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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:レプリカント
執筆ライター  :立神勇樹
調査組織名   :草間興信所

■オープニング■


 銀色の狼。
 ギンイロノオオカミ――。
 ぽつりとつぶやいた彼の一言が、忘れられない。
 霞ヶ関の官庁街をあるきながら、大上隆之介はそのキーワードを繰り返す。
 最近みるようになった。銀色の狼の夢。
 榊千暁という男が、事件の最後に投げかけた言葉。
(そういえばシートン動物記にあったとか幸弘が言っていたよな――銀色の狼)
 アメリカ西部の大平原で知らないものはない程恐れられた狼王。
 家畜を食い荒らすという事で牧場主達に頼まれた動物学者が、その狼王をとらえる話しだという。
 当然狼王は捕まえる事ができないのだが、その妻である「銀色の狼」を捕らえる事を策略し成功するのだ。
 人間は捕らえた妻の狼である「銀色の狼」を殺し、その死体を引きずり土ににおいをつける。
 においが途絶えた場所に、巧妙に隠した罠を張って――。
 妻を探し求める狼王は、いつもの用心深さを忘れ、罠にかかり――そして死ぬのだという。
 普段なら「ふぅん?」や「へぇ」で流せる話なのに、流せなかった。
 家畜を殺す狼を疎むのは、人間として当然だ。
 だが無性に――人間であることが、悔しかった。
(狼は特別な生き物なんだ)
 同じ大学に通う友、黄泉比良坂に関わる事件でも戦いを共にした友人がぽつりとつぶやいた。
(狼は虎やライオンの様に発情期に限って夫婦になったり、ライオンの様に一夫多妻制でもない事が科学的に解明されている)
 幸弘が言っていた。
 狼は生涯を通して一夫一婦制なのだと。
 初恋の人と結ばれて一生一緒に助け合って生きる、動物界においては珍しい特質を持った個体が、生存競争に勝ち残り続けてきた種族なのだという。
 相手を見失えば、どこまでもいつまでも痕跡をたどって探し求める。
 伴侶が死んだ時に、また自分も心の痛みに耐えきれずに――死ぬ事もあるのだという。
(ただの、名前のシンクロって――想いたいような)
 想いたくないような。
 立ち止まり、手のひらを握りしめる。
 この体に宿る、人を凌駕する身体能力は――動物の言葉がわかる力は――どこから来ているというのだろうか。
 森に対する思いや、既知感も。
 自分が忘れ去った時間のどこから来ているというのだろうか……。
 ため息をつく。
 目の前には壊れそうに古い建物が。隣の警視庁ビルから隠れるように立っているビルがあった。
 警察庁の本部だ。
「あれ? 大上さん」
 聞き慣れた声がした。顔を確かめるまでもない。警察庁の第二種特殊犯罪の調査官であり、この間死にかけた榊千尋である。
「どーも。今回もよろしくな」
 今までの沈んでいた気持ちを悟らせまいと、わざと軽口めかせて言うと、榊は気づいたのか、気づかないフリをしたのか「こちらこそ」と返してきた。
「あ、そだ。身体の具合はどうなの? もう大丈夫なんか? そりゃよかった♪」
 相手の返事を待たずに矢継ぎ早に返す。気づかれたとしたら、なんだか照れくさかった。
 考え込むなど、自分にはどうも似合わない気がした。
 冬の光をうけて、良質の琥珀のごとく輝く瞳を何度も瞬かせる。
 のどの奥に引っかかっていた言葉を、無理矢理出そうとして、声がかすれそうだった。
「あのさぁ……弟さんの事聞いちゃダメ?」
 警備の警察官の間を抜けて一緒に階段を上る。壁までもが黄ばみ、時代めいていた。
 ここが警察の頂点であり、全国の警察を指揮する司令塔だとはとても思えない。
「弟……アキが何か?」
 別段身構えるでもなく、何でもない事の様に言う。
「いや、なんか……この間の事件の時にちょっと気になる事言われてさ。気になるんだけど良くわからないからもう一度聞いてみたいんだけど……」
「アキがねぇ……ふぅん?」
 少し考えるような仕草をして、榊は肩をすくめた。
「聞いてもいいですが、私に聞くのはあまり益はないかと。何せここ10年近くまともにあってませんし。連絡も向こうが一方的に入れてくるだけですからねぇ」
「ナニソレ……めちゃ疎遠」
 肩すかしされた想いそのままに、隆之介がいうと、榊はからかうように口の端をゆがめた。
「だって、双子とはいえ自分の「運命の相手」を打ちのめした兄に、言う言葉なんてないでしょ」
「え?」
 くすん、と鼻の奥で笑って見せる。
「ああ、ミーティング始まります。急がなくては」
 隆之介の追求をかわすように、榊はわざとらしく時計を見てから告げ、肩をすくめ足を速めた。
(なんか……ヤバい事聞いちゃったかも?)
 ま、いいか。と頬をかいて追求することをあきらめる。
 榊は物事をはぐらかすが、嘘はつかない。
 なぜか、そういう気がした。
 

「は? 要するに悪人の護衛をしろって事? 冗談きついぜ榊さん」
 警察庁の片隅、物置と間違えそうなほど、書類やがらくたにあふれた会議室で、大上隆之介が苦笑しながら聞いてきた。
「冗談でここまで金をかける余裕は、ウチの部署にはありません」
 こと、金の話になると、因業ババァのようにケチ臭くなる榊が、いつになくまじめな顔で断言した。
「……え? マジなの? うっわ〜……やる気でねぇ〜」
 きしむパイプイスの上で背中を反り返らせ、天井を見ながら隆之介が叫ぶ。
 思わずそばにいた鷹科碧海が苦笑したが、それも仕方ない事だろう。
「やる気の問題じゃないでしょ」
 座るイスがない為か、壁に寄りかかったままシュライン・エマが、湖のように深くすんだ瞳で隆之介を一にらみした。
 とたん、隆之介は姿勢を正す。
 草間興信所における暗黙のルールのうち、もっとも重要とされる言葉を思い出したからだ。
『シュライン・エマを怒らせる事は、興信所すべてを敵に回すも同義である』だ。
 誰が言いだしたのか知らないが、興信所の財布の紐を、だらしない所長に代わってしっかり握りしめてる女性に逆らえるメンバーはそう多くない。
「はいはい、頼まれたからには引き受けますよ」
 うんざりした、と言わんばかりに眉を引き下げた情けない顔のまま言う。
 もっとも気が乗らないのは隆之介だけではない。鷹科碧海もまた、このような血なまぐさい事件に関わるのは避けたかった。
 しかし、調査が始まったからには仕方がない。
 だらけた空気を振り払うように、シュラインが手をたたいた。
 矢のようにまっすぐに通る声が、よどみを払うように室内に響く。
「イヤだ嫌だって言っていても始まらないでしょ」
「問題はどうやって犯人を見つけるかよねぇ。聞き込みしてあっさりみつかるようなら草間んトコに依頼しないんだろうし? 襲われそうになる奴を見張るにしたって、対象がいっぱいいて手ぇまわんないだろうし」
 それまで深紅のマニキュアを蛍光灯にすかして眺めているだけだった湖影華那が、疎ましげに茶色の髪を肩から振り払いながら言った。
 と、榊が肩をすくめた。
「実はそれほどでもありません。恥ずかしい話ですが先日うちの部署のサーバがハッキングに会いましてね。私が保存していた、危険度大の容疑者リストのみがコピーされた形跡がありました」
「……つまり、そのリストに沿って犯行が行われていたって事?」
 シュラインが聞く、と榊がうなずいた。
「ギリシャ数字が遺体に刻まれてるってのが気になってたけど……何か意味があるのかしら? それともただ単に殺った番号を残してるだけ?」
 机に肘をつき、その上に頭を載せながら華那が笑う。
 聞く間でもない、と表情が笑っていた。
「お察しの通り。十二月一日にTの殺人が、2日にUの殺人が実行されたと……司法解剖の結果で出てます。リストのメンバーは全員で二十四人」
 今日は二十四日……ということは、発見されていない遺体が確実に殺されているならば、今日が最後という事だろう。
 勿論、生き残った人間が居るとは全員欠片も想わなかった。
 手足を引きちぎるようなマネを毎日繰り返し、指紋どころか姿さえ掴ませない犯人だ。
 用意周到かつ計画的に事を進めているのだろう。
「そういやこの事件の犯人が女の子だってネットに書き込みがあったな。女の子がこんな野蛮な事しちゃいけないよな、うん」
 犯人の冷酷さに、毎日人を殺しているという事実が生み出す息苦しさを振り払うように、隆之介が冗談めかせて言う。
 と、不意に隆之介は言葉をつまらせた。
(……って何? あの書き込みにあったティシポネってアキさんの事なの?)
 そういえば、かつての事件で武神一樹がそんな事を言いかけていたような気がした。
 ならば、この事件を追いかければティシポネに――銀色の狼という謎の言葉をのこした、榊千暁に再会できるのだろうか。
 確証はない。 
 しかし、どんな小さな手がかりでも、今はつたわずには居られなかった。
(ってことはますますこの事件から引けないな)
 机の下で手を拳の形に作り上げる。
 力が入りすぎた為か、節の部分が白く浮き上がってるのが自分でもわかった。
「そういえば被害者の首に犯人の手形がはっきり残ってるって、法条さんが言われていたけれど、その手の大きさかなんかから人かどうかわからないかな?」
 碧海が、怖じ気づきそうになる心を振り払うようにして言葉を紡いだ。
 もっとも、それが人間と同じサイズのものだといわれたら、あまり収穫はなさそうだ。
「どうです? 法条センセイ」
 資料の束をまるめたもので肩をたたきながら榊がきく、と、ミーティングが始まってから始終しかめっつらだった法条が、大げさにため息をついた。
「首に残されていたのは人間の――そう、ちょうど湖影さんやシュラインさんと同じ年齢の女性と想われる手形だ」
 榊から丸めた資料を取り上げると、その一枚を取り出す。
 と、どす黒い肌の上に、くっきりと紫色の手の形が残った写真がカラープリントされたモノが全員の目に入る。
 ほとんど同時に、碧海と隆之介が眼をそらす。華那は最初から見てもいない。
「そういえば榊さん、特殊な力は無い、と断言していたわね」
 意志の力がつよいのか、それとも、事実を追求しようという欲求が不快感を凌駕しているのか、じっと写真を凝視していたシュラインがつぶやいた。
「ありませんね。西洋系、東洋系、物理系。あらゆる痕跡をウチの部下に検知させましたが「特殊な能力」が関わっている痕跡はない」
 ひょい、と肩をすくめる。
「しかし、この死体に残された痕跡は人間のもの。だが、遺体の損壊は人間にはあり得ない力でねじ切られているとしか思えない!」
 法条が叫ぶ。
「特殊だけど特殊でない……機械仕掛けのようなモノだったから、榊さんやその部下には「特殊な力」として関知出来なかったという事は考えられないかしら?」
 写真をとりあげ、ポーカーの手札のように指先でもてあそぶ。
「勿論指紋もでないし、現場のコンクリートやアスファルトの亀裂――けりつけたようなへこみも何かが踏ん張ったような跡」
 驚異的な知的瞬発力で、シュラインは己の考えを理路整然とまとめ、言葉という形に作り上げていく。
 蒼い瞳は、人を引きつけてやまない、強烈な理性の光がきらめいている。
「指の跡までついてるなら人形型の機械って事になっちゃうけど……さて」
 そこで言葉を句切り、榊千尋をみた。
 いつものほほえみがかすかに引きつっていた。それは苦笑しているようにも見える。
 ――やはりこの人は、知っている。
「まてよ? 力の痕跡が残らない?」
 何かが、隆之介の心にひっかかった。
 だが明確な形にはならない。
「うざったいわねぇ」
 綺麗に形を整えられた爪を、唇にあてながら華那が吐き捨てた。
「わざわざギリシャ数字にする意味がわからないわ。もっとも、誰かさんに対する挑戦か挑発なら、わからなくもないけど?」
 片目をつぶり、榊を見る。
 自分が担当していた事件の容疑者が、別の殺人者によって次々と先手をうたれて殺されていく。
 警察官として、これ以上屈辱的な事はないだろう。
 獲物を横取りされた上に、さらに大きな犯罪者を連続して取り逃している事になるのだから。
「本当にね……まったく、誰を表舞台にひきずりだしたいのだか……」
 コーヒーを一口飲んでから、榊はふ、と息をついた。
(まあ、この性格のねじくれた警視様なら、嫌がらせされる理由の一つや二つや三つ、すぐに見つかるでしょうよ)
 とんだ狸だわ、と心中でせせら笑いながら、華那は榊に視線をやった。
「しかし……足止めって言っても、コンクリ削ったり首ねじきったりするような奴にどう対応すれば良いのかしらねぇ?」
 嫌みに聞こえるように、わざと語尾をあげ、榊に向かって言う。
「っていっても、正義の味方気取りのお方は私みたいな善良な市民には手ぇださないわよね?」
 華那の言葉に、全員が「え」という言葉の形に唇を形作ったまま、動きをとめた。
 声に出さなかったのは、華那の逆鱗に触れたくなかったのか、それとも、「善良な市民」とやらの定義を大幅に拡大してあげたのかは、言わぬが花というものだろう。
「さ、榊さん、他にマークしていた人物のリストもらえないかしら? 年齢、名前、初犯だろう日付から襲われた順の関連を探ってみるわ」
 徒労におわるかもしれない、しかしそれでもささやかな痕跡にでも気づければ、そこを糸口に突破できるかもしれない。
(相手が人形なら動かしている相手とのつながりさえ遮断できれば、足止めにはなるだろうけど……)
 そこまで考えて、シュラインはふと気になりバッグから携帯電話を取り出した。
 ミーティングに入る前に、寒河江深雪からのメールが入っていたのだ。
 ――深雪さんもどこからかこの件調べてるし、リストや情報交換できないかしら。
 警察は――否、榊千尋は完全に信頼するには危険な相手だ。
 彼はおそらく、犯人の正体に気づいている。
 では、何故言わない?
 ――何故?
 問いを繰り返す。
「うだうだ考えてもしょうがないでしょ? 二十四人が順番に殺されてると課程するなら、リストの二十四番目にある容疑者をマークするほうが手っ取り早いわ。私は足止めする方に専念するから後は頼んだわ」
 ひらひらと手を振りながら華那がいう。
 部屋に閉じこめられて、禅問答のように遅々として進まない言葉のやりとりをするのに飽きてきているようだった。
「あ、俺も……行きます」
 そんな強すぎる力を持つ犯人をくい止められるのかどうかはわからないけど。
 もう、後には引けない。
 そんな想いが碧海を急き立てていた。
 奇妙な胸騒ぎがしていた。事件の向こうに――なにか今までと違う「モノ」が待ち受けているような。
「そうだよな。よっし」
 隆之介が勢いをつけて立ち上がる。勢いがつきすぎていたのか、パイプ椅子が見事にひっくりかえった。
 いけね、とあわてて椅子を起きあがらせながら、隆之介は全員の顔をみて片目を閉じた。
「せっかくのクリスマス、だらだらしてたら、女の子とデートする時間もなくなるからな。さっさと片づけようぜ」
「同感」
 猫科の獣のしなやかさで、華那も続いて立ち上がった。
 そして室内を見渡すと、隅で居心地悪そうにしていた白衣の男に視線を止めた。
「あ、法条も一緒にいらっしゃい」
「な、何?」
 華那より十は上の法医学者は、驚きのあまり眼をみひらき、それに併せてめがねがずり下がった。
「特殊な力がかかわっているか自分で確認できるでしょ」
 薔薇の花が咲き誇るような、傲然とした笑いを浮かべ、胸を反らしながら華那がいう。
 それはまるで古代の帝国を支配していた女帝そのものの威厳であり。
 ――逆らえる者など、誰一人として居なかった。


 その男はジャックと名乗っている。
 短絡的なセンスに大上隆之介は、つばを吐きかけたくなった。
(切り裂きジャックを気取ってるって事か?)
 大人を、子供を、引き裂く悪魔使い。
 一家を引き裂き、瀕死の娘の目の前でケーキを食らうような男に同情なんて、これっぽっちも抱けなかった。
 しかし、だからといって目の前で殺させる気にもならなかったが。
 死は――すべての終わりだ。
 過去も、今もすべてを無くしてしまう。
 過去を知らない、ただそれだけの自分ですら、時折胸を引き裂かれるほどの痛みを感じる。
 無くした記憶を思い出せない悔しさと、本当に何もないのではというおそれと。
 死はそれ以上のものを奪うのだ。
 そして死は解放でもある。
 殺すだけで、すべてを終わらせてどうなる? 相手を消せば、そいつの罪も消えるのか?
 答えは、否だ。
 相手を殺すだけですべてが消えるというのなら、償いという言葉はこの世界に存在することは無かっただろう。
 都会の影に隠れるように、新宿の隅にある古びたアパート。
 そこから男を追跡し続けてすでに二時間たっていた。
 ジャック、と名乗る男は、時折めんどくさそうにレザーパンツから携帯電話を引っ張り出してはにらむ。
(誰かと、待ち合わせしている?)
 クリスマスイブだ。待ち合わせしているとしても不思議はない。
 警察のリストに載っているとはいえ、まさかその順番に殺人が実行されていて今日が自分の番だとは、想うまい。
 自分を待ち受ける運命を、知ってか知らずか。ジャックは何かに導かれるように地下鉄の構内に入り、乗り継ぎ、湾岸副都心まででてきた。
 時折、背後に鋭い視線をなげかける。
 その度、全員の背筋に冷たい汗が流れた。
「近づき過ぎだ。相手にに感づかれる」
 声をひそめながら、成り行きで一行と行動をともにするようになった医者――法条がいう。
「案外と、こわがりさんなのね」
 からかうように華那がいい、法条の頬を爪で軽くひっかく。
 と、法条は華那の手を音が出るほど強くはたいて顔を背けた。
「私は、危険だと言って居るんだ。万が一気づかれて、相手が逆上して攻撃してきたらどうするんだ? 怪我しても医者としての私に期待されても困る」
 法条の言葉ももっともだ。彼はふつうの医者ではない。
 死体専門の医者なのだ。
 外科や内科ではない。
 もっとも、医者の役割を果たす前に自分自身が大けがを負っている、という事態を全く予測していないあたり、象牙の塔――部屋の中の研究者らしい。
「うぬぼれね、法条になんか頼る訳ないじゃないの」
 深紅の唇を歪めながら、華那が笑う。
 プライドを傷つけられたのか、法条が顔を上気させる。
「あの、そのぐらいにして置いた方が――。ここで見失うと」
 おずおずと、鷹科碧海が言う。
「っても、身を隠す場所がなぁ……」
 碧海の言葉に反応して隆之介があたりを見渡す。
 埋め立て地だからか、周囲は有刺鉄線にかこまれた空き地が目立つようになっていた。
 デートの相手と待ち合わせるにしては、酷く不似合いな場所だ。
 ジャックは周囲を伺いながら、建設中という看板を無視して作りかけのビルの敷地内へと入り込んでいく。
 さすがにクリスマスイブで仕事を早く切り上げたのか、工事現場につきものの作業員や交通整理をするガードマンの姿もない。
「――ひょっとして、犯人に呼び出されてるとか」
 冗談めかそうとして失敗したのか、妙に平坦な声で華那が言った。
「考えられるな」
 答えて、隆之介は唾を飲み込んだ。
 もし、この事件に榊千暁が関わっているのなら――このビルの中に彼がいるのだろうか。
 そして、自分の過去がわかるのだろうか。
(その時が来たら、俺は)
 何かが、変わるのだろうか。
 運命に、敵に対して心をおちつけようとする。と、軽やかな電子音が鳴り響いた。
「あっ、ご、ごめんなさい。俺の携帯電話、みたい」
 全員が肩をびくつかせたからか、碧海があわてて携帯を取り出す。
 と、通話ボタンを押すより早く言葉を口にしていたのか、ゴーストネット側からこの事件に関わっていた弟の声が鼓膜を震わせた。
『あおっ! 今っ、どこにいる?! 荻窪のアホの家か』
「碧、千尋さんをアホと言うんじゃないと、何度言ったら……」
『そんなん、どうでもいい。とにかく今どこに居るんだ』
 せっぱ詰まった叫びに押し切られ、碧海が「湾岸、テクニカルツインタワー建設地の近く」と答える。
『湾岸んっ?! 何でそんな所に……まさか犯人と一緒だとかっ』
 まくし立てられる。
「わからない、けど、多分……」
 そうだ、ともそうでない、とも言えずに碧海が答えると、唐突に携帯電話が切られた。
(……一体、何だったって言うんだろう)
 くしゃりと髪の毛をかき混ぜた、その時。
 ビルの遙か上から、悲鳴が聞こえた。


 それは最早、人の声とは言えなかった。
 本能からの叫び、理性では決して制御する事の出来ない苦痛が、叫びとなってほとばしり出たに過ぎない。
 たった六階立てのビル。一息に上れば数分もかからない筈なのに、まるで天の高みまで続いているのではないかと思えるほど、階段が長く感じられた。
 扉も据え付けられていない屋上への出口を抜ける。
 全く同じ構造の西棟を背景に、そこには、一人の女が立っていた。
 ――女、とは言えないだろう。
 冬の最中だというのに、肩をむき出しにしたノースリーブのシャツ。
 そして足のラインを浮かび上がらせている、白い、否、かつては白であり、今は深紅の血に染まったパンツ。
 冷風にさらされているというのに、肌には鳥肌一つなく。人工的で無機質的なすべらかさを保っている。
 何より、切り裂かれた頬からは、血の代わりに小さな光がもれ、ショートしているのか、照らすものもない屋上でかすかにきらめいている。
 裂傷でこそげ落ちた腕の皮膚が、まるで薄いセルロイドの皮膜のように、風になぶられ女の身体にまとわりついている。
 皮膚が会った場所には、鈍く暗く光る鉄の骨格と場違いなまでにカラフルなビニールコードの束。
「…………あんたが、やったのか」
 あり得ない方向に腕をまげられ、コンクリートの上にうずくまるジャックをみて、隆之介がつぶやく。
「そんな事に、何の意味があるんだ?」
 家族を殺されたから、相手を殺し返す。それで満足できるほど、人の心は簡単に出来ているのだろうか。
 答えは――否だ。
「復讐を、望むのか?」
「…………わからない。もう、どうでも良くなった」
 ガラスの眼球が鮮やかに蒼く光りながら隆之介を捕らえる。
 ワンテンポ遅れてるのは、内部で遠近感を調整してるからなのだろうか。
「この男は、弱い。これではアレクトは満足なデータが集められない……」
 疲れ切った口調で、しかし、意外に若い声で女は答える。
「データ?」
 怪訝な言葉に華那が聞き返すが、女――アレクトは答えようとはしない。
 視線を動かさず、アレクトは足をふりあげ、床に転がる男へ振り下ろした。
 絶叫。
 そして、しめった様な音と、骨が砕けるおぞましい音。
「……ずいぶんと、体重が重そうじゃない?」
 心持ち顔を青ざめさせながら華那がいう。と、法条が二三度口を開閉させた後つぶやいた。
「もし、彼女が今までの事件の実行者であり、コンクリートにひびを入れた人物であるなら……その体重は150キロはあります」
 骨格が骨ではなく、鉄なのだ。まして筋肉の代わりにビニールにくるまれた鋼線で全身を覆ってるのだから。
 聞くまでもない。
「へぇ? ずいぶんとすごい体重じゃない? じゃあダイエットしなくちゃね」
 男から足をはなし、華那の方をみているアレクトに皮肉下にいう。と、アレクトが鋼鉄を体内に宿しているとは思えない素早さで跳躍して、一気に距離を縮めてきた。
「お姉さんが手伝ってあげるわよ!」
 明らかな敵意を読みとり、華那は手早くバッグから愛用の鞭をとりだし、手首をしならせる。
 周囲の風が一段と冷たくなり、華那を、鞭を包み込む。
 とたんに全身がほの白い光につつまれる。
「大人しくなさい!」
 叫び、鞭を振り下ろす。
 空気を引き裂くように鞭が空中でまっすぐにのび、飛びかかろうとしてきたアレクトの腕にからみつく。
 ガラスが割れるような音がして、白い光がアレクトの手首で弾ける。
 鞭に込められた霊力が、プラズマとなって弾けたのだ。
 ビニールを焦がす異臭があたりに漂う。
 しかし、アレクトはわずかにバランスを崩しただけである。
 アレクトは疎ましげに手首にからみついた鞭を一別し、手のひらを返してからみつく鞭を掴むと勢いをつけて腕を振り上げた。
 華那の反応が、少し遅れた。
 鞭を持っていた為、引きずられるように空中に放り投げられる。
「あぶねぇっ!」
 隆之介が人にはあり得ない跳躍力で地面を蹴り、空中で華那を抱き寄せ、そのままコンクリートの上に転がった。
 皮膚がこすれて、血がにじむ。
 二人分の体重がかかった為か、床に打ち付けた背中に引きつるような痛みがはしり、たまらずうめき声を上げる。
(無理、だ)
 碧海は立ちすくむ。
 打撲が酷いのか、起きあがれない隆之介と華那を見て、ついで自分を冷たく見ているアレクトを見る。
 無理だ。自分一人の身も守れるかどうか判らないのに、法条や華那や隆之介をかばいながら戦うなんて出来ない。
 先ほどの碧の電話が、その叫びが、やけに生々しく耳の奥によみがえる。
 動くこともできず、瞬きすら出来ずにいると、背後から名を呼ばれるのを感じた。
「逃げて!」
「碧海君、逃げなさいっ!」
 それがシュライン・エマと榊千尋だと気づくまでとてつもなく長い時間がかかったように思えた。
 動けなかった。
 アレクトが地面を蹴るのが見えた。
 それはまるで踊り子のステップのように軽やかで、先ほどの華那の攻撃でさらに破れた皮膚が、まるでヴェールのようにアレクトの動きに合わせて空を滑る。
 内部に負荷がかかっているのか、時折身体の各所できらめくショートした電流は、まるで妖精がまとう光のようで。
 死を携えた右腕が自分に伸びてくるのさえ、どこか陶然とした想いで碧海はみていた。
 冷たい指先が、喉に、ふれた瞬間。
 強い力で、誰かに、引き寄せられた。
 自分の意志とは全く違う力の作用に、足下がふらつきそのまま背中ごと倒れ込む。
 しかし碧海を受け止めたのは冷たいコンクリートではなく、榊千尋だった。
「もう、良いでしょう? 勾坂――幸さん」
 全員の無事を確認したのか、わずかに安堵した声でシュラインが言う。
 だが、アレクトは腕を伸ばしたまま動かない。
 彼女の家族を殺した男は、もう、うめく事すら出来ないようだった。
 やがて身体は――吹き荒れる風と同じまでに冷たくなり、人間から――ただの肉のかたまりへとなっていくだろう。
 ――復讐は、果たされたのだ。
 なのにアレクトは――遠いどこかからこの人形を操り、同化している勾坂幸は――答えない。
「終わってるのよ、もう。わかるでしょ?」
 自分の声なのに、他人の声のようにうつろで冷たく響く。
 復讐を果たして、何が変わるというのか。
 何も変わらない――ただ、行き場のない心を持てあますだけだ。想いは昇華されない。報われる事はない。
 それが、復讐。
「これ以上戦って、捨て駒になる必要もないと想いますが」
 淡々と榊が言う。
 それでもアレクトは答えない。
「――知らない」
 蒼く光り輝く人工眼球が、不意に暗くなった。
 まるで彼女の内面の虚脱感を表すように。
「復讐を、果たす意外の生き方を――もう、忘れてしまった」
 涙が出る機能などない。目の前に居るのは人を模造した人工物だというのに。
 アレクトが、勾坂幸が、遠いどこかで泣いているように見えた。
「もう、止まることなど出来ない」
 泣くことも出来ない人形が宣告し、一歩踏み出した。
 指先はまっすぐに碧海を、彼を背後から支えている榊千尋を狙っていた。
 誰も、動くことなど出来ないように思えた。
 刹那。
 榊が、碧海の左腕に自分の左腕を添えて、まっすぐにアレクトに差し向けた。
「集中して」
「え?」
「少し、苦しいですよ」
 左腕をさしのべる。言われるままに手のひらに意識を集中する。
 碧海の念の力が波動となって手のひらに集う。
 だが、それでどうなるというのだ。
 人間ならともかく、150キロもある鋼鉄の物体を破壊できる力は碧海にはない。
 左腕をアレクトに向かってさしのべたまま、榊は右手を碧海の心臓の真上に置いた。
 心臓が、ふるえた。
 急速に鼓動が早くなる。
 体内にある力が増幅され、解放される場所を探して暴れ狂う。
 血液が急激な早さで身体を巡る。凶悪な破壊衝動をもちながら心臓へと流れ込む。
 喉が締め付けられ、引き連れ、息ができなかった。
 気を失うと、知覚した瞬間。
 増幅された力がアレクトの身体に向かって解放された。
 白熱の太陽が出現したように見えた。
 力に押された人形の身体が、ぼろくずのように空へと吹き飛ばされた。
 狩り止めされているビルのフェンスを突き破り、対となるようにたてられた湾岸テクニカルツインタワーの西棟の屋上へとたたきつけられる。
 ひときわ激しく、アレクトの身体から火花が飛び散った。
「やったか」
 何とか身を起こし、隆之介が立ち上がり西棟の――向かい側に立つ同型ビルの屋上を見る。
 ――風が、止まった。
 ぼろぼろに――生きる屍のようにどこかぎこちない動きで立ち上がったアレクトに驚いたからではない。
 そこに、人が――かつての事件で協力しあった男が、榊千暁がいたからではない。
 運命を、見た。
 銀色の髪の乙女が立っていた。
 いつの間にか降り始めた雪より白く、輝く髪が風に踊る。
 深紅の瞳が……遠いどこかで見た、対なる暁星が、自分を見ていた。
 耳鳴りが、隆之介の脳を鋭くさいなむ。
 身体の周囲で、細く鋭い金属が打ちならされるような音が断続的に響いた。
 彼女と、自分の間で空間がきしみ、共鳴し、悲鳴を上げているのだ、と自分ではないもう一人の自分が告げていた。
 目が熱い。目の奥が熱い。
 頭痛は最高潮に達していた。
「大上君!」
 異変に気づいたシュラインが駆け寄った、刹那。
 銀の髪を持つ乙女が、まるで伴侶を捜す狼のように、高く、切なく叫んだ!
「黒狼様!!」
 耳の奥にこだまする。
 森のざわめき、獣の息づかい。――仲間の血のにおい。
 受け止めきれない、曖昧なイメージが脳を冒し、負荷をかける。
 何も言えなかった。
 ――何も言えないまま、隆之介はその場に倒れた。
「な、に?」
 目の前で何が起こったか理解できずに、シュラインはつぶやいた。
 あまりにも多くの事が同時に起こり過ぎていた。
「逃げますよ」
 怒りすら感じられる声で、榊が言う。
「戦うどころか身も守れないでしょう! 「こんな状況」では!」
 信じられないほどの強い口調で榊が叫ぶ。
 はじかれたように華那は立ち上がろうとし、そして足首の痛みに顔をしかめた。
 先ほど床にたたきつけられた時、ひねったのだろう。
 舌打ちする、その目の前に法条が手をさしのべてきた。
「今は、榊の言うことが正しい」
 手を取り、肩越しに華那は振り向いた。
 西棟の上では、アレクトと――ゴーストネットから彼女を追ってきた者達の戦いが繰り広げられようとしていた。
 だが、自分たちには何も出来ない。
 ――打撃を与えただけでも、幸いと想うしかなかった。
 依頼は、失敗したのだ。

 
 森の木々が夜の闇をさらに深く、濃くする。
 親しみ、安堵出来るはずの光景も――今は不安をあおるばかりだ。
 遠くで狼の遠吠えが聞こえる。それはやがて、一人の乙女の声となる。
 ――黒狼様。
(彼女は、俺をそうよんだ)
 聞き慣れない筈なのに、奇妙に心の奥底になじむ名前。
 どこかで、聞いた。
 ゆっくりと目を見開く。消毒薬のにおいがする薄青のカーテン。そして蛍光灯の光に照らされた無個性な白い病院の天井。
「目覚めましたか」
 声に顔を横に向ける。と、事件の依頼主である榊千尋が座っていた。
 そう、あの乙女の隣にいた男――榊千暁と同じ顔もつ男が。
「榊、さん」
 あんたは、俺の何を知っている? あんたの弟は俺の何を知っている?
 聞こうとしたが、喉の奥がひきつり、頭が酷く痛んだ。
「言いたい事は判ります……ですが。私が答えるには条件があります」
「条、件」
 乾いた唇が一言ごとにこすれ合い、不快感をあおる。
「覚悟を、しなさい。過去を知るために今を捨てるか。過去をすてて今をいきるか」
 息がとまった。
 今を捨てる?
 自分を拾ってくれたタバコ屋の老女の笑顔が浮かんだ。そして大学で自分を待っている親友、ナンパ仲間。
 最後に、銀色の髪の乙女が。
 ――覚悟など、つく筈がなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 /草間興信所事務員&翻訳家&幽霊作家】
【0490 / 湖影・華那(こかげ・かな)/ 女 / 23 / S○クラブの女王】
【0308 / 鷹科・碧海(たかしな・あおみ)/ 男 / 17 / 高校生】
【0365 / 大上隆之介(おおかみ・りゅうのすけ)/ 男 / 300 / 大学生 】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、立神勇樹です。
 ええっと……本文にもあったように……依頼、失敗ということで書かせていただきました。
 オープニングに「足止め」が主目的とありましたが。足止めの具体的方法をかかれた方がいらっしゃいませんでしたので、悩んだ結果、すこし厳しく。
 足止め出来なかった、という事で。
 ただし、正体について完璧に正解されていた方がいらっしゃった為、足止めは出来なかったが、打撃を与えることは出来た。にしました。
 こちらで打撃を与えている分、ゴーストネットの参加者が楽になっています(汗)
 オープニングが読みとりにくかった事、また、プレイング考慮期間が短くなってしまった事、重ねてお詫びもうしあげます。