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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST>


<偽悪天使>

東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・名も無き霧の街 MIST

文:和泉基浦




------<オープニング>--------------------------------------
 熱心に話をするフィーリアルの話の内容よりも、彼女のとびきり綺麗な金色の巻き毛がふわふわと揺れている様に目を奪われながら、それでも僕は相づちを打つことだけは忘れなかった。
 MISTは放射状に街が広がっており、重要な建物には、大抵中央公園から真っ直ぐ歩くだけで辿り着ける。僕らは今、中央公園に向けて伸びる大通りを歩いているのだ。
 この道をUターンすると、僕らの通う学校に戻ることになる。貴族階級の子供達が通う学校に、僕エランとフィーリアルは通っているのだ。
 フィーリアルの頬は、マシュマロみたいに柔らかそうで白い。お化粧をしているみたいにはっきりした目鼻立ちで、目は猫のように大きくて、唇は薄い薔薇色をしている。背中まで届く金の巻き毛を、黒いリボンでぐるぐると巻いている。まるで、「さあ結び目はドコに、全部で幾つあるでしょうか」というクイズかパズルのような髪型だ。最近のフィーリアルのお気に入りである。
 彼女はレースと黒と金が大好きで、制服にまで勝手にレースやフリルをあしらってアレンジしてしまっている。それがまたよく似合うくらい、彼女は美少女だった。
「だからわたし、あの天使様は何か事情があってあんな姿でいらっしゃるんだと思うの」
 フィーリアルはパッと足を止め、つま先で跳ねるようにして僕の方を振り返った。
「エランも、そう思うでしょう?」
 小首を傾げて僕を見る。
 僕は大きく頷いた。
 彼女は、一昨日の夜、素晴らしいものを見たというのだ。比喩と抽象ばかりを連発され、僕は先ほどようやくその素晴らしい物が、
 客観的に見てあまり素晴らしくないものだということを理解した。
 彼女が見たというのは、蝙蝠のような皮膚っぽい翼と、青黒い肌を持つ生き物である。長いかぎ爪を持っていて、足は鳥のように節くれ立っていたという。目はカマキリのように大きく、針で突くと丁度良さそうな小さな瞳がせわしなく動いていたという。
 一言で言うなら禍々しい。それって悪魔だ。
 という生き物を、彼女は「天使様」と呼んでいるのである。
 何でもその「天使様」は、学校裏に広がる林の中で見かけたらしい。夜中にフィーリアルのような13歳の子供が、何故林の中など歩いていたのか。僕としてはその危険な冒険の方を問いただしたい気分だったのだけれど、フィーリアルの言葉は川の流れのように淀みなく、足など突っ込んだらそのまま流されそうなほど勢いがあった。
 そこで「天使様」と運命的な出会いをしてしまったフィーリアルだが、当の天使様の方は彼女に気付かず、飛んでいってしまったということだ。
「あんなに怖くて禍々しい姿をしていらっしゃるけれど、あれは絶対天使様なのよ。凶悪な魔法でもかけられて、あんな姿になったのね。きっと天使様は、わたしの助けを必要としていると思うの」
 フィーリアルは可憐な声でそう言いつのり、僕の方に一歩近寄ってきた。
 彼女は他の13歳の少女よりも、若干夢見がちで、若干変わっている。善悪のギャップというものに非常に惹かれる質であり、またそのギャップがあったら凄そうだというものを見ると、勝手に裏側を作ってしまうのだ。
 彼女の世界では、学校で恐れられているような不良上級生は雨の日にはそっと子犬を拾わなければいけない。この街を守ってくれているMGたちは、実は裏では怪物をいたぶったりしていないければいけない。のだ。
 その考えで行くと、彼女が見かけた禍々しい所謂悪魔的な存在は「天使様が何らかの理由で変じたもの」でなければならないと。
 そういうわけなのである。
「じゃあ、今夜11時にわたしの家まで来てね。門のところで待ってるわ」
「え、僕もいくのかい?」
 フィーリアルはこくこくと頷いた。
「わたし一人で行ったら、感動を分かち合う相手がいないじゃない。ねえエラン、わたしはあなたと天使様が天使様に戻る劇的な瞬間を見たいのよ」
 フィーリアルはとろけるような笑顔を浮かべ、そっと僕の手を握った。
 
×

「何があったんだい。話してごらんよ」
 玲於奈は、笑みを浮かべて優しく言う。子供は頬を涙で濡らしたまま、少し先を指さした。
 ひからびた何かが、転がっていた。
 玲於奈は眉をひそめる。不穏な予感がする。
 買い物袋を脇に置き、干からびた物体へと近づく。
 玲於奈は息を呑んだ。
 それは、犬だった。それも、かなり大きな犬だ。
 落ちくぼんだ眼窩は虚ろで、生きていないことは一目で判る。だらりと舌を垂らし、横たわっている。
 玲於奈は慎重な手つきで犬の身体を撫でた。
 ひからびている。
「さっき、ね……」
 泣いていた子供の一人が立ち上がり、玲於奈の服の端を掴んだ。
「バロンと一緒に、ここに来たんだ。バロンのお散歩の途中だったんだけど、友達が居たから、遊んで……そしたら、バロンが吠えて。戻ってきたら、こうなってて」
 バロンというのは、犬の名だろう。子供は舌足らずな言葉で一生懸命話し、途中何度もしゃくり上げた。
「動かないの? 死んじゃったの?」
 子供の潤んだ瞳が玲於奈を見上げる。
 玲於奈はゆっくりと首を振った。
 子供ががっくりと首を落とす。
 大粒の涙が、子供の足下の地面を濡らした。
 これは、どういう事なのだろう。
 玲於奈は子供の身体を抱きしめてやった。

×

 僕はおもちゃ箱の中から、大きな金属プレートを引っ張り出した。
 両手に何とか収まる程の大きさのこのプレートを見たことがないという人間はいないと思う。この街を守ってくれている、ミスト・ガーディアン=MGのメンバーが必ず肩につけているプレートだからだ。
 MGのメンバーは貴族階級の人間で構成されており、僕の二番目の兄もミスト・ガーディアンとして街のために働いている。
 彼らがどうして、最も危険な「霧の時間」に外を警備していても平気なのかという疑問に答えてくれたのは、僕の兄ではなくフィーリアルの兄だった。
 フィーリアルには兄が三人いる。彼女はうんと年の離れた末っ子なのだ。彼女の三番目の兄は昨年MGに入隊したばかりで、昔からだがちょっと口が軽い。フィーリアルは彼と決して仲がいいわけではないらしいが、晩餐でお酒を召して心地よく酔っぱらっているところに問いかけたら、あっさりと教えてくれたようだ。
 彼らの秘密はこのプレートにある。完璧なとまではいかないが、かなり強力な護符だというのだ。霧の時間にはモンスターがうようよしているという話だし、霧に触れただけで死ぬとまで言われていたりする。僕も小さな頃から散々霧の時間は怖い怖いと言い聞かせられてきたのだけれど、フィーリアルはそうではないらしい。
 なんでも、その三番目の兄程度がホイホイ外を歩けるのならば、フィーリアルが歩けないはずがない。ということなのだ。
 彼女は、三番目の兄と仲がいいわけではなく、従って彼の口からそう聞いて判断したのではなく、つまりただ三番目の兄を相当に見くびっている。ということなのだろうと僕は見当をつけていた。
 そのMGの秘密を知ってしまったフィーリアルは、さっそく三番目の兄の制服からこのプレートを剥ぎ取った。半月ほど前のことである。三番目の兄は相当職場で叱られただろうと予測出来るが、フィーリアルはそんなことは気にならないらしい。
 彼女は、無謀にも霧の時間に外を出た。そして、濃密な霧が出ている夜の街という、恐らく殆どのミストの住人がお目にかかれないような光景をしっかりはっきりと「観光」してきた。あまり頻繁に出歩くとまずいと思ったのか、僕が知る限りフィーリアルが霧の時間に外へ出たのは、その時と今回……天使様を目撃したときの二度だけのようだ。
 一度目の冒険の後、フィーリアルは僕にもプレートを手に入れるよう要求した。万一、霧の時間にデートをすることになったら必要だから、と彼女は言った。おまけに、「手に入れなかったら二度と口をきかないから」という恫喝込みで、である。
 僕は泣く泣く、次兄のプレートを盗むことになった。が、これは意外と簡単だった。次兄は何事にも周到な性格で、スペアの制服を購入していたのだ。僕はそこの肩を切り取り、こっそりとプレートをこのおもちゃ箱の底に隠しておいたというわけである。
 つまり、僕とフィーリアルは霧の時間に外を出歩くという、とんでもなく無謀な小学生ということになる。
 ただ、その命がけの冒険がきっと遠い将来、僕らが結婚する直前になってはいい思い出になるだろう。と僕はスリルと興奮とロマンに胸を高鳴らせても、いる。
 あまり、死んだり怖い目にあったりするような気はしなかった。
 怖い目なんて、フィーリアルの横にいるだけで幾らでも遭遇するのだし。

×

 「掃除屋」玲於奈のところへ、依頼が舞い込んだのは夕方だった。
 犬を干からびさせるなんて芸当を、どうやったら出来るだろう。心優しい玲於奈は子供たちの涙を思い出しては、胸を痛めていた。
 閃いたのは、霧の魔物の仕業では。ということだった。だが、真っ昼間に魔物が現れるなんてことがあるだろうか。
 夕食の支度をしながら頭を悩ませていた玲於奈を、二人のMGが訪れた。
「霧の研究所から、捕獲した魔物が逃げた」
 というのである。
 霧の研究所というのは、ミスト・ラボと呼ばれる組織兼建物の名前である。霧の時間というのは外の人間が思っているよりも遙かに不規則であり、またその濃度によっても現れる魔物や毒性が変わってくる。
 ミスト・ラボの主な仕事は「霧予報士」と呼ばれる人材を育てることだ。予報士は霧の現れる時間を予想したりする。霧に対する感度を高める訓練を積んだ人々だ。庶民などにはあまり縁のない職業だが、夕暮れ時まで仕事をしている可能性のある玲於奈などには重要な情報をくれる者たちである。
 ラボでは、霧の魔物の研究もしている。それは知っていたが、魔物の捕獲調査までしているとは知らなかった。
 MGは、「掃除屋」玲於奈に手伝って欲しいことがあると言い、霧の魔物の特徴を告げた。
 薄い翼、グロテスクで金属質の肌。そして、くちばしの奥に隠した舌の先端は吸盤状で、生き物の血を糧としている。
「生き物の……血?」
 玲於奈は身を乗り出した。
「霧の出ていない時間、魔物の力は激しく弱っている。襲えるとしても、精々子供か。動物といったところだろう」
 MGはそう説明する。
「子供の安全は確保してある。それから、比較的無力な外からの旅行者にも通達は出してある。我々MGも全力をつぎ込んで魔物を捜しているが、見つからない。街は広いしな……それで、あなたにも探すのを手伝って欲しい」
 MGは通常2〜3人が一組となって行動する。エリート階級である彼らはスラムあたりをあまり探したがらない。人手も足りないことだし、貧民街に詳しい玲於奈はいい助けになるだろう……という判断か。
 少し気にくわなかった。
「スラムの人たちは、そのことを知っているのかい」
「無駄なパニックを引き起こすつもりはない。貧民街に住んでいるような者は、荒くれ者ばかりだろう? 我々が守るほどのことでもない」
 MGはさも当然だというように言い放つ。
 玲於奈は肩を竦めた。
「もしくは、死んでもいいってことだね」
「口を慎んでいただきたい、玲於奈殿。我々ミスト・ガーディアンは街を守ることに命を賭けている」
 MGがきつい調子で言う。玲於奈は頷いた。
 そんなことは知っている。
「早く魔物が捕まれば、被害者は出ない。日没までもう時間がないが……」
「いいよ。やろうじゃないか」
 玲於奈は立ち上がった。
「ただし、高くつくからね」

×

 霧。というものを、僕は今初めて目にしていた。
 白く、空中をミルクが漂っているように見える。湯気の塊に似ているが、ひんやりとしていて消えたりしない。
 僕は真っ黒いコートをしっかりと着こみ、早足でフィーリアルの屋敷へと向かった。
 街は静まりかえっている。動物の鳴き声すら聞こえず、僕の靴音だけが小さく響いている。それも、真っ黒な夜空に吸い込まれていくようだった。霧の隙間から、ぼんやりと月が見える。星と夜空は、霧に遮られて殆ど見えなかった。
 フィーリアルの屋敷と僕の屋敷は、隣同士である。隣と言っても、それぞれの屋敷が広いから、歩いて大体4分ほどかかる。また、僕の家の門までは3分くらいかかるから、
 ドアを閉めてから十分弱で、僕はフィーリアルと合流することが出来た。
 彼女は魔女のように真っ黒なコートを着ていたが、間近で見ると光沢の違う布で美しい模様が縫い込まれているのが判る。短いスカートの下からは、艶のあるグレーのペチコートが見えていた。足にはぐるりと黒いリボンを巻いており、髪は垂らしている。
「ねえ、わくわくしない?」
 フィーリアルはそう囁いてくる。僕はむしろ彼女の出で立ちにドキドキしながら、「そうだね」と答えた。
 フィーリアルは僕と手を繋ぎ、早足で学校への道を歩き始める。
「霧の時間って、本当にキケンなのかしら」
 フィーリアルはそう呟き、コートの前を開ける。コートの裏側に、プレートが縫いつけてある。
 かなり適当に縫い込んであるところを見ると、フィーリアル自身の細工だろう。
「どういう意味?」
 僕はフィーリアルに歩調を合わせて歩きながら言う。フィーリアルは目を伏せた。
「お兄様ったら、MGは夜勤が大変だとか言ってるけど、怪我して帰ってきたこともないのよ。もしかして、大人は子供に秘密で何かをするために、霧の時間はキケンだなんてコトを教えて回ってるんじゃないかと思うの」
「そうかなあ」
「エランの身近な人で、霧の時間に怪我されたとか亡くなったとかって、ある?」
「ないよ」
 僕は即答する。フィーリアルは自分の考えが正しいと思い始めているようだ。
 だが、殆どの人間は夜危険だからといって外へは出ない。昼間、突然霧が出たために、非番の兄が出かけていくのを見たこともある。霧が危ないのは本当にそうなのだろうと僕は思った。
 フィーリアルは、あまり大人の言うことを信じない。それは彼女のポリシーだ。彼女の世界では、彼女は貰われっ子である。両親や兄弟は、貰われてきた彼女をあたかも本当の娘のように扱っている。
 そこから始まって、大人は八割方彼女に嘘ばかり教えている。ということになっているらしい。
 僕は彼女の幼馴染みであり、気付いたときには一緒にいたというくらいずっと仲良くしているのだが、彼女がどうしてこんなことを思うようになったのかは判らない。
 フィーリアルが突然僕の腕を引いた。路地と路地の狭い隙間に飛び込む。
 彼女のレースの手袋に包まれた掌が、僕の口を塞いだ。
 僕は横目で道を見る。
 足音が聞こえ、ぼそぼそと話す声が聞こえた。
 MG……だ。
「子供が見えただと? 馬鹿な。霧の幻だろうさ」
「真っ黒い服を着た子供に見えたんだがな……やはり幻か」
「違いないさ。子供がこの時間に外に出ているはずがない。本当に子供だったとしたら助けを求めるだろうしな。ヘタをすると魔物だぞ」
「確かにな」
 白と金の華やかな制服に身を包んだMGが三人、ぼそぼそと小声で話しながら道を歩いていく。
 僕とフィーリアルは狭苦しい路地の仲で身を寄せあい、息をひそめて彼らが通り過ぎるのを待つ。見つかったら保護されて、親に引き渡されてしまうだろう。
 もしかしたら、そちらの方が良いことなのかも知れないが、少なくともフィーリアルはそれを望んでいない。ならば、僕は従うしかない。
 MG三人は細身の剣を腰に下げている。昼間でも外すことのない、彼らの武器だ。
 あれは、ホンモノなのだ。
 僕はふと不安になる。兄は決して僕に剣を触れさせようとはしない。人を傷つけるものを持つことが出来るのは、傷つく覚悟も出来ているものだけだと言う。
 やはり、霧の時間は本当に危険なのだ。
「嘘つきたち……」
 フィーリアルが小声で呟く。僕は彼女を見た。
「ウチのお兄様なんて、夜勤は大変だーなんて言いながら、帰ってきたら一日ぐーすか寝てるわ。情けないったら」
「それは」
 僕は口ごもる。
 疲れたら寝るのは、自然なんじゃないだろうか。
 まして、実際危険な夜に街中を巡回するというのは、僕らの想像を遙かに超えて大変な事であるような気が、する。
「行ったわね。急ぎましょう。もうすぐなの、天使様に会った時間は」
 フィーリアルは僕の声など聞こえなかったように言う。
 僕の手を引っ張って、道へ出た。
 霧が、道を覆い始めている。空気が白く染まったような中を走るのは、幻想的を通り越して不気味な気分になる。
 歩き慣れた煉瓦の道は、学校へ向かってとてもゆるやかに上り坂になっている。僕らは小さな足音を立てながら、その道を登った。
 何もいない。
 僕らと霧以外、何もない。両側にそびえているはずの建物群さえ見えない。僕らは真っ白い霧の中を走った。
 魔物も、人も、MGもいない。
 急に走って酸欠になったのか、それとも霧のせいなのか、僕はくらくらしながら通い慣れた道を駆け上った。
 学校は美しい白煉瓦造りの建物なのだが、霧に埋もれてシルエットしか見えない。フィーリアルは広々とした校庭を真っ直ぐに突き抜ける。
 林が、広がっていた。
 学校は、林に背中を守られるようにして建っている。ちくちくした葉を茂らせた林の木々は皆背が高く、折れた細かな枝や脱落した葉っぱのカケラなどが足元に積もっている。
 ベッドの上を歩いているようにふかふかする。
 フィーリアルはべきべき音を立てて小枝を踏みしだきながら、どんどん奥へと入って行ってしまう。
 林に入った瞬間から、頭の中はもう天使様で一杯らしい。僕の手などとっくに放り出して、ずんずん奥へと入って行ってしまう。
「ま、待ってよフィーリアル!」
 僕は声を張り上げ、手足をばたばたさせながら必死に進む。フィーリアルが足を止め、戻ってきてくれた。
「もう、エランったら男の子のくせにだらしないわ」
「ご、ごめん」
 僕はフィーリアルにしっかりとしがみつき、ふわふわふかふかする地面を踏みしめた。
 甲高い金切り声が響く。フィーリアルがびくっと身体を強張らせた。
 黒い影が、頭上を飛んで行く。僕は悲鳴を上げた。
 ばらばらと固い枝葉が降り注いでくる。
 一瞬だけ見えたのは、青白く輝く不気味な生き物だった。
「天使様よ!」
 フィーリアルが僕に抱きついたまま叫ぶ。僕はぶるぶると首を振った。
 彼女が語っていたのよりも、今見えた生き物は遙かにグロテスクだった。あれが、あれが天使様でなんて……あるはずが、ない。
「帰ろう、フィーリアル! 危ないよ! あれはモンスターだ!」
 僕は喚く。フィーリアルは僕の方を見ようともせず、うっとりとした視線を彼方に向けている。
 金属と金属を摺り合わせるような嫌な音が響く。あのモンスターの吼え声なのだろう。背骨をごりごりとヤスリで擦られているような気分になる。
「もうっ、エランってば! どうしてあの天使様のすばらしさが判らないの?」
「判らないよ! 怖いよ、あんなの!」
 僕は半ば泣き出しそうになりながら怒鳴り返す。それでも、フィーリアルは僕の方など見向きもしない。
「奥へ行きましょう!」
「イヤだっ!」
 僕は首を振る。フィーリアルが呆れたように僕を睨んだ。
 パッと僕から離れる。
「エランのバカ!」
 それだけ言うと、モンスターが飛んでいった方向へ走り出してしまう。
「フィーリアル!」
 僕は絶叫した。
 
×

 随分、無鉄砲な子供がいたものだ。
 つかず離れずの距離を保ちながら、一組の少年少女を追いかけてきていた荒祇天禪は、唇の端を僅かにつり上げた。
 不況に喘ぐ日本経済は、彼にゆったりとした休暇を取ることも許さない。仕事など放っていても問題がないと思えるのだが、社長や取締役が長期の休暇は社員に不安を与えると再三諫言をしに来るのである。ちょっとした行動にも、ストーカーのように目を光らせている平社員というのはいるものだと言うのだ。
 あまりにちっぽけで、愚かな話である。だが、その愚かな社員に振り回される更に末端のアルバイトや契約社員は苦しかろう。休暇くらいは我慢するかと思っていたのだが、近場でいい場所を見つけてしまった。
 それが、この霧の街――ミストである。
 不規則に繋がる界境線の果ての街。美しい建造物と豊かな自然、あたかも外国のように趣深いというこの街へ来てみようと思ったのは、本当にそんな些細なことからだった。
 独自の発展を遂げている建造物は、海外の建物のどの様式とも僅かずつ異なっている。街を歩くことすら楽しんでいた天禪の前を通り過ぎたのが、この二人だった。
 少女は声高に、到底天使とは言えぬ異形を「天使様」と呼んでいた。子供っぽくはあるが、変わっている。
 そして、美しい少女だった。利発そうで、愛くるしいという言葉がそのまま現れたような姿をしていた。
 面白い。
 そう思ったため、こっそりと話を聞かせて貰ったのだ。そして、この時間に出歩くのは死を意味すると言う「霧の時間」に、徘徊をしようという無鉄砲さ。その根拠も知りたかった。
 天禪は、少女と少年が合流するのを確認し、つかず離れずこうしてついてきたのである。
 少年が、あたふたと少女の後を追いかける。
 雷鳴が轟き、そう遠くない場所で光が何度も瞬く。
 異形が、何かを襲っているのかも知れない。
 襲われているのかも、しれないが。
 天禪は少年の後を追った。

×

 頭上を、恐ろしく大きな蝙蝠のようなものが跳び去っていった。
 膝に乗るほどのラップトップパソコンを操作していた岬鏡花は、弾かれたように顔を上げた。耳に差し込んでいたイヤホンを引き抜く。
「何なの……!?」
 呟いた。
 所属する「組織」の命令で、日没と同時にミストを覆う恐怖の「霧」の情報を集めていたのである。ラップトップパソコンには様々な計器を繋いであり、思いつく限りの方法で「霧」の計測と解析を行っている。
 一晩、このパソコンを霧の中に放置しておけばすむ仕事でもあるが、魔物も徘徊する時間である。折角の道具を壊されてはたまらないと、不承不承余りモンスターが出現しそうにない場所を選んで計測をしていたのだ。
 それでも、霧の時間が恐ろしく危険なことには代わりがない。霧自体には、すぐに影響のある毒素などは含まれていないと言うことは判っているが、軽い幻惑効果などはあるらしい。神経をすり減らしての計測の途中であったのだ。
「全くもうっ、林とかならそんなに魔物も出ないかと思ったけど……出るじゃないの、堂々とッ」
 鏡花はうんざりしたように言う。
 ばたんとパソコンを閉じた。
 とりあえず測定は続けねばならないが、あの魔物を放っておくのもまた危険である。追いかけて、可能ならば駆除でもした方が良さそうだ。
「あんまり、強敵じゃないといいんだけど」
 一晩中、飛び回る巨大蝙蝠を気にしながらの地味な作業というのは明らかに性に合わない。
 多少の苦労はしても、駆除は必要だろう。
 鏡花はパソコンを樹の虚の中にそっと置くと、巨大蝙蝠を追って走り出した。

×

「ちょこまかと逃げの一手かいッ!?」
 必殺の一撃をかわされ、玲於奈は舌打ちした。
 青白く発光する不気味な肌を持った魔物は、ギアッと不気味な声を上げて上空へと舞い上がった。
 周囲を飛び回っては、ちまちまと向かってくるのである。動きの早さに翻弄され、玲於奈は不機嫌になっていた。
 貧しい人を見捨てるMGへの反発だったのかもしれない。玲於奈は仕事を引き受け、すぐさまスラムを回ることにした。
 スラムの人間にも、危険な魔物がうろついている可能性は教えておかねばならない。
 魔物探しのついでに、スラムの子供たちに隠れるように言って回った。
 そして、あの犬が死んでいた学校の裏へやって来たとき、玲於奈はそれに遭遇した。
 醜い生き物だった。
 聞いたとおりの、金属質の肌をしていた。向うが透けて見えるほど薄い皮膜を張った翼は大きく、悪魔というイメージの具現のようだった。
 追いかけ回す内に日は暮れ、夜は深まり霧が出た。死んでいるのは小動物ばかりとはいえ、それらのために流された子供の涙は軽くない。無理を承知で、早急な解決を望んだのだが。
 まさか、こんな夜更けまで引っ張り回されるとは思わなかった。
 霧が深まるにつれ、異形の生命力は強くなるらしい。すっかり汗みずくになりながら、玲於奈は林の中を走った。
「このまま逃げられ続けると、アタシの方がヤバいかもね」
 小さく愚痴る。
 だが、ここまで追いかけて「それじゃあまた明日」では間抜けもいいところだ。
「ちょっとヘタ打っちゃったかしらねえっ」
 玲於奈は叫ぶ。上空から舞い降りてきた異形の爪が、目の前に迫った。
 掴む。
 思ったよりもずっと力が強い。玲於奈は唸り、異形を地面に引きずり下ろそうと力を振り絞る。
 背筋がむずがゆくなるような、金属質の不気味な雄叫びを異形が上げる。
 異形の額から生えた二本の触覚の間が、バチッと音を立てる。火花が散った。
「しまった……!」
 玲於奈は顔を顰める。
 
「ウェルザ! やれ!」
 横合いから、突風が吹き付けた。
 
×

 突風に煽られ、魔物が吹き飛ぶ。
 空中で体勢を立て直そうとしたらしいが叶わず、太い木の幹に激突する。
 耳障りな雄叫びが森の中に響き渡った。
 霧原鏡二は片手で軽く耳を押さえる。神経をヤスリで擦られるような、不快な悲鳴だった。
 時折猛烈な渇きを訴える「悪魔の卵」を鎮めるために、今朝からミストにやって来ていた鏡二は、街を歩いている少女の無邪気な言葉から獲物を決定した。
 自分こそまさに天使のような美しい容貌の少女は、学校裏の林に出るという異形の話をしていた。隣にいた少年は上の空でそれを聞き流していたようだったが、鏡二にとっては都合のいい話だった。
 ミストの霧の時間は魔物の巣窟である。屠るものには事欠かないだろうとは思うが、魔物を捜して危険な時間に外を徘徊するというのは頂けない。
 霧の魔物だけでなく、ミスト・ガーディアンに見つかったら更に厄介だ。
 目撃証言があるのならば、学校裏の林に行くのが最も簡単な手段だろう。そう思ったのである。
 夜更け、厳重に戸締まりをされたホテルから何とか抜け出し、一路林へと向かった。昼間の内に、場所などは確認済みである。
 途中、魔物にこそ出会わなかったが巡回中のMGは数多く見かけた。MGはミストの中でも排他的な一派であり、見つかればうるさい。鏡二はMGの目をかいくぐりながら、こうして林へやって来たのである。
 林の中を歩いていると、異形を発見した。恐らくは、あれが少女が「天使様」と呼んでいた魔物だろう。
 魔物はどうやら誰かを襲っているらしかった。暫く傍観していた鏡二だが、魔物に挑まれている相手が屈強そうではあるが女性だと気づき――
 手助けをしてみたのである。
 すっかり披露していた様子で、女性はがくりと膝を突く。息が荒い。
 ギチギチと嘴を摺り合わせ、異形が枝葉の破片をまき散らす。起きあがった。
 屠るなら、今か。
 鏡二は一歩踏み出す。ウェルザの魔力がふくれあがるのを感じた。
「……!」
 ウェルザが躊躇するのが伝わってくる。
 枝葉を踏みしだきながら、金色の髪の少女が異形の前に飛び出したのだ。
「子供……!?」
 女性が驚いたような声を上げる。
「天使様!」
 少女が感極まったように叫ぶ。
 異形の瞳に、残忍な光が宿る。
「チッ……何なんだ!?」
 鏡二は舌打ちした。
 
×

 巨大な蝙蝠が、太い木に叩きつけられて地に落ちるのが見えた。
 鏡花は足を止める。
 誰かが戦闘をしているのなら、傍観していた方がいい。自分の任務は異形をしとめることではない。
 事態を見極めようとした鏡花の脇から、小さな影が走り出た。
――女の子……!?
 鏡花は目を見開く。
 小柄で可憐な少女が、鏡花の脇をすり抜けて異形に駆け寄っていく。
「危ないッ!」
 鏡花は走り出した。
 少女は異形の前に走り出す。
 小柄な少女の三倍はあろうかという巨大蝙蝠の目の前に、少女は躍り出た。
「天使様!」
 叫ぶ。
――天使? 何を言ってるの、この子は……危ない!
 起きあがった巨大蝙蝠が、じろりと少女を睨む。
 鏡花は少女に向かって跳躍した。
 
×

「フィーリアル!!」
 おぼつかない足取りで少女を追いかけていた少年が叫ぶ。
 少女が魔物の前に躍り出る。
 追いかけようとした少年の襟首を、天禪は掴んだ。
 抱き上げる。
 少女に向かって、魔物の爪が振り下ろされる。
 その間に、華奢な女が飛び出した。
 少女を抱きしめる。
 天禪は微かに眉を顰める。
 異形との距離を詰めた。
 
×

 ウェルザのものではない、強力な風の波動を感じる。
 鏡二は後ろを振り返った。

×

 玲於奈の目の前に、大柄な男が走り出てくる。
 何故か小脇に、小柄な少年を抱きかかえていた。
 敵か味方か、咄嗟に判別がつかない。
 
 霧を引き裂いて、鋭い風が吹き抜けた。
 
×

「君たちね」
 落ち着いた声が、僕たちに掛けられた。
 僕は顔を覆っていた掌を、そっと下げる。
 見えたのは、天使様に襲われるフィーリアルでも、彼女の無惨な姿でも無かった。
 MGのものにも似た、裾の長い白い服を着た男の人が、立っていた。
「突然、前に飛び出して来ないでくれるかい。当ててしまうところだったよ」
 僕の二番目のお兄様と同い年くらい。二十歳を回ったかどうか、というくらいの男の人が、皮肉っぽい声でそう言う。
 僕たちの方に突きだしていた手をゆっくりと下ろし、腰に当てた。
 アッシュカラーの髪を短く切った、びっくりするくらい綺麗な男の人だった。
「ご挨拶だな。子供も一緒に吹き飛ばすつもりだったのか」
 僕の頭の上から声がする。
 それで、僕はようやく誰かに抱きかかえられていることに気付いた。
 見上げると、怖い顔をした逞しいオジサンが僕を見下ろしていた。僕は驚いて悲鳴を上げ、手足をばたつかせる。
 オジサンは僕を地面に下ろす。真っ直ぐに男の人を見た。
「そんなヘマしないけどね。見たところ君たちは外の人間のようだけど、こんな時間にこんな場所で何をしているのか教えて貰いたいな」
 男の人は無表情に問う。
 僕は首を捻ってフィーリアルを捜す。
 フィーリアルは、綺麗な女の人に抱きかかえられて倒れていた。
 そのすぐ後ろに、光る輪っかに包まれた「天使様」がもがいている。想像していたのよりもずっと大きく、一瞬見た印象よりも遙かにグロテスクだった。
 怖い。
「うう……」
 フィーリアルが小さく声を上げる。
 僕は慌てて彼女に駆け寄った。
 大柄な女の人が、フィーリアルを抱きしめていた女の人を助け起こしている。
 フィーリアルを助けてくれたらしいこの人も、それからあのオジサンも、ミストの人ではないようだった。
 僕はフィーリアルの腕を引っ張り、「天使様」から離れようとする。
 恐らく動けないのだろうけれど、やはり怖い。
 しかしフィーリアルは未練があるらしく、「天使様」に近づこうとする。僕は「駄目だよ」と言い続け、彼女の腕を引っ張り続けた。
「やれやれ」
 大柄な女の人が、ごきりと肩を鳴らす。僕と目が合うと、バチンと派手にウィンクしてくれた。
「遅ればせながら、MG様たちのご到着だよ」
 指さす。
 白い制服を着た男の人たちが、走ってくるのが見えた。

×
 
 霧の魔物は、焼却処分になったということだった。
 被害は、ペットや家畜が十数頭死んだだけだった。貧民街の子供も含めて、人間の被害はゼロ。
 走り回って負傷した玲於奈が、数少ない怪我人の一人だった。
 エーリエルと名乗ったミスト・ラボの研究員の言うところによると、魔物の強さからして今回の被害は驚くほど少なかったと言うことだ。
 ミスト・ガーディアン本部からたんまりと謝礼をぶん取り、玲於奈は真新しい犬の首輪を買った。
 今度、あの子供にあったら、これをあげよう。
 バロンの墓に、供えてくれるようにと。
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0669 / 龍堂・玲於奈 / 女性 / 26 / 探偵
 0284 / 荒祇・天禪 / 男性 / 980 / 会社会長
 0852 / 岬・鏡花 / 女性 / 22 / 特殊機関員
 1074 / 霧原・鏡二 / 男性 / 25 / エンジニア

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、和泉基浦です。
 「偽悪天使」をお届け致します。
 MISTに広がる「霧」とその「霧」を研究するミスト・ラボの設定を少しばかり出させて頂きました。
 アンケートへの回答もありがとうございました。今後の参考などにさせて頂
きます。