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『MAD・RELEASE −乱戦−』
………………―――――――――――……。
何かの気配がした。
それが人のものであるという確信は、もはや霧原・鏡二(きりはら・きょうじ)にはもてなかった。
だが、ここで手をこまねいているわけにもゆかない。
調査は何も、終わっていないのだから。
「ウェルザ、もう一働きだ」
左手に埋め込まれた紫色のアメジストが、ほんの一瞬、淡い光を放つ。
幼い頃、見た事も無い闇のものに、奇妙な、悪魔の卵という名の宝石を植えつけられた。
卵がもたらすのは“渇き”と、そして、風の精霊たるウェルザの使役法。
もう十年以上の付き合いとなっている。
昔はそれでも、今より普通の生活を望んでいた。
だが、どんなに普通の生活を望もうと、卵は鏡二に渇きを与えてくる。ソレを潤す為には、闇の存在を喰らう必要があった。一月もすれば、耐えられなくなる渇きを癒す術は、今のところ狩り以外に無い。
「仕方が無い、……か?」
自問自答。だが、それに対する答えを、ウェルザはおろか自分ですら持ってはいない。
足音を消し、鏡二はゆっくりと奥へ踏み込んでゆく。
不気味な静寂。
だがそれも、開けた場所に出た瞬間に消えた。
ざわめくでもなく、ただ立っている十数名の人間達。一様に年齢層は若く、一目で行方不明者たちだと知れる。
皆、どこを見るでもなく、ただ命令を待つ人形のような虚ろな目をしていた。
ウェルザのものとは違う、異質な風が鏡二の黒い髪を乱す。
『ようこそ』
不意に、声が聞こえた。
誰のものとも分からない声。急いで周囲を見回す鏡二を嘲笑うかのように、音源であるスピーカーの姿も無い。
『ようこそ……君に出来る事はただ一つ。闘って闘って……』
だが、鏡二は既にそれ以外のものを探していた。
声はそれに気づいているのかいないのか、笑いを含んだ声色で言葉を続ける。
『そして、闘い抜く事だけだ。余計な事は考えず、せいぜい参照に値するデータになる様に闘ってくれたまえ』
声は、聞こえたときと同様、唐突に途切れた。
一瞬の静寂。
目当てのものはまだ見つからないというのに、人形のような行方不明者達が、鏡二に向かって動き出す。
表情の消えた顔。虚ろな目。ここに来た直後に襲ってきた少女と同じ。
否、それよりも酷い。
「モルモットか」
鏡二は舌打ちをして、ウェルザをその身から離した。
一気に近づいてくる行方不明者達から距離を取りながら、
「ウェルザ」
命令を下す。
主の言葉に、ウェルザはすぐに反応した。
明らかに人間離れしたスピードを発揮する行方不明者達へと強風を巻き起こし、食い止める。
不意打ちを喰らう形となった数人が、弾き飛ばされるように後方へと跳んだ。
「暴れていいが、殺すなよ?」
と、ひとまずはそんな簡単な指示を出し、鏡二は周囲を再度見回した。
あるはずなのだ。
この状況を観察しているであろう、カメラの存在が。
「ガァァァァァァァァ!」
獣の咆哮をあげ、十代前半とおぼしき少年が、ウェルザの生み出す風の中を強引に突き進んでくる。
ボキリ、と嫌な音が響く。恐らくは、どこかの骨が折れた音だろう。もしくは、誰かの。
だが行方不明者達は、何の迷いも無くその少年と同じように鏡二へと近づいてくる。痛覚はおろか、恐怖等の感情すら無くなってしまっているのだろう。
広いホールのような場所に広がる絶叫。
鏡二がカメラを見つけた直後、ウェルザの風を突破した一人が彼へと襲い掛かってゆく。背広を着た中年男性。
既に十人弱の相手に戸惑っているウェルザでは対応しきれない。
「邪魔をするな!」
かなりの無茶を言いながら、鏡二はバックステップで距離を取る。
が、先の少女同様、タイムラグを微塵も生み出さずに中年男性は更に鏡二を追ってくる。
中年男性が鉄パイプを持った両腕を振り上げた直後、ウェルザが足止めを諦めて強風を解き放った。
強い耳鳴りのような音。そして、
「ぎゃっ」
「なっ……!?」
すかさず駆け寄ってきた長い髪の女が、中年男性の肩へと噛み付いた。ガラン、と鉄パイプがコンクリートの上に落ちる。
わけが分からぬまま、鏡二はとにかくそこから距離を取った。ウェルザが体に巻きついてきて、周囲を見ろと促してくる。
「何なんだ……一体」
そこには、既に同士討ちを始めた行方不明者達の姿があった。
ある者は素手で殴りかかり、ある者は中年男性同様に鉄パイプ等の鈍器を持って別のものに襲い掛かる。
そんな地獄絵図のような光景から我に返った鏡二は、再度、ウェルザに命令すると自身はカメラの方へと近寄っていく。
「あの連中を止めておいてくれ」
答えるように、ホールに二度目の強風が吹き荒れる。
鏡二は、カメラへと魔力を送った。少し手間取るが、それを電気信号へと変換し逆探知を試みようというのだ。
が、世の中そう甘くはいかないわけで。
「ガァッ!!」
ウェルザの風を逃れた少年が、折れた右腕などお構い無しに突っ込んでくる。その左手にはコンクリート片が握られている。普通の人間ならば、それで殴られれば死ねるだろう。
ちらりと乱戦状態である方向を見ると、案の定、数名が既に地に倒れていた。誰かにやられたのか、体が持たなかったのか、どちらにせよもう一生まともな生活は送れないだろう。
「……俺は、真っ平ゴメンだぞ」
誰でもない誰かを非難するように呟いて、鏡二は少年を見据えた。ウェルザはまだ数名残っている者たちを制限するので手一杯らしい。何より、彼(彼女)の力では鏡二まで巻き込んでしまうカタチとなる。
振り下ろされるコンクリート片は難なくかわし、カメラへと送る魔力を強める。早く。カメラの発信源を探さなければ。
もともとスポーツでもやっていたのか、少年の動きは中年男性よりも素早かった。
反動を強引に修正し、足払いをかけてくる。かわされたと知るや否や、今度はそのまま殴りかかる。
さすがの鏡二も、避けるだけで手一杯となってきていた。プログラム同様に、信号と命令さえあれば逆探知はなんとかなる。だがその前に、当の鏡二が死んでいては意味が無い。
「ちぃっ……!」
戦闘機械と化した少年の攻撃をかわしながら、鏡二は焦りを感じていた。
頭の中には、パソコンの画面のようにパーセンテージが浮かんでいる。逆探知完了まで後半分。
そもそも首謀者である人間は何をしたかったのだろう。
考えが頭を掠め、その瞬間に隙が生まれた。
逆探知完了まで、後25%。
「ぐ……っ」
見事なまでの蹴りが脇腹へと入る。今度は、受け止めてくれる風は無い。
広い場所が不幸中の幸いと言うべきか。地面を転がった鏡二は、痛みに顔を顰めながらもすぐに体勢を整えた。体の痛みは我慢できる。まだ。
少年の二度目の蹴りを危なげながらかわし、頭に浮かぶバーが全て色づく。
そしてその下には、逆探知完了の文字。
これ幸いにと、鏡二は携帯を取り出しながら後退した。
「ウェルザ、もう少し耐えてくれ……」
その間に、なんとかする。
鏡二が少年に背を向けて走り出す。追いかけようとした少年がガクリを膝を突いたのを、彼は既に見ていなかった。ホールに容赦なく強風が吹き荒れる音が耳に付く。
カメラは、警備室へと繋がっていた。
考えてみれば当たり前なのかもしれない。あれは最初から監視用のカメラだ。
廊下を走りながら、鏡二は携帯で警察へと連絡をいれる為に番号を押す。最も近い場所はどこだろう。いや、それは向こうが判断する事だ。
「噂になっている廃ビル群に人を向かわせてくれ。パトカーと救急車だ」
相手側が電話に出たと思うと、お決まりの言葉も聞かずに、鏡二は矢継ぎ早に住所を伝えた。
「は?」
聞き返してくる女性に、鏡二は同じ事を繰り返す。
「いいから、言うとおりにしてくれ。俺の名前は霧原鏡二。悪戯なんかじゃない。人が大勢死にそうなんだ!」
大勢というのは些か誇張ではあったが、電話の向こうにいる女性は明らかに迷っているようだった。
信用して良いのだろうか。
電話越しからも伝わってくるそんな動揺が、今の鏡二にはとにかくじれったい。
「とにかく頼む。訳が必要なら後で連行でもなんでもしてくれ」
警備室の扉の前にたどり着くと、鏡二は一方的に電話を切った。
警察と押し問答をしている場合ではない。
扉は開いていた。
中は暗く、当然のように、誰もいない。
誰一人として。
「くそっ、遅かったか!」
手近な壁をたたきつけながら、鏡二はたった一つつけられていた画面へと視線を移した。
そこには、自滅か、同士討ちか、或いはウェルザの風かによって地に伏した行方不明者達の姿が映っている。
あの中に息のある人間はどれだけいるだろうか。もしいたとして、それは歓迎すべき事だろうか。
首謀者と思しき人間の痕跡は、ばか丁寧に掃除されたかのように一つも残ってはいなかった。
ただ、自身の放った魔力の残滓だけが感じ取れる。
どうしようもない無力感を感じながら、鏡二はHとまずホールへと戻ることにした。
もしいるならば、それが幸か不幸かに関わらず、生存者を外の世界へと出してやらなければならない。
それが、最低限のやるべき事だった。
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