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泣声にも似て
●序
草間は目の前に置かれている珈琲を一口飲み、溜息をついた。
「それ、本当の話?」
草間の目の前に座っている少女は、こくりと頷いた。森・真(もり まこと)、18歳。高校3年生だという彼女は、じっと草間を見つめていた。出された珈琲に手もつけず。
「本当です」
真には双子の兄の遼(りょう)がいたが、彼女が10歳の時に亡くなったのだという。その遼はずっと真についており、彼女を守ってくれているのだという。
「ですけど、私ももう18歳……最初は嬉しかったんですけど、もういいんです」
「お兄さんは、今もここに?」
「ええ。……余計な事はしなくていいって言ってます。自分が好きでやってる事だからって。でも、時々遼はやりすぎる節があって……」
彼女によると、彼女を少しでもいじめた相手は必ずといっていい程、硝子が降って来たり石が飛んできたりしたという。勿論、涼の仕業で。
「最近はだんだん酷くなってきたんです。涼に言っても聞いてくれないし……お力を借りたいんです。どうしたらいいのかを教えて欲しいんです」
「つまりは、君を守っているというお兄さんを成仏させたいという事かい?」
真は暫く考え、「そうです」と頷いた。その瞬間だった。草間興信所全体がぐらりと揺れ、草間の耳元で何かが囁いたのだ。子どもの声で、確かに「余計な事をするな」と。これは警告であろう。草間はふう、と溜息をついて真に向き直った。
「分かりました。やれるだけの事はやってみましょう」
また、草間興信所がぐらりと揺れるのだった。
●僕が守る
草間興信所のあるビルの屋上。そこに依頼人である真と五人の調査員が集まっていた。
「ベストは成仏かなぁ。しかも、納得して貰った形での」
腕を組み、うんうんと自分で頷きながら影崎・雅(かげさき みやび)は言った。黒髪と同じ黒い目は、まっすぐに真を見ている。
「あら。何か、お守りのような物で眠りにつき本当に彼女を見守るだけの存在でなら、無理に成仏って方法取らずにすむんじゃないのかしら?」
形の良い口元に手をあてながら、シュライン・エマ(しゅらいん えま)は言った。黒髪に映える青の目は、柔らかく真を見ている。
「そうですね。最低限、この先彼女に干渉しないで見守るだけと確約できるなら、あえて浄化することもないと思います」
真面目な顔をして、灰野・輝史(かいや てるふみ)は言った。茶髪の奥の緑の目は、じっと真の様子を窺っている。
「……須らく成仏、こそが救いの道とは言い切れないのかもしれないが、行く末を考えれば……な」
じっと考え込んでいた真名神・慶悟(まながみ けいご)は口を開いた。金髪の狭間に見える黒の目は、真の後にいると思われる涼を射抜いているようだ。
「成仏して頂きたいです。でないと……私の仕事は除霊ですから、除霊という方向しか取れなくなってしまいますし」
少し俯き加減に、月杜・雫(つきもり しずく)は言った。アップにしている長い黒髪が揺れ、節目がちの黒い目を覆った。
「いずれにしても、まずは涼君とお話しをしない事には始まらないな」
雅が言うと、皆が頷いた。真から聞いた話以上に、涼からの話を聞きたい。それが皆に共通する思いであった。
(結論を出すのは、それからだわ。涼君自身の考えを知ってからじゃないと、私達が結論を決める訳にはいかないものね)
シュラインは小さく思う。
まず動いたのは輝史だった。アストラル視界で涼の正確な位置を把握し、そこを中心に結界を張る。誰にでも涼の姿が見えるような、アストラル界を形成する。次に慶悟が式神を周囲に放った。涼が何を引き起こしても対応できるように。
(式神)
以前、雅が慶悟の式神に迷惑をかけた事をふと思い出し、シュラインは思わずくすりと笑った。気付くと、輝史と雅も同じように笑いを堪えている。慶悟がそれに気付いて三人を一通り睨んだ。
「凄いですね、結界。私もこれぐらい張れるようになりたいです」
感心して雫が言う。
「有難うございます。……ですが、中には結界の全く効かない人とかいるので、そこだけは要注意ですよ」
悪戯っぽく輝史が笑う。目線の先には雅。
「仕方ないだろ?体質なんだし」
「影崎さん、結界が効かないんですか?」
少し驚いたように雫が言う。雅は「まあ」と曖昧に返事した。今度は慶悟が笑っている。
(見事な仕返しっぷりね、真名神)
シュラインは小さく笑った。
そう言っている間にも、だんだん結界がしっかりしてくる。そして、真の後に何者かが現れてきた。
(出たわね)
「こんにちは、涼君」
シュラインが真の背後に向かって微笑む。隙の無いように構えながら。真の後に、最初はぼんやりと、それからはっきりと少年の姿が現れた。真の顔に少し似ている、少年。享年である10歳の姿のままなのだろう。
「涼……」
複雑な心境の中、それでも嬉しそうに真が呼びかける。それに涼は笑顔で答えた。小さく「真」と言いながら。
「涼、あのね。私、もういいの。もう、守ってくれなくていのよ?」
言葉を捜すかのように、真は言った。久々に姿を見て、戸惑っているのかもしれない。涼は真を優しく見守る。
「いいんだ。真は何にも気にしなくていいんだ。ただ、毎日幸せに生きていればいいんだ」
慈しみをたくさん含んだ口調で、涼は優しく言葉を紡ぐ。そしてそれから真以外の5人の人間を見渡し、冷たい目線で見つめる。
「だからさ……邪魔しないでくれるかな?」
(手強そうね)
思わずシュラインは苦笑した。
「たとえどんな形であれ、死者の魂がいつまでも現世に留まってるってのは良くないんだけど」
雅が問い掛ける。だが、涼はちらりとそちらを見て顔色一つ変えずに答える。
「それで?」
涼は動じない。うっすらと笑っていさえする。
「どうしてこんなにも大人数で僕を何処かにやってしまおうとするか分からないんだけどさ、僕は真を守りたいだけなんだ。邪魔するなら、容赦しないよ?」
「涼、だからそれはもう良いの。守ってくれなくて、良いの」
真が必死の形相で言う。涼は真をちらりと見て、微笑む。
「真、すぐ終わるから目を瞑っているんだ。次に目を開けた時、心配しないといけない事は全て無くなっているから」
「だから、涼……!」
涼は微笑む。微笑んだまま、何も動じない。真に与えられるのは、絶対的な慈しみ。
「目を閉じているんだよ、真」
涼はそう言って微笑んだ。その瞬間、一面の光が襲ってきた。恐らくは涼自身が放つ光。全てを拒絶し、遮断するかのような光。一同は眩しさに目を細め、だんだんと収まってくる光に小さな安心をする。だが、安心は次の瞬間に戸惑いに変わる。先ほどまでいたはずの涼の姿がどこにも見当たらないのだ。呆然と立ち竦んでいる真の姿しか、そこにはない。
「あれ?消えてしまったのか?」
辺りをきょろきょろしながら雅が言う。
「まさか。あれだけ言っておきながら、消えるだなんて……」
戸惑いながらシュラインが言う。
「結界は綻んではいません。消える筈が無いんです」
警戒しながら輝史が言う。
「ならば、未だにこの場にいるというのが妥当だ」
懐に入れている呪符に手を伸ばしながら慶悟が言う。
「まさか……」
目を見開き雫が言う。恐る恐る立ち竦んでいる真に近付く。真はゆっくりと後を振り返る。皆を見つめ、それから笑みを浮かべた。真とは違う、異質な笑み。
「あなた、何て事を!」
雫が絶句した。皆も構える。
「真は僕が守るんだ……あんたらに盾にされたら堪ったもんじゃないからね」
くすり、と真は微笑む。……否、真ではない。そこに立っていたのは真の姿の、涼であった。
●愛すべき半身
ゆっくりと真……涼が周りを見回した。
「僕を邪魔しないでくれないかな?」
涼は微笑む。真に向けられていた笑みではない、冷たい笑み。
「一つだけ、聞いていい?」
雅が尋ねる。涼は面倒そうに「いいよ」と吐き捨てるように言う。
「何でそんな事をしてるんだい?」
「え?」
涼の眉間に皺が寄る。
「……や、真ちゃんを守ろうとしてるのはわかってるけど、それならそれで、適度な力加減ってのがあるだろ?エスカレートさせる必要は無い筈だぜ。真ちゃんの様子を見ると『守る』って範囲を逸脱してるみたいじゃないか。何でそこまでやるのか、理由があるのか、出来れば教えてもらえないかな」
雅は一気に捲し上げる。涼は暫く考え、微笑む。
「僕の力が強くなっただけかな?真を守りたい気持ちが高まったのかもね」
「かと言って、加減が出来ない訳でも……」
「煩いなぁ」
涼は心底煩そうに眉を顰める。
「涼さん、あなたはお姉さんを護りたいの?それとも困らせたいの?あなたが護りたいと思ってしてることがお姉さんを困らせているのが解らないのですか?」
雫の言葉に、涼はぴくりと眉を動かす。
「困らせている?」
「あなたがお姉さんを大事にしていることは解りますが、このままではお姉さんがあなたを嫌いになります。本当にお姉さんのためを思っているのならば、見守る事も大切だと思います」
「真が僕を嫌うわけが無いじゃないか。それに、僕はずっと見守っているんだよ?真を」
(本心から思っているのね)
シュラインは苦笑する。心から、涼はそう思っているのだ。その無邪気さとも言える思いが、何故か怖い。
「……ねえ、涼君。一体真さんの何を守りたいの?」
シュラインが口を開く。涼は首を傾げ、「何をって?」と尋ね返す。
「彼女の傍に居るのが根本の望みなら何か別の方法探るるけど、ただこの世に留る方便にも聞こえるのよ」
「僕が未練があるというなら、それは真の事だけだよ。僕はずっと真を守っていきたいだけだもの。傍にいたいんじゃない。守っていきたいんだ」
(それが本当なのかしら?本当なの?)
シュラインの疑問は、解決されない。
「……いくら仲のいい兄妹でも、いつかは別々の道を歩くことになるんです」
輝史は呟くように言う。
「そろそろ彼女の騎士様の役目、譲り時じゃないんですか?」
「騎士様……あはははは!譲り時だって?あいつに?」
心底おかしそうに涼は笑った。
「あいつ?」
輝史が尋ね返すと、涼は顔を歪ませながら口を開いた。
「そう、あいつ。最近真にべたべたしてくる、あいつ。あいつなんかに真を任せられるか。あいつなんて、いなくなればいいのに」
(対人関係に、何かあったのね……。涼君の意識ではなく)
何気なく、涼は「いなくなればいいのに」と言った。心の奥底から、それが当然のことであるかのように。皆の心に、緊張が走った。
「そうか……邪魔者はいなくなればいいのか……」
あはは、と涼は笑った。名案を思いついたかのように、あはは、と。そして手を振り上げた。とたん、強風が結界内に吹き荒れた。皆、自らの持ち場に留まるので手一杯だ。強風は一旦弱くなる。慶悟が放っておいた式神が動いたのだ。涼の周りを囲んで力の放出を押さえ、慶悟に『禁呪』の呪を放つ時間を与えた。途端、風は弱まり涼の動きも縛られる。
「何をするんだよ?」
涼は不服そうに口を尖らす。慶悟はじろりと涼を睨む。
「妹の為もあり、お前自身の想いも理解できない事ではない。こちらの荒事は無しだ。お前も止めろ」
「理解だって?僕の何が理解できるって?」
皮肉めいた笑みを浮かべ、涼は言う。慶悟は一つ溜息をつく。
「全てに於いて『他人に何が解る』という奴だが第三者として絡む事を望まれた以上言わせて貰う。妹だってもう一端の人間だ。護って貰わずとも一人で歩いて行けると言っているんだろう?己が往く道はいずれ一人で定め、歩いていくものだ。ここが潮時、とは言わない。だが、このまま妹の道に割り込めば、妹はいつまで経っても一人で歩いて行けない。見守るのもいいが、一端の男なら、引き際も考えろ」
「だから、見守るんじゃない。……守るんだ」
「だが……」
何か言おうとする慶悟の言葉を、強風が遮った。どす黒い風。皆それを受けてバランスを崩す。勿論、雅一人だけは何事も無かったかのように立っていたが。
「一体なんなんだよ、あんた達。分かったような口を聞いているけど、僕達の事を完全に理解できるわけがないじゃん」
涼は自嘲しながら言い放つ。
「僕はただ真についていたいだけだよ?何で邪魔するんだよ?」
涼が叫ぶ。途端、風が再び吹き荒れる。慶悟の式神がそれを取り押さえようと試みるが、それすらも拒絶する。風の中心に立っている涼。その風の中、平然と立っていた雅は歩を進める。涼はそれに身構え、ありったけの力で雅を吹き飛ばそうとする。それに呼応し、そこに転がっていた鉄パイプが雅の顔の真横を通る。いくら霊的なものが通じない雅でも、物理的な力は充分に通じる。寸でのところで避け、再び涼に近付こうとする。そして、気付く。
「もしかしてさ、力の制御ができないんじゃないのか?」
はっとした表情が涼の顔に浮かんだ。
「私も、そう思ったんです。このような攻撃方法は、どう見たって変ですよね。こんな無駄の多い攻撃方法、加減が出来ないとしか……」
雫の言葉は、最後まで紡がれなかった。途中で涼の風が強まったからだ。涼の叫びに呼応するように。
「煩い煩い煩い!僕は強くなっただけだ!真を守る為に、強くなっただけなんだ!」
それは必死な叫びだった。何かに恐怖しているかのような、奥底から響くかのような叫び。
「落ち着いて……」
なんとかその場だけでも収めようと、シュラインが言う。だが、涼はその言葉ですらも煩わしそうに叫ぶだけだ。「煩い!」と。シュラインは大きく息を吸った。そのジェスチャーを見て、皆が耳をふさいだ。雫も一瞬ためらい、それから皆に習って耳をふさいだ。
「落ち着きなさい、森涼!」
涼の叫びを凌駕する、響く声の叫び。シュラインの持つ独特の声が、びりびりと結界内に響いていった。涼は一瞬のうちに動きを凍らせ、そこに吹き荒れていた風もぴたりと止まった。ふう、と息をついてシュラインは涼に向き直った。
「落ち着きなさい」
落ち着いた声に戻ったシュラインの様子を見計らい、皆が塞いでいた手を離した。未だに耳の奥がシュラインの叫びによって、じんじんとしたままではあったけれども。
●分離の時
しん、と辺りが静まり返った。シュラインの一言で、皆の口は閉ざされたのだ。涼は愕然として自らの手……真の手を見ている。たらり、と血が滴り落ちた。彼女の手には、小さな切り傷がいくつもできていたのだ。
「どうして……?僕、お前を守る為に……」
「お前の力に、真ちゃんの体が耐えられなかったんだ」
雅はぽつりと言う。涼は目を見開いたまま、ゆっくりと雅の方を見る。
「僕、守りたかっただけなんだ」
「だけど、結局は真さんの体を傷つけたわ」
シュラインはぽつりと言う。涼は目線を手に移す。
「こんなにも、傷つけた……」
「そうです。あなたが……他ならぬあなたが傷つけたんです」
輝史はぽつりと言う。涼は微かに震える。
「僕が……僕が、傷つけた……」
「己に執着し、彼女の事を考えてはいなかったからだ」
慶悟はぽつりと言う。涼の目から、涙が溢れた。
「守りたかったのに……今度こそ守りたかったのに」
「まだ、間に合う筈です。今ならば、まだ」
雫がぽつりと言う。涼はじっと考え、顔を上げた。
「まだ、間に合うというの?僕、まだ間に合うの?」
その言葉に、皆が頷いた。涼が一瞬目を閉じると、体は崩れ落ちた。真自身の意識はまだ戻らない。だが、涼自身は真の体を抜け出して微笑んでいた。少し、哀しそうに。
「僕は……守りたかったんだよ」
愛しそうに真を見る。「ううん」と小さく真が唸った。意識が戻ってきているのかもしれない。
「守ろうと思っていたのに……気がつくと僕は人を傷つけていた……」
ぽつりと涼は呟いた。
「そこまでしようだなんて、一度だって思ってなかった。気付くと僕は人を傷つけていた……!自分ではどうしようもないくらいに」
「悪霊化していたんだ」
雅はにやりと笑う。「下手すると自我まで失ってた可能性だってあったんだ」
「その前に気付けたんだもの。良かったじゃない」
シュラインが微笑む。
「いや……もう遅いかもしれない」
涼が笑った。自嘲するような、それでいて冷たい。
「どうしたんです?」
輝史が眉を顰めて近付こうとする。が、雫が輝史の腕を掴んでそれを阻む。
「近寄ってはいけません!彼は、もう……」
歪んだ笑顔。彼の自我は、もうなくなりそうな所まで来ていたのだ。それを『真を守る』という涼の思いだけで何とか保っていたのだろう。だが、それは崩れ去ってしまった。
「……張り詰めてしまった糸が切れてしまったのだろう」
吐き捨てるように慶悟が言う。心底悔しそうに。全てはもう遅かったのだ。残されていた自我も、先ほど全て無くなってしまったのだから。
「灰野、結界は生きているな?」
慶悟が確認すると、輝史は深く頷いた。相変わらず涼は笑っていた。冷たい眼差しのまま。真をも見ていない瞳。
「無駄だよ?」
にっこりと笑って涼は声にならない声を叫んだ。超音波の領域。皆が耳を塞ぐ。それに対抗してシュラインも叫ぶ。調和させるかのような叫びを。
(声なら負けないわ……!)
シュラインは叫び続ける。息をしている分だけこちらが不利だとも思われたが、そんな事を思っていてはどうしようもないと考え直す。
(私は、私にできることをしなくては)
涼は叫ぶのを止めずに手を振り上げた。途端、風が起きる。先ほどまでとは比べ物にならないほどの強風。輝史は結界を維持しつづけ、慶悟は式神と共に押さえ込みに入る。雅は小さく苦笑し、懐から数珠を取り出して手を合わせた。唱え始めたのは観音経。雫はじっと何かを考え、それから目をゆっくりと開けた。その右の目の色は、赤。
「成仏はしてもらえないですか?」
ゆっくりと、言葉を噛み締めるように雫は問い掛ける。涼からの返事は無い。
「このままでは守護霊どころか悪霊になってしまいます。……ならば除霊します。本当は成仏させたかったですがやむを得ません。力ずくで祓います」
そっと札を取り出す。が、その札は風によってびり、と半分に破かれる。あははは、と楽しそうに涼は笑った。雫は半分となってしまった札を、投げつける。涼の力が一瞬怯む。
「やめて……」
小さな、消え入りそうな声。
「もう、やめて……涼」
シュラインがその声に気付く。そして調和させていた叫びをやめ、すうと息を吸った。
(気付かないといけないわ、涼君。それだけは、気付かなくては!)
「やめて、涼!」
涼の動きが止まった。皆の動きも、それに呼応して止まる。シュラインの発した声は、真の声だった。正しくは、真の心の声を代弁した声。
「真……」
おぼろげながらも涼が意識を取り戻す。
「もう、いいの。涼……もう、いいの」
「真……」
「有難う……」
しいん、と静まり返った。ただ、雅の読経だけが静かに響いている。
「今まで、有難う」
「真……」
その時、雅が微笑みながら叫んだ。
「行け、涼君!道は開いた!」
暖かな光が差し込んでくる。一瞬涼は迷い、それから哀しそうに真を見つめた。真は頷いた。何も言わず、こくりと。
「僕は……守れたのかな?」
「……守ってくれたわ」
真が微笑んだ。雅の開いた道に、慶悟がサポートを入れた。ゆっくりと、涼の姿は消えていく。
「涼君!成仏するって事は一人になるって事ではないわ!そして、真さんが忘れるって事でも無いわ!」
シュラインが叫んだ。
「……そんな事……」
涼が消え入りそうな体のまま微笑む。
「ずっと前から、分かっていたよ」
だんだん光が強まり、そして消えていく。5人はそれを静かに見守り、真は声をあげて泣いた。今までいた当然の存在の消失と、それを願ったのはほかならぬ自分なのだと思いながら。何よりも、兄の次の幸せを祈りながら。
輝史が結界を解き、慶悟も式神を戻した。全てが終わったのだと皆が感じた。
「良かったな……」
ぽつりと雅が言う。
「そうね、良かったわ」
微笑みながら慶悟が言う。
「いや、それはそれで良かったんだけど」
後頭部を掻きながら雅が言う。
「別の事ですか?」
輝史が首を傾げながら尋ねる。
「ええ?他にもあるんですか?」
雫が不思議そうに尋ねる。慶悟は何も言わずに煙草を一本取り出して口にくわえた。
「観音経、一回で済んでよかったなーって」
雅の回答に、皆の動きが止まる。慶悟がくわえていた煙草をぽろりと落とした。その様子に「ふふ」と真は笑った。赤いままの目で、涙の跡が消えないままで。慶悟は溜息をつきながら煙草を拾った。
(随分と物を大切にするのね、真名神)
笑いながらシュラインは思う。全てが終わった今だからこそ、笑う事が出来るのだと感じながら。
●耳の奥に残るもの
「今回は、ずっとあんたの声を聴いていた気がする……」
ぽつりと慶悟が漏らした。シュラインは一瞬きょとんとしてから「私?」と自分を指差す。
「そう言えばそうですね。ずっとエマさんの声を聴いていたような気が……」
苦笑しながら輝史が言う。
「だな。耳の奥がまだキンキン言ってるし」
大袈裟に耳を押さえながら、にやりと笑って雅が言った。
「あら、皆失礼よ?」
さほど気にした様子も無くシュラインは言った。
(私なんて、涼君の声も混じっているんだし)
そういった小さな事実は黙っておく事にした。一つくらい、内緒にするのも悪くない。
「そ、そうですよ。ちょっと耳がキンキン言うくらい、ちょっと耳の奥がじんじんしている事くらい何て事無いですよ」
雫が真面目な顔で言う。
「そ、そう言われるのも結構気にはなるんだけどね」
シュラインはぽんと雫の肩を叩きながら苦笑する。
「皆さん、本当に有難うございました」
話が途切れたのを見計らって、真が頭を下げた。まだ目は赤く、涙の跡も残っている。ずず、と鼻を啜る音もさせている。それでも、彼女の顔は晴れやかだ。
「私、ずっと涼に縛られていると思ってたんです。だけど……本当に縛っていたのは私なのかもしれません」
遠い目をしながら真は言う。
「さぞかし仲のいい兄妹だったんでしょうね。僕にも経験がありますよ」
微笑みながら輝史が言う。
「へえ。輝史君に妹がいるの?」
雅が尋ねると、輝史は「姉が」と答える。
「兄弟の仲がいいのっていい事よね」
微笑みながらシュラインは言う。
「羨ましいなぁ」
何故か苦笑しながら雅が言った。慶悟は一瞬ちらりと雅の方を見て、それからまた何事も無かったかのように煙草を吸った。
シュラインは思う。どこかで狂ってしまった歯車を。恐らく、涼にとっては真が全てだったのであろうと。幼くして存在を失ってしまった彼は、双子である真を「守る」事によって存在を確立させようとしたのではないかと。
小さく耳鳴りがしている。シュラインはそれを甘んじて受ける。今は無き存在の残した、耳鳴り。自らの声と混ざり合い、調和していったにも関わらず、未だに残っている耳鳴りは、キンキンと哀しい音をさせながら耳の奥に響いている。
それはまるで、泣声にも似ている音で。
<依頼完了・耳鳴り付>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト 】
【 0386 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0843 / 影崎・雅 / 男 / 27 / トラブル清掃業+時々住職 】
【 0996 / 灰野・輝史 / 男 / 23 / 霊能ボディガード 】
【 1026 / 月杜・雫 / 女 / 17 / 高校生 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、霜月玲守です。この度は私の依頼を受けて頂き、本当に有難うございました。
いつもいつも、オープニングが難しいとの噂で(笑)折角なので今回の依頼のポイントを。
「最近は酷くなった」…悪霊化の兆し
「子どもの声」…10歳のままの姿と知能
以上二点です。たかだかこれくらいしか情報が無くてすいません。でも、こんなフォローを私が入れなくてもいいくらい、皆さん素敵なプレイングでした。有難うございます。
そして、皆さんに答えて頂いた涼の処遇は、多数決によるもので決定しました。結果は成仏でした。
シュライン・エマさんのプレイングは、優しさが感じられて凄く嬉しかったです。お言葉の一つ一つにシュラインさんの優しさが感じられ、じんとしました。
今回は、ちょこちょことしか個別文がありませんが、比べて読んで頂けると嬉しいです。本当に少しずつしか違いませんが(苦笑)
ご意見・ご感想等心よりお待ちしております。それでは、また会えるその日まで。
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