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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬
 深夜の街は、そんなに嫌いじゃない。
 夜籐丸絢霞はスニーカーの軽い足音を響かせながら、夜気を頬に受けて歩いていた。
 少し早めの忘年会と称して…何故お酒を飲むのに一々大義名分が必要になるのかがわからないお役所の飲み会、二次会にお定まりのカラオケが引けたのは午前を回ってからで、明日…いや、もう今日、が休日だという安心感から時間を失念していたせいか、随分とのんびりしてしまった。
 店を出れば長く閉塞的な空間に居たせいか、人いきれとアルコールに火照った頬に冷たい夜風が心地よく、酔い覚ましを兼ねて一駅位を歩く気分になったのだが、如何に日本が安全であると言われていても、女性の夜道の一人歩きは不用心であるというより他ない。
 けれど絢霞は人気のない道をてくてくと迷いも怖れもなく進む…子供の頃から続けている合気道で腕に覚えがある、というのも手伝ってはいるが、22歳という実年齢が詐称に取られる程に幼く取られる少女のような容貌とは裏腹に、ただ単に彼女が剛胆であるという事実に他ならない。
 今は編み込んで一つにまとめた長い髪は瞳と揃えたような緑で、淡い月光を柔らかに受け止める。
「気持ちいー♪」
うん、と伸びををして見上げた空に、下弦の月が紺天にかかる様にふと。
 月に想起される人物の名が胸中に浮かんだ。
 昇り始めた満月の赤。その不吉に染まってけれど目を離せないような不思議な色の瞳で、人懐っこく笑う青年。
「ピュン・フー…か」
「はーい♪」
独言の筈が応えがあった。
 しかも轟音つきで。
 耳と夜の静寂をつんざく爆音は炎と黒い煙の形で眼前に落ちてきた青年にまとわりつき、けれど払う腕に動作で呆気なく消える。
「よ、絢霞。今幸せ?」
言葉を失う絢霞の前でちゃっと片手を挙げてみせたのは、タイムリーというより張ってたのか?と疑いたくなるようなタイミングで姿を現したピュン・フーである。
 陸橋の横を抜ける歩道、どうやら上の車道から落ちてきたらしいピュン・フーに思わず上を仰げば、
「待て、裏切り者!」
と怒声が降ってきた。
 上半身だけを乗り出し、こちらを見下ろす黒服・黒眼鏡の男…その手に握られた銃口が、こちらに向けられていた。
 遮光グラス越しに、だがばっちりと目があった。
「その男から離れろッ!」
その1、上から。
その2、高圧的に。
その3、命令口調で。
以上、三拍子が揃って素直に聞く人間が居るとすれば、それは余程に素直な人間だろう。
「さっきまでわりと幸せだったんだけど…どうしたの?」
事態を把握したければ、当事者に聞くのが一番…ぱたぱたと相も変わらぬ黒革のコートの裾を払うピュン・フーにとりあえず問いを向けてみる。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。だからくれっておねだりしてんの」
あっけらかん、と答えながら頬を擦る指に黒い汚れが横顔に広がり、意固地になってる気がしなくもないサングラスの間から覗く目が笑う。
「何、もしかして手伝ってくれんの?」
足を止めたままの絢霞に、感情に強弱を変えるその瞳は柔らかい。
「病気のようには見えないけど………クスリ?」
片仮名表記にすれば、上がるか下がるかは別として意味合いは格段に変わる。
「そいつは我々の組織を裏切った化け物なんだぞ!」
 組織にクスリに黒尽くめ、ときた日にゃ単純に導き出せる答えは一つで、絢霞は笑顔のままで一歩退いてみた。
「違う!」
「実はそう♪」
相反する双方、前者の力一杯の否定、後者の明るい肯定にはたしてどちらを取るべきか…初対面の相手に銃口を向けるような他人と、一度なりと食事を共にした人間との間に確執があると見受けられる場合、どちらにつくかと言えば火を見るより明らかだ…が。
「適当な事を言うな、この裏切り者が…!組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど…」
「お前、喋りすぎ」
吐息に乗せるような呟きは不思議とよく通り、サングラスを引き抜いた目が、街灯の熱のない光に色を深めて紅い。
 それに気圧されたか、口を噤んだ男は目だけはピュン・フーへ向けながら、絢霞に呼び掛ける。
「お前も『虚無の境界』の関係者でないのなら、見逃してやる…この場は忘れて立ち去れ」
語尾に銃口を動かして退出を促す。
 どこまでも高圧的な物言いに、絢霞は胸の前で手を組むと、じっとピュン・フーを見つめた…その目は生き生きときらきらと、星まで浮かびそうな塩梅である。
 予想外の反応の意味が掴めず、首を傾げるピュン・フーと黒服。
 絢霞はそのままピュン・フーの前に歩み寄ると、上目遣いに彼を見上げた。
「………えと、絢霞?」
「ガンバってね、愛しいピュン・フー様♪」
乙女の祈りモードから、脇で軽く両拳を握ってがっつ、と体育会系の励ましモードに移った絢霞はそのまま鮮やかに笑んでスタスタとその場を後にした…呆気に取られたピュン・フーと黒服とを残して。
 改めて仕切直すには気まずく、どちらからとも切り出しにくい雰囲気を作った絢霞…色々な意味で見事、であった。
「………やはり仲間か?」
ものすごい努力の見える声音で、黒服は問いを口にする。
「一緒にメシ食っただけで団体にゃ関係ねー」
こちらもどこか力の抜けた対応で、手にしたサングラスを持て遊ぶ。
「帰ろっかなー」
ひのふの、と指を折り、ピュン・フーは頭上に呼び掛けた。
「んなぁ、次に抑制剤運ぶのってばいつよ?そん時に出直すわ」
「誰が教えるか!」
銃声がひとつ、足下で弾けるのにピュン・フーは軽く眉を上げただけだ。
 威嚇射撃に動じない様子に黒服が舌打ち、今度は間違いなくその頭部に狙いを定める様を見上げたピュン・フーはニ、と笑った。
「んじゃやっぱ、今貰ってく事にすっか」
「そうね」
思わぬ肯定が返った。
「何だお前は!?」
自分の隣で、いつの間にやらちょこんと並び、背の高さからやむなく子供のようにつま先立ちに下を覗き込む絢霞に黒服が驚愕の声を上げる。
 その手には黒いアタッシュケース…男の後ろに駐まるベンツに積まれていた、薬の入った物だ。
「ピュン・フー、薬ってこれのこと?」
下に向かって掲げて見せるそれにピュン・フーも目を丸くする。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「兵法の基礎じゃない。敵を欺くにはまず味方からって」
何の事はない、歩道を抜けて陸橋の向こう側から歩いて来ただけだ…絢霞の味方の一言に、ピュン・フーはしばし動きを止めると続いて笑い出した。
「…そりゃありがてぇや……お礼にいーモン見せてやる♪」
見上げる瞳は射竦める強さで紅い。
 月明かりに出来たピュン・フーの影、その背がぎこちない動きで皮翼を形作り、薄い影の色を闇へと塗り替えた、瞬間。
 その影から、白い靄が吹き出した。
 ピュン・フーを取り巻いて広がる霧は瞬く間に広がり、地からずるりと伸びる無数の手を、繋がる肩を、身体を、まるで地の底から湧き出すような人の姿の朧な輪郭を散らぬようその白さに止める。
「でかい事故でもあったかな?」
理不尽な運命に身を損なったままの姿で…実体を伴った死霊の群は、無言、無表情でゆらりと立ち上がる。
「怨霊化…!?」
黒服の驚愕を余所に、己が周囲を生者に有り得ぬ肌のそれ等を眺め回すと、ピュン・フーは背に大きく生えた蝙蝠に似る皮翼を動かして小さく溜息をついた。
「……やっぱお前等、可愛くねェ…」
そういう問題ではない。
 背に広がる一対の皮翼、五指に伸びる爪は硬質の輝きで刃たり得る強さを示す。
 伸びた爪の先端を、男達に向ける…それを合図に、己がとうに失った血肉と命とに飢えた死霊の群れは、示された先へずるりと動き出す。
「ちょっと…ッ?」
それ等が黒服と絢霞に群がるように輪を縮めるのに、逃れようにも場がない。
「絢霞!」
ピュン・フーが名を呼ぶのにもう一度見下ろせば、軽く両手を開いた先をちょちょいと動かして示す意に、絢霞の決断に迷いはなかった。
 …高さはおよそ5m、度胸が据わってないとまず飛び降りれるものでない。
 だが、絢霞は臆する事なく、吸音素材が貼り付けられて彼女の首の高さほどもある壁に手をかけると、ト、と軽い音で地を蹴り、中空に身を躍らせた。


 絢霞を抱えたまま、とっととその場を後にしたピュン・フーは、人気のない路地に据えられた自動販売機の前で足を止めた。
「サンキューな、絢霞お陰さんで寿命が延びた…んでもよ、手ェ貸してくれるならもーちょっとらしくしてくれたって…」
拗ねた様子に絢霞はピュン・フーの首に腕を回した体勢で少し笑う。
「少しは苦労するのも良いでしょ、人を子供扱いした罰よ」
「やっぱ覚えてた?」
その背と童顔から、絢霞を中学生と間違えた段は記憶に新しい。
「そーいやー、絢霞なんでまだ東京にいんだよ?殺して欲しかった?」
ついでに、別れ際の一方的な約束も思い出したピュン・フーは絢霞を抱えたまま至近の距離
で目を合わせた…その瞳に冗談の色はない。
 あまりにあっさりと問われたそれに、絢霞は一度口を噤むと、そっと服の袖で頬に黒い線を残す煤を拭う。
「殺されちゃうかもだけど、もう一度会えてなんか嬉しかったよ」
絢霞の言に目を見張ったピュン・フーは口の端を上げて笑うと絢霞を降ろした。
「やっぱ普通じゃねーよな、絢霞は」
感心した声音で続ける。
「だいたい、なんでとか理由を聞いてくるモンだけどな」
「聞いてあげようか?『虚無の境界』って何?とか」
根掘り葉掘りを聞くのでなく話のとっかかりがあれば人は話したい事を話せるものだ…絢霞が聞き上手と言われるに、その警戒心を削ぐ容貌と重点だけを押さえた話法によるだろう。
「テロリスト」
ピュン・フーは肩をすくめて簡潔に答えると、アタッシュケースを開いた。
並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
「元々はさっきのヤツ等と同じ『IO2』ってトコで敵対してみてたんだけど思うトコあって転職してみたららこの薬、貰えなくなっちまって…」
立てた人差し指の爪が瞬時に伸びる。
「俺は『ジーン・キャリア』っつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んでこういう真似が出来んだけど、定期的にこの薬がねーと吸血鬼遺伝子が身体ん中でおいたを始めるんで命がヤバいワケ」
内のひとつを摘み上げ、ピュン・フーは絢霞に差し出した。
「ま、命の代価にゃ安いけどな。色だけ見りゃキレイだろ?」
透明に光を透かすそれは、彼の瞳と同じ。
 手の内に落とし込まれたそれに注意を取られた隙、バサリと空気を打つ音に目を上げた時には、その場にもうピュン・フーの姿はなかった。