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蛍の詩
<オープニング>
「ここでいいわ」
麗香はそう言うとタクシーから降りた。
もう深夜だ。連日の残業で麗香は疲れ果てていた。
「あら?」
道路の隅に何か見える。猫の死骸だ。
そのとき、猫の体から丸い光が出てきた。その淡い光は宙を漂う。
「どうゆうこと?」
麗香は眼でその光を追う。それは宙に浮いている少女の掌に収まった。
少女は何故かパジャマを着、周りには無数の光が浮遊していた。
おそらくそれらも他の魂なのだろうが、光はまるで蛍のようだ。
「あなたは何をしているの?」
麗香は少女に呼びかけた。
少女は眠そうに麗香を見た。
そして何か言ったが、麗香には聞き取れなかった。
そのまま少女は空遠く離れていく。
麗香はじっと少女の後姿を見ていた。
高級マンションの十一階の、一番見晴らしの良い部屋。
斎悠也はいつものように朝食を作っていた。
「悠也、おはよう」
少し眠た気な声で羽柴戒那がダイニングに来た。赤い髪が柔らかく揺れている。
「おはようございます。朝食も、もう出来ますよ」
そう言いながら悠也は料理をフライパンから皿に移す。
「手伝うよ」
普段しているように戒那は皿を受け取ると、テーブルに並べた。
朝食は和食なことが多い。悠也はホスト業なため、朝には食欲が少ないこともあるが、朝食は少し無理をしてでも和食をしっかりと食べた方が頭の回転が早くなる。『精神を健康に保ちたいなら、まず食事睡眠など身体の健康を保つこと』……これは戒那の心理学者としての意見だ。
焼き魚に箸をつけていた戒那が顔を上げた。
「電話だ」
悠也が受話器を上げた。相手は番号を見たからわかっている。
「碇さん、どうしたんです?」
「ちょっと頼みたいことがあるのよ。個人的に調べてもらいたいだけだからボランティアみたいになるけど」
「かまいませんよ」
悠也は戒那も話を聞けるように、ハンズフリーに変えた。
電話を終えて悠也は戒那を見た。
「戒那さん、どうします?」
「さっきの依頼は受けるとして……俺は幽体離脱もしくは生霊のたぐいだと思うが、お前はどう思う?」
戒那は食後の紅茶を一口飲むと悠也に訊いた。
「そうですね……生霊な気もしますが死霊の可能性もありますね」
「確かにな。これだけの情報では推測の域を出ないか。とりあえずアトラスに行こうよ、返すものもあるし。女史に会ってサイコメトリーすれば何か判るかもしれない」
そうですね、と悠也は頷いた。
「じゃあ出かけましょうか」
麗香が少女を目撃したという場所に近いカフェ。
斎悠也、羽柴戒那、九尾桐伯の三人が話し込んでいた。
「少女の件ですが、どう思いますか」
桐伯が戒那に訊いた。
「俺は幽体離脱のたぐいだと思う。もしくは魂を集めていることを呪いとするなら、生霊か……どちらにしろ少女自体は生きているんじゃないかな。悠也、お前はどう思う?」
「俺も戒那さんと似たような意見ですが、死霊の可能性もあると思います。桐伯さんは?」
「パジャマを着ているところから病院で寝たきりになっている子供が幽体離脱をしている、というところでしょうか。とは言え生霊と死霊、どちらも今は断定出来ないでしょう。ですが一つ重大な問題があります。この少女が夜以外の時間にも出現するのかどうかです」
「出ますよ、朝見ましたから」
悠也、戒那、桐伯は声をした方を見た。話に夢中になっていたので気付かなかったが、十二、三歳くらいの表情を陰らせた少女が立っていた。
「ササキビ・クミノです」
少女は無表情のまま自分の名を告げた。
戒那は椅子を勧めた。
「キミも目撃したんだね」
「はい」
クミノは肯定はしたが、それ以上は語ろうとしない。
「それで夜以外にも現れるということで何か問題が起こるのでしょうか?」
悠也が桐伯に先を促す。
「可能性の一つですが。もし幽体離脱だった場合、魂が肉体を離れたまま二十四時間経つと魂は肉体に戻れなくなり、死んでしまいます。夜、眠っている間だけ幽体離脱が行われているのなら問題はないのですが、朝発見されたということは魂はまだ肉体に戻っていないということになりますね」
「それじゃあ、少なくとも碇さんが少女を見つけた時刻までに少女を肉体に戻さないと死んでしまうじゃないですか!」
「あくまで可能性です。まだ少女が幽体離脱をしているのかどうかもわかりませんし、生きているかどうかさえわかっていません。生きていたとしても、生霊ならまた別でしょう」
「俺が調べてくるよ。現場へ行けば判る。すぐそこだから数分で戻るよ」
戒那が立ち上がった。
「行こう、悠也」
「はい」
悠也も席を立った。
「ここですね」
悠也が立ち止まった。目の前に猫の死骸がある。
戒那はそっと近くの塀に触れた。
一人の少女が見える。麗香から少女の特徴を読み取っている戒那には判る。この子がそうだ。
少女だけではない。周りの魂らも映っている。
少女の声が聞こえてくる。
――だが。
戒那は塀から手を離した。
「どうです?」
「……この子生きてるね。でも生霊みたいに怨念があるわけでもないし、幽体離脱でもない。何か願いあって、その願いの部分だけで実体を創っているみたい。それが何の願いなのかは直接触れてみないとわからないよ。あとわかったのは名前くらい」
「そうですか……」
「用は済んだんだ。カフェに戻ろう」
戒那は戻りかけたが、悠也が付いてこない。
「どうした?」
「戒那さん……もしかして、あの子じゃないですか?」
戒那が悠也の視線の先を辿ると、確かに少女がいる。
「そうだよあの子!」
少女は逃げるように身を翻した。
悠也は瞬時に和紙の蝶に息吹を吹き込んだ。蝶は少女の後を追っていく。
「蝶が追いかけますから大丈夫です。俺はプレゼントに花を買ってくるので戒那さんは桐伯さんに連絡を」
「わかった」
戒那は携帯を取り出した。
「こっちです」
蝶の標す通りに悠也が案内する。
少女は小さな公園の中央に佇んでいた。
「ねぇ」
なるべく優しく、戒那は声をかけた。
少女はビクッと肩を震わせたかと思うと、再び背を向けて逃げ出した。
「かえで待って!」
戒那が少女の名前を呼んだ。
少女が立ち止まる。警戒を緩めたらしい。
「私のこと知ってるの?」
「知ってるよ。三橋かえででしょ?」
「……うん」
かえでは戒那の傍に寄って来て、顔を覗き込んだ。
「お姉さんと会ったこと、あったっけ?」
「一回だけ一緒に遊んだことがあったよ。でも忘れちゃってても仕方ないな、随分前だから」
「そっかぁ……逃げようとしてごめんなさい、憶えてなかったの」
悠也がリンドウの花束を差し出した。
「こんにちは、かえでちゃん」
「わぁ、リンドウ大好き。私の好きな花知ってるなら、お兄ちゃんとも会ったことあるのね?」
「ええ、ありますよ」
「そっかぁ。憶えてなくてごめんね。お花、ありがとう」
さっきまでの怯えた表情は消えて、かえでは笑っていた。
戒那も笑顔で話し掛ける。
「俺達、かえでとまたお話したかったんだよ。かえでは何か動物飼ってたっけ?」
「うさぎを飼ってたよ。マールって言うの。穴兎っていう種類でね、すぐ狭いところに入りたがるんだよ。白と灰色のぶちで、すっごく可愛いの」
「そっかぁ、可愛がってるのかぁ」
「でもね、お散歩するときにはね、うさぎ用の首輪と紐をつけなきゃいけなくてね、マール苦しそうなの。だから可哀想だと思って首輪を取ってあげたの。そしたら、マールが道路に飛び出して……」
かえでは涙目になっていた。
悠也がハンカチでかえでの涙を拭った。
「ありがと……。平気だよ、あのときたくさん泣いたから……それにママがマールの縫いぐるみ作ってくれたもの。いつも一緒に居るの」
「良かったですね」
悠也はハンカチを仕舞った。
「俺達暇だから、かえでちゃんともっとお話したいんですが、かえでちゃんは何か用事がありますか?」
「遊びたいけど、大切な用事があるの……ごめんなさい」
「いいんだよ、気にしなくて」
戒那はそう言いながら、さりげなくかえでの頭に撫でた。
「ママを探しているんだよね」
ずばりと当てられて、かえでは驚いた声を出した。
「どうしてわかったの?」
「なんとなく、ね」
戒那は悠也を一瞬視線を投げかけて微笑んだ。上手く読み取れたというサインだ。
「ところで、お友達はどうしたの?」
「お友達……魂さんたちのこと? 今はお空で遊んでるよ」
「そう……夜はお友達の光でママを探しているんだよね?」
「うん。お空から光を照らして探してるんだけど、見つからないの」
「魂は、どうやって見つけるの?」
「お空を飛んでいて偶然に見つけるの。協力してもらえるように頼んで、オッケーだったら手伝ってもらうの」
「かえでは、どうしてここにいるのかな?」
「それもわからないの。気が付いたらここに居て、とっても眠いの。だから眠りたいんだけど、ママの子守唄が無いと眠れなくて……。ここどこなんだろ……マールもいないし……」
かえでは泣き出してしまった。悠也がしゃがんで、涙を拭いてあげた。
「俺達が手伝ってあげますよ」
「本当?」
「ええ。だから泣かなくても大丈夫ですよ。必ず見つかります」
「ありがとう、絶対だよ」
かえでが悠也の前に小指を出した。
「ゆーびきりげーんまん……」
戒那の携帯が震えた。桐伯からだ。戒那はかえでから少し遠ざかり、声を小さくした。
「かえでさんと接触しましたか?」
「ああ。今いるよ」
「魂を集めている理由は何だったのですか?」
「母親を探すのに手伝ってもらってるらしい。夜になったときに光が無いと周りが見えないから。ここにいる理由は本人もわからないそうだ。実際、触れてみたが読み取れなかった」
「母親を探している、ですか……。その母親は生きているのですか?」
「それはどうかわからない。この子は悲しむ様子がないから母親が生きていると思っているだろう。だが自分の家を探そうとしないで、外ばかり探している。普通なら自分の家へ行くだろう」
「ということは……」
「おそらく、母親は亡くなっている。家に帰らないのは、母親の居ない現実を見たくないという思いが無意識にあると見ていい」
「……かえでさんに触れたのなら、当然母親のことも読み取れていますよね。もしかして、由佳という名前ではありませんか?」
「確か、そんな名前だったと思うよ」
「……一回切ります。またすぐにこちらからかけるので待っていて下さい」
桐伯が早口に言ったと思うと電話は切れた。
悠也はかえでの頭を撫でている手を止めた。
「桐伯さんからですよね? 何か進展ありましたか?」
「わからない。だけど、少しずつ解決に向かっているみたいだよ」
十分後、桐伯から電話があった。
「悠也、ちょっとこっち来て」
「どうしました?」
「電話代わって。俺はかえでと話してくる」
「わかりました」
悠也は携帯を受け取った。
「もしもし」
「かえでさんの母親のことが判りました。亡くなっています。かえでさんは意識不明の状態のようです。心の一部がそちらにあるからでしょうが」
「そうですか……」
「かえでさんは入院しておらず家にいるそうです。住所がが判ったのでそちらへ向かおうと思っていますが、お二人はこれからどうしますか?」
「かえでちゃんと一緒に母親を探すのを手伝うつもりですが……母親が亡くなっているとなるともう成仏してしまっているかもしれませんね。それでも一緒に探すことが慰めになればいいのですが……」
「いや、母親のいる場所は予想がついてるよ」
かえでと話し終えたらしく、戒那が悠也の隣に来ていた。
「戒那さん、本当ですか?」
「ああ。今かえでと話していたが、ここら辺りはしらみつぶしに探したようだ。唯一探していないのは、かえでの家だけ」
「ということは、母親はかえでちゃんの家に?」
「考えてみればもっともだろう。自分の娘が意識不明で倒れているんだから、心配で娘の傍についているんじゃないかな」
「そうですね。……桐伯さん、聞こえていますよね」
「ええ。わかりました。ですが、見えるのでしょうか?」
「そう言われればそうですね。かえでちゃんの周りの魂は、自ら光るように協力してもらっているようですし……母親が自分から光る理由なんてないでしょうし……」
会話を聞いていたクミノがポツリと言った。
「物に宿っている可能性もあります」
「物に宿る……それだ!」
戒那が弾んだ声を出した。
「マールだよ! 母親が手作りしたうさぎのぬいぐるみ! いつも傍に置いているってかえでが言ってるよ」
わかりました、と桐伯の声が聞こえた。
「間違い無さそうですね。これから向かいます。また後で電話しますので」
電話は切れた。
大分、日は暮れている。もうすぐ夜だ。
悠也が明るい表情でかえでを見た。
「かえでちゃん。ママ見つかりそうですよ」
「お兄ちゃん、本当?」
「ええ」
「じゃあ、移動しない?」
「どこへです?」
「ん〜あそこがいいな」
かえでが指差したのは、高いビルだった。
「星空を見ながら、眠りたいの。高いところなら、お星様が落ちてくるかもしれないし」
フッと悠也は笑みを浮かべた。
「いいですね、行きましょう」
三人はビルへ向かった。
「あれ、鍵が掛かってる」
屋上の階段へ続くドアが開かない。戒那がいくら強く押してもドアは開く気配が無かった。
「鍵が掛かってるなら入れないよね……」
かえでが寂しそうな表情で訊く。
「そんなことないですよ」
悠也が取っ手に手をかける。
「かえでちゃん。ドアが開くように祈ってごらん」
かえでが手を合わせて祈る仕草をした。
悠也は取っ手を回す。
ドアが音を立てて開いた。
「ほら、開いた」
「すご〜い! どんな手品使ったの?」
悠也は優しく答えた。
「かえでちゃんが祈ったからですよ。後は屋上に上ってママが来るのを待つだけですね」
戒那の携帯に桐伯から連絡が来た。
「うまくいったみたいだね」
桐伯とクミノがビルの屋上に着いた頃、辺りには夜の帳が下りていた。
「あ、マールだ!」
クミノが持っている縫いぐるみを見て、かえでが嬉しそうにはしゃいだ。
「ママはどこ?」
「すぐ近くにいますよ」
悠也が穏やかに教えたが、急に不安げな顔つきになった。
「戒那さん、どうやって子守唄を歌ってもらうんですか? 縫いぐるみのままじゃあ不可能ですよ」
「簡単だよ。縫いぐるみに乗り移ったように、人に乗り移ってもらえばいいさ」
「人って誰にですか?」
「そうだなぁ、歌うんだから声質的に女の方がいいだろうから、私かササキビさんだな」
「それならササキビさんがいいでしょう」
桐伯が提案した。
クミノは顔色を変える。
「…………私には無理です。羽柴さんに任せます」
「そうでしょうか。出来ると思いますよ」
「………………」
クミノは縫いぐるみを見た。
この中に人の魂がある。
「…………入るなら、どうぞ」
瞬間、クミノの身体は少し震えた。魂が入ったのだろう。
次の瞬間、クミノはかえでを抱き締めて歌った。
みなものつきにうつるゆめ
むくなこどものてのひらに
ちいさくねがうこもりうた
かえでは目を閉じ、眠り始めた。
かえでの近くを遊びながら飛んでいた魂たちは、空へと上っていく。
歌い終えた母親の魂も、蛍のように光ながら空へと還って行った。
かえでの姿も消えていた。
悠也が空を見上げる。
「かえでちゃん、母親の死を受け入れられるでしょうか」
「大丈夫だよ」
戒那が言う。
「母親がもういないと無意識ならがらも理解していて、それでも眠りたいと言っていたんだから。ここで眠るということは、魂が身体に戻って目を覚ますこと。根底では前向きなんだよ。受け止めるのに時間は掛かるが、時間なんてたくさんあるさ」
戒那も空を見上げていたが、元気付けるように悠也の手を引っ張った。
「そういえば昼から何も食べてないね。冬だしラーメンの屋台とか無いかな」
「いいですね。オススメの屋台がありますよ。行きましょうか」
二人は弾んだ声で会話しながら屋台へ向かった。
会話のたびに吐息が白く夜の帳へとかかり、柔らかな円を描いた。
終。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0121/羽柴・戒那/女/35/大学助教授
0164/斎・悠也/男/21/大学生・バイトでホスト
0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー
1166/ササキビ・クミノ/女/13/殺し屋じゃない
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■ ライター通信 ■
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「蛍の詩」へのご参加、真にありがとう御座います。佐野麻雪と申します。
○今回は二方にわかれています。両方合わさると完全に一つの話になります。
○少女は当初亡くなっている設定でしたが、皆様のプレイングを総合した結果、生きていることとして話を考えました。
少女が生きていることで、元は救われることのなかった話が、少しでも柔らかなものとなれば……と願います。
*斎悠也様*
今回、表立って行動するというよりは裏で支える側になりましたが、いかがでしたでしょうか。
何となく、表に優しさを出すというよりは、相手に気付かれないよう手伝うタイプなのでは、というイメージがありましたので……。
違和感を持たれた個所がありましたら、どうかご指摘願います。
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