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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


アルラウネの呼び声

<序>

 その声を、聞いてはならない。
 その声は、生きしものの命を奪うもの。
 だから、決してその声を聞いてはならない。なかせてはならない。
 なかせていいのは「遮断の石英」を手にした者たちだけ。
 選ばれし「黒衣の使者」たちだけ。

          *

「その黒衣の使者たちが持っている『遮断の石英』が数個、盗まれた?」
 紡がれた言葉に碇麗香が眉宇を寄せた。その視線の先には、真紅の髪に黒ずくめの衣装で身を固めた中性的な容貌を持つ少年がいた。左耳には長いピアスがついていて、その先には銀の鈴が二つついている。
 彼は麗香の問いにこくりと頷くと、口許に手を当てて控えめに吐息を漏らした。
「それを取り戻すお手伝いをしてはいただけないかと思いまして」
「『遮断の石英』っていうのは一体何の声を遮断するの?」
 声を聞くだけで死ぬだなんて、穏やかではない。一体何物なのか。
 リン、と少年の耳元で小さく鈴が鳴る。少年が目を上げた。
「アルラウネ、ってご存知ですか?」
「アルラウネ?」
「ドイツにいるといわれる魔物なんですが」
 人根草の精霊が死刑囚の血や精液などを吸い、美しい女性へと姿を転じたものだといわれている。
「夜な夜な男をたぶらかしてはその生気を吸い取っていくという魔物なんです。……普段は黄色い花をつけた愛らしい子なのに引っ張ろうとするとどうも危険で……」
「黄色い花?」
 独り言のように付け足された言葉に、麗香が怪訝そうに顔をする。が、少年は「いえ、独り言です」と口を閉ざしてしまった。
 まあ、頭に黄色の花をつけた魔物なのだろうとあっさり割り切り、麗香はさらに問いを重ねた。
「で、そのアルラウネっていう魔物とさっきの話に出てきた『黒衣の使者』と『遮断の石英』とどういう関係があるの?」 
「黒衣の使者が持つ『遮断の石英』があれば、彼女たちの声に囚われずに済むんです。黒衣の使者たちは、いわば彼女たちを狩る者。声にとらわれてしまったら自分が危険にさらされるので」
「なるほど。ミイラ取りがミイラにならないようにするためのアイテムなのね」
 いくらアルラウネの天敵とはいえ、対抗する手段がなければタダの人、ということだろう。
 それにしても。
「誰がそんなもの盗んで行ったのか、検討はついているの?」
「おそらくは黒衣の使者たちのせいで商売上がったりになりつつある同業者か、アルラウネを手に入れたがっているマニアか、といった所です。居場所もほぼ調べてきました」
「そう、なら探す手間は省けるわね」
 そこでふと、麗香は首を傾げた。肝心なことを聞き忘れていることに気づいたのである。
「ところで、その『遮断の石英』っていうのは一体何なの? バリアか何か張れる道具?」
「耳栓です」
 紡がれたその言葉に、もっと凄いものを想像していた麗香はソファから脱力のあまり滑って落ちそうになった。
「み、耳栓?」
「もちろんただの耳栓ではありません。魔女に特別な魔力ほほどこしてもらった石英の耳栓です」
「魔女……」
 麗香はソファにきちんと座りなおすと、冷静さを取り戻すように目を閉じて一つ大きく吐息をついた。そして心を決めたように目を開くと、少年に向かって頷いた。
「いいわ、協力しましょう。ただし、うまくいったらアルラウネの事、もっとちゃんと取材させてもらうわよ」
 少年は小さく笑ってかすかに頷いた。
「かまいません。ただ、犯人は黒衣の使者の屋敷に張ってあった結界を破って入ってきていました。魔力が相当あるか、魔力のある者と手を組んでいる可能性があるので十分気をつけてください」
 言って、少年はテーブルの上に数件の住所を書いた一枚の紙切れを残して席を立った。残った麗香は紙切れに視線を落としてからソファに深く背を預けて天井を見上げる。
「それにしても、アルラウネに魔女、とはね」
 まったくもって、この世はなかなかネタがなくならない所である。
「まあそのほうがありがたいけど」
 そんなことを思いながら誰に依頼を回そうかと考えている麗香の姿を、編集部のドアの前で立ち止まった少年がじっと眺めていた。
 わずかに前髪から覗いた双眸には、猫のような金色の光が宿っていた。

<腕の中の安らぎ>

 手にした受話器を電話機本体に戻すと、城之宮寿は片腕に抱いていた生まれてまだ間もない幼子へと視線を落とした。ガラスのような繊細な青い双眸が、腕の中で穏やかな寝息を立てている娘を映す。
 その腕の中の空気は、この上もなく優しい。
 自分のような者は決して手にはできないだろうと思っていた――遠くにあるはずだった、空気。
 暖かくて柔らかい、生活感。
 失った記憶を取り戻すために放浪を繰り返していた自分を留まらせる、ここは唯一の場所。帰り着く、場所。
「あれ? 電話、もう終わったんですか?」
 感傷じみた思いを抱き、ふと寿が目を細めた時だった。パタパタと軽い足音を立てて、エプロンをつけた高校生くらいの少年が寿の傍へと歩み寄って来た。黒い瞳を、寿と同様に赤子へと向けて小さく笑う。
「寝ちゃったんですね。じゃあオレ、ベッドに寝かせてきます」
「ああ」
 壊れ物を扱うように、娘を少年に手渡す。起こさないように、細心の注意を払って。
 ふと、子供を抱き取った少年――その子の育ての母であり、海外で結婚し、今となっては寿のれっきとした妻である鷹科碧がもう一度寿へと顔を向けた。
「さっきの電話、もしかして仕事の?」
 その問いを肯定するように、寿は浅く頷いた。
「アルラウネって知ってるか?」
「アルラウネ? ……ゲームでそういう名前の魔物が出てきたような覚えはありますけど」
「ゲームか……」
 あまり今回の依頼の役には立たなさそうである。
 とりあえず、さっきの碇麗香からかかってきた電話で聞いた話では情報が足りなすぎる。麗香には一応、その依頼人とやらに会えるよう手配してもらったが、こちらでも少しアルラウネの事について調べたほうがいいかもしれない。
 無言のまま遠い目をして何事かを考えている寿を、碧はしばらくぼんやりと眺めていたものの、ややして腕の中の子供をベッドに寝かせるためにくるりと踵を返した。

<検索>

「幅の広い葉と黄色い花の咲く植物。引き抜こうとすると悲鳴をあげ、その声を聞くと死んでしまう」
 パソコンのモニターに表示されたネット検索の結果を、寿の傍らから画面を覗き込んでいた碧が声を上げて読み上げた。さらに違うページを開いてみる。
「マンドラゴラの精が死刑囚などの血や精液を吸って、美しい女性の姿を成したドイツの魔物。男をたぶらかし、精気を吸い尽くしては夜闇の中へと消えて行く……」
 ちらりと碧が寿の横顔を見た。思い切り眉をひそめている。
「こんなのの相手しに行くんですか?」
「いや。このアルラウネの悲鳴を封じるアイテムを盗んだマニアの所へ行くんだ。直接相手をしに行くわけじゃない」
 そこにもアルラウネがある可能性がないとは言えないが、むしろ遮断の石英を盗んだのが本当にマニアだとしたらすでにアルラウネを引っこ抜いて手元に置いているという可能性のほうが高いだろう。かといって引っこ抜く前のものがそこにない、と断言することもできないが。
「しかし、悲鳴を聞くと死ぬ、か。無茶苦茶危険な植物だな」
「男をたぶらかす……か」
 目を半眼にして碧は寿をじーっと見ている。その視線に気づいて、寿がモニターから碧へと顔を向けた。さらりと細い金色の髪が揺れる。
「どうした?」
「……オレも一緒に行こうかな。別にいいですよね?」
 思いっきり、寿がそのアルラウネの魔力に取り憑かれることを危惧している碧である。だがそんな碧の思いに気づいているのかいないのか、寿はモニターへと視線を戻して小さく頷いた。
「そうだな。盗人は相当な魔力を持っているらしい。俺としてはそっち方面はお手上げだから、碧が居てくれるのなら助かる」
「じゃ、決まりですね」

<犬猿の仲?>

 麗香に指定された喫茶店は、平日の午前中という時間帯のせいか、人がほとんどいなかった。
 その人が少ない待ち合わせ場所。
 依頼主である少年らしき人物の姿はまだ見えなかったが、そんな人の少ない所に知り合いの顔があれば嫌でもすぐに気づくわけで。
「……なんで彼が……」
 遠野和沙は、店内の一番奥まった席でコーヒーをすすっている城之宮寿の姿を見て形のいい眉をひそめた。ついぽろりと疑問を口にしてしまったが、おそらくは偶然でここにいるわけではないだろう。
 同じ目的でいるはずだ。
 しかし。
 少し遠目に寿の様子を伺っていた和沙は、ひそめた眉をますますひそめた。
 無愛想の権化と言っても嘘ではないはずのあの城之宮寿が、かすかな笑みを浮かべて向かいに座っている誰かと何かを喋っているのだ。
 何なのだろう、あのなごやかムードは。
 その時、寿の眼差しがふと上げられた。その視線はまっすぐに和沙の方へと向けられ、その後一瞬にして浮かべていた微笑はナリを潜めていつもの無表情へと戻った。無表情と言っても、そこには「嫌なヤツに会った」という色がアリアリと浮かんでいたが。
 その寿の表情の変化に気づいたのか、寿の向かいに座っていた少年が視線を追って振り返る。
 茶色の髪のその少年は、和沙の見たことのない人物だった。が、すぐに誰かはわかった。前に寿から彼の事をちらりと聞いていたのである。
 つかつかと二人のいる席へと歩み寄り、嫌そうな顔をする寿をあえて相手にせず、にっこりと人の良さげな笑みを少年に向けて浮かべる。
「おはようございます。依頼主と待ち合わせでしょう? 私も同席させてもらってよろしいですか?」
「……よろしくない。向こうへ行け」
 ぼそりと低くそっぽを向いて寿が答える。そのあまりの不機嫌ぶりに目を瞬かせながら少年――鷹科碧が、朝っぱらからよくそんなもの食う気になれるなというボリュームのチョコレートパフェをスプーンで口へと運ぶ手を止めて和沙を見やった。
「おはようございます。……寿のお知り合いですか?」
「知らんヤツだ。碧、相手にするな」
「なるほど、こちらがあなたの奥さんですね? はじめまして、遠野和沙と言います。よろしくお願いします」
「はあ。鷹科碧です。こちらこそよろしくお願いします」
 にこにこと人のいい笑みを浮かべられてしまい、碧はつられるように挨拶する。そのまま和沙は当然という顔ですとんと碧の隣に腰を下ろし、さっさと店員にコーヒーをオーダーしてその場に居座る態勢をしっかりと整える。
 寿がじろりと上目遣いに和沙を見た。
「お前もこの依頼請けたのか」
「ここにいる理由を考えればバカでもすぐに分かるでしょう?」
「……仕事の邪魔するなよ?」
「そちらこそ、足を引っ張らないでくださいね」
「それはこっちのセリフだ」
「粋がって空回りしないよう気をつけてください。それにしても、このボーヤが……へえ、そうですか」
 あまりの険悪ムードに口を挟む気にもならずもくもくとパフェのアイスを口に運んでいた碧が、和沙の言葉にぴくりと眉を動かす。和沙は碧の口許についたチョコレートソースを指先でひょいと拭ってにっこりと微笑んだ。
「仕事場でボーヤといちゃついて私や他の方々の邪魔にならないようにせいぜい気をつけてくださいね」
「誰がボーヤだッ!」
「誰がいちゃつくか!」
「おや。依頼主はあの少年ですかね?」
 同時に叫ぶ二人をあっさり無視し、和沙は喫茶店の入り口の方へと視線を向けた。そこには赤い髪に鈴のピアス、黒い皮のジャンパーにパンツという姿の少年がいた。

<聞き込み>

 少年から聞いたアルラウネについての話は、ほとんど彼らが調べたり事前に知り得ていることばかりで、特に新しい収穫もないまま彼を帰すことになりそうだった。
「それでは僕はこれで」
「ちょっと待て」
 手に持っていた白いコーヒーカップをソーサーへと戻しながら、寿が隣で立ち上がった少年を目だけで見上げる。そして躊躇う事もなく口を開いた。
「お前、黒衣の使者か?」
 ストレートな問いだった。
 ちらりと、和沙も伺うようにテーブルを挟んだ向かいにいる少年を見る。和沙としては、彼は黒衣の使者ではないと思っているのだが――。
 少年は、無言だった。俯き加減のまま口をつぐんでいる。否とも応ともつかない沈黙。
 どうやら答える気はないらしい。
 それならばと、寿は問いを変えた。
「お前は遮断の石英を持っているのか?」
「いいえ」
 緩やかに首を振る。それにあわせてまたリンと鈴が鳴った。
「ご質問は以上でしょうか? なら僕はこれで失礼します」
「お疲れ様でした」
 特に引き止めるわけでもなく、和沙が少年へ声をかける。その傍らで、碧もまた「お疲れ様でした」とだけ答えた。
 そんな碧の頭にぽんぽんと手を置くと、和沙もまた席を立つ。
「それでは私も失礼します。せいぜいボーヤを若い未亡人にしないよう、頑張ってくださいね」
「って、だから誰がボーヤだっつってんだろっ!」
「……現場であったら背後に俺がいないかよく気をつけろよ」
 わめく碧と剣呑なセリフを吐く寿に、けれども余裕げな微笑を浮かべて和沙も店を後にした。
 と、その時。
「あっ」
 慌てて碧がテーブルの隅っこに置かれていたオーダー表を手に取る。
 そこにはしっかりと、イヤガラセのように和沙の分のコーヒー代も書きつけられていた。

<犯人宅前・合流>

 抜剣白鬼と間宮甲斐から、犯人の居場所を突き止めた旨の連絡を受けた遠野和沙、城之宮寿、鷹科碧の三人は、無事にリストの一番最後に記されていた山奥の屋敷前で合流を果たした。
 本当ならば、犯人が留守中に中に忍び込んでブツがないかどうか家捜しするつもりだった寿だが、まあ、いるならいるで直接脅しでもすればいいかと頭の中で計画を修正する。
 さて、と白鬼がとんとんと手にした錫杖の先で大地を突きながら口を開いた。
「やっかいなのは、犯人がどういう術や技を使うかがわからない点かな」
「アルラウネがどういう状態にあるかもわかりませんからね」
 和沙が、右耳のあたりに手を当てながら付け足した。
「すでに犯人の手の中にあるのか。植わったままの状態なのか。それともここにはアルラウネ自体、ないのか。いずれの可能性も捨て切れません」
 ちらりと和沙が離れた場所に立って屋敷を見ている寿へと顔を向けた。
「頭痛、しないんですか?」
 寿は、人ならぬモノの力を感じると頭痛が引き起こされるという体質の持ち主なのである。この場所からアルラウネの力を感じることができれば、その症状が出るはずだ。
 が、寿は冷めた眼差しであっさりと答えた。
「しないな」
「ということは、アルラウネがないのか、それとも城之宮さんの特異体質が役に立たないのか……どっちにしてもやはりアルラウネの有無に関しての判断はつきませんね」
「…………」
 自分としては常々厄介に思っている体質のこととはいえ正面切って役立たず呼ばわりされたことに、思わず寿の手が黒いコートの内側へと伸びかけた。そこに銃が納められている事を知っている碧は慌てて「まあまあ」となだめにかかる。仕事前にいきなり仲間割れなどされては、自分はともかく、白鬼と甲斐に申し訳ないと思ったのである。
「まあ、ここで話し込んでても仕方ないですし。だったらさっさと乗り込んで力ずくでやっちゃいません?」
「そうですね。乗り込んで吐かせたほうが早いかもしれません」
 それが彼の武器なのか――ハリセンで自分の肩を軽くトントンと叩いている碧の提案に、甲斐も頷く。
 もたもたしていたら相手に気づかれてしまうかもしれない。虚を突くのなら、こんなところで話し込んでいるよりも行動を起こしてしまったほうがいい。
(けれど、結界が張られていたということは、もうすでにここの館の主に侵入者がいるということは伝わっているかもしれない……)
 普段は金色のところ、今はカラーコンタクトを入れて黒く見せている右の浄眼を細める。少しの気の乱れも見逃さぬように。
 その甲斐の肩を傍らから軽くぽんぽんと叩き、白鬼もまた気負いない、肩の力が抜けた感じで館を見据えながら、しゃらんと一つ錫杖を鳴らした。
「じゃあ、行くとしようか」
 ここに来てもまだこの仕事に乗り気とはいえない白鬼だったが、ここまで来た以上はもうやるしかない、というのもまた事実だった。

<ケンカするほど……?>

 館内への侵入は、案外あっさりと果たされた。
 もっと入り口でなんらかの抵抗にあうかと思ったのだが、扉の鍵は開きっぱなしだったし、何かのトラップがあるわけでもなかった。扉は古びていて、たとえ鍵がかかっていたとしても蹴りの一発でも食らわせればすぐさま除去できただろう。
 入り口には呼び鈴がついていたにも関わらず、思い切りそれを無視して無断で洋館に侵入した五人は、周囲への注意を怠らず、一室一室一階をしらみつぶしに当たってみた。
 だが、アルラウネらしきものも遮断の石英らしきものも見当たらなかった。
 しかし、こうして侵入して来ているにもかかわらず、犯人側から何の抵抗もないのは、奇妙と言えば奇妙だった。まだ自分たちの存在を察知していないのだろうか?
「……一か八か、二手くらいに分かれて調査してみますか?」
 和沙が二階への階段を上がる途中で、そう提案した。それに白鬼が口許に手を当てて考え込むような眼差しになる。慎重に提案を吟味しているらしい。
「しかし、相手の力量が不明な時に戦力を分けるのは危険じゃないかな?」
「相手の戦力が私たち五人そろえたものよりも低かったとしたら、このままこっそり逃げられる可能性もあると思うんですが」
 無論、その時犯人は遮断の石英を持って逃げるだろう。アルラウネは、石英さえあればいくらでも手に入れることができる。わざわざ持って行くとは思えない。
 ふむ、と白鬼は頷く。和沙の弁にも一理あると思ったのだ。
「キミたちはどう思う?」
 他の三人に話を振る。甲斐は手にしたナイフへと視線を落とした。銀色の鋭い刃が窓から差し込んでくるわずかな光を鈍く反射している。
「そのほうが手っ取り早いかもしれませんね。相手の力が自分たちよりも上だと感じた場合、声を上げれば助けに向かうこともできるでしょうし」
「キミたちは?」
 言葉をかけられ、碧がちらりと傍らにいる寿の方を伺う。今のところ寿に頭痛の兆候は見られない。とすれば、この先にもアルラウネはいないのかもしれない。ならば。
「オレも別にいいですよ。って言っても、オレは寿と行かせてもらいますけど」
「じゃあ私も城之宮さんとこのボーヤと一緒に行きましょうか」
 穏やかな微笑を浮かべながら右手を軽く持ち上げて言う和沙に、ジロリと寿が丸いレンズのサングラス越しに冷凍ビームのような視線を向ける。
「なんで貴様が一緒に来るんだ」
「もしもアルラウネがいた場合、頭痛でダウンした貴方のフォローをボーヤ一人でするのは大変でしょう? 安全のため、しいては顔見知りのよしみということですね」
「ふん。貴様がいる方がよっぽど危険だ。後ろから攻撃されないとも限らないからな」
「お望みとあらば今ここでそうしてあげても構いませんよ?」
「……やるのか?」
「やりますか?」
「……鷹科くん、キミ、本当にこんな二人と一緒でいいのかい?」
 臨戦態勢に入る寿と和沙を見、白鬼が碧に苦笑いを浮かべて問いかける。それに、碧もやや呆れたような顔をして肩を小さくすくめた。
「まあ、抜剣さんと間宮さんにご迷惑かけるよりはマシだと思いますし」
 それに、確かに自分一人では寿が頭痛に苛まれた時にフォローしきれるかどうか心配ではあった。性格はともかく、確かに和沙がいてくれるのは有難い。
「何かあった時には助け呼びますからお願いしますね」
「苦労するね、キミも……」
 同情的な眼差しを向けてくれる白鬼と甲斐にぺこりと頭を下げる。そして頭を上げるとブンブンとハリセンを振り回し、二人の腕を引いて階段を上がって行く。
「ほらっ、そんなとこでじゃれてないでさっさと行きますよ!」
「じゃれてるって……碧、お前な……」
「……ボーヤの発言には気力をそがれますね……」
 ぎゃあぎゃあと、敵の懐に飛び込んでいるにも関わらず余裕げな三人を見送り、白鬼と甲斐は思わず顔を見合わせた。
「……大丈夫なんでしょうか、あの人たち……」
 甲斐でなくても思わず心配したくなるメンバーである。
 とりあえず白鬼もなんと答えていいものかよくわからなかったので、顎ひげを手で撫でて吐息を漏らした。
「まあ、碇さんが依頼を回すくらいだから、能力的には問題ないと思うんだけどね」
 ただ少し、人間関係面からの人選にミスがあっただけである。

<戦う相手は>

 針のむしろ。
 一触即発。
 そんな言葉が似合いの、ぴりぴりした雰囲気。
 とりあえず、和沙と寿の間に立ち、二人がいきなり戦闘に入ったりしないようにと距離をとらせている碧だが、なんとか気を取り直して二人を交互に見やる。
「わかってるでしょうけど、いきなり仲間割れなんかはじめないでくださいよ?」
 その言葉に、寿がフンと鼻を鳴らして顎をしゃくって和沙の方を示した。
「それはそっちのヤロウに言え」
「私はバカがバカな真似さえしなければ仕事中に不必要な攻撃をしたりはしませんよ」
「誰がバカだって?」
「どこのどなたが、とは言いませんが。突っかかると言う事は思い当たる節があるということでしょうか?」
「貴様がイチイチ引っかかるような言い回しをするからだろうが」
「そうやってイチイチ突っかかって仲間割れを誘発するようなことを言っていると、ボーヤからの信頼無くしますよ」
 バシンっ☆
 音と同時に、和沙の頭に痛みが走った。横から無言のまま、いきなり碧がハリセンで頭をはたいたのである。
「……なぜ私だけ殴られるんでしょうか?」
「オレのこと『ボーヤ』って言うからだ」
「気に入りませんか?」
「気に入るかッ!」
「碧、もっと殴ってやっていいぞ。俺が許可する」
「……別に許可しないでいいですよ」
「そうですよ。何故私を殴る許可をあなたが下ろさなければならないんですか」
「碧が遠慮せず、心置きなくお前を殴れるようにだ」
「大丈夫ですよ、寿。オレ、この人殴る時には遠慮なんてしませんから」
「おやおや。ボーヤにはずいぶんと嫌われたようですね」
 バシンっ☆
 またしても言葉よりも先にハリセンが和沙の頭を直撃する。
「ええ加減にせんとハリセンだけやったらすまへんで。寿も、これ以上コイツとガタガタぬかしとったらマジでしばきますよ?」
「……悪い」
 じろりと不機嫌そうな目で睨まれて、寿がスパッと謝罪する。碧が関西弁になった時は本気で怒っている時だと、共に暮らしている内に理解しているからだ。
 和沙も、寿の態度を見てやれやれと肩をすくめはしたものの、それ以上軽口を叩くのをやめる。
 さて。
 そんなやりとりをかわしている間に一つのドアの前に辿り着いた。三人揃って足を止める。
「……さて。何が出るでしょうね? とりあえず予習でもしておきましょうか」
 淡々と言いながら、和沙は意識を眉間の辺りに集中する。黒曜石のような瞳を綺麗な木目の浮いているドアに固定し、さらに意識を細く先鋭にしていく。
 和沙の能力の一つ、透視である。やがて視界に映るものの姿が変わって行く。ドアが薄く透けて消え、その奥にある物が見えてくる。
「……中は無人ですね」
「遮断の石英はあるのか?」
「さあ? 人の能力を頼らずご自分で室内を探されてはいかがです?」
 寿の言葉をさらりと流し、和沙は意識の集中を解く。それに、じろりと寿が尖った視線を向けた。
「仕事の邪魔はしないと言ったのはお前だろうが」
「協力するとは一言も言ってませんが?」
 涼しい顔で言って、和沙は唇の端を歪めて笑った。
「それとも、中にいるかもしれないアルラウネが怖いですか?」
「そんなわけあるか」
 鼻でせせら笑い、寿は右手をコートの内側へ入れ、左手を金メッキのはがれかけたドアノブにかける。右手には、よく馴染んだマグナムのグリップの感触がある。マグナムに込められている弾丸は銀を使用しているため、たとえこのドアの向こうに人ならざるモノがいても、打ち込めばそれで終わりだ。
「大体、アルラウネは男を誘惑するらしいが俺には関係ない話だな」
「それはどうしてですか?」
 いつもは人当たりがいいはずなのに、寿に対してだけは別なのか、相手をどこかなめたような笑みを口許に浮かべ、和沙が問う。ちらりと寿がその和沙の隣に立つ碧へと視線を向け、もう一度和沙へと瞳を戻す。
「これでも俺は妻子持ちだ。引っかかるわけがない」
「寿……」
 その言葉に思わず嬉しさと感動を覚えてしまう碧である。だが、和沙はますます意味ありげに笑みを深めた。
「そうですか。ではさっそく調査に行ってもらいましょうか?」
「望むところだ」
 氷の彫像のように冷め整った顔で答え、寿は一息に勢いよくドアを開け放つ。
 直後、すさましい頭痛が寿に襲い掛かってきた。あまりの酷さに眩暈を覚えたところ、中からふわりと緑色の髪の美しい女性が一人寿の前に現れた。こともあろうにその女は着衣を一つも身に纏っていない。
 それがアルラウネだと直感したが、一瞬その女と目が合った途端、頭の芯がぼうっと霞んでしまった。マズいと思う間もなく、意識はアルラウネに囚われてしまう。
「……一体どこか『引っかかるわけがない』なんでしょうね……」
 あっさり闘争心を奪われてその場に棒立ちになった寿の様を見て、和沙が呆れたように言葉を発する。あまりの陥落の速攻っぷりに、さすがの碧でさえもフォローの言葉を思いつくことができなかった。しばしあっけにとられて女に絡みつかれてぼーっとしている寿の様を眺めていたが、やがてめらめらと心の奥底から怒りの炎が燃えてくる。
「……ふざけやがって……ッ」
 言うなり、素早くハリセンを右手に構える。そのハリセンは碧の実家の神社で一晩清め置いたものである。そんじょそこらのハリセンとは訳が違う。
 だが、アルラウネもさるもの。
 意識を取り込んだ寿を操り、自らの盾とする。ちっと短く舌打ちし、和沙も右手を掲げた。
「ちょっと手荒いですが、まあ自業自得と言うものですよ」
 広げた掌を振り下ろす。途端、寿の肩の辺りに何かがぶつけられたかのようにその体が後部へと弾かれた。一瞬碧が、寿に攻撃を加えた和沙の方を抗議の色を込めてちらりと見たが、あえて口には出さずにそのまま室内へと走り込む。
 再びアルラウネが寿を操り、自分の前へと押し出す。さらにその懐から銃を取り出させ、碧に向けて構えさせた。
 想像もしていなかったその光景に、碧の動きが一瞬止まる。
「ボーヤ、横にかわしなさい!」
 飛んできた和沙の声に、ハッと我を取り戻して素早く横にかわす。トリガーを引こうとする寿の手の甲めがけて和沙がもう一発、超能力の一つである念動の力をぶつけた。
 ダンッ、と空を裂くような爆発音と共に、和沙により方向を変えられた銃が天井に向けて一発銀の弾を打ち出す。すぐさまアルラウネが、今度は和沙に向けて寿に銃を構えさせるが、それよりも先に極至近距離に碧が駆け込んでいた。
 ぼんやりとした、彼らしからぬ顔つきで操られている寿を一瞬痛そうに見てから、その背後にいるアルラウネの方へと、空いた左手をかざす。
「人ンちの旦那、好き勝手に使うんじゃねえよッ!!」
 言うなり、掌から人ならざるものを打ち崩す波動を放つ。和沙もアルラウネに向けて霊などに対する時の力を揮う。霊に対する能力が魔物であるアルラウネに効くのかどうかはわからなかったが、構うことはなかった。
 それでもまだアルラウネは寿への呪縛を解こうとせず、再び和沙に向けて銃先を向けさせる。はっと和沙がすぐさま念動の力を再び発動させようと動く。
 だが、弾が発射される前に、バシコーンッ! とすさまじい音が寿から上がった。
 いつのまにか寿の後ろに回りこんでいた碧が、思いっきり、本当にまったく容赦なく寿の後ろ頭を思いっきりハリセンで張り倒したのである。
 あまりの衝撃に、ぐらりと寿の上体が揺らいだ。片膝が床の上に落ちる。
 が、次の瞬間、ふっとしゃがみ込んだままその寿の腕が持ち上がった。手には銃を握り締めたままだ。向けられるのは、碧の方。
「……っ、まだ操られているんですかバカ男! 狙っているのが誰か判っているですか!」
 極至近距離で銃を向けられ、碧は再び動きを止めた。念を放つために気を眉間に集中させながら叫ぶ和沙の声。
 かすかに、寿の唇の端がつり上がった。
「わからないわけがないだろう」
 低く呟かれた後、トリガーが引かれた。
 ダン、ダン、ダン。
 一定のリズムで、三発。
 けれども弾はすべて碧の顔の真横を通過し、いつのまにかその後ろへと回り込んでいたアルラウネの眉間を的確に打ち抜いていた。悲鳴もなく、アルラウネは霧散し、消え失せる。
「……誰がバカ男だ」
 マグナムを懐に収めると、こめかみの辺りを指先で押さえて寿はゆっくりと立ち上がった。ハリセンによるかなりの衝撃を頭に食らったせいか、まだ目の前がぐらぐらする。
 そのさまに、和沙が深く吐息を漏らした。
「貴方以外にその呼称が合う人はいないでしょう?」
「いるじゃないか、今俺の目の前に」
「……ボーヤの命の恩人に向かっていうセリフではありませんね。礼の一つでも言われたとしてもバチは当たらないと思いますが」
「…………」
 その言葉にはさすがに返す言葉もなかったのか、けれども素直に礼を述べる事もなく寿は一つ大きく息をついて碧の方を振り返った。碧はただ、右肩をわずかに持ち上げて小さく笑っただけである。
「…………」
 紡ぐべき言葉もわからず、無言で視線を床の上に寿が落とした時。
「すみません」
 ドアの方から声がした。三人が同時に視線をそちらへと向ける。
 と、黒いスーツを着た青年がそこに立っていた。一瞬この館の主かと思ったが、どうやらそうではないらしく、優しげな顔に真剣な色を湛えて碧の持つハリセンを見た。
「そのハリセン、貸していただけませんか」
「え? コレ?」
「それで張り倒せば魔物の呪縛を解けそうなので」
「あー……別に構いませんけど」
 もしかしたら、碇麗香が頼んでいた人員かもしれないと思い、碧は素直にハリセンを青年に手渡した。青年は口早に礼を述べると、さっさと部屋を駆け出て行った。
「さて。それじゃあ石英探ししますか」
 空っぽになった両手を天井へと伸ばし、明るい声で碧が言う。それに、小さく笑って和沙が首を振った。
「ここにはそれらしいものはありませんよ」
「へ? ないの?」
「どこかのマヌケな人のせいで余計な時間を食ってしまいましたが、さっさと次の部屋の調査に向かったほうがいいでしょう」
「誰がマヌケだ」
 ぼそりと低く寿が言う。それににっこりとイヤミなほどの微笑を浮かべて、和沙が指先で寿を指し示した。
「貴方以外誰がいますか?」
「…………」
 さすがに今回の失態の前では言い返す言葉もなく、寿は忌々しげに舌打ちした。

<明かされる真実>

 再び五人が合流したのは、階段の正面にあった部屋だった。
 丁度階段を上がったところから左右に廊下が伸びていたため、それぞれ二手に分かれて奥から順に部屋を調べてきたのである。
 お互いのメンツの無事を確認し、そして一斉にその視線を最後のドアに向ける。
「ここがラストですね」
「さっさと片付けようか」
 和沙の言葉に頷き、白鬼がドアを慎重に開いた。
 と、その部屋の奥にある窓の枠に、一人の黒いローブを着た男が足をかけているのが目に入った。はっと男が振り返り、慌ててそこから飛び降りようとする。
 無論、そう容易く逃がすわけがない。
 素早く甲斐が手に光の鞭「穂月」を呼び出す。窓枠を乗り越えようとした男に向けて、手首をしならせて鞭を走らせる。
 その間に、白鬼と碧も取り押さえる気マンマンで室内に駆け込んだ。しゅるりと体に鞭を巻きつけられた男は、ぐいと鞭ごと体を引っ張られて床の上に無様にごろりと転がった。それを左右から見下ろすように白鬼と碧が取り囲む。その二人の後に、ゆったりとした足取りで寿と和沙が続いた。
「さて。それでは遮断の石英を渡してもらいましょうか?」
 片膝を落とし、男に目線を近づけて和沙が穏やかな笑みを浮かべて言う。けれどもその言葉には、微笑とは裏腹に、嫌と言えば容赦しないという言外の声が含まれていた。
 部屋にトラップの如く置いていたアルラウネもことごとく撃破された後である。すっかり戦意喪失して逃げようとしていた男が、この脅しに抵抗できるはずもなく。
 力なくうなだれてうめくような声をもらした。
「私のローブの中にある。持って行きたいならば持っていけ」
「お前、一体アルラウネをどうするつもりだったんだ?」
 実は、ずっとマニアに会うことがあれば聞いてみたいと思っていたのである。それを口にし、寿は軽く靴先で男の足を蹴る。
「いろいろと恩恵をもたらしてくれるらしいが、それが目当てだったのか? ご高説、賜りたいね」
「……アルラウネを狩るのが我らの仕事だ」
 紡がれた言葉に、白鬼が眉宇をひそめた。
「どういうことだい? キミたちがその遮断の石英を奪った相手こそが『黒衣の使者』で、彼らこそアルラウネを狩る事を仕事とした者たちではないのか?」
「黒衣の使者とは私のことだ」
 ほこりっぽい床の上に転がされたまま、黒いローブが白く汚れることも気に留めず、男は頭を必死にもたげる。
「貴様らは魔女の使いなんだろう? 石英を我らに授けた者が、今更手のひら返してアルラウネ狩りをやめて石英を返せなどと……」
 男から紡がれる言葉に、面々は顔を見合わせる。
 ということは、依頼を持ってきた少年は一体何者なのだろう?
 あれこそが、実は魔女の使いだったということだろうか。
 ただ一人、甲斐だけが「ああ、やはり」という表情だった。彼は少年を一目見た時から魔女の使い魔ではないかと考えていたのだ。
 左手を右腕の肘に沿え、右手を口許に当てて和沙が目を細めた。
「アルラウネ狩りをやめろ、とはどういうことなんでしょう?」
「自分と同じ、『魔力を持つ女』という点で、狩られるアルラウネに同情したんだろう。魔女自身、魔女狩りと称して過去何度も人間に狩られそうになったことがあるからな」
 諦めにも似た笑みを口許に浮かべ、男は顔を上げた。
「魔女にとっては、アルラウネにたぶらかされる人間の男たちの方に落ち度があるとしか思えないんだろう。他の黒衣の使者は皆上手く逃れたようだが……私だけがヘマをしたというわけか」
 少し鞭を緩めてローブの中を探り、透明な石の欠片を数個取り出した甲斐は、それを自分の手のひらの上に乗せた。一対ではなくいくつか石があるのは、おそらくはスペアの分だろう。
「とりあえずこれは依頼主に渡します」
 男は無言で、ただ頭をうなだれた。
 しかし、男をたぶらかして精気を奪っていくアルラウネと、それを狩るもの。
 どちらが悪いかといえば……どうなのだろう?
 魔女の気持ちも、そして黒衣の使者たちの方の気持ちも分からないではないのだ。どちらが悪いとは、彼らには言い切れなかった。
「まあ、とりあえずはこれで依頼完了……かな?」
 いまいち釈然としないものはあったが、少年からの依頼であった「石英を取り戻して欲しい」という部分はクリアされているので、このまま麗香と少年に報告を行えば問題はないだろう。
 白鬼の言葉に頷き、黒衣の使者を縛り上げていた鞭を光へと戻すと、甲斐は石英をジャケットのポケットに入れた。

<最後まで>

「で? どこまで一緒に来る気なんだアンタは」
 初対面の頃はきっちりと敬語で話していたはずの碧は、いまやすっかり砕けた口調で言いながら、自分と寿の後をついてきている和沙を振り返った。それに、にっこりと和沙は柔らかい微笑を浮かべる。
「ほら、さっきボーヤの命を助けてあげたでしょう? だったら食事くらいご馳走になっても悪くはないだろうと思いまして」
 などと言いながらも、本当のところ、和沙にとって食事などどうでもいいことだった。
 ようするに、自分がここにいることによって寿が苦い顔を作ったままでいるという事実が面白い、というだけなのである。
 碧の命云々のセリフを和沙が吐くに至り、ますます寿は渋面を浮かべる。それを隠すようにサングラスのブリッジを右手の中指でついと持ち上げながら、顔を少し俯けた。
 じろりと、碧が黒い瞳で和沙を見やる。
「アンタこないだ喫茶店でコーヒー代、オレらに払わせただろ」
「おや。ボーヤの命はコーヒー代程度のものなんですか? ねえ城之宮さん? まさか愛しの奥さんの命はそんな安いものじゃないですよね?」
「…………」
「っつーかボーヤって言うなって何回も言ってんのに、頭悪いのかアンタは」
 すでに三人は洋館のある山からは離れ、市街地に戻ってきている。苦りきった顔つきの寿に、げんなりぎみの碧、そして一人にこにこと機嫌よさげな和沙という組み合わせは、なんだか一種異様な雰囲気を醸し出してもいた。すれ違う人々が三人を避けるようにして、クリスマスムードの漂う街路を歩いて行く。
 碧の言葉に小さく笑いながら、和沙は肩をすくめた。
「やれやれ。ボーヤにはかなり嫌われてしまったようですね」
「嫌われるようなことしてんのはアンタだってーの」
「私はただ親しみを込めて『ボーヤ』と呼んでいるだけなのに」
「そんな親しみいらん」
 あっさりと切り捨てる。そして手で犬を追い払うように「しっしっ」とやった。
「ほら、さっさと帰れよ。お仕事も終わったんだからもういいだろ?」
 そんなあまりにも自分を邪険に扱う態度に、和沙はもう一度肩をすくめてみせた。
「やれやれ。それじゃ邪魔者は撤退しましょうか」
「そうそう、さっさと帰れ」
 今にもぺっぺっとツバを吐きそうな勢いの碧に反し、寿は黙り込んだまま和沙に視線を向けようともしない。それはそれで和沙にとっては面白くもあったが、やはりここは。
 にっこりと笑って、和沙はひらりと右手を持ち上げて軽く振った。
「旦那様に飽きたらいつでも私のところに来るといいですよ。そのつまらない人と違って、私ならボーヤをきっと退屈させませんから」
「……それは遠まわしに殺してくれと言っているのか?」
 じろりと、ようやく寿が反応らしい反応を見せる。またしても懐に右手を入れて銃を取り出そうとする寿に、冷めた笑みで和沙が応じる。
「こんなところでやりあうほど、見境なくありませんよ私は」
 それに、と言葉をつけたし、和沙はまるで子供のように唇を尖らせて頬を膨らましている碧のほうへと視線を流す。
「せいぜい大切な奥様に謝罪することですね。あっさり浮気する男だと思われているかもしれませんよ? あんなに容易くアルラウネに陥落するくらいだから」
「やかましいっ、はよ帰れッッ!」
 両手を振り上げて体全体で威嚇するように叫びを上げる碧にくすくすと笑いをこぼすと、それでは、と和沙は踵を返した。

<終――安らぎの場所へ>

「別に気にしてませんからね、オレ」
 寿の隣に並び、ぽつりと碧は言った。ちらりと横目で寿が碧を見やる。
 それに応えるように、碧はいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。
「ホントはああなる前にオレがちゃんとフォローしなきゃいけなかったんですよね。なのに、オレにはそれができなかった。だから別に寿だけのせいじゃない」
「……自分でもあれほどあっけなく憑かれてしまうとは思わなかった。情けないな」
 唇にかすかな自嘲の笑みをのせる。
 妻子がいるから引っかからないと、そういったのは自分なのに。
 思いっきりあっさり引っ掛けられた上、よりにもよってその妻に銃を向けてしまった。取り憑かれていたとはいえ、その時の記憶ははっきりと頭の中に残っている。自分の手で、碧の命を奪おうとしたことが。
「……遠野が手出ししなければ、俺は碧を撃っていたかもしれない」
 かすれがちな低い声で搾り出すように吐き出されたその言葉に、一瞬碧は声をなくした。
 確かにあの時、自分も寿に銃を向けられたというその事実があまりにもショックすぎて、動けなくなった。そんなこと、絶対にあるわけがないと思っていたから。
 でも。
「原因のすべてが寿にあるわけじゃないんですって」
 それに、と苦笑を浮かべて言を継ぐ。
「オレ、腹立ち任せで寿に思いっきりハリセンチョップかましちゃったし。それでおあいこですよね」
 だから気にしないで、と。
 いつもの笑みに戻り、寿の顔を覗き込んで告げる。その言葉に、ようやく寿の苦かった顔つきが柔らかさを取り戻す。
「確かに、あのハリセンは効いたからな……」
「あはは、まあ、やっぱり妻としては浮気は許しませんってことでその辺りは厳しくしとかなきゃ。でしょ?」
「心配ない」
 目を伏せながら、寿は薄く笑みを浮かべた。
「何があっても、俺が最後に帰るのは碧のいる所だから」
 その言葉に、碧の頬がわずかに上気する。それを隠すように手で頬を押さえ、えへへと照れ笑いを浮かべる。
「信用してますからね」
「ああ」
 茶色い碧の髪をそっと指先でかき上げ、寿はゆっくりと歩き出す。その後を、碧も追いかける。

 さあ、帰ろう。
 娘もきっと、二人の帰りを待っているから。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0065/抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき) /男/30/僧侶(退魔僧)】
【0454/鷹科・碧(たかしな・みどり)  /男/16/高校生】
【0751/遠野・和沙(とおの・かずさ)  /男/22/掃除屋(なんでも屋)】
【0763/城之宮・寿(しろのみや・ひさし)/男/21/スナイパー 】
【0803/間宮・甲斐(まみや・かい)   /男/22/陰陽師兼暗殺者(バイトでカメラマン)】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、はじめまして。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 城之宮寿さん。
 初めてのご参加、どうもありがとうございます。
 テラコン相関図で、遠野さんと「ライバル」、鷹科さんと「夫婦」ということでしたので、作中でもそのような関係として描かせていただきました。
 とてもしっかりプレイングがなされていたのですが、生かしきれていない部分がちらほらとあります…どうもすみません(汗)。
 少しでもイメージに近い寿さんが書けているといいのですが…。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。
 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。