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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


神様なんていらないから…

Opening 絡まる思惑

 神様なんていらないから、お兄ちゃんと一緒に過したかったの……
 神様なんていらないから、小さな幸せが欲しかったの……


『臨時ニュースをお伝えします。
 本日午前9時30分頃、渋谷、喫茶店・カフェリアにて立て篭もり事件発生。犯人は客4名を人質に3,545万円の金と逃走車を要求…繰り返します…』

 草間武彦は流れる慌しい声に眉間を寄せ、新聞に落としていた視線を思わずテレビに向けた。

『今、新たな情報が入りました! 犯人は1人、26歳無職男…容疑者の名は溝口勇也(みぞぐちゆうや)…』

 マイクを片手に必死で画面に訴えるリポーター。騒然とする背後の人込み。
 相変わらず東京という都市は、小さな事件から大きな事件まで…パニック状態に陥らないと気が済まないらしい。
 草間は冷めかけたコーヒーカップを手に取るとズズっと啜る。勿論、上目でテレビを凝視しながら、だ。
「で? 俺にあの男を殺しに行けと?」
 乱れた新聞をバサバサっと畳みながら疲れた口調で草間は云う。再度コーヒーを口に含む程度呷ると今度は忙しなさい仕草で煙草を咥えた。
「あぁ…頼む」
 時計は10時を少し回った所だった。珍しく草間興信所には朝早くからの来訪者…ソファにスーツで身を固めた中年男性が1人。
「あれは私の息子だ。最も妻が10年前に連れて出たっきり会ったことはないが」
 指に幾つもの成金趣味的な指輪をはめたその男が差し出した名刺を、草間はへの字口で受け取る――波山電子株式会社社長・波山慶介(はやまけいすけ)――波山電子と云えば不況の中でも確実に成長を見せる『世界のハヤマ』だ。
「仮にも波山の息子があのようなタワケたことを仕出かしてる…警察など金を抱かせれば後で何とかなる…が」
 噂は尾ひれをつけ、やがては波山を脅かす、と男は吐き捨てるように云った。
「昔からアイツはそうだ…金をやっても物を与えても私にはなびかん。挙句の果てに立て篭もりだと? いつまでも私を甘く見ていたら困る。アイツには私の会社はやれん」
 男はテレビに映るその光景を苦虫を噛み潰すかのような表情で眺めると、草間に再度「殺してくれ」と口を開いた。
「……それにしても、何故、彼は3,545万円と云う中途半端な金を要求してるんですかね…どうせやるなら銀行にでも入って1億掻っ攫った方が…」
 煙草の煙を燻らせながら草間はポリポリと頭を掻いた。敢えて波山慶介の要求は流すかのように。
「ふん…決まっておる。梢(こずえ)の手術代にだろう…」
 男もそこで葉巻を取り出し、机に置いてあったライターで火を点けた。忌々しそうに鼻を鳴らす。
「梢はあれの妹だ。とは云っても妻が浮気して作った子だから私の子ではないが」
「そこまで分かってて、何故、彼に手術代を貸してあげないのですか? そうすれば立て篭もりなど、彼はしなかったでしょうに」
「チンピラ崩れが知った口を聞くもんじゃない」
 波山慶介は草間を汚いものを見るかのような油切った視線で見下すと、まぁいい、と云って懐から幾つもの札束を取り出し、乱暴に草間の目の前に叩き置いた。
「要らぬ質問はせんでいい。こちらの要求は勇也の死だ。いいな」
 葉巻をグィグィと灰皿でもない机になし付けると男はフン、とまた鼻を鳴らして背を向ける。
 バタン、とドアが閉じる音と男の背中を見送ると草間は盛大な溜息と共に机をドカンとイキオイに任せて蹴った。
「狸ジジィめが…誰がこんな依頼、受けれるか」
 苛立たしそうに咥えた煙草を噛むと草間は目の前に詰まれた札束に視線を止める。ざっと500万…恐らくこれは前金に過ぎないだろうから、報酬はこの3倍…いや脅せばこれの10倍は搾り取れるだろう。

「いっちょ狸ジジィ相手に猿芝居でもやってみる、か?」
 暫くそれを見つめたあと、草間はニヤリ、と小さく嗤った。この男は悪人ではないが善人でもない。
「オイ、こういうのは面白くないか? 勇也を説得してこちら側に抱き込む、波山慶介には勇也は死んだと伝え金を取る、その金は梢の手術代と…あまった分はコチラで頂く」
 草間は生き生きと何かの書類の裏にボールペンで書き記していく。
「俺を馬鹿にしたらどうなるか…その傲慢さが敵を多くするってもんだ。そうだな、勇也を説得して警察を撹乱する側と、梢に会って勇也との関係を聞く側と…分かれて捜査した方がいいな。梢に説得してもらうっつーのも手だし」
 子供のように目を光らせる男――草間武彦。
「あ、それとだな。あんまり能力とか派手に使うと事が大きくなる…そこら辺は少し考えて行動しろよ」

 草間興信所、一世一代の大博打はこうして始まった。



Scene-1 小悪魔始動

 まるで現代の歪みに陥ったかのような、そんな錯覚を覚える空間だった。
 クリーム地で張り詰められた階段を一歩ずつ上る少年。病院特有と云えばそれまでかも知れないが、暗く篭った空気にボンヤリと浮かぶ非常口の緑のランプが視界を静かに染める。
 光が差し込むようにと設計された踊り場の窓は磨かれていないのか、はたまたそれを狙ったのか。擦り切れたガラスが黄ばんだ闇を連れてくる――少年、神薙春日はツマらなさそうに鼻を鳴らした。
――エレベーターが使えないっつーのはどーゆーワケ?
 2階と3階の間で少年は手すりに右肘を掛け大きく息を吐いた。「使用禁止」と小汚い紙に乱暴に書かれたその注意書き。少年がそれに苛立ちを隠せず、蹴りを一発お見舞いしたのは云うまでもなかった。

 では、話を1時間ほど前に戻そう。

「むっかつく親父だな」
 草間興信所内にあるカーテンで仕切られた給湯室で春日は波山慶介の話を聞いていた。別に盗み聞きしようとしたワケではなかったが――否、少年のことだから悪戯心も手伝って無理やりにでも聞いただろうか。何か食べ物でもないかと流し台の下を開けて、色々と物色をしていた春日の耳にねっとりとした声色が飛び込んできたのは、彼がここに来てすぐのことだった。
「…………」
 一通り話を聞き終えて、バタンと乱暴に入り口のドアが閉まる。どうやら男は云うだけ云って出て行ってしまったらしい。
 草間は苛立ちを大きな博打心へと変え、そして何やら仕出かそうとしている。これは乗らない手は無い。
 春日は口に繊細な白い手をあてて少し思案すると、ニタリと小悪魔の笑みを浮かべた。本日は折角の予定を阿呆龍にドタキャンされた為に元々気難しいご機嫌が輪を掛けて悪い。
「俺も話乗るわ」
 計算高い頭で諸々の内容を弾き出すと、少年は妖しく微笑して仕切られたアコーディオンカーテンから顔を覗かせた。漆黒の髪がサラリと揺れ、色素の薄い瞳が光る。
「取り敢えず小物は叩いておいて、金は俺が……あぁっと、出世『出来たら』払ってくれればいーから」
 云うが早いか春日は草間のデスクに置いてある電話の受話器を取った。「お前なぁ…」と呆気に取られ、眼鏡が少しズレ落ちている草間を余所に、コードに細い人差し指を絡めて受話器の向こうに耳を傾ける。
 少年の電話1本で動く裏の人間は腐るほどいる。
 それは少年自身が願っていようがいまいが――予見者として培った人脈は当代の切っての大企業でさえも脅かしかねなかった。


――…取り敢えず梢ちゃんに話聞かないと…。
 ゼーハーと階段を上りきると春日は膝に両手を当て肩で息をしていた。自慢じゃないが体力馬鹿のアイツとは根本的に基礎体力が違う。こんな不親切過ぎる設計の階段……しかも一階事が恐ろしく長く急だった。
 レイヤーが多く入った髪を少しウザそうに右手で掻き上げると目に映った「3階東棟」の文字。
 少年はゴソゴソとジャケットのポケットから小さな紙切れを取り出す――先ほどついでに調べた梢の病室の位置が書かれた代物だ。
「えぇっと301……」
 目の前の部屋が300号室。銀色のプレートに春日は視線を巡らしながら、ふと右の壁に黒い瞳を向けた。
――あ。
 あった。そして同時に誰か見知った人間がいることに気付く。
「朔羅じゃねぇ?」
 藤色の羽織に身を包み清清とした空気を纏ってそこに居たのは十桐・朔羅<つづぎり・さくら>だった。



Scene-2 囚われの少女

 唐木(からき)総合病院――この病院は所謂、『闇取引』を生業とする裏の顔を持っている。
 日本では認められていない法外の手術も治療も、破格の値段で応じ、実行する。このような影の薄い形態を取っているのも一種のカモフラージュであって中身の設備は大学病院にも引けを取らないとか……手術費の額からして、大きな病院を当たれば梢に辿り着くだろうとは予想していたが、中々これが。巨額の金に見合うだけの治療がこの病院なら出来る。勇也はそう確信して梢を預けたのだろうか?

 スライド式のドアを開け、視界に飛び込んできたのは純真無垢な白い世界。
 朔羅の後ろから顔を覗かせた春日は、ガラスの向こうに見える寒い冬を一掃するかのような温かい空気に何処かホッとする。
 そして、少年も朔羅に少し遅れて部屋へと足を進めたが――ベッドには背もたれを少し上げた女性が横たわっていた。2人の気配を察知したのか、徐に黒い睫毛で縁取られた瞼を持ち上げた。
「……お兄ちゃんたち、だぁれ…?」
 非道く幼く、非道く怯えた声だった。
 子犬のように真っ黒な瞳が知らない来訪者に不安の色を映し出している。
「……やはり、か」
 朔羅は女性――梢の様子に小さく溜息を1つ落とすと、様子が掴めない春日に自分が持っていたメモ用紙を渡す。

――幼児退行アリ。硬いものや刃物を決して近づけてはならない。

 視線を左右に巡らせた少年は弾かれたように顔を上げ、朔羅を見、そして梢を見る。
 セミロング程度に伸ばされた黒い髪を赤いゴムで2つに分けて結い、梢はまだ警戒を解いていなかった。朔羅が訊いた話だと、梢は今年で21歳になる。この幼児退行化現象は薬による副作用なのか、それとも長年に渡る闘病生活からなのか…理由は一切分かっていない。もしかしたら、勇也との関係が彼女を現実から遠退かせているのかも知れないと頭の片隅で思った。

「……あぁっと…俺達アヤしいモンじゃねぇから」
 上目で見上げる梢に対して思わず春日の口から飛び出た科白はこんなものだった。取り敢えず、何よりも梢から話を聞ける状態にまで持っていかないといけない。
 それに朔羅も気付いているのだろう、穏やかな表情を浮かべ、
「貴方と話がしたいんだ」
 表情と口調を和らげる。
「ハナシ…はなし……こずえね…」
「ん…?」
 春日もベッドの右側へと近づくと、点滴の管に注意しながら梢の声に耳を傾けた。気付かれないようにそっと、梢の左手に自分の右手を重ね、『視』ることを試みる。
「こずえね、ねがいごとをして…ツル折ってるの。きょうは3つも折っちゃった」
 先ほどの強張った表情とは打って変わって、はにかむように梢は笑った。純粋に話し相手が嬉しいらしい。
「3つも? それは凄いな」
 朔羅は腰を屈め、梢が見せた不器用な鶴を手に取ると感心してみせる。ふと視線をサイドテーブルに落とすと、羽の長さもマチマチの……ヨレヨレな鶴達が糸に通され千羽鶴の形を成しているではないか。
「これは…? 全部貴方が折ったのか?」
 子供とは彩度の高い色が好きなのだろうか。赤や黄色、ピンクばかりの鶴がちぐはぐに繋がれている。
 梢は朔羅に問われると、それを手に取り、少し表情を曇らせ……
「これね…ぜんぶ折れたら、お兄ちゃんがきてくれるの…こずえ、いいこにしてたら、かみさまがね…こずえのねがいごとをかなえてくれるの」
そう口にして、首に掛けていた玩具の十字架のネックレスを朔羅に見せた。
 お兄ちゃん――勇也のことは明白過ぎる事実である。

「…………」
 春日は淋しそうな笑みを浮かべた少女の手から『視』える黒く淀んだ闇に形の良い眉を潜め、手をシーツの中へと戻す。梢は自由になった手を嬉しがったのか、今度は枕元に置いてあった黒いリモコンを手に取った。
「みて、これでスイッチつくんだよ」
 イソイソと左上の赤いボタンを指差す。朔羅は春日の影を落とした様子に気付きながらも、梢に同意し小さく頷いた。
「ホラ、みててね」
 云いしな、梢はぎこちない仕草で電源を押すと――

『…口勇也は依然、捜査員の説得に応じず……』
『溝口容疑者は金と逃走車を要求…』
『勇也被告の過去は実に複雑なもので…』

 テレビという小さな箱から次々と飛び出てくる科白は好奇に塗れたものばかり……それ以上にブラウン管の向こうがあまりにも閑々と物悲しいものだった。春日は眉を更に寄せ、朔羅は首を横に振った。
 気になる梢の反応は――黒い大きな瞳を虚しく騒がしい画面に張り付けたまま、瞬きすらしない。喉の奥で引っ掛かった言葉が詰まったかのように…梢は白過ぎる手を首元に添えたまま、その後、動こうとはしなかった。



Scene-3 神様なんていらなかったの

「云い難いケド……あの子、もう長くない…」

 梢の病室を出てすぐの所にある、談話室に2人の姿はあった。
 入院患者が利用出来る公衆電話や冷蔵庫、水道、テレビ、テーブル……昼間だと云うのに人っ子一人いないその閑散とした風景が梢の心情を如実に表しているかのようだ。
「さっき少し『視』たんだけど…ダメだ、視えない」
 壁には先ほど梢の病室で見たような千羽鶴が何束も掛けられていた。春日はそれを遠くに見据えながら、重い口を開く。朔羅は少年の科白に眉を寄せ、目を細めた。

――勇也が事件を起こしてまで金を欲した理由は梢の余命からだろうか?
 思わず脳裏を過ぎった問いを朔羅は胸の内に飲み込んだ。何故か梢のこの先に対して……言葉を発することは非道くおこがましい事のように感じられたのだ。
 初めて依頼内容を訊き、病院を調べたときは単に勇也が波山を陥れたいだけかと朔羅は想像した。安易に理由を考えるのは人の人格を頭ごなしに決め付けるのと同じことで――……今考えると浅はかなことだと自嘲せざるを得ない。しかし、どんな形にせよ、一番悲しむ事になるのは梢だと云うことは否が応でも理解出来たのだ。
 春日はやりきれない舌打ちを漏らすと沈黙に口を閉ざす。朔羅も右目を銀色に染めると徐に瞳を伏せた。

 そうして2人が黙り込んだときだ。パタパタと忙しない足音が静か過ぎる廊下に響き渡り、2人の思考を更なる現実へと引き戻す。
 肩越しに振り返る形で春日は視線を音の方向へ向けると目を見開き、朔羅も長く伸びる影に思わず足を半歩進めた。

「!」
 黒いフワフワとした髪を靡かせ、懸命に走ってきたのはあの少女のような梢だった。息を切らせ、手を握り締め、潤んだ瞳が困惑した色に染められていた。
「その躯でムリだ…!」
 咄嗟に春日は走る梢を腕を張って引き止める。ガラスのような心臓の持ち主――それが梢だ。走ればひとたまりもない。
「はなして……離して…!」
 少女は搾り出すように声を出すと、春日の腕を振り払おうと必死にもがいた。その様子に朔羅は目を見張る。
「離してッ…お兄ちゃん…お兄ちゃんに……!」
 正気に戻ったのか……現実を知った少女、否、女性は白い頬に大きな涙を幾筋も零し、少年の胸座を掴む。
「お兄ちゃん…止めないと…お兄ちゃんがいなくなったら……ッ」
 梢は必死に言葉を紡ぐと、春日の服を握り締めながらズルズルと床に崩れ落ちた。
「願いごとなんて……お兄ちゃんさえ傍にいてくれたら…」

――神様なんていらなかったの……

 首から銀色の十字架がチェーンの音を僅かに立て、梢の肩から落ちた。
 瞳いっぱいに涙を流す梢に云い様のない苦しさを覚え、揺れる十字架が小さな兄妹の運命を弄ぶかのように……ゆらゆらと円を描くと、廊下はまた恐ろしい程の静けさを取り戻す。梢は幼く――ただ泣いた。



Scene-4 淀んだ蜘蛛の巣

 春日が詰所へ赴き、梢の病室に電話を設置させた。
 携帯電話でも、と思ったがここは病院。電波を発して医療器具に何かしらの影響を与えるのは好ましくなかった。
 アイボリー色の電話を朔羅に手渡すと、春日はそこで踵を返し病室を後にする。
――医者に病気の事を詳しく聞いて、ついでに手術代の件も云っておくか。

 梢の命はまるで小さな灯火のようだ。
 金の工面が出来るまで待っていたら、梢の命も勿論の話だが勇也自身も潰れてしまう。

 親戚とそれらしい嘘をついて、春日は梢の担当医に面会を申し出た。通された会議室のような部屋は見違えるほどに美しく、斬新なデザインで纏められている。ホワイトオフで塗り潰された内装に中央を囲むようにして置かれた白いテーブル……同じ病棟にあるのだろうか、と少年が一瞬目を疑ったほどだ。

「どうぞ…お掛け下さい」
 春日がドアを閉めると、正面右手に座っていた白衣の男性がゆっくりと立ち上がる。
「溝口梢さんの担当医、小椋(おぐら)です」
 30代半ばぐらいの男は会釈し、春日はそれを受けて正面の席に腰をかけた。
「ドクター。…梢ちゃんの容態はかなり悪いみたいだケド?」
 少年はめいっぱいの圧力を掛けて小椋医師に問う。
 恐らくこの様子を見るに、自分が金を手配したことは既に知れているのだろう。男は両手を組んでテーブルの上にそれを置いた。ブラインドが下げられている窓際から薄く光が差し込んでいる。
「梢さんの心臓は……もう1ヶ月も持ちそうにないのが現状です。手術をした所で…果たしてそれに耐えられるだけの気力と体力が彼女に残っているかどうか……」
 小椋は溜息を吐くと敢えて春日とは視線を合わさないように向側の壁を見た。保険更新がどうのこうの、がん予防がどうのこうのと書かれたポスターが所狭しと貼られている。
「じゃ、何でこうなる前に手術しなかったワケ? …金の問題か?」
 少年は容赦のない瞳を男に向けた。逆光となって男の表情はハッキリと窺い知れないが、それでもここで引くつもりは春日にはない。
「……手術代の問題もありましたが…」
 小椋は渋々口を開いた。止まった科白の向こうにある言葉は嫌でも想像出来る。
「波山の圧力か」
 春日が加えると男はコクンと頷いた。
「…例え金の用意が出来たとしても梢さんの手術はするなと云われてました……我々は従うしかない」
「なんで」
「ここにいる医師の殆どは…医療ミスで現場に居られなくなった者や固く閉ざされた医学界に嫌気を差してやってきた者ばかり。一度、世間から外れてしまうと――生きていけない世界ですよ」
 小椋は遠い目をして呟くように云った。波山慶介がこれを全面的に覆い隠しているのは聞くまでもない事実のようだ。

 春日はドス黒い大人達の勝手な思惑に、苛立ちを覚えずにはいられなかった。舌打ちを漏らすと、足をテーブルの上にドカンと勢いよく乗せ、男を見据えた。
「俺が金を払う。波山の圧力は消える。医学界からの追放も緩和される。――これでどうだ」
 本当ならこんなヤリ方は好まない。もっとスマートな方法を取りたいのが山々だが、梢のことを考えるとこれ以上時間の余裕はなかった。
 少年が並べた条件にハッと顔を上げた男。しかし、春日はテーブルを蹴るようにして席を立つと、二度と視界に入れないように顔を背け、部屋を後にする。
 掠めるようにブラインドの隙間から見えた空がやけに青く、この空を勇也も見ているのだろうか、と少年は小さく思った。



Scene-5 人が狂う理由

 梢の容態が急変したのはその直後だった。
 看護婦と医者が忙しなく部屋を出入りし、梢は移動用ベッドに移され――手術室に赤いランプが灯った。
「…で、アッチはどうなってんの?」
 廊下の長椅子に腰掛けた朔羅に春日は缶コーヒーをヒョイと投げる。自分もプルを引き上げ、軽く呷った。
「勇也を連れてこちらに来るようだが…」
「…そっか」
 本来なら事情を聞けた所で2人とも現場に向かいたい所だった。だが、明日をも知れぬ梢を1人置いて――病院を後にするなんてことは春日にも朔羅にも出来そうになかった。
 少年は小さく息を落とすと、朔羅の横に腰を下ろす。
「バカなもんだな…」
「……どうした」
 先ほど医師から訊いた話を春日は朔羅にも告げる。
 この病院全体は波山慶介の圧力によって押さえつけられていた。梢の命さえも奪いかねない大きなものだ。
 幾ら金を積んだとしても、幾ら一生懸命生きたとしても、どうにもならない壁が兄妹の前には待ち構えていた。苦しさにもがけばもがくほど、まるで蜘蛛の糸のようにそれは2人をがんじ絡めにする。

「神だとかお釈迦さんだとかそんなものこれっぽっちも信じてなくて、梢自身もいらないって云ってるのにさ……」
 春日は乾いた口をコーヒーで潤す。
「こうして…こんな状態になって…どんな形でもイイから梢が助からないだろうかとか勇也が早く来ないだろうかって…そう願わずにはいられねぇんだよな」
「…………」
 缶を両手で握り締め、春日は俯いた。



Scene-6 白く舞う雪

 勇也が息を切らせて病院に到着したのはその1時間後。
 短い髪を茶色に染め、黒いダウンジャケットに身を包んだ青年の目は梢と同じく泣き腫らして真っ赤だ。
「容態が急変して…1時間程前から…」
 春日はそう云うと赤く灯る『手術中』のランプに視線を向ける。
「梢……」
 青年は呆然と大きな扉の前に立ち尽くした。握り締められた拳が小さく震えている。
 そこに、待合室から流れた大きすぎるテレビの声が廊下に長く遠く響き渡る。

『ここで臨時ニュースです。あの「世界の波山」の大惨事…長年君臨を続けた波山慶介氏と某大物政治家との癒着をスクープしました。他にも何やらきな臭い様子…波山グループの撤退は免れそうにありません…』

 朝は確かそこに勇也の立て篭もり事件が流れていた。
 マスコミとは流れ行く川のせせらぎのように、激しく深く、そして脆い。春日が裏から手を回したと云えばそれまでだが、余りにも早いそれは無常を感じざるを得ない。
 侘しく耳に届くそれを春日、朔羅、沙倉・唯為<さくら・ゆい>、直弘・榎真<なおひろ・かざね>は遠い世界のように感じ、5人の影が暗い廊下に長く伸びていた。
 春日は擦り切れた窓から再び空を見つけ……白く舞う雪に小さく何かを願った。



Epilogue 寒い夜に

 その数日後――奇しくもクリスマス・イブに勇也は梢の死水を取ることになる。
 長年取り憑かれた死に神から開放されたかのように、

「本当は神様なんか信じてなかったの…お兄ちゃんだけで私は十分幸せ……」

梢は穏やかに笑って勇也の温もりに触れ――……そして逝った。
 最期まで手にしていたのは梢が普段、肌身離さず付けていた十字架でも願い事を掛けた千羽鶴でもなく、1枚の色褪せた写真だった。日付は13年前のもので……少年が泣きべそをかいた少女を抱っこしている…そんな日常の1コマを梢は握り締めて離さなかった。

 勇也は出頭し、これから警察を経て検察、起訴となり裁判を受ける。情状酌量の余地はあるだろうが、監禁罪と要求罪…罪は罪として青年は背負わなくてはならない。
 そして、彼にとっての『梢』はきっと心の内に生き続けるのだろう。想いを決して風化させないと勇也は茶髪を黒髪に染め直し、そう強く云った。彼の瞳はやはりまだ赤かった。


『もしもしー』
「あぁ…俺」
『おぅはるひー? どしたッスか?』
「あぁ…悪ぃんだけどさ…イヤ悪かねぇか…今から来いよ」
『今から? …もう夕暮れッスけど…』
「いいから来いよ…」

 少年はそう云うとピっと携帯のボタンを押した。
 閑々と寒い夜はすぐそこだ。
 金があっても力があっても何があっても――……
 
 警官に連行される勇也の後ろ姿を春日は見送りながらトン、と携帯電話に頭をコヅかせた。
 遠くで流れるクリスマスソングが淋しく耳に届き、吐く息の白さが無性に人恋しさを覚えさせる。
 すると、先ほど切った筈の携帯が小さく音を鳴らして手の中で震えた。

『何があったかは知らないッスけど、今からマッハで行くから元気出せー(^−^)』

 踊りだしそうな文字に春日はハッと小さく笑う。
 冷たい風が黒髪を揺らすと少年は薄く染まった空を仰いで――何かを堪えた。


Fin


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0867 / 神薙・春日(かんなぎ・はるか) / 男 / 17 / 高校生/予見者】
【0231 / 直弘・榎真(なおひろ・かざね) / 男 / 18 / 日本古来からの天狗】
【0579 / 十桐・朔羅(つづぎり・さくら) / 男 / 23 / 言霊使い】
【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい) / 男 / 27 / 妖狩り】

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■         ライター通信          ■
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* こんにちは、本依頼担当ライターの相馬冬果です。
 この度は、東京怪談・草間興信所からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は人間ドラマを中心とした展開となっております。
 梢の結末は悲しいことではありますが、あまり胸を痛まれませんように……。
* 物語の全容も含めて、勇也や梢、波山慶介に対する感情、行動、進展度などは、
 他の参加者の方のノベルにも目を通されますとより一層楽しんで頂けると思います。

≪神薙 春日 様≫
 再びお会い出来て嬉しいです。ご参加、ありがとうございました。
 神薙さんの『力』は今回の件でとても効力を発揮し、物語の核心を突く部分まで…。
 プレイングを拝見し、カッコよくそれでいて小悪魔チックに描写出来ればと
 色々思いあぐねて執筆してみましたが、如何でしたでしょうか?
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……


 相馬