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<PCシナリオノベル(シングル)>


「隆之介今幸せ?」
人混みの中で難なく自分を見つけ出したのは、相も変わらぬ黒尽くめに浮きまくった青年、ピュン・フー。
 大上隆之介は目つきのよろしくない横視で、挨拶に片手を挙げた姿に深い深い息を肺から吐き出した。
「幸せじゃない」
オープンカフェで雑誌片手に優雅に朝のコーヒーを楽しんでるのはいい…が、この寒風吹きすさぶ戸外でアイスコーヒーを前に据えるなんざ一体何の冗談か罰ゲームかもしくは我慢大会か。
 みているだけで鳥肌の立ちそうだが、本人は至って平気な様子で顔に乗せた円く濃い遮光グラスを指でずらしてその瞳の赤を覗かせた。
「なんでまた」
目を瞬かせるその表情は心底不思議そうで、原因に考えが及ぶ気配はない。
「だってほら!」
些か荒い音を立て、隆之介は片手をテーブルにつくと、もう一方の腕をずいピュン・フーの眼前に差し出した。
 その腕に巻かれた包帯の白さが目に眩しい…昨日、ピュン・フー自身によって負わされた傷だ。
「ピュンピュンにやられた腕が痛くて!」
「そんなとんがるなって。まぁ悪かったな」
一応の謝罪を口にしはしたが、全く以て心が籠もっていない。
「誠意がないッ!」
言いながらよよと泣き崩れる真似をしてみせる隆之介だが、顔を上げるてニヤと口の端を上げ、「…なんてな」と傷を負った腕の手首をかくかくと振ってみせた。
 不思議と、ピュン・フーに対して負の感情は抱けない…とはいえ、隆之介は元より仲間が傷ついた場合は別として、自分に関しては無頓着…というよりも、事実は事実と受け容れる奇妙な潔さがあった。
 隆之介の親友には、「野生動物かお前は」と称されるのだが。
「面白ぇな、隆之介は」
あっさりと怒りを散らした隆之介に、ピュン・フーは喉を震わせて笑うと、コートのポケットから二枚のチケットを取り出した。
「ところで俺、今オフなんだけど…暇だったら一緒しねぇ?」
印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
 たまには大学に顔を出してばぁちゃんを安心させなきゃと思って家を出た。今日の講義は午前中だけ、午後からはバイトの予定も入ってる…というのに。
「いーぜ、付き合っても………………おごりだし」
断る理由はあるのに、思わず同意を示してしまった。とってつけたような理由までつけて。
「そ?んじゃ行くか」
カタン、と席を立ったピュン・フーが「勘定済ませてくらぁ」と店内に消える背を見送り、隆之介はまだ鈍い痛みを訴える腕に、僅かに滲んだ赤を確かめた。
「抉ってっからな…やっぱ時間くうか」
その傷を負わせた張本人と闘り合った翌日に、仲良く水族館に繰り出す羽目になるとはちょっと思いも寄らない展開に、隆之介は人生の機微に少し思いを馳せたりしてみた。


 ザッポーンと、水飛沫を上げるアシカ達の一糸乱れぬ素晴らしいコンビネーションだが、今、ピュン・フーと隆之介の周囲でそれを見ている者は少なかった。
「わー、デートだデートだッ」
「おにーちゃん、どうやってひっかけたのー?」
「おねーちゃん、ちゅーしないのー?ちゅー」
周囲を小学校低学年の黄色い帽子がわやわやと埋める。
「………群がるなッ!」
隆之介の一喝に蜘蛛の子散らしに逃げる帽子の群れ(どうやら社会見学らしい)を見送り、けたけたとピュン・フーは笑い声を立てた。
「この場合、俺がおにーちゃんで隆之介がおねーちゃんか」
一つに纏めて背に流した黒髪の長さが、性別を誤らせた原因だろう。
「…ったく、この男前を掴まえてだな…髪が長けりゃおねーちゃんで、ズボンはいてりゃおにーちゃんかっての」
純真なる子供の言質なだけにいたくプライドを傷つけられたらしい隆之介に、
「まぁスカートはいてたら間違いなくおねーちゃんなんだろーけどな」
と、微妙に論点に違う見解を返す。
「くそ、こーなったら可愛い女の子のキスでも貰わなきゃ気がすまねぇ!」
隆之介は言うなり、
『それじゃ、マルガリータちゃんとキスしたいよい子はいるかなー?』
と司会の呼び掛けに子供達の手が上がる中、「はいはいはーいッ!とってもよい子でーすッ!」と勢いよく両手を振る大人げのなさは果たしてよい子の範疇か悩む自己主張だが、その勢いで見事アシカショーの舞台に上がる三人の内に紛れ込んだ。
 ホントの意味でのよい子が二人、ベトリとアシカに幅広い舌を頬に押しつけられるのに嬉しそうな笑い声を上げるのに、客席から羨望の声が上がるが、その声は同級生達のものだ…そして、ラストを飾るは隆之介である。
『それじゃ、大きなおにーさんはしゃがんであげて下さーい。マルガリータちゃんが届かないですから…』
『そう、お兄さん!』
隆之介は何を思ったか司会のマイクを奪った。
『女性からのアプローチを待ってちゃ男が廃る!』
言うなり、隆之介はマルガリータちゃんに顔を包み込むように両手で挟みこんだ…いつもと違う展開が、アシカであるマルガリータちゃんに掴める筈もなく、彼女は戸惑うように舌を出したままで飼育係を見上げたその唇…もとい、舌、は隆之介に奪われた。
 それは彼女にとって初体験であったろう…その罪深い暴挙に出た隆之介はマルガリータちゃんの魚臭い初マウス・トゥ・マウスの栄光と、水族館のシールを受け取る事を成功した…おねーちゃんに間違えられたのがそんなにショックだったか。
 元の席に戻ればうひゃうひゃと笑い転げるピュン・フーが出迎える。
「すっげぇ、隆之介、男前すぎ………ッ」
笑いすぎて呼吸困難に痙攣しかねないピュン・フーに、昨日先に笑かしときゃ勝てたかも、と些か卑怯な手段に考えの及ぶ隆之介だが、マルガリータちゃんの円らに真っ黒い瞳にちょっぴり癒されてみたりもしていたので、まぁいいかとベタンベタンと前鰭を打ち合わせて拍手を求めるアシカ達に応じてやった。


 なかなか笑いを納めぬピュン・フーにアシカショーが終わってからしばし足止めを食ったカップル(?)は、人々からぽつんと離れて順路を回る事になった。
 いい年齢こいた野郎が二人、肩を並べてタカアシガニに威嚇されている様というのは、傍目に些か薄ら寒いものを感じはするが、「果たしてあの爪のどこまで身が入っているのか、そして美味なのか」というくだらない論争をしてみたりとそれなりに楽しんでいる様子ではある。
「冬の水族館ってのも意外と穴場かもなー」
隆之介の言は当然、次なる運命の人候補を誘ってみようという腹があったりする為だ。
「いーかもな、特に寒ぃとくっついて歩けるしな」
「………手は繋がねぇからな」
彼等の足下をきゃわきゃわと笑い声を立てながら小学生が順路を逆に駆けていく…その最後の子供が何もない廊下に蹴躓いた。
 床に転がった少女は、一瞬、きょとんとするがすぐに顔をくしゃって歪めて泣き声を上げようとした…のを、隆之介はひょいと抱き上げて立たせて埃を払ってやる。
「ホラ、いい女は男を落とす時以外にゃ泣かねーモンだ」
言葉の意味は分からないまでも、声と手の優しい響きに少女はこくんと頷き、「ありがとーおねーちゃん」としっかりしたご挨拶に頭を下げると彼女は大急ぎで級友の後を追った。
 凍り付く隆之介に、ピュン・フーが床をバンバン叩きながら笑い転げている。
「楽しませてくれるぜ、ホント」
意外と笑い上戸らしい彼は、サングラスを外すと目尻に浮いた涙を拭った。
 右手には大水槽。
 青く透過された光にもその紅さは鈍る事なく、地上の重力の内では生すら営めぬ巨きなマンタがふ、と落とした影の内にすら翳らず。
「隆之介の眼って、時々金色になってキレイだよな、それってなんで?」
不意にピュン・フーはそんな言葉を口にした。
 まるでこちらの考えを読んだかのような話題に、隆之介は立ち上がった。
「前っから聞きたかったんだけど…なんでピュン・フーはそんなに『幸せ』に拘る?」
ピュン・フーは軽く眉を上げ、「そりゃ…」と口を開きかけるが、隆之介の表情に苦笑に一旦口を噤んだ。
 歩を進め、視線は奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持に満たされる酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「隆之介は、今幸せ?」
静かに向けられた問いが、答えを待っている。
「正直俺は…」
隆之介は掌を水槽につけた。ひやりとした感触。
 青い水に満たされた空間、其処を優美に全身を使って周遊する魚の群れ…だが、その水に満たされた世界は地上を生きる者にとっては死の世界と言える。
「…よくわかんねぇ」
その逆もまた然り。
「毎日楽しくて充実してるし幸せだって感じてる時もあるけど…足りてないんだ、いつも」
 友と笑い、人と出会い、知り、学び、与え、与えられ、繰り返される眠りと目覚めに表情を変えて二度と訪れない日々、その営みの中で。
「それが無い記憶の所為なのかはわかんないけど…幸せな俺と飢えて渇いてる俺がいる」
魚が水を望むよう、鳥が空を翔るよう…それぞれに、生を許された世界がある。
「なんか最近バランスとるの難しくてさ」
僅か、生きるべき世界がずれている…ここは、違う。そんな感覚が乾きを呼ぶ。
 苦い笑いにピュン・フーの眼差しがこちらを向いた。
 それに隆之介は袖を捲ると、腕を覆う包帯を解き始めた…その足下に蟠る一つの連なりに白い布は、半ばに赤黒い色を付着させて未だ癒えぬ傷の深さを示していた。
「………ほら、この傷だって馬鹿みたいに治り早いし」
けれど、その疵痕も残ろうというような抉られて深い傷の在処を示してなぞる指先には弾力のある皮膚の感触しか伝わらない。
「俺って何者?みたいな」
巫山戯た口調で首を竦めた隆之介は、強い瞳をピュン・フーに向けた。
「それでさ、ピュン・フーはどうなの?幸せなの?」
赤と金の視線が交錯する。
「幸せじゃないから虚無の境界なんてやってんの?人の幸せを他人が計るもんじゃないけど前の職場は辞めて正解だと思う。けどさ…今のとこでピュン・フーは幸せか?」
隆之介が、問いを返す。
「………さぁ?」
はぐらかすように、ピュン・フーは笑う…けれどその静か、とも言える表情に隆之介は次の言葉を待った。
「人間と違うモンになって…死も身近に置いてもみたけど、俺には『不幸』がなんなのかも、まだわかんねェから」
顔に円いサングラスを乗せてその不吉な赤を…人ではない事を示す、異端のヴァンパイアの瞳を覆い隠す。
「お前、もしかして『怖く』ねぇの?」
恐怖は、生物が己が命を守る本能に基づく。それが彼には欠けているのだと、隆之介は半ば直感で感じ取る。
 それに、ピュン・フーは「さぁ?」と、僅かに首を傾げた。
「でもあっち側のヤツ等ってちっとも幸せそーじゃねーってのは解ンぜ?可愛くねェったら…」
妙にしみじみとした呟きに、
「可愛さ求めてどーするよ」
と隆之介の力ないツッコミが入る。
 ペシリ、と甲で叩いた手を返して隆之介はピュン・フーの肩を掴んだ…そのまま俯いて止まるのに、ピュン・フーが訝しく名を呼ぶ。
「……な、俺と一緒に来いっつったらどうする?」
何が保証出来る訳でもない…けれど、今の状況、人を傷つけ蔑まれるようなそれよりは。そう思った。
「そーいうのは運命の相手用の台詞だろ?」
ピュン・フーはそう笑うと柔らかい動きで隆之介の手を肩から外す…その手は水槽の硝子と同じ冷たさでひやりと体温を奪う。
 隆之介の言をあっさりといなしたピュン・フーは歩を進め、ふと水槽を見上げた。
「寿司でも食って帰る?」
その視線の先には原材料が。
「………奢り?」
「なんでそう度々野郎に奢らにゃならんよ」
「おめー、今日日の大学生の貧しさを知らねーな?」
友人の親しさで交わされる軽口の応酬、先を行く背を追う形で踏み出す隆之介の影に、マンタの魚影が重なる…その一瞬の闇の内で光った金に秘められた決意を、背を向けたままのピュン・フーが見る事はなかった。