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東京怪談･草間興信所「女神の腕（かいな）」
■オープニング■
「父が帰ってこないんです」
寺井芽衣子はきっと草間を見つめてそう言った。
顔色は悪いが目は活力を失ってはいない。意志の強さを伺わせる態度だった。中学生だろう、未だ制服に着られている観のある年頃の少女にしては珍しい。
「行方不明だと？」
一昔前で言うなら蒸発。突然の失踪。興信所への依頼としては実に一般的である。そうでなかろう予想はついていたが、草間は芽衣子にそう切り出した。
やはり芽衣子は頭を振った。
「いいえ。会社にも出てます。居場所はわかっているんです。……ただ、会うことが出来ないんです」
父親は普通のサラリーマンで毎日通勤しているという。ただ帰ってこない。携帯などには出ることもあるし、会社に電話をかけて電話口に呼びだすことも出来る。だが顔を見せてはくれない。
「同じ電車に乗ってみたり、会社の前で張って見たりもしました……でも父に会うことは出来なかったんです」
幾度繰り返してもすれ違う。避けられているのだとしても、幾らなんでも奇妙だと芽衣子は訴えた。
「……いえ、避けられているのでもいいんです。ただ、どうして父が帰ってこなくなったのか、それが分れば」
携帯に出た父は芽衣子に言ったという。
『今父さんは癒されてるんだ。……頼むから邪魔はしないでくれ」
芽衣子は苦渋をその顔に上らせた。
家は、家族は、癒しの場所ではないというのか。それを邪魔といって、癒されているという。それに芽衣子は強い憤りと悲しみを感じている。
どうかと深く頭を下げて、芽衣子は帰っていった。
「……兄さん……」
零がそっと差出してきたファイルを開き、草間は嘆息した。
『恋人が』『夫が』『兄が』『父が』『息子が』『娘婿が』家に帰ってこない。蒸発ではなく、日常生活を送っていながらただ家に帰らない男達。
すべてここ数日で持ちこまれた依頼だった。
「……癒す、か」
ポツリと、草間は呟いた。
■本編■
目の前に座した少女にゆったりとした視線を投げて、シャルロット・レイン（しゃるろっと・れいん）は手ずから淹れたハーブティーを口元に運んだ。ベルガモットの癖のある香が鼻腔を心地よく刺激する。
「冷めないうちにどうぞ……」
にっこりと笑いカップを勧めても、少女寺井芽衣子はそのカップに指先さえ触れさせようとはしなかった。握り締めた拳をそろえた足の上に置き、険しい顔でシャルロットを見据えている。敵愾心とまでは行かずとも、友好的とはとても言えない目つきだった。
「……どう、なさいました……？」
問い掛けに芽衣子は毅然と顔を上げた。
「私は草間興信所に父の調査をお願いした覚えはあっても、自分のカウンセリングなんか頼んだ覚えはありません」
苛立ちを隠そうにも隠し切れない芽衣子の言葉に、シャルロットはふっと笑った。細い指先を口元に当てて目を細めて見せる。どこかあやすように。
「……その、草間興信所からの依頼をお受けしたのです。……お望みなら、あなたのカウンセリングも……行いますが……？」
「結構です」
きっぱりと言って、芽衣子は自分の前に置かれたカップを、シャルロットの方へと押しやった。明確に示された拒絶に、シャルロットは小首を傾げた。誘う印象さえ持った滑らかなその仕草に、芽衣子は眉間に皺を刻んだ。
読心を使うまでも無い。これははっきりとした嫌悪の現れだ。
それが分っていながら、シャルロットは口元から笑みを消しはしなかった。はっきり言って慣れている。同性からこうした敵愾心にも近い視線を受けることは。
「……私はあなたから何を奪うわけでも……ありませんよ？ あなたの望みを……かなえましょう？」
「結構です、そういいませんでしたか？」
「ですが……あなたはその為に……依頼なさったのでしょう……？」
きっと芽衣子はシャルロットを睨み据えた。
「私は父が何故帰ってこないのか、その理由の『調査』を依頼しました」
「……ええ、そうですね……そしてそれは、お父様の帰宅を望んでいらっしゃるからでしょう？」
「私の望みをかなえてくれと言う依頼をした覚えはありません」
芽衣子は強い語調できっぱりと言いきる。
「私は父が帰宅することを望んでいます。ですがそれは『父』が『自分から』帰宅することです。……もし、もし父が何かに惑わされているとして、その上から惑わせて操り人形みたいに父が帰ってきたところで嬉しくも何ともないんです」
呼びだした時に中立ちを頼んだ草間が何らかの情報を芽衣子に与えたのだろう。芽衣子はシャルロットの力を知っていて、その力そのものを嫌悪し拒絶しているのだ。単なる嫉妬などでは恐らくは無い。
シャルロットは感心したように芽衣子を見つめた。拒絶されていながら感じたのは悲しみでも怒りでもなく感嘆だった。
確固たる己を持つ人間は『願いを叶えて欲しい』とは言ってこない。己の足で立ち、己の欲するところを自ら勝ち取っていこうとする人間は。
確かにこの少女に自分の『力』は不要のものだろう。
欲さないならその方がいい。願いを叶える力より、その力を欲さないでいられる強さの方が何倍も価値を持つ。
そんな微笑さえ不評だろう。分っていて尚シャルロットの顔は微笑を浮べた。作る必要は無かった。
「……それでは……お父様が帰宅されなくなる前の……様子などをお話願えますか？」
「だから……っ」
声を荒げかけた芽衣子は途中で口を噤んだ。シャルロットの問い掛けがとても『調査らしい』それであることにその時気付いたのだろう。
きょとんと目を瞬かせる芽衣子に、シャルロットは鈴の鳴るような声でコロコロと笑った。
少しだけ友好的になった芽衣子と連れだって、シャルロットは芽衣子の父親の勤める会社を目指していた。
電話は通じず、芽衣子にしたところで心辺りなど無かったのだ。何か思い当る節があるなら芽衣子は草間興信所になど頼らず、自ら行動を起していただろう。
「何故……かしら……？」
嫌でも人目に付く白銀の髪を帽子の中に押隠したシャルロットは虚空を見つめてぽつりと言った。
本当に何故だろう。
芽衣子のこの強さや真直ぐな気性から見るならば、寺井家に何らかの問題があったとは考えにくい。子は親の鏡とはよく言ったもので、家庭環境が子供に与える影響は大きい。
その家庭から逃れ、芽衣子の父は何に癒されていると言うのだろう。『邪魔をするな』と家族を拒絶してまで。
「わかり、ません……」
芽衣子は俯き、きゅっと下唇を噛んだ。
悔しさと悲しさが綯交ぜになった表情に芽衣子の苦悩がはっきりと表れている。だがそれを振りきるように頭を振った芽衣子は、シャルロットを先導するように二三歩早足で歩を進め、振り返った。
「父の職場はこの先です」
ゆっくりとシャルロットは頷いた。
そして残酷であることを承知の上で、その言葉を口にした。彼女の依頼を完遂するために、少なくともその確立を高めるために、それは言わなければならない言葉だった。
「……あなたは……ここで。写真がありますし……不自由はありませんから」
「……そう、ですね」
芽衣子は硬い顔で頷いた。言外に匂わせたシャルロットの意図を正確に読み取ったからだろう。
芽衣子が共に居たのでは芽衣子の父は恐らく現れないだろうから。
深く頭を下げて来た道を引き返していく芽衣子の背を見送ってから、シャルロットは踵を返した。
「何かの魔女に…魅入られたのかしら……？」
ならばなんとしても取り戻そう。
強さの光輝を纏う少女の切ない後姿に、らしくもなくシャルロットはそう思った。その決意を、芽衣子が望むと望まざるとに関らず。
「絶対隼の態度が悪かったからよ！ もー決定、あなたのせい決定！」
「……喚いてねぇでなんか善後策考えろよ。暇じゃねぇんだぜ俺だって」
「思いつかないからとりあえず喚いてんのよ！」
「……あんたな」
賑やかな光景は周囲の視線をこれ異常なく集めながらも尚も継続の様子を見せている。シャルロットはその光景に笑みを誘われた。
いつ手が出てもおかしくない雰囲気だが、どこか微笑ましいものを感じたからだ。
……尤もそう感じるのはシャルロットに限ったことのようで、他のギャラリーは遠巻きに好奇の視線を送るばかりだった。
「自分もどうもできねーこと人が出来ねーからって文句つけてんじゃねえよ！ それから威張るな！」
「卑屈に言ったらもっと情けないでしょーが！」
「だから威張んな！」
まだ少年と少女の二人連れは、オフィス街の言ってしまえば己とは素晴らしく似合わないロケーションに臆することもなくぎゃあぎゃあと上げ足取りを続けている。
そもそも居る事さえ『不釣合い』な場所で『言い争い』を、彼らはしているのだ。そこに彼らの立場が垣間見える。
指先を唇に当てて笑いを噛殺し、シャルロットは無造作に歩を進めた。特に何をしたわけでもない。少し彼らに近づいただけだ。だがまず少女が、極僅かな間を置いて少年もまた、ぴたりと口を噤んだ。接いで今度は少年が一瞬だけ早くその場を飛び退り、少女と少年は一気にシャルロットとの間に距離を取ると同時に振り返った。
その素早くも顕著な反応にシャルロットは嗅ぎ取った匂いへの確信を深めた。誓ってシャルロットは何もしていない、ただ近寄っただけだ。この二人はそれだけのことで何某かの気配を感じ取った、と言うことなのだから。
「なによ？」
手負の猫よろしく威嚇してくる少女に、シャルロットはつい先刻芽衣子に向けたものと同じ、あやすような笑みを向けた。
「……目当ての方には、お会いできなかったのですね……？」
「え？」
少年と少女は異口同音にそう呟き、ぽかんとシャルロットの顔を見つめた。
少年は瀬水月・隼（せみづき・はやぶさ）、少女は朧月・桜夜（おぼろづき・さくや）と名乗った。芽衣子の父親に電話でアポイントメントを取ろうとしたがけんもほろろの対応で電話を切られ、仕方がないので会社まで出向いてきたという。
……桜夜の勢いは出向いたどころか出入りだの方が正しいようにも思えるが。
「携帯の電源切ってやがったし、だから会社の方にかけたのよね。最初女子職員が出てさ、取次ぎ頼んだんだけどどー来たと思うのよ！ 『芽衣子なら来客中だと言ってくれ』よ。バッチリ聞こえちゃったわよ！」
湯気でも立てそうな勢いで喚き散らす桜夜を親指の先で示し、隼が肩を竦める。
「コイツはこんな調子だし、俺らだけじゃ受付が取り合ってくれねえしな」
「……それで……？」
「それでって、それだけよ。あったま来たから隼に絡んでたのよ！」
「だから威張んな」
えへんと胸まで張って言い切る桜夜に、隼は渋面で突っ込んだ。
シャルロットはクスクスと笑い、その笑いを収めてから目の前のビルを見た。高層ビルと呼んで差し支えのないそのビルは総合商社の持ち物のようで、忙しなく人が出入りしている。入口には制服姿のガードマンの姿が見えるし、確かに１５、６の子供の二人連れでは、受付まで行けただけでも快挙だろう。
シャルロットはその聳え立つビルを見上げ、すっと目を細めた。
微細なものだ。気をつけなければ見逃してしまうだろう、本当に微細な。だが確かに存在する。
細く、細く、どこかに通じる何か。
「……あなたも、わかる訳？」
「……糸……が」
桜夜の問いかけに、シャルロットは微細な気配を探りつつそう答えた。
何処かへ通じている。細い、細い糸がそのビルからは感じられる。いや…
「……中に居る誰かに、繋がって……？」
「ま、状況的に考えるなら答えは一つよね」
「そう、ですね……」
「……あー、ちょっとオイ」
頷きあう桜夜とシャルロットに、隼が困惑顔で片手を上げた。
「俺にも分かるように説明してくれねーか？」
「つまり……当たり前の状況であるならあり得ない『糸』が……見えるのです……」
「ふ……ん？」
隼は胡散臭げな目つきでビルを見上げた。当たり前の状況のものしか視認出来ない隼には糸の切れ端すら見ることが出来ない。その目つきも妥当なものだろう。
「どーせ見えないんでしょ？」
「ああ、まーな。……っておいコラ」
適当に頷いた隼は次の瞬間その胡散臭げな目つきを更に険しくして桜夜を見やった。
「んなもん見えてんならなんで俺に絡む必要があったんだよ？」
それを追っていけばいいだけの話だ。芽衣子の父親に会えない以上、微細であろうとそれを逃す手はない。
しかし胡乱な目つきを向けられても、桜夜はびくともしなかった。
「ばっかねー、必要性の問題じゃないでしょ、絡むとかそういうのは」
「……つまり？」
桜夜はつんと顎を上げ、大上段から偉そうにいった。
「面白いからよ」
「……成る程……」
「……頼むから威張んな、頼むから」
妙に納得してしまったシャルロットと、逆に脱力してしまった隼に、桜夜は勝利の笑みを浮かべたのだった。
「つ、疲れた……」
電柱に片手を付いた桜夜はがっくりと肩を落とし荒い息を吐いた。
極微細な糸を追う。
言うは容易いがなかなかどうして実行するとなるとそう容易いことではない。
まず電車は使えない。半端ではなく微細な糸を、それでは見失ってしまう。桜夜の式に追わせる事も考えたが、式では糸を追い切れなかった。桜夜やシャルロットの力を持って漸く視認できる程に、糸は微細なのだ。
タクシーも使えない。目的地が特定できず、一々曲がり角を示さねばならずしかもそれが遅れて違う道になど入り込まれてしまっては。下手をすれば糸を見失う。
残る手はただ一つ。足だ。
既に何駅分歩いたかもわからない。ビルの前を出発した時にはまだまだ高い位置にあった太陽は、とっくの昔に沈んで辺りは夜の気配に包まれていた。有り難かったのは糸を視認しているのが単なる視覚とはまた別物――霊視と呼ばれる能力だったことだ。でなければとっくに見えなくなっている。
三人は兎に角歩いて歩いて、いつの間にか繁華街の片隅にやって来ていた。祭りの外れのようにひっそりとしたその場所は、街の喧騒を流れ込ませながらもひっそりとしている。祭りの屋台がちょうど途切れる辺りのような、静粛とは違うどこか物悲しい静けさが、その場にはあった。
そのうちの一軒に、電飾看板さえ出ていない一軒の店に、追って来た『糸』は吸い込まれていた。
「にしても……補導されそうだなー」
やはり大きな息を吐き出した隼が辟易とした様子で周囲を見渡した。
ここへたどり着くまでに通った道すがらにあったものと言えば、バーにヘルスにホストクラブ……繁華街と言うよりはきっぱりと風俗街と言い切れるラインナップである。
「ま、なんかおかげで裏も見えてきたけどね」
漸く呼吸を整えた桜夜が肩を竦めて見せる。シャルロットはそれに大きく頷いた。
帰らなくなった男と風俗街。
随分と俗な印象ではあるが、確かにそこにラインが見える。
「……では、行きましょう……」
シャルロットの誘いに、二人は神妙に頷いた。
店内、と言ってしまっていいのかどうか、図りかねる様相を、その内装は呈していた。
まず玄関。そして続くのは廊下。まるで一軒家のようだが、ただ一つ、一軒家とは異なる箇所があった。空気である。
中に入った途端に空気は一変した。
濃密な何かが纏わりついてくるような、敢えて例えるならサウナのスチームに濃厚な香水を交えたような、そんな空気だった。
芳しくも息苦しい。
「なに、これ…っ！」
嫌悪に眉を顰め、それでも抑えた声で桜夜が吐き捨てる。口元を抑えて蹲りそうになった桜夜を、隼が慌てて支えた。
しかしその隼はきょとんとしている。
「……そんなヒデエか？」
「酷いわよ！ 隼あなたどっかおかしいんじゃないの？」
「そう言われてもなあ……まあなんかいい匂いはするけどな」
「そんな可愛いもんですか！」
「……いいえ……」
シャルロットは頭を振った。
桜夜が拒絶し、自分もまた不快であり、しかし隼は感じない。そして男たちはここから戻らない。そこから導きだされる図式は明らかだ。この濃密な空気は恐らく……
「……男性にだけ、居心地がいいのでしょう」
シャルロットの言葉に、桜夜は益々眉間の皺を増やした。
「隼ぁ？」
「まあな。悪くねぇよ、この空気」
「うっわ、サイッテー！」
「しょうがねえだろ、感覚の問題なんだからよ」
痴話喧嘩もどきを始める二人を余所に、シャルロットは先へと続く廊下をじっと眺めた。
この先に男たちは居るのだろう。彼らにとって居心地のいいこの空間に包まれて。
それは一概に悪い事とは言えない気がした。
だが、そう思いかけた瞬間シャルロットの脳裏を過ぎったのは、芽衣子の姿だった。強さの光輝を纏う少女の切ない後姿。
「……返して、貰いましょう。この香りの、元を消し去って……」
唇から思わず滑り出た声は意外なほどの強さを持っていた。痴話喧嘩中の二人もはっと息を飲む。
そしてその刹那、その声を聞きつけたかのように、彼女は現れた。
『何故？』
シャルロットは肌が粟立つのを感じた。
現れたのは一見した所ただ当たり前の女に過ぎなかった。だがそれは一見でしかなかったが。
オフホワイトのざっくりとしたセーターに、濃紺のタイトスカート。肩を過ぎるほどの髪を首の後ろで一つに結わえている。本当に極当たり前の、『奥さん』を連想させる女だったが、その美貌は例えようもなかった。味けない服装だからこそだろう、その美貌は更に水際立っている。服装やメイク、アクセサリーのフォローなど必要がないほど、その女は整った顔をしていたのだ。
女はにっこりと笑った。
「いらっしゃいませ」
「あー、いや。お邪魔します」
反射的にだろう、頬を赤らめた隼が頭を掻きつつそう返す。途端に桜夜がそれに噛み付いた。
「隼ぁ！」
「あ、…いやなあ？」
意識を引き戻されたのか、隼は桜夜を見つめ、目を瞬かせる。
女は口元に手を当て、コロコロと笑った。
「あらあら。可愛らしいお嬢さん連れではこの家の住人にはなれませんよ？」
「……それは、どういう、意味なのかしら……？」
「ここは癒しの館。私の手だけを必要とする男性の楽園なのですから」
「だけ、ですってぇ？」
桜夜は口元を吊り上げて女を睨み据えた。女はゆったりと、その美貌に慈母のような笑みを浮かべる。
「ええ、私だけ。私を求める人達の……ここは楽園です」
どうぞ、と女は道を譲る。
差し出された細い腕が途方もなくおぞましいもののように思われて、シャルロットは我知らず眉を顰めた。
通された部屋には既に先客があった。人数で言うなら多数の。その多数は確かに『客』だ。戻るべき場所を他に持つ男たちだ。
そして招かれざる、と言う意味での先客もあった。
「それでいいの？」
二人の女が写真で見た芽衣子の父親と同じ顔をした男に詰め寄っている。どちらも細身の長身の女だった。
「あ」
桜夜が小さく声をあげる。それに片方の女が振り返った。
「あら」
苛立ちの余波を残したまま、女はすっと立ち上がる。どうやら隼や桜夜と面識があるらしい。もう一人の女もまた立ち上がった。その顔にも苛立ちの色が濃い。
先に立ち上がった女はシュライン・エマ（しゅらいん・えま）、もう一人の女は冴木・紫（さえき・ゆかり）と、それぞれ名乗った。
「来てたんだ。で、彼が……？」
「芽衣子ちゃんの父親。……看板下ろすべきだと思うくらいふやけきってるけどね」
ソファーに腰を下ろした男を顎で示し、シュラインが言った。
女が含み笑いを漏らした。
「おわかりでしょう？ これで」
女はゆっくりとした歩みで芽衣子の父親に歩み寄りシュラインと紫を押しのけて腕を述べる。父親はその腕にうっとりと身を委ねた。写真では堅い印象だった芽衣子の父親の顔は今は弛緩仕切った幼子のようだった。
「彼らは私だけが必要で、私の癒しが欲しくてここに居る。それだけのこと」
縋りついて来る男を抱きしめ、女は勝ち誇ったように笑う。
その姿にシャルロットの脳裏に閃くものがあった。
「……アニマ……」
「アニマ？」
桜夜が小首を傾げる。
「……男性の無意識裏に存在する女性的なもの……男の求める女……」
「つまり男にとって都合のいい女ってこと？」
桜夜の問いかけにシャルロットはこくりと頷いた。
「そして女の願望……」
女は芽衣子の父親を見せつけるように抱きしめて笑う。
聖母のように美しい顔に、魔女の笑みを湛えて。
それは欲望の図式だった。
都合のいい癒しと、都合のいい崇拝。
慈母の腕を求める男が生んだ女。そして崇拝される事を望んだ女が引き寄せた男。
純然たる、欲望の生んだ歪みだ。
それは本当に癒しだろうか？
「っふざけんじゃないわよ！」
桜夜は声の限りに叫んだ。それでも芽衣子の父親は女の腕から逃れようとはしない。女もまた――そう純然たる『女』もまた芽衣子の父親を離そうとはしない。
「あなた家があるんでしょう！ 娘さんがどれだけ心配してどれだけ傷ついてると思うのよ！」
「桜夜！」
殴りかかろうとする桜夜の腕を隼が掴む。桜夜はその腕を振り払って尚も叫んだ。
「不自然じゃないの！ 家族と、その女と！ どっちが本当にあなたにとっての『癒し』なのよ！」
「その通りね」
シュラインが冷たい目で抱き合う二人を見下ろした。
これだけの騒ぎが起きていながら、部屋に集う他の男たちは微動だにしない。明らかに正気ではないのだ。
「何をどうやってこの人達を取り込んだのか知らないけど……正気でないならそんなもの癒しでもなんでもないわ」
紫もまた大きく頷く。
「なんか惨めよねー、都合のいい女になっておまけに正気でなくさなきゃ男の一人も誑かせない訳？」
自力で騙すわよ私なら。
ふふんと鼻を鳴らす紫をシュラインが呆れたように見やる。
「威張って言う事？」
「こんなの相手ならいくらでも威張れるわよ」
汚らわしいものでも見るような目で、紫は女を見据えた。
だが、そこまでの侮辱を与えられていながら女は微動だにしなかった。
「それで？」
あっさりと返してきた女に、一同の顔が強張る。
「それで？ あなた方はどうなさるおつもり？」
「……く」
桜夜が歯噛みする。
どうしようもないのだ。こうして女が芽衣子の父親を抱きかかえている以上、下手な攻撃を仕掛けるわけにも行かない。
いいや芽衣子の父親だけではない。この部屋に、この家に、集う総ての男が『女』にとって潜在的な人質だった。
誰も動けない。
その刹那、空間が割れた。
「お父さん！」
悲痛な叫びが、その異様な空間に響いた。
どこまでも現実なその叫びに、男が反応したのは、『父親』ゆえか。
「チャンス！」
即座に桜夜が符を構える。
腕の拘束から抜け出した『父親』と『女』の隙間を縫うように放たれた式がその場に割り込み『女』を拘束する。
「隼！」
呼びかけるまでもなく、隼は既に上体を低く屈め跳躍の体勢に入っていた。桜夜の声が響くと同時にその足がフロアを蹴った。しなやかに飛んだその体は『女』の腹部に見事に拳を入れる。隼は拳に弾かれかかった体を掴み、その勢いを相殺するように父親から引き剥がした。
「きゃ…」
そして、その女の体を、断ち割れた空間から現れた男が唐竹から真っ二つに断った。
血は飛び散らなかった。
代わりに女の体は花弁へと変じ、散った。
その意味するところ、陰陽にして女陰。
真紅の、牡丹の花弁だった。
「お父さん……」
父親に取り縋り、芽衣子が号泣している。その肩を、父親の手が抱いていた。
空間を断ち割り、芽衣子を連れて現れた男は志堂・霞（しどう・かすみ）と名乗った。
「いいタイミングで現れたわねー」
紫が感心したように言う。今回ばかりは、と付け加えるのを忘れはしなかったが。
シャルロットは床に散った牡丹の花弁を一枚、拾い上げた。それを桜夜が覗き込んでくる。
「結局……なんだったわけ？」
「女、だったんだろ」
隼の言葉に、シャルロットは頷いた。
「そう……女の……愛されたいと言う欲望と……男のアニマが作り出した……『女』……」
「所詮はまがい物のね」
シャルロットと同じように花弁を拾い上げたシュラインが言う。
部屋の中はざわつき始めていた。
まがい物の『癒し』が消えたことで、男たちは正気に戻りつつある。
「ヤバ。さっさと退散しましょ」
紫の言葉に、総員否やはなかった。
部屋のドアを最後に潜ったシャルロットは、そこからそっと部屋の中を盗み見た。
強さの光輝を纏う少女の切ない後姿。その切なさが今はない。
芽衣子は父親を抱きしめていた。
本物の癒し。
本物の女神の腕を持って。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【1021 ／ 冴木・紫 ／ 女 ／ 21 ／ フリーライター】
【1158 ／ シャルロット・レイン ／ 女 ／ 999 ／ 心理カウンセラー】
【0072 ／ 瀬水月・隼 ／ 男 ／ 15 ／ 高校生（陰でデジタルジャンク屋）】
【0444 ／ 朧月・桜夜 ／ 女 ／ 16 ／ 陰陽師】
【0086 ／ シュライン・エマ ／ 女 ／ 26 ／ 翻訳家＆幽霊作家＋時々草間興信所でバイト】
【0935 ／ 志堂・霞 ／ 男 ／ 19 ／ 時空跳躍者】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、里子です。今回は参加ありがとうございます。
今回は何やら痛いお話になっております。
痛いといえば私はどうも良く階段から落ちるのですがこれがまたとても痛いです……イヤほんとに。
お話の方は何と言うか痛い女の話といいますか。痛い女と情けない男のお話ですね。癒し系とかって良く言いますけど、そんな簡単な事でもないよなーと思って生まれたお話です。
今回はありがとうございました。機会がありましたらまたよろしくお願いいたします。ご意見などお聞かせ願えると嬉しいです。
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