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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


湾岸線の無人車を撃墜、調査せよ

 首都高速道路・湾岸線。
 千葉〜東京〜神奈川を結ぶこの公道サーキットに悪夢が降り立った――

  ……血の色で染められたボディーカラー
  ……吼え声をあげるエンジンと排気のうねり
  ……身を軋ませるようなステアリング
  ……そして、見える者ならば確かに感じられる畏怖のオーラ

 湾岸を根城にする走り屋たちは言う。

 「あいつの運転席には誰も乗っていないんだ……
  なのに走っているんだぜ?
  あの車を動かしているのは、
  きっと狂気のような意思そのものなんだ……
  誰があいつの暴走を止められるものか……」

 湾岸の無人車に追走バトルを挑み、撃墜ののち調査せよ。
 そして、そこに秘められた謎を探れ――免停で道路に出られない三下の代わりに。

-----------------------------------------

 午前一時、芝浦PA――深夜の首都高。
 一般車の数は既に減り、路上を行くのは、酔っ払いを乗せた長距離のタクシーか、輸送のトラック。
 そして、この一走り七〇〇円の公道サーキットに群れる、無数の名も無き走り屋たち――
 夜毎に路上を揺らす車輪より繰り出される圧力が途切れることは無く、道路の震動が止まることも無い。幾多ものヘッドライトが交錯する度に、僅かな空気の揺れを伴いながら、コンクリート詰めの地面が震える。
 その感覚は、本線から離れたこのパーキングエリアにいても、分かりすぎるくらいに分かる。
「……陸の孤島、って感じだよナ」
 そううそぶき、手にしていたホットの缶緑茶に息を吹きかける一人の青年。
 ……いや、青年と言うには、彼はまだ若いかも知れない。
 しかしながら、少年と称するには、さすがに外見も雰囲気も成熟している。
 奇妙な意匠の施された着物を身にまとっており、一見からしてみれば、時代劇に出て来そうな修験者のような――平たく言えば、山伏のような――装いは、不思議と彼には似合っていた。ともすれば、故ある家系の生まれなのかもしれない。
 だが、彼の異質な格好をとがめる者は、誰一人としてここにはいない。
「何が楽しいのかね。こいつら」
 そんな彼の呟きは、誰の耳にも届かないし、なまじ聞こえたとしても、意に介するものなど誰もいない。
 ここは、まさしく陸の孤島。速さに取りつかれた者たちが居場所を求めて、流れついてくる一つの終着点。
 なけなしの金と時間を、無尽蔵にチューニングと走り込みに割き続ける――そんな奴らが集まる不夜城。
 彼らは、何を求めているのか……その麻薬的とも言える感覚を持たない彼――北波大吾からしてみれば、走り屋たちが群れるこの風景自体が、ナンセンスそのものだった。
 とは言え、走り屋たちに共通して流れている、静かながらも確かにそこにある圧感を――例えるならば、ちろちろと灯る炎のような気配を――大吾は感じていた。
 人とは違った感覚、そして能力を持つ彼ならではの認識である。
 普段から、憂さを晴らすように暴れるごろつきや暴走族の類とは決定的に違う、何かストイックな雰囲気。
 それらが感じられるからこそ、大吾はおおっぴらに何か言ったりしたりすることを、本能的に避けていた。
 ――そしてそんな大吾の態度を、僥倖と感じる男二人。
 スペースに駐車しているとりどりの車たち。
 その内に紛れるかのように止まっている、黄色の車の側で、彼らは何らかの作業をしているようである。
「随分おとなしいな……あいつ」
「北波大吾……だっけか? 普段はやんちゃなのか?」
「……ああ」
 そのうちの一人が言葉を返しつつ、口にしていた煙草をそのまま吹かした。
 両切りのピースの匂いが、アメジストブラックに塗装されたアコードにまとわりつく。
 手袋を着けた左手でノートパソコンを抱え、右手で何か打ち込んでいる――その指の動きが、止まった。吸っていた煙草を吐き捨て、靴の裏でもみ消す。
「……よし。CPUの設定、終わったぞ」
「どういじった?」
「中速から高速回転域のレスポンスを高めておいた。もちろん180q以上出るよう、燃料抑制もカットしてある。とりあえず応急的な構成だが、これでアコードでも勝負して行けるだろう」
「さすが! 正直、あんまり車自体はいじりたくなかったからな。恩に切るぜ技術屋」
 陽気に、ノートPCを支える肩をぽんぽんと叩く、もう一人の青年。
 浅黒い肌が、長身にまぶしい。返す手で長髪をたくし上げる仕草も様になっている。
 そんな工藤の様子に苦笑しながら、鏡二はノートのディスプレイを閉じた。
「だが、最高速ステージの湾岸線では、まず勝負にならない。どんなに環境が良くても、このアコードじゃ270q前後が限界だ」
「分かってる……C1あたりで勝負、だな。でも、こればかりは運だろうよ。どこで件の無人車に出遭うかは」
「全くだ――分の悪い勝負はあまり好きではないが」
「その辺も分かって、報酬とは別に焼肉、ってわけなんだろう。三下の奴」
「追加報酬にしては随分しけている……まあ、その肉が目的の奴もいるが」
 ふと、車の後ろの方に立つ大吾の方に、視線をやる。
 未だ、このパーキングエリア全体をしげしげと見回しているようだった。
「免停の決め手になった違反で、罰金三〇万だとさ。何やってんだかな」
「ひどい話だ……よし。カーステータスモニターの調整も終わった」
「その機能、いいよな。回転数に温度、スピード効率。ナビゲーションで道路情報とかも全部分かるんだろ? この件が終わったらハードウェアの方も、本当に俺のアコードから外しちまうのか?」
「当たり前だ。借り物だからな」
「けちだねぇ……じゃ、ぼちぼち行くか――」
 ……かつてのステージへ。
 そう続けそうになった言葉を、工藤は途中で止めた。
 そんな、言葉の響きに隠された想いに、振り向いた大吾も、肯いた鏡二も気付くことは無かった。

   ◆ ◆ ◆

 都心環状線・C1外回り。
 二車線である上に曲線の多い、首都高では屈指のテクニカルな本線。普通に流す分には何ら不都合は無い。が、スピードのある走りに対してはその容赦無き牙を剥く、魔性の獣道――
「さすがだな」
「……何が」
 助手席からした声に、工藤は一拍ののち応じた。
「踏み方が理にかなっている。アクセルの踏み、クラッチワーク、ブレーキング……どれにも無駄が無い」
 ちらと横を見ると、鏡二は腿の上に置いたノートPCと睨めっこしていた。
 常にこの車を含んだあらゆる状況を監視している以上、当然のことではあったが。
「走り屋だったというのは、どうやら伊達ではないらしいな」
「身体に感覚が染み付いているからね」
 工藤はことも無げに言った。
 だが、その心中は、決して言葉通りではない。
 まだ、普通の車が高速道路を走る程度にしか、踏んでいない。
 ……いざ始まったら、おれは踏んでいけるのか?
 一度、走ることをやめたこの俺が、あの狂った空間に対して踏み切っていけるのか――?
 そんな、人知れぬ葛藤をよそに、腕と足は失われた感覚を甦らせようとするかのように、冷静な動きを取り続けている。
 そのことに、まだ工藤は気付いていない。

   ◆ ◆ ◆

 ……いけるか?
 鏡二は目の前のデータと格闘していた。
 C1に飛びだした直後、中央環状線――C2で事故発生、渋滞が起こったことに舌を噛んだ。
 この路線状態で奴……無人車に遭遇したならば、再度C1を回る以外の選択肢としては、深川線を経由して湾岸線に出る、というシチュエーションしか望めなくなった。
 C2は直線こそ多いものの、二車線でカーブもそれなりに多い。
 半・自家用でもあり、その分ステアリングのレスポンスに優れるアコードならば、まだ勝機は無くも無い。
 しかし、そのC2に入るシナリオは、もう考えられない。
 そして、最高速に優れる無人車が、そのままC1でのバトルを続けるとは考えにくいものがあった。
 延々と直線の続く三車線――湾岸に出られたら、万に一つの勝ち目も無くなる。
 鏡二は自分の左手に目をやった。
 人ならぬ力、風を操る力を秘めた己の左手。
 この力を使って走りをフォローするにしても、その風でこの車がふっ飛んでしまっては元も子もない。
 時速200qオーバーの世界で、思い通りに能力を行使出来る――体験はもちろんのこと、保障も無い。
 それは、自分の装飾品に力を込めてそれを発動させる能力を擁する、工藤にとっても同じことだろう。
 ――もっとも、元走り屋であるらしい彼の思惑は、自分とは全く趣を異にしているのかもしれない。
 左手が求める"狩り"をしなければならない自分や、焼肉が食べたい大吾と違って、工藤にはこの件に関わる明快な理由が見えない。
 ――どうにせよ。
 なんとしてでも、この車の現実的な範疇内の力で、C1内で撃墜しなければならない。
 短期決戦であれば、エンジン的にも無理をさせられる分、分も悪くない。
 ……それでも、これほどに"もしも"の絡む計画、おれらしくもない。相手が機械なだけ、俺は相手を侮っているのだろうか――心中で、鏡二は自嘲した。
 まだ、走りだしたばかりだというのに。
「なあなあ鏡二サン」
「……なんだ」
 後部座席で暇を持て余していた大吾が、いずれ鏡二に声をかけるのは明白なことだったろう。
 ハンドルを握っている工藤に対して、声をかけられる雰囲気ではなかった。
「俺、三下さんの話聞いてなかったんだけどさ――その無人車って、一体なんなんだ?」
「……無人車は無人車だ」
「あのな、俺が田舎者だと思って、適当に言ってねぇ?」
「そんなことは無い」
「じゃあ教えてくれたっていーじゃねぇかヨ」
 屈託の無い大吾の言葉に、鏡二は頭を軽くかきむしった。
 煙草を吸いたいと思ったが、一瞬工藤の方を見、結局止めた。
「なーなー鏡二サン」
「……分かった分かった」
 あまりに正面を見据えていたからである。
 鏡二は目の前のダッシュボードを開け、一枚の書類を手に取り、腕を後ろに反らした。
「そんなところだ」
「まだ読んでもねぇんだけど」

   ◆ ◆ ◆

−湾岸線の無人車に関する簡易レポート−

文責 三下忠雄

車種 NISSAN BNR32 SKYLINE GT-R
車の色 クリムゾンレッド
トルク 800馬力(推定)
最高速 340qオーバー(推定)

まるで人が乗っているかの如き、である。
一般車を巻きこむことなく、しかしバトルを挑み挑まれ、撃墜された走り屋たちは数知れず。
バトルの際のファジーな挙動、渋滞の気配を察知し一般車の少ない路線へと流れていくその様は、まるで人が乗っているかのよう。
自動操縦の可能性も捨てきれないが、そのような技術は現代にあれど、それを300qオーバーの世界で運用できる技術は現在のところ存在せず、この無人車が霊的存在の関与するマテリアルである可能性は、非常に高いものと思われる。

追記。
五年前に首都高最速を誇っていた(らしい)走り屋の車と、外見的特徴や走り方が一致しているとのこと。
走り屋間での又聞き情報なので信憑性には疑問が残る。この過去の走り屋と、無人車との関係調査を急ぐ次第。

追記の追記。
過去、その同時期に走っていた走り屋の、一部の人間の洗い出しに成功。
以下、そのリストを列記。

   ◆ ◆ ◆

「……で、この続きは?」
「ない」
「なんでぇ! 役に立たねぇ。でも、こりゃ確かに普通じゃねえよナ」
「ああ……」
 窓から、流れ行く灯の軌跡を何と無しに追いながら、鏡二は大吾にそっけなく応じた。
「出遭ったら、とっととさ、力使ってカタつけるんだろ?」
「いや。もしかしたら相手はただの機械なのかもしれん。そうだとしたら、あまり力を使いたくない――お前も日常に紛れて暮らしているんだ。どういう意味か、分かるな?」
 大吾はうんうんと首を振った。しかし言葉はそのまま継ぎ続ける。
「でもよ、鏡二サン、そんな風には感じていないんだろ」
「……なぜそう思う?」
「本当に相手が機械だったら、鏡二サンが絡む理由なんて、無いじゃん?」
「……その通りだ」
 そう言って、鏡二はそれとなく工藤に視線を流した。
 工藤は何も言わず、前を向いて黙ったままだった。
 鏡二は嘘を付いていた。
 彼も、大吾と考え方は同じで、自らの力を使って無人車を抑えることの方が、合理的と考えていた。
 ガソリンを消費して走っているのだから、そこに何者かの意志が含まれているのは間違い無く、そこを調べあげるのに、ちまちまと時間を消費する必要など皆無だ――今でもそう思っている。
 だが、工藤のたっての願いで、純粋な公道バトルによる撃墜を手段としてセレクトしたのだ。
 ――お前は、何をしたいんだ?
 そう何度聞こうとしたことか。もちろん今も。
 一応、正面きってのバトルを続けられないと分かった時点で、能力を使うことは約束させてはいるが。
 鏡二が大吾を誘ったのは、工藤が何らかの理由で動かなかった場合の保険でもあった。
「俺は、ずるい奴かもしれんな……」
「はい? 鏡二さん何か言った?」
「いや……ん?」
 神経過敏になっていたせいか、異変に気付くのも早かった。
「俺たちに惹かれたのか、何かわんさかやって来たみたいだぜ」
 工藤も気付いていた。
「大吾!」
「俺に任せナ!」
 鏡二の声に、大吾が奮い立つ。
 後部座席、左側の窓が開いて行く。工藤が操作したのだろう。
「さぁて、お仕事お仕事、ってね」
 完全に開いた窓の縁に、下半身を車内に残しながら、大吾は大きく身を外に乗りだした。
「ひゃっほぅ!」
 時速100qの風が、彼の短髪と着物の裾を激しく撫で上げる。
 とても、気持ちが良かった。
 少しだけ、走り屋の気持ちが分かったような気がした。こいつは悪くない――
「振り落とされるなよ」
「分かってるって鏡二サン……ほんじゃ、殺らせてもらうゼ!」
 車線を仕切る白線に添って、めまぐるしく道路がうねり曲がっていく。
 後続の車の運転席に座っていたドライバーが怪訝な顔をしていたが、その原因たる大吾はもちろんそれに気付く由も無い。
 彼の両の瞳は、見えないものを見ていた。
 魍魎(もうりょう)。
 この路上における諸々の事故によって生じた怨念が集まり、一つの共通した遺志……悔恨によって怨霊として姿を採った、死人たちが積もらせた残留思念の集合体だった。
 基本的に害は無い。
 あくまで思念に留まった存在であり、人間や現実界の物質に影響を及ぼすことは少ない。
 だが、この一種閉鎖された高速の空間で、何が障害になり得るか――こうした局面、気を付け過ぎることに越したことは無いのだ。
 こういったことを瞬時に分かるセンスを持っていなければ、能力を使った稼業なんてやってはいられない。
 三人の中で一番年若い大吾ですらも、分かり過ぎる程にそのことは分かっているのであった。
「おーおー……」
 人魂の相を取りながら、じりじりと近づいてくる魍魎ども。都合六体。
 紫炎の揺らぎに、時折人の顔のような紋様が浮かび上がる。
 後続車を難無くすり抜け、アメジストブラックの車体に近づこうとしていた。
「はいそこまで!」
 大きく身をよじりながら、大吾は右腕を大きくモウリョウたちに向けて突き出した。
「招・焔・壊……死に焼き焦がれ、飛来せよ――」
 言葉に乗せられた霊的な力の顕現か、無数の光条が彼の掌に収束されて行く。
 何らかの力の集中は、質量すら伴って――
「まとめて行くぜ! 『魔弾・凶』!」
 声と共に、魍魎どもに放たれた。
「取り込めぇッ!」
 光炎を装う大吾の言霊は、目標に接近したところで、無数の光線となって拡散した。
 そして各個、残酷なまでの正確さで、魍魎どもを貫いていく――

  AOUUUUUUUUUU!

 大吾の耳に、聞こえぬ筈の断末魔が響いた。
 もちろん、そんなものに怯んだり、影響される彼でもなかったが、
「……霊体に彼岸への道を」
 それでも、地に縛りつけられた霊たちへの弔いは忘れなかった。
 ――そして、その瞬間、確かに聴いた。
「……奴が、来る、だって?」
「大吾! 早く中に入れ!」
 鏡二の声がしたのも、ほぼ同時だった。

  ……血の色で染められたボディーカラー
  ……吼え声をあげるエンジンと排気のうねり
  ……身を軋ませるようなステアリング
  ……そして、見える者ならば確かに感じられる畏怖のオーラ

「来たかッ!」
 工藤の言葉の数瞬後。

  ヴィン!

 あっ、という間も無く、紅の車体が脇を掠めていく。
 その姿は、工藤が久しく忘れていた感情を、簡単に呼び起こさせた――
「決着(けり)を着けるッ!」
 瞬間、アコードの羊の皮が剥がれた。
 眠っていた狼――V−TECエンジンの目覚めだった。
 激しき回転音が呼び起こす緊張感が、車内を瞬時に侵食していく。
「うあっ!」
 スピードの加速から生じた慣性による圧力に、大吾は座席に押しつけられた。
「な、何だよ、この車、急に――」
「どこかにつかまっていろ! もうこの車は、普通じゃない」
「ふ、普通じゃないって、どういうことだよ鏡二サン! 何か能力でも――」
「何も無い! 純粋な車の挙動だ! これが走り屋の世界――くっ!」
 鏡二も、胸を押しつけられるプレッシャーに唸った。
 後部座席とは違い、ドライバー席と助手席には、特注のシートが備え付けられている。
 だが、そのクッション性すら気休めのようなものだと、鏡二は思わずにはいられなかった。それほどまでに、異常なスピードの体感だった。
 反射的に、工藤の方を見た。
 絶句した。
 あまりにクレバーな冷静さがそこにあった――

   ◆ ◆ ◆

 初めてにして唯一の、完全なる敗北だった。
 誰よりも早かった、クリムゾンレッドのR32。
 そして、その伝説が、その走り屋の死と共に消えて行ったのもあっという間だった――ステージを滑るように走り去っていくあの姿を、憧景として胸に抱いたままに、自分は舞台から降りた。
 だが、どこかで、心のしこりとして残っていた。
 いくら市井の仕事で認められようとも。現(うつつ)ならぬ世界に首を突っ込んでも。
 得られたのは、このスピードの世界とはまた別の楽しみだった。
 もう、走る衝動が自分の内から消えていることは、分かっている。
 だが、その衝動に決着をつけることが出来ず幾星霜、その気持ちも半ば忘れかけていた――そんな時に舞いこんできた、無人車の話。
 今この瞬間に見た、実際の走り……何から何までそっくりだった。
 未だくすぶっていた炎が、その勢いを取り戻したのは、あっという間のことだった。
 恐れていた気持ちは、嘘のように感じられなくなっていた。
 自然と、アクセルを踏み切っていける。絶対の確信だった。
「……二人とも、しっかり捕まっていろよ――」
 無言の了解が、工藤の額を軽くなぞった。
「"デス・クリムゾン"……本当にお前なら――このC1で撃墜(オト)させて貰うッ!」
 ――そしてこのバトルが、俺とあんたのラストランだ。
 工藤は静かに吼えたのち、こう、心の中で付け加えた。

   ◆ ◆ ◆

 それは、大吾にとって、何もかもが想像を絶する世界だった。
 自分が乗っている鉄の塊は、まるで生命の鼓動を打ち続ける生き物であるかのように、細く長い道を疾走していく。
 一般車も。
 トラックも。
 タクシーも。
 そして他の走り屋と思しき車さえも、まるで動かない障害物のように感じられる。
 口でしか、息が出来なかった。
 運転席のメーターを見る。動かない。その先の表記は無い。
 回転数のメーターも見た。まだまだ上がっている。
 工藤がまだ踏み続けていることに、改めて驚いた。
 本当に、この車はただの機械なのか――?
 そんなことを、大吾は思う。感覚が麻痺しているのが、自分でもよく分かった。
 前を行く相手の無人車は、これと同等、もしくはそれ以上のスピードで道を駆けている――狂っている、と思わずにはいられなかった。
 しかも、この車を誘うように、時折減速したりもして――ふと、感じた。
「……人の、意志――なのか?」
 その口先だけの呟きは、工藤にも鏡二にも届いていない。
「はっきりしている……分かる……人の意志が、あの車に――生きている――? 全く別の所で――」
 一種の半トランス状態だった。
 無人車が内包している何かに、大吾の勘が敏感に同調していた。

   ◆ ◆ ◆

「……なんだと」
 キーを打つ手を止めないまでも、鏡二は己の自嘲を止めることは出来なかった。
 可能性として考えていた、自動操縦の疑い。
 その琴線を、ノートPCから処理させていた無線傍受行動が捉えたのだ。
 ――誰かが操っているのか?
 目前の車からやり取りされている情報のデータを、即座にかけた回線割り込みによってトレースしたのは、エンジニアとしての反射的な行動だった。
 そして、レポートとして画面に列記されたデータは――
「なんということだ――」
 その言葉は、感嘆と驚愕に満ちていた。
 ……奴の走りは、完全にプログラム化された代物だった――だが。
 その一方、常に冷静な感情の一部分が、鏡二に問い掛ける。
 三下の言うところのファジーな走りが、本当に電脳の記述で代弁出来るものなのか?
 人よりも理論に携わっていながら、その理論とはかけ離れた力を操る本能が、奴=プログラムという方程式を真っ向から否定していた。
 今回に限ったことではない。過去に幾度と無く、こうした根拠のない確信を覚えたことがあった。
 瞬間、手袋に包まれた左手が、激しく疼いた。
 ……どうやら、間違い無いな。
 鏡二は確信した。
 あの無人車には、プログラムとは別の何かが作用している――と。
 何より、彼の左手は、彼に嘘をついたことは無い。そして、これからも嘘をつかないだろう。
「……!」
 PCの画面に出た警告に、鏡二は我に還った。
「ダメだ――詰められねぇッ!」
 工藤の罵声を聞いたのと、画面の表示を確認したのとは、ほぼ同時だった。
『深川線に合流。湾岸線合流まで推定約5分』

   ◆ ◆ ◆

「工藤!」
 鏡二の声が横から響いた。
 力を使え、と、表情が言っていた。
「ああ――」
 それは返事であったのだろうが、ひどく力の抜けた声であった。
 車の性能もあるだろう。
 だが、それは理由にならない。
 そういうセッティングで望んだ時点で、既に勝敗は決していたのかも知れなかった。
 既に走りをやめていたというのは、こういうことだったのだ――工藤は思った。
「何もかも上だった。わざわざ向こうが、俺の走りに合わせていてくれていたんだ――おれは、あの紅い車が走っていく軌跡を、追っていくだけの道化でしか無かったようだ」
「工藤……」
「あの車……結局何なんだ?」
 前を向いたままの工藤の問いに、鏡二は一拍置いて、言った――
「ただの機械だ。面密に設計されたプログラムだったんだが――」
「違う!」
 その言葉を遮ったのは、大吾だった。
「大吾?」
「機械じゃない! あの車は生きてるんだ……上手く言えねぇんだけど、確かに生きている人間の思いが、あの車の中で蠢いていて――」
「……そうか」
 その叫びにも似た大吾の声に、工藤は何かを吹っ切るかのように頷いた。
「確かに生きているんだな……? 大吾君」
「おうよ!」
「……ならばッ! 躊躇無くやらせて貰う!」
 そう叫ぶと共に、工藤は髪を軽くたくし上げた。純銀製のピアス・アクセが僅かに耳たぶで揺れる。 
 その意志ある行動に、鏡二も口端に、あるか無しかの微笑を浮かべた。
 左手の手袋を外す。秘石アメジスト――悪魔の力が埋め込まれたその手を、身を乗り出しながら前にかざした。
「フロントバンパーの、メーカーロゴだな?」
「……ああ。俺の手製の純銀仕様にしてあるぜ」
 鏡二の意図を汲み取ったか、工藤は正面を向きながらもニヤと笑った。
「だが……そうすると車体が浮いちまうぞ。俺の精霊で何とかするか?」
「それには及ばん。あんたは運転と力の解放に集中しろ」
「分かった――ほんじゃ任せるぜ、大吾君よ」
「やっぱ俺がやんなきゃまとまんない、ってか! しょうがねぇなぁ――」
 ケケケと笑いながら、大吾は前部座席に身を乗り出した。
「この車が、浮かないようにすればいいんだろ?」
 そのまま両のシートに手を添え、瞳を閉じる。
「湾岸線合流――行くぞ!」
 工藤の声が合図だった。
「ウェルザ!」
 鏡二の左手から、風形の精霊がその身を顕した。
 流線形と細身の女性美を想わせる緑白色の風精霊が、フロントガラスの向こうにその線を翻す。
「――そこッ!」
 アコードのフロントバンパーの辺りへと蛇行し――すっ、とその身を消失させた。
「大吾!」
「招・圧・空……全ての理よ、俺に従えッ!」
 即座に言霊の発動は行われていた。
 車を包み込む大気に、得も言えぬ質量のような抑止感……重力がかかったのを理解し――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーッ!」
 工藤は、ギアをニュートラルに戻し、声高らかに吼えた。
 声と共にフロントバンパー、車体の先端から緑白色の波動が溢れ出し――いつしかそれは一匹の翼竜の形態を模して、アメジストブラックの車体を包み込んだ。
 工藤の能力が、最大限にまで開放された瞬間だった。
 翼竜は喉をひしり上げ、体を道路と平行にする――見よ!
 湾岸を根城とする無人車との距離が、見る見る内に縮まっていく!
「体感速度360q――パスできる!」
「へへ……どうでぇ。ちゃんと地に足が付いてるだろ? しかしすげえ! これが300オーバーの世界!」
「撃墜(おち)ろォーーーーーーッ!」



 そして、風竜と重力の力を借りたアコードは、紅のR32を引き離した――



 パスする瞬間、三人は、無人車の運転席に意識を集中した。
 コマ送りすら及ばぬ高速度の中、彼らが目にしたのは――

   ◆ ◆ ◆

「あなたがたですか……あのアコードに乗っていたのは」
「正確には、この工藤……工藤卓人が運転していたがな」
「工藤……ああ、あの工藤さんですか」
 夜明けが近かった。
 三人はあの後に高速から降り、無人車の動向を見張った。
 すでに鏡二の逆探知により、データの送受信元は割れていたから、例え無人車があるべき所に帰らなくても、後の調査に何の心配も無かった……が、それでも、彼らはあえて無人車の後から、その場所に向かうことを優先した。
 無人車がその場にあった方が、当事者に対する事態の究明がスムーズに運ぶであろうと判断したからだった。
「元"ジュエルレーサーズ"の、工藤卓人さんですね」
「そして現デザイン工房"インフィニティ"のオーナー。走りはとうの昔にやめていたんだがな……教えてくれ。この車は――あの"デス・クリムゾン"とどう関係があるんだ?」
 工藤の声が、名も無き小さな自動車整備工場に響いた。
 鏡二と大吾は黙っていた。工藤から、この件に関係するであろう背後情報は、既に聞いていた。
「こいつはね……あいつそのものなんですよ」
 無名のチューナーが、紅の車体に指を軽く這わす。
「あいつの走り。あいつの癖。あいつの一挙動一挙動を丁寧にインプットした、言わばコピーそのものだったんです」
「だった、というのはどういうことだ?」
 鏡二の問いに、チューナーはふっと笑い、
「あなたには信じられますか? プログラムが、プログラム以上の動きを見せ始める神秘があるってことが。確かに、成長するという記述はしてはありました。しかし本来ならば、その成長すら、プログラムで決められた範疇の出来事でしかないんですよ――でも、こいつは違った。試しに組んでみたプログラム……本来はあいつの走りを、CPUの側面からサポートするだけのものだったんですが」
 ゆっくりと、ボディを撫でるように見渡し、言葉を継ぎ続けた。
「いつの間にか、こいつ、勝手に走るようになったんですよ。プログラムとは別にね。あの時の衝撃は今でも覚えています。僕とあいつが待ち合わせする時に、あいつ、いつもハイビームを三回、チカチカさせてたんですけど――」
 天井を見上げるその表情は、清々しかった。
「無人のこいつが、全く同じことをしたんです。まるで僕に、久しぶりだな、って言うみたいに。おかしいでしょう? もう、彼は死んでいるというのに。なんてことは無い、一般道で飛び出してきた子犬を避けて。40qも出してなかったのに、あっさり死んだって――なのに、確かに彼が、僕のプログラムに宿って――」
「違う」
「えっ……?」
 口を挟んだのは、大吾だった。
「おセンチな気分に水を差すようで悪いんだけどサ……この車に宿ってるのは、その死んだ彼の魂とか遺志とかじゃなくてサ……あんたの"願い"なんだよ」
「そんな……何をそんなこと――」
「あんただって、ちゃんと分かってると思う。その彼は死んだってこと、ちゃんと理解だってしてる。でも、あんたの、その……プログラム、っての? それを完成させようって願いが派生して、あんたの機械にそのまま移ってしまったんだよナ」
「…………」
「あんたの願いは、彼に走り続けてもらうこと――その想いが、プログラムに彼の分身たる意志を持たせるに至った。彼の走りとそっくりなの当然も当然、あんたが思い描いている彼の走りと全く同じだから」
「……ともあれ」
 工藤が口を開いた。
「あいつの走りは、とっくの昔に終わっていた、ってことだな……そして、あんたも。このまま、この車を走らせること、続けるかい? でも、それは、自分に嘘をつき続けることと同じだ。あんただって、分かっているだろう? あんたが続けることで、逆にあいつの走りを汚すことにもなるかもしれないって――」
「……ああ……」
 膝から崩れ落ちつつ、チューナーは紅のボディにしなだれかかった。
「そうですよね……もう、もう、あいつの走りは、終わっているんですよね……なのに……僕は――」
「……あんたの走りは、まだ続いているけど……でも、彼のことは、もう記憶の隅に眠らせてやってもいいんじゃないのか」
 工藤のとどめの言葉に、チューナーはうなだれた。
「……悲しいですね……終りだなんて……泣けて、来ますね……」
「そんなこと言うない……おれだって、今日、本当に自分の走り、終わっちまったんだからよ――」
 後の方は、殆どかすれ声だった。
 肩を震わせる工藤に、鏡二は声をかけようとして――肩を誰かに掴まれた。
(だめだめ。今はそっとしとくのが一番、って感じじゃねぇ?)
 しーっ、と指を振る大吾。表情が、そう言っていた。
 鏡二は黙ってその場を離れながら、ポケットから煙草を取り出し、一本咥えて火をつけた。
「……あっという間、だな」
「何がさ?」
 呟きにも似た言葉に、大吾が応え。
「夜が明けて、朝が来るのが、さ」
 そして鏡二は、眩しい朝焼けに目を細めた――



               Mission Completed.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0825 / 工藤・卓人 / 男 / 26 / ジュエリーデザイナー】
【1048 / 北波・大吾 / 男 / 15 / 高校生】
【1074 / 霧原・鏡二 / 男 / 25 / エンジニア】

(整理番号順に列記)

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■         ライター通信          ■
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どうも皆様、初めまして。
この度はObabaのご指名、どうもありがとうございます。

当方これが初仕事でして(設定後30分で最初の受注が入った時はそりゃおったまげたものです)、多分に緊張しながらもさっくり書き終えましたが(!)、いかがでしたでしょうか?
皆様の要望やお好みを反映出来ていますでしょうか?

ちなみに、この小説を書くのに使った時間よりも。
実際に首都高・C1〜深川線〜湾岸線のルートを車で走り込んだ時間の方が長い。
……ってのは、僕と皆様の秘密ですよ?

何か批評、感想等ございましたら、遠慮無くObabaに申してやって下さいませませ。
それでは、またこうしてご挨拶出来たらいいなぁ、と思いつつ。
書かせて頂き、どうもありがとうございました!