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調査コードネーム:ガラテアの啼く声(復讐の三女神4)
執筆ライター :立神勇樹
調査組織名 :ゴーストネットOFF
「くそったれ! 俺の「陣魔法」のプログラムをガラテアに詰め込みやがったな!」
テトラシステム・ジャパンの一室で、男が肩まで伸びた髪をかきむしりながら、目の前にいる女に怒鳴りつけた。
「ハッキングされて盗まれる方が悪いんですわ。ティシポネ。とられたくなければもっとセキュリティに気を配って、わたくしから隠しておけばよろしかったんですわ」
読みかけの本から目をはずすことなく、復讐の女神の首領であり、世界的なソフトウェア会社の頂点に立つ女性がさらりと言い捨てた。
「それに、あの魔法のプログラムはゲームを面白くするにはうってつけの「おもちゃ」でしょう? あれならアレクトでも私だって使えますもの」
「なんだと? じゃあガラテアをコントロールしてるのはアレクトか!」
小うるさそうに眉をしかめる女性に、ティシポネはさらに怒鳴りつける。
「一日に一人。なかなか順調なペースではなくて? 大して面白い事がない最近ですけど。このゲームの結果は興味深いですわ。それに異能者の戦闘データを集めるには、絶好の機会だと思いませんこと?」
「ふざけるな、お前がいうゲームに勝っても負けても、あいつは「救われ」ない。――どっちにしても、それだけ長時間のコントロールしていれば負荷が発生する。それに耐え切れるわけが」
そこまで言いかけて、ティシポネは息をのみ顔を青ざめさせた。
「そういうことですわ。ゲーム終了後のデータ回収、たのみましたわよ」
気持ちの悪い話だった。
12月に入ってから、聞くだけで気分が悪くなる事件が増えた。
これもそのうちの一つだった。
最近都内を騒がせている連続殺人事件。
一日に一件のペースで発見される遺体のどれもが手足、あるいは首を「ありえない力」でねじ切られて殺害されているらしいという噂で持ちきりだ。
実際のところはどうなのか、警察が発表しないのでわからないが、発見者を語る人間の、無責任な情報がネットに充満している。
ゴーストネットにいればいやでも目にせずにはいられない。
――いや、殺人というべきなのだろうか。
殺されているのはいずれも「人のフリ」をして生きている闇の種族なのだから。
顔をしかめる。
被害者として名前をあげられるどいつもこいつも「良い噂」を聞かないヤツばかりだ。
それこそ、異能者に良い感情をいだかない輩に付けねらわれるような。
悪い化け物を裁く正義の味方気取りなのか?
意味なくリンクをクリックして電脳の海をわたりあるく。
【[1224] みたんです!! 投稿者:TEA 投稿日:2002/12/1x(Fri) 09:36:56 】
信じられないだろうけど、見たんです!
殺人の場面を。
白い髪に蒼い目をしたすっごい美人が、血まみれでビルから出てきたんです。
人間じゃない、まるで人形みたいな顔した女の人!
びっくりして隠れてたら携帯電話で何か話してて。
しばらくしたらパトカーがきて例の殺人だってわかったの!
ティシポネとかメガエラとか言ってたけど。あれって、あの噂の「Fulies」かなぁ?
だったら彼らの復讐劇なのかなっ!
だれか情報もってたら教えて!
「白い髪に青い眼ね」
そういえば、そういうハッカーの集団もいたな、と。背筋に悪寒が走った。
今まで聞いた手口も相当荒っぽかったが、今回は極めつけだ。
ここまで騒ぎになれば警察ももう黙ってはいないだろう。
なぜこんな強引な復讐を続ける?
まるで勝ち目のない何かに追い立てられているように。
――追い立てられている?
何に?
聖書の時代の昔から、人類史上最大最悪のテーマは嫉妬だと言っていたのは誰であったろうか。
白いカップの中から、ほろ苦い香りを立ち上らせているコーヒーをかき混ぜながら、悠也はため息をついた。
砂糖を入れている訳ではない。
ただ、そうやって何かをもてあそんでいないと、とりとめない考えが、どこまでも止まらないように思えたからだ。
携帯電話を取り出す。
本来ならば席で電話を使うのはマナー違反なのだが、開店前であり、なおかつオーナーとも知己であるこのカフェでは心配無用だ。
夜に始めるクリスマスパーティまでの時間を、ほんの少し貸してもらったのだ。
ある、人物と出会う為に。
ボタンを押す。とすぐに短縮番号が現れ呼び出し音が鳴る。
「どうです?」
挨拶もなしに告げる。
相手――寒河江深雪も判っているのか、なんとか。と答え、すぐに本題――以前の事件の話に入る。
黄色い薔薇が降り注ぐ、ホテルでの出来事。
メガエラことキアラ・レン・フォーサイトの不可解な言動。
(才能を昇華しえない者を、憎む……か)
傍らに置いた科学系雑誌をちらりと見やる。
表紙には豊かに波打つ黒髪の女性が、黒いタキシードを着てほほえんでいる。
キアラである。
理工学部の三年で、ある程度の学力があれば、英語の専門誌を読むのは苦痛でも何でもない。
むしろ単語が専門用語に限定されている分わかりやすい。ましてや、エンジニアを目指している悠也であればなおのこと。
だから、メガエラ――キアラについても、だいたいの行動を聞くだけで、彼女の背景を知ることができた。
世界的な天才。
そして、才能を殺す女神。
テトラシステムといえば、理工学部の学生なら一度は聞いたことがある。幾人かは、採用されることを夢みたりする。
もっとも日本の学生が技術者として採用された、という話は一度も聞かないが。
(あれだけの財を手に入れる才能がおありなのですから、そのまま大人しく人生を謳歌してくださればいいのに)
華々しい雑誌の記事をめくり、ため息をつく。
そう思うのは自分の都合だろうか。
(ティシポネも、また……か)
彼はわからない。
ただ、憎しみから復讐しているのではないことは確かだ。
否、個人の憎しみから復讐しているのではないのだろう。彼の憎しみの対象――それは榊千尋。
彼の半身とも言える双子の兄なのだろうから。
だとすれば、彼は悩み、その悩みから来るいらだちを異能の者に向けているにすぎない。
またFuliesで唯一、無差別にではなく、他からの「依頼」という形で復讐を請け負っている。止めようとおもえば止められる筈だ。
ただ、どこに彼の「復讐」の種が潜んでいるのかわからないから、今はなすすべがないだけで。
「だいたいの事情はわかりました。俺はアレクトの「本体」を探そうと想います」
かつての事件を、行動をともにした吸血鬼の美姫の言葉を思い出す。
アレクトはどこかの病院に捕らえられて、身動きのとれない身体だったはずだ。
もしかしたらその病院から何らかの罠を、策を弄しているのかもしれない。
『テトラの「エリュシオン」は情報集積機能があるから……おそらく犯人は人造人間……映画『ブレードランナー』に出てくる様な……ね』
深雪の推理に、ほほえむ。
なるほど。それなら確かにあの惨殺も理解できる。
「なるほどね、それなら判ります。異能者ではないが、異能者並の力はありそうですね」
人間より遙かに強い力を持つ「機械」ならば手足を引きちぎるのは訳ない事だろう。
そして術者達のあらゆる術も、物理的なものでない限り「無機質」である人形には通用しない。
(それにしても……歩き、簡単なパターンの会話しかできないロボットがやっと開発されたと言っていたのに)
もう人間と遜色ないロボットを……否、レプリカを作り上げたというのか。
であれば、恐ろしいまでの才能である。
まるで次元が違う。
『榊さんにリストを貰ってしらみつぶしに張る』
決意を秘めた深雪の言葉にうなづく。と、カフェの扉が開かれ、隙間から冬の日差しが入り込んできた。
弱々しい陽光を受けて輝く茶色の髪は、黄昏時の日の光に見える。
道化じみた黄色い丸型のサングラスの奥からは、深い森ような瞳がじっと悠也をみていた。
「お待ちしてましたよ。アキさん」
「……どうせクリスマスなら……ハンサム君とじゃなく女とデートする方がよかった」
うざったさげに、髪をかきあげて鼻をならす。
「おや、ご機嫌斜めですね。でもそういうところもいい。やっぱりアキさんは可愛らしい方ですね」
白皙の顔を微笑の形に作り替える。
異性であれば、それだけで心を揺り動かされるほほえみも、事、相手が男であれば意味が違ってくる。
アキは、額に手をあててため息をつく。
「最近俺、弱くなったと想うよ。いろんな意味で」
「まあそういわずに、座ってください」
悠也の言葉に、アキは口の端をつり上げて、自分を、そして世界をもあざ笑うような突き放した笑みを浮かべた。
「まだ役者はそろってないぜ?」
そう。まだ役者はそろっていない。
武神一樹という名の、役者が。
茶色を基調とした、薄暗いカフェの店内にかろうじて聞こえる程度の音量で、ピアノの音が流れている。
カッシーニが作った聖母をたたえる曲、アヴェ・マリアだ。
か細い女性ソプラノの声が、まるで至上の楽器のように歌詞を綴っている。
遮るものもない海から、夕暮れの薄紅に染まった光が店内に射し込み、中に居る三人の男達の陰影を際だたせている。
それは聖なる夜に似つかわしく、荘厳で、張りつめた光景であった。
中でも際だって顔立ちの良い黒髪の青年が、暁けの星のような黄金の瞳に光をたたえながら、唇を緩やかに動かした。
「どうやら、役者がそろったようですね」
斎悠也だった。
悠也は雪花石膏でつくられたと見間違えるほど白く、そしてしなやかな指を絡ませ、その上にあごを乗せてカウンターに寄りかかったまま腕組みをする男に視線を向けた。
男はかろうじて目視できうる程度に眉をひそめ、そしてうなづいた。
「まず聞こうか。今回の一件にFuliesはどう絡んでいるのだ?」
何事にも揺るがない、強い意志を感じさせる声で武神一樹は「敵だ」と自分に宣言してきた茶髪の青年にとう。
メールで連絡を取り、この場所を指定されたのだ。
答えるつもりがないといわせはしない。
答えるつもりがないのなら、最初から自分に接触する必要がないのだから。
「ずいぶんとストレートなんだな」
整った顔を道化めかせている黄色いサングラスを取り、片手でもてあそびながら榊千暁――ティシポネは肩をすくめた。
「答えるつもりがないなら、最初からこの場所に現れたりはしないだろう」
「ふん、わかっている答えを聞くのもどうかと想うがな……俺は今日はスケジュールに押されてる。できるだけ手短に頼むぜ」
ティシポネはサングラスのつるを指先でつまんでは開き、開いては閉じる事を繰り返す。
「聞くまでもないだろ? 俺らが絡んでるとわかってるからあんたらが出てきたんだろ?」
すねた様に二人から顔を背ける。
「まあ、俺は本意ではないがね。すべてはアレクトが望み――キアラがしくんだ事だ。俺は単なる審判にすぎない」
「審判、とは?」
姿勢を崩さず悠也がとう。
緑色の瞳が、悠也の金色の瞳を一瞬かすめた。
それだけで答えは十分だった。
戦いには審判は必要ない。審判が必要なのは――ゲームだ。
「キアラの都合も、アレクトのひねまがった利己主義にも興味はない。だが、今キアラに消えられては俺にしてみれば不味いんでね」
突き放すような、それでいてどこか空虚なティシポネの言葉に武神はため息をついた。
「お前なら、少しは話がわかるかと想っていたが」
吐き捨てる。
刹那、ティシポネが傷ついたような表情をした。
もっともそれは一瞬の出来事であり、気をつけていなければ見落としてしまうほどのささやかな変化だった。
「買いかぶってくれてありがとう」
皮肉を口にしてティシポネは髪をかき上げる。
「お礼に良いことを教えてやろう。短絡的にガラテアを追いかけても無駄だ。怪我をして泣く眼を見るのがオチだ」
「ほう?」
「ガラテアはガラテアに過ぎない。人形は所詮動くだけの器だ」
かすかに喉を鳴らす。
「復讐に猛り狂う人形使いをしとめなければ、何の意味もない。器が壊されれば新しい器を代用にするだけだ。――もっとも、そんな必要はないだろうがな」
瞬間的に、悟った。
(「時」追い立てられているという事でしょうか)
そっと悠也は眼を伏せた。
手足を動かすこともできず、呼吸も機械の力を借りねば出来ない。
復讐に猛る心だけが、彼女をこの世界に――現実という生の世界につなぎ止めている。
「ガラテアは遠隔操作が可能な人形だ。だが、それを動かすのにどれほどの精神力がいると想う?」
歌うように、せせら笑うようにティシポネが告げる。
人間の腎臓の動きを、機械でまねようとすれば、東京都の年間予算をつぎ込んでもまだ足りないほどの設備をもった工場が居るという。
それほどにまで人間は繊細にできているのだ。
普段何気なく行う動作一つ一つを機械で制御しようとする事は限りなく不可能に近い。
自分の身体と、そして自分ではない身体。
二つを同時に制御しようとすれば脳に負担が行くのは当然だ。まして手足が動かないアレクトであればなおの事。
「あいつ、死ぬぜ?」
面白がる口調でティシポネが吐き捨てた。
と、悠也が顔を上げるより早く、乾いた音が鳴り響いた。
一樹が、ティシポネを殴っていた。
なぜそうしたのか、一樹自身にも明確にはわからなかった。
衝動かと問われれば、そうだ。としか答えようがない。
だが、プログラムを消去するかのように簡単に「死」を宣告するその態度が、許せなかった。
「何故、止めようとしない。何も出来ない事を「何もしない」フリで誤魔化せばすむと想ってるのか」
何も出来ない事を、何もしないフリで誤魔化す。
それは簡単な事だろう。
出来ないのではない。やる気がないのだ、とポーズを取ることで自分を誤魔化すほうが、何も出来ない自分をさらけ出し、その弱さに、愚かしさに苦悩するより、ずっと楽で心地よい。
ティシポネの――榊千暁のやっていることは、ただの逃避だ。
直視するべき現実から逃げ出しているに過ぎない。
それだけなら一樹がいらだつ事もなかっただろう。何よりいらだったのは、「逃げ出しては行けない」事にとうに気がついてる癖に、気づかないフリをして、相反する自分を昇華しえないいらだちを「復讐」という感情でくくり、それを防壁にのうのうとしている事だ。
アレクトやメガエラに比べれば、無差別ではないだけマシかもしれない。
しかし、それで世間を騒がせ、人を傷つけ――何より自分を傷つけて「戦えない」と最初からすべてを放棄している態度は、他のFuliesの誰よりも卑劣だ。
「どうすればそこまで自分を貶める事ができるのか、知りたいものだな」
セーターの襟元を掴んだまま、うなるように一樹がとう。
「アキさんは俺に問いましたね? 何故復讐がいけないのか、と」
場違いなまでに、柔らかいほほえみを浮かべて悠也が言った。
「何故復讐がいけないのかですって? 新しい苦しみを生むから」
そして、と言葉を句切り金色の瞳を細めながら、歌うように告げた。
「そして、俺が貴方を「気に入って」しまったからですよ」
魔術的なほほえみだった。
悠也の背後から差し込む夕日が逆光となって、表情の半分を隠した。
それでも、一樹にも――おそらくティシポネにも、悠也が聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべているのが判った。
言葉の一言一言が、至上の音楽のように店内に響きティシポネを見えない音の伽藍で包み込もうとしていた。
「止めて欲しいのでしょう? 自分では止められないから……お兄さんは止めてくれないから……」
力など、必要なかった。
確かに悠也は魔力秘めたる瞳と声により、人を魅了し精神・記憶・行動をそうさする力を持っていたが、そんなものは必要なかった。
「あなたが復讐をなすというなら、全力でなせばいい。ですが俺は止めて見せますよ。――そういう意味では、俺は非常にしつこいんです。勿論、武神さんもね」
場違いな事がわかっているのに、悠也は笑いがこみ上げてくるのを止められなかった。
ティシポネの乾いた唇が、かすかにふるえていた。
緑柱石の瞳には、明らかな狼狽と――かすかな苦しみに満ちている。
「――お前らは、何も、知らない」
喉の奥から引き絞るような、無理をした声でティシポネが告げ、イスにかけていたコートを荒っぽい仕草で取り上げる。
「わかっていると想うが、俺はお前らに手を貸すつもりなんかこれっぽっちもない」
「でも邪魔するつもりもない。そうでしょう?」
一瞬も笑顔を変える事なく悠也がいう。と、ティシポネは喉がつまったような奇妙な表情をして見せたあと、見せつけるように鼻をならしてカフェを出ていく。
(追いかける必要は――ない、か)
殴ったのは自分の筈なのに、かすかに疼く拳を開いては握りしめる。
追いかけたとしても、まかれるか……正面対決になるか。
いずれにしてもそれは時間の無駄だった。
「榊からの情報では、24人目のターゲットはアレクトの家族を惨殺した奴らだというが」
「出来すぎてますね」
一樹の心中を代弁するように悠也がいう。
「しくんだ者がいるな。榊自身か――キアラか」
アレクトの憎しみをあおる為か。それとも――自分が手を出せない容疑者を消すために警察がFuliesを罠にかけたのか。
「紅い靴、だな」
履けば二度と踊る事を止められない靴。
その靴を脱ぐには足を切り落とすしかないという――異国の童話を思い出す。
踊らされているのは、アレクト。
止まらないのは、アレクト。
では、靴を履かせたのは――誰だ?
「俺は病院を――アレクトの身体がある場所をヒメゴトにて探させます。俺なら彼女を何とかできるかもしれない……」
「自信過剰だな――一人で何とか出来ると想ってるのか?」
辛辣な、だが、辛辣なセリフを口にしてるにしては、不似合いなほど優しげな笑みで一樹が言った。
と、悠也は前髪をくしゃりとかき混ぜて、唇をとがらせた。
正直、キアラという大物がどこで監視しているかわからない状況に、一人で別行動するのは危険だと感じていた。
「あんたの方が、よっぽど自信過剰だ」
すべてを中和する力を与えられし調停者に、負け惜しみついでに言う。
だが、一樹は別段気を悪くしたでもなく、そうだな、とさらりと肯定しただけである。
(かなわないな)
能力の大小ではない、もっと根本的な精神の部分でうち負かすには、武神一樹という男は、まだまだ手強い相手だった。
白いコートから、白い紙を取り出す。
羽のすかし模様まで綺麗に再現した、切り紙の蝶を手のひらに載せる。
「さあ、アレクトの居場所を……本名を……探しておいで……蝶よ……」
歌うようにささやき、吐息を吹きかける。
と、蒼い燐光が紙を包み込み、悠也の手のひらからふわりと浮き上がった。
そしてゆっくりと光をまとったままカフェの店内を回り、悠也があけた扉の隙間から冬の空へ羽ばたいて行ったのだった。
一面の白。
無機質なコンクリートに囲まれ、そこには季節感はない。
エアコンにより調整、清浄化された空気には自然らしさが何もない。
廊下にただよう空気はただただ透明で、人工的だ。
斎悠也は、エントランスで立ち止まり白い天井を見上げた。
巧みな設計により隠された蛍光灯の光がまぶしい。
つい、と腕をあげ指をさしのべる。
と、ひとひらの雪が白い天から舞い降りる。
否、それは雪ではない。雪のように白く無垢な紙で形作られた切り紙の蝶である。
それはふわりふわりと広い空間を漂い、ゆっくりと悠也の指先ふれ、そして床へと落ちた。
ヒメゴトの術で放った、蝶であった。
ちり一つない床から力をうしなった、蝶の切り紙を拾い上げ後ろを振り向いた。
そこには一人の男がいた。
何もかもが白く、透明で、属性や存在感を奪われた空間で、一人強烈なまでの「剛さ」を感じさせる男が。
「人気が少ないな」
病院にひそむすべての影を凝縮させたような、黒く深い闇色の瞳に不快感をあらわしながら男――武神一樹が言う。
「クリスマス休暇――という訳でもないでしょうに」
そこは都心から外れた郊外――埼玉県との県境に近い位置にある病院だった。
聖マリア病院という。
聖なる夜、聖なる母の名を持つ病院に、血にまみれた復讐を乞い願う少女がいる。それはなんと皮肉な事実だろう。
ふ、とため息をつく。
確かに、病院には人影というものが少なかった。
通常ならば入り口にはガードマンがおり、受付の事務員がおり、医師や看護婦が歩き回っていてもおかしくないのに。
そこには、誰一人居ない。
受付と表されたテーブルには、一台のコンピューターがあるだけだ。
診察をまつ患者すら、見受けられない。
「病院」というイメージのみで判断するならば、この聖マリア病院ほど奇異な病院はないだろう。
だが。
「すべてを効率のみに従い、コンピュータ化した病院、か」
かすかな嘲笑をうかべて、一樹がつぶやく。
受付のコンピュータ画面には3Dでつくられた疑似人格が、計算された理想的な笑顔を浮かべている。
テトラシステムの福利厚生施設として5年前に買収され、完全ネットワーク化された病院。
完全予約制であり、テトラの関係者以外利用することは許されない。また、つとめる医師や看護婦もテトラの奨学金によりその資格を得たものばかりだという。
(箱庭の病院だな)
磨き上げられた床をかかとでけりつけながら、一樹は心中でつぶやく。
このような病院では、なおるものも直るまい。
確かに「病気をみる」ということを完全な「業務」として見、効率を追求していけば、聖マリア病院のような形態になるのも仕方ない。
「治療をシステム化するということは、人間を「生きる部品」としか見なしていないのか?」
喉の奥に苦いものが絡まる。
病症をネットワークのデータに照らし合わせ、登録された手順で治療・投薬を行う。確かに理論上は無駄がなくもっとも早く病気が治るように感じられる。
だが、それが本当にただしいのだろうか?
人間の身体を機械のように細分化し、パーツ分けをし、壊れた部品を修理する工場のように、何の感情もなく「治療」という行程をクリアしていく。
――吐き気が、した。
病をなおすのは、薬という科学物質でも、外科的処置という行程でもない。
確かに「身体」はなおるだろう。だが、心は病んでいく一方だろう。
時折現れては、足音も、何の表情もなく通り過ぎていく医師を目にする度に想う。
ここは――自分と相反する場所だ。と。
家族を、身体の自由を奪われたアレクト――勾坂幸(まがさか・みゆき)はここで何を想っただろう。
ただ生き延びる。ただそれだけのための「処置」を施され、機械の一部として生かされ続ける事が彼女にどのように作用したのだろう。
ここには、復讐に猛る気持ちを清め、癒す優しい手も、家族を失った心の空虚を埋める笑顔もない。
行き場を無くした復讐の念をただひたすらに閉じこめる檻。それがこの病院だった。
「どうやら、こちらのようですね」
タッチパネルになっているコンピュータの画面を、形の良い爪先ではじきながら悠也が一樹に微苦笑した。
画面の中には精巧に作られた病院の立面図が展開されており、その一点に赤いマークが明滅している。
黒い背景の上には白い文字で「MIYUKI MAGASAKA」と表示されている。
(邪魔されれば、風神の護符で攻防――と考えてはいたんですけどね)
指を画面から離し、コートの上から護符を入れて置いたシャツの胸元に触れる。
「罠か?」
「でしょうね。それとも――」
それとも、もはやメガエラはアレクトに利用価値を見出していないのか。
――今まで以上に凄惨で、強引なやり方。
下手すればテトラシステム自体が危うくなりかねない、今回の事件。
言わなかった悠也の言葉に、一樹が顔をしかめてみせた。
「いきましょう」
硝子の檻。
窓のない白い壁の部屋。部屋の中には入れ小細工のように完全ガラス張りの小部屋があつらえられていた。
小部屋のなかでこんこんと眠る、白い肌の少女――それは白雪姫の硝子の棺を連想させる。
童話と違うのは、眠り続ける少女をつつむのがこびと達が集めた花ではなく、色とりどりのケーブルであり、点滴のチューブである事た。
白いシーツ、白い夜着。
長年日にあたっていないためか、それとも周囲の白壁の反射光の性なのか、奇妙に輪郭が白くぼやけた顔や身体。
ただ、点滴の施されている肘の内側だけが、どす黒く変色している。
機械が明滅している。彼女の寝息に会わせるように。気の狂うほどの正確さで。
うっすらと開かれている瞳からのぞく蒼い瞳は、天井からつるされているディスプレイを興味なさげに眺めている。
時折けいれんするようにかすかに指先が動く。
そのたび、ディスプレイの画面が移り変わり、ケーブルによって頭部とつながれた白い機械が、金属をひっかくような不快な音を奏でる。
(シュラインさん?!)
ディスプレイには、人形と戦う仲間達の姿が映し出されている。
戦況は――シュライン・エマ、つまり草間興信所側のメンバーに不利だった。
”逃げて!”
画面に映る、秀麗な顔の美女がせっぱ詰まった顔で、そう叫んでいた。
”終わってるのよ、もう。わかるでしょ?”
音楽的なシュラインの声にさそわれるように、画面がゆっくり動く。
そこには、身体の内側から骨をのぞかせ、血にまみれている男の死体があった。
――復讐は、果たされたのだ。
彼女の家族を殺した男は、すでに殺されていたのだ。
(間に合わなかった、か)
一樹は歯をくいしばる。
『何をしにきたの』
機械的な声が天井のスピーカーから降ってきた。
「凶行を止めに、だ」
もっとも、少し手遅れだったようだが。と付け加える。
不思議と怒りはわかなかった。ただ、言いようのない虚無感だけが心に広がっていく。
「復讐を果たして、満足ですか」
淡々とした声で、悠也が聞く。
彼女は、この世界はゆがんでいるといった。
歪みをただす為に、自分は異能の者からその力を奪うのだと。
家族を死んだ事実を拒否することも、認める事もできず。
機械のようにただ「生かされ」つづけていた。
「これからどうするおつもりですか」
復讐が果たされた以上、彼女に何がまつというのだろう。
悠也の言葉に、アレクトは瞑目してみせた。
その顔は生きることに疲れた老婆のように、陰り、生気を失っていた。
『わからない。復讐を、果たす意外の生き方を――もう、忘れてしまった』
吐息のように、声が天井から降り注ぐ。
顔を覆う酸素マスクの向こうの唇は、微動だにしない。
『もう、止まることなど出来ない』
止まらない女神――その名前が示すように。
ただひたすらに機械的に、異能の者を殺し続けるだけ。
憎しみの対象を家族を殺した男から――歪みを生み出す者――異能の者すべてへと広げ、止まることなく、殺し続けるだけ。
何の意味もない、何の望みもない。
ただ、行き場のない、とまりようのない心をどうすることも出来ずに――。
「本当に、ご苦労ですこと」
ヴェルベットのように柔らかく、妙に耳にまとわりついてくる女の声がした。
「メガエラ、か」
うなるような低い声でいい、一樹は顔をあげた。
アレクトを挟んでちょうど反対側に、緩くウェーブした黒髪もつ女が立っていた。
――アレクトの憎しみをこの病室に閉じこめ、凝縮させた張本人が。
そこに立っていた。
「その娘をどうするおつもり? まさか復讐を辞めさせる?」
からかうように手を口元にあてながら、喉を鳴らす。
「いわずともおわかりでしょうけれど。その娘を行きながらせているのは、ただの復讐の念。その意志の力なくしては息する事もできない身体だというのに――復讐をやめさせて、殺すおつもりでして?」
婉然としたメガエラのほほえみに、かすかな声が混ざる。
痛い、苦しい、気持ち悪い、目が見えない、息ができない。
お父さん、おかあさん。
――返して。
雑音のように繰り返される。その度にディスプレイが明滅し、でたらめに映像が映し出される。
血まみれのケーキ、転がる幼い弟の腕、眼窩からこぼれおちた母親の眼球。
笑いながら血まみれのケーキを食べる、悪魔使いの男。
――殺してやる。お前がしたように、お前がなしたように。
お前だけではない。お前と同じ側に属する、すべてのゆがんだ存在を。
「くっ」
顔をしかめて、悠也は喉に手をあてた。
アレクトの憎しみが、悪意が形となって悠也の身体を締め付ける。
一樹もまた、表情を押し殺しているが、異端を排除しようとするアレクトの念に責め立てられているのか、額にうっすらと汗がにじんでいる。
平然と笑っているのは、同じ憎しみを抱く女神であるメガエラだけである。
画面は高速に移り変わる。
「それだけではなかろうよ」
一樹が、断言した。
時がとまった。
記憶を、消すつもりだった。
復讐を生み出した、家族を殺された日の記憶を。
しかし、それは無意味だと気づいた。
「家族が殺された事は哀れにおもう。しかし、それもまたお前の記憶だ」
消す事は簡単だ。しかし今のアレクトに必要なのは「すべてを無かった事」にすることではない。
荒ぶる記憶を癒し、なだめ、中和する事こそ必要なのだ。
『それだけでは、ない』
電子的な声にノイズが混じる。
「お前は憎しみしかないといった。憎む以外に生きる方法はないと――では、お前の家族の想い出も、その時しか残ってないのか?」
違うだろうよ、といい、アレクトを閉じこめる硝子の壁に手をふれた。
中に閉じこめられた、暗く重い憎しみが手のひらごしに感じ取れる。
しかし、それだけではないはずだ。
――思い出せ。
時の綺羅を。過ぎ去っていくすべての季節のその一瞬を。
枯れた桜の古木をイメージする。古木の先の堅いつぼみをイメージする。
それは瞬く間にふくらみ、あわやかに色づき、一つ、また一つと花開く。
花は増え、風によって花びらが雪のように舞う。
舞い散る桜の向こうには蒼い空をイメージする。蒼く、ひたすら蒼く。
晴れ渡った空には、夏の空の白い雲を見る。
視覚だけではない。
午睡のまどろみに聞こえる、蝉時雨の声。夕暮れに無く烏の深く遠い声。
夜にひっそりと降り立つ霜が、かすかに弾ける音。
冬の深夜にふる、雪のため息よりもかすかな音。
いつまでも深く緑まとい、この国を見守り続ける糸杉の荘厳な姿。
そして、また桜。
武神一樹は、自分がしるありとあらゆる自然をイメージした。
この人工的な檻に、本来あるべき自然の力を導き、誘い、中和するために。
ディスプレイに変化が訪れた。
血と死に彩られた世界が消え失せた。
乾いたオレンジ色の砂粒が見える。
透明な水がそれらの上を滑り、レースのような泡を残す。
小さな幼女の足が、濡れた砂浜に足跡をのこす。だが、それもすぐに波によってかき消される。
ディスプレイの光景が、すべるように幼女の足下から正面へとうつりかわる。
そこには、二人の人影があった。
赤子を抱いた若い女と、守るように女の肩に手をおき、残る片手をゆっくりと振る男のすがたが。
逆光で顔は見えない。
だが、確実に笑っていると、感じられた。
「ありえないわ!」
狼狽のままにメガエラが叫んだ。
「思い出しなさい! あなたはそこを奪われたのよ! 自分とは異なる力を持つものに!」
憎しみを煽ろうと、メガエラが叫ぶ。
「往生際が、悪い」
悠也が笑う。
唇をつりあげ、黄金色の瞳を細め。
これ以上ないほどの悪魔的なほほえみで。
「あなたの敗北だ」
指先をつい、とメガエラに向かう。
自分を取り囲む気の流れが変わる。
神道を使う術者としての「神」の気から――影を支配する「魔」の気へと変化する。
「おいたが過ぎるんですよ、お嬢さん」
あごをそらし、傲然と見下しながら力を解放する。
「なっ!!」
弾けるような音がして、メガエラの周囲の空気がブレた。
それは時の狭間。時空の割れ目。
ありえない時間の差異に、空間が身をよじらせる。
「覚えて置きなさい!」
叫ぶが、すぐに声もろともメガエラが時の狭間へと吸い込まれる。
強制転移の術である。
空間はメガエラを吸い込んだあと、満足したように元へと戻り出す。
(せいぜい、病院の外に追い出されて、風邪をひかせる位ですけどね)
肩をすくめて硝子の檻を見る。
と、一樹の手を中心にひびが入り出す。
自然を求めるアレクトの人間としての本能が、人工的な空間により、復讐の念により押し込められていた感情が、解放をもとめ、一樹の力に共鳴し、硝子の檻をうち破る。
透明な檻が砕ける。氷の欠片より細かく、光の粒のより繊細に。
「私は――だれ?」
壊れたふいごのように、ぜいぜいと息を掠れさせながら、それでも電子的ではない、本来の彼女の声で酸素マスクの向こうから問いかけてきた。
一樹が答えるより早く、悠也が想うより早く。
ディスプレイの向こうから、一人の女性の声が聞こえた。
”あなたの名前は、勾坂幸”――と。
――外が見たい。
それが幸の最後の願いだった。
復讐を止める事。それは彼女にとって死と同意であった。
むしろ死を予感していたから、あのような復讐を行っていたとしか思えない。
メガエラに利用されているとしりながら、ティシポネが自分を見捨てるとしりながら。
それでも、誰かが止めてくれる事を願っていたのだろう。
生きるために憎む。その生き方は――生きているというのだろうか。
一樹にはわからない。
驚くほどに軽い、やせ衰えた少女の身体を抱きながら、病院の外へでる。
黒い闇、星さえない空から、桜の花びらに酷似した雪がひとひらずつ舞い降りる。
アレクトとよばれた少女の頬にふれては、幻のようにとけて消えていく。
「綺麗だわ」
死を迎えた蝶が羽をふるわせるような、かすかな笑いを浮かべた。
その顔には、もう復讐の影はなかった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0074 /風見 璃音(かざみ・りおん)/女/150/フリーター】
【0173 /武神 一樹(たけがみ・かずき)/男/ 30/骨董屋『櫻月堂』店主】
【0174 /寒河江 深雪(さがえ・みゆき)/女/22/アナウンサー】
【0164 / 斎・悠也(いつき・ゆうや)/ 男 / 21 / 大学生・バイトでホスト】
【0454 / 鷹科・碧(たかしな・みどり)/ 男 / 16 /高校生】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、立神勇樹です。
大変お待たせして申し訳ありませんでした。
OPが難しすぎたのか、完全な正解(犯人の正体が人形であることについて)を出された方が連動している草間/ゴーストネット共々少なかった事、また、敵が「死に急いでる」事に気づけなかった為、残念な結果になってしまいました。
復讐の使徒は残り二名。
斎悠也様
参加ありがとうございました。〆切から遅れてしまい本当に申し訳ありません。
ルートの選択上、ほかの三名とは全く違う方向へ進んでしまいましたが。
いかがでしたでしょうか。
またの機会にご参加いただければ、幸いです。
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