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<PCシナリオノベル(シングル)>


求めよ、然からば与えられん

 水曜日。朧月桜夜は渋谷に出ていた。特に目的もなく、例えば秋冬もののファンデが安ければ買おうとか、自分好みのコートがあったら手に入れておこうとか、最新の映画が面白そうだったら、後で同居人と来るためにチェックしておこうという、年頃の女の子らしいただの散歩なのである。まぁ、人とちょっと違うのは、散歩ついでに目に付いた雑霊など払ってしまう事なのだが…。

 お昼も食べ、歩きつかれた桜夜はふと目に付いた小さな公園に入った。学校はもう終わったのだろうか、キャッチボールをして遊ぶ子供がいたり、親子連れがポップコーンを撒いては大騒ぎしている。
「なごむなぁ…」
 ベンチに腰掛け、ぼんやりとその光景を見ながら呟く。緋色の瞳が半分閉じられ、揃えた膝に置いた肘から顎へ手を突いているが、そのすんなりとした腕は、堅さのある少女から、柔らかなフォルムを描くようになるつかの間のフォルムを持っていた。
── こういうのって、なんて言うんだっけ……。
 桜夜は目を閉じた。
 冬に向けて色を変えた梢の葉が、こそばゆいような音を立てているのが聞こえる。
 身体に感じる光の温かみは一層穏やかで。
 ああ、隣に大好きな人がいたら、もっといいな、なんて思う、そんな小春日和。
「済みませーん! ボール取ってくださーい!」
 足元に当たった微かな感触とその声に、桜夜は目を開けた。見ればグローブをはめた子供が一生懸命こちらに手を振っている。
「よーし、いくよー!」
 転がってきたボールを手に取り、立ち上がる。子供までの距離は…そう、40メートルはありそうだが。
 バーバリーのミニスカートから覗いた形のいい脚が、片方思い切り良く上げられる。 
 ためらいなくしなやかに反らされた細い背筋。
 青空に吸い込まれるような白い曲線は、見事に子供の手の中に落ちた。
「アリアトザイマシター!」
 大きな笑顔にひらひら手を振りながら、桜夜の顔にも思わず笑みがこぼれた、その時。
「ねぇ、あんた今、幸せ?」
 突然、後ろから声を掛けられた。
 振り返るとそこには、季節にはまだ少し早い、黒のロングコートを着た男が一人立っていた。
「…あんた、誰よ」
 桜夜は相手を睨み上げた。彼女は決して背の低い方ではない。寧ろすらりとしたモデル並体型をしている。だが男は更に背が高く、上から下までじろじろと観察してみれば、細身だし、真っ黒なサングラスの向こうにある顔立ちは、結構イケてる雰囲気だ。でも、ナンパの為の第一声があんた、幸せか? とは一体どういうつもりなんだろう。
── また変なのが寄って来ちゃったのかしら。この美貌も罪ってもんよねぇ。
 今日はまだ少ない方だが、もうこれで4人目だ。しつこかったら顎を砕いて逃げようっと。などと桜夜が考えているとは露知らず、男は慌てたようにサングラスを外した。
「あ、悪ィ悪ィ。あんたがあんまり目ェ引くもんだからつい声かけちまって。」
 その下から覗いた少し細く鋭い瞳は、桜夜の鮮やかな赤とは違い、不吉に赤い月を思わせる朱色をしていた。一瞬飲み込まれそうになった桜夜は肩を竦めてその気を払うとつれなく言った。
「悪いけどアタシ、今日は気が乗らないの」
 気が向けば楽しい時間を過ごすのも嫌いではないが、かと言って自分の都合を曲げてまで人に付き合う感覚も持ち合わせていない。
「まぁ、ま。奢るからさ、時間あんならちょっと茶でもしばかねぇ?俺、今暇なんだよ。」
「ばいばーい☆」
 しつこい男に背を向けて歩き出した桜夜の肩を、しかし男が掴んだ。見た目以上に力のある大きな掌が、桜夜の細い肩に食い込む。
「ちょ、痛…」
 文句を言おうと向き直った桜夜の目の前で、男は背を屈め笑った。
「あんた、かなり普通じゃねぇよな? 興味あンだよ。そういう人の…」
人好きのするその笑顔に、薄っすらとした冷ややかさが浮かんだ。「生きてる理由みたいなのがさ」


 大きく取られたウィンドウの外には、先程まで居た公園が見える。
── 男の癖に、良くこんな店選んだわねぇ。
 クリスマスに向けてなのか、ショーウィンドウには既にライトアップされた可愛らしい天使が並び、ピンク色をした店内の壁には、星がきらきらと瞬いている。男性には入りにくいものがあると思うのだが。
 こうして桜夜が先程の男と向き合って、メニューを覗いているのは無論あの冷ややかな笑みに脅されたからではない。この男の言葉に興味を惹かれたからに他ならぬ。
「ご注文をどうぞ?」
 エプロンドレスを着た店員が、ポケットからオーダーを出しながら近づいてきた。
「えっと…ミニミニ☆サンドイッチと、ココナッツミルク・白玉と、ハチミツクリームワッフルと、ミルキーココアと、ぷりぷりプリン。順番に持ってきてね♪」
 人のオゴリは遠慮なく! が桜夜の信条である。これでも、先程お昼を食べたばかりだから遠慮してあげているのだ。何せ彼女は育ち盛りの16歳。体重…? いやいや、それは後日悩めばいい事で。
「俺はこの…ストロベリー・ミルキーウェイ☆ にしよ」
「なに? ストロベリー・ミルキーウェイって」
 メニューを探してもないもので、桜夜が尋ねると。
「練乳氷いちごでございます。生憎ですが、こちら夏季限定商品ですので…」
「じゃ、こっちのグリーンティ・ミルキーウェイ☆」
「そちらも夏季限定商品でして…」
「ならこっちのブルーハワイ・ミルキーウェイ☆」
「そちらも……」
 店員と相手の男のやりとりを聞きながら、桜夜は思わず噴き出した。普通じゃない、と言われて気構えていた心の壁が、ふっと開放される。
「カキ氷はないんだって。ホラ、貸してごらんなさいよ。ここに書いてあるでしょ?」
 元々桜夜は明るく前向きな性質だ。目の前の男がなんであろうが、いざとなればどうとでもできるし、こうなれば逆に興味も沸いてくる。
「大体どうしてこの寒いのに、氷なんか頼もうとするの?」
「冷たいものが好きなだけだ」
 含み笑いを見せながら、漸く分ったというように、彼はアイスティを注文してメニューを返した。いつの間に脱いだのか、気付けばロングコートの下も黒尽くめの服装で、指にも首筋にも、燻銀のアクセサリーをつけている。桜夜の趣味ではないが、彼には似合って見えた。
「で…改めて聞くけど、あんた誰?」
 ホットタオルで凍えた指を暖めながら、桜夜は尋ねた。
「ピュン・フー」
彼は逆に、まるで熱湯に指を通したかのように、タオルを扱っている。「通り名だけどな…で、あんた…」
「桜夜よ。朧月桜夜」
 ココアとアイスティが運ばれてきた。
「桜夜、俺の質問に答えてみろよ。…あんた今、幸せか……って」
「何でそんな事聞きたがるの?」
 間髪入れず聞き返すと、ピュン・フーと名乗った青年は、ニッと笑った。
「聞きたいだけだ」
「……ふぅん…」
 桜夜の視界が湯気で霞む。
── 幸せか、どうかか。
 疑問に思ってしまったら、確かに誰かに尋ねたくなる質問かもしれない。幸せは自分の匙では測りようがなくて、かと言って比べられるものでもない。戦争をしている国の人々から見れば、自分はよほど幸せなのかもしれないし、月並みだけど億万長者でプール付きの豪邸を一杯持っている人から見れば、他人の家に厄介になっている桜夜の生活など鼻先で笑い飛ばされてしまうかもしれない。
 掌で包んだココアは、甘い香りがする。
 桜夜はウィンドウに映る自分の姿を透かして、先程の公園に目をやった。
「ね、あんたはああいうの、どう思う?」
「ああいうの?」
ピュン・フーは外を眺めた。鳩に餌をやりながら笑いあう親子が見える。「別に、どうとも」
「そっけないんだ」
桜夜は微かに笑った。「アタシはね、ああいうの見るのが、好き」
 細い顎を支えて肘を付き、桜夜は再び目を細めた。
 脳裏を、暗い部屋に閉じ込められて過ごした十数年が過る。小さな窓から差し込む光に憧れて見上げる毎日。その下で思い切り身体を動かす事があるとすれば、親である前に陰陽の一族である父や母に、動けなくなるくらいの稽古を付けられるときだけだった。
 全てはこの身体に生まれたせい。ふくらみのない胸、なのに華奢な体。…仮性半陰陽。
 少しでも本当の遺伝子と、何より自分の心に近づけたくて、少女の格好をする今の自分。
 滑稽だと言いたければ言えばいい。だからと言って落ち込んだり情けなく思ったりするような時期は、もうとっくに過ぎた。この体が今どうであろうと、捨てる気も汚す気もないのだから。
 けれど。…笑い合ったりじゃれあって遊んだ事のない過去や、痛みに身体を抱えていても、頭さえ撫でらえなかった記憶を思い出すときは、少し胸が痛む。
 黙りこんでしまった桜夜の横顔を見ながら、ピュン・フーは溜息を付いた。
── この女も違うのか?
 彼は『国際的超常現象対策機関』IO2のメンバーだった。普通ではない能力を持ち戦う、人ではない人間。そんな過去があるせいか、それとも元々の性格なのか、彼は自分の命に酷く無頓着だった。
 目の前で死んでいく元は人であったり、バケモノであったりする物体を眺めながら、では『生きるとはなんだろう』…そう思い始めたのはいつの頃からであったろうか。
 彼はIO2を出奔し、敵側に回った。だがそこにも答えはなく……桜夜のような尋常でない気をまとう人間に出会うたび、同じ質問を繰り返すようになったのは、もう自分では答えを出せないと気付き始めているからかもしれない。
── 俺が求めている答えを、知る人間は居ないのか……
「……でしょ?」
 ピュン・フーは桜夜の柔らかく低い声に、現実に引き戻された。いつの間にか彼女の前には、空になった皿が数枚並べられていて、彼女は紙ナプキンで、カップについた口紅を拭っていた。
「聞いてるの? あんたはどうなのって聞いたの。その年で平日にふらふらしてるようなら、どうせ学校辞めて、ふらふらしてるんでしょ?」
 追加オーダーするかどうか迷いながら、桜夜はピュン・フーを見上げた。そんな事を言えば、若干16歳の桜夜とて、同じだろうと思うのだが。
 全く聞いていなかったに違いない。ピュン・フーのきょとんとした顔が少し可笑しかった。
「例えば。あんたが規則でがんじがらめの学校に居たとするでしょ? で、そこを出たくて出たくて仕方なかった。だけどこの不況で、やめちゃったらその先どうなるか分らなかった。でもあんたは意を決して学校を辞めた! さあ、どう?」
「どうって……」
 ピュン・フーは勿論学校など行った事はない。いや、遠い昔になら行った事もあった様な気もするが、忘れてしまった。だが強いて似た記憶を探るなら、IO2を辞めたこと…位だろうか。
「答えはね、スッキリ! よ」
桜夜の真紅の瞳は微笑んでいた。「後に残してきた学校での生活もそりゃちょっとは気になるの。でも見るものも聞くものも全部楽しくて新鮮。今までどんなに鬱屈した生活をしていたかに気付いて、余計に身体も心も弾むの。縮んでた背中を伸ばして、空を見上げて、あ、アタシったら今凄く満足してる! って思うのよ」
 そこで、桜夜はちらっと可愛らしく舌を出した。
「勿論、学校っていうのはたとえよ、たとえ。……アタシは、学校凄く行きたかったもん」
 今は一杯友達いるからいいけどさ。と言った桜夜の笑い顔を見ながら、ピュン・フーは考えた。 彼はIO2を辞めたからと言って、彼女のような気持ちになったことは、過去に一度もありはしない。
「……じゃあ、生きている理由は? 桜夜、あんたの生きる理由はなんだ?」
 聞けば、分るだろうか。目の前にいる赤い髪の少女が、こんなにも生き生きとして輝いて見えるその理由が。彼の追い求めている『生とは何か』が分るだろうか。
 今彼女は、紛れもなく『生きている』。ピュン・フーは思わず身を乗り出し、期待した。
 だが、桜夜は脱力したように椅子に背を持たせかけた。
「理由…か。それ探しに出てきたからなァ」
苦笑する。「疎まれてたし。今でアタシに生きててもいいよって言ってくれた人なんて居なかった。だからね、アタシだってきっと、探してる最中なんだよ」
 桜夜は、先程公園で日の光を浴びながら、思った事を思い出した。
『なんていうんだっけ、こういうの…』
── あれはね。こう言うの。『しあわせ』
 彼女は椅子の背にもたれかかりながら、窓越しに公園を覗いた。今はもう誰も居ないが、そこには桜夜が昔手に入れられなかった、何かがある。でも、今は。
「アタシ凄くいろんな意味で中途半端だけど…でも今は心配してくれる人もいるし、家とかもあって。お早うとかお帰りとかそう言った他愛無い挨拶とか会話とか…それが嬉しいから、沢山欲しいんだァ…」
 望んだもの全てではないけれど、時にそれ以上のものが、すぐ傍にある。だからこそあんな風景を心からいとおしいと思えるのではないだろうか。
 そして彼女は背を伸ばし、強い瞳で彼をまっすぐに、射抜いた。
「多分、理由ってそーゆーことなのかもしれないけど。どう?」
「……そうか」
 元IO2、現虚無の境界霊鬼兵ピュン・フーはこの東京の行く末を知っていた。
 小さく、携帯の音が鳴り始める。今時の若者に似合わぬ、ただの電子音。
「生きる理由は、他愛もない生活…か。それを続けていきたかったなら、知り合いごっそり引き連れて、この東京から逃げるんだな」
 この女の答えは、残念ながら自分には当てはまらなかった。
 しかし、悪くもなかったと言える。
 彼は伝票を引き抜いて立ち上がった。呼び出しの相手はイラつきながら待っているに違いない。
「え…ちょっと。へーとかふ〜ん、とかそういう感想はないワケ!?」
 だが、桜夜の言葉には答えず、ピュン・フーはコートを手に取り、羽織った。その時、コートと裏地の赤が、血塗れた黒い翼が羽ばたくように見え、桜夜は一瞬目を疑った。
「死にたくなったら、も一回俺の前に姿を見せればいい。ちゃんと殺してやるから」
 黒い影は、最後にちらっと微笑んだ。
「え……?」
 気のせいだったのかと目を擦り、もう一度目を上げたとき。
 ピュン・フーと名乗った黒衣の男は桜夜の前から姿を消していた。店の中からも、窓の外にももう姿は見えなかった。
「ち…ちょっと、何よそれ! もう一度俺の前にって……あんたがアタシの前にいきなり出てきたんじゃないの!! 大体、殺すの逃げるのって、どういう意味よっ!」
 気付けば、自分の事ばかり話して、相手のことは爪の先程も分らないままだった。本当にあの男は居たのだろうか…だが桜夜の前には、空になったアイスティーのグラスが置かれていた。
「お客さま。ぷりぷりプリンでございます」
「あ、アリガト」
 困惑している桜夜の前に、最後の一品が運ばれてきて、彼女は我に返った。
 喫茶店の厨房の中ではその時、『あのお客さま、きっとあんまりにも食べるから、愛想尽かされちゃったんだわ…そうだわね、きっとそうね』などという会話が交わされていたのだが。
 幸いな事に、怒りに任せてプリンをほうばる桜夜の耳には届かなかった様子で。
 伝票を置いて行かれなかったのは、不幸中の幸いというものである。


<終わり>