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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


神様なんていらないから…

Opening 絡まる思惑

 神様なんていらないから、お兄ちゃんと一緒に過したかったの……
 神様なんていらないから、小さな幸せが欲しかったの……


『臨時ニュースをお伝えします。
 本日午前9時30分頃、渋谷、喫茶店・カフェリアにて立て篭もり事件発生。犯人は客4名を人質に3,545万円の金と逃走車を要求…繰り返します…』

 草間武彦は流れる慌しい声に眉間を寄せ、新聞に落としていた視線を思わずテレビに向けた。

『今、新たな情報が入りました! 犯人は1人、26歳無職男…容疑者の名は溝口勇也(みぞぐちゆうや)…』

 マイクを片手に必死で画面に訴えるリポーター。騒然とする背後の人込み。
 相変わらず東京という都市は、小さな事件から大きな事件まで…パニック状態に陥らないと気が済まないらしい。
 草間は冷めかけたコーヒーカップを手に取るとズズっと啜る。勿論、上目でテレビを凝視しながら、だ。
「で? 俺にあの男を殺しに行けと?」
 乱れた新聞をバサバサっと畳みながら疲れた口調で草間は云う。再度コーヒーを口に含む程度呷ると今度は忙しなさい仕草で煙草を咥えた。
「あぁ…頼む」
 時計は10時を少し回った所だった。珍しく草間興信所には朝早くからの来訪者…ソファにスーツで身を固めた中年男性が1人。
「あれは私の息子だ。最も妻が10年前に連れて出たっきり会ったことはないが」
 指に幾つもの成金趣味的な指輪をはめたその男が差し出した名刺を、草間はへの字口で受け取る――波山電子株式会社社長・波山慶介(はやまけいすけ)――波山電子と云えば不況の中でも確実に成長を見せる『世界のハヤマ』だ。
「仮にも波山の息子があのようなタワケたことを仕出かしてる…警察など金を抱かせれば後で何とかなる…が」
 噂は尾ひれをつけ、やがては波山を脅かす、と男は吐き捨てるように云った。
「昔からアイツはそうだ…金をやっても物を与えても私にはなびかん。挙句の果てに立て篭もりだと? いつまでも私を甘く見ていたら困る。アイツには私の会社はやれん」
 男はテレビに映るその光景を苦虫を噛み潰すかのような表情で眺めると、草間に再度「殺してくれ」と口を開いた。
「……それにしても、何故、彼は3,545万円と云う中途半端な金を要求してるんですかね…どうせやるなら銀行にでも入って1億掻っ攫った方が…」
 煙草の煙を燻らせながら草間はポリポリと頭を掻いた。敢えて波山慶介の要求は流すかのように。
「ふん…決まっておる。梢(こずえ)の手術代にだろう…」
 男もそこで葉巻を取り出し、机に置いてあったライターで火を点けた。忌々しそうに鼻を鳴らす。
「梢はあれの妹だ。とは云っても妻が浮気して作った子だから私の子ではないが」
「そこまで分かってて、何故、彼に手術代を貸してあげないのですか? そうすれば立て篭もりなど、彼はしなかったでしょうに」
「チンピラ崩れが知った口を聞くもんじゃない」
 波山慶介は草間を汚いものを見るかのような油切った視線で見下すと、まぁいい、と云って懐から幾つもの札束を取り出し、乱暴に草間の目の前に叩き置いた。
「要らぬ質問はせんでいい。こちらの要求は勇也の死だ。いいな」
 葉巻をグィグィと灰皿でもない机になし付けると男はフン、とまた鼻を鳴らして背を向ける。
 バタン、とドアが閉じる音と男の背中を見送ると草間は盛大な溜息と共に机をドカンとイキオイに任せて蹴った。
「狸ジジィめが…誰がこんな依頼、受けれるか」
 苛立たしそうに咥えた煙草を噛むと草間は目の前に詰まれた札束に視線を止める。ざっと500万…恐らくこれは前金に過ぎないだろうから、報酬はこの3倍…いや脅せばこれの10倍は搾り取れるだろう。

「いっちょ狸ジジィ相手に猿芝居でもやってみる、か?」
 暫くそれを見つめたあと、草間はニヤリ、と小さく嗤った。この男は悪人ではないが善人でもない。
「オイ、こういうのは面白くないか? 勇也を説得してこちら側に抱き込む、波山慶介には勇也は死んだと伝え金を取る、その金は梢の手術代と…あまった分はコチラで頂く」
 草間は生き生きと何かの書類の裏にボールペンで書き記していく。
「俺を馬鹿にしたらどうなるか…その傲慢さが敵を多くするってもんだ。そうだな、勇也を説得して警察を撹乱する側と、梢に会って勇也との関係を聞く側と…分かれて捜査した方がいいな。梢に説得してもらうっつーのも手だし」
 子供のように目を光らせる男――草間武彦。
「あ、それとだな。あんまり能力とか派手に使うと事が大きくなる…そこら辺は少し考えて行動しろよ」

 草間興信所、一世一代の大博打はこうして始まった。



Scene-1 胎動

 後になって考えてみれば。
 見上げた街頭のスクリーンに映し出された光景は人の興味とは正反対に非道く淋しいものだったかのように男は思う。
 12月も、もう半分が過ぎ……足早に消え去るのは人か風か運命か。見上げた視線がゆっくりと目の前の人垣に転じられると小さく風吹いた。とても冷たかった。
 黒い前髪が揺れたかと思うと、男は目を細めて人込みの向こう――喫茶店『カフェリア』を遠く見る。ここからだと有に100mはあるだろうか。私服と制服が入り乱れた捜査員がパトカーを背に緊迫した空気を醸し出していた。
 男は徐に咥えた煙草に慣れた仕草で火を点け、思わず飛び込んできた人の囁きに耳を貸す。

「捕まるのが分かっててさ、よくやるよな」
「バーカ。人生の脱落者だからあんなマネが出来るんだよ」

 紫煙がゆらゆらと昇って白く水練りの空に消えていく。――沙倉唯為は細く息を吐くと、カツン、と靴音を鳴らしてアスファルトを蹴った。規則正しい歩調が人の波を縫うように抜け、事件現場のギリギリ最前線まで近づくと、何を思ったのか急に踵を返して細い路地へと足を向ける。勿論、左手はポケットに突っ込み、脇に藤色の布で包まれた『緋櫻』を抱え、右手は愛飲の煙草、CHERRYを指の奥深く挟むと云う、この男特有の達観した流暢さだ。
 少し暗いそこを歩くとジャリ、と靴の底が小石を噛み、にゃぁ、と何処かで猫が鳴く。遠くで無機質に流れるクリスマスソングが耳に届き……大して宗教など信じてなく、イエスだのキリストだの何も興味のない人間がこぞって浮かれ気分となり街はクリスマスムード一色に染められる。
 普段は感慨も何も湧かないものだが、どうもこの妙な空気は苛立ちを孕む、と云うよりかは物悲しく思えてしまうのは何故だろうか。思わず路地を抜けた先の外の明るさに眉を顰めながら、唯為は半分程吸った煙草を脇にあった灰皿へと押し付け、消した。

 イルミネーション用のライトが枝に絡まった街路樹が道路に沿うように植えられ、その向かいを少し入ったところにあるのが、カフェリアの裏口である。当然のことながら、裏手にも警官が配置されており、『WARNING』の黄色のテープが引かれていた。しかし、野次馬根性の人は先ほど見た表の4分の1程度で、大概が「何だろう?」と自転車を押しながら誘導員に案内されている。隙を突くならここしかない。
 唯為はズボンのポケットに突っ込んでいた左手を出し、腕時計に視線を落とす――10:48am。草間興信所から車で15分、下見で10分、突入で5分、勇也の説得(と云うか捻じ伏せ)3分……回転の速い男の頭の中でパチパチっとシュミレーションが働くと後は簡単。諸々の障害がないことを念じながら実行あるのみだ。
 流石の唯為も「まだ」殺人には興味がない。さっさと済ませ、狸オヤジの鼻明かしでもしてやりたいもの……人間と云うものは生きる年輪に比例して澄むか濁るかのどちらかで、隠居のジジィや狸オヤジは後者の方だと云わざるを得ない。
 そうして唯為が小さな溜息と共に再び視線をカフェリアの裏口――まばらに人が立っている手前に向けたときだ。ヒョコヒョコと背伸びをして中を伺う少年がいるではないか。深いグレイのダッフルコートにミルクコーヒーのような穏やかな色のマフラーを深々と巻いた――直弘・榎真<なおひろ・かざね>である。
 特徴ある後ろ姿が妙に可愛らしく動いているのを男は見て、口の端を小さく吊り上げた。
――ちょうどいい。手頃に使ってやるか。
 銀色の眼が悪戯心に光り、止めていた足を動かす。
「オイ」
 大きな手のひらを頭に遠慮なく置いてガシィっと鷲掴みにすると、唯為は不敵に嗤った。



Scene-2 小さな後悔

「表も裏も警官……事を大きくするのは好ましくないな」

 現場から少し離れたショーウィンドウの前。
 唯為は寒々としたガラスに背を預けると内ポケットからシガーケースを取り出し、左奥に見えるカフェリアとの位置を確認する。
「でも、騒ぎデカくしないと入り込む隙が出来ないんじゃねぇ?」
 唯為がZIPPOを弾くのを横目で見ながら、榎真はマフラーを引き上げる。フム、男は徐に考えを巡らせるが……。
――突破口が必要なら、俺が銃刀法違反で皆様方の注目を浴びている隙に中へ侵入してもらってもいいんだが……変に騒ぎ立てて収拾がつかなくなってもマズい。
 燻らせた煙に目を細めながら、何となく自分が珍獣扱いされるのが目に見えて男は失笑する。
「…では、どうする」
 ジジジ…と先が紅く燃え、灰が大きくなるのを感じながら唯為は少年を見た。
「渋谷だし…ちょっと俺にいい考えが」
「いい考え?」
 まぁ待っててな、と少年はニッと笑うとくるりと男に背を向け、ヒョイと風のように歩道の植木を飛び越えると、車が切れたのを見計らって向側へと渡っていってしまった……何やらキョロキョロと辺りを見渡しているようだが遠目となってあまりよく見えない。
 その姿を溜息と共に見送ると、唯為はポケットに突っ込んだ携帯電話を取り出す。
「…………」
 ディスプレイに不在着信がないことを確認し、男はパチンとまた濃紺のそれを閉じてスーツの右ポケットに入れた。
――アイツのことだ…妙に入れ込まなきゃいいが。
 煙草を咥えたまま銀色の眼を少し細める。
 手元に置いておくのが一番安心だが、それは逆に違う一面の危険を孕むと云うもので……別行動をとったが無事に病院へ辿り着けたのだろうか。最近、少し顔が会わせ辛く送ってやれなかったが、こうして阿呆みたいに何度も着信履歴を気にするなんぞ…こんなことなら子供染みた感情に振り回されるんじゃなかった。
 唯為は噛むように細く長い煙草を上下に僅かに動かすと、クシャリと前髪を掻き上げた。小さな後悔が集って息が詰まっていた。

「…何? 火事??」
 それから間もなく――道路向かいのビル群の隙間から濃厚な白濁の煙が這う様に、そして龍の如く駆け上がるように立ち昇るのを唯為は目撃することになる。
 男は思わず背をガラス張りのウィンドウから外し、それを凝視するが不思議と煙のような焦げた匂いはしない。
――霧か?
 云う間にそれは左斜め向こうにあるカフェリア中心を取り巻くように流れ、ザワザワと人の動揺の声があちらこちらで上がり始める。
「沙倉たん、行こう」
 視線をカフェリアに向ける男に声を掛け、路上に沿うように置かれた自転車やバイクを軽く飛び越えて来るのは先ほど去っていった榎真だ。この少年の得意そうな表情を見るに、彼が何かを仕掛けてこの霧が発生したようだが、ここでそれが何故だとか色々と理由を問い詰めるよりかは、折角お膳立てされたこの状況を無駄なく利用したいと唯為は直感的に思う。
 そしてその男に、
「俺に遅れを取るなよ」
 赤い瞳を嫌に真面目に光らせた少年。へへん、と鼻を鳴らして爽やかな笑顔を浮かべる榎真に唯為は、
「……ホーゥ」
 更なる爽快な笑顔と強力過ぎるヘッドロックで無理やり口を捻じ伏せたのは云うまでもない。



Scene-3 真実と現実

 喫茶店・カフェリア。店長の男性含め、従業員4人。
 文字通り「霧に紛れて」店内へと侵入した唯為と榎真は、恐ろしく静かな室内に訝しく眉を潜めた。
「アレ…?」
 男の脇から顔を覗かせた少年は、全くと云っていいほど閑散としたその空気に逆に不信感を募らせる。右手にカウンター、左手のフロアにテーブルが5脚程度置かれ、ログハウス式で纏められたこぢんまりとした喫茶店だった。何処か懐かしい雰囲気を醸し出しているのは店主の人柄だろうか。
 緊張の糸も何も垣間見えないその店内をキョロキョロと見渡す榎真を余所に、唯為はゆっくりと店内に視線を巡らせた。コツコツと僅かに靴音をさせながら、隙の無い仕草でザッと眺めると、左クランクの向こうに細い階段を発見する。どうやら2階にも客席があるらしい。
「オイ」
 男はそれを見つけるや否や、後ろで観賞植物の葉っぱを弄くっている少年に顎でしゃくって先を促す。シャッターが下ろされた薄暗い店内だったが、右カーブを描いた階段の先から僅かに光が漏れているのが映る。間違いない。


「アンタら…誰だ……?」

 2人揃って細く行き場のない階段を上ることは些か危険に思われたが、ハッキリ云ってあまりここで時間を費やす気は唯為にはなかった。元々、説得なんぞ性に合う筈もないし合わせる気もない。
 テーブルが蹴り飛ばされ、椅子が無防備に転がる一室――勇也は短く立てた髪をブラウンに染め、黒いダウンジャケットに身を包んだ、所謂「何処にでもいそう」な青年だった。いや、実際に聞いていた年齢よりも遥かに童顔だろうか。両手でお守りのように掴んだ包丁が、2人の存在に小刻みに揺れている。
「お前とオヤジの間に何があるのかは知らんが…その思い切りの良さだけは評価してやる」
 少し呆れた口調で男は云い捨て、刃渡り20cm程度の包丁を握り締めている青年を見据えると、だがな、と続ける。
「だがな、少しは頭を冷やしたらどうだ?」
 唯為は口を開くと流暢に足を進めた。2階は1階の3分の1程度の広さ。この程度なら仮に勇也が癇癪を起こして何か事に及んだとしても、一足飛びで叩き伏せることが可能だと一目で分かった。大して気張る必要はない。
 恐らくブラインドが下ろされた部屋は外気温より体感温度が低いのではなかろうか。榎真は小さな溜息と共にマフラーを引き上げると、
『なぁ、沙倉たん……病院の方と連絡取って、妹さんに協力してもらった方がいいと思うんだケド』
少年は男に聞こえる程度の声で囁く。勿論、勇也に気取られないよう視線は前に貼り付けたままだ。
『…ホラ、俺らって説得とかより肉体派だろ?』
 チラリと赤い瞳を上に向けて男の表情を伺う。
「…………」
 その榎真に唯為は短い沈黙の後「阿呆」と一言釘を刺すと、木で張られたフロアを蹴った。同時に勇也が身じろぎし、白いブラインドが下ろされた窓際へと後ずさる。カシャンと青年の背がブツかって乾いた音を立てた。
「お前ら…オヤジの差し金か? 金で買われたかイヌか」
 警戒心を剥き出しにした黒い瞳が2人に向けられ、
「ならオヤジに帰って伝えろ…俺は梢に一生を懸けるってな…アンタの大事な会社も叩き落としてやるってな…!」
勇也は非道く興奮しているようだった。目の前の事態もこれからの未来も、悲観的にしか…投げやりに考えていない。

「…それで?」
 唯為は一通り云い切った青年に冷めた口調を投げた。
「それで、お前は自分勝手なエゴで騒ぎを起こして…周りに多大なゴメイワクをお掛けしまくって…それで十分満足か?」
 カツン、と靴音が僅かに鳴ると銀色の眼が煌々と光る。
「置いていかれる者の気分はどんなものか考えたことはあるか?」
 思わず過ぎる藤色の羽織の後ろ姿に何とも云えぬやるせなさを感じながら瞳を伏せる。男は左手に携えた緋櫻を握り締める手に力を込めたが――しかし。
 しかし、次に飛び込んできた科白は身を斬るように切ないものだった。

「…ウルサイ…梢の心臓はもう…もう一ヶ月も持たないんだ…」

 ドスン、と壁に背を預けそのままズルズルと座り込んだ青年に榎真は言葉を失った。チクショウ…と前髪を掻き上げる勇也は泣いているのだろうか。白い息が一瞬で消え、空気は更に沈む。
 そして、何か――何かの来訪をゆっくりと告げるべく、唯為の携帯が静かに部屋に鳴り響いた。



Scene-4 囚われ

 濃紺の携帯が赤いランプを点滅させ、数度鈍い音を立てて震えると、唯為は勇也を視界に掠めながらパチンとそれを開く。
 閉ざされた室内の所為か些か電波が悪かったが、ディスプレイに映し出された『非通知設定』の文字は、何故か電話の主を男に確信させていた。

『そこに勇也はいるか?』

 予想した以上に沈んだ声が携帯の向こうから響くと、唯為は、
「……あぁ。居ることは居るがな」
 抜け殻のように動かない勇也に榎真はそっと近づく。出来れば包丁は没収しておきたい。
『とにかく、梢と話させたい……私や貴方が言葉を伝えるよりかは…』
 電話の主――十桐・朔羅<つづぎり・さくら>は静かに云う。唯為は小さく溜息を吐いて、少し待て、と口を開いた。
 先ほど、勇也が窓際に身を寄せた所為で姿を見られたのか、外が騒がしくなっている。突入は時間の問題かも知れない。
 男は携帯電話を耳から外すと、頭を項垂れさせた青年に、
「出ろ」
短く命令する。そして榎真に視線を配り、退路の確保を促す。そう云えば、カフェリアに入ってから人質の姿が見当たらない。勇也が何処かに閉じ込めたのか…それとも逃げられたのか。少年は小さく頷くとまるで飛ぶように階下へと身を翻した。

『……お兄ちゃん…?』

 携帯の向こうから漏れる微かな声。
「…梢…梢か……」
 勇也はしがみ付くように携帯電話を握り締めた。声が震えている。
『…私の気持ち…お兄ちゃんに分かる…? こんなに…こんなに怖いんだよ』
 涙交じりの声は唯為にも届いていた。静かに響く梢の声に勇也は耐え切れなく自分の胸を掴んだ。
『怖かった…現実を見るのがすごく怖かったの…いつ死んじゃうかも知れない自分の躯と…それに苦しんでるお兄ちゃんを見るのが怖かったの…』
「…………」
『だから……お願いだから……お兄ちゃんがいてくれたら私それで構わないから…』

――傍にいて……。

 縋るような梢の叫びが勇也の耳に届いた。
 男は座り込んだ青年を見下ろしていたが、また泣き崩れる勇也に云いようのない無常を感じざるを得なかった。不器用過ぎるこの青年と形は違えど自分も同じではなかろうか。
 どうしようもない鎖に囚われ、動けなくなっている自分自身を認めたくなく、こうして遠回りをしてしまう。
「…………」
 唯為は頭を左右に振って緋櫻を握り締めると、床に手を落とした勇也から携帯電話を拾い上げる。
「…お前の意思で行ってやれ」
 前髪をクシャリと掻き上げて背を向けると、迷いを含んだ銀色の瞳が一瞬にして閉ざされた。



Scene-5 疾風怒濤の幕開け

「様子はどうだ」

 勇也を連れて2階から降りた唯為は階下で先に待機していた榎真に声を掛けた。
「んー…まぁ半分…程度は巻けたかと思うケド」
 榎真の返事は正確な数字を生み出さない。中からの確認出来うる範囲では仕方のないことだろう。
「取り敢えず俺が外に出て……警官に事情を話して、それから梢のトコへ行く」
 青年はおずおずとそう云った。だが、返って来たのは少年の『バカ』と男の『阿呆』の一言だけ。
「今捕まったら、ソッコーで署に連行だぜ?」
 少年は呆れた口調で肩を竦めると、男は溜息を漏らした。

 そうこうしているウチに騒ぎが次第に大きくなっていく。折角、榎真が散らした人間も時間が立てば舞い戻る。ここで幾つかの論議に花を咲かせている場合ではない。
「どうする?」
 榎真は階段を下りてきた唯為に赤い眼を向けた。
 切羽詰った状況には違いなかったが、男はこの空気に焦ることはなく、やれやれと大きく息を漏らすと、
「コイツを連れて梢の病院に行く」
 云いしな、左手に携えていた緋櫻を藤色に包まれた袋から取り出した。
 まるで斬りつけられんばかりの殺気が刀には込められており、勇也はゴクリと唾を大きく飲み込む。
「突破するぞ……遅れるな」
 吐き捨てるように男が云うとそれを合図に榎真は風のようにカウンター内から身を翻し、白濁の外へと3人は姿を消した。



Scene-6 奏でる声と流れ行く時と

 疾風の如く路地を駆け抜け、遅れる勇也を忘れないように気配を飛ばし、深紅のBMWに3人は乗り込んだ――唯為の愛車だ。
 路上脇に止められていたそれは、数度、噛むようにアクセルを吹かすと轟音を立てて発進する。思わず慣性の法則に従って勇也と榎真が後ろに引っ張られた程だ。
「沙倉たん…もっと安全運転…」
 アイタタ、と頭を押さえる少年に唯為は容赦ない。サイドボードに置いてあったサングラスを片手で慣れた風に掛けると、更にアクセルを踏み込んだ。
「舌を噛みたくなかったら大人しくシートベルトでもして座っておけ」
 交差点をまるで映画の1シーンのようにハンドルを切ってスピードを落とさず曲がり、ハイウェイの看板が横を駆け抜けると、男は内ポケットからシガーケースを取り出し1本咥えた。

「梢に…白い世界しか知らない梢に…俺の姿と外を見せてやりたかった…」
 無事に高速道路に乗ると、後部座席に座っていた勇也はつと喋りだす。
「梢が生まれたことで…オヤジと母さんの仲は決定的なものとなった…オヤジは気付いてたんだ、梢が自分の子じゃないってこと…」
「…………」
「梢は生まれたときから心臓が悪くって…ハタチまで生きれたら十分だってそう医者に云われてた。梢は今年で21になる…」
 勇也は手のひらで涙を拭った。
「…母親は…?」
 助手席に腰掛けた榎真は肩越しに小さく振り返る。青年は首を振った。
「母さんは癌で5年前に……梢は目の前で母親が死ぬのを見てる。死ぬことに対する恐怖は…多分…」
 人一倍敏感だ、と勇也は口にすると、でもな…と更に続けた。
「梢よりも何よりも…俺が…俺自身が怖いんだ…考えるだけで涙が出てくる…俺…梢が好きなんだ」
 一瞬口篭ると勇也は長年ずっと押し込めてきた気持ちを吐き出すかのように言葉を紡いだ。


 病院に到着すると、神妙な面持ちをした2人が手術室の前にいた。朔羅と神薙・春日<かんなぎ・はるか>である。
「容態が急変して…1時間程前から…」
 春日はそう云うと赤く灯る『手術中』のランプに視線を向ける。
「梢……」
 勇也は呆然と立ち尽くす。握り締められた拳が小さく震えていた。
 そこに、待合室から流れた大きすぎるテレビの声が廊下に長く遠く響き渡る。

『ここで臨時ニュースです。あの「世界の波山」の大惨事…長年君臨を続けた波山慶介氏と某大物政治家との癒着をスクープしました。他にも何やらきな臭い様子…波山グループの撤退は免れそうにありません…』

 朝は確かそこに勇也の立て篭もり事件が流れていた。
 マスコミとは流れ行く川のせせらぎのように、激しく深く、そして脆い。
 侘しく耳に届くそれを唯為、朔羅、榎真、春日は遠い世界のように感じ、5人の影が暗い廊下に長く伸びていた。
 朔羅は唯為の姿を見つけると、瞳を閉ざしたまま――何も云わなかった。



Epilogue 雪が桜の如く舞う中で

 その数日後――奇しくもクリスマス・イブに勇也は梢の死水を取ることになる。
 長年取り憑かれた死に神から開放されたかのように、

「本当は神様なんか信じてなかったの…お兄ちゃんだけで私は十分幸せ……」

梢は穏やかに笑って勇也の温もりに触れ――……そして逝った。
 最期まで手にしていたのは梢が普段、肌身離さず付けていた十字架でも願い事を掛けた千羽鶴でもなく、1枚の色褪せた写真だった。日付は13年前のもので……少年が泣きべそをかいた少女を抱っこしている…そんな日常の1コマを梢は握り締めて離さなかった。

 勇也は出頭し、これから警察を経て検察、起訴となり裁判を受ける。情状酌量の余地はあるだろうが、監禁罪と要求罪…罪は罪として青年は背負わなくてはならない。
 そして、彼にとっての『梢』はきっと心の内に生き続けるのだろう。想いを決して風化させないと勇也は茶髪を黒髪に染め直し、そう強く云った。彼の瞳は泣き腫らしたのかやはりまだ赤かった。


「泣いて…いるのか」

 雪がちらつく寒い日に、梢は煙となり空に昇った。
 少し離れた場所からその様を遠く眺めていた朔羅を唯為は耐え切れなく後ろから両腕を回す。
「…これが…これが運命だとしても…人が逝くのは……やり切れない…」
 背に温もりを感じながら朔羅は白い頬に涙を流した。懸命に生きた命が手折られるのは無常と云わざるを得ない。
「…………」
 男は何も云わず……ただ回した腕に力を込め、朔羅の肩に顔を埋めた。

 閑々とした冬空の下、冷たい風が2人の髪を揺らす――雪が桜の如く舞う中で……。


Fin


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい) / 男 / 27 / 妖狩り】
【0231 / 直弘・榎真(なおひろ・かざね) / 男 / 18 / 日本古来からの天狗】
【0579 / 十桐・朔羅(つづぎり・さくら) / 男 / 23 / 言霊使い】
【0867 / 神薙・春日(かんなぎ・はるか) / 男 / 17 / 高校生/予見者】

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■         ライター通信          ■
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* こんにちは、本依頼担当ライターの相馬冬果です。
 この度は、東京怪談・草間興信所からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は人間ドラマを中心とした展開となっております。
 梢の結末は悲しいことではありますが、あまり胸を痛まれませんように……。
* 物語の全容も含めて、勇也や梢、波山慶介に対する感情、行動、進展度などは、
 他の参加者の方のノベルにも目を通されますとより一層楽しんで頂けると思います。

≪沙倉 唯為 様≫
 再びお会い出来て嬉しいです。ご参加、ありがとうございました。
 今回は沙倉さんの愛車がなければ、勇也を梢の元に届けることは出来ませんでした。
 事件に対する考え方など、「なるほど」と思わず納得した点もあり、
 1本筋を通した雰囲気を出せれば…と描写してみましたが如何でしたでしょうか?
 それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……


 相馬