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東京怪談・草間興信所「女神の腕(かいな)」
■オープニング■
「父が帰ってこないんです」
寺井芽衣子はきっと草間を見つめてそう言った。
顔色は悪いが目は活力を失ってはいない。意志の強さを伺わせる態度だった。中学生だろう、未だ制服に着られている観のある年頃の少女にしては珍しい。
「行方不明だと?」
一昔前で言うなら蒸発。突然の失踪。興信所への依頼としては実に一般的である。そうでなかろう予想はついていたが、草間は芽衣子にそう切り出した。
やはり芽衣子は頭を振った。
「いいえ。会社にも出てます。居場所はわかっているんです。……ただ、会うことが出来ないんです」
父親は普通のサラリーマンで毎日通勤しているという。ただ帰ってこない。携帯などには出ることもあるし、会社に電話をかけて電話口に呼びだすことも出来る。だが顔を見せてはくれない。
「同じ電車に乗ってみたり、会社の前で張って見たりもしました……でも父に会うことは出来なかったんです」
幾度繰り返してもすれ違う。避けられているのだとしても、幾らなんでも奇妙だと芽衣子は訴えた。
「……いえ、避けられているのでもいいんです。ただ、どうして父が帰ってこなくなったのか、それが分れば」
携帯に出た父は芽衣子に言ったという。
『今父さんは癒されてるんだ。……頼むから邪魔はしないでくれ」
芽衣子は苦渋をその顔に上らせた。
家は、家族は、癒しの場所ではないというのか。それを邪魔といって、癒されているという。それに芽衣子は強い憤りと悲しみを感じている。
どうかと深く頭を下げて、芽衣子は帰っていった。
「……兄さん……」
零がそっと差出してきたファイルを開き、草間は嘆息した。
『恋人が』『夫が』『兄が』『父が』『息子が』『娘婿が』家に帰ってこない。蒸発ではなく、日常生活を送っていながらただ家に帰らない男達。
すべてここ数日で持ちこまれた依頼だった。
「……癒す、か」
ポツリと、草間は呟いた。
■本編■
シュライン・エマ(しゅらいん・えま)はパソコンの画面を睨んで呻き声を上げた。
失踪者の――それを失踪者と呼ぶことが適切かどうかは分らないが――足跡は分る限りを聴き取ってデータとしてパソコンに打ちこんである。
「何かわかったか?」
ぽんとデスクの上に付かれた手の指の間に火のついた煙草。草間武彦はシュラインの背後からパソコンのモニターを覗き込んだ。シュラインは顎を傾けて草間を見上げ首を振った。
「さっぱり。住所も年齢もまちまちだし、職業も特にこれってものは無いわね。居なくなった日もまあここ最近って限定だから重なった人も居るけどそこに法則性が見出せるようなものでもないわ」
「だろうな」
今度はデスクに腰を上げて、草間はふかりと煙草を吹かす。煙にほんの僅か目を細めたシュラインは、椅子のキャスターを動かして煙から体を遠ざけた。
「だろうって事は予想はついてたの?」
「予想以前の問題だな」
草間はまだ大分長い煙草をもみ消し、新しい一本を口に咥えた。それに火が点されていないのは、シュラインへの気使いだろう。
「そのデータの、データになる前の聴き取りをしたのは俺だからな。法則性が無いことぐらいは気付くさ」
「だったら先に教えといてくれない? 時間の無駄じゃないの」
「聴き取っただけでデータを参照したわけじゃない。何か見つかる可能性を否定することもないだろう?」
はいはい、と言って、シュラインは眼鏡を外し立ちあがった。
「要するにデータを見て自分で確認作業をするのが面倒だったわけね」
「……」
草間は無言で煙草に火を付けた。都合が悪くなるとこうして口を塞いでいてもおかしくない状況を作るのは草間の、と言うよりは喫煙者の多くに共通する癖だろう。
シュラインは溜息をつくとさっさと上着に袖を通し、出入り口のドアへと
歩み寄った。ドアノブに手をかけたまま、草間を振り返る。
「じゃあ行って来るけど。『これ以上』時間は無駄にしたくないから灰の始末もコーヒーを淹れるのも放棄させて貰うわ」
「おいエマ……」
「じゃ」
追ってきた手を振り払うように、シュラインは荒々しく事務所のドアを閉めた。
冴木・紫(さえき・ゆかり)は終業時間を見計って芽衣子の父親の勤める会社までやってきていた。目的は一つ、その父親の後をつける為だ。家に帰らないなら他に『帰って』いる場所があるだろうから。
例によって喫茶店に入る金など無い。紫は途中で買って来たあたたか〜いお飲物を片手に、正面で入口の脇にこっそりと身を潜めた。完全に死角とまでは行かないが、帰宅しようと言うのにわざわざこんな場所に注意を払おうと言う人間も居なかろう。
カコンと音を立ててあたたか〜いお飲物の封を切った紫は、ちょうど近くにあった手すりに腰掛けて、そのビルを見上げた。高層ビルと呼んで差し支えのないそのビルは総合商社の持ち物のようで、忙しなく人が出入りしている。都内にこれだけの物件を本社ビルとして保持しているなら、まあ一流と呼んで構わない会社なのだろう。
「おまけに……」
紫は大分温くなってしまっているあったか〜いお飲物を眉を潜めて一口飲み下し、空いたもう片方の手でコートのポケットを探った。人差指と中指の間にはさんでつまみ出したものは一枚の写真、正しくは一枚の写真のカラーコピーだった。書斎だろうか居間だろうか、落ちついたチーク材を背景に一人の男がこちらを見ている。不惑にまだ届かない、しかし青年期は疾うに脱した年齢の男性だった。男盛りの照りを手に入れ始める時期のその男の顔は多少硬い印象は有るものの充分に魅力的だった。
いや、
「……かなりいい男よね、このパパ」
一流商社に勤める容姿の整った男。草間興信所で見たどの男の経歴も顔写真も、思えばそうだった。弁護士、検察官、判事の司法の難関を突破した法曹関係者を筆頭に、医者、官僚、最高学府学生、スポーツ特待生の高校生。加えて特にタイプが一律であるわけではないが整った容姿。どれをとっても『美味しい』と紫が思うだけの男達だった。
「人生に充分潤いありそうに見えるんだけどねー」
「全くね」
突如として背後から響いた声に、紫は文字通り飛び上った。取り落しかけたあたたか〜いお飲物を何とか確保して振り返ると、一段低くなっている手すりの向こう側に見知った女の姿があった。
「エマさん……毎度心臓に悪い登場で」
シュラインは肩を竦め、その年齢の女性には有るまじき事だが軽いステップで手すりを飛び越え、紫の隣に腰掛けた。
「そう思うならいい加減に気付けるようになったら?」
「背中に目がついてるわけじゃないのよねー私。平凡で無害なただの女だし」
シュラインは呆れたような目で紫を見やった。しかし声に出しては何も言わなかった。言っても無駄だと知っているからだ。
「で、やっぱりエマさんもパパ探しに来たわけ?」
「まあね。とりあえずちょっと聞きこんで来たんだけど……」
歯切れの悪いシュラインの口調に、紫は結果が芳しくないことを悟った。肩を竦め片目を瞑って見せる紫に、シュラインはふふ、と苦笑した。
「とりあえず……んー失踪者って言うか、まあこの際失踪者ね、足跡に共通項は無いわね。帰らなくなったわけだから、失踪した時間帯は似通ってるんだろうけど……」
「意味無いわねー情報としては」
真実『失踪した』なら兎も角、所在は分っていてただ『帰らない』ではその情報に意味など無い。
頷いたシュラインは剃り返るように首を傾け目の前のビルを見上げた。
「聞きこみの結果も同じね。家に帰ってない、なんて、誰も気付いてもいないのよ」
最近は自宅からの私用電話が多いようだ、変ったところと言えばそれだけだと、同僚達は揃って証言した。
紫は目を瞬いて、隣に腰掛けたシュラインの横顔を見つめた。
「会社に入ってたの? じゃあ、パパ御本人にも会えたんじゃない?」
「中座中。企画営業部って事だから不自然ではないけど……」
やはりシュラインの声は歯切れが悪かった。不自然ではないが釈然としない。
紫は一つ頷き、手の中のカラーコピーに視線を落した。
「……共通項ねえ……有るって言えば有るんじゃない?」
「……イイ男だって事?」
シュラインは紫の手元を覗き込んだ。そこにあるのは際立って魅力的な男性像だ。
「……でもそれこそ意味の無い情報じゃないの?」
「案外、その辺りかもしれないわよ。『癒す』なんて如何にも『女』じゃない」
言いつつも紫はその発想に、ざわりと背筋が湧き立つのを感じた。
素人が後を着けるのは、相手が素人であろうとも容易い事ではない。シュラインの音に反応する能力が助けてはくれるが、二人は神経を磨り減らして、芽衣子の父親の後を着けていた。
定期券を使って改札を潜った父親が、自宅とは真逆の山手線のホームへ向うのを見て、シュラインは眉を潜めた。
「とことん帰る気は無いようね」
「っていうか帰るんでしょ。――家じゃない別のトコへ」
それは帰ると、言うのだろうか?
「……どこへ」
シュラインはポツリと呟いた。
本来ならばそれこそ癒しの場所であるはずの家族の元を離れて、芽衣子の父親は、いや彼らは一体何処へ行こうというのだろうか?
シュラインは同じ車両に乗りこんだ芽衣子の父親の顔をそっと盗み見た。
その端正な顔は、期待と安らぎに満ち溢れている。
そんな気がして胸が押された。
「……本気?」
「私に聞かないでくれる?」
思わずと言った様子で紫がシュラインに問い掛けてくる。シュラインもまた紫同様困惑の表情を隠せなかった。
ビルの前を出発した時にはまだまだ高い位置にあった太陽は、とっくの昔に沈んで辺りは夜の気配に包まれていた。芽衣子の父親を追って、二人はいつの間にか繁華街の片隅にやって来ていた。祭りの外れのようにひっそりとしたその場所は、街の喧騒を流れ込ませながらもひっそりとしている。祭りの屋台がちょうど途切れる辺りのような、静粛とは違うどこか物悲しい静けさが、その場にはあった。
そのうちの一軒に、電飾看板さえ出ていない一軒の店に、追って来た芽衣子の父親は入っていったのだ。
「ちょっとこれは幾らなんでも酷くない?」
「……酷いって言うか……酷いわねきっぱりと」
二人は同時に溜息を落して周囲を見渡した。
ここへたどり着くまでに通った道すがらにあったものと言えば、バーにヘルスにホストクラブ……繁華街と言うよりはきっぱりと風俗街と言い切れるラインナップである。
帰らなくなった男と風俗街。
随分と俗な印象ではあるが、確かにそこにラインが見える。見たくも無いラインだが。
「なんか……紫ちゃんの予想当ってない?」
言われてうーんと紫は唸った。
確かに『癒す』なんて如何にも『女』じゃないと言ったのは紫だ。風俗は応用的には兎も角基本的には男性主体のもので、だからもてなす側として『女』が絡んでいるのは確かだろうが……
「……なんか違う……」
芽衣子の口から語られた父親像と、そしてあの一流商社、風貌。間接的な印象でしかないが、そこから導き出されるものと風俗とはあまりにもそぐわない。
「風俗行かなくても女に不自由しそうに無い男ばっかりだった気がするんですけどー」
「なにか夢中になるようなテクニックでも有るのかもしれないわよ?」
「うっわ、おねーさん下品です!」
「誰が肉体的な事だって言ったのよ?」
はい? と紫が小首を傾げるとシュラインはからかうようにぬっと紫のそれに顔を寄せた。間近に迫った整った硬質の美貌を見つめ、紫ははい? ともう一度繰り返した。
「精神的な、よ?」
「えーと?」
「あんた自分で言ったじゃないの、人生に充分潤いありそうに見えるって。肉体的な快楽に溺れてくようなタイプじゃないわ。そんな快楽なら望めば幾らでも――それこそ風俗なんかこなくても不自由しないはずよ。だったら……」
「精神的な快楽――『癒し』か」
成る程と頷いた紫は、その地味すぎる店らしきものをもう一度とっくりと見つめた。
真正面からぶち当たって、どうなるというものでも恐らく無いだろう。
「とりあえず裏口探さない?」
「オーケイ」
頷きあった二人はこそこそと路地裏へと消えた。
店内、と言ってしまっていいのかどうか、図りかねる様相を、その内装は呈していた。
首尾よく見つけた裏口から浸入を果した二人はまずその様相に驚いた。
サンダルが一足だけ置かれているその出入り口は、丸っきり普通の民家の勝手口と変らなかった。入ってすぐのそこは台所となっており、ガスコンロや流しが設置されている。
だが、ただ一つ、一軒家とは異なる箇所があった。空気である。
中に入った途端に空気は一変した。
濃密な何かが纏わりついてくるような、敢えて例えるならサウナのスチームに濃厚な香水を交えたような、そんな空気だった。
芳しくも息苦しい。
「なに、かしらね?」
「わかんないけど……ちょっとこれは…堪んないわねー」
圧迫してくる濃密な空気。それはまるでシュラインたちの来訪を頑なに拒んでいるようでもある。
「ねえ、この中に入っていったわよね、パパ」
「そうね」
「なんでこんなトコに平然と入っていけるのよ? 正気じゃないわよかなり」
忌々しげに吐き捨てる紫の顔は苦痛に歪んでいる。慣れて鼻が馬鹿になってしまえば話は別なのだろうが、それまでには相当の苦痛を覚悟せねばならぬようだ。
嫌悪に眉を顰め、シュラインもまた吐き捨てた。
「だから正気じゃないんでしょ、かなり」
「成る程」
「さっさとお父様見つけて退散しましょう。とにかくまずそれからだわ」
シュラインの意見に、紫は速攻で頷いた。
裏口の造りが一軒家なら、家そのものの造りもまた立派に一軒家だった。
然程多くも無いドアの一つを開けてその中に滑り込むと、二人はその部屋であっさりと目当ての男を見つけた。
目当ての男達を。
息苦しい空気の中広めのリビングでくつろぐ男達の表情はどこか亡羊としている。いやこれは、恍惚としている、と言うべきなのかも知れない。どの写真にも有った一己の男としての自負は消え去り、弛緩した飼猫のような情けなさが漂うばかりだった。
「……確かに正気じゃないわ、かなり」
「全くね」
二人は顔を見合わせると、とりあえずとばかりに中央のソファーに座している芽衣子の父親に近づいた。
父親は足音に気付いたか顔を上げたが、二人を見てすぐにまた顔を下した。どこか落胆するような仕草だった。
紫は父親を指差して唇を尖らせた。
「なんか失礼なんですけどこの男ー」
「人様を指差してる紫ちゃんも充分失礼よ」
きっぱり言って、シュラインは芽衣子の父親の側に膝を付いた。
「寺井さん?」
「はい……?」
「寺井芽衣子さんのお父様ですね?」
父親がその名に反応するまでにはたっぷり三つ数えられるほどの間があった。
「ああ、ええ、はい」
紫は眉を顰めた。まるで今思い出したというような、そんな反応だこれは。
「その、寺井芽衣子さんのお父さんが、娘も奥さんもほったらかしてこんなところで何をしてるのよ?」
「……何を、とは? 私は帰ってきただけですが……?」
紫とシュラインは互いの目を見交わしあった。
社内に居るときは分らない。だが今確かにこの男は正気ではない。
「寺井さん、あなたの帰る場所はここじゃないでしょう?」
嫌悪に眉を顰めつつも、シュラインは辛抱強く父親の肩を叩く。だが男は亡羊とした表情のまま、ポツリと、言った。
『何故?』
「それでいいの?」
紫は殴り飛ばしたいのを必死で堪え、父親に詰寄った。言うに事欠いて『何故』だ。妻も娘も、この男の意識には無い。ただそれは記号化された知識としてのみ、存在する事柄なのだ。
背後のドアが開いた気配にも二人は気付かなかった。
「あ」
小さな声が鼓膜に届き、二人は登場人物が増えたことをその時初めて知った。
「あら」
苛立ちの余波を残したまま、シュラインはすっと立ち上がる。増えた登場人物の中にいくらか見知ったものを見つけたからだ。紫もまた立ち上がった。その顔にも苛立ちの色が濃い。
増えた登場人物は四人。少年と少女と女、そして女がもう一人。
見知った少年は瀬水月・隼(せみづき・はやぶさ)、少女は朧月・桜夜(おぼろづき・さくや)。女はシャルロット・レイン(しゃるろっと・れいん)と名乗った。
「来てたんだ。で、彼が……?」
「芽衣子ちゃんの父親。……看板下ろすべきだと思うくらいふやけきってるけどね」
ソファーに腰を下ろした男を顎で示し、シュラインは言った。
名乗らなかった女が含み笑いを漏らした。
一見した所ただ当たり前の女に過ぎなかった。だがそれは一見でしかなかったが。
オフホワイトのざっくりとしたセーターに、濃紺のタイトスカート。肩を過ぎるほどの髪を首の後ろで一つに結わえている。本当に極当たり前の、『奥さん』を連想させる女だったが、その美貌は例えようもなかった。味けない服装だからこそだろう、その美貌は更に水際立っている。服装やメイク、アクセサリーのフォローなど必要がないほど、その女は整った顔をしていたのだ。
「おわかりでしょう? これで」
女はゆっくりとした歩みで芽衣子の父親に歩み寄りシュラインと紫を押しのけて腕を述べる。父親はその腕にうっとりと身を委ねた。写真では堅い印象だった芽衣子の父親の顔は今は弛緩仕切った幼子のようだった。
「彼らは私だけが必要で、私の癒しが欲しくてここに居る。それだけのこと」
縋りついて来る男を抱きしめ、女は勝ち誇ったように笑う。
シャルロットがポツリと言った。何か脳裏に閃くものがあったのだろう。
「……アニマ……」
「アニマ?」
桜夜が小首を傾げる。
「……男性の無意識裏に存在する女性的なもの……男の求める女……」
「つまり男にとって都合のいい女ってこと?」
桜夜の問いかけにシャルロットはこくりと頷いた。
「そして女の願望……」
女は芽衣子の父親を見せつけるように抱きしめて笑う。
聖母のように美しい顔に、魔女の笑みを湛えて。
それは欲望の図式だった。
都合のいい癒しと、都合のいい崇拝。
慈母の腕を求める男が生んだ女。そして崇拝される事を望んだ女が引き寄せた男。
純然たる、欲望の生んだ歪みだ。
それは本当に癒しだろうか?
「っふざけんじゃないわよ!」
桜夜は声の限りに叫んだ。それでも芽衣子の父親は女の腕から逃れようとはしない。女もまた――そう純然たる『女』もまた芽衣子の父親を離そうとはしない。
「あなた家があるんでしょう! 娘さんがどれだけ心配してどれだけ傷ついてると思うのよ!」
「桜夜!」
殴りかかろうとする桜夜の腕を隼が掴む。桜夜はその腕を振り払って尚も叫んだ。
「不自然じゃないの! 家族と、その女と! どっちが本当にあなたにとっての『癒し』なのよ!」
「その通りね」
シュラインが冷たい目で抱き合う二人を見下ろした。
これだけの騒ぎが起きていながら、部屋に集う他の男たちは微動だにしない。明らかに正気ではないのだ。
「何をどうやってこの人達を取り込んだのか知らないけど……正気でないならそんなもの癒しでもなんでもないわ」
紫もまた大きく頷いた。
「なんか惨めよねー、都合のいい女になっておまけに正気でなくさなきゃ男の一人も誑かせない訳?」
自力で騙すわよ私なら。
ふふんと鼻を鳴らす紫をシュラインが呆れたように見やる。
「威張って言う事?」
「こんなの相手ならいくらでも威張れるわよ」
汚らわしいものでも見るような目で、紫は女を見据えた。
だが、そこまでの侮辱を与えられていながら女は微動だにしなかった。
「それで?」
あっさりと返してきた女に、一同の顔が強張る。
「それで? あなた方はどうなさるおつもり?」
「……く」
桜夜が歯噛みする。
どうしようもないのだ。こうして女が芽衣子の父親を抱きかかえている以上、下手な攻撃を仕掛けるわけにも行かない。
いいや芽衣子の父親だけではない。この部屋に、この家に、集う総ての男が『女』にとって潜在的な人質だった。
誰も動けない。
その刹那、空間が割れた。
「お父さん!」
悲痛な叫びが、その異様な空間に響いた。
どこまでも現実なその叫びに、男が反応したのは、『父親』ゆえか。
「チャンス!」
即座に桜夜が符を構える。
腕の拘束から抜け出した『父親』と『女』の隙間を縫うように放たれた式がその場に割り込み『女』を拘束する。
「隼!」
呼びかけるまでもなく、隼は既に上体を低く屈め跳躍の体勢に入っていた。桜夜の声が響くと同時にその足がフロアを蹴った。しなやかに飛んだその体は『女』の腹部に見事に拳を入れる。隼は拳に弾かれかかった体を掴み、その勢いを相殺するように父親から引き剥がした。
「きゃ…」
そして、その女の体を、断ち割れた空間から現れた男が唐竹から真っ二つに断った。
血は飛び散らなかった。
代わりに女の体は花弁へと変じ、散った。
その意味するところ、陰陽にして女陰。
真紅の、牡丹の花弁だった。
「お父さん……」
父親に取り縋り、芽衣子が号泣している。その肩を、父親の手が抱いていた。
空間を断ち割り、芽衣子を連れて現れた志堂・霞(しどう・かすみ)は散った花弁を呆然と見下ろしている。珍しくも目元に布は巻いていなかった。
「いいタイミングで現れたわねー」
紫が感心したように言う。今回ばかりは、と付け加えるのを忘れはしなかったが。
シャルロットが床に散った牡丹の花弁を一枚、拾い上げた。それを桜夜が覗き込んでいる。
「結局……なんだったわけ?」
「女、だったんだろ」
隼の言葉に、シャルロットが頷いた。
「そう……女の……愛されたいと言う欲望と……男のアニマが作り出した……『女』……」
「所詮はまがい物のね」
シャルロットと同じように花弁を拾い上げ、シュラインは言った。
部屋の中はざわつき始めていた。
まがい物の『癒し』が消えたことで、男たちは正気に戻りつつある。
「ヤバ。さっさと退散しましょ」
紫の言葉に、総員否やはなかった。
喧嘩腰で出てきた事務所に戻ると、その事務所の主は相変わらず煙草を吹かしていた。最早怒る気にもならない。それどころか酷くほっとする自分に、シュラインは内心呆れないでもなかった。
「ねえ、武彦さん?」
「ん?」
脱いだ上着をハンガーにかけながら、なんでもないことのようにシュラインは問い掛けた。
「武彦さんにとっての癒しってなにかしらね」
ポロリと、草間の口に咥えられた煙草から大きな灰の塊が落ちた。慌てて灰のついた服をぱたぱたと叩き、草間はシュラインを盗み見た。シュラインは普段どおりに上着を締ってしまうと、やはり普段通りにデスクの上のパソコンを立ち上げようとしている。
「そう、だな」
「ん?」
「灰を片付けてくれて、美味いコーヒーを淹れてくれればそれが癒しだな」
シュラインは驚いてパソコンから顔を上げた。草間は先刻のシュライン同様、なんでもないことのような顔で煙草を吹かしている。
シュラインはくっくと小さく含み笑いを漏らした。
つまり、その程度のことが、多分本当に必要な癒しというものなのだろう。きっと誰にとっても。
シュラインはあの不思議な空間をでる直前に見た光景を思い出した。
彼は、父親は帰るのだ。
芽衣子は父親を抱きしめていた。
本物の癒し。
本物の女神の腕を持って。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【1158 / シャルロット・レイン / 女 / 999 / 心理カウンセラー】
【0072 / 瀬水月・隼 / 男 / 15 / 高校生(陰でデジタルジャンク屋)】
【0444 / 朧月・桜夜 / 女 / 16 / 陰陽師】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0935 / 志堂・霞 / 男 / 19 / 時空跳躍者】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、里子です。再度の参加ありがとうございます。
今回は何やら痛いお話になっております。
痛いといえば私はどうも良く階段から落ちるのですがこれがまたとても痛いです……イヤほんとに。
お話の方は何と言うか痛い女の話といいますか。痛い女と情けない男のお話ですね。癒し系とかって良く言いますけど、そんな簡単な事でもないよなーと思って生まれたお話です。
今回はありがとうございました。機会がありましたらまたよろしくお願いいたします。ご意見などお聞かせ願えると嬉しいです。
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