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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡線・地下都市 HEAVEN>


愛しき貴方に捧げる血の杯
 …ポタッ。
 …ポタッ…ポタッ…ポタッ。

 石畳を叩く奇妙な音に、女は振り返った。
 深夜の地下都市HEAVEN――月も太陽もないこの街では、電波時計【クロノ・ゲート】だけが時の経過を知る唯一の手段だ――の中央街は、一歩奥へと入れば途端に人通りが激減する。
 それまで、自分の後ろに人の気配は全くなかった。
 しかし現に、彼女の後方――20メートルほど離れたところに、小柄な男がぽつんと立っている。
 男は何をするでもなく、ただそこに立っていた。 

 右手に、血の滴る生首の入ったビニール袋をぶら下げて。



「……っていう通報があってね。実際に、ここのところ首無し死体がいくつか発見されているから、対策をとりたいんだけど」
 特殊警察機構【AX】の警部、榛名浩二(はるな・こうじ)は深々とため息をついた。
 【AX】の近くにある軽食屋【レヴァイアタン】。注文した物がなんでも必ず出てくるという、かなり変わった店である。
 偶然、浩二に出会ったため、この話を聞くことになってしまったのだが――彼がこう切り出すときは、続く言葉は決まっている。
「もし暇だったら、手伝ってもらえると嬉しいな」
 その言葉を受けて、カウンター席の浩二の隣に座る少年・直弘榎真(なおひろ・かざね)は、注文した『季節のパスタ』を飲み込んでからコクリと頷いた。
「そりゃもちろん、榛名さんが困ってるっていうなら引き受けたいけど……」
 食事中でも外さない、既に冬の定番になりつつあるマフラーを直しながら上目遣いに見上げると、浩二は安堵したように微笑む。
「よかった。直弘くんがいれば百人力だね」
 榎真は以前にもこのHEAVENで、浩二に頼まれ仕事を手伝ったことがあった。
 そのため、榎真の力のことも人柄のことも、彼はある程度は把握しているはずだ。
 それに、ある人物の情報を探るために来ている榎真としては、ただ単に浩二から情報を受け取るだけでは申し訳ない気がして――できる限り、役に立ちたいと思うのだ。
「それは買いかぶりすぎだってば」
 否定しながら、榎真は前回の事件を思い出す。
 地下水路に逃げ込んだ悪魔召喚師をほかの人たちと挟み撃ちにして、うまく追い込んだと思ったのに、突如現れた謎の女性――プロセルピナと名乗る人物に邪魔されてしまった。
 紅い髪に紅い服、紅い目をしたその女は、邪魔をするなと言って去っていった。
 それを前に、榎真は成す術もなくて……。
「とにかく、いろいろ事件のことが聞きたいんだけど。どうしようか?」
 嫌な記憶を払拭するように、明るく榎真は問う。
 特殊任務についての話を、おいそれとこんな所でできないだろうという配慮からの発言だ。
 食後のコーヒーに手を伸ばした浩二は小さく唸り、
「そうだね……じゃあ【AX】の本部のほうまで来てくれるかな。他にも協力してくれる人が来てる筈なんだ」
「わかった」
 頷いてから、榎真は残りのパスタを平らげた。
 【AX】本部ビル――普通の住人はまず足を踏み入れられない場所に入るのだと思うと、少し緊張するけれど――。



 特殊警察機構【AX】とは、HEAVENの治安維持を担当する組織の名だ。
 構成員の地位は、地上の世界の国家公務員に相当する。
 ただし【AX】に配属されるには、特殊任務適正値が80以上でなくてはならない。
 その選抜のためには極秘のテストが行われ、常人ではだいたい5から10程度の数値しか出せないというのだから、構成員は全員それなりの秀でた能力を持っているという訳だ。
 警部である浩二の場合は、ESP全般――とくにダウジングによる探索と、透視の腕を買われての入構だった。
「ただし戦闘能力は皆無に近いんだ。一応、柔術と剣術と合気術は使えるけど」
 運んできたコーヒーを皆に配りながら、浩二は苦笑した。
 ここは、【AX】本部ビル内にある来賓用の応接室である。
 臨時調査員として協力を申し出た3人――直弘榎真、朧月桜夜、夢崎英彦は正方形のテーブルの3辺にバラバラに座っていた。
 浩二が空いていた残りの1辺に座り、
「さて、何から話そうか?」
 首を傾げて3人に促した。すると3人は声を揃えて、
『……首なし死体の共通点』 
 言ってから、驚いたようにそれぞれの顔を見やる。
 別に口裏を合わせたわけではないが、全員意見は一致しているようだ。
「もし共通点があるのならそこが調査の糸口になるだろうし、無差別連続殺人ならば殺人に対する『こだわり』か『理由』があるだろうからな」
 どこからどう見ても小学生くらいにしか見えない英彦が鋭い切り口から発言したためか、初対面の桜夜は目を見開いた。
 赤色の瞳を好奇心たっぷりに光らせる。
「最大の共通点は首を切られていること。それから被害者がみんな、顔立ちがかなり整っている部類に入ること、かな」
「最大の……は本当に嫌だけど……ちゃんと被害者は特定できてるんだ?」
 首という言葉から実際の遺体を想像してしまったのか、口をへの字に曲げて榎真が尋ねた。
 顔が判らないということは、被害者の特定がかなり難しいのだろうと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「全員、確認済だよ。所持品などは全て置きっ放しになっていたからね」
「じゃあ金銭絡みとかいう線は真っ先に消えんのね。ま、始めからそれはないと思ってたけど」
 桜夜がパチンと指を鳴らした。
「被害者は容姿端麗……それならば首を集めることも犯人にとっては一興かもしれんが、それだけか?」
「今のところ。あとは日本人だったとか、そのぐらいだよ」
 ならば、首を持った男を目撃したという女性は、あまり美人ではなかったということになるのだろうか。 
 たしか彼女は襲われていないはずだ。
 英彦は眉間にしわを寄せ、再び浩二に質問を投げかけた。
「そういえば駅前の伝言板とやらで、地上から18人殺した殺人鬼が来た、と聞いたが……関連性は?」
「こっちも必死にそいつを追っているんだけど、どうしてだか足取りを掴めないんだ。もしかしたら、同一人物の可能性もあるね。目撃者の証言が曖昧で、まだウラは取れていないんだけど」 
 事件解決のヒントは、至る所に隠れているものだ。
 伝言板などという存在をすっかり忘れていた榎真と桜夜は、成程と独りごちる。
 それからすぐに桜夜は右手の人差し指を立て、それを浩二に突きつけた。
「ねぇねぇ、榛名ちゃん。囮を使うってどうよ?」
「あ、それ俺も同じこと思ってたトコ」
 榎真も頷き、浩二に視線を送る。
 無差別殺人に近いこの状況を考えると、囮を用いておびき出すのが一番簡単な気がしたのだ。
 しかし浩二は、珍しく厳しい顔で反対した。
「だけど、誰が囮になるんだい?危険だよ」 
「大丈夫!あたしの咲耶――式神で十分その役目果たせると思うし」
 陰陽術の使い手である桜夜は、式神を使役することが出来る。
 彼女がいくつか使えるうちで最強の式神が、咲耶姫だった。能力が汎用性に富んでいるため、好んで召喚しているのだ。
「それに式神なら、万が一のことがあっても大丈夫じゃん♪」 
 たとえ外部から攻撃されたとしても、式神は決して『消滅』することはない。一時的に力を失い、人型の符に戻るだけである。
 桜夜の説得が功を奏してか、ややあって浩二は頷いた。
「そこまでいうなら、お願いするよ。でも本当に気を付けてね?」
「心配は無用だ。俺もついていこう」
 自信と余裕たっぷりに、英彦が腕を組む。
 こう見えても英彦は、自らの血を媒介として、ありとあらゆる無機物を自在に変形させるという能力を持っている。
 その用途は実に様々で、先日の『地下水路にひそむ悪魔』事件でもその効果をまざまと見せつけた。
 もちろんそれを報告されて知っている浩二は、あっさりと頷いてみせる。
「頼んだよ。それで、おびき出す場所はどうしようか……今のところ被害が西地区に集中しているから、西C地区の公園を使うのが良いかな」 
「あ、あのさ榛名さん……悪いんだけど、俺」
 応接室内に展示されていたHEAVENの模型を指し示して説明を始める浩二に、おずおずと榎真が声をかけた。
「人出が必要になるまで、行きたいところがあるんだけど」
 この地下都市には、妖怪蒐集を生業としている人物がいる。
 名をクライブ・冴羽(さえば)という国籍も素性も不明の青年だが、先日一瞬だけ見(まみ)えたときに、もう少し話がしてみたいと感じたのだ。
 理由は、ひとくちでは語れないけれど。
「もちろん構わないよ。じゃあ皆に、連絡用のトランシーバーを渡しておくから……必要があったら連絡するように。俺にも何か連絡があれば、その時は遠慮なく」
「有り難う」
 榎真が礼を言って頭を下げると、浩二は軽く肩を叩く。
 見上げれば、そんなことをする必要はない、と優しい瞳が語っていた。

 それから3人は揃って【AX】本部を出発し、二手に分かれてそれぞれの目的を果たしに行くことにした。


  
 ダウンタウンの片隅に、その店は隠れるように存在している。
 従姉妹から所在は聞いていたものの、迷わず辿り着けたのが不思議なくらい、入り組んだ道を通る羽目になった。
「ここ、か……」
 榎真がどうしても訪れたかった場所だ。
 古めかしい看板には【鬼哭】の2文字が刻まれている。
 榎真が扉に手を伸ばすと、まるで待っていたかのように自動的に、音もなく扉が開いた。
「伝言を聞いて協力しに来てくれたんですか、直弘榎真くん?」  
 店の奥から届くシニカルな響きを含んだ声に、榎真は小さく身をすくませた。
 腹をくくって店の中に足を踏み入れると、入ってきたときと同じく後方で勝手に扉が閉まる。
 蛍光灯の明かりだけに照らされた店内は、ずいぶん薄暗い。
 所狭しと壷や標本箱、書物などが陳列されたその奥に、クライブ・冴羽は静かに座っていた。
「従姉妹から伝言は聞きました……けど、今日は協力とかじゃなくって」
 控えめだがハッキリと否定する榎真の言葉を耳にした瞬間、手のひらを返したように妖怪蒐集家は舌打ちする。
「チッ……ならとっとと帰って下さい。商売の邪魔ですから」
(……明らかにヒマそうなんだけど……『月刊妖怪通信』とか読んでるし……)
 そう思ったものの口にはせず、榎真はそっと彼を盗み見た。
 無造作に結わえた灰色の髪。神経質そうな赤い瞳。
 ノンフレームの眼鏡のレンズ越しに、クライブと目が合った。
「一体なんの用です?つっ立っていられるのも目障りですから、適当に座るとかしたらどうですか」
 クライブは偉そうに鼻を鳴らし、あごでその辺の椅子を指し示す。
 無言で頭を下げ、榎真はその椅子に腰を落ち着けた。
「あの。実は俺、冴羽さんに聞きたいことがあって」
 従姉妹の茅依子には、この店には近寄らないほうが良いと言われた。
 その詳しい理由はわからないが、例え危険を冒してでも来なくてはならないと思ったのには、きちんとした理由がある。
 片手を払うようにして促され、榎真は生唾を飲み込んだ。
「妖怪を集めてる貴方ならわかると思うんだけど……人間と妖怪は、相容れないモノなのかな」
「イエスと言ったら、どうするんです?」
 ぴしりと言い放つクライブに、榎真は歯噛みする。
「それでも俺は、共存できる道を探すと思う……」
 榎真の中には鬼が住んでいる。
 なんの因果か、人間でありながら妖の力も手に入れてしまった――。
「あなたは人間ですか、それとも妖怪ですか……直弘榎真くん?」
 ぼんやりと思案に耽っていた榎真に、クライブから鋭い質問が投げかけられた。
 我に返ると、手持ち無沙汰に雑誌のページをめくっているクライブと視線が合う。
「人間らしくありたいって、いつも思ってるよ」
 自嘲気味な笑みとともに、榎真は答えた。
 否定されるのが怖くて、家族とごく一部の親しい人間にしか正体を打ち明けてはいない。
 事実、榎真はもう純粋な人ではないけれど……だけどそれでも人間として生きていきたいと、心から思うのだ。
「ならば――」
 ポツリとクライブが呟いた。
「ならばそれで良いでしょう?あなたは、共存できると思っている。努力している。それは、誰かの言葉添えがなければ途端に揺らいでしまうような、弱々しいモノなんですか?……だったら諦めてしまえば良いんですよ、実にくだらない」
「ハハッ……そんな、生半可な気持ちで生きてねぇよ……」
 クライブの言うとおりだ。
 あまりに正論すぎて、おかしくて――気がつけば笑っていた。
 さっきのような、諦めにも似た暗いものではない、清々しい気持ちで。  

 そのとき、浩二から渡されていた無線機から、妙なノイズが聞こえてきた。
 
『……直弘……聞こえるか、直弘……』
「夢崎……なんかあったか!?」
 ボタンを押して返事をするが、あちらの反応は返ってこない。
「ヤバイ、行かなくちゃ……」
「どうぞ、お好きにして下さい」
 私の許可など必要ないでしょうに、と言外に言うクライブに、榎真は改めて礼を述べた。
 なんだかんだと言いつつも質問に答えてくれたこと。そして、あれはきっと――励ましてくれたのだ。
「何が起きてるかは興味ありませんが、くれぐれも私の許可なく死んだりしないように。そこらで野垂れ死ぬくらいなら、コレクションのひとつに加わって下さいね」  
「……肝に命じとく」  
 真顔のクライブに苦笑を返し、榎真は踵を返した。
 この妖怪骨董屋は、別に妖怪が人間より劣るから――人以下の存在だから集めているわけではないのだ。
 おそらくは、やがて消えていくであろう妖たちを守るため、後世に伝えるために集めているのだろう。
 彼がそうと語ったわけではないが、店内を見ていればよくわかった。
 どの品物も全て大切にされているのが伝わってくる。
「ありがと、冴羽さん」  
 従姉妹の制止も聞かずにやってきた甲斐があったと微笑を浮かべ、榎真は走り出す。
 たしか英彦たちのいる場所は、西C地区の公園と言っていたはずだ。
 
◇  

「咲耶っ!?」
 悲鳴に似た叫びが、その光景を目撃した桜夜の喉からほとばしった。
 公園の入り口付近で、流行の服を擬態した式神・咲耶姫が、首入りビニール袋を下げた男と対峙している。
 そして男の手からスルリと袋が抜け落ちたと思うと、次の瞬間、男は咲耶に掴みかかった。
 ――抵抗する隙もなかった。
 男の手刀が、まるで鋭利な刃物であるかのように咲耶の喉元を一閃する。
 その瞬間、咲耶の体は元の通りの紙切れへと変化し、無惨に切り裂かれた。
「…………!」
 小柄で、薄汚れたトレンチコートを身にまとった男は、血走った目でギラリと紙片を睨み付ける。
「なんだコレは……!」
 汚れで茶色く見える金髪を逆立てて、男は吠えた。
 だが、桜夜も負けてはいない。あらん限りの大声で、牙を剥いた。
「超ムカツクっ!よッくもあたしの咲耶に手ェ出したわね、この下衆野郎!」
 その瞳には激しい怒りの色が浮かんでおり、数メートル離れたところに立っていた英彦は思わず一歩後ろに下がった。
 鬼気迫る、とはこのことである。
「おい、少しは加減してくれよ……そいつには色々聞いておきたいことがあるからな」
 放っておいたら取って喰いそうな勢いだったので、釘を刺さずにはいられない。
「わかってるってぇの……!」
 バキリと指を鳴らし、桜夜は印を結んだ。
 英彦の危惧したとおり、全力で術を行使するつもりである。
「ナウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソハタヤ・ウン・タラタ・カン・マン!!」
 俗に、不動明王慈救咒と呼ばれるそれは、一気に男の体に収束し、内側から弾き飛ばす――はずだった。
「っなっ……!?」
 思わず桜夜が絶句する。
 男は、術をまるで受けつけないばかりか、余裕の笑みを浮かべてさえいた。
「お前の首でも良い……」
 ペロリと舌なめずりして、男はヒタヒタと桜夜に近づいた。
 ちょうどその時、榎真が現場に到着する。
「夢崎、朧月!」
 息を切らせながら英彦の横に並んだ榎真は、とっさに状況を判断して、意識を集中させた。
 榎真の力――身体の内に眠る『天狗』の力を呼び覚ます。
「鎌鼬!」
 裂帛の気合いとともに、ゴウッと榎真の掌から空気の刃が放たれた。
 それは男の足――ちょうど脛の辺りを切り裂くが、血の一滴も流れない。
 息を飲む榎真に、英彦は冷静に分析してみせた。
「もはや人間ではない、か……?」
 男の手から落ちたビニール袋から、ふたつの首が転がり出している。
 それはいずれもまだ新しい切り口で――殺されてから間もないことを意味していた。  

「いいエ――ソレはまだ人間ヨ、かろうじテ……」  
 
 どこからか、妖艶な響きに満ちた声が聞こえてくる。
 それに聞き覚えのある英彦と榎真は表情を強ばらせ、桜夜は訳も分からず苛々と髪を掻きむしった。
 独特のイントネーションの、甘い声。
 それは――先の事件の折にプロセルピナと呼ばれていた女のものに相違なかった。



 赤い色のボブカットの髪。
 身体のラインを際だたせる深紅のボディスーツ。
 そして、どこまでも見通されているかのような血の色の瞳。
 プロセルピナは、揺らめくようにして男の背後に現れた。
 まるで、空間を越えてやって来たかのように――。
「教祖様……」
 その途端、男は3人の存在などまるで無視して、プロセルピナに向かって跪(ひざまづ)いた。
 そして、ぺちゃ、と音を立てて靴を舐める。
 げっ、と桜夜が悲鳴をあげた。よく見れば、全身に鳥肌をたてているのが判っただろう。
「やはりそうか……」
 英彦の呟きに、榎真が視線で問い返す。
 全ては英彦の予想通りだった。
 ――すなわち、この男は教祖への貢ぎ物として首を集めていた。そういうことなのだろう。
 地上で18人を殺した殺人鬼かどうかは定かではないが、こちらに逃げてきてプロセルピナを崇拝するようになったのかもしれない。
「じゃあ、あのプロセルピナってのが此処のどこかで宗教を開いてるってことか?」
「詳しくは榛名にでも言って調べてもらわないとわからんが……おそらくあの女、本物の悪魔だぞ」
 英彦の知る限り、プロセルピナとはギリシャ神話におけるゼウスとデメテルの愛娘のことである。
 冥界の神ハデスの花嫁として攫われた彼女は、一年のうち数ヶ月を冥符――つまり地下で過ごすことになった。
 そしてその後、悪魔たちの女王として畏れられるようになったのだと……。
「私の正体なんてどうだったいいじゃなイ……それよリ、どうして邪魔をするノ?」
 悪びれもせず、プロセルピナは大げさに肩をすくめてみせた。
「私はこの場所が気に入ったノ……だから邪魔しないデ。3度目の忠告はないわヨ」
 悪魔召喚師事件の時と同じく、怪しげな笑みを浮かべたまま女悪魔は指を突きつける。
 そこで、それまで黙っていた桜夜が反撃に移った。
「ゴチャゴチャうるさいんだよっ」
 もう一度印を結び、真言を唱える。
「ナウマク・サンマンダ……」
「ゴミは消えテ」
 一瞬、プロセルピナの目が鋭い輝きを放った。
 同時に桜夜の身体が宙に浮かび、すごい勢いで後方に投げつけられる。
「きゃあぁぁっ!?」
「朧月!」
 榎真が振り向くが、手を伸ばしても届く距離ではない。
 頭からコンクリートに叩きつけられる――覚悟して桜夜は目をつぶった。
 だが――訪れるべき衝撃は、いつまで経ってもやってこない。
 そのかわりに、誰かのたくましい腕に抱きかかえられていた。
 少し長めの赤銅色の髪を全て後ろに流し、サングラスをかけた体格のいい男。
 いわゆる『お姫様抱っこ』で桜夜を受け止めたその人物は、重低音で問うた。
「怪我はないか?」
「あらら、いい男♪」
 現金な少女の言葉に大男は口の端を少しだけゆがめ、そっと桜夜を降ろす。
 乱れた黒いスーツを直しながら、男はプロセルピナに向かって大股で歩を進めた。
 その姿を認めたプロセルピナは、途端に険しい表情を作った。彼女がこれまでに見せたことのない表情である。
「三千院、朱門……とか言ったわネ」
 苦虫を噛み潰したような声で、プロセルピナは吐き捨てる。
 三千院朱門(さんぜんいん・しゅもん)――その名には聞き覚えがあり、3人は目を見張る。
 HEAVENの統治者。管制タワー【バベルの塔】の主。
 自分の真横を通り過ぎる朱門を榎真は無言で見送った。
 身長は、おそらく2メートル近い。
「去れ。ここは、貴様の居て良い場所ではない」
 立ち止まり、朱門がハッキリと言い放った。それを受けて、赤い女は哄笑する。
「ふン……お前の指図は受けなイ。ここを私の国にしてやるワ……ひとり残らず人間を排除してやル」
「あぐうっ……」
 ギリッ、とピンヒールで首斬り魔の顔面を踏みつけながら、睨め回すように朱門に近づいた。
「近い内ニ、必ずネ」
 プロセルピナが言うと同時に、コンクリートの地面がぐにゃりとうねる。
 バランスを崩した榎真と桜夜が慌てて体勢を立て直す中、英彦だけが悠然と佇んでいた。
 腕からは血液がとめどなく流れ、地面を赤く染めている。
 血液を媒介に無機物を操る能力を行使する――プロセルピナを捕獲するためにやむなく選んだ手段だ。
 できれば切り札は使わずにいたい。だがこの際、仕方がない。
 コンクリートは檻のように形を変え、プロセルピナに襲いかかる。
 だがそれよりも早く、女悪魔は首斬り魔を連れて姿を消した。
「あはははハ……!」
 ――耳障りな哄笑だけを残して。 



「君たちのことは、榛名と蝶子から聞いている」
 朱門は改めて3人に向き直ると、サングラスを外した。
 その奥にあるのは、金と銀のオッドアイ――想像していたよりも、優しい目をしていた。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけどー」
 無遠慮に桜夜が挙手をする。
 先程までの怒りやダメージはすっかり忘れたように元気さを取り戻していたので、英彦と榎真は密かに安堵のため息をもらした。
「っていうかお兄さん誰?あの女なに?ここは何なの?」
 矢継ぎ早に質問を繰りだす桜夜に、さすがの朱門も苦笑する。
 だが瞬時に真顔に戻り、
「私は三千院朱門。このHEAVENの統治を任されている。あの女はプロセルピナ――悪魔だ。地下の階層で宗教まがいのことをやって、様々な事件を引き起こしている。この都市については――いずれ知る時がくるだろう」
 同じく、息も継がずに答えてのけた。
「いずれ、か……」
 ハンカチをきつく縛り止血しながら、英彦が皮肉っぽく笑う。
「永遠に知らずに終わるんじゃないのか?」
「君達が望むのであれば、いつでも【塔】にくればいい。ただし、聞いたら後戻りは出来ないだろう」   
 真剣な眼差しで答える朱門に、榎真は生唾を飲み込んだ。   
「これからもまだ、あの女は手を出してくるだろう。遊び半分では、いつか必ず――命を落とすことになる」
 それだけ言って、朱門は踵を返した。
 彼は、来たのと反対側に歩いていき、ややあって車が走り去る音が聞こえる。
 その場に残された3人は、しばらく無言のまま立ちつくしていた。
 
 天国にひそむ悪魔の底知れぬ力への畏怖と、数々の疑問を胸の内に抱いたままで――。
  
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■      登場人物(この物語に登場した人物の一覧)      ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0231/直弘・榎真(なおひろ・かざね)/男/17歳/日本古来からの天狗】
【0444/朧月・桜夜/(おぼろづき・さくや)女/16歳/陰陽師】
【0555/夢崎・英彦(むざき・ひでひこ)/男/16歳/探究者】

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 お待たせいたしました。
 担当ライターの多摩仙太です。
 このたびは私のシナリオにご参加いただき、誠にありがとうございました。

 今回の依頼では、プロセルピナも首斬り魔も取り逃がしてしまいましたが、現時点では彼女に勝つことは不可能ですので、今回のパターンが最善だったと思います。
 皆さんのプレイングのおかげで、出無精な統治者も登場し、プロセルピナの目的も明らかにされましたので、成功と言っても過言ではないでしょう。

 特に今回、朧月さんのプレイングは事件の真相をほぼ看破していましたし(あのオープニングからこれだけの想像をされるというのは、本当に感心しました)夢崎さんは様々なデータを元にしっかりとしたプレイングをかけて下さっていました。探偵ごっこができなくて、私としてもとても残念です(笑)
 また直弘さんのプレイングでは、うちのNPCを気にかけて下さってとても嬉しかったです。
 そのため、途中でルートが分岐していますので、もしお時間が許せば別ルートも読んでいただけると面白いかもしれません。

 また近いうちに、HEAVENで次なる事件が起こるようです。
 そちらでもお会いすることが出来れば、これ以上嬉しいことはありません。
 それでは、今回はこの辺で失礼いたします。

 2002.12.16 多摩仙太