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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


こんばんわ、幽霊です
++ 珍客 ++
 草間興信所に珍客が訪れたのは、夏が終わりを向かえようやく過ごしやすい秋を迎えようとしているある日のことだった。
「……始めまして、菊花といいます……」
 現れた人物は白いシャツの上に薄手のジャケットを羽織った男だった。清潔感のある服装の男は、神経質そうな顔を恥ずかしそうに伏せながらソファに座り込む。
 草間は目の前の人物に対して、とほうもない違和感を覚えた。こういった人物には尊大な態度であるとか、皮肉げな物言いなどが似合いのような気がするのだが、実際に目の前にいる彼はひどく弱腰で、ここで草間が声を荒げればすかさず逃げ出してしまいそうな、小動物のような印象を見るものに与える。
「失礼ですが、本名で?」
「……あ、いいえっ。これは私の名前で、この人は久坂雅臣っていうんです。私は、彼に取り付いている幽霊で」
 知的と表現しても良いであろう男が、にっこりと笑みを浮かべて小首を傾げる仕草は間違いなくこの世のものではないほどに不気味だ。草間はそう思いながらも、彼に事情を話すよう促した。


「元々、私と彼はつきあっていたんですけれど、なんというかこの人ものすごく理詰めというか人を馬鹿にするというか、そういう人なんです。私が死んだのだって、彼の部屋でテレビの心霊特集見ていたら、『元から馬鹿なんだから馬鹿馬鹿しい番組を見るな。これ以上馬鹿になったらどうする気だ』とか言ってテレビを消しちゃって。その後幽霊は存在するっていう私と、そんなものは存在しないっていう彼とで大喧嘩しまして。恥ずかしい話なんですけれど、私が怒って彼の部屋を飛び出したら交通事故で――あ、お砂糖もう一つ頂けます?」
 コーヒーにそえられた角砂糖を二つ、カップの中に落としてもまだ足りないらしい。零から砂糖を受け取るとさらに彼の話は続く。
「で、死んだのはもうしょうがないじゃないですか? 問題はこれからだと思うんです。やり直そうにも体は完璧に死んでるんですから。で、お葬式に来ていた彼にちょっとだけ、ためしに乗り移ってみたらこれがまたすごく居心地がよくて――」
「……本題に移ってはいだだけませんか?」
 目の前の人物の犯罪的な違和感に耐えかねた草間がそう言うと、彼はぽん、と手を打った。その動きもまた犯罪的だ。
「ええ、それで乗り移ったのでいろいろとポルターガイストのまねしてみたり、彼を怖がらせてみようと思って新境地に挑戦したんです。新米幽霊なんでなかなか上手くいかなかったりもしたんですけれど、幽霊はいないなんて言い張る彼に、是非現実っていうものを味合わせようと思って。でも彼全然驚かないんですよ!? 信じられますか?」
「――で?」
 疲れきった草間の様子に、彼はにっこりと微笑んだ。
「私にも幽霊としてのプライドがあります。彼に驚いてもらうまで――そして彼に幽霊の存在を認めさせるまで成仏するつもりはありません。ということで、是非ご協力していただけたらと思いまして――お礼はこれで、彼が寝ている間に勝手にバイトしてお金ためたんです。疲れないし便利です」
 テーブルの上にぽんと置かれた通帳と印鑑。
 通帳の残高には、かなりの金額。


「幽霊からの、依頼か……」


 この事務所は興信所であって、心霊現象の相談所ではない筈だという言葉を飲み込んで、とりあえず草間は煙草に火をつけた。
 そう、この事件に協力してくれそうな人物たちのことを思いうかべながら。


++ 本当の願い ++
 不思議だ――そんなふうに思いながら、草間興信所のソファに身を預け、菊花が乗り移った雅臣を見ていたのは線の細い、だが決してそれが弱さに繋がらないという不思議な印象の人物だった。ともすればか弱い印象を他者に与えてもおかしくはない不思議な魅力に満ちた体つきは、彼女の発する強烈な精神の輝きとでもいうべきものの存在によってか、むやみに元気の良さそうな印象ばかりが目に付く。彼女の名を、朧月・桜夜(おぼろづき・さくや)という。
 テーブルを挟んだ向こう側。桜夜の正面には菊花が湯気の昇るカップを両手で包み込むようにして持って、ふーふーと覚ましている。コーヒーを冷ます合間に菊花はしきりにふんふん、と頷いているが、おそらく菊花が話を聞いているであろう相手は、普通の人間では視認できないに違いない。なにせその相手とは、まごうことなき幽霊なのだから。
「あんた中々いい性格してるじゃないかい。あたしもこのオカタイ兄さん苛めに一肌脱いでやるよ」
 あはははは、と派手な笑い声を上げて菊花の背中をばんばんと叩いているのは、艶やかな美女――棗・桔梗(なつめ・ききょう)だった。
 しかし不思議だ、と桜夜は思う。
 雅臣という人物が『幽霊など存在しない』と言い切ることからも、彼の目には霊という存在が見えないであろうことは容易く想像できた。だが、雅臣の体に乗り移った菊花には、桔梗の姿が見ている。
 元々『見える』体質であったのか、あるいは菊花だからこそなのか。
「随分……仲良くなったみたいね……」
 すぐ隣から聞こえた落ち着いた声。それはシャルロット・レイン(―)のものだ。
 物憂げな雰囲気を身に纏った彼女は、長い銀色の髪を耳の後ろへとかきあげると、顔を傾けるようにして桜夜を見る。仕草の一つ一つまでが洗練されているその様子に、桜夜は同性ながらため息が出る思いだった。
「頼りになる人でしょ」
「そうね……」
 穏やかなシャルロットとは裏腹に、桔梗と菊花は幽霊同士で盛り上がっているようだった。
「だいたいこういうタイプは、納得いかないことは疲れているとかいって信じやしないんだ。ちょっと小細工したくらいしゃ信じさせるなんてのは難しいだろうね。でも安心おし――ちゃあんとあたしたちが最後まで面倒みるからさ」
「ありがとうございす……あの、センパイって呼んでいいですか?」
 キラキラと目を輝かせて、自分の胸のあたりで両手を祈る形に組んでいるのが可憐な美少女ならばさぞや絵になったことだろう、と桜夜は思う。だがしかし、今桔梗に尊敬の眼差しを向けているのは可憐さの欠片も感じられないような男である。
「まあ確かに、あたしのほうが幽霊としての経験は長いからね。何か聞きたいことがあるなら何でも聞いとくれよ。あんたもこうして幽霊と話をするなんて機会は滅多にないだろうしさ」
「ありがとうございます!」
 立ち上がり、ぺこりと頭を下げる菊花。
 菊花と桔梗の異様なまでの盛り上がりを尻目に、桜夜は意見を求めるべく隣で紅茶のカップに口をつけているシャルロットのほうを見た。
「どう思う?」
「あら……どうって、何が?」
「うーん、なんというか……どうしたらいいと思う?」
「そうね……」
 菊花たちを見守っていたシャルロットの眼差しが、にこやかなものからどこか探るようなそれへと変化する。
 ひとしきり菊花たちを眺めた末に、シャルロットはゆっくりと――一つ一つ言葉を選びながら告げる。
「話が……できる相手がいるというのは、いいことだと思うわ。なににせよ……彼女は今まで一人で十分頑張ったのだもの――だから……私は望みを叶えてあげたいわね……。『彼を驚かせたい』という言葉の裏に潜むであろう……本当の願いを……」
「本当の、願い?」
 シャルロットの言葉に、弾かれたように桜夜は菊花に視線を注ぐ。だがそれに気づかない菊花は嬉しそうに桔梗と語らっているようだ。
「そうよ……私は、彼女の願いがもっと他のところにあるのだと、そう思うわ」
 桜夜はこくりと頷く。
 確かにそうだと思う。喧嘩したまま死に別れてしまった恋人に対して、言いたいことは沢山あるだろう。まずは自分の意思を――思いを伝えたいと思うのが当然なのではないだろうか?
「でも、『本当の願いを言ってみて』なんて言ってもきっと頑固につっぱねるだろうし……」
「そう。だから『彼を驚かせたい』という望みを叶えてあげればいいのよ……。その先に、必ず繋がるわ……人は、そういうものよ」
 桜夜は知らない。シャルロットが長い、長い間ずっと人の願いを叶え続けてきたのだということを。だが、その言葉の中に疑いようのない重みを感じ取った桜夜はゆっくりと頷いた。
「だとすると怖がらせる方法ね……オーソドックスなやつはほとんど試したのね?」
 質問に、菊花は立てた人差し指を自分の唇に軽くあてるという凶悪なポーズを取る。
「出来ることはしたと思うんです。家具を動かしてみたりとか……音を出してみたりとか……でも全然駄目なんです。家具の配置が変わっても、眉一つ動かさないんですよこの人! まるで全部予想通りみたいな感じで逆にこっちが怖くなっちゃいましたよ」
「なかなか強敵みたいね……何かいい方法あるかしら、桔梗のおねーさま」
 桜夜が桔梗に話題を振ると、桔梗が考えるようにして首を傾げる。
「そうだねぇ……」
 桔梗が悩むその横では、菊花がわくわくと新たなアイデアが生まれるのを待っている。その横で、桜夜はそっとシャルロットに告げた。
「怖がらせるんじゃなくて、もっと他の方法で菊花の存在を雅臣に認めさせるのが先だと思うんだけれど……」
「正しいわね……。でもその前にまず……私は雅臣という人物を知りたいわ……。彼の内面を知ることによって、取れる手段はきっと変わってくるから……」
「人となり、ねぇ。理詰めの人って言っていたけど」
 草間興信所に菊花が相談にやってきたときのことを思い出しながら桜夜が答える。
 するとシャルロットは意味深な笑みを浮かべた。
「理詰めでもあるのでしょうけれど……同時に頑固な人でもあるわね……。家具の配置が変わっても認めようとはしないなんて……あるいは、認めたくないのかもしれないけれど……」
 まるで全てを悟っているかのようなシャルロットの雰囲気に、菊花は息を飲んでうっとりと見とれている。桜夜と桔梗は顔を見合わせると苦笑した。
「なんか世の中には知らないことは何もないって顔してるねぇ」
 桔梗がふわりと宙に浮き上がり、シャルロットの顔を間近で覗き込む。
「あら――知らないことならば……沢山あるわ……。けれど経験ゆえに想像することはできるの……多分、それはあなたも同じね……」
「さっきから思ってたんだけれど、あなたも『見える』のね」
 そう、桜夜が不思議に思っていたことはもう一つあった。
 それは、シャルロットにはどうやら桔梗の姿が見えるらしい、ということ。陰陽師としての能力を所有している桜夜に霊が見えるのは当然である。
 世俗と縁の薄そうなシャルロットには神秘的な空気がどうしてもつきまとうが、それでもまさか彼女にも霊が見えるとは思っていなかったのだ。
 シャルロットは桜夜の問いに対して、淡い笑みを刻む。
「ええ――私はね、いろいろなことができるの。見えるのもそのうちの一つでしかないわ……けれど、私はそれを自分のために使うことはできない……この力は、私の望みを叶えるために、存在するものではないから……」
「難儀だねぇ」
 両腕を組んで、そう呟く桔梗をシャルロットは見上げる。
 桜夜はしばし考えた末に言った。
「でも、あまり問題ないと思うけれど――だって、自分のために何もできなくても、あなたが人のためにこうして何かをしようとするなら、ならばあなたのために、何かをしてくれるっていう人はきっといるもの」
 あっけらかんと――まるで当然のことのように告げられた言葉に、シャルロットの表情が変わる。それまでは常に穏やかで、気品に満ち溢れていた彼女は、今心から驚愕したかのように目を大きく開いて桜夜を凝視した。
 そして、桔梗がにやにやと笑みを浮かべてそんなシャルロットの肩をつつく。シャルロットは瞳を伏せると、小さく笑った。
「――あなたのような人は貴重ね……」
「変なこと何かいったかな、あたし」
 桜夜がきょとんとした顔で桔梗とシャルロットを交互に見やる。
 だが桔梗はシャルロットのほうにちらりと一瞬だけ視線を送った。
「少し、羨ましいだろ?」
 シャルロットに対して、さらりと告げられた桜夜の言葉は、これから先彼女が人の願いを願い続ける上での希望となり、そして支えになるだろう。
 だが、今まさに人一人の人生に影響を与えたであろう張本人は、それに気づかずにしきりに首を傾げているだけだった。


++ 久坂雅臣なる人物 ++
 どんな手段を使ったのか、シャルロットはそれから数日後には久坂雅臣の勤める会社にカウンセラーとして入り込むことに成功していた。
 与えられたのは、さほど広くはないが綺麗に掃除された部屋。壁に面した本棚には難しいタイトルの背表紙がずらりと並んでいる。本棚とは反対側の壁際には、荷物を入れるためのロッカーが二つ――入り口から入ると一番奥にシャルロットの座る椅子があり、テーブルを挟んだこちら側には相談者が座るであろうパイプ椅子が見える。
 そして今、その椅子に足を組んで座った桜夜はぷうと頬を膨らませていた。
「だからなんで覗きなのよなんで」
 そう――シャルロットはここに雅臣を呼び出してある。だがカウンセラーとして会社に入り込んだのはシャルロット一人である。ここで桜夜が同席するには相応の言い訳がなければならない。
「カウンセラー以外の人がいたらまずいだろうし……困ったわね」
 つまりシャルロットは、雅臣がここにいるあいだ桜夜にロッカーの中に隠れていろというのである。そして桜夜が猛然に反発しているというのが現在の状況だった。
「隠れる理由がないでしょ。絶対に嫌よ」
 ぷい、とそっぽを向く桜夜に、困ったわね――と呟きながらもさして困っていなさそうな様子のシャルロット。
 桔梗と、一時的に雅臣の体から離れ幽体となった菊花はふわふわと宙を泳いでいる。
「姿が見えなければ全然問題ないんですけど、人間は人間で不便ですねー」
 開かれた窓からは冷たい風が吹き込んでくる。窓枠に腰掛けて笑う桔梗の姿を、揺れる白いカーテンがすり抜けていく。
「だがその不便さも、楽しいもんさ」
 生きているというそれだけで、死者である桔梗たちよりも『できること』の可能性は遥かに広いのだから。
 菊花が窓からひょいと外に顔を覗かせた。そうしているうちにも、シャルロットと桜夜の話し合いはどうやら解決に向かいつつあったらしい。
「分かったわ! だからあたしのことは助手とでもいっておけば問題ないじゃない。ね? それなら別に隠れなくてもすむでしょ」
 両手を胸の前で組みあわせて『お願い』のポーズを取る桜夜に、シャルロットは小さく頷いた。
「……分かったわ。でもその代わり、カウンセリング中は口を出したら駄目よ……?」


 草間興信所で菊花が乗り移った雅臣に会ったことはあったが、その時の彼と今、胡乱げな眼差しで室内を見回している男はまるで別人のような空気を纏っていた。
 当然だが顔も、体つきも同じだ。
 だが表情や、しぐさ――そして全体的な雰囲気が違う。
 菊花が乗り移っていたときには、気が弱くいつも小さくなっているイメージがあったのだが、今シャルロットの前に座っている彼は尊大そうですらある。パイプ椅子に座っている彼は、慣れた仕草で足を組むとその上に片手を置いた。
「最近……何か変わったことはありませんか?」
 シャルロットはいきなり核心に切り込む。雅臣は膝に置いた手でこめかみを押さえた。
「ある――だが原因は分かっているしそれを取り除こうとは思わない。ただのカウンセラーに全てを話すつもりもないし、俺がそれを望まない。俺は、このままでいい」
 まじまじと、桜夜は雅臣を見た。
 菊花の言葉によれば、雅臣は『理詰めの人』であるということらしい。だが今の彼の言葉には曖昧なところが多すぎる。そして、自分でそれに甘んじている様子すら感じられる。
 そして、それに桜夜はとある確信を抱いた。
 もしかしたら、雅臣は菊花の存在に気づいているのではないだろうか、と。
 シャルロットが傍らに立っていた桜夜をちらりと見上げ、そして頷く。それは桜夜の確信に対しての、彼女の同意の証のようにも思えた。
 桜夜は机に片手をついて、こころもち雅臣のほうへと身を乗り出す。
「もう一つだけ、質問させて――」
 雅臣が少しだけうんざりとした顔をした。だがそんなことには構ってはいられなかった。
「あなたは、幽霊を信じる――?」
「…………」
 しばしの沈黙が落ちた。
 雅臣はチタンフレームの眼鏡を押し上げると、シャルロットと桜夜をじっと見つめた末に問いを返す。
「なあ……幽霊っていうのは、何かを思いのこしたヤツがなるんだろう? だったら、その思い残した願いを叶えたら、幽霊は消えてしまうのか?」
 やはり――桜夜はそう思う。
 雅臣は気づいている。ただ、自分のごくごく近くに彼女が『いる』ことを悟っていてもそれが視認できないだけなのだ。
「用はそれだけだな。俺はもう行くぞ」
 見えない何かを振り切るようにして雅臣は桜夜に背を向けた。ドアに伸ばした手が一瞬だけ静止したがそれだけだった。
 ばたん、といささか乱暴な音を立ててドアの向こうに雅臣が消えると、シャルロットの口から小さな吐息が漏れた。
「カウンセリング中は黙っているという約束よ……」
 だが、その口調には咎めているような響きは感じられない。
 人とは、なんと矛盾に満ちた生き物であろうかとシャルロットは思う。
 幽霊は信じないと言っていた雅臣を変えたのは、明らかに菊花の死であろう。そして彼は菊花の存在を感じ、まさかとは思いながらも恐れている。二度目の別れを。
 人とはなんと愚かしいのだろう。だが、その愚かさすらシャルロットは愛していた。矛盾に満ちた彼らの生き様はとても愛しい。勿論、今シャルロットの目の前にいる桜夜も多くの過去や悩みを抱えて生きているのだろう。だから、それゆえにシャルロットは許すだろう。あの時桜夜が雅臣に問いを発したことを。
 そう――あの時桜夜が黙っていられなかったのは、菊花たちを思ってのことだ。他者のために動くことができる人間はとても貴重で、そしてたいせつであるとシャルロットは思っていたのだから。
「ごめんなさい……」
「いいのよ――私はね……あなたのそういうところは、とてもすばらしいと思うわ……。どうか、これからもそのままでいてね……」
 願いにも似た言葉に、桜夜はきょとんとした顔でシャルロットを見る。
 シャルロットは自分の力を自分のために使うことはできない。
 だからこそ、思う。
 桜夜のような人々の願いを、叶えて生きたい、と。


「……あの人が、私のことを……私がいることを……分かってる? そんなこと……」
 窓を背にして、菊花は立っていた。大きく目を見開いて雅臣が消えたドアをじっと見つめている。
 桔梗がそんな菊花の肩をやさしく叩く。
「どうするんだい?」
「どうするって……だって……」
 菊花が混乱するのは無理もない、と桜夜は思う。
 だが、もしも――雅臣が本当に彼女の存在を悟っているならば、これはチャンスだ。
「ねえ……あたし、思うんだけれど……怖がらせるんじゃなくてもっと他の方法で、あなたの存在を彼に認めさせたほうがいいのかもしれないって思うの。彼があなたの存在を悟っていても、それは漠然としたもので、きっと彼も不安だと……それに、付き合ってたんでしょ?」
 ぎゅっと、握りこんだ拳を自分の胸のあたりに強く押し当てている菊花。桔梗はその手をそっととり、指先が白くなるほどに握り締められた指を解いていく。
「素直におなりよ――」
 桔梗の言葉に、菊花がゆっくりと顔を上げる。そんな彼女に微笑みを返し、さらに桔梗は言葉を続けた。
「意地はってないでさ――素直におなりよ。あんたたち恋仲だったんだろ? 突然死んじまったりしてさ、何か言い残したこととか伝えたいこととか、そういう思いはないのかい?」
 透明な涙が、菊花の白い頬を滑り落ちる。涙の雫は、地面に落ちる前に掻き消えた。
「でも……伝わらないもの……」
 菊花は死んだのだ。
 今の雅臣に彼女の姿が見えないように、言葉が届かないように――二人を分かつたものは大きく菊花一人の力では超えられない。悲しいことに、思いの力だけではどうにもならなことはある。
 そう、一人では。
 ゆっくりと立ち上がり、シャルロットが開いたままになっていた窓を閉めた。
「手段を……与えてあげることはできるわ……」
 皆の驚いたような視線がシャルロットに注がれる。
「私はね、人の願いを叶え続けてきたの……そしてこれからもそれを続けるでしょう……。自分のために、この力を使うことはできない……けれど、人の願いを叶えることはできるから……ただ、少しだけあなたに無理をしてもらうことになるけれど……」
「あたしかい?」
 桔梗が自分を指し示すと、シャルロットが頷いた。
「幽霊として日が浅い菊花さんだけの力では、雅臣さんの前に姿を現すことはできないわ……けれど、桔梗さんは見たところ百年以上は幽霊をやっているようだから、その力を少しだけ、菊花さんに分けてあげればいいわ……そのための作業は私が請け負うから……。ただし、そうね……たぶん一週間前後、桔梗さんの姿が視認できなくなる可能性があるけれど……でも、桜夜さんのような力のある人ならば、見えないことはないでしょう……」「あたしは構わないよ。だから、あとは菊花――」
 決断するのは、桔梗ではなかった。
 そして、それを見守る桜夜でもシャルロットでもなく――。
「怖い?」
 桜夜が、菊花の顔を覗き込む。
「怖いわよね。雅臣さんがどんな反応をするのか怖いのは分かるわ。でも、本当ならばこんなチャンスを与えられる人なんていない。変わって欲しいという人はたくさんいる筈よ――あなたにはチャンスがある。もう一度、言葉を交わすことができるのよ」
 けれど、それがより深い悲しみを招くやもしれないこともまた桜夜は悟っていた。
 一度会ってしまえば、きっと人の心は揺らぐ。
 菊花を失った悲しみは、いつか雅臣の中で昇華されることだろう。だが、二度目の別れに二人は耐えられるのだろうか?
「選ぶのは、あなたよ――」
 ぎゅっと、硬く閉じた目を菊花はゆっくりと開いた。
「やります――もう一度、あわせてください」


++ 二度の別れと ++
 灰色の雲が空を厚く覆っていた。
 空を見上げ、桜夜はふと背後を振り返る。視線の先には不精面をした雅臣の姿があった。
「あたしの知っている人が言っていたわ。『大抵のことには慣れたけれど、別れだけは慣れることができない』って」
 その言葉は、桔梗のものだった。
 当然、思い当たるふしのある桔梗は、桜夜に片目をつぶってみせる――それに答えるようにして桜夜は小さく笑った。
「だからまだ分からない――もしももう一度あなたたちが会うことが出来たとしても、死者と生者は同じ世界に生きることはできないから。だからもう一度、慣れることができない別れを強いることになるこの決断が、本当にあなたたちのためになることなのかが分からない。でも、その方がいいような気がしたの」
 だってあたしなら、絶対会いたい――小さなその言葉は、果たして雅臣に届いただろうか?
 そう。自分ならば絶対に会いたい。
 例え許されないとしても。
 桜夜が空を見上げると、ちらちらと白いものが舞い降りてくる。そっと掌を伸ばすと、雪は体温にさらされてすぐに消えてしまった。
 息をつめて、桔梗は雅臣を見つめていた。
 話をしている桜夜と雅臣を尻目に、シャルロットが桔梗へそっと手を触れた。
「……少しだけ、我慢して……」
 体から、力がごっそりと抜けていくような感覚。視界にちかちかと光が揺れる。
 光によって、まともな視界が奪われてしまいそうな予感に襲われた桔梗が強く目を閉じた。
「……最後だから、会わせてやりたいじゃないか」
「そうね……私も、そう思うわ――人の願いを叶えてきたからではなく……純粋に、会わせてあげたいと……」
 そして、桔梗の力が菊花に注がれる。
「まだ、迷っているのよあたしは――それでも、菊花は決めたわ」
 菊花は恐れているのだろうか?
 二度目の別れを、二人はどう迎えるのだろうか?
 雪が降り始めた公園で、桜夜は雅臣のほうを振り返った――だがその視線は雅臣ではなく、彼のさらに向こうをじっと見つめている。
 桜夜の眼差しにつられるようにして、雅臣も振り返った。
 驚きに、雅臣が息を呑む。
 舞い降りる雪を、不思議そうにきょろきょろと見つめていた菊花の不思議そうな眼差しがやがては雅臣に向けられる。
「――会えた、ね」
 うっすらと、姿を現した菊花がゆっくりと歩き出した。雅臣のほうへと。
「やっぱりいたんだな。ずっと、そんな気はしていた」
「うん。追い払わずにいてくれたね」
 雅臣が手を伸ばした。だがその手が菊花に届くことはなく、するりとすり抜けてしまう。
「だが、いつまでも続かないとも思ってたんだ、俺は」
「知ってる。ずっと、この声が届かないから余計にわかったの。私たちの道は、本当にどうしようもなく違ってしまったから。でも――最後に決断を委ねられたとき、思ったの」 菊花の体が、その輪郭がぼやけていく。
 消失の予感に、桜夜がシャルロットのほうを振り返った。
「なんで今消えるのよ! せっかく会えたのに……まだ何も伝えていないのに!」
「彼女の願いが叶えられようとしているからよ。何かを伝えることが望みなんかじゃなかった――ただ、きっと……」
 シャルロットの言葉に、桔梗が自嘲的な笑みを浮かべた。
 気持ちは分からなくはない。
 もしも、自分の愛した人の目に再びこの姿が映るならば、それだけで――。
「それだけが、望みだってのかい……まったくあんたは……」
 ただ、もう一度。
 降り続く雪の中で菊花は笑った。
「ただ、もう一度だけ、会いたかったの――」


 叶わないことが分かりきっている願いでも。
 声が届かないことを知っていても。それでも。


「もう一度だけ、会いたかったの――」
 あまりに、切ない願いは悲しく。
「けれど、彼女の願いは叶えられたのよ――そして、彼の願いも」
 歌うように、シャルロットは言った。
「会いたかったよ――俺も」
 雅臣が空を見上げる。もはや視界のどこにも、彼女の姿を見つけることはできない。


 静かに降り続く雪は、やがては公園を――そしてこの街を白く染めることだろう。
 音もなく、静かに――。



―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0444 / 朧月・桜夜 / 女 / 16 / 陰陽師】
【0616 / 棗・桔梗 / 女 / 394 / 典型的な幽霊】
【1158 / シャルロット・レイン / 女 / 999 / 心理カウンセラー】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちわ。久我忍です。
 かつてないほどに参加PCの平均年齢が高い一作となりました。なにせ平均年齢470歳です。私なんかまだまだヒヨッコだなぁと思わずにはいられません。
 ……とかふざけておりますが、実は納品までかなり紆余曲折したりしました。一度書いたプロットを破棄して新たに書き直したりしたのは始めてだったりします。書き直した末にいいモノができるなら、リライトするのも苦にはならない性分なのが幸いです。ただその関係で、納品までいつもよりも時間がかかってしまっているのが少々心苦しくもありますが。

 実はこの依頼の参加PCは全部で五人いたのですが、話の傾向を全く違うものにせざるを得なかったために二本に分けてみました。依頼は同じですが、もう一本とはリンク性も皆無ですし、話自体も、ラストも全く違うものになっていますので、もしもご興味がありましたら是非見ていただけると幸いです。

 それでは、またどこかで。