コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


東京怪談・月刊アトラス編集部「年末と病と三下の悪夢」

■オープニング■
 朝、出勤した碇麗香は自分の机に着くなり眉根を寄せた。
 それは何もその机が資料もごみも無いほど荒れ果てているからではなく、目新しい事件の資料が無いからでもない。
「……なんなのこれは?」
 冷ややかに、これ以上は無い程に冷ややかな声で、麗香はそう言った。人差し指と中指に挟まれ、これとして翳されているのは一枚のメモ用紙。
「め、メモ用紙ですけど」
 バイトの一人が恐る恐る答える。麗香はふんと鼻を鳴らした。
「そんな見て分かるようなことを聞いてると本気で思ってるの」
 勿論思ってません。そう答える根性があるようならバイトの身分に甘んじてなど居なかろう。バイトは泣き出しそうな顔で身を縮めた。
「あの、三下さんは……お休みなんだそうです、風邪で……」
 消え入りそうなバイトの声に、麗香は満足そうに頷いた。
「つまりそろそろ年末も近づいて忙しくなるっていうのに、来月号の校了もまだ終了してないっていうのに彼は呑気に寝込んでいると、そういうわけね?」
「……はい」
 麗香は口の端を釣り上げて笑んだ。何というか、酷く獰猛な笑みだった。
「そう、それは問題ね。誰か三下くんを私の目の前まで引っ張ってきて頂戴。生死は問うけど健康状態は問わないわ」
 麗香の体から発せられる冷ややかなオーラに、誰も『それで三下をどうするつもりなのか』という問いを発することが出来なかった。

■本編■
「み、三下さんっ! 今、今お側に参上するっスよーっ!!!!!」
 バン! と大きな音を立ててそのドアは開かれ、また閉じられた。絶叫しながらドアから飛びだしてきたものは、更に絶叫しながら雑居ビルの階段を駆け下りていく。
 冴木・紫(さえき・ゆかり)は人影を追って階段の下へと動いていた視線を、ドアへと戻した。絶叫しながら去っていった何かに興味を惹かれないでもなかったが、いまさら追いかけたところで影も形も見つからないだろう。そのくらいの勢いはあった。
 そうなるともうその物体についての情報元は物体が蹴破る勢いで開け、そして締めたドアの向こう側しかない。
 しかしそのドアに視線を留めた紫はきゅっと眉間に皺を寄せた。
 そのドアから漏れ出しているものは確かに殺気だった。
 このところ妙にこうした殺伐とした気配だの雰囲気だのに晒される機会が多くなっている気がしたが紫は殊更それを気に病んではいなかった。何しろ紫は三流オカルト雑誌を中心に仕事をしているフリーライター。殺伐とした事件が飯の種だ。事件は多い方がいい。病め医者死ね坊主とはよく言ったものである。
 ……尤も飯の種になりそうな殺伐とした生活を送っていながら相変わらず紫は金には縁がなかったが。
 紫はあからさまな殺気を放つドアを見据え、ふむと腕を組んだ。入るべきか入らざるべきかという問の解は既に決っている。問題はこの殺気が一体何に端を発しているか、と言う事だった。それによってドアの先に居る人物への対応が変ってくる。
 少しだけ考えて、紫はすぐにドアノブへと手を伸ばした。
 確かにこの編集部には気まぐれで恐ろしい女傑が存在しているが、避雷針もちゃんと存在しているのだ。麗香の機嫌が悪ければ三下を盾にして逃げようと軽く考えて、紫はドアを開けた。
 今日に限って避雷針がないことも知らずに。

 空はきれいに晴れていても外気は冷たい。冬特有のぴんと張詰めた空気に、紫はぞくりと身を震わせた。
「寒いわねー、流石に」
「そうだな」
 真名神・慶悟(まながみ・けいご)は気のない返事を返した。コートを着込み、肩を竦めてマフラーに顔を埋めるようにしている紫とは裏腹に、普段の派手なスーツ姿のままである。
 紫は胡散臭そうに慶悟を見上げた。
「絶対寒いと思ってないでしょ実は」
「まあ、この程度ならな」
「……痩せて見えるけど実は皮下脂肪厚かったりとかしない?」
「何故そこで修行の成果だという発想が出ないんだあんたは」
 出ないではなく出さないだが、そこのところは突っ込まずに、紫はほっと息を吐きだした。吐く息はもう白い。
 あのドア、月刊アトラス編集部への扉を開けた紫は、出会い頭に麗香の殺気に晒される事となった。同じく逃げそびれた慶悟と共に三下捕獲依頼を遂行する羽目に陥っている。
「……こんなことしたくないのよねー、本当は。誰だって風邪くらい引くじゃない?」
「まあな」
「でも私フリーで立場弱いしねー、ここで碇さんに逆らったりして仕事貰えなくなっちゃったりすると大都会の孤独な死、しかも餓死とか言う事態になりかねないし、それはちょっとあまりにもかわいそうでしょ私が」
「……あんたが言うとすごい説得力だな」
 妙に感心したように頷く慶悟の足をヒールの踵で踏み躙り、顔を顰める慶悟を勿論無視して紫は続けた。
「三下さんには悪いけどやっぱりここは碇さんに逆らうのって得策じゃないわよね」
「冴木」
 名を呼んでも勿論紫は答えない。
「……でもやっぱり本当はしたくないわ、こんなこと」
「……冴木」
「何よ?」
 強い語調で再度名を呼ばれ、漸く紫は自分のヒールが踏みつけた足の持主を正面から見据えた。慶悟は胡散臭そうな目で紫を見下ろしている。
「顔が笑ってるぞ、顔が」
 指摘されたとおり紫は笑み崩れていた。
 こんなことはしたくないと人道主義まっしぐらな台詞を吐いていながらその顔は実にだらしなく笑み崩れていたのだ。
「幻よ」
 しかし紫は動じることなくきっぱりとそう言いきった。
「まあ、あんたが楽しいならそれでいいがな」
 三下の生命よりも紫のストレス度合のほうが慶悟には重要だった。好意云々の話ではなく、溜まったストレスの煽りを受けるのは慶悟(の財布)と相場が決っているからだった。

 二人がスーパーマーケットの袋を三つもぶら下げたシュライン・エマ(しゅらいん・えま)と合流したのは三下のアパート付近でだった。袋の中身は食料や薬、パジャマなどといった三下の見舞品らしい。
 さも当然とばかりに荷物は全部慶悟に預け、シュラインはコキコキと肩を鳴らした。
「助かったわ真名神くん。重くって仕方なかったのよ」
 にっこりと笑うシュラインを指差し、慶悟は色々なものをたっぷりと含ませた目つきで紫を見下ろした。
「こういう一般的な反応くらい学習したらどうだ?」
「要らない事学習できるほどカロリーに余剰ないわよ私」
 きっぱり言いきって、紫は目の前のアパートを眺めた。どう見てもごく一般的な木造モルタルアパートである。
 だがそこからどうにも不穏な気配が漂ってきている気がしてならない。
「……なんだか胸騒ぎがするわね」
 シュラインの言葉に、紫と慶悟は同時に頷いた。
 世の中そういう予感ほどよく当るというのは、今更どんな説明も要らないほどに真理であった。

「来たか」
 その場にあった袷着物に羽織、ジーンズにトドメの目隠しという出で立ちの男の姿に、残念ながら驚いたものは居なかった。その脇では大柄な少年が腰を低くして戦闘体制を整えている。その少年に軽いデジャヴュを感じ、紫は怪訝そうに少年を眺めた。
「えーと……確か……アトラスのバイトの子じゃなかった?」
「今は三下さんを守る愛の闘士っス!」
 紫はうんざりと目を細め、少年、湖影・龍之助(こかげ・りゅうのすけ)と志堂・霞(しどう・かすみ)を交互に指差した。
「一般的って言葉を学習するべきなのはむしろああいうのよ」
「あんたあれと同列に並べられて嬉しいのか?」
「嬉しいわきゃないでしょうが」
「お願いだからあんた達TPO考えて頂戴」
 三つ巴になりかけた雰囲気に水を差したのは淡々とした霞の声だった。霞は光の刃をひたりと構え、真剣そのものの顔で言った。
「では、三下からの要求を伝える。『僕に復帰して欲しくばバニー姿で、忠リンに復帰してもらわないと、麗華困っちゃうっ☆と懇願でもするんですね』だそうだ」
 地獄のような沈黙とはこういうことを言うのだろうか。
 凍りついた空気に紫はなんとなくそんなことを思った。
「……三下の分際でよくもそんな要求を……」
 冷汗を流しながら慶悟が喉に絡んだ声で沈黙を撃ち破る。
「分際ってなんスか!? 分際って! 三下さんは最高っスよ!」
「いや最高な人はバニーとか要求しないと思うんだけど……」
 思わず突っ込んだ紫の耳元でこそっとシュラインが囁く。
「無駄よ。三下くんの事となると目の色変るから」
「……さっきから思ってたけどこの子って……」
 眼前で行われる聞えよがしなひそひそ話に、龍之助は拳を握り締めて叫んだ。
「愛に性別は関係ないっス!」
 そしてバッと上着を脱捨て、腰を落す。
「さあ! 三下さんを連れて行くのは…俺を倒してからっスよ!」
「俺も、相手になろう」
 霞もまた布で覆われた眼を三人へと向ける。
「……そう来るか」
 にやりと笑って、慶悟が符を構えた。
 ほの青い殺気の炎が空中を揺らめく。
 紫とシュラインは顔を見合わせた。正しく一色触発の絵図だがここでこの二人と慶悟が戦わねばならぬ理由などない。当の三下の姿も見えない。
 死気から生気へ、そしてまた死気へ。
 段々と殺気を発する三人の呼気が揃って来る。それに連れて緊迫感も否応なく増した。
 また、死気へ。そして、
 ぐっと慶悟が軸足を踏みこむ。
「じゃー、そういうことで」
「出直すわ」
 紫とシュラインは笑顔で部屋の前を後にした。今にも飛びだそうとしていた慶悟の腕を一本ずつ腕に絡めて、連行しつつ。
 すっかり抜けた緊迫感の残滓だけをその場に残して。

「邪魔をしてくれと頼んだ覚えはないが」
 慶悟が不機嫌を隠すことなく視線に乗せて向けてくる。紫ははあとこれ見よがしに息を吐きだした。
「あのね、2対1、おまけに片方は問答無用の武力持ってる志堂よ? 邪魔でもしなかったらどうなってたと思うのよ?」
「…………」
 むっつりと慶悟は黙り込んだ。紫の指摘は正しい。一般常識の欠如具合と反比例して、霞は問答無用で腕は立つのだ。(つまり問答無用で一般常識はない)だが男としても、陰陽道つまりは武力で生計を立てている身としても、そんなことは認めたくないのだろう。『まともに戦ってたら負けました』などと。
 その複雑な自尊心を気遣ったのだろうか、シュラインが事務的な口調で会話に入ってきた。
「それに、どう考えても戦うだけ無駄なのよ。少なくとも志堂くんとはね」
「そーねー」
 同意した紫はベンチの背もたれにかくんと体重を預けて仰け反った。巨大な猫がダレているような有様である。
 慶悟がぴくんと眉根を跳ね上げた。
「どういうことだ?」
「あなたそーとー頭に血ィ昇ってんでしょ?」
 まー私も一瞬信じたけどあんまりにも突拍子なくて思わず。そういってむくりと身を起した紫はそろそろ冷め始めたミルクティーの缶をかこんと音を立てて開けた。
「あの『三下くん』が、『麗香さん』に、まともなものでも何か要求突きつけられたことがあった?」
 シュラインの言葉に、はっと慶悟は息を飲んだ。
 紫の言うように意表を突かれて思わず信じ込んでいたが、言われてみれば。
「……なくもないだろうが……容れられた事はないだろうな」
「そういうことよ」
「バニーなんて三下さんが言いだせるわけないじゃない。またなんか勘違いしてるか……」
「騙されてるんでしょうね、志堂くん」
 交互に言った紫とシュラインは同時にはーっと大きな息を吐きだした。一拍遅れて慶悟もそれに続く。
「確かに戦うだけ無駄だな、それは」
「でしょう? 誤解を解けばそれでいいのよ。志堂くんの誤解が解ければ、後は湖影くんだけ。それならなんとでもなるし」
 シュラインの言葉に、紫は口元まで持って来ていた缶を降ろした。まるで苦いものでも飲干したかのように。
「……ねえそれ……もしかして戦うより厄介なんじゃない?」
 慶悟もシュラインも、一瞬その問いかけに答えることが出来なかった。あまりにも無常な現実過ぎて。
 しばしの沈黙の後に、シュラインがごくりとつばを飲みくだした。
「説得するって考えるから難しい気がするのよ」
 言ったシュラインは躊躇するように一旦言葉を切った。ややあってから再び口を開いたシュラインは、妙にさっぱりとあっけらかんとした口調になっていた。人間覚悟を決めるとそんなものかもしれない。
「更に騙しましょう」
 その言葉に、紫と慶悟は思わず感嘆の声を漏らした。
「成る程な」
「冬の八甲田がよみうりランドになったような感覚ねー」
「どんな例えだそれは?」
「違う?」
 きょとんと見上げられ、慶悟は苦笑して『違わんが』と言った。
 志堂霞を説得する。志堂霞を騙す。
 結果として同じでも、その二つにはそこまでの隔たりを感じずにはいられない。
 ともあれ方針は決った。三人は手にした缶をそれぞれ飲干して、行動を開始した。

 再び木造モルタル築7年程の三下アパート前。エレベーターでもエスカレーターでもない単なるコンクリートの階段前に龍之助が仁王立ちしていた。
「性懲りもなく来たっスね! 俺の三下さんは渡さないっスよ!」
 何気に三下所有物宣言である湖影龍之助17歳男子高校生独身。
「あーねえあなたには今んトコ用ないんだけど、志堂は?」
「志堂さんなら中っスよ。呼んできましょうか?」
 けろりとした顔で龍之助は答えた。三下でなければ売ることに躊躇はないらしい。
 シュラインは流石に呆れたように目を細めた。
「そうして頂戴」
「了解っス!」
 叫んで駆出す龍之助の後姿にあるものを連想して、ポツリと紫は呟いた。
「……犬……」
「猛犬ではないな」
「こう……何ていうのかしら? 見た目は迫力あるんだけど、ボール追って電柱に激突したりしそうな感じの……大型犬ね」
 慶悟とシュラインは実に無常に同意の台詞を吐いた。
 階段を駆け上がっていった龍之助が足音も高らかに階段を駆け下りてくる。紫は先ほどの連想をより強固なものへと進化させた。犬である確かに。妙に愛嬌のある憎めない偶に始末に困る大型犬である。
 さて偶に所か対外始末に困る志堂霞はゆっくりとした足取で階段を下りてきた。既に手の中に光の刃を呼びだしている辺りが始末に負えない箇所である。
「……今度こそやる気か?」
 階段四段分ほど高い位置から三人を見下ろし、霞が淡々と訊ねてくる。シュラインはそれにゆっくりと首を振った。
「いいえ。要求は麗香さんに伝えたわ。私達はメッセンジャーだと思って頂戴」
 嘘その一。勿論そんな火に油を注いだ上に酸素を注入してやるような伝言など伝えていない。
 しかし霞は重々しく頷いた。龍之助は不審そうな顔をしていたが。
「麗香さん……すごく悩んでねー、一度は着ようとしたんだけど恥かしかったみたいで泣伏しちゃって」
 嘘その二。麗香は怒るかもしれないが泣かない。
 霞の顔を動揺が過った。
「う…」
 そっス!
 そう言おうとした龍之助はその瞬間に身を強張らせた。慶悟の禁呪である。
「あんな気丈な女性に泣くほどの動揺を与えて……あんた平気なのか?」
 その一その二を踏まえた上での説得、微妙に嘘その三。麗香は動揺などしちゃいない。烈火の怒りを鉄面皮の下に押隠し、ぞっとするほどの冷たい笑顔を浮べているだけだ。
「しかし……依頼だ」
 苦悶する霞に、駄目押しとばかりに慶悟は言った。
「あんた女泣かせて平気な男だったか?」
「く…」
 霞は歯噛みした。
 それが三人の卑怯極まりない勝利を決定付けていた。

「ああああああ、三下さんっ!」
 頓狂な声を上げ、龍之助は三下に飛びついた。
 三下は結局部屋には居なかった。霞が知人を無理やり押切ってそのマンションに匿っていたのである。押切る過程で霞が何を言ったのかは三下の今の有様が物語っている。
 龍之助に半泣きで取りすがられても三下は逃げない。と言うよりも逃げられない。
 簀巻状態で風呂の脱衣所に転がされているのだから。
 因みにその霞はといえばその協力者に別室で叱られ倒している。
「ここまでする? 普通?」
 うんざりといったシュラインに、慶悟と紫は顔を見合わせて溜息をついた。
 霞が頼った先は、佐藤麻衣。以前依頼で関った女子高生だが、性格は単なる女子高生としてはかなり破格に過激だった。
「まあ…志堂からバニーさん話聞かされて信じ込んでたんならこのくらいはすると思うけど」
「思うと言うか、既にしているしな」
 タダでさえ休暇申請をする程風邪を引いていた三下は、寒い脱衣所とぞんざいな扱いの為にぐったりとしていた。龍之助の声にも全く反応を示さない。
 シュラインは三下の傍らに膝を付きその額に手を当てた。
「……これは……まあつらいでしょうね」
「そんなに熱が高いのか?」
 慶悟の問いかけに、シュラインは肩を竦めた。
「高いって言えば高いわね。八度か九度はあると思うわよ」
 平熱にもよるが、まあ入院したりと言うほどでもないだろう。微妙なところである。
「三下さん死んじゃいやっスー!」
「いや死なないってその程度じゃ」
 泣く龍之助に冷静に突っ込んだ紫は、どうする? と一同を見回した。
「……兎も角、麗香さんのトコに連れてかなきゃホントに後でもっと酷い目に合うでしょうし……」
「ここまで弱っているなら、連れて行ってもまた戻されるだろうしな。物の役に立たん」
「そうよねえ」
 纏りかけたところへ龍之助が喚き声を上げる。
「ダメっス! 三下さんが死んだら俺はどうしたらいいんスか!」
「いや真っ当に彼女作って平和に暮せばいいと思うけど」
「いやっス! 三下さんなしの人生なんて俺は耐えられないっス!」
 だったら後追えよと内心思った紫だったが賢明にも声には出さなかった。
 いやっス、だめっスと喚きたてる龍之助にうんざりとした視線を投げた慶悟はその体を押しのけて三下の枕元に膝をついた。焦点の合わない目で虚空を見上げている三下は確かに見る限りでは今にも何処かへ旅立ちそうではある。
「要は死ななければいいんだろう」
 手を三下の額へと翳した慶悟は、目を閉じ意識を集中させた。
「我、汝に宿りし五行気を律し…」
 紡がれる言葉に呼応するように、僅かに三下の顔から赤みが引き、空ろな目つきに色が戻ってくる。
 紫が感心したように声を上げた。
「便利ねー、医者要らずじゃない」
「一時的なものに過ぎん。治ったわけじゃないぞ」
「でも連行は出来そうね」
 シュラインがにっこりと笑う。龍之助は顔色の良くなった三下に取りすがり別の意味で涙を流していた。
「良かった! 良かったっス、三下さんっ!」
「こ、湖影、くん?」
 意識が戻ったばかりの三下は己の置かれた状況が良く分っていないらしい。
 三人は顔を見合わせ、それぞれ三下の顔を覗き込んだ。
「碇女史がお前の事を呼んでいる。えらい剣幕だったのと思わず目が合ってしまったのとで仕方なく来た。悪く思うな」
「え?」
「まあ行かない限り麗香さんも納まらないでしょうし」
「は?」
「じゃ、支度しましょ?」
 三人は申し合わせたように立ちあがり、三下を巻く布団の真中辺りにすがり付いている龍之助を見下ろした。龍之助はきょとんと目を瞬かせた。
「それじゃ」
「任せたぞ」
「何をスか?」
 意味を測れず問い返す龍之助に、シュラインはにっこりと笑って荷物の袋を差し出した。中身は下着やパジャマ、タオルの類だ。
「汗を拭いて着替えさせてあげて?」
「了解っス!」
「え?」
 更に意味の分らない三下が困惑の声を上げる。三人はそれには構わず脱衣所を出てドアを閉めた。
「さあ、三下さん俺が着替えさせてあげるっスよ。汗もちゃんと拭いてあげるっス!」
「え、え、え、ちょ……うわ――っ!!!」
 掠れ声での三下の絶叫が響いたが、勿論誰も龍之助の楽しみの邪魔はしなかった。(三下を助けなかった)

「こんなことしたくないのよ私は、ええ決して!」
 抱きついている龍之助ごと、慶悟の呼びだした十二神将に担がれ運ばれていく三下を見送って、紫は溜息混じりにそう呟いた。
 慶悟が紫を見下ろし、笑い含みに言う。
「顔が笑ってるぞだから」
「だから幻よ」
 シュラインが笑いながら二人に割って入った。
「何でもいいからアトラスへ行きましょ。一番いいところ見逃すわよ?」
「やっぱり心ならずしたこととはいえ、いいえだからこそ結果は見届けるべきよね」
 沈痛な声音と笑み崩れた顔でそう言った紫に、慶悟がもう一度、その笑顔は一体なんだと突っ込んだ。

 三下忠雄、真の悪夢はこれより始る。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0218 / 湖影・龍之助 / 男 / 17 / 高校生】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 こんにちは、里子です。今回は参加ありがとうございます。
 風邪のお話でしたが、この依頼の発注を出した直後、私自身が行き成り風邪こじらせて寝込みました。未だに声が元に戻りません。
 三下くんに祟りの能力があるということを初めて知りました。<違う
 皆様御気をつけください。<更に違う

 今回は特にこれと言ってテーマもなくひたすらお馬鹿な依頼となりました。シリアスなものと交互にやってるのですが、たまに己でギャップに頭抱えております。書いてる時の真剣さは代わらないんですけども。

 今回はありがとうございました。
 また機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。ご意見などお聞かせ願えると嬉しいです。