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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


三下君慕情


■ オープニング

「おわーっ!?」
 今日も元気に、三下君の悲鳴が編集部にこだまする。
 原稿を書き終えてう〜んと伸びをした拍子に椅子の背もたれが折れ、後ろにひっくり返ったのだ。さらに書き終えたばかりの原稿の上に、飲みかけのお茶がこぼれ、また一から書き直す事になってしまった。
 それだけなら、アトラス編集部のさして珍しくもない日常の光景なのだが、最近の三下君はちょっと違っていた。
 シュレッダーにネクタイが巻き込まれて首が絞まり、窒息しそうになったり、コピー機が漏電して感電したり、窓から飛び込んできた野球のボールが頭を直撃したり、お遣いに外に出る度に車に轢かれそうになったり怖い人に絡まれたりキャッチセールスに捕まったり……etc
 とにかく、いつにも増してやたらめったら運が悪いのである。
 本人が気にしている風もないのが唯一の救いだったが、こうまで続くと、麗香もさすがに何かあるんじゃないかと、多少心配になってきていた。
 ……こいつ、またロクでもないネタを拾ってきたんじゃないでしょうね……
 などと思いながら、ふと彼を見ていると……
「──!?」
 その三下の隣に、ぼうっと半透明の少女が立っているではないか。
「ちょっとあんた、その娘は一体どうしたのよ!?」
「え? ああ、編集長にも見えるんですか? まいったな〜」
 などと、困ったように頭を掻く彼であった。
 話によると、彼女の名前は麻紀と言うらしい。生前の年齢は17歳で、ひょんな事から今は自分に取り憑いているというのだが……
「……すみません。私、去年死んで幽霊になっちゃったんですけど、男の人とデートもした事がないんです。それで、この人なら優しそうだなって思って……」
「ね? 可哀相でしょ? だから明日、この娘と遊園地でデートしようと思うんですよ」
「……それはいいけど、大丈夫なの?」
「あの、実は私、生前もすごく運が悪くて、絶対ご迷惑をかけると思うんですけど……でも三下さんがそれでも構わないって言って下さって……」
「そりゃそうですよ。困ってる娘をほっとくなんて、僕にはできません!」
「……そう」
 胸を反らして笑う三下だったが、突如背後のホワイトボードが壁から外れ、倒れかかってきて彼を床へと押しつぶす。
「うわーーーっ!!」
「きゃー! 大丈夫ですか三下さんっ! 三下さーんっ!!」
「…………」
 これでも大丈夫と言い切る三下は、ある意味立派だとは思うが……
 ……一応、誰か助っ人を呼んだ方が良さそうね、これは。
 ホワイトボードの下敷きになってじたばたもがく三下を横目で眺めつつ、自分のデスクへと戻る麗香であった。
「死なないで下さい三下さーーーん!!」


■ 戦闘開始・波乱のデート、はじまる

「一応調べてみたんですが、麻紀さんの死因等には不審な点はありませんでした」
 と、静かに口を開いたのは、細身で整った顔立ちの男だった。
 何気ない立ち振る舞いまでもが洗練されており、口調も柔らかで、いかにも良家の出身である事を思わせる雰囲気を持っている。
 名前は灰野輝史(かいや・てるふみ)。23歳だ。
「ふーん。でも、三下さんが不運続きなんは事実ですよね? その辺はどないなんです?」
 すぐにそう尋ねたのは、背の高い青年だった。興味ありげに微笑んでいる。
 名は今野篤旗(いまの・あつき)。18歳の大学生である。
 板についた関西弁は、そちらの出身である事を示している。生まれは古都、京都だ。
「ええ、実は彼女自身も言ってる事なんですが、生前からどうも運が相当に悪かったようで……それが現在も続いているようですね」
「……そんなに運が悪かったんですか? 具体的にはどんな風に?」
 輝史の言葉に、さらに問いが投げかけられる。
 口にしたのは、幽霊少女の麻紀と同じく17歳の娘だった。癖のない長い髪を後ろでまとめてポニーテールにしている。綺麗な瞳にあるのは、好奇心の色が少々強そうに見えた。美少女であるが、活発そうな印象だ。
 名前は加賀美由姫(かが・みゆき)。高校生である。
「そうですね……とりあえず危険な霊でなない事が分かった時点で、そんなに詳しくは調べなかったんですが……」
 と、断った上で、説明を続ける輝史。
「まず、少なくとも交通事故には20回以上合ってますね。乗り合わせたバスや車や電車が止まるなんていう事はしょっちゅうだったようですし、彼女が参加するイベントはたいがい雨や嵐で、通う学校には雷、竜巻、雹、大雪などの天災、泥棒、強盗、凶悪犯の立てこもりといった人災が必ず起きてます。必ずです」
「そらまた……ほんまですか?」
「……とんでもないですね」
 篤旗と美由姫が、揃って目をぱちくりさせる。
「じょ。冗談じゃないっスよ!!」
 それを聞いて、声を荒げる人物が約1名。
 がっちりとした体格の、高校生である。名は湖影龍之助(こかげ・りゅうのすけ)、17歳だ。
「そんな危険人物の幽霊と三下さんをデートさせるなんてやっぱりいけないっス! 三下さんの身に何かあったらどうするっスか! それを想像するだけで、俺、俺もう胸が張り裂けそうっスよ!!」
 その台詞は、ある意味もっともと言えるかもしれないが……何も拳を震わせて熱く語る程の事ではないだろう。しかも目つきも120%本気で。
 肝心の三下はというと、今は小用──平たくいうとトイレに行っており、この場にはいない。だからこういう話を始めたわけである。
「まあまあ、それを防ぐためにも、あたしらがいるんじゃん。そうでしょ?」
 龍之助をチラリと見て、最後の1人が言った。ギターケースを背負った女性である。
 九重京香(ここのえ・きょうか)、24歳。実は現在ヒットチャートを驀進中のロックバンド、ローズマーダーのギタリストだ。
 今は変装も何もしていないので、ときおり通りかかる通行人に「あれ? ひょっとしたら……」などと言いたげな顔をされている。が、本人があまりにも堂々としているので、声をかけて来るものまではいなかった。
「……そうっスけど……けど、やっぱりこんなのは問題っス。幽霊をほっとけないっていう三下さんの優しさはぞっこんラブっすけど、何もデートだなんて……相手だったら、俺がいつでもどこでも……ああいえ……」
 それでも、なにやらブツブツつぶやく龍之助。
「ま、これも仕事だよ。個人的感情はぐっと押さえるんだね」
「いえ、俺はなにもそんな……」
「そうかい? ならいいけどね」
 逞しい高校生にはあっさり言い、それからふと輝史へと振り返ると、
「いや〜、若いってのはいいね。胸の内がややこしくてさ」
 ニヤリと笑い、小声で言った。
「……はあ」
 なんとも返答しかねる言葉に、ぎこちなく笑うしかない輝史だ。
 彼女も自分も十分若いとは思うのだが、それは言わなかった。
「……どうやら戻ってきはりましたよ」
 篤旗が首を傾け、他の面々もそちらへと目を向ける。
「いや〜、すみません〜」
 などと手を振りながらパタパタ小走りで近づいてくるのは、三下である。
 しかし、ただ1人、輝史だけは皆と違う方向を見ていた。
「来ましたね」
 こちらもまた、小さくつぶやく。
 そのとたん、
「わぶっ!」
 何もない所で、唐突に三下が転んだ。
「だだだ大丈夫っスか三下さんっ!!」
 血相を変えて龍之助が走り寄る。
 しかし、それよりも早く、倒れた彼の隣にぼうっと浮かぶ小柄な姿。
「ご、ごめんなさい! また私のせいで!」
 しゃがみこみ、手を口に当てるのは……幽霊少女の麻紀だった。
「さて、これでいよいよ全員が揃うたな」
「ここからが、仕事のスタートよね」
「仕事やのうて、デートやろ」
「私達には、仕事でしょ」
「何言うてんねん、ここは遊園地やで、こっちも楽しまな損やないか」
「……いかにも関西人らしい考え方だね、あっちゃん」
「ほっといてんか」
「あはは」
 龍之助の次に、篤旗と美由姫がそんな会話をしながら2人の側に寄る。どうやらこの2人は顔見知りらしい。京香と輝史も、すぐに続いた。
「あの、あのあの、怪我とか、ないですか?」
「ええ、大丈夫です。こういうの慣れてますから」
「でもあの……本当にごめんなさい」
「麻紀ちゃんのせいじゃ、ありませんよ」
「でも……」
「あの、やめませんか?」
「え?」
「せっかくのデートなんだから、そういう風にしょげた顔するの、やめましょうよ。楽しくいきましょう」
「……」
「……ね?」
「はい……ありがとうございます」
「いえいえ」
 地面に倒れたまま上体だけ起こした姿勢で、微笑む三下。
 お世辞にもかっこいいとはいえないし、元々男前でもないのだが……人の良さだけは通じる。そんな顔だ。
「へえ、いいとこあるね、三下さん」
「ま、いい所がなかったら、それこそ単なるダメ編集者やしな」
「あっちゃん、それ言い過ぎ」
「……へいへい、すまんこって」
 美由姫にジロリと横目で見られ、肩をすくめる篤旗。
「…………三下さん……」
 傍らでは、瞬きもしない瞳が、じっと2人に向けられていた。龍之助だ。
 その手がすっと伸び、隣にあった”迷子に注意”と書かれた金属製の標識を握り締めると……すぐにメキメキという異音を上げて、2つに折れ曲がってしまう。とんでもないパワーだ。
「さて、じゃあ行きましょうか」
 ズボンについた埃を払いながら、三下が立ち上がる。
「はい」
 嬉しそうに、頷く麻紀。
「じゃあ、まずは何から──わっ!」
 歩き出そうとした三下が、また声を上げた。偶然通りかかった人にぶつかったのである。
「す、すいません!」
 すぐに謝ったのだが……
「……てめえ、どこ見て歩いてやがる。骨が折れちまったぞ」
「アニキのの骨を折るたぁ、ふてえ野郎だ!」
 ……と、振り返ったご面相は、どこからどう見てもマトモな人種ではなかった。
 アニキと呼ばれた方は、今時珍しいモヒカン刈りの金髪で、背中に蛇の絡みついた頭蓋骨がデカデカと描かれた真っ赤な皮ジャンを着ている。
 子分各らしい方は、赤だの青だの茶色だの銀だのと、ありとあらゆる色の混在したロールシャッハテストみたいな色で、しかも爆発コントの後みたいに弾けた形の髪をしていた。着ている皮ジャンは、同じモノだ。
「慰謝料払ってもらおうか!」
「有り金全部出しな!」
「そ、そんな……」
 いきなりそんな台詞と共に凄まれて、目をぱちくりさせる三下である。
「……絵に描いたみたいなインネンのつけられ方だね」
「三下さんも凄いとは思うけど、なんや、あっちの連中も吉本新喜劇を地でいっとるわ、これ」
 篤旗と美由姫が、感心したようにつぶやく。
 そんな中、真っ先に動いたのは……
「何言ってんだよ、このボケナス共が!!」
 威勢のいい声と共に、ジーンズに包まれた長い足が空気を切り裂く。
 めしっ、というくぐもった音がした。
 背後から、京香が兄貴分の股間に容赦ない蹴りを叩き込んだのだ。
「もぎゃーーーーーーーーーー!!」
 たまらず、その場でぴょんぴょん飛び跳ね始めるモヒカン男。
「て、てめえ兄貴に何しやが──いててててっ!!」
 色めきたって京香に殴りかかろうとした子分も、すぐに悲鳴を上げて動けなくなった。
 いつのまにか背後に寄った輝史が、腕を捻り上げたのだ。
「ぶつかったのはこちらが悪いですが、あなた達の態度もあまり良くないですよ」
「うるせー放せ! 放しやがれこの野郎っ!」
 ジタバタ暴れるが、まるで熊にでも捕まったかのようにビクともしなかった。輝史はただの色男ではない。
「さてと、ここはあたしとテルちゃんに任せて、みんなは先に行きなよ」
 と、笑顔で他の面々に告げる京香。
「……テルちゃんって……俺の事ですか?」
「そうだよ。フミちゃんの方が良かったかな?」
「いえ……」
 首を振り、苦笑する。
「せやね。ほなお言葉に甘えて行きますか」
「がんばって下さいね」
「三下さん! こんな所にいたら危険が危ないっス! 今すぐ俺と避難しましょう!」
「で、でも……」
 そう言われても、三下は戸惑ったみたいな目をした。京香達を心配するというより、迷惑をかける事が申し訳ないと思っているのだ。
「ま、麗香さんにくれぐれもよろしくって言われてるからね。気にしないで行っといで」
「はあ……すみません」
 京香にウインクされて、それでようやく頭を下げる三下だった。
「皆さんには本当にご迷惑をおかけします」
 麻紀もその隣で同じように深々と礼をして、それからやっと小走りで一行が去っていく。
「うんうん、あの麻紀ちゃんってのもいいコじゃない。三下君なんかにゃもったいないねえ、はは」
 後姿を見送りながら、思わずそんなつぶやきを漏らす京香だ。
「……てんめえ……」
 その彼女の前に、ゆらりと立つ男……どうやらやっと平静を取り戻したらしいモヒカンだった。
 ただ、目つきがかなり凶悪になっている。
「女だと思って油断してりゃいい気になりやがって……ただじゃおかねえぞ」
「はっ、何言ってんだよこの馬鹿。油断しようがしまいが、あたしはお前なんかにゃ負けないっての。いいからとっととかかってきな」
「なめんなよこのアマぁ!!」
 京香の言葉に逆上した男が、拳を振り上げて殴りかかる。
「言っとくけど、一切容赦しないからね!」
 京香も真正面からモヒカンに向かった。
 パンチをあっさりとかわすと、背中のギターケースを横殴りに叩きつける。
 ぐしゃ、という素晴らしい音がした。
「ぬぎゃうぐぉ!」
 言葉の通りに一切手加減なしの一撃を顔面に受け、意味不明の叫びを上げて吹き飛ぶモヒカン男。
 地面をごろごろと転がると、大の字に仰向けになり……あとは動かなかった。完全に白目を向いている。
「おー、さすがにマホガニー製のケースは固いわ。高かっただけあって、ヒビひとつないよ。はは」
 と、ケースを撫でる京香だ。
「ア、アニキ!! てめえ! このくそ! 放しやがれ!!」
 一部始終を見て血相を変える子分を、輝史が自由にしてやる。
「こん畜生!!」
 すぐに振り返って掴みかかってきたが、輝史はそれよりもずっと速く、首筋に軽く手刀を打ち込んでいた。
 とん、という軽い音しかしなかったが、間を置かずに子分の体が力を失い、地面へと崩れる。
 こちらもどうやら、気を失ったらしい。
 京香とは違い、見た目も実にスマートなやり方だった。
「へえ、さすがにやるね、テルちゃん!」
「どうも」
「しかしなんだか、がぜん楽しくなってきたねえ、はははっ」
 屈託のない笑顔の京香に、つられて微笑する。
 が、輝史の方は、思ったよりも色々な意味で大変な仕事になりそうだと、1人思っていた。
 彼の予感は……大概当たる。


■ メリーゴーランド・巡る不運の大回転

「ほい、ソフトクリーム買うてきたで」
「うん、ありがと」
 美由姫に渡すと、篤旗は彼女の隣に座った。
「で、様子はどないや?」
「特に何もないかな。今の所はね」
「ほか、それはなによりや」
 頷いて、美由姫と同じ方向に目を向ける。
 そこには、軽快な音楽と共に馬が回る乗り物……いわゆるメリーゴーランドがあった。
 2頭並んだ馬に、それぞれ三下と麻紀が乗り、なにやら楽しそうに話している。
 すぐ後ろの黒い馬には、龍之助がいた。
 彼の方は楽しそう……というより、むしろ殺気すらこもった目で前の2人を眺めていたりするのだが、幸い前の2人がその事に気付いた素振りはないようだ。
 あまり人気がないのか、それともたまたまなのか、他に客はいない。
 10分ほど回って終わりらしく、あと半分くらい時間が残っていた。
 篤旗と美由姫はやや離れた所でベンチに腰掛けて様子を見ることにし、龍之助はすぐ側で監視というわけである。
 とにかく側にいたがる龍之助をやんわり押し留めようとした2人だったが、結局押し切られてこの形になっていた。
「なあ」
「うん、なに?」
「あのコ、三下はんに取り憑いてるっちゅう話やったよな?」
「だね。だから運がめちゃくちゃ悪くなってるんだよ」
「なら、最終的には成仏させなあかんのやろ?」
「うーん……そうなるかな、やっぱし」
「そもそもなんで幽霊になんかなったんやろな、あのコ」
「そういえば、その辺の事、聞いてないね」
「……病気ですよ」
「え?」
 ふと、第3の声が、その問いに答える。
 2人がそちらを見ると、いつのまにか自分達の脇に輝史が立っていた。
「あ、灰野さん」
「そっちはもう片付いたんですか?」
「ええ。京香さんのおかげで、すっかりね」
 少しだけ笑みを浮かべてそう言うと、メリーゴーランドに目を向ける。
「彼女は、随分と偶発的な事故や天災に巻き込まれてきたのですが、不思議と健康面では何の問題もなく、怪我とかもほとんどしなかったそうなんですよ」
「……へえ」
「なんか、運がいいのか悪いのか、よく分からないですね、それ」
「そうですね。でも、最後の最後で、その健康面に不幸が来てしまったんです。白血病という形でね」
「白血病……ですか。血液のガン、ですよね?」
 美由姫の言葉に無言で頷くと、輝史が説明を続けた。
「しかも若年性で進行が早く、見つかった時にはもう手遅れだったそうですよ。突然学校で倒れて、それから3ヵ月後にはもう亡くなってしまったそうですから」
「……かわいそう……」
 ポツリと、美由姫が漏らした。同じ年齢という事もあるのだろう。完全に人事と割り切る事などできないに違いない。
「っちゅう事は、別に誰かに恨みを残して死んだとか、そういう可能性もほとんどないわけですね?」
「ええ、恨みや怨念、執念、妄念など、そんな想いを抱いて幽霊になったわけではないでしょう」
「……あっちゃん、そんなの麻紀ちゃん見ればすぐに分かるでしょう。この鈍感!」
「な、なんやっちゅうねん。単に可能性の話やないか」
「少しは女の子の気持ちを察してあげられる男になりなさいよ。そんなんじゃダメだぞ、まったく」
「……はい」
 頭ごなしに言われて、視線を落とす篤旗だった。
「まあまあ、そう言わずに。それよりも、我々はあの2人を不運から守ると同時に、彼女がこの世に思い残した事も叶えてあげなければならないでしょうね。それが、今回の目的になるはずです」
「……思い残した事か」
「それってやっぱり……」
「ええ……」
 小さく頷いて、輝史が言った。
「このデートを成功させなければなりません」
 3人の目が、それぞれの思いを胸に、あらためて三下と麻紀の2人に向けられる。
 ささやかな幸せを望む不運パワー全開な幽霊少女と、現在もアトラス編集部で下僕人生まっしぐらのさえない男のデートである。もはやデートという名を借りた不運との果てなきバトルと言っても過言ではないだろう。
 果たしてどうなるのかは……それこそ幸運の女神か、不運の悪魔にしかわからない。
「ハーイ、皆さんお元気デスカー!」
「……?」
 と、いきなり陽気な声。
 3人が振り返ると、そこには笑顔を浮かべたピエロがいた。
 星の模様の派手なツナギに先の尖った靴、頭には三角帽子を被っている。
 ただし、その顔は……
「なにしてはりますの、京香さん」
 あっさりと、篤旗が言った。
「……あの後いなくなったと思ったら、着替えてたんですね」
 と、輝史。
 髪の毛を後ろで束ね、でかい外人風のつけっ鼻をしてはいるが、どうみてもそれは彼女である。
「な、何を言うデスカー、ワタシ京香サン違いマース。おフランス生まれの陽気なラテン系ピエロでマイコゥー・ロドリゲス・西大久保三丁目言いマース」
「……はあ」
 慌ててそう言い繕うピエロだったが、誰がどう見てもバレバレである。
「で、そのマイケルさんがどうかしたんですか?」
 とりあえず、美由姫が笑顔で聞いた。どうやら調子を合わせてあげるつもりらしい。
「ノンノンノン、マイケル違いマース。もっとこう、江戸っ子調に巻き舌で”マイコゥー”と呼んでくだサーイ、可愛いお嬢サーン」
「あはは、わかりました」
「……なんでおフランス生まれが江戸っ子の巻き舌やっちゅうねん」
「細かい事を気にしてはイケマセーン。円形脱毛症になりマース」
「そか。ハゲたらかなわんな」
「オゥ、そうデース。ハゲは1日にして治らずデース」
「……なんでもええわ、もう」
「あはは」
 美由姫が声を上げて笑う。
「あの、マイコゥーさんは、どういったご用向きでこちらに?」
「オゥ、よくぞ聞いてくれまシター」
 どうやら輝史も話を合わせる事にしたらしい。聞かれるとパッと明るい笑顔になる京香……いや、マイコゥーだった。
「あのお2人のおデートを、盛り上げるタメにー、はるばる海を越えてやって来たデスダヨー」
「それはまたご苦労な事で……どないして盛り上げてくれはりますのん?」
「いろいろデース。とりあえずこんなのはどないデッカー?」
 と言うと、彼女は懐から何かを取り出して自分の口元に当てる。
 ぷーっと息を吹き込むと、それはみるみる大きく膨らんだ。どうやら風船のようだ。
「さーて、レディース、エーンド、ジェントルメーン。本番はここからデース。ミュージックスタート!」
 楽しげな言葉と共に、足元に置かれたラジカセのスイッチを入れるマイコゥー。するとノリのいい音楽が流れ始めた。
「でっきるっかな♪ でっきるっかな♪ さてさてふふーん♪」
 なんて歌いながら、細長い風船をきゅっきゅっとねじり、形を作っていく。
「へえ、器用なもんやな」
 篤旗がその手つきを見て、感心したようにつぶやいた。
「ハーイ、完成デース!」
 と、ほどなく彼女が皆の前に差し出したのは……
「あ、キリンですね」
「ビンゴ! 正解!」
 黄色い風船で色も合わせてあって、なかなかの出来である。
「京香さん、こないなテクをどこで身につけたんです?」
「あはは、いやね、昔バイトで……って、何を言わせるデース! これはアイアムがおフランスで覆面の師匠から教えられた一子相伝の技なのデース!」
「あ、さいでっか。わかりました。色々苦労してるっちゅう事ですね」
「でも、これなら確かに麻紀ちゃんも喜ぶかも」
 思わずボロを出しそうになった京香が慌て、篤旗がニヤリと笑い、美由姫も楽しそうに顔をほころばせる。
 輝史も微笑しかけたが……すぐにすっと目を細めた。
「……ちょっと妙ですよ」
「え?」
「オーノー! アイアムのキリンちゃんがお気に召しまセンカー?」
「いえあの、そうじゃありません。メリーゴーランドがおかしいんですよ」
「あ……ほんまや」
 全員が、揃ってそちらを見た。
 メリーゴーランドの音楽が、なんだか少しづつテンポアップしている。
 それにつれて、回転速度もどんどん増していき、やがて……
「うわーーーー!」
「きゃー!」
 とんでもない勢いでぐるんぐるん回り出し、三下と麻紀が悲鳴を上げた。
「……あれって、絶叫マシンやったのか?」
「そんなわけないでしょ! 故障よ、故障!」
「なんとかしないといけませんね」
「早速救助隊の出動デース!」
 と、4人はすぐに向かおうとしたのだが……
「待ちな!!」
 背後からかけられる、ガラの悪い声。
 振り返ると……入口の所でも絡んできた、あの趣味の悪い皮ジャンの2人が立っていた。
 しかも、今度は同じような格好の人間が、背後に20人程控えている。
「てめえら、さっきはよくもコケにしてくれたな。礼はたっぷりしてやるから覚悟しな!」
 と、凄んでみせるモヒカン頭だ。
「……だってよ。どうします?」
「なんやお前ら、京香さんらに魂抜かれて埋められたんと違うのか?」
「いくらなんでも、そこまではしませんよ」
「オー、これはなにやら盛り上がってまいりましたネー」
「しゃあないな、もう……ちょい待っとれ」
 4人は一旦円陣を組んだと思ったら……
「ジャンケン……ポン!」
 なんて声がして、2人がメリーゴーランドへと走っていった。
 残った2人は……
「……やれやれ」
「あははー、がんばりまショー、テルちゃん!」
 輝史と、マイコォーだ。
「こいつら……舐めやがって、かまうこたぁねえ! 野郎共! 地獄見せてやれ!」
 うぉぉーと叫んで、全員が鉄パイプや角材等を手に襲いかかってくる。
「オゥ! どんどんかかってきなサーイ♪」
 嬉しそうなピエロの声が、その場に響いた。


 現場へとやってきた篤旗と美由姫は、狂ったように回転を続ける木馬の群れをじっと見つめている作業服姿の男がいるのを見つけて、とりあえず彼へと詰め寄った。
「あんた、ここの関係者やな。一体どないなっとるのか……」
 と、声をかけたが、振り返った男の顔を見て、一瞬言葉に詰まる。
 一目見て、ゴリラかと思った。それくらい顔が人間離れしている。
 おまけに体毛も濃いようで、こげ茶色の毛が、顔だけでなく手の甲や指にまで生えていた。
 どうみても足より腕の方が長く、自然に前かがみになった姿勢で、手の先が地面に軽く触れている。
「……」
「……」
 目が合って、言葉を失う2人。
「うむ、大変な事になっている」
「わっ!」
 いきなり話し掛けられて、思わずのけぞった。
「何を驚く?」
「あ、いえ、なんでもありません。あはは」
 ぎこちない愛想笑いを浮かべる美由姫だ。
 どうやら人間らしいとわかってほっとしました……とは、とても言えない。
 よく見ると、胸のプレートには「花園」とあった。間違いなく管理側の人間のようだ。
「あの2人、僕らの知り合いなんです。早よ止めてもらえませんか」
 気を取り直した篤旗が、まずそう告げる。
「それができたら、こっちもとうにやっておる」
「できたらて……こういう場合の緊急停止装置とか、そないなモンはないんですか?」
「これがなんだかわかるか?」
「……は?」
 管理人がふいに懐に手をやり、何かを取り出した。てっきりバナナでも出てくるのかと思った篤旗だったがそうではなく、なにやら金属製の細い棒が握られている。先端には赤い球体が付いていた。
「えーと、なにかのレバーみたいに見えますけど……」
 美由姫が素直に言うと、管理人は重々しく頷き、
「うむ、その通りだ。これがその緊急停止装置を作動させるレバーなのだよ。この状況を見て真っ先に引いたのだが、あっさりと折れてしまった。まいったか」
 と、言った。
「……はぁ」
 まいったかと言われても困るのだが、とりあえずそういう事らしい。
「じゃ、じゃあ、あとは電源を止めるとか、他にもなんや方法がありますやろ」
「ふむ、電源か」
 チラリと篤旗を見ると、今度はズボンのポケットから何かを取り出してみせる。開かれた手の上に乗っているのは、まっぷたつに割れた丸くて赤いプラスチックだ。
「電源停止のためのボタンだ。押したら割れた。こんな事は管理生活20年でも初めての事でな。非常にミラクルだ。えらくびっくりしている、うむ」
 落ち着いた声は全然びっくりしているようにも慌てているようにも聞こえないが……なんにせよ緊急事態なのは間違いないだろう。
「他に方法は?」
「ない」
「……いや、そないはっきり断言せんでも……」
「ないものはないのだ」
「……あっちゃん、どうしよう?」
「う〜、ったく、どないもこないもあるかぃ! ほんまにえげつないくらい運ないなあいつらは!」
 思わず頭をかきむしる篤旗だ。
「……よし、しゃあない。こうなったら少々荒っぽい手でいこか」
 やがてぱっと顔を上げ、美由姫を見た。
「ちょっと耳貸し」
「う、うん……」
 そして、ただちに暴れ馬と化したメリーゴーランドからの救出作戦が決行された。


「ほな、行くで!」
「おっけい!」
 回転を続ける舞台のすぐ側に、篤旗が立っていた。
 彼の目は、じっとあるものを捉えている。
 三下と麻紀が乗る馬を固定している金属のバーである。
 回転に合わせてこれが緩やかに上下し、馬に動きを与えているわけだ。
 加えて、どうやらこの部分のみで、馬本体は支えられているらしい。
 ならばもし、ここが折れたらどうなるか?
 この回転なら、まず間違いなく外へと飛び出してくるだろう。乗っている人間ごと。
「よし……ここや!」
 絶好のタイミングを計り、彼は自分の能力を開放した。
 篤旗は、熱を操る事ができる。
 自分が意図した対象となる物体に、超高温から極低温まで、望むだけの温度を与える事ができるのだ。
 篤旗は、馬を支える金属棒の2点、床付近と天井付近に超高温を与え、同時に切断してのけた。
「うっわーーーーー!」
 自由を得た馬は、遠心力の働きで一気に舞台を離れ、三下の悲鳴の尾を引きつつ外へと飛ばされる。
 その先に、美由姫が立っていた。
「うん、さすがあっちゃん。方向バッチリだね」
 ニッコリと笑い、すっと片手を前に差し出す。まっすぐに自分へと突き進んでくる暴れ馬に。
「はい、ストップ」
 あっさり言うと、それだけでピタリと三下と麻紀の体が止まった。
 馬のみが猛スピードで彼女の脇を通り過ぎ、どこかへと飛んでいく。
「あ、あれ?」
 空中に浮かんでいた体がふわりと地面に降りると、そこでようやくきょとんとした顔であたりを見回す三下だった。
「三下さん、大丈夫ですか!」
「あ、うん、麻紀ちゃんこそ、怪我ない?」
「ええ、特になんとも」
「そっか……ならよかった」
 ほっとした顔で、微笑む麻紀。
「はは、は……」
 三下の方も、ぎこちない笑顔を浮かべた。
 ……幽霊に怪我の心配してもしょうがいと思うんだけど……ま、いっか。よかったね、無事で。
 美由姫も心の中で、言った。
 2人の空中停止は、彼女の能力によるものである。
 美由姫は一般的に言うところの、超能力が使えるのだ。
 その中でも、さっきのは念動力──PKと呼ばれる能力だった。
「おおい、無事か?」
 と、そこに篤旗もやってくる。
「ええ、もちろんよ」
「おっしゃ、作戦成功やな」
 片手でハイタッチを交わす2人だ。
「こちらも片付いたようですね」
 なんて声と共に、輝史も歩いてきた。
「あれ、そっちも終ったんですか?」
「ええ、ほとんど京香さんがやっつけましたね。こちらはほとんど何もする事がなくて」
「……あの人もムチャクチャやな」
 篤旗が苦笑する。
「でも、その京香さんは? 一緒じゃないんですか?」
「さあ。いつのまにかまた姿が見えなくなったんですが……」
「どうしたのかな?」
「また着替えるんちゃうか?」
「あはは、まさか」
「だとええんやけどな」
 そんな会話をしていると、
「ちょっといいか」
「わっ!」
 ぬぅっと現れる巨体。管理人の花園氏だ。
「あ、あの、何か……」
「いや、まだメリーゴーランドに残っているのも、君達の知り合いかと思ってだな」
「え?」
「……あかん、そういえばすっかり忘れとった」
 顔を見合わせ、ようやくその事に気がつく一行だ。
「うわーーーーー! 三下さーーーーーーーーーーん!!」
 まさにその時、悲鳴と共に何かが宙に舞い上がった。
 メリーゴーランドの高速回転に耐えられなくなった龍之助の体が、ついに弾き飛ばされたのである。
 くるくると回転しながら、青空に弧を描いてどこかへと消えていく。
「うむ、300ヤードは飛んだな。ゴルフならナイスショットだ」
 軌跡を目で追いながら、重々しくつぶやく花園氏。
「……あーあ」
「まあ、頑丈そうな人やったから、大事ないやろ」
 人事のように言う篤旗。
 実際、その通りだった。
 5分後には、何事もなかったかのように三下の前に無傷で現れる事になる。
 ……愛とは、かくも偉大なものらしい。


■ 大切なもの・観覧車倒壊、三下決死の地上100メートル!

 それからも、行く先々で2人のデートは波乱と混乱と崩壊を呼んだ。
 ジェットコースターでは、最後尾に乗った2人の車両だけが途中で何故か切り離されてしまい、延々と暴走するハメになったり、ミラーハウスに入ったら、合わせ鏡の魔力で悪魔が呼び出されてしまい、慌てて退散させたり、軽い食事をしようとレストランに入ったらガス漏れで爆発しかけたり……
 その他にも有形無形、ありとあらゆる大小さまざまな不幸の連鎖攻撃はとどまる所を知らず、ほぼ絶え間なく2人へと襲いかかってくる。
 その全てを合理的、または力ずくでねじ伏せ、何事もなかったかのように収めてきた一行の努力と労力……それはもはや人智を超えた戦いだったと言っても過言ではない。
 やがて日も暮れ、あたりは夕闇に包まれようとしていた。
「……さすがに疲れたわ」
 缶コーヒー片手にベンチに深々と腰を下ろしているのは、篤旗である。
「まあ、色々あったしね」
 なだめるように言うのは、隣に座る美由姫。
「色々ありすぎや、ありすぎ」
「あはは、確かにそうかも」
「でも、まだ気は抜けませんよ」
 落ち着いた声は、輝史だった。傍らに立ち、じっと上を見ている。
「ええ、わかってますて」
 篤旗も、同じ方向を見た。
 薄闇の中に、鮮やかに浮かび上がる巨大な車輪……観覧車である。今2人は、これに乗っている。
 さすがにこの乗り物だけはちょっと何かがあったらかなり危険そうだと全員が思ったのだが、麻紀が乗ってみたいと真剣な顔で言うので、誰も止められなかったのだ。
 いや、正確に言うと龍之助は反対したのだが、他の全員の手によって、彼の意見は圧殺された。
「とりあえず頂上部分は過ぎましたから、一番危険な所で何かが起こるという気配はないようですね」
「このまま何も起きなければいいですね」
「……どうやろな、今までの例からしても、そっちの可能性の方が低いんとちゃうか?」
「かもしれませんね」
 真面目な顔で、輝史が頷く。
「そんな……」
「ちょっと……灰野さんが言うと、冗談に聞こえへんのですけど」
「そうですか? でも、特に今は注意すべき時間なんですよ」
「……時間?」
「なんぞ意味でもありますのん?」
「彼女の亡くなった時間です。1年前の午後6時7分……もうじきですね」
「……あ」
 輝史の言葉に、美由姫が自分の腕時計に目を落とし、篤旗もそれを覗き込んだ。
 現在の時間は、午後5時55分……を、やや過ぎたあたり。
「なにか起きるとしたら、その時間だと?」
「可能性は高いでしょう」
「しかも、特にでかいのがきそうやな」
「……やめてよあっちゃん、縁起でもない」
「せやな、なんぞ起きてから考えるか」
「何も起きないかもしれないでしょ」
「ええ、その通りです」
 輝史が生真面目な表情のままで言ったが……心の内でどう思っているのかはわからない。
「三下さーーーーん! 早く降りてきて下さいっスーーーー! 俺が守ってあげるッスーーーーーー!!」
 先程からずーっと観覧車を見上げ、龍之助が叫んでいる。
「……あちらさん、最初っから全然テンション変わってへんな」
「ある意味心強いよね」
「ある意味な」
 ため息混じりに篤旗がつぶやく。
 それにタイミングを合わせたみたいに、なにやら怪しげな音楽が聞こえ始め、
「ニーハオ」
 一行の前に、中華風の礼服を着込んだ人物が現れた。
 鍋のフタみたいな帽子をかぶり、鼻の下には長いドジョウひげまでつけている。
 格好はともかく、その顔はどうみても……京香だ。
「……今度はどなたはんでっか?」
「アイヤー、はじめまして。ワタシ中国系モンゴル人の陳・チンギス・チロリアンあるヨ」
「なんかの三段活用みたいな名前やな」
「あはは」
 最初の外人ピエロに始まって、これまでにも各種着ぐるみや衣装でその都度キャラクターも変えてきている京香である。他のメンバーもいい加減慣れていた。
 ふと彼女の背後を見ると、潅木の茂みの中に無造作に突っ込まれたギターケースの先が覗いている。閉じられた蓋の間に、服の切れ端が挟まっていた。一体どれだけの衣装や小道具が収められているのか想像もつかない。もはや四次元ポケットだ。
「……こんなやから、全然シリアスな雰囲気にならへん。困ったもんや」
「そう? 楽しいじゃない。私は好きだけど」
「ま、嫌いやあらへんけどな」
「でしょ」
 笑顔の美由姫につられて、苦笑する篤旗だ。
 時間は……午後6時を過ぎようとしていた。


「わあ〜」
 と、眼下に広がる景色を見下ろして、嬉しそうな声を上げる麻紀。
 夜になり、各種アトラクションがライトアップされて、昼の景色にはない、一種幻想的な絵を作り出している。
「綺麗ですね」
 と、三下も素直に言った。
「あの……」
「はい?」
 ふと、顔をうつむけ、
「今日は、本当にありがとうございます。私なんかに付き合ってくれて……」
 と、麻紀が言った。
「え? ああいえ、あの、僕の方こそ、付き合ってくれて感謝してます。おかげで久々に楽しい休日になってますから」
「でも、そのせいで、ひどい目にばかり遭っちゃって……」
「あはは、このくらいなら、僕も慣れてます。編集長の命令に比べたら、全然たいした事じゃないですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、だから申し訳ないなんて思わないで下さい。せっかくの遊園地なんですから、もっと楽しみましょう」
「……優しいですよね、三下さんって」
「えっ? や、やだなあ、そんなんじゃないですよ」
 ふいに言われた麻紀の言葉に、思わずぽっと赤くなる。
「今日来て下さった他の皆さんもとてもいい人で……本当に感謝してます」
「そ、そうですね。だから、がんばれるんですよね」
「がんばれる?」
「そうです。たとえどんな目に遭っても、助けてくれたり、一緒に苦しんだり、笑ったりしてくれる人達がいるから……僕も今の仕事を続けていられるんだと思います。自分1人で悩んでたら、とっくの昔に潰れてたと思いますから……」
「…………」
「あ、ご、ごめんなさい。何か変な事言いましたか、僕?」
 驚いたみたいな目で自分を見る麻紀に、三下がやや慌てたが、そうではなかった。
「いえ、そうじゃないです。三下さん、私と同じだなって思って……」
「同じ、ですか?」
「はい。私も不運続きでどうしようもなくて……でも、それでも「またなの?」って言って笑ってくれる友達がいてくれたから……それが凄く嬉しかったんです。だから、やってこれたんだと思って……」
「……なるほど」
 麻紀の言葉に、頷く三下。
「じゃあ、本当に一緒ですね。似てるんですよ、僕達」
「……そうですね」
 そこで、ようやく麻紀の顔にふわりと微笑が広がった。
 真正面からそれを見て……三下の胸がドキリと高鳴る。
 ……なんか……麻紀ちゃん可愛いし……幽霊って事忘れて本気になりそうかも……
 とか思ってしまい、慌てて首を振る。
 ……い、いけない! 相手は未成年で、しかも幽霊なんだぞ! そんな2重にバチあたりなことなんて!
「……約束、してたんです」
「え、えっ?」
 ポツリと言われて、素っ頓狂な声を出してしまう。
「病気が治ったら、友達みんなで、花火大会に行こうって……でも、守れなかった。それが……心残りで……」
「そ、そうなんだ……でも確か……あっ!」
 彼女の言葉に、三下がある事を思い出した。すぐにポケットに手を突っ込み、この遊園地のパンフレットを取り出すと、中を開いて記憶を確認する。
「やっぱりそうだ! 今日の夕方から、特別イベントで花火を上げるんだ!」
「……え?」
「花火、見れるよ麻紀ちゃん!」
「本当ですか?」
「うんほら、ここ」
「嬉しい……!」
「!!」
 と、笑顔でパンフレットを覗き込まれ、思わず接近する顔と顔。
 三下の脳が、瞬間湯沸し器みたいに沸騰して湯気を上げた。
「あ、あの、ひ、ひとつ聞いていい?」
「……はい?」
 耐え切れなくなった三下が、裏返った声で尋ねる。
 何か話していないと、今にも卒倒しそうだった。
「麻紀ちゃん、ずっと手提げ袋持ってるよね? それ、中に何が入ってるの?」
「これ……ですか?」
「うん、なんか気になって。あ、でも嫌だったら言わなくていいから」
「これは……ごめんなさい。内緒です」
「そうなんだ……」
「ええ、とても大切なものですけど……でも、そのうちにわかりますよ」
「……?」
「ふふっ」
 意味ありげな台詞ではあったけれども、もちろん三下には何の事かわからない。
 首を捻る彼の顔を見て、楽しげに笑う麻紀だった。
 2人を乗せたゴンドラが、ゆっくりと回っていく。降り口がだんだんと近づいてきていた。
 時間は、6時5分──


「……今回ばかりは、何事もなく降りてきそうやな」
「時間はどうです?」
「今、6時6分です」
「三下さーーーん! 貴方の龍之助はここですよーーーーーっ!!」
「さーて、では得意の中華マジックでお出迎えアルヨ」
 一旦止まり、客を降ろしてから、またゆっくりと回り始める観覧車。
 2人の乗るゴンドラは、次だ。
 どうやら、彼らが最後の客らしい。他に乗っている者はいない。
 それを見て取った輝史が、なにやら嫌な予感を感じて空を見上げた。
 いつのまにか、どんよりと重い雲が降りてきている。
 ……観覧車の上空だけに。
「これは……」
 予感が、確信へと変化した。
「6時7分……ジャスト」
 美由姫が時刻を告げたその瞬間、世界が轟音と共に蒼く染まった。
 雲から巨大な雷が産み落とされたのだ。
 それはまるで最初から狙っていたかのように観覧車を直撃し、激しい火花を撒き散らす。
「うわっ!」
「きゃっ!」
「お、俺の三下さんがッ!!」
「!!」
 ガラガラと狂ったように鉄の巨大車輪が回り、ちょうど半回転して止まる。三下達を乗せたゴンドラを頂点に据える形で。
 さらにギシギシという異音を上げ始めたかと思ったら、次第にこちらへと向かって全体が斜めに傾いで倒れ始めたではないか。
「こいつは……さすがにシャレにならひんで」
 一行を除いて、周りにいた客達が悲鳴を上げて逃げ始めていた。


「うわーーっ!」
「きゃーっ!」
 閃光が駆け抜けたと思ったら、続いていきなりゴンドラが揺れ、激しい衝撃に襲われて反射的に椅子にしがみついていた。
 全ての明かりが消え、一旦動きが止まる。が、それもほんの一瞬で、今度はグラリと大きく傾いて、体が斜めになった。
「きゃっ! きゃーっ!!」
 黄色い声を上げて、麻紀が三下にしがみつく。
「だだだだ、大丈夫です大丈夫!」
 とか言いつつも、三下も何が起こったのかはわからなかった。
 彼の方は幽霊である麻紀には触れることができない。手を伸ばしても、全て突き抜けてしまうのだ。だからこんな時でも、言葉をかける以外に何もしてあげられない。
「おおお落ち着いてください。きっと何とかなります」
「は、はい……」
 とはいえ、声も身体も小刻みに震えており、顔も真っ青だ。三下の方がよっぽど頼りなく見える。
 チラリと外を見ると、えらく高い。ほぼ頂上付近だった。
「また、こんな事になっちゃいましたね」
「で、ですね。でも、もうすっかり慣れちゃいましたよ。あはは、はは……」
「……ごめんなさい、私のせいで……」
「ち、違いますよ! 麻紀ちゃんのせいじゃないですってば!」
「でも……」
「もしそうでも、僕は気にしません。だから、そんな顔しないで下さい。麻紀ちゃんが悲しそうだと、僕も悲しいですから……」
「……三下さん」
「元気出しましょうよ。たとえ不運でもいいじゃないですか。それに負けなければ」
「……負けない……」
「そうです。それにみんなもついてます。みんな麻紀ちゃんの味方ですよ。もちろん、あの、その、僕も……ですけど」
「……」
 最後の方だけモジモジと恥ずかしそうに告げる年上の男をじっと見て……彼女の顔に広がるものがあった。小さな微笑だ。
「はい……そうですね。私がしっかりしなきゃ、だめですよね。みんなのために」
「ええ、そうです。そうですとも!」
「もちろん、三下さんのためにも……ですね」
「え? あ、あの、まあ、えーと、あは、あはは……」
 顔を赤らめ、頭を掻く三下だった。
 こんな状況なのに、なんとなく空気が柔らかくなったような雰囲気に包まれる。
 が、それも長くは続かなかった。
 再び振動が2人を襲い、足元がさらに大きく斜めに傾く。
「おわぁーっ!」
「きゃぁっ!」
 ゴンドラが上下左右に激しく揺れ、入口のドアが明け放たれた。ひんやりした夜気がどっと流れ込んでくる。
「あっ!」
 麻紀が床に倒れ、弾みで持っていた手提げ袋が外へと転がり落ちていった。
「あ、ああ危ないですよ麻紀ちゃん!」
 後を追って飛び出していこうとする彼女の前に、三下がヨタヨタと這いつくばってきて、止める。
「でもあれは……!」
「ええ、わかってます。大切なものなんですよね。えーと……」
 そっと後ろを振り返り、開かれたドアから首だけ出して下を覗く三下。
 はっきりいって、目もくらむような高さだった。
 確かパンフレットでは、高さ100メートルを誇る……とあったのを思い出して、足どころか全身がすくむ。安全な状態なら景色を楽しむ余裕もあるが、この場合はそんなものがあるはずもない。単に危険な場所でしかないのだから。
「あ……あった!」
 きょろきょろとあたりを見回して、それを見つける。
 大体10メートル程下の鉄骨に引っかかり、風に揺れていた。
「……どうしよう……」
 同じように顔を覗かせ、細い声をあげる麻紀だ。
「……」
 その悲しげな表情を見て……三下は決めた。
「ま、麻紀ちゃんはここにいて下さい。ぼぼ僕が取ってきますから」
「……え?」
 目を丸くする少女に、これ以上ないくらいぎこちなく微笑んで見せると……
「うりゃーーー!」
 一声叫んで、近くの鉄骨へと飛びついていった。


「な!? 何してくれてんねん三下はん! 外に飛び出しよった!!」
 どうしたものか話し合っていた地上の一行が、その光景を目撃して一様に目を剥く。
「あかん! いますぐ動きを押さえて下に降ろすんや!」
「わかった!」
 すかさず篤旗が言い、美由姫が三下に超能力を使おうとしたが、
「いえ、ちょっと待ってください」
 静かな声が、それを止めた。輝史だ。
「下の方に何かが引っかかってます。どうやら麻紀さんの持ち物のようですが……」
「じゃあ、それを取ろうとしてるんですか?」
「たぶん。ここはやらせてあげた方がいいかもしれませんね」
「そないな事言うても……」
 などと話しているうちに、また大きなきしみ音がして、さらに観覧車の傾きが増す。
 バランスを失いかけた三下だったが、必死に鉄骨にしがみつき、耐えていた。
「いくらなんでも、これは見てらんないよ! どうにかしないと!」
 と、京香。格好は怪しげな中国人のままだが、口調は完全に元に戻っている。
「……どないするにしても、じきにあの観覧車、間違いなく倒れるな」
「そんな……」
「いえ、その通りです。すぐに手を打たないと」
 全員の顔が、厳しいものへと変わっていた。今度の状況は、本日最悪だ。
「…………三下さん………」
 と、それまで黙っていた龍之助が、ぽつりとつぶやく。
 目を見開き、体が小刻みに揺れていた。
「……?」
「なんや、どないしたっちゅう──」
「三下すぁあああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁん!!!」
 天に向かい、咆哮する。
「!?」
「な、なんや!?」
「今行くっス! 待ってるっス! 貴方のためなら死ねるっスーーーーー!!!」
 絶叫しながら、砂煙を上げて観覧車へと突進した。
 チケット売り場をパンチの一撃で粉々に粉砕すると、巨大な車輪の真下へと最短コースでまっすぐに進み、鉄骨にがしっとしがみつく。
「うぉぉぉおぉぉおおぉぉ〜〜〜〜こぉんちぃくしょぉ〜〜〜〜! 俺の愛を見せてやるっス〜〜〜〜!!!」
 それはまさに、全身全霊をかけた心の叫びであった。
 純粋で一途な、龍之助の想い……
 いろんな意味で相当に間違ってはいるが、本物である事は疑いようもないだろう。
 はたして……奇跡か偶然か、観覧車の傾くスピードは少し遅くなったようだ。
「……なんなの、あの人?」
「しらん。こっちに聞かんといてくれ」
「世の中には、人に知られていない事がまだまだたくさんあるんですね……」
「ちょっと暑苦しいけどね……」
 しばし唖然と龍之助を見る残りのメンバーだったが、
「……しゃあないな。あんましスマートとは言えひんけど、こっちもいこか」
「皆で押さえるの?」
「んな事できるかい。それぞれなんとかするしかないやろ……ホレ」
 と、篤旗が上を指差す。
「ま、そうだよね。あはは」
 美由姫が笑い、観覧車へと向き直った。
 篤旗が示したのは、月だ。
 中天に差しかかろうとしている白い天体は、綺麗な円を描いていた。
 美由姫の能力は、月齢に多大な影響を受ける。新月なら能力はほとんど消えるが、満月なら……
「はぁっ!」
 ドン! と、見えない力が気合と共に弾けた。
 巨大な鉄の車輪に正面から当たり、抑えようとする。
 本来彼女自身の力は見たり聞いたりする事、つまり遠隔視(リモートビューイング)や、遠隔感応(クレアヴォヤンス)などといった方向に強く発揮されるのだが、満月時にはそれだけではなく、全般的に強化されるのである。
 風もないのに、ふわふわと舞うように揺れる彼女の長い髪……
「うん。お見事や」
「……感心してる場合じゃないでしょ。いくらなんでもあんな大きいの支えられるわけないんだから」
「ま、それもそうやな。ほなこっちも始めよか」
「どうするの?」
「ふふん」
 問われて、ニヤリと笑う篤旗。
「こうするんや」
 言うと同時に、鋭い視線を観覧車へと送った。
 ──バシュッ!
 何かが弾けるような音がしたかと思うと、鉄のゴンドラのひとつが本体から外れて地上へと落下した。
 ちょうど真下にあったゴーカート乗り場の天井にぶちあたり、破壊音を上げて屋根を突き破る。
 ゴンドラの継ぎ目に能力で高温を与え、瞬時に焼き切ったのだ。
「余分な所は全部切り落としてスマートにしたるわ。軽くなって支えやすくなるやろ」
「……派手ね」
「見たとこ他の一般人さんは大体避難したみたいやしな。いっちょ遠慮なくいかせてもらうわ」
「まったくもぅ」
 しょうがない、というような笑みを浮かべる美由姫だった。


「……さてと」
 目の前の巨大な構造物を見上げて、小さくつぶやく輝史。
 彼もまた、観覧車の根元までやってきていた。
「これほどのものはさすがに初めてですが……まあ、何事も経験ですね」
 挑むように微笑んで、鉄の表面にそっと片手を乗せた。
 瞬間、その部分に淡い光が浮かび、さざなみのようにゆっくりと広がっていく。
 彼の能力のひとつ、結霊──エーテライズであった。
 現実にある物質をアストラル界(幽界とも呼ばれる)へと送り込み、アストラル体へと同化、変質させる技である。アストラル界というのは、物質のみならず、速さや重さ、精神力などといったものまでもが全て「純粋なエネルギー」として存在する世界であり、この能力によってエネルギー体へと転化されたありとあらゆるものは、物質という枠には捕らわれなくなる。同時に、どんな相手にでもダメージを与えられる武器にもなり、どんな攻撃をも防ぐ壁ともなるのだ。
 普段、輝史はこれを攻撃や防御、結界の作成などに用いているのだが……今回は違った。
 観覧車を構成する鉄骨から「重さ」の要素に働きかけ、じわじわと他の要素へと転換していく。
「固さ」であったり「匂い」であったり「音」であったり……
 もちろん、物質の質量を完全に0にする事などは現実的に不可能だったし、物質自体のバランスというものもある。一部の変化変質は全体に影響を及ぼし、ヘタをすると一瞬でバラバラに崩壊する危険性もあるわけなのだが……輝史の腕がそれをさせないというわけだ。
 ……やはり全体を変化させるのは無理がありますね。せいぜい半分を影響下に置くのが安全な範囲でしょう。
 冷静に判断を下しつつ、輝史は自らの能力を振るっていた。
 ライトアップなどとは違う、内から輝くエネルギーの光が、観覧車の輪郭をぼぅっと闇の中に浮かび上がらせていく──


「うーん、みんながんばってるねぇ。あたしも見てる場合じゃないか。よーし」
 と、怪しい中国人……の格好の京香もまた、小走りで動き始めた。
 放り出してあるギターケースへと近づくと、おもむろに蓋を開け、中を覗き込む。
「えーと、これじゃないしこれじゃないし……あった!」
 ごそごそとかき回し、引っ張り出したのは小型のギター……というか、ウクレレである。
「あ〜♪ あ〜あ♪ や〜んなっちゃ〜った♪ あ〜んあんあおっどろいたっと♪」
 唐突に弾き始め、そう口ずさんだかと思ったら、じっと手元の楽器を見た。
「……久しぶりに引っ張り出してきたから、調弦がメチャ甘だわ、コレ」
 顔をしかめたが、すぐにぱっと笑う。
「ま、とはいえ、どんな楽器でもあたしの手にかかればイチコロだけどね」
 観覧車へと向き直り、ポロロン♪ と、弦を鳴らした。
 間を置かずにあらためて奏で始めたのは「星に願いを」だ。
 これは1940年のディズニー映画、ピノキオの主題歌として大ヒットした曲で、以来ディズニーランドのテーマにもなっている事で有名である。
 さらに、メロディに乗せて、京香が英語の原曲で歌い始めた。
 京香の能力こそが、この歌声なのだ。
 彼女がその気で歌を歌う時、聞く者の心に無条件に作用して、ある時は喜びが、楽しさが、嬉しさがダイレクトに伝えられ、それらの感情で心を満たしてしまうのである。
 プラスの感情だけでなく、悲しみ、絶望、苦しみなどを与えて相手に破滅を送る事も可能なのだが……そういった用途にはほとんど使われる事がなかった。
 それは、京香自身の気質によるところが大きいだろう。
 彼女は無類のお祭り好きであり、根っからのエンターティナーなのだから。
 能力全開で開放された歌声がその場を包み、聞いた者は皆、心に勇気と希望を与えられた。
 まさに、真の意味での応援歌だ。
 これ以上の助力など、他にあるものではない。


「……」
 強い風が吹きすさぶ中に、三下はいた。
 ほぼ上空100メートルの場所である。
 目の前、あとほんの数10センチの所に、麻紀の手提げ袋が引っかかっていた。
 冷たい汗を全身にかき、震えながらも、必死に鉄骨を伝ってここまできたのだ。
 ただでさえ恐いので、一切下は見ていない。
「もう……ちょい……」
 精一杯身体を伸ばして取ろうとするが……数センチ手前で指が止まった。
「く〜〜〜っ!」
 さらに身を乗り出すと、ようやく指先にちょんと触れる。
「よしっ!」
 と、思ったのもつかの間、そのわずかの衝撃で引っかかっていたのが外れ、落下する手提げ袋。
「わ! ま、まてっ!」
 反射的に両手を離し、飛びつく三下。
 奇跡的にも、空中で捕まえる事に成功した。
 が、完全にバランスを失い、彼の身体は重力に引かれて……
「わーーーーーーーーーーっ!!」
 悲鳴を上げつつ数メートルずり落ちたが、なんとか片手で鉄骨の端を捕まえて、ぶら下がった。
「…………うぅぅ……しし死ぬかと思った……」
 力の抜けたつぶやきが、夜空に流れる。
「あの、だ、大丈夫ですか?」
 その背後で、小さな声がした。
「……え?」
 振り返ると……そこに麻紀が立っている。支える物など何もない夜空のただ中に。
「ま、麻紀ちゃ、うわっ!?」
「あ、ごごごめんなさい驚かすつもりはなかったんですっ! ごめんなさいっ!」
 またバランスを崩しかけて、ジタバタと暴れる三下だったが、今度もしぶとく落ちなかった。
「えっと、あの、私幽霊だから、重さとかもほとんどなくて、空中にも浮けるんです」
「あ……そっか。そうだよね……ははは」
 今更ながらにその事に気がついて、思わず気が抜けそうになった。
 わざわざ自分が危ない思いをして外に出る必要などなかったのだ。
 ……なにやってんだか、僕は。
 我ながら呆れたが、それよりも……
「はいこれ。なんとか落とさずに済んだよ」
 片手で捕まえたものを、麻紀へと差し出してやる。
「……すみません。ありがとうございます」
 お辞儀をして受け取ると、彼女はそれを胸の中にそっと抱きしめた。その姿からしても、よほど大事なものが入っているのだろう。
「良かったね」
「はい。三下さんのおかげです」
「いや、僕は別に……」
「……かっこよかったですよ」
「え?」
「こんな高い場所なのに、取りに行ってくれて……かっこよかったです。凄く嬉しかった」
「や、やだなあ。そんな事ないって。あは、あははは」
 まっすぐに見つめられ、思わず頭を掻く三下だった。
「あ、さ、三下さん!」
 けれど、その彼を見て、麻紀が目を丸くする。
 それもそうだろう。
 彼は麻紀へと袋を差し出した方とは反対の手で鉄骨を掴み、ぶら下がっていたのだ。
 そんな状態で、頭を掻いた。肝心の、ぶら下がっている手でもって……
「……あ」
 さすがにすぐに気付いて、すっと顔を青ざめさせたが……
「うっわーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 次の瞬間には、悲鳴が下へと流れていった。
 ある意味三下らしいが、なんというか……抜けている。
「三下さんっ! 三下さーーーん!!」
 麻紀も後を追い、急降下をはじめた。


「……ったく、どこまで世話かけさすねん! 今度こそダメや! 頼んだで!!」
 篤旗が舌打ちをして、叫んだ。
「わかった!」
 声をかけられたのは、美由姫である。
 彼女はただちに、能力の対象を観覧車から三下本人へと変えた。


「うわっ! わっ!?」
 ガクンと何かに引っかかったかのような感覚と共に、三下の落下スピードが低下する。
「な、なんだぁ?」
 彼自身は、自分に何が起こったのか、まったく理解できなかった。
「三下さんっ!!」
 麻紀が追いついてきて、三下の前の空中で停止する。
「……よかった……無事で」
「えーと……なんだかよくわからないんだけど、助かったみたいだね」
「皆さんが、助けてくれたんですよ」
「……あ、そうか……なるほど」
 麻紀の方は、説明されなくても察したらしい。地上で美由姫が軽く手を振っていた。彼女も笑顔で、同じ事をする。
 ちょうどその時、遠くで何かが弾ける音がして……夜空に大きな花が咲き始めた。
「あ、花火が始まったみたいだよ麻紀ちゃん!」
「はい、そうですね……綺麗……」
 並んで、空中をゆっくりと降りてくる麻紀と三下。
 眼前の空に、色とりどりの花火が次々に鮮やかな絵を描いていく……
「……願いが……叶ったな……」
「え? 何か言った?」
「ううん。なんでもありません」
 小さなつぶやきは、三下の耳には届かなかった。
 ニッコリと微笑んで、麻紀が手提げ袋からあるものを取り出すと、三下の首へとそっと回す。
 それは……手編みのマフラーだ。
「入院してる時、母に編み方を教わってずっと編んでたんです。今日のお礼に、受け取ってください」
「……いいの?」
「はい。本当はもっと他の物がいいんでしょうけれど……今の私には、それくらいしかなくて」
「そんな事ないよ、嬉しいよ」
「そうですか? でも、それ、端の方がまだできてないんです。最後まで編む時間が……なかったから……」
「……」
 彼女の言葉の通りに、それは片方の端がまだ編みかけだった。
 時間がなかったという事は、つまりそこまでを仕上げた時点で、麻紀は……
 自分を見上げて微笑む麻紀に、三下も自然に笑顔を浮かべ……言った。
「ありがとう。とってもあったかいですよ、これ。大事にします」
「……こちらこそ、今日は本当にありがとうございました」
 見つめあう2人の顔を、花火の色が柔らかく染め上げていた。
 もうすぐ、地面だ。
「三下さん」
「うん、なに?」
「幸せになってくださいね。いえ、きっとなれます、三下さんなら……」
 そう告げると、麻紀はそっと寄り添い、三下の頬に唇を軽く当てた。
「ありがとう……さようなら……」
 麻紀の体が、空中に止まる。
「あ……」
 何かを言いかけ、手を伸ばす三下だったが……
「麻紀ちゃん……」
 名前を呼んだときには、もう彼女は夢のように消えていた。
 同時に、地面へと体が降り立つ。
 あたりを見回したが、どこにも幽霊少女の姿はなかった。
「……」
 呆然とする彼の背後から、
「……彼女は幸せに旅立ちましたよ」
 落ち着いた声が、かけられる。
 振り返ると、輝史が立っていた。
 篤旗、美由姫、京香の姿もある。
「なら……よかったです」
 やや間を置いて、三下は言った。
 ……寂しいような、笑顔で。
「おつかれさま、三下さん」
「ま、よくやったと思うで、うん」
「あはは、そうですか? 自分じゃよくわからないです。でも、麻紀ちゃんに喜んでもらえたなら、それだけでここに来た甲斐がありましたね。皆さんにもご迷惑おかけしました。ありがとうございます」
「礼なんかいいよ。正直、少しあんたの事見直したし」
「うん、そうですね」
 と、女性陣2人が素直に誉める。
「……そんな」
 恐縮して、頭を掻く。そんな仕草ですら、元気がないように感じられた。
 だが、今はそれも仕方ないのかもしれない。
 と──
「三下すぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁん!! 無事で良かったっスぅぅぅぅううううぅぅぅうぅうぅぅぅーーーーーーーっっ!!!」
 土煙を上げて走ってくる、ひとつの人影。
「……こないな時にややこしいやっちゃな……」
 つぶやいて、篤旗が目を細めた。
 龍之助の足元に直径2メートル程の穴が突然出現し、まっさかさまに飲み込まれていく。
「うわーーーーー! 三下すぁぁぁぁぁぁぁーーーーーん!! 俺は負けないっスぅぅぅぅぅぅぅぅーーーー!!」
 超高温で瞬時に開けた穴は、深さ約10メートル。簡単には出て来れまい。
「いいから負けとき。今は三下さん、そっとしといたれっちゅうねん」
「……ふふっ、恋する男同士の友情かな」
「アホ抜かせ。そんなんちゃうわ」
「どーかな」
「やかましいわ。お前に関係あるかぃ」
「あ、怒った。かわいーんだ」
「……」
 苦虫を噛み潰した顔で、そっぽを向く篤旗だった。
「さて、これでめでたく一件落着だね」
「……どうでしょうね」
「え?」
 輝史の台詞に、全員が彼の見ている方向へと目を向ける。
「……あらら」
「なんや、またかい」
「しつこいね、あいつらも」
 口々に、うんざりした声をあげる一行だ。
「……てめえら、探したぞ。今度という今度はただじゃおかねえ……生まれてきた事を後悔させてやるぜ!」
 と、こっちを指差して叫ぶのは、金髪モヒカンの彼だった。
 背後にずらりと並ぶ仲間とおぼしき人影は……ざっと見て200人を下るまい。
「しかしまあ、よくもこれだけ北斗の拳の悪役みたいな顔ばかり揃えたもんだね。感心するよ」
「普段はお化け屋敷とかでバイトしてるんとちゃいますか?」
「うん、それ言えてる。あはは」
「ナメた口聞いてんじゃねえ!! 少しは怖がりやがれこん畜生!!」
 モヒカンの声が、きれいに裏返っていた。あくまで平然とした面々に、完全に逆上したようだ。
「よっしゃ、これで最後にしたろーかい。いっちょハデにやろうや」
「なら、あたしも今日はがんばっちゃおうかな」
「ふっふっふ、早いもん勝ちだからね」
 楽しげに拳を鳴らす京香だ。ちなみに今はもう普通の格好に戻っている。
「うぬぉーーー! 三下さん三下さん三下すぁぁぁぁぁん!!」
 そんな声と共に地面が盛り上がり、噴火したみたいに弾けた。恐いご面相の男達のど真ん中で。
「うぉっ! な、なんだコイツ!?」
「そいつもこいつらの仲間だ! たたんじまえ!!」
 地中から飛び出してきたのは、言うまでもなく龍之助だ。
「ぐぉーー! 三下さんへの想いを邪魔する者は誰であろうと許さないっスよーーーーーっ!!」
 四方八方から向かってくる男達を、次々にどっかんどっかんぶっ飛ばし始める。
 完全に我を失っているようで、その姿はもはやゴジラか怒った大魔神だ。
「……なんやあの兄ちゃん、思ったよりさらに一回りムチャやな」
「おっと、このままじゃやっつける相手があっという間にいなくなりそうだね。うかうかしてらんないよ。それ、とつげきー!」
「おーっ!」
「……やれやれ」
 かくて……最後の大乱戦が始まった。


「……」
 喧騒をよそに、1人じっと夜空を見上げる三下。
 優しげな微笑を浮かべたその奥で、何を想っているのだろうか……
 そのまま、彼は花火が終るまで、じっとその場で立ち尽くすのだった。


 傍らでは、花火の代わりに人が派手に宙を乱れ飛び、轟音と共に観覧車が倒れたりもしたのだが……彼は最後まで、それらの事には気がつかなかったようだ。


■ 事後報告・不運は続くよどこまでも?

 全てが終った後、篤旗は誰かに電話をしたようだ。
 背後で美由姫がニヤニヤしながらじっと見ていた事からすると共通の知り合いらしいが……詳しい事は不明である。
 思う存分暴れた京香は、まだ元気が残っている相手がいないかどうかを確かめ、全員白目を剥いてピクリともしない事を確認すると、それでやっと満足したのか、鼻歌交じりに帰っていった。
 その日の夜にはもうライブでステージに立っていたそうだから、恐るべき体力である。
 傷心の龍之助は、編物の本を買ってきて、現在せっせと何か得体の知れないものを編み始めている。
「ふふふ……これで三下さんのハートは俺のものっス〜……」
 などという声が、夜中の彼の部屋から聞こえているそうだが……果たして報われる日が来るのだろうか。
 輝史は、帰り道で碇麗香に電話を入れ、今日の報告と、ある住所を告げていた。
 あの幽霊少女、麻紀の墓の場所である。彼は、すでにそこまで調べていたのだ。
 後日、三下が1人で行く事になるのは言うまでもない。
 そして、その三下はというと……


「おはようございまーす!」
 翌日、編集部に元気に出社してきた三下は、いつも通りだった。
 入ってくるなり、掃除用に置いてあるバケツに片足を突っ込み、
「のわーーっ!」
 バランスを崩してその場にひっくり返る。
 思わず捕まろうとしたソファは合成皮の安物だったため、あっけなく表面が破れ、スポンジがスプリングと一緒に盛大に飛び出してきた。
 さらに、倒れた振動で近くのデスクに山と積まれた分厚いファイルの束が彼の身体に容赦なく降り注ぐ。
 ロッカーまでもがバタンと開いて、中のモップがひとつ残らず倒れかかってきた。
「…………あんた、あのコは成仏させたんじゃなかったの?」
 冷たい声は、麗香である。
「え、ええ……そうですけど」
「不運だけは残ったみたいね。まあいいわ。とにかくそれ片付けて頂戴、あと、破れたソファは君の給料から弁償してもらうからね」
「……あぅあぅ……」
 書類とスポンジとモップとその他に半分埋もれた三下が、それを聞いて完全に床に突っ伏した。
 他の編集部の面々はというと、これくらいの事は慣れっこなので、淡々と自分の業務をこなしている。
 ただ、麗香は気付いていた。三下が全然似合わないパステルカラーのマフラーをしている事に。
 それは手編みらしかったが、片方の端がまだ途中であり、未完成の品だ。
 後に、編物ができる女子編集者が見かねて、よかったら最後まで編み上げてあげましょうかと言ったそうだが……その時彼は、こうこたえたらしい。
「いえ、このままでいいんです。とっても大事なものですから」
 いつものオドオドしているような雰囲気ではなく、落ち着いた、優しげな微笑を浮かべていたとの事だ。


■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

※ 上から応募順です。

【0864 / 九重・京香 / 女性 / 24歳 / ミュージシャン】

【0527 / 今野・篤旗 / 男性 / 18歳 / 大学生】

【0515 / 加賀・美由姫 / 女性 / 17歳 / 高校生】

【0996 / 灰野・輝史 / 男性 / 23歳 / 霊能ボディーガード】

【0218 / 湖影・龍之助 / 男性 / 17歳 / 高校生】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです。ライターのU.Cです。
 相変わらず短くまとめられません。今回も25000字を超えておりますので、もうこれはアレです、ライターの作風と思ってあきらめて下さると助かります。私はもう半分あきらめました。(マテ;
 一応、いつもとは違ってエピローグ部分をあっさりさせてみたんですが……その分本編が濃ゆいので、あんまり効果もないようで……いやはや、まだまだ修行あるのみです。明日はどっちでしょう……(Sigh

 物語としては、三下君主演のラブストーリー……っぽいラブコメとなっています。何故三下君で恋愛話なのかというと、これは単に消去法でして。
 草間探偵や麗香編集長は仕事第一ですし、雫は恋より怪奇現象に夢中ですし、零は人間じゃない上に強いし、蓮さんや沙耶さんは正体不明過ぎて恋とかいう雰囲気ではないですし……となると、もう彼しかいないわけです。いえ、彼も十分普通の恋愛などとは縁遠い雰囲気を全身から発してはいますが……あえてやるなら、という事でこうなったわけですね。
 いや、ただじゃ済まないだろうとは思っていましたが、やはり一筋縄ではなかったようで……書いててこちらも楽しかったです。参加者様各位様には、本当に感謝です。

 京香様、またのご参加、ありがとうございます。ピエロに変装して大道芸、2人を盛り上げるとありましたので、思いっきり変装して頂きました。少々手が滑って盛り上げ方のベクトルを間違った気もしますが……大丈夫でしたでしょうか。相変わらずギターケースの中はワンダーランドへと繋がっています。何が飛び出すのか、こちらもまったく想像がつきません。

 篤旗様、はじめまして。関西弁キャラという事で、本編中のツッコミは全てお任せしました。とはいえ、私は関西圏の人間ではないので、うまく言葉が使えたかどうかはちょっとアヤシイ所があったりするのですが……用法や言い回しなど、おかしな所があれば、遠慮なく言ってやってくださいませ。

 美由姫様、はじめまして。篤旗様とお知り合いということでのご参加、ありがとうございます。超能力に関しては、見たり聞いたりの能力が強い……という事でしたが、メインで使ったのは思いっきり念動力です。しかも倒れてくる観覧車止めてるし。イメージが違っていましたらすみません。(汗

 輝史様、今回もご参加ありがとうございます。しかし……まさかこのようなコメディ依頼にご参加下さるとは……最初同姓同名の別人か、あるいは誰か他のライターさんの依頼と間違えたのではと思ったのですが、プレイングは間違いなくこの依頼でしたので2度びっくりしました。参加して頂いたからには、いろいろとやって頂いております。鍋の方もお任せを。あらためまして……コメディにようこそ。フフフフ。

 龍之助様、はじめまして。なにやら素晴らしいご趣味……というか、好みをお持ちのようで。愛とはかくも深いものかと、不肖この私も唸らせて頂きました。飛んだり支えたり落ちたり暴れたりと、それはもう動いております。願わくば、三下さんに貴方様の想いが届く様を、生温かく見守らせて頂きたいと、はい。


 参加してくださった皆様、及び読んで下さった皆様には、深く御礼致します。
 なお、参加して頂いた方々に納品しました文章は、すべて同じ内容となっております。その点ご了承くださいませ。

 それでは、またご縁がありましたら、その時にお会いいたしましょう。

 ではでは。

2002/Dec by U.C