コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


こんばんわ、幽霊です
++ 珍客 ++
 草間興信所に珍客が訪れたのは、夏が終わりを向かえようやく過ごしやすい秋を迎えようとしているある日のことだった。
「……始めまして、菊花といいます……」
 現れた人物は白いシャツの上に薄手のジャケットを羽織った男だった。清潔感のある服装の男は、神経質そうな顔を恥ずかしそうに伏せながらソファに座り込む。
 草間は目の前の人物に対して、とほうもない違和感を覚えた。こういった人物には尊大な態度であるとか、皮肉げな物言いなどが似合いのような気がするのだが、実際に目の前にいる彼はひどく弱腰で、ここで草間が声を荒げればすかさず逃げ出してしまいそうな、小動物のような印象を見るものに与える。
「失礼ですが、本名で?」
「……あ、いいえっ。これは私の名前で、この人は久坂雅臣っていうんです。私は、彼に取り付いている幽霊で」
 知的と表現しても良いであろう男が、にっこりと笑みを浮かべて小首を傾げる仕草は間違いなくこの世のものではないほどに不気味だ。草間はそう思いながらも、彼に事情を話すよう促した。


「元々、私と彼はつきあっていたんですけれど、なんというかこの人ものすごく理詰めというか人を馬鹿にするというか、そういう人なんです。私が死んだのだって、彼の部屋でテレビの心霊特集見ていたら、『元から馬鹿なんだから馬鹿馬鹿しい番組を見るな。これ以上馬鹿になったらどうする気だ』とか言ってテレビを消しちゃって。その後幽霊は存在するっていう私と、そんなものは存在しないっていう彼とで大喧嘩しまして。恥ずかしい話なんですけれど、私が怒って彼の部屋を飛び出したら交通事故で――あ、お砂糖もう一つ頂けます?」
 コーヒーにそえられた角砂糖を二つ、カップの中に落としてもまだ足りないらしい。零から砂糖を受け取るとさらに彼の話は続く。
「で、死んだのはもうしょうがないじゃないですか? 問題はこれからだと思うんです。やり直そうにも体は完璧に死んでるんですから。で、お葬式に来ていた彼にちょっとだけ、ためしに乗り移ってみたらこれがまたすごく居心地がよくて――」
「……本題に移ってはいだだけませんか?」
 目の前の人物の犯罪的な違和感に耐えかねた草間がそう言うと、彼はぽん、と手を打った。その動きもまた犯罪的だ。
「ええ、それで乗り移ったのでいろいろとポルターガイストのまねしてみたり、彼を怖がらせてみようと思って新境地に挑戦したんです。新米幽霊なんでなかなか上手くいかなかったりもしたんですけれど、幽霊はいないなんて言い張る彼に、是非現実っていうものを味合わせようと思って。でも彼全然驚かないんですよ!? 信じられますか?」
「――で?」
 疲れきった草間の様子に、彼はにっこりと微笑んだ。
「私にも幽霊としてのプライドがあります。彼に驚いてもらうまで――そして彼に幽霊の存在を認めさせるまで成仏するつもりはありません。ということで、是非ご協力していただけたらと思いまして――お礼はこれで、彼が寝ている間に勝手にバイトしてお金ためたんです。疲れないし便利です」
 テーブルの上にぽんと置かれた通帳と印鑑。
 通帳の残高には、かなりの金額。


「幽霊からの、依頼か……」


 この事務所は興信所であって、心霊現象の相談所ではない筈だという言葉を飲み込んで、とりあえず草間は煙草に火をつけた。
 そう、この事件に協力してくれそうな人物たちのことを思いうかべながら。


++ 撮影会の夜 ++
 幽霊に取り憑かれた男というべきか、あるいは男に取り憑いた幽霊というべきか――とにかく久坂雅臣は熱いコーヒーが満たされたカップを両手で包み込むようにして持っている。そんな雅臣――否菊花に、まるで不気味なものでも見るかのような眼差しを向けているのは、肩よりも少しだけ短めの黒髪の、くるくると表情の変化する女だった。シュライン・エマ(―)はそんな彼女――村上・涼(むらかみ・りょう)の様子を見ると、うっすらと口元に笑みを浮かべた。
 だが、シュラインの余裕の笑みも次の菊花の一言によって掻き消える。
「すみません。砂糖もう一つもらえますか?」
 先ほどから数回目の要求に、思わずシュラインはぴたりと動きをとめた。ふと傍らを見ると、涼は今にも死にそうな顔をしている。だがその横でソファに腰かけた菊花は、うきうきと実に楽しげな様子で、さらにコーヒーに角砂糖を落としている。
 ふとシュラインが視線を上げると、草間も涼と同じようにげっそりとした顔をしている。無理もない――とシュラインは思う。菊花は甘党であるのかもしれないが、だがあれはもはや『甘党』で済まされる範疇を軽くこえている。菊花の持つカップの中に満たされた液体は既にコーヒーではなく、『限りなく砂糖水に近いコーヒー』でしかない。
 しかも、菊花はそれを実においしそうな様子で飲むのだから始末に終えない。
 ぐびぐびとコーヒーを飲み干すと、ふう――と息をついた。そしてすぐ隣でげっそりとした顔をしてソファの背にもたれかかっている涼に目を向ける。
「大丈夫ですか? なんだか気分が悪そうですけれど」
 首を傾げながら、覗き込むようにして涼の顔を間近に見つめる。すると涼はソファの背にぴたりと体をつけつつ、じりじりと菊花と距離を取った。
「……なんでもないから平気……」
 どうあっても菊花と距離を取りたいらしい涼と、彼女を心配する余りにじりよる菊花の攻防は数分に渡って続いた。だが最後に勝敗を決定づけたのは菊花の――いや、彼女が使用している雅臣の腕力だった。
 ふい、と涼が菊花から視線を逸らす。だが菊花は涼の頬を両手で包むようにして挟むと、ぐいと自分のほうを向かせた。
「なんでもないって顔じゃないです。顔色悪いですよ。少し横になったほうが……」
 不安そうに、自分の胸の前で両手を組み合わせた菊花から離れるようにして、涼が慌てて立ち上がる。涼の顔色の原因が、ほかでもない菊花の――正確にいえば雅臣の体を菊花が使用しているが故に生じる、違和感とでもいうべきものであることに、菊花本人は気づいていない。
「いえ……なんかこー視覚的な暴力というか、そんなのとの葛藤がいろいろあって……」
 その答えに、思わず吹き出しそうになったシュラインは、すぐ隣に立っていた草間の肩に自分の片手を乗せると涼たちとは反対の――窓のほうを向いた。笑っていることを知られまいとしているのだろうが、シュラインの手が微妙に振るえていることに涼が気づかない筈はない。
「視覚的な暴力?」
 ちょこんと小首をかしげる菊花の額を、とうとう我慢ならなくなった涼がぴしゃりと叩く。すると額に両手をあてた菊花が顔をしかめた。
「いたぁーい」
 涼のこめかみにぴしり、と青筋が浮かんだ。
「だからそれが視覚的な暴力だって言ってんのよ! そんなツラしてんだからなよなよするのやめなさい! それとコーヒーなんだか砂糖水なんだか分からないよーな不気味なシロモノ飲むのも一切禁止! 禁止ったら禁止よ!」
「甘いモノ大好きなんですよー」
「そのツラならコーヒーはブラック! 砂糖禁止!」
「それって横暴ですよね! 幽霊にだって自分の好みを主張するくらい許されると思います!」
「うるさい! 引っ込め!」
 いつの間にかソファの向こう側に隠れた涼が、ちらりと目だけを覗かせて帰れ引っ込めと繰り返している。それに対してぶーぶーと文句を言っている菊乃の姿がよほど可笑しかったのか、シュラインは目じりに浮かんだ涙を指先で拭う。
「それにしてもホント、変わった依頼とお客様ばっかりね――武彦さん」
「困ったもんだ。で、何か考えはあるのか?」
 問いかけられ、ふむ――とシュラインが首を傾げながら菊花たちのほうに視線を向ける。すると涼がソファの影から身を乗り出すようにして手を上げた。
「はいはいはい!!」
 ソファの背に向かって膝立ちをして、片手を背もたれにつけた体勢で勢い良く手を上げている。シュラインが無言のままに、問いかけるような様子で草間を見上げた。
「言ってみろ」
 草間は眉間に幾重にも皺を浮かべている。よほど自分の事務所が一種異様とも思える雰囲気になるのが気に入らないのだろう。
「筆跡とかは変わらないんだから、手紙とか書かせたらいいんじゃないかと思いますー!」
「そうね……基本よね。あとはその体で菊花さんの声を出すことは可能かしら?」
「また嫌なコト思いつくわね……」
 シュラインが菊花に問いかけると、その様子を想像してしまったらしい涼が苦虫を噛み潰したような顔をした。だが幸いなことに菊花は残念そうに首を横に振る。
「この体を自由に使うことはできますけれど、流石にそこまではムリっぽいです」
「そう……その体で菊花さんの声を出してもらって、幽霊は実在するんだって熱く語っているところをビデオに撮影したのを見せてあげれば、流石に自分の言動じゃないって疑いくらいは持つかと思ったのだけれど」
 その時、涼がきらりと目を輝かせたのを草間は見逃さなかった。そしてそれと同時にひどく嫌な予感を覚える。
 だが涼は草間がさらに機嫌悪そうになるのにも構わず口を開く。
「つまりそれって、声が菊花さんでなくとも、『彼ならば決してやらないようなこと』をさせればいいのよね……」
 ふふふと笑っている涼にシュラインが頷くと、菊花はきょろきょろと二人を交互に見やった。
 すると涼は事務所の入り口付近に放置しておいた紙袋を取ってくる。無言でその中を見せられたシュラインは、思わず眩暈を覚えた。それは草間も同じらしい――シュラインの背後から紙袋の中を見た草間も絶句する。
「これは……流石に……」
 しばしの沈黙の末に、ようやくシュラインが短く言葉を吐き出した。涼は得意満面といった様子である。
「でも、『絶対やりそうに無いこと』でしょ」
「それはそうだけれど……」
 皆の様子に好奇心を刺激されたのだろう。それまでソファで大人しくしていた菊花が、ひょこひょこと紙袋の中身を覗き込んだ末に泣きそうな顔をして涼の方を見る。
 菊花の反応はあるいは当然のものなのかもしれない、とシュラインは思う。
 何故ならばその紙袋の中に用意されていたものは、どこで手に入れてきたのかバニーやらメイド服やら今の菊花が着たならばさぞや目に痛いだろうと思われるものばかりなのだから。
 だがどうやら、菊花は『目に痛い』が故に反抗しようとしているのではないらしい。
「まさか……私にこれを着ろなんて……」
「脱ぎなさい」
 女王様よろしく、片手を腰にあてて立っている涼が反論を許さぬかのごとくに命令する。
「でも……恥かしいし」
「恥かしいも何もキミの体じゃないでしょーがっ。とにかく着替えるのよコレに!」
「……だって、年頃の女の子がそんな」
「中身はどうだか知らないけど今のキミは女じゃない!」
「しかも写真取るって」
 既に事務所の備品であるカメラと家庭用のビデオカメラをチェックしていたシュラインが、ふと視線を上げた。写真だけでは合成だと主張されればそれで終わりだ。
「写真だけじゃなくてビデオもとりましょ。動いている映像のほうがインパクトあるでしょうし」
「……まあ、インパクトはあるだろうな」
 もしも突如として、自分がそんな格好をして奇矯な言動をしている様子を見せられたら……などという想像をしてしまったのか、草間はひどく複雑そうな顔をして口元を片手で覆っている。それを見たシュラインが小さく笑った。
「……ビデオなんて……余計恥かしいじゃないですかぁ」
「いいから着替える!」
「えー、そんなぁ」
 いまだ反論しようとする菊花に紙袋を押し付け、ぐいぐいと隣の部屋に押し込める。
「着替えるまで出てくるんじゃないわよ! 出さないわよ」
「横暴ですよー。人の嫌がることをしちゃいけないって教わりませんでしたかー?」
「キミ人間じゃないから! 人じゃなから平気」
 延々と続きそうな涼と菊花の攻防戦をぼーっと見ていたシュラインが、ちらりと時計に視線を向けた。
「まだしばらくかかりそうだし、紅茶でも入れようかしら」
 そしてシュラインの予言通りに、菊花がしぶしぶメイド服を着る決意を固めるまでに費やされた時間は一時間ほどだった。


 隣に続いているドアがそうっと開かれる。ひょっこりと顔だけ覗かせた菊花の頭に、しっかりとカチューシャが乗っているのを見て草間がげんなりとした顔をした。
 当然の如くその姿は涼やシュラインにとっても視覚的な暴力である。だが涼は自分が言い出したことであるし、シュラインはこれからビデオを撮影するという使命がある。気持ち悪がっている場合ではない。
「もじもじするんじゃないの! 堂々としてなさい堂々と」
「だって……こんなの……」
 スカートの裾をぎゅっと握り締め、涙目になって訴えかけてくるのが可憐な少女であれば涼もシュラインも心を動かされたことだろう。だが今彼女たちの前にいるのは男である。涼よりも頭一つ以上身長が高く、黙って座っていればさぞや女を騒がせるであろう類の男である。そんな男がいくら涙目になって訴えかけたところで、涼の心が動かされることはなかった。
「じゃあ撮影しましょうか」
「じゃ……私がこれで……」
 無常なタイミングで発せられたシュラインの言葉に、菊花は今にもこの場から逃げ出しそうな様子で立ち上がった。
「その格好で出ていくの? それは恥かしいわね」
 笑顔でビデオカメラを構えたシュラインが無常なことを言った。菊花がとぼとぼとソファへと歩み戻る。
「でも……ビデオに一人で出るなんて恥かしいから嫌、かも……」
「大丈夫! きっと誰かが一緒に映ってくれるから! 私以外の誰かが!!」
 自信満々に涼が言うと、シュラインの氷よりも冷たい声が降る。
「私は撮影する人だから」
「んーそうするともう一人しかいない訳だけど」
 ぐるん、と涼の目が草間に向けられたとき、既に危機を感じていた草間は行動に出ていた。
 ひそひそと、草間が小声で菊花に耳打ちする。
 すると菊花が嬉々とした様子で涼の背後に回りこむ。
「な……なによ……」
「なんでもないですよ――一緒に映りましょうねぇビデオ」
 涼が慌てて振り向いたときには既に遅い。がっちりと、背後から羽交い絞めにされてしまう。
「いやあああっ! 変質者ーーー!!」
「あらあら。大変ね」
 にこやかな笑顔で、シュラインは淡々と準備を進める。涼は必死で助けを求めているのだが、もちろん草間もシュラインも彼女を救出しようとはしなかった。当然である――彼女が菊花から救出されるということは、自分が次の犠牲者になるかもしれないという可能性を秘めているのだから。
「私変質者じゃないですよ。失礼しちゃいますね」
「その格好のどこがどう変質者じゃないっていうのよ! 世間の変質者が土下座するくらいの変質者っぷりじゃないの!」
「はいはい。カメラ回すわよ」
「はーい」
「いやあああああっ!」
 盛り上がる女性陣を尻目に、草間は窓を開けた。
 煙草に火をつけ、窓の外に向けて紫煙を吐き出す。
 その背後では、ビデオ撮影が開始されようとしている――。


++ 久坂雅臣なる人物 ++
 会社返りという久坂雅臣を見た途端、涼もシュラインも先日の撮影会を思い出して思わず吹き出しそうになったが、二人ともそれをこらえることにかろうじて成功した。
 菊花から預かり物があるという二人に、彼はひどく不審そうな眼差しを向けた――やはり、菊花がこの体を使用している様はひどく印象に残るが、高飛車で他者を威圧するような雰囲気こそが本来の雅臣なのだろう、とシュラインは思う。
「ロクなものはないが」
 男の一人暮らしにしては整然としている――というよりもモノがほとんどないのが印象的だった。生活するのに必要最低限のものだけが置かれている様は、シンプルで機能的だ。そういえば、菊花は雅臣のことを『理詰めの人』といっていたのをシュラインは思い出した。
「おかまいなく」
 シュラインは出されたコーヒーに口をつける。
 不意に涼があることを思い出し、雅臣に問いかけた。
「ところで、コーヒーに砂糖とミルクは入れる人?」
 シュラインが思わず吹き出しそうになる――が自制心を総動員させてシュラインは笑い出したくなるのを堪えきった。
「いや。それがどうかしたか?」
「聞いてみただけよ。気にしないで」
「そうしよう」
 涼は生真面目な顔をして、一通の手紙を差し出した。
「菊花さんからよ。読んでみて――それと見せたいものがあるからビデオ借りてもいい?」
「好きにしろ」
 シュラインがビデオをデッキにセットするなり、テレビからは涼の絶叫が聞こえてくる。雅臣は手紙に目を通すとテーブルの上に放り出し、次に問題の映像が流れているテレビに視線を向ける。
 そこに映し出されている映像にしばし見入ると、ふと雅臣は顔を上げた。
「楽しそうだな」
「いやそーじゃなくて。他にいろいろあるでしょ、こう突っ込むべきところが」
 涼は顔の前でぱたぱたと手を左右に振ってみせる。
 テーブルの上に放り出された手紙には、延々と『幽霊はいる。いるったらいる。私が今こうして手紙書いているのが何よりの証拠でとにかくいる!』なることが延々と綴られている。それを見たシュラインは激しい頭痛を覚えた。
 どこの世界に、恋人にこんな手紙を出す者がいるのだろうか?
「――あのビデオの中でも、この手紙にもあるように、今実際雅臣さんの中に菊花さんがいるといったらどうするの?」
 対する雅臣の答えはひどくそっけないものだった。
「病院に行け」
「うーん。やっぱりそれがごくごく普通の反応なのよねぇ」
 こうして自分が奇矯な言動をしている映像を見ても、それを貫く雅臣の精神力には感心する。
 だがそんなシュラインの隣で、『病院行くのはキミよキミ!』などと涼が考えていたことをシュラインは当然のごとく知るよしもない。
「……しかしあれね、ガタイのいい男のメイドは凶悪ねー……」
 ぽつりと、涼が昨夜の惨劇の記録を見つめつつ呟くと、ひどく厳かに雅臣も同意する。
「とりあえず会社の忘年会で女装するのはやめておこう。今後」
「やるつもりだったの……?」
 おそるおそる涼が問いかけるが、雅臣は答えない。
 シュラインは考える。どうしたら、菊花の存在を雅臣に知らせることができるのだろう?
 彼女の姿は、きっと雅臣には見えないだろう。
 そして雅臣が自分の体が菊花に使用されているのを知らないということは、菊花と雅臣が同時に『起きた』状態ではいられないということだ。
「……つまり対話できる状態でなければ、もう解決は不可能じゃないかと思うのよ。現実にポルターガイスト起こせる程度のことはできたんでしょう?」
 シュラインは、菊花が初めて事務所にやってきたときに、彼女が言っていたことを思い出したらしい――そう、菊花はポルターガイストの真似をして、彼を脅かそうとしたと言ったのだ。
 ポルターガイスト。
 最近さまざまな場所で使われるようになったこの言葉は、『騒がしい霊』『がたがたいう霊』を意味する。物理的なエネルギーが加わっていないのにも関わらず、置いてあった品物が勝手に移動したりする現象を指す。
 菊花がモノを動かすことができる力を持っているならば、雅臣との対話は可能だ。
 シュラインは立ち上がり、部屋の隅のデスクへと歩み寄った。そして雅臣が止める間もなくパソコンの電源を入れる。
「体貸してあげることはできないけれど、でもこれなら言いたいことだって伝えられるわよね? 全部吐き出してしまうといいわ――そう、全部ね」
 かち、かち、と小さな音が響く。
 まるで試すように、一つずつ押されるキーボード。
 誰もパソコンに手を触れてはいない。それにも関わらず、マウスは勝手に動きエディタを立ち上げている。
 雅臣は立ち上がった。そして初めて彼は驚愕に目を見開いたままでパソコンのモニターを見つめる。


 そして、対話が始まる。


++ 共存 ++
「何がしたいんだお前たちは。菊花は死んだ――それを今更……」
「何かしたいのは、私たちじゃないのよ」
 シュラインは両腕を組んだままの姿勢でじっとモニターに視線を注ぐ。


『酔っ払うと、赤ちゃん言葉になるのよねぇ。まーちゃんとか言いながら電話してきたことがあったっけ?』


 最初はたどたどしかったキーを打つ速度が、次第に熟練してものになっていく。菊花も慣れてきたらしい。
 モニターに映し出された文章に一瞬だけ雅臣が押し黙る。そして涼がソファの上で転げながら笑っている。
「まーちゃん……似合わない……もうやめておナカ痛い……」
「……それがどうした?」
 幽霊は信じていないと、そういいながらも次々と打ち出される文章に反応せずにはおれない雅臣。


『初恋は幼稚園の先生でしょ? オーソドックスだよねぇ。でもコドモの頃から結構フェチだったんでしょ涼しい顔して……タイトスカートの先生ばっかり追いかけていたってお母様がこないだ……』


 ひーひーと笑い続けている涼は、笑いすぎて痛む腹を両手で押さえている。立っているのも辛いのかソファに体を預けていた。
「もーカンベンして。面白すぎ……」
「…………」
 文字が饒舌になっていくのに対して、しだいに雅臣は無口になっていく。
「念のために聞くが――本当に菊花なのか?」


『まだ足りないならこないだ一緒にまーちゃんの実家に言ったときの話をしよっか。内緒でお母様にいろいろ聞いたとっときのネタが……確か小学校五年生の頃に……』


「分かった。信じる」
「うわー今の最後まで見たかったのに」
 残念そうな声を上げる涼をじろりと睨みつける雅臣。だが涼の願いとは裏腹に、菊花はぴたりとキーを動かすのをやめてしまう。
 シュラインが小さく息をついた。
「菊花さんは、雅臣さんを驚かせたいがために今までポルターガイスト起こしてみたりしたのよ。それでもどうにもならなくて――草間興信所に助けを求めてきたのね。幸か不幸か、あそこは奇妙な霊現象だとかを依頼されることが多いところだから――武彦さんはあまりそのことを喜んではいないようだけれど」
 草間の苦々しい表情を思い出したらしいシュラインの顔に、自然と穏やかな笑みが浮かんだ。
「依頼? 金はどうした。お前生きている間だっていつも金ないって騒いでいただろう」

『夜中にまーちゃんの体を使っていろいろバイトしたのー。結構楽しかったわぁ。結構一生懸命お金ためたのよ』


「……これからどうする気だ?」
 問いの前の沈黙に、何故か涼が顔をしかめた。なんとなく、雅臣の考えていることが分かったような気がしたのだ。


『どうって、どうしようもないよ。死んじゃったし』


「お前どこぞのブランドのバッグが欲しいとか言ってたな。買ってやる――当分俺の体にいることも許す。ただし夜中のバイトは続けろ」


 は? と首を傾げるシュライン。
 それには全く構わずに、さらに二人の対話は続く。


『いいの、本当に? でもどうして』


「決まってる。失ってから気づいたんだ。俺にはやっぱり菊花が必要で――」
 応酬されるベタベタしい会話に、涼が辟易した顔をしてシュラインを見ると、彼女も同様のようだった。


『まーちゃん……私……こんなことして本当にごめんねっ』


「お前がこうしてここにいてくれることが嬉しいよ」
 変だ。
 問題は雅臣の語りかける相手に実体がないという点である。つまり事情を知らない人が見れば、これでは雅臣が独り言を言っているようにしか見えない。発せられる言葉の内容からも、さぞや雅臣の姿が不気味に見えることだろう。
「行きましょうか……」
「そうね」
 涼とシュラインは頷きあうと、いまだ熱い会話を繰り広げている雅臣を取り残し、マンションを後にした。


++ エピローグ ++
 昼下がりの草間興信所。出前で昼食を終えた草間とシュライン、そして涼はいつもの如く世間話に花を咲かせていた。
 当然今旬の話題といえば、先日の菊花と雅臣のことである。
「でもあのオトコの変わりようったらなかったわよ」
 昼食をとったばかりで眠くなってしまったらしい涼は、時折こくりこくりと頭を上下に動かしている。
 食後のお茶を入れていたシュラインが、カップを涼と――草間の前に置いた。
「なんで突然変わったのかしらね。あんなふうに」
「――決まってるじゃない。ねぇ?」
 当たり前だが、他人のことは客観的に見れるものだ。あの会話の流れからすれば、雅臣がなにをもって菊花との共存を受け入れたのは想像するのは容易い。
 草間とシュラインの視線が自分に注がれているのを意識しつつ、涼は眠い目をこすりながら言った。
「金よ金。自分が寝ている間にバイトして金稼いででくれる上に、自分はちっとも疲れていないなんておいしすぎる話じゃない。それに菊花みたいは女ならダマくらかすのもさぞかし簡単で……これは見たからもう分かると思うけれど」
「確かに……かなり空々しかったのに菊花さんは疑問を感じてはいなかったみたいだものね……」
 と頷くシュラインはどこか複雑そうだ。
 そこに、草間興信所のドアがノックされる。
「こんばんわー」
 聞き覚えのある低い声。そしてそれとは裏腹に暢気な響き。
 涼とシュラインがふと顔を見合わせた。
 そろそろと開かれた扉。その向こうからひょっこりと覗きこむようにして顔を覗かせた顔は、シュラインの記憶の中に残っている――当然だ、現れたのは昨日あったばかりの雅臣なのだから。
 いや、その様子を見た瞬間に涼もシュラインも気づいていた。あれは雅臣の体を使用している菊花だ。
「――あのー、ご相談が」
「えーと……相談ってどんな?」
 嫌な予感を感じつつも問いかける涼の正面に菊花がちょこんと腰を降ろした。
「ええ。やっぱり彼と一緒に普通に会話したりしたいんですけれど、どうしたらいいでしょうか。こうなったら事故を装ってこう……いろいろしちゃうしかないかなぁ、なんて最近思っているんですけれど」
 草間が頭を抱え込んだ。涼は心の底から嫌そうな顔をする。
「どうしたらいいと思います?」
 涼たちが脱力したように肩を落とすと、不思議そうに菊花が首を傾げた。
「……あら……?」
 ふと、シュラインが電源が入ったままのパソコンの画面に目を向ける。いつの間にか新たなメールが入っていたらしい。
 マウスを操作しそのメールを開いた途端、シュラインはふう、と深いため息をついた。そして無言のままで涼と草間に手招きをする。
 差出人は久坂雅臣。
 内容は、最近どうも菊花に命を狙われているような気がしてならない――とのことらしい。
 おそるおそる、シュラインと涼が菊花のほうを振り返った。
「これはもう……本当に興信所の仕事じゃないわね」
 ぽつりとシュラインが呟くと、それを聞きつけた菊花がしっかりと涼の腰のあたりに抱きついた。
「そんなこと言わないで協力してくださいよー! 好きな人と一緒にいたいって実に乙女らしい願いじゃないですか。可哀想だと思わないんですか?」
「知らないっ。そんなの私は知らない――そーゆーのは暗殺者とか霊媒師とか陰陽師の仕事よっ!!」
 なんとか菊花を自分から引き剥がそうともがきつつ上げた涼の言葉に、草間が重々しく頷いた――。



―End―



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 毎度ありがとうございます。久我忍です。
 今回は全部で五人の方に参加頂いたのですが、お話を二本に分割してみました。それぞれ依頼文は同じですが、結果も経過も全く違うものになっています。もしも興味があったら是非読んでみてくださいませ。


 で、この二本に分けたことが元凶なのか冬らしく編み物にウツツを抜かしていたのが原因なのか分かりませんが、今回はえらく納品までに時間がかかってしまいました……つ、次からちゃんとペースを元に戻していきたいです。


 ではでは、次の依頼文がどこになるのかは未定ですが、見かけたらどうぞよろしくお願いします。