけど……父親みたいなコト言うわよね……」
「…………」
 涼の言葉に、月斗が思わず黙り込んだ。
 くすくすと、シュラインはこらえ切れない笑みを漏らす。
「今思ったんだけど……生活力もそうだけれど、多分一番彼が大人ね」
「こいつらと比べるな」
 至極真面目な顔で言い切った月斗に、シュラインが笑うと水月もそれにつられたようにして声を上げて笑った。
 あれから、水月は一度だけあのメールに返信したのだという。


『あなたも、元気で』


 けれど――。
 けれど、もう水月は死者にメールを出すこともないだろう。
 そして、死者からのメールを受け取ることも――。



―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【0625 / 橘神・剣豪 / 男 / 25 / 守護獣】
【0778 / 御崎・月斗 / 男 / 12 / 陰陽師】


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■         ライター通信          ■
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 いつもありがとうございます。久我忍です。
 ここ数ヶ月というもの、いろいろな意味で私を苦しめ続けていた歯医者通いがようやく終了しました。めでたいです! とてもめでたいです! 
「歯を磨くときは歯間ブラシをなるべく使ったほうがいいよ」
 とか言われて本日ウキウキと買ってきたのですが、家に帰って買ってきたものを部屋で広げてみると歯間ブラシが消えていました。なのでやっぱり全然めでたくないです。

 とりあえず今までは依頼文を書きためていたのですが、とうとうストックが尽きてしまいました。
 また執筆作業と平行してネタ探しの日々が始まります。まだどこに窓を開けるかは未定ですが、コミネットなどで次の依頼オープン予定ですとか、日常の出来事などをつらつらと書いていたりするので、興味のある方は是非どうぞ。

 では、またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。