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神様なんていらないから…
Opening 絡まる思惑
神様なんていらないから、お兄ちゃんと一緒に過したかったの……
神様なんていらないから、小さな幸せが欲しかったの……
『臨時ニュースをお伝えします。
本日午前9時30分頃、渋谷、喫茶店・カフェリアにて立て篭もり事件発生。犯人は客4名を人質に3,545万円の金と逃走車を要求…繰り返します…』
草間武彦は流れる慌しい声に眉間を寄せ、新聞に落としていた視線を思わずテレビに向けた。
『今、新たな情報が入りました! 犯人は1人、26歳無職男…容疑者の名は溝口勇也(みぞぐちゆうや)…』
マイクを片手に必死で画面に訴えるリポーター。騒然とする背後の人込み。
相変わらず東京という都市は、小さな事件から大きな事件まで…パニック状態に陥らないと気が済まないらしい。
草間は冷めかけたコーヒーカップを手に取るとズズっと啜る。勿論、上目でテレビを凝視しながら、だ。
「で? 俺にあの男を殺しに行けと?」
乱れた新聞をバサバサっと畳みながら疲れた口調で草間は云う。再度コーヒーを口に含む程度呷ると今度は忙しなさい仕草で煙草を咥えた。
「あぁ…頼む」
時計は10時を少し回った所だった。珍しく草間興信所には朝早くからの来訪者…ソファにスーツで身を固めた中年男性が1人。
「あれは私の息子だ。最も妻が10年前に連れて出たっきり会ったことはないが」
指に幾つもの成金趣味的な指輪をはめたその男が差し出した名刺を、草間はへの字口で受け取る――波山電子株式会社社長・波山慶介(はやまけいすけ)――波山電子と云えば不況の中でも確実に成長を見せる『世界のハヤマ』だ。
「仮にも波山の息子があのようなタワケたことを仕出かしてる…警察など金を抱かせれば後で何とかなる…が」
噂は尾ひれをつけ、やがては波山を脅かす、と男は吐き捨てるように云った。
「昔からアイツはそうだ…金をやっても物を与えても私にはなびかん。挙句の果てに立て篭もりだと? いつまでも私を甘く見ていたら困る。アイツには私の会社はやれん」
男はテレビに映るその光景を苦虫を噛み潰すかのような表情で眺めると、草間に再度「殺してくれ」と口を開いた。
「……それにしても、何故、彼は3,545万円と云う中途半端な金を要求してるんですかね…どうせやるなら銀行にでも入って1億掻っ攫った方が…」
煙草の煙を燻らせながら草間はポリポリと頭を掻いた。敢えて波山慶介の要求は流すかのように。
「ふん…決まっておる。梢(こずえ)の手術代にだろう…」
男もそこで葉巻を取り出し、机に置いてあったライターで火を点けた。忌々しそうに鼻を鳴らす。
「梢はあれの妹だ。とは云っても妻が浮気して作った子だから私の子ではないが」
「そこまで分かってて、何故、彼に手術代を貸してあげないのですか? そうすれば立て篭もりなど、彼はしなかったでしょうに」
「チンピラ崩れが知った口を聞くもんじゃない」
波山慶介は草間を汚いものを見るかのような油切った視線で見下すと、まぁいい、と云って懐から幾つもの札束を取り出し、乱暴に草間の目の前に叩き置いた。
「要らぬ質問はせんでいい。こちらの要求は勇也の死だ。いいな」
葉巻をグィグィと灰皿でもない机になし付けると男はフン、とまた鼻を鳴らして背を向ける。
バタン、とドアが閉じる音と男の背中を見送ると草間は盛大な溜息と共に机をドカンとイキオイに任せて蹴った。
「狸ジジィめが…誰がこんな依頼、受けれるか」
苛立たしそうに咥えた煙草を噛むと草間は目の前に詰まれた札束に視線を止める。ざっと500万…恐らくこれは前金に過ぎないだろうから、報酬はこの3倍…いや脅せばこれの10倍は搾り取れるだろう。
「いっちょ狸ジジィ相手に猿芝居でもやってみる、か?」
暫くそれを見つめたあと、草間はニヤリ、と小さく嗤った。この男は悪人ではないが善人でもない。
「オイ、こういうのは面白くないか? 勇也を説得してこちら側に抱き込む、波山慶介には勇也は死んだと伝え金を取る、その金は梢の手術代と…あまった分はコチラで頂く」
草間は生き生きと何かの書類の裏にボールペンで書き記していく。
「俺を馬鹿にしたらどうなるか…その傲慢さが敵を多くするってもんだ。そうだな、勇也を説得して警察を撹乱する側と、梢に会って勇也との関係を聞く側と…分かれて捜査した方がいいな。梢に説得してもらうっつーのも手だし」
子供のように目を光らせる男――草間武彦。
「あ、それとだな。あんまり能力とか派手に使うと事が大きくなる…そこら辺は少し考えて行動しろよ」
草間興信所、一世一代の大博打はこうして始まった。
Scene-1 直弘 榎真
その日は手も凍るような寒さから始まった。
タッタッタ、小気味の良い足取りでアスファルトを蹴る少年が、街頭に映し出される映像に眉を潜めたのは、つい先ほどのことだ。ガヤガヤとした雑音に塗れたその映像はここからすぐ近くの現場のもので、モザイク掛かった写真やら憶測に憶測を呼んだテロップやらがリポーターの前に表示されては、スタジオの評論家が神妙な面持ちでそれらしい御託を並べている。
暗い影を落とした濃紺の髪が冬を知った風に一瞬流れると、少年――直弘榎真は赤い眼を僅かに細めた。
「大きく出ましたね、草間さん」
草間興信所が入っているビルの1階にある自販機前での1コマ。ホットコーヒーを買いながら、榎真は呆れたような、それでいて楽しそうな笑みを階段から降りてきた草間に向けた。500円硬貨を慣れた手つきで投入すると、ピっとボタンを押す。
「バーカ。これでも後悔ぐらいしてんだぜ?」
草間は苦く笑いながら頭を掻く。この男は大した自信を持って行動を起こしながらも何処か気弱と云うか「どうしたもんか」と云った迷いが存在する。その様子に少年はまた少し笑みを浮かべると、もう1本ブラックコーヒーを買い、取り出し口から出すと草間にヒョイ、と投げた。
「奢ってあげますよ」
少年はそう云ってプシュっとアルミのプルを開ける。温かい香と共に白い湯気が榎真の鼻を擽った。
「…なぁ、榎真。この事件の場合、一番スタンダードな解決はどのルートだと思う?」
男もプルを開けて軽く呷ると、灰色の床に視線を釘つけて口を開く。榎真は思わず草間を見た。
「スタンダード…って、俺、あんまり頭ン中だけで答えを出すのは苦手っつーか嫌いなんですケド…」
天井の隅を見上げて小さな沈黙の後に少年は苦笑いを零すと、
「まぁ面白そうだし、なるようになりますよ」
手が程よく暖まった所で榎真は、またコーヒーに口付けると無理やり流し込んで、2mほど先にあるクズ入れに手首のスナップを利かせて放り投げる。ガシャン! とフロアに喚くような金属音が響くと少年は草間に背を向けた。
――さて、どうする。
榎真は渋谷・カフェリアの裏手に回っていた。
表にも目を通したが、あまりにも野次馬の類が多すぎる。こちら側ならば捜査員と通行人ぐらいで何かと動きやすいだろう。
少年は殆ど顔半分まで埋めたミルクコーヒー色のマフラーとグレイのダッフルコートに身を包んだ姿。あまり近づきすぎると警官に厄介なことを云われそうなんで、少し距離のある所からヒョコヒョコっと背伸びをして何とか中の様子を伺っていた。
そこに、だ。
背後に気配があるな、と思った瞬間、榎真は頭を強く押さえ込まれた。否、鷲掴みされたと云った方が適切だろうか。ガシィっと少年の頭をバスケットボールのように掴んだその人物を榎真は仰ぎ見ようと振り返ろうとするが、頭が上がらず――思わず視界に入ってきたのは黒いスーツのズボンとジャケットの裾。
――もしや…!
少年が赤い瞳で口をへの字に曲げると、
「オイ」
頭上から悪戯心に満ちた笑みが落ちてくる。どうやら榎真が想像した人物と同一人物――沙倉・唯為<さくら・ゆい>に間違いなかった。
Scene-2 醒める風
「表も裏も警官……事を大きくするのは好ましくないな」
現場から少し離れたショーウィンドウの前。
唯為は寒々としたガラスに背を預けると内ポケットからシガーケースを取り出し、左奥に見えるカフェリアとの位置を確認する。
「でも、騒ぎデカくしないと入り込む隙が出来ないんじゃねぇ?」
唯為がZIPPOを弾くのを横目で見ながら、榎真はマフラーを引き上げる。このご時世、ダスト口や天井裏からの進入など考えるだけでもゾッとするし、何よりあれだけの警官が配置されているのだ。易々と侵入ルートは口を開けて待ってはいない。
「…では、どうする」
ジジジ…と先が紅く燃え、灰が大きくなるのを感じながら唯為は少年を見た。
「渋谷だし…ちょっと俺にいい考えが」
「いい考え?」
まぁ待っててな、と少年はニッと笑うとくるりと男に背を向け、ヒョイと風のように歩道の植木を飛び越える。
――"風の変化"で冬の特濃光化学スモッグが"偶然"にも局地的に発生するかもしれないだろ?
車が切れたのを見計らって向側へと足早に渡ると……キョロキョロと辺りを見渡して榎真は人気のない裏手に入った。
人差し指をペロっと赤い舌で舐めると高く翳して風向きを確認する。
「北北西にやや微弱、ってトコかな」
冷たく感じる人差し指を少年は戻すと右手を目線の高さまで掲げ、口元を引き締め、瞼を閉じる。
「…俺の声、聞こえっだろ?」
すぅっと赤い眼が開けられると視界が微かに白ばみ、徐々に濃淡を増す。少年が得意そうに笑うと霧は風を見方にし、北北西――カフェリアの方向へ息づき始める…!
「おっけー」
翳した手を振り下ろし、白い風を全身に従えた少年はマフラーを少し引き下げ年よりも幼く、そして何かに取り憑かれたかのように嗤った。
「沙倉たん、行こう」
榎真は視線をカフェリアに向ける男に声を掛け、路上に沿うように置かれた自転車やバイクを軽く飛び越えた。突如発生したこの白い霧に唯為は些か驚いたようだったが、何かを察したかのように開きかけた口を閉じたようだった。
そしてその男に、
「俺に遅れを取るなよ」
赤い瞳を嫌に真面目に光らせた少年。へへん、と鼻を鳴らして爽やかな笑顔を浮かべる榎真に唯為は、
「……ホーゥ」
更なる爽快な笑顔と強力過ぎるヘッドロックで無理やり榎真の口を捻じ伏せたのは云うまでもない。
――さぁ、ミッション開始だ、突入せよ。
Scene-3 真実と現実
喫茶店・カフェリア。店長の男性含め、従業員4人。
文字通り「霧に紛れて」店内へと侵入した榎真と唯為は、恐ろしく静かな室内に訝しく眉を潜めた。
「アレ…?」
男の脇から顔を覗かせた少年は、全くと云っていいほど閑散としたその空気に逆に不信感を募らせる。右手にカウンター、左手のフロアにテーブルが5脚程度置かれ、ログハウス式で纏められたこぢんまりとした喫茶店だった。何処か懐かしい雰囲気を醸し出しているのは店主の人柄だろうか。
緊張の糸も何も垣間見えないその店内をキョロキョロと見渡す榎真を余所に、唯為はゆっくりと店内に視線を巡らせた。コツコツと僅かに靴音をさせながら、隙の無い仕草でザッと眺めると、左クランクの向こうに細い階段を発見する。どうやら2階にも客席があるらしい。
「オイ」
男はそれを見つけるや否や、後ろで観賞植物の葉っぱを弄くっている少年に顎でしゃくって先を促す。シャッターが下ろされた薄暗い店内だったが、右カーブを描いた階段の先から僅かに光が漏れているのが映る。間違いない。
「アンタら…誰だ……?」
2人揃って細く行き場のない階段を上ることは些か危険に思われたが、ハッキリ云ってあまりここで時間を費やす気は唯為にはなかった。元々、説得なんぞ性に合う筈もないし合わせる気もない。
テーブルが蹴り飛ばされ、椅子が無防備に転がる一室――勇也は短く立てた髪をブラウンに染め、黒いダウンジャケットに身を包んだ、所謂「何処にでもいそう」な青年だった。いや、実際に聞いていた年齢よりも遥かに童顔だろうか。両手でお守りのように掴んだ包丁が、2人の存在に小刻みに揺れている。
「お前とオヤジの間に何があるのかは知らんが…その思い切りの良さだけは評価してやる」
少し呆れた口調で唯為は云い捨て、刃渡り20cm程度の包丁を握り締めている青年を見据えると、だがな、と続ける。
「だがな、少しは頭を冷やしたらどうだ?」
男は口を開くと流暢に足を進めた。2階は1階の3分の1程度の広さ。この程度なら仮に勇也が癇癪を起こして何か事に及んだとしても、一足飛びで叩き伏せることが可能だと一目で分かった。大して気張る必要はない。
恐らくブラインドが下ろされた部屋は外気温より体感温度が低いのではなかろうか。榎真は小さな溜息と共にマフラーを引き上げると、
『なぁ、沙倉たん……病院の方と連絡取って、妹さんに協力してもらった方がいいと思うんだケド』
少年は男に聞こえる程度の声で囁く。勿論、勇也に気取られないよう視線は前に貼り付けたままだ。
『…ホラ、俺らって説得とかより肉体派だろ?』
チラリと赤い瞳を上に向けて男の表情を伺う。
「…………」
その榎真に唯為は短い沈黙の後「阿呆」と一言釘を刺すと、木で張られたフロアを蹴った。同時に勇也が身じろぎし、白いブラインドが下ろされた窓際へと後ずさる。カシャンと青年の背がブツかって乾いた音を立てた。
「お前ら…オヤジの差し金か? 金で買われたかイヌか」
警戒心を剥き出しにした黒い瞳が2人に向けられ、
「ならオヤジに帰って伝えろ…俺は梢に一生を懸けるってな…アンタの大事な会社も叩き落としてやるってな…!」
勇也は非道く興奮しているようだった。目の前の事態もこれからの未来も、悲観的にしか…投げやりに考えていない。
「…それで?」
唯為は一通り云い切った青年に非道く冷めた口調を投げた。
「それで、お前は自分勝手なエゴで騒ぎを起こして…周りに多大なゴメイワクをお掛けしまくって…それで十分満足か?」
カツン、と靴音が僅かに鳴ると銀色の眼が清清と光る。
「置いていかれる者の気分はどんなものか考えたことはあるか?」
思わず過ぎる藤色の羽織の後ろ姿に何とも云えぬやるせなさを感じながら瞳を伏せる。左手に携えた『緋櫻』を握り締める手に力を込めたが――しかし。
しかし、次に飛び込んできた科白は身を斬るように切ないものだった。
「…ウルサイ…梢の心臓はもう…もう一ヶ月も持たないんだ…」
ドスン、と壁に背を預けそのままズルズルと座り込んだ青年に榎真は言葉を失った。チクショウ…と前髪を掻き上げる勇也は泣いているのだろうか。白い息が一瞬で消え、空気は更に沈む。
そして、何か――何かの来訪をゆっくりと告げるべく、唯為の携帯が静かに部屋に鳴り響いた。
Scene-4 白い幻
濃紺の携帯が赤いランプを点滅させ、数度鈍い音を立てて震えると、唯為は勇也を視界に掠めながらパチンとそれを開く。
閉ざされた室内の所為か些か電波が悪かったが、ディスプレイに映し出された『非通知設定』の文字は、何故か電話の主を男に確信させていた。
『そこに勇也はいるか?』
予想した以上に沈んだ声が携帯の向こうから響くと、唯為は、
「……あぁ。居ることは居るがな」
抜け殻のように動かない勇也に榎真はそっと近づく。出来れば包丁は没収しておきたい。
『とにかく、梢と話させたい……私や貴方が言葉を伝えるよりかは…』
電話の主――十桐・朔羅<つづぎり・さくら>は静かに云う。唯為は小さく溜息を吐いて、少し待て、と口を開いた。
先ほど、勇也が窓際に身を寄せた所為で姿を見られたのか、外が騒がしくなっている。突入は時間の問題かも知れない。
男は携帯電話を耳から外すと、頭を項垂れさせた青年に、
「出ろ」
短く命令する。そして榎真に視線を配り、退路の確保を促す。そう云えば、カフェリアに入ってから人質の姿が見当たらない。勇也が何処かに閉じ込めたのか…それとも逃げられたのか。少年は小さく頷くとまるで飛ぶように階下へと身を翻した。
――捜査員はさっきの倍か…。
1階に1人下りた榎真は、カウンター内に設けられている小窓から外の様子を伺った。赤い眼が忙しなく左右に動かされる。
中にいても耳に届くザワついた声は即ち取り囲まれたことを意味した。ここで勇也を引き渡してしまえば、ミッションは完全に失敗に終ってしまう。
――俺が手伝っててそんなことさせるワケないだろ?
榎真はマフラーから顔を出し、顎に手を掛けて思案すると、何かを閃いたように瞳を開いた。
「沙倉たんと勇也が来る前に何とかしたいってトコだな」
苦笑いを零して少年は右腕を肩と同じ高さまで掲げ、息を大きく吸う。
「出来れば半分。ダメだったら3分の1」
そう紡ぐと、榎真の右腕は空気を抱き込み風を得た。小さな竜巻のようにそれが少年の腕に従うと、切り裂くような高音を立てて腕から離れ、小窓から抜けて行く。
「上手く誤魔化せよ」
白い『幻』は形を成し、幻影を醸し出す。
周りを張っている捜査員がこれに気を取られて場を離れてくれればいいのだが……。
榎真は小さく念じながら壁に背を預け、天井を仰いだ――勇也と梢の今後の運命はどうなるのだろうか。
妙に頭がスッキリしない感覚に少年は何とも云えぬやるせなさを感じ、乱暴に前髪を掻き上げた。
Scene-5 疾風怒濤の幕開け
「様子はどうだ」
勇也を連れて2階から降りた唯為は階下で先に待機していた榎真に声を掛けた。
「んー…まぁ半分…程度は巻けたかと思うケド」
榎真の返事は正確な数字を生み出さない。中からの確認出来うる範囲では仕方のないことだろう。
「取り敢えず俺が外に出て……警官に事情を話して、それから梢のトコへ行く」
青年はおずおずとそう云った。だが、返って来たのは少年の『バカ』と男の『阿呆』の一言だけ。
「今捕まったら、ソッコーで署に連行だぜ?」
少年は呆れた口調で肩を竦めると、男は溜息を漏らした。
そうこうしているウチに騒ぎが次第に大きくなっていく。折角、榎真が散らした人間も時間が立てば舞い戻る。ここで幾つかの論議に花を咲かせている場合ではない。
「どうする?」
榎真は階段を下りてきた唯為に赤い眼を向けた。
切羽詰った状況には違いなかったが、男はこの空気に焦ることはなく、やれやれと大きく息を漏らすと、
「コイツを連れて梢の病院に行く」
云いしな、左手に携えていた緋櫻を藤色に包まれた袋から取り出した。
まるで斬りつけられんばかりの殺気が刀には込められており、勇也はゴクリと唾を大きく飲み込む。
「突破するぞ……遅れるな」
吐き捨てるように男が云うとそれを合図に榎真は風のようにカウンター内から身を翻し、白濁の外へと3人は姿を消した。
Scene-6 奏でる声と流れ行く時と
疾風の如く路地を駆け抜け、遅れる勇也を忘れないように気配を飛ばし、深紅のBMWに3人は乗り込んだ――唯為の愛車だ。
路上脇に止められていたそれは、数度、噛むようにアクセルを吹かすと轟音を立てて発進する。思わず慣性の法則に従って榎真と勇也が後ろに引っ張られた程だ。
「沙倉たん…もっと安全運転…」
アイタタ、と頭を押さえる少年に唯為は容赦ない。サイドボードに置いてあったサングラスを片手で慣れた風に掛けると、更にアクセルを踏み込んだ。
「舌を噛みたくなかったら大人しくシートベルトでもして座っておけ」
交差点をまるで映画の1シーンのようにハンドルを切ってスピードを落とさず曲がり、ハイウェイの看板が横を駆け抜けると、男は内ポケットからシガーケースを取り出し1本咥えた。
「梢に…白い世界しか知らない梢に…俺の姿と外を見せてやりたかった…」
無事に高速道路に乗ると、後部座席に座っていた勇也はつと喋りだす。
「梢が生まれたことで…オヤジと母さんの仲は決定的なものとなった…オヤジは気付いてたんだ、梢が自分の子じゃないってこと…」
「…………」
「梢は生まれたときから心臓が悪くって…ハタチまで生きれたら十分だってそう医者に云われてた。梢は今年で21になる…」
勇也は手のひらで涙を拭った。
「…母親は…?」
助手席に腰掛けた榎真は肩越しに小さく振り返る。青年は首を振った。
「母さんは癌で5年前に……梢は目の前で母親が死ぬのを見てる。死ぬことに対する恐怖は…多分…」
人一倍敏感だ、と勇也は口にすると、でもな…と続けた。
「梢よりも何よりも…俺が…俺自身が怖いんだ…考えるだけで涙が出てくる…俺…梢が好きなんだ」
一瞬口篭ると勇也は長年ずっと押し込めてきた気持ちを吐き出すかのように言葉を紡いだ。
病院に到着したのはその20分後。
神妙な面持ちをした2人が手術室の前にいた――先ほど、唯為の携帯に電話を掛けてきた朔羅と神薙・春日<かんなぎ・はるか>である。
「容態が急変して…1時間程前から…」
春日はそう云うと赤く灯る『手術中』のランプに視線を向ける。
「梢……」
勇也は呆然と立ち尽くす。握り締められた拳が小さく震えていた。
そこに、待合室から流れた大きすぎるテレビの声が廊下に長く遠く響き渡る。
『ここで臨時ニュースです。あの「世界の波山」の大惨事…長年君臨を続けた波山慶介氏と某大物政治家との癒着をスクープしました。他にも何やらきな臭い様子…波山グループの撤退は免れそうにありません…』
朝は確かそこに勇也の立て篭もり事件が流れていた。
マスコミとは流れ行く川のせせらぎのように、激しく深く、そして脆い。
侘しく耳に届くそれを榎真、唯為、朔羅、春日は遠い世界のように感じ……5人の影が暗い廊下に長く伸びていた。
Epilogue 離さないでいたいもの
その数日後――奇しくもクリスマス・イブに勇也は梢の死水を取ることになる。
長年取り憑かれた死に神から開放されたかのように、
「本当は神様なんか信じてなかったの…お兄ちゃんだけで私は十分幸せ……」
梢は穏やかに笑って勇也の温もりに触れ――……そして逝った。
最期まで手にしていたのは梢が普段、肌身離さず付けていた十字架でも願い事を掛けた千羽鶴でもなく、1枚の色褪せた写真だった。日付は13年前のもので……少年が泣きべそをかいた少女を抱っこしている…そんな日常の1コマを梢は握り締めて離さなかった。
勇也は出頭し、これから警察を経て検察、起訴となり裁判を受ける。情状酌量の余地はあるだろうが、監禁罪と要求罪…罪は罪として青年は背負わなくてはならない。
そして、彼にとっての『梢』はきっと心の内に生き続けるのだろう。想いを決して風化させないと勇也は茶髪を黒髪に染め直し、そう強く云った。彼の瞳は泣き腫らしたのかやはりまだ赤かった。
少年は雑踏の人込みに紛れて今日も移り行く人を眺めている。
マフラーに顔を埋め、両手はコートのポケットに入れ……深い蒼の髪が冷たい風に揺れた。紅いピアスが小さく光る。
そうして、榎真が伏せた赤い瞳を横断歩道を挟んだ向かい側に転じると、信号待ちをした人々が溢れかえる中、長い髪を揺らした少女が腕時計を確認しながらそわそわと信号を眺めていた。
――そんなに慌てなくっても。
小さく笑う榎真にセーラー服の少女は気付いたのだろうか。
信号が青になると満面の笑顔で駆けて来る。榎真は白い息を吐きながらポケットに突っ込んだ右手をぎゅっと握り締め、そして彼女を待った。
遠くで幸せを願うクリスマスソングが聴こえる……――。
Fin
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0231 / 直弘・榎真(なおひろ・かざね) / 男 / 18 / 日本古来からの天狗】
【0579 / 十桐・朔羅(つづぎり・さくら) / 男 / 23 / 言霊使い】
【0733 / 沙倉・唯為(さくら・ゆい) / 男 / 27 / 妖狩り】
【0867 / 神薙・春日(かんなぎ・はるか) / 男 / 17 / 高校生/予見者】
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■ ライター通信 ■
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* 初めまして、本依頼担当ライターの相馬冬果と申します。
この度は、東京怪談・草間興信所からの依頼を受けて頂きありがとうございました。
* 今回の依頼は人間ドラマを中心とした展開となっております。
梢の結末は悲しいことではありますが、あまり胸を痛まれませんように……。
* 物語の全容も含めて、勇也や梢、波山慶介に対する感情、行動、進展度などは、
他の参加者の方のノベルにも目を通されますとより一層楽しんで頂けると思います。
≪直弘 榎真 様≫
初めまして。ご参加、ありがとうございました。
直弘さんのおかげで、無事立て篭もり現場「カフェリア」へ侵入&脱出が
出来ました。
設定を拝見しました所、沢山のこだわりが感じられ、それを1つでも上手く
描写できたら…と執筆しましたが如何でしたでしょうか?
それでは、またの依頼でお会い出来ますことを願って……
相馬
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