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調査コードネーム:白物語「声」
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「死んだ人からなんです」
言ってテーブルの上に置かれた…というには荒い動作で、何の変哲もない茶封筒は固い物の入っている音を立てた。
住所は都内、宛先は『植田美沙』。
依頼人の名だ。
「中を改めても?」
「どうぞお好きに」
青白い顔をした…女子大生だという彼女は、草間が手にした封筒を見ようともしない。
視界に入れるのもイヤだという風に顔を背けたままだ。
封筒自体が既に丁寧な扱いを受けていないのか、所々が汚れ折れ破れた厚手の封筒をのぞき込み、草間はそれを掌の上で逆さに振った。
するりと滑り出したのは、一枚のMD。
「これに何か問題が?」
かなり…古いタイプの物だ。
「捨てて下さい」
目を向ける事もしないで、彼女は膝の上で拳を握った。
「一ヶ月前に、事故で死んだ人からなんです。その3日前から付き合い始めた彼で、それまで認識はありませんでした。それが届いたのは2週間前で…おかしいんです、彼の実家は新潟の方だって言ってたし、すぐに荷物も引き払ったって話だったのに都内の消印なのはどうして!?」
ヒステリックに語尾が上がる。
「捨てても捨てても郵便受けに入ってるんです!気持ち悪い!」
吐き捨てる声の高さに眉を顰めた草間は、膝の上で握られた彼女の手が小刻みに震えている事に気付き、小さく息を吐いた。
「……なら、ご依頼の内容はこのMDを貴方の元に届けている人間を捜し出す、という事でよろしいですか?」
「犯人はどうでもいいんです。もう二度と、そのMDが目に触れなければ、それで」
引き受けて貰えたという安堵からか、彼女は僅かに肩の力を抜いた。
依頼人が辞した後、草間は事務所に詰めていた人間からMDウォークマンを借り受けると、スロットルにMDを挿入する。
「聞いたら呪われたりして」
「そんな馬鹿な」
この興信所に持ち込まれたという時点で有り得なくない可能性だが、草間は妙な勘の良さでそれを一蹴するとヘッドフォンに耳を澄ました。
執拗に送り続けられるMD、聞けという事ならば内容自体が手がかりになる。
ヘッドフォンの上から更に両手で耳を塞ぎ、外界の音を遮断した草間が動きを止め、室内の全員が固唾を呑んで見守る中…彼は、渋い表情を浮かべた。
「これは…依頼人に、どうあっても聞かせなきゃならんな」
コードを指に絡めて、己を見守る面々を見上げる。
「あれだけ嫌がってたからな。難しいとは思うが…誰か、頼まれてくれないか」
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「…取敢えず私にも聞かせて武彦さん」
シュライン・エマは電卓を叩く細い指を止めると、席を立った。
応接セットと上座にある所長のデスクとの間、人一人が漸く立てるスペースに細い長身を滑り込ませ、草間の差し出すイヤホンを手にする…と、傍らから伸びた手がその片方、「R」の文字の入った方をつまみ上げた。
「嫌がっているものを無理に聞かせる必要も無いと思うが…一体、何が入ってる?」
手の主である久我直親が問い掛けと共にそれを右耳にあてて再生するよう草間に促すのに、シュラインも残された「L」を取った。
が、コードの長さは有限で自然に寄り添う距離になる…二人を見上げた草間の動きが止まっているのに、
「武彦さん?」
と、シュラインは待てども黙したままのMDに、音に集中しようと閉じていた目を瞬いた。
「どうしたの?」
切れ長に形よく澄んだ青の瞳に問われて草間はハッと我に返り、無言でプチリと再生ボタンを押す。
音の細部まで響かせようと、シュラインはもう一度目を閉じる。
左の耳に集中すると、動作が始まった事を示して軽いノイズ、続く声…。
収録されている内容は短く、すぐに終わる。
「確かにこれは…彼女こそが聞くべきだわ」
軽く腕を組み、思案の表情を浮かべるシュラインに、直親もイヤホンを玩びながら口の端を上げた。
「なるほど確かに、依頼人が聞くべきだな」
言葉は違えど言ってる内容と長さとが微妙にハモってなんだか仲が良さそうだ。
草間はコードを引いて二人の手からイヤホンを引き戻すと、両手を左右に振ってデスク前から二人を避けさせる。
「ほら次がつかえてんだから退いた退いた」
その背後には、順番待ちの列がひしめいて、促されるまま草間を挟んだ右と左に別れる二人の後に続き、なんとはなしに先の二人が倣いとなって、同じようにイヤホンを仲良く一つずつ使いながら聞いていく。
「何故亡くなった直後からじゃなかったのかしらね」
窓枠に軽く体重を預けたシュラインの独言に近い問いに、次に続いた風見璃音が答えた。
「内容から考えれば、後から心配になった…んじゃないかな」
表情は変えぬままの璃音の説に、直親に隣に並んだスイ・マーナオが秀眉を顰める。
「…気に入らねぇな」
美少女めいた容貌も黙っていればの事だ。
「確かに気味悪ィかもしれねぇが、3日だろうと恋人だった奴の思いが託された物を乱暴に扱って良い訳ぁねーだろーがよ」
苛立ちを隠さず言い放つ。
「まぁそう怒るな。死んだ恋人からの声…か。なかなかロマンチックな話じゃないか?」
面白がる口調で諫めた間宮伊織が銜えたままの煙草を揺らした。
「是非、当人に聞かせてやろうじゃないか…さて、どうするかな」
草間はギシ、と背もたれに体重を預けて背後に立つ面々を見上げた。
約束の刻より15分ばかり遅れて、指定した喫茶店「深山」に訪れた植田美沙は先に興信所を訪れた時よりも強張った表情で席についていた。
「どうぞ」
オーダーを取る事なく、美沙が席に着くのとほとんど同時に智はホットミルクを彼女の前に置いた…甘いはちみつが泡立てたミルクに琥珀の渦を作る。
「それでは…」
小さく咳払いをし、場をシュラインが取り纏める。
彼女の朗と響く声は耳に心地よく、また同性であるという事に警戒を和らげるだろうという配慮からだ。
「まずは調査の報告から…ご依頼の件に関して、必要と思われる事項はこちらに纏めましたので、ご一読願えますか?」
机上に示す調査報告書…それは彼女の恋人であった、榎本武志を調査した物だ。
だが、彼女は表紙に記されたその名を一瞥しただけで首を横に振った。
「要りません」
ホットミルクに口をつける様子もなく、その紙面を睨むように。
「私は、もうMDが二度と手元に届かないように、とお願いしたんです…彼の素性だとかはもう関係がないでしょう?」
「それでは…」
その言にシュラインは胸元に下げていた眼鏡をかけ、調査書を脇に避ける。
「伺いますが、貴方は本当に武志さんとお付き合いがあったの?」
口調を変えたシュラインの真意を計りかね、美沙は訝しげに首を傾げた。
「どういう意味、ですか?」
「調べてみたけれど」
璃音がその疑問を受ける。
「亡くなった武志さんの友人が彼から託された、という可能性からあたってみたけれど、彼と貴方とが付き合ってる事を知る人は居なかったの…それどころか接点がない、という話だったわ」
もっともらしい証拠があれば…そして実際的にその可能性も高い、と交遊関係を洗った璃音がその結果を導き出した。
「そんな…それは付き合いだして三日しか経ってなかったからで…!」
「…そもそも二人の出会いは何?付き合うまで認識がないって、3日分しか彼の事知らないって事?」
シュラインの問い掛けに美沙は眉根を寄せて頷く。
「彼から申し込まれて…それより以前は彼の事、知らなかったんです」
「なのに交際を受けたのか?酔狂だな」
呆れの色を隠さずにスイが声を上げた。
「それならそれで構わねーかも知れねーけど…一旦はそいつの想いを受け止めたんだろ?それをどうして聞いてやる位出来ねーんだよ」
彼の前に据えられた徳利の中身はすっかり空だ。
「マスター…酒を出したのは拙くなかったか?」
直親の言に、目が据わって見えるスイに頬を掻く智。
「…そうかも知れない」
けれどたとえ酒が入っていようがなかろうが、元々自分の意見を言うに怖じぬスイである…そんな周囲を気にせず、とくとくと続ける。
「とりあえずその死んだ奴の事故現場に行ってみたけどよ…まだ霊が居りゃ気合いと根性でなんとか「する」んだけどこれがまたきれーさっぱり居ないんだ。ま、俺が視えるか紙一重ってトコだったんだが…それとも何か?事故にアンタが関与してっからそんなイヤがるのか?俺は心の狭さには自信と定評があるが、嵩杞が化けて出て来やがっても丁重に蹴っ飛ばして成仏させてやる位の度量は…っていやアレは断じて間違っても恋人なんかじゃねぇが!」
「スイさん、西園寺さんはこの場合関係ない気がするわ…」
シュラインに名を呼ばれて話が横滑っている事に漸く気付き、何故に其処で青年医師の名が出てきたのかが解せずにスイの酔いは一気に冷めた。
「…貴方には関係ないんじゃないですか?」
美沙が声を震わせる。
「大体、私が依頼したのはもう彼に関わる物を目にしたくないからなのに、そんな責められる謂われはありません!」
涙さえ浮かべた美沙は自分の荷物を掴むと荒い動作で席を立つ。
その絶妙のタイミングで、伊織がぽつりと言った。
「祟りますよ」
奇妙な静けさが去来する。
「一度聞いてやって、心残りをなくさせなければ永遠に付きまとうぞこのテのモノは。死者には時間がたっぷりあるからな」
後押しする直親の言に、美沙が力を失くしたようにもう一度椅子に腰を落とした。
「大丈夫。これは霊体とかいう類のものではないようだ…悪意もないから危険もない。恐れる事はないですよ」
先ほど祟る、と脅した舌の根が乾かぬうちに、伊織は指の間に挟んだMDをひらと振って示してみせた。
「中身を聞けば己ずと消えるでしょう。皆ついていますから安心して下さい。危険な事はないと保証しますから」
伊織は美沙に笑みかける…輝かんばかりに見事な営業用スマイル…であるからにその内情を知る者から見ればその腹黒さがいや増して暗黒の如くに感じられる。
「今のまま亡くなった彼の幻影に脅え続けるくらいなら不安の元を見極めて過去と決着つけた方があなたの為なんじゃない?」
璃音が努めて…かなりの労を徒して優しく聞こえるように薦める。
けれど、彼女は頑なだった。
それでも尚、首を横に振るのにスイがキレかけるのを智がどうどうと押さえる。
「君はどう思ってたのか知らないけど、彼は本気だったんじゃないのかな?だからこそ、自分の気持ちを知っていてほしいからこうしてMDが届いたんじゃないのかな…ロマンチストかもしれないけど私はそう思うけどね」
「彼が私に遺す何があるというんですか?」
美沙は薄く笑った。
「彼が死んだと聞いても、そうか、と思っただけど涙も出なかった…なのに、何が、残るというんですか」
美沙以外の全員がその内容を耳にしている…それは口頭で説明が出来る代物ではなく、それだけに予備知識なく美沙自身が聞く…受け止める必要があるという草間の判断に全員、異論がなかった。
「そう」
ふと、シュラインが得心がいったという風で呟いた。
「貴方、怖いんじゃなくて…怒ってるのね、自分に」
美沙は深く俯き、膝の上で拳を握る…それは怒りを抑えているようにも、泣くまいと堪えているようにも見える。
「アンタがアンタを許せねーんならそれでもいいよ」
スイが、幾分が口調を緩めた。
「それ以上にさ、何に込められた想いにしろ、無下にするのが、俺はやっぱ許せねぇし、よ」
こと、美沙自身が己を貶め、罰する為だというのであれば。
智が伊織からMDを受け取り、彼女の前に置いた。
「…それでも聞かないと言うのなら、それはそれで構わないし、聞いても君がそのことに縛られることもないと思うけどね」
黒いばかりのそれは所々に傷がある。
「何も残したくないの?」
璃音が問いかけた。
「同じ悔いる気持ちなら…私は何も為さないのはイヤだわ」
たとえ一時でも、想いを交わそうと思った相手ならば。
美沙は、その古ぼけたMDを手に取った…しばし、それを見つめていた彼女は決意に息を吐き出す。
「かけて、下さい」
差し出されたそれを智が受け取り、カウンターに入った。
瞳を閉じ、聴覚にのみ集中する美沙を全員が見守る…微かなノイズ、続く声。
どうか
幸せに
名を呼ぶでなく、誰にあてたとも取れないメッセージ…それは、まるで祈りだ。
けれども確かにそれは美沙に向けて…受け容れられる事を望むのでなくただ、純粋に放たれ続ける願いの言葉。
…美沙が目を開いた。
その眦を伝う一滴の涙が、彼女の想いの答えだった。
事務所に戻ったシュラインを迎えたのは、ソファに長く体を伸ばして肘掛けに足を乗せ、広げた新聞を顔にかけて眠りを貪る草間だった。
仮眠のつもりだったのだろうが、そのまま寝入ってしまったらしくもう夜も更けている。
「疲れてるのね」
報告は明日にしよう…と、シュラインは資料室から毛布を引っ張り出すと武彦の上に広げてかけてやった。
身じろぎすらせず続く寝息にふと思う。
もし自分が…仮にこの人を遺さねばならなくなった場合。
果たして、どんな言葉を…どんな声で残すだろう?
それが畏れで受け止められるのならば、自らの声である意味も必要もない。ただ言葉を伝えたいだけであればそれこそ万民の声を模せる彼女は誰のそれに自らの想いを乗せるだろう。
「………草間」
戯れに小さく。
伊織の声と口調でその名を呼んでみた。
「…なんだ、」
新聞紙の下からくぐもった応えが返り、欠伸に大きく息を吸い込む気配がした。
「呼んだか、シュライン?」
眠っていた、視界を閉ざしていたにも関わらず、草間は彼女の声でない彼女の言葉を聞き分けた。
「………風邪を引くわ、武彦さん。ちゃんと横にならないと」
シュラインはほんの少し泣きそうになったのを、気遣いの下に隠して微笑んだ。
きっと、大丈夫だと。
何が、とも、何を、とも定めずに意味なく、そう確信した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0821/スイ・マーナオ/男/29歳/古書店「歌代堂」店主代理】
【0095/久我・直親/男/27歳/陰陽師】
【0281/深山・智/男/42歳/喫茶店「深山」のマスター】
【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0074/風見・璃音/女/150歳/フリーター】
【0792/間宮・伊織/男/27 歳/退魔師】
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■ ライター通信 ■
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…スミマセン…<(_ _)>平謝り
またもや遅筆っぷりをたっふりとごろうじさせてしまっております北斗玻璃に御座います。
説得に際して各人の観念などを突きつめてみてたりしたかったりしていたのですが、外れていないといいな…とか。お、多くは語るまい…(爆)
ご参加ありがとうございました。
それでは、また時が遇う事を願いつつ。
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