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ある夜の出来事
■ 邂逅・襲う美人、襲われる麗人
女の手が鉤爪となって空気を切り裂いた。
「おっと」
まるで緊張感のない声と共に、もうひとりの身体が流れる。
長い髪がふわりと揺れ、わずかな夜風の中に舞っていた。
2撃、3撃と素手による凶暴な攻撃は続いたが、それらはすべて無駄に終わる。
常人には目で追えぬ程の速さなのに、ゆっくり動いているとしか思えない方の身体にかすりもしないのだ。
攻撃をする側もされる側も、並の人間などではありえないだろう。
金髪碧眼で、メイド風のエプロンドレスを纏っているのが、一方的に仕掛けている側である。名前はミラルダ・マクラミランと名乗っていた。
2メートル程の距離を置いて、2人の動きが止まる。
「こんなにいい月なのに……」
黒髪の麗人が、ふと空を見上げ、つぶやく。
表情からも、声音からも、その感情は読み取れなかった。
「ご一緒に月光浴など、いかがですか?」
深い色の瞳が、ミラルダへと向けられる。月の光を宿した、底の知れぬ漆黒……
今、この場を照らす天空の天体もまた、同じ色の宇宙という空間に存在を許されているのだ。
彼女の名は、ステラ・ミラ。
静けさと穏やかさが結晶化したような表情は、理由も告げずにいきなり襲われた事でも、まったく揺らぐ事がない。
一番最初に問い掛けた言葉すら、月光への誘いであった。
「……面白いですね、貴方は」
青い目のメイドが微笑む。
掛け値なしに美しい、天上の笑顔。
ただし……人間らしい温かみがまったく感じられない。
「ますます、貴方が欲しくなりましたわ。ステラさん」
「私の名をご存知なのですか?」
「ええ、名前だけでなく、他にも色々と」
「はて、人気者になった覚えなど、こちらにはないのですが……」
「望む、望まずに関係なく、大きな力を持つ存在には、人は興味を寄せるのですよ。それは貴方にだってわかるでしょう?」
「まあ、なんとなくですが……それで、貴方は私にどういった興味をお持ちなのですか?」
「ふふ……先程も申し上げましたでしょう?」
小首を傾げたミラルダの目に、強い光が宿っていた。
「貴方のその力が、知識が……欲しいのです。食べたいのです」
「……そうですか。サイン程度なら考えても良かったのですが……それはさすがに簡単には譲れませんね」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。それだから面白いのです。素直に差し出されるものなどに価値はありません。本当に欲しいものは奪わねばならない……そうは思いませんか?」
「はあ……どうも貴方とは、価値観が違うようですね」
「ふふ、構いませんわ。貴方は貴方でなければ、意味がないのですから」
「それはどうも」
ゆるぎない鉄面皮と、花のような笑顔……両者の視線が正面から音もなく合わされた。
次の瞬間、ミラルダの姿がかすみ、宵闇の中へと消える。
「ふふっ……」
再び聞こえた微笑みは、ステラの背後、その上空から流れてくる。ほんの一呼吸のうちに、そこへと移動したのだ。どうやったのか、手段は……わからない。
手が大きく振りかぶられ、凶器と化した白い腕がステラを襲う。
ガツッ、と、何かをえぐる音が響いた。
やや遅れて、
「器用な事をなさいますね」
静かな声が、金髪のメイドへとかけられる。
「……」
無言で、顔を上げるミラルダ。
ステラが……前方に立っていた。つい今しがたまで、自分がいた場所に。
「ですが、それくらいなら私にもできます」
まったくの無表情で告げられる言葉は、別に自慢しているわけではない。事実を述べている、ただそれだけだった。
ミラルダが見せたのは、物理の法則を完全に無視した瞬間的な移動だ。
そして、ステラもまた、まったく同時に同じ事をした──そういう事である。
結果として、両者の立っている位置が入れ替わっただけに終わっていた。
「……やはり、貴方は素晴らしいですわ」
メイドの声に、感嘆の響き。
アスファルトに手首までめり込んでいたのを無造作に引き抜き、ゆらりと立ち上がる。
「どうしても、私は貴方を手に入れたい」
羨望とも尊敬とも取れるまなざしは、あくまで本気なのだろう。
「……くどいようですが、サインだけではだめなのですね?」
「ええ……」
コクリと頷くと、再び姿がかき消える。
「困った方ですね」
つぶやいて、ステラの身体もまた……忽然と消滅した。
──ガッ!
──ゴッ!
──ドカッ!
両者の姿が見えないまま、その場に破壊音のみがこだまする。
ひとつ聞こえるたびに、ビルの壁面がえぐられ、歩道に穴があき、街路樹が真っ二つに裂け、倒れた。
5分と経たぬうちに、通り一帯がまるで巨大台風か、あるいは暴徒の集団でも通り過ぎたかのような惨状となっていく。
「……ひとつ、聞いてもいいですか?」
相変わらず無人にしか見えない場所で、ステラの声。
「なんでしょう?」
返事と共に、電話ボックスのガラスが粉々に砕け散った。
「ここには今、私達しかいません。人除けの結界が敷かれているようですが……貴方か、もしくはお仲間がやったのですか?」
「いいえ、どちらでもありません」
「では、誰が?」
「さあ、私には興味がありません。どうでも良いことですから」
「……そうですか」
郵便ポストが音を立ててひしゃげ、根元から折れて吹き飛んでいく。
「だとしたら、こんな事をしていても仕方ないですね」
消えたときと同様、なんの前置きもなく、ステラの姿が現れた。
2車線の道路のほぼ中央、センターラインの上に立つ、優美な影……
その真上に、もうひとつの姿が浮かび上がった。
両手を振りかざし、今まさに飛びかかろうとしているのは、言うまでもなく殺人メイド、ミラルダである。
が、ステラはそちらを見ようともしなかった。
肩の上にかかった長い髪を指先ですくい、背中へと流す。
それが、合図だったのかもしれない。
次の刹那、ミラルダのさらにその上に、真っ黒の何かが次々に現れ、雷の速さで地上へと突き立った。
「闇の槍です」
と、ステラ。
それから、目線をやや下げて、自分の足元を見る。
ミラルダが、そこにいた。
周囲の薄闇よりもなお暗い、無数の漆黒の槍が、メイドの体を地面へとうつぶせに縫いつけている。
長さはどれも1メートル半位だろうか、直接身体に突き立っているわけではなく、服の端や、間接部分を上から押さえつけて固定するような形で打ち込まれていた。
闇の槍──とステラは言ったが、確かに闇を物質化させて作ったかのように、月明かりすら貪欲に飲み込んでいて、表面には反射するような輝きは一切ない。
「私の勝ち、ですね。もとより勝負事には興味などないのですが……とりあえず、話を聞かせて頂きましょう」
と告げる言葉は本当に無感動であり、あっさりとしていた。
「ふふ……そう思うのは、まだ早いですわ」
笑みと共に、その状態からミラルダの身体がかすんでいく。
再び消えていく様をステラは黙って見ていたが、やがてまた完全に姿が滅すると、
「……無駄ですよ」
ポツリと、つぶやいた。
同時に、背後で硬質の音が連続して響き渡る。
ゆっくりと、振り返った。
「……」
さすがに、ミラルダの顔からは笑いが無くなっている。
それはそうだろう。
先程と同様、闇の槍により、瞬時にしてビルの壁面に磔にされれば、余裕など浮かぶはずもない。
「よく足元を御覧なさい。気付きませんか?」
言われて、ミラルダが地面へと目を向ける。
すぐに、ステラの言葉の意味を理解した。
……ないのだ。
自分の足元に、当然あるべきはずのものがない。
わずかな月明かりを受けて、地面へと映し出されるはずの影が……
「……わかりましたか?」
静かな、声。
「神出鬼没のようですが、これでどこへ行こうと逃げようと、全て影が教えてくれます」
淡々と語るステラの足元に、彼女の影と……その隣に並んで自分の影を見たとき、メイドの顔に華やかな微笑が復活していた。
「お見事ですね……いつ、私の影を盗んだのですか?」
「最初に攻撃を受けた時です。それから、ひとつ訂正をお願いしたいのですが」
「なんでしょう?」
「盗んだというのは表現が良くありません。拝借しただけです。色々とお話をして頂けるのであれば、いつでもお返しします。お約束しましょう」
「それは感謝いたします。ですが……困りましたね」
「何がですか?」
「私、さらにどうあっても、貴方が欲しくなりました。どんな代償を支払っても、どんな手段、方法を用いても、狂おしいほどに……このような気持ちになったのは、初めてです。責任を取って頂きたいですわ」
「……思ったよりも、情熱派なのですね」
「相手によりけりですわ、私のステラ様……」
「……はぁ」
熱烈な視線も、ステラの鉄の表情を崩すには至らなかったが……
……さて、どうしたものでしょう……
内心、彼女もつぶやいていた。
相手はまともに話をする気はないようだったし、かといって、メイドの思いを聞き入れてこの身を差し出すわけにもいかない。まあ、あたりまえだが……
彼女の心の内奥を覗く術もいくつか心当たりがあることはあるのだが……それを試す時間は残念ながらないようだった。
複数の硬い足音が、ビルの谷間に響きながら、こちらへと近づいてきている。
ステラとミラルダの視線が、揃ってその方向へと向けられた──
■ 破壊・造られし者達の猛り
この場所は、いわゆるオフィス街であり、通りのほとんどは何がしかの会社が入っているテナントビルで構成されている。
ステラが通りかかったのは、気まぐれな夜の散歩の最中の事だった。
途中で妖しげな気配や結界の存在にも気付いてはいたのだが、特にそれに引かれたわけではない。
同時に、あからさまに無視するわけでもなく、足の向くままにただ歩いていたら、いつのまにかこうなっていた……という所だろうか。
使い魔のオーロラが傍にいれば、ため息混じりにこう言ったかもしれない。
……どうしてこう次々にややこしい事態に巻き込まれるのですか。と。
ステラにしてみれば、単に偶然と必然が重なり合っての事であり、別に気にしてもいないのだが、心配性の使い魔殿は、あまりそれがお気に召さないようである。
そして今、新たな偶然か必然か……そのどちらかが近づいてきていた。
姿は、黒のスーツの上下を着た男達だった。3人いる。夜だというのに、揃って濃い色のサングラスをしていた。髪は金髪であり、皆背が高い。アングロサクソン系の顔立ちだと、ステラは判断した。
無言で近づいてくると、ステラとミラルダを囲むような位置に立つ。何気ない動きの中にも、統率の取れた洗練さと機敏さが感じられた。少なくとも、一般市民などではありえないだろう。
「貴様はミラルダ・マクラミランだな」
最初に声を放ったのは、向こうだった。感情はほとんどなく、機械的とすら言える。
「……だとしたら、どうだというのです?」
メイド姿が、ニッコリと微笑む。
それに対する返事は、180度無愛想であり、苛烈だった。
「処分する」
男達が揃って胸元に手を入れ、黒光りするものを取り出すと、ミラルダへと向ける。
──ドン! ドン! ドン! ドン!
鮮やかな火花が街路を照らし、鋭い音が夜気を切り裂いた。
男達が手にしているのは、軍用の拳銃だ。
コルトM1911A1、ガヴァメント。45口径の弾丸は、コンクリートブロックですら楽々と破壊する。
それを1マガジン分、3人で都合24発もミラルダに撃ち込んでから、ようやく手を止め、マガジンを新たなものに入れ換えて、それぞれ脇のホルスターに戻した。
「破壊を確認、処理班を送ってくれ」
1人が、そう口にする。胸元に小さく見えるバッチのようなものは、おそらくはピンマイクなのだろう。さらに片耳にはイヤホンが押し込まれ、線が上着の中へと伸びていた。こちらは無線受信機に違いない。それらの装備を全員が身に付けていた。
ミラルダは……言うまでもなく無残な姿へと変わり果てている。
ただ、血や肉といった生々しいものは一切見られず、散乱しているのは木の破片や服の切れ端のみだ。
彼女の手や、足や、胴体、顔すらも全て木製であり、造り物だった。
ミラルダは、人形だったのだ。
「……問答無用、ですか。容赦がないのですね」
初めて、ステラが口を開いた。ただし、口調にも表情にも、まるで変化がないのは相変わらずだ。
「ここで見た事の全てについて、他言無用をお約束できるなら、このまま家までお送りしますよ、レディ」
男の1人が、そんなステラの言葉などまるで意に介した様子もなく、慇懃無礼にそう告げる。外国語なまりもほとんどない、鮮やかな日本語だった。
「そうですか、紳士的なのですね。ところで……」
と、ここでチラリと男へと目を向け、こう続ける。
「風の噂に聞いたところによると、IO2という組織があるそうですね。なんでも世界の破滅を企む虚無の境界という組織と戦っておいでとか。私にとっては興味のない話ですが、どちらも好きにはなれません。貴方はどう思われますか?」
「……」
男の表情が、明らかに変化する。
内容ももちろんだったが、完璧な発音のキングス・イングリッシュで言われたことも面食らったに違いない。
しかし、何よりもステラのまなざしに捕らわれたとたんに、言いようのない奥深さに飲み込まれ、何も考えられなくなってしまった事が大きかったろう。
「……」
男には、ステラと目を合わせている一瞬が、永遠のようにも感じられた。
この女性は、一体何者なのか……
「おい、どうした」
仲間に肩を叩かれ、それでようやくハッとして、彼は我に返った。
ステラがまだ自分を見つめていたが、恐れるように顔を背け、
「……やはり、貴女にも我々と一緒に来て頂きましょう、ステラさん」
わずかに震えを帯びた声で、言った。しかし、口にした後で、すぐにしまったという顔をする。
「どうやら貴方達も、私の事をご存知なのですね」
「……」
すぐに固く閉ざされた口から、返事は返ってこなかった。
ステラの目の前の2人が、視線を組み交わす。
……どうする? と、言外に相談しているようだ。
が、その結論が出るよりも早く──
「がっ! ぐぁっ!!」
野太い男の苦鳴が、耳に飛び込んでくる。
そちらに目を向けると、残りの黒い男が、自らの喉を押さえてのけぞる所だった。
その向こうでゆらゆらと揺れる、ひとつの細い影……
「な……!」
「馬鹿な!!」
2人の男が、目を剥いた。
体中を穴だらけにされたミラルダが立ち上がり、片手で男の首を締め上げつつ持ち上げている。
両手足どころか体中がバラバラになったはずなのだが、それらのパーツがいつのまにか全て元の位置に戻っていた。ただし、破片同士が繋がったわけではなく、個々の位置の空中にぷかりと浮いて、それぞれにゆらめいているのだ。
「くそっ! 化物め!!」
1人の男が罵りつつ、拳銃を抜こうとした。
しかし、それよりも遥かに早く、黒い槍が空中に出現し、ミラルダの手を弾き飛ばす。
「あなたの相手は、私でしょう? 違いますか?」
語りかける声は、この場の人間の中で唯一平然としている。
「……」
無言で、ステラへと向き直るメイド人形……
顔も大半が崩れ去った中で、ガラスの瞳のみが変わらぬ美しさで輝いていた。
歩く、というより、空中にわずかに浮き、滑るように移動して向かってくる。
「あのお人形は、物理的な手段では滅ぼすことなどできません。ここは任せて頂きましょう。あなた方は倒れているお仲間を連れて、退いて下さい。喉は少々潰れているでしょうが、命に別状はありませんから」
背後の男達に、ステラが告げる。彼女は既に、それらの事を見抜いているらしい。
しかし、残りの2人に、従う気はないようだった。
「クオーターバックよりイーグルワンへ。タッチダウンされた。ただちに次フェイズへ移行する」
早口でマイクにそれだけを言うと、拳銃を抜いて撃ち始める。
「……あの、私の話、聞いて下さいましたか?」
「これは我々の任務だ、貴女には関係ない」
「……そうですか」
狙われているのは、どう見ても私なのですが……と言おうと思ったが、やめた。職務に忠実な猟犬に何を言っても無駄だろう。飼い主以外の言葉など、通じるわけもないのだから。
銃弾の雨がミラルダへと降り注いだが、結果はやはり同じだった。
当たった部分は確かに派手な音を上げて吹き飛ぶが、すぐに飛び散った破片が再び戻ってきてしまう。
それでも男達は撃ち続け、やがて銃弾も尽きかけた頃……
「よし、ここまでだ。来るぞ」
不意に耳を押さえ、頷き合う。
無線で何かの連絡があったらしいが……何が来るというのか。
「……」
ステラの顔が、すっと空へと向けられる。
星空の中に、ひとつだけ異質な明滅を繰り返す赤い光点が見えた。
それが、ぐんぐん大きくなってくると共に、耳障りな音が響き始める。
形がはっきりしてくると、双発の巨大なヘリコプターと知れた。
輸送用らしく、胴体下部に何かを吊り下げている。
爆音が空気をかき回し、ローターの巻き起こす強風がステラの髪を乱れさせた。
上空10メートル程で停止し、ホバリングをすると、荷物を切り離す。
銀色の巨大な何かが、轟音と共に舞い降りてきた。アスファルトが悲鳴を上げ、破片が周囲へと飛び散る。
見た目は……金属の光沢を持った卵、といった趣だった。大きさは長さが10メートル、高さが6メートルといった所だろうか。もし本当に卵だったとしたら、中に入っているものの想像はちょっとつかない。
が、その心配は無用だった。
重低音の駆動音を響かせつつ、銀色の巨体がゆっくりと持ち上がる。
下部には、逆間接の2本の足がついていた。
両脇からは多間接アームが伸び、先端に猛禽のそれを思わせる鉤爪がついている。
さらに上部には長大な砲身と、2基の丸い円筒──ミサイルポッドまで装備されていた。
……シルバールーク。それがこの卵の名だ。秘密機関IO2の誇る空挺二脚機動戦車である。
「……」
起動を確認すると、無事な男達は無言で背を向け、駆け出した。
退却、というより、安全圏まで下がるつもりなのだろう。倒れた仲間は当然のように置き去りにされた。薄情というより、任務遂行が第一目標となる彼らにとって、それが当然なのだ。
ステラはチラリと目をやっただけで、止めもしなかった。
──ズン。
地響きを立てて、シルバールークが旋回する。
どうやら卵形の尖っている方が機体の前面らしく、そちらをピタリとミラルダに向けていた。
ミラルダもまた、数メートルの距離を置いて止まり、正面からじっと見返している。
顔はほとんどが壊れているので表情は読めなかったが、ステラは彼女がうっすらと微笑んだように感じていた。
……興味を持った。とでもいう風に。
──ドドドドドドドドドドドドドドド!!
警告も誰何もなしに、銀の巨体がいきなり仕掛けた。
右腕をミラルダへと向けると、けたたましい音の連続と共にオレンジの火線が彼女に集中する。
腕に装備された20ミリ機関砲の猛射であった。
道路のアスファルトが瞬時に弾け、道路脇に止めてあった車が数発でスクラップに変わる。
人間など、1発でもこの巨弾を食らえば、その時点で5体がバラバラになるだろう。元々が対戦車や対航空機用のものなのだから。
……ミラルダはどうか?
彼女は、撃たれる瞬間にまたもや姿を消していた。
が、シルバールークの機体が素早く反応し、見えない彼女の姿を追って攻撃先を的確に変えていく。
どうやら、対霊的、対魔的な追尾センサーも完備しているらしい。
空中に移動したメイド姿に、今度はミサイルポッドが吼えた。
片方16発、2つで32発の多目的小型ミサイルが、惜しげもなく一気に全弾放たれる。
ロケット推進で生じる煙の尾を引き、まっすぐにミラルダへと殺到する科学の槍。
──ゴゥン! ゴゥン!
真っ赤な炎の花が、空中でいくつも開花した。
破片、爆風、熱が一体となって地上にまで降り注ぎ、オフィス街を駆け抜けていく。
「……派手ですこと」
感情のこもらぬ声が、そんな感想を口にした。
ちゃっかりシルバールークの陰に隠れて観戦を決め込んでいるのは、もちろんステラだ。
その目がふと、銀色の巨体の表面へと向けられた。
手を伸ばし、触れてみようとしたが、近づけたとたんに青い火花が飛び散り、拒絶される。
「魔法や一般的な術に関する防御も完璧、という事ですか。随分お金がかかっていそうですこと。湯水のように金銭が使えるというのは、羨ましい限りですね」
本気かどうかまったく分からない呟きを漏らす彼女であった。
そんなステラをよそに、殺人メイドと銀の破壊マシンの戦いはさらに激しさを増していた。
追尾ミサイルに追われたミラルダが身体を反転させ、一直線にシルバールークへと突っ込んでいく。
20ミリ機関砲が迎え撃ったが、もちろん無駄だ。
メイド姿が目の前まで迫った時、機械の豪腕が持ち上がり、振り下ろされた。
地響きが上がり、地面がクレーターを成して陥没したが……それだけだ。
「……ふふふ……」
一瞬早く、楽しげな微笑を残して、空中のミラルダがかき消える。
そこに、残った全てのミサイルが殺到した。
──爆発。
自ら放った凶弾を身に受け、機体全体が爆煙に包まれる。
無論ステラはとっくに安全圏へと下がっていた。ただ、いつ移動したのかは誰にもわからない。
もうもうと立ち込める煙の中、巨大な影がのそりと動いた。
上部の砲塔が旋回し、照準をミラルダへと定める。
やはりこちらも、あれくらいでの破壊は無理のようだ。
「……」
じっと見守るステラの目は、この時別のものを捕らえていた。
歩道の脇に転がる、1つの黒服の姿……
ミラルダに首を締められ、昏倒した男だ。
メイドの妖女は、そのすぐ脇に立っていた。
今砲撃などを受ければ、ミラルダはともかく、その者はまず助かるまい。
シルバールークの側も、それは百も承知のはずだったが……ためらう事はないだろう。
そんな状況を目の前にしても、ステラの美しい顔は微動だにしなかった。
……果たして、胸の内で何を思っているのか……
おそらくは、この世の誰もが想像すらできないに違いない。
轟音と共に、巨弾が放たれた。
正体は、140ミリ榴弾砲である。1発でビルをも倒壊させる破壊のための申し子だ。
着弾と同時に毒々しい炎と煙を上げ、周囲の全てを灰燼へと帰す……はずだった。
が──
「……」
爆発の代わりに、その場所には1人の麗人が忽然と姿を現していた。
「……あら」
と、ミラルダも意外そうな声を上げる。
「もうおよしなさい。再生のための破壊ならば、まだ悪いとは言えませんが、破壊のための破壊など、愚かな行為以外の何者でもありません。論理的にも、美的センスにも欠けます」
穏やかな声の主は、ステラであった。
砲弾は……どこへ消えたというのか?
彼女の言葉に、機関砲の一斉射で返答するシルバールーク。
しかし、それらもまた、全てが無効だった。
銃撃と共にステラの前に真っ黒な壁が出現し、それに当たると音もなく消えてしまうのだ。
「……影の壁」
と、ステラは言った。
「3次元上において、唯一の2次元体として存在するのが影です。異なる2つの次元の境界面に触れた物質は、その存在自体を失い、無力化します」
淡々と解説する彼女の言葉に、嘘はなかった。
戦車砲を飲み込み、消したのもまた、この壁だったのだ。
”壁”とはいえ、それは2次元平面体であるから、厚みがない。真横から見ると見えなくなってしまう。
表面はまさしく影そのもので、一切の光も通さず、反射もない。のっぺりとした、ただ漆黒の広がりだった。
ステラはそれをシルバールークの上下左右に形成し、すっぽりと覆う闇の箱を創り出す。決して逃れられぬ、次元の檻だ。
閉じ込められた獲物は、持てる力の全てを使って脱出を試みたが、無駄だった。
機関砲、戦車砲、腕による殴打、体当たり……全てが飲み込まれ、あるいは弾かれる。
忠実なる下僕と化した影は、やがて鋼の巨体からそのエネルギーの全てを奪い取ると……音もなく消滅した。
残ったのは、ただ大きなだけの卵形の鉄の塊である。
前につんのめった状態で停止したそれは、もはや2度と動きそうになかった。
「……さすがですわ……ステラさん。いえ、敬意を込めて、今後はステラ様とお呼びする事にします」
笑みを含んだ声が、どこからか響いてきた。
ステラが振り返ると……そこにはもう、あの人形、ミラルダの姿がどこにもない。
「何しろ、助けて頂いたのですから……感謝いたしますわ……」
声のみが、この場に妖しく流れてくる。
「それは違いますよ」
と、ステラはこたえた。
「違う? というと、まさかそちらの人間を助けるのが目的だったとでも?」
「いいえ」
その問いも、あっさりと否定する。
そして、こう言った。
「ただの気まぐれです」
「まあ……」
ミラルダの声に驚きが混じり、すぐに楽しげな笑いへと変化する。
「ふふふ……面白いです、本当に」
「それはどうも」
「今宵はこれで失礼しますが、すぐにまた、貴方様の下に戻ってまいりますわ……なぜなら……」
「……なぜなら?」
「私、貴方様の事を、とても愛してしまいました……」
「…………」
「それでは、ご機嫌麗しゅう……お慕い申し上げておりますわ。私のステラ様……ふふ、ふふふふ……」
華やかな笑顔が容易に想像できる声が次第に遠くなり、消えていく。
後に残されたのは、先程までの騒乱が嘘のような静けさだ。
「……やれやれ」
つぶやいて、空を見上げるステラ。
そこには、悠久の昔と変わらぬ光を放ち続ける天体がある。
「こんなにいい月なのに……どうして皆、素直にあなたの光に身を委ねようとしないのでしょうね……」
柔らかな光が、それこそ月のように表情の変わらぬ横顔を、白く染め上げていた。
周囲には破壊の爪痕が生々しく残り、死を思わせる静寂に包まれている。
そんな中、月光を浴びる1人の女性の周りだけが、1枚の絵画のように、幻想的な雰囲気に包まれていた──
■ エピローグ・長い夜のはじまり
人気のあまりない、やや裏通りにある、小さな洋風の古本屋、極光。
そこからさらに1キロほど離れたビルの屋上から、でかいスコープ付の狙撃銃で店を狙う男がいた。
黒いスーツの上下を着込んだ体が、闇の中に同化している。
背後にはもう1人、同じような男がいて、トランク型の無線通信機を相手に、何やら低い声で話している。
「こちらはブルーアイ。ターゲットが帰宅した。指示を請う」
スコープが捕らえているのは、道を歩くステラである。照準の十字は、彼女の頭にピタリと張り付いていた。
「……今なら確実に仕留められるぞ」
ライフルを構えた男が、言った。
「だめだ。指示を待て」
「ああ、わかっているさ」
緊張の一瞬が流れ、やがて無線が呼び出し音を上げる。
「こちらブルーアイ……何? もう一度繰り返してくれ…………了解した」
小さく頷き、レシーバーを置く。
「……なんだって?」
「そのまま監視を続けろとの事だ。撃つな」
「そうか……了解だ」
男がスコープから目を離す。
「……命拾いしたな、お嬢さん」
つぶやいて、ポケットからタバコを取り出すと、無造作に咥えて火を灯すのだった……
「ただいま戻りました」
カウベルの音と共に扉が開き、店へと入ってきたのは、ここの主であるステラだ。
『おかえりなさいませ』
と、すぐに返事を返したのは、床に座した白い獣だった。
見かけは中型犬サイズの白い犬だが、実は狼である。本当は狼ですらないのだが……その辺は説明すると長くなるので、ここでは割愛する。名前はオーロラという。
『……随分長いお出かけでしたね?』
「そうでしょうか、ほんの2時間とちょっとだと思いますが」
『時間はともかく、内容は濃かったのではないですか?』
「さあ、どうでしょう……」
上目遣いに主を見るオーロラは、既に何かを察しているようだ。
しかし、真正面から見返すステラの鉄面皮からは、何も情報を得られない。
それはいつもの事だったが……いつもだからたまらないとも言えるだろう。
やがてため息をひとつつくと、オーロラの方から話し始めた。
『……丸の内のオフィス街で、大規模な都市ガスの爆発事故があったとニュースで言っていました。もしかして、そちらに行ってらっしゃいませんでしたか?』
「オーロラ」
『はい、何でしょう』
「街中で見る月というのも、趣があって良いものでしたよ。あなたも来ればよかったのに」
『……いえあの、そういう事ではなくてですね』
首をぶんぶん振り、話を進める。
『さらに、なにやら黒服の男達にこの店が監視されているようです。一体何をやってらっしゃったのですか?』
「ああ、あの方達ですか」
簡単に言うと、さらにあっさりと、
「今も店の外で、狙撃される所でしたね。実際撃ってはきませんでしたけれど」
と、言った。どうやら最初から気付いていたらしい。
『まったく……今度の相手は誰です? マフィアですか? それとも古代ミケーネの有翼人種とか、あるいはアステカ人の遺した彫像戦士とか……そういうのでしたら、少々休暇を頂きたいのですが……』
「安心なさい。古代ローマの全自動攻城兵器でも、南太平洋の人食い大クラゲでもありません」
『……そうですか、それなら安心です』
「ええ、そうでしょうとも」
『……』
本当はちっとも安心などしていなかったのだが、それを口にした所で通じる主殿ではないので、もはや何も言わないオーロラだ。この辺はあきらめというか……達観に近いかもしれない。なにしろ長すぎる程の主従関係なのだから。
「……しかし残念ですね」
『何がですか?』
「どうせなら撃って欲しかったですのに。せっかく血糊まで用意して、盛大に死んだふりをして差し上げようかと思っていたんですよ」
『……またそのような悪趣味な……』
「オーロラ、あなたは私の死んだふりを見た事がないから、そのように言うのです。一度ご覧なさい、自分で言うのもなんですが、なかなかのものですよ」
『はぁ……』
……勘弁して欲しい。と、心から思うオーロラであった。
何やら狙撃する方が可哀想にすら思えてくる。だいいちそんな手段でこの方が倒せるわけがないのだから。
いや、他のどんな手段を取ったとしても、この方を倒せる術などあるのだろうか……少なくとも、オーロラには想像すらつかない。
なんにせよ、我が主を狙う者共に言える事はただひとつ。可哀想という言葉に尽きる。
……そう、オーロラは思っていた。
「さて、それではまた出かけますよ。今度はオーロラもお供なさい」
『は? あの、どちらへ?』
「行く先は、こちらの方が教えてくれます」
と、ステラが指差したのは、自分の足元であった。
『これは……』
オーロラも、すぐに気がついた。
床の上に伸びるステラの影が、2つある。
片方は紛れもなく彼女自身のものだったが、もうひとつの方は明らかに別人のものだ。
見た所女性であり、しかも……
『……只者ではありませんね』
真面目な声で、つぶやくオーロラであった。
彼にも、それはわかるのだ。影を通して、持ち主の力が。
「返しそびれたので、返しに参ります。それに、話も途中でしたし」
『話……ですか? それはどのような?』
「まあ、色々ですね。あなたも聞きたいことがあれば、直接聞くと良いでしょう」
『……わかりました』
素直に頷くオーロラだ。
彼の頭の中には、消えた草間探偵や、アトラス編集部の面々の顔が浮かんでいた。おそらくは、その手がかりになるに違いない。そして、まず間違いなく外の黒服達も関係しているのだろう。
ステラは何も言わないが、オーロラには通じていた。両者を繋ぐのは、そんな関係なのだ。
「ですが、少々困った事があるのですよ」
『困る? 何か問題でも?』
「いえ、なんでもこの影の持ち主の方は、私を愛しているとおっしゃるのです。愛しているから食べたいと。どうしましょう」
『……それはまた、過激な方ですね……』
「ええ、ですので、この際きっぱりお断りして、他の方に気持ちを向けられるようにと説得しようかと。ああ、そういえばあなたはどうです、そういう情熱的な方は?」
『……食べられるのはさすがに……』
「あなたでも、嫌ですか?」
『誰でも嫌だと思いますが……』
「そうですか。ではやはり困りましたね……道中考えながら、行く事としましょう」
『……はあ』
どこまで本気かは不明だが……とにかくそんな事を話しながら、店を出る主と従者だ。
明るい月の下、今夜は長い夜になりそうだった──
■ END ■
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