コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


そよ風のように

【オープニング】
 昼休みの長閑な時間。
 三下は食べ終えたコンビニ弁当をデスクに残し、デートスポットを取り上げた雑誌を眺めていた。別に誰かとデートをする予定はないのだが、コンビニに行った時つい目に止まってしまった雑誌である。
「あら、珍しいもの見ているのね」
 雑誌を眺めていた三下の後ろから、ふいに碇麗香の物珍しそうな声がする。
「編集長!!これは別に!!!」
「あっ、三下君の恋愛事情には、興味ないから気にしないで。それよりこの場所、ちょっと曰く付きなのよねぇ」
「興味ないって…編集長あんまりですぅぅぅ、って曰く付きってなんですか!?」
 デートスポットを特集した雑誌なのに、何故そんな方向に行くのかと、三下は青い顔になりながら麗香に尋ねた。開いていたページには【想ヶ淵(おもいがふち)】という場所が紹介されている。
 そしてそんな三下にお構いなく、麗香は静かな口調でその想ヶ淵について語り出した。

『昔この場所には一つの村があった。
 そこには正直者で嘘の付けない兄と、気立てが良く機織をしていた妹が暮らしていたという。
 村でも仲が良いと評判だった兄妹だったが、ある日旅の行商人が村へ訪れたことで、二人の仲に微妙な亀裂が入っていく。妹はその行商の男に恋心を抱き、甲斐甲斐しく世話をしたが、兄は妹の織った織物で富を築き上げていく行商人に不信感を抱いた。
 妹の幸せを願う兄は、どうか早々に立ち去って欲しいと行商人に頼むが、願い虚しく行商人は妹の織る織物に目がくらみ、兄の願いを聞き入れることはなかった。
 そして遂に悲劇は起こり、兄は行商人の男を殺してしまう。
 兄が行商人を殺したと知った妹は嘆き、兄への怨みを残したまま、この想ヶ淵へと身を投げ死んだ。
 兄は妹へ真実を口にすることなく罪悪感に苛まれ、少し離れた場所にある【慫慂淵(しょうようがふち】に、妹の後を追うように身を投げた死んだ。』

「……それが想ヶ淵と、慫慂ヶ淵の言い伝えよ。なんだか物悲しいわよね」
「そんな話しがあったんですかぁ。この雑誌には載ってませんねぇ」
「普通デートスポット特集の雑誌に、心霊ものは載せないでしょう。それに想ヶ淵は景色がとても綺麗な場所だから、選ばれただけだと思うわ。けど……」
 そこで持っていたコーヒーを一口飲み、麗香はふぅと小さく溜息を付く。
 何か言いたそうな溜息。
 その様子を見た三下は、何故か背筋に悪寒が走るのを感じ取ってしまった。 
「…それから満月の夜になると、想ヶ淵には行商人を探し、兄への恨みを口にする、美しい女性の幽霊が出るって噂なのよ。そして手当たり次第に、男性を襲ってるらしいわ。そういえば明日は満月だったわねぇ…」
 言ってちらりと、麗香の目が三下に向けられる。
 その目を三下はよく知っていた。
「やっぱり……取材してこないと、駄目なんですか?」
「妹の幽霊を成仏させることが出来たら、特別ボーナスをあげてもいいわよ?そうね…完璧だったら、更に特典も付けてあげるわ」
「本当ですか!?行きます!!行って、成仏させて来ますぅぅぅ!!」
 麗香の口車にまんまと乗ってしまった三下は、大急ぎで連れ立ってくれそうな人材を探し始めた。
 それを横目で見ていた麗香は、
「そう簡単に行くかしら?きちんと考えて行動しないと、完璧は無理よ。三下君」
 とポツリと口にする。

 果たして三下の耳に、この言葉が届いたのだろうか?

【前夜/湖影虎之助】
 虎之助は慫慂ヶ淵に存在している兄の魂に、似たような立場だな、と苦笑した。
 自分にも妹がいる。姉にはシスコンと言われ、弟には無関心を装われているが、誰に何と言われても構わない。
 ─シスコンだろうと、可愛いもんは可愛いんだーー!!─
 まだ中学生なのに自分と同じように、訳ありな依頼へと首を突っ込んでいく可愛い妹。本当ならそんなことに関わって欲しくないというのが兄心だが、当の本人はあまり難しく考えていないようだ。「虎兄様、行って来ますわ」と笑顔を浮かべ、守護する鬼と共にトコトコ出かけてしまうのだから。
 ─俺はアンタの気持ちが、良ーーーく分かるぞ!!─
 自然握り拳片手に力説してしまった虎之助は、妹の幸せを願っていた兄へと見事に同調した。
 だからこそ、妹には兄の魂と会わせ真実を知ってもらいたいと思う。
 しかしそうした場合、妹の精神状態はどうなのだろう、と巡る考えに疑問符を浮かび上がらせる。死して尚兄を恨み続けた妹の魂が、兄を見た瞬間に暴走しないとも限らない。
 ─あまり迂闊なことは出来ないな…─
 更に出来る事なら行商人の魂を降ろし、自分がした行いを妹の霊に話してもらおうかとも思ったが、やはり妹の魂を考えるとそう簡単には出来ないだろうと思う。
 ─まずは兄に会うのが、先決だな──…
 そう結論付けた矢先、部屋の扉が開き弟が顔を覗かせた。
「虎兄……アトラスに行くなら、三下さんにこれを届けてくれないっすか?」
 ほんのり頬を染め、弟が手渡したのは映画のチケット。しかもホラー映画だ。あの三下がホラー映画を好んでいるとも思えず、虎之助はピンッと弟の思惑に気付き却下する。
「ふざけるな。そんなのはてめぇで誘え」
 しっしと弟を追い出し、ベッドにごろんと寝そべる。
 ─俺のオアシスは梦月だけだ!!!─
 再度グッと握り拳を作って力説したが、最近仕事と学校での疲れも相まって眠りへと落ちていった。

【当日/慫慂ヶ淵】
 二十時──。
 都内のビル群から抜け出し、車で数時間程のところへ来ると、景色は一変して住宅や森林が増えてくる。夏ならこの時刻でも充分辺りが見渡せる明るさだが、現在は冬ということもあり、周囲の景色を伺うことは出来ない。しかし都内の煌びやかなネオンの明かりがない分、今日は満点の星空を拝むことが出来そうだ。
 慫慂ヶ淵と呼ばれる此処は、季節のせいで木々が裸になった為か寒々しい印象を与える。
 そこへ赴いた十桐・朔羅《つづぎり・さくら》、湖影・虎之助《こかげ・とらのすけ》、シルバ・J・レインマン、夜藤丸・月姫《やとうまる・つき》も、同じような印象を受けた。これがこの場所故の印象なのか、兄の悲しき魂の所為なのかは誰にも判らない。
 けれど訪れる人間も言い伝えを耳にして、ふらりと立ち寄るくらいなのだろう。
 『慫慂ヶ淵』と書かれたプレートは、半分折れてなくなっていた。

「それで……どうするんだ」
 口火を切ったのはシルバだった。黒いジャケットのポケットに両手を突っ込み、前を止めることなく着ているシルバは、野性的な匂いを全身から発している。男の色香というものだろうか、他の匂い─香水─を付けなくとも、充分に女性を惹き付けることだろう。
「俺はイタコのようなことが出来る。兄の霊を体に降ろして、話を聞いてみようと思うんだが」
 ラフな格好の中にもお洒落に気を使った服装をしている虎之助が、シルバの疑問に答えるように口を開く。ファッション業界で名の知れた彼は、れっきとした現役の大学生。大学こそ三流だが実は頭脳明晰で、ちょっとしたお茶目な理由により、近所の大学へ進学した経緯を持っている。
 その虎之助の申し出に、一見凛々しい美少年のようにも見える容姿だが、唯一の女性である月姫が水晶球を手に近づいてきた。漆黒の黒髪に朱色の組紐が鮮やかに揺れている。
「わたくしは、この水晶球に兄上様の魂に入って頂き、妹様のところへ赴きたいのですが」
 そう言う彼女の手は、優しく水晶を撫でた。
「しかし自我を失っているだろう妹に、会わせても平気だろうか。更に状況が悪化する可能性があると思うんだが…」
 朔羅はザリッと草履を鳴らし、場にそぐわない着物姿で淵を見つめた。銀糸は暗闇とほのかな月明かりの所為で白糸のように見え、その表情は無いに等しい。もしも昼間に会ったなら、雪のように白い肌に男性であることを疑ってしまうだろう。
「それは俺も考えた。あとは行商人の魂を降ろして、正直に全てを語らせて謝罪させたいところだ」
 虎之助も淵を眺め、吐き出すように言葉を乗せる。
 『兄』という立場にいる人間だからこそ、妹を不幸せにするような輩は我慢が出来ない。もし自分の妹だったら……そんな想像までしてしまいそうだ。
 しかしこれには、危険が伴う可能性があった。
「妹の霊を刺激することに成りかねんな」
 シルバの冷静な声が静かな慫慂ヶ淵に響き渡る。
「そうですね。妹様の悲しみが増えてしまうかもしれません」
「私は想い出の品などがあったら、それで鎮めようかと考えている」
「…まずは兄の魂を呼び出すのが先のようだな。俺も少し訊きたいことがあるしな」
 シルバの傍らに立っている朔羅も「私も訊きたいことがある」と同調した。
「それじゃ呼び出してみるか。…月姫さんは危険があるかもしれませんから、後ろの方で待っていて下さいね。あとの野郎二人は適当にしろ」
 男にはとことん冷たい虎之助の言葉に、全員が淵を前に数歩離れる。
 そして虎之助は胸の前で印を組むと、静かに淵に眠る兄の魂を呼び起こした。

『どう詫びたら、お前は許してくれるのだろう。
 私にはその方法すら思い浮かばない。
 こんなことをしても、きっとお前は許してはくれないというのに……。』

 真っ暗な慫慂ヶ淵の辺に淡く白い存在が浮かび上がった。表情は憔悴しきっていて、俯いた青年が緩やかな動きで虎之助の中に入って消える。
「待たせたな。話し始めていいぞ。あっ月姫さんもどうぞ話し掛けて下さいね」
 相変わらず男には適当な態度を取り、月姫に笑顔を向けた虎之助の意識は、すぅと引っ込んで兄の意識が浮上する。
”私に何か用でしょうか?”
「用があるからこうしているんだがな。まぁいい。少し話しを聞かせてもらいたい」
 早速シルバが兄の魂に話しかけた。
 シルバの疑問は麗香の話しが全部本当なのか、兄妹と行商人、そして村はどんな様子だったのかという点だ。結局調べることが難しく、前もって知っている情報は麗香の話しだけとなったのだが…。
 けれどもっと深い部分を知らなければ、魂の成仏は出来るわけがないのだ。
 それには多少兄に辛いことを話させることになっても、妹の魂を救うにはどうしても必要なことだった。
「俺達はお前が金に目が眩んだ行商人を殺し、それに悲観した妹が自らの命を絶った。そしてお前も此処に身を投げて死んだと聞かされているが、本当にそれが全てなのか?」
「それについては、私も疑問が残っていた。言い伝えが全てじゃない気がするんだが」
 横で朔羅が同じようなことを呟く。実は朔羅も同じようなことを疑問に感じていたのだ。
 二人の問い掛けに対し、兄は穏やかな表情をしてぽつり、ぽつりと話始めた。

”あの男がそういう人間だったことは本当です。妹が心から慕っているのを知りながら、一度たりとも「村に留まる」と口にはしませんでしたから。”

”──私はあの男が憎い。妹の気持ちを一身に受けている、あの存在が嫉ましかった…”

「それは……」
 そこで朔羅は口を噤んで黙り込んだ。
 そうそう口に出していい言葉じゃない気がしたのだ。
 彼は気付いているのだろうか。その感情の向かう先にある答えが、何を意味しているのかを。
 想像したことがもし当たっているのなら、それは兄としての感情ではなく、一人の男としての感情。即ち異性としての愛情、そのものになる。
「どうしたんですか、朔羅様?」
 続きを話さない朔羅に、月姫が疑問視した顔を向けた。彼女には兄妹間でも家族愛を超えた愛については、まだ理解が出来ないらしい。
 朔羅は小さく「いや…」と答えると目を伏せる。
 逆にシルバと虎之助は朔羅の言わんとすることを察知したのか、敢えて何も言わなかった。

”私はあの男を殺したことに、後悔はありません。ただ妹だけが…妹だけが……”

 虎之助の体を借り、兄は一粒の涙を零した。後悔の念はただ妹のみに向けられている。
 兄の魂を救ってやるには、どうやら妹の魂に合わせ、その後悔の念を無くさせるしかない。
 しかしそれは依頼内容には入っていないことだ。
 けれど妹の魂を成仏させるだけに兄の魂を利用するという行為は、ここにいる誰もが望んではいない。
 この時今まで黙って聞いていた月姫が一歩虎之助へと近づき、手にした水晶球に力を込めながらおずおずと相手の顔を見上げた。
「……わたくしは兄上様の魂もお救いしたいと考えています。けれど今一番お救いしないとならないのは妹様の魂です。どうかお力をお貸し下さいませんか?」
 月姫の呼び掛けに、悲痛な言葉を洩らしていた兄の視線が向けられる。その目は「どういうことか」と月姫に尋ねていた。けれどその視線に月姫がどう説明したらいいのか判らない。兄の魂に妹の魂がどんな行動をしているのかを、素直に話すのは忍びなかったのだ。
 月姫が視線を泳がせると、朔羅が虎之助の肩をポンッと軽く叩く。
「……妹さんの魂が成仏出来ず、現世で彷徨っています。妹さんは今も尚、行商人を探し、貴方への恨みの念を忘れてはいない。だからこそ貴方の助けが必要なんです」
 その目は真剣そのもので、有無を言わさぬ迫力があった。

”判りました。私はどのようなことをすれば……”

 朔羅の気迫を感じ取ったのか、兄の魂は小さく頷き、強く拳を握り締める。と同時にふっと虎之助の表情が変わり、今までとは違う空気を纏った。
「話が纏まったようだな。まずは妹の霊を鎮めることからか?」
 顔を出したのは虎之助。
 それに答えるように、シルバが頷いた。
「兄の魂には、月姫の水晶に入って想ヶ淵へ行ってもらう。そこでまずは妹の霊を鎮めるが先なんだが……」
「何か想い出の品とかありませんか?それで鎮めることが出来るかもしれない─」

”生憎そのような品はありませんが、想ヶ淵は妹とよく散歩に行った場所です。美しい花々で、よく首飾りを作ってくれました”

「それだな」
「あぁ…」
 シルバと朔羅が言葉からヒントを得ると、早速月姫が水晶球に兄の魂を入れる。
 これで彷徨い、自我を失っている妹を、正気に戻してやることが出来るかもしれない。
「虎之助は月姫の援護をしろ」
「そんなことシルバに言われるまでもないね。──月姫さん。貴女はこの虎之助がお守りしますから、どうぞご安心下さい」
「ありがとうございます。けれどわたくしも自分の身くらいなら護れますので、ご心配は無用ですわ」
 甘いバリトンの囁きも、月姫には通用しなかったようだ。にこりと笑顔で断られてしまい、虎之助は苦笑いを浮かべた。
 それを見ていたシルバと朔羅は、小さな溜息を洩らし、さっさと歩き出す。
「ちょっと待て!レディを置いていくなんて、男の風上にも……」
「さっさと歩かないと置いてくぞ」
「月姫、急げ」
「はい」
 前を歩く三人を恨めしそうに見つめた(正確には野郎二人のみ)虎之助も遅れた足を動かし追いかける。
 時刻は二十二時少し前。
 想ヶ淵では妹の霊がそろそろ現れる時刻となっていた。

【当日/想ヶ淵】
 想ヶ淵──…
 其処は慫慂ヶ淵とは違い、きちんと遊歩道が設備され、『想ヶ淵』と書かれたステンレス製の看板が掲げられていた。春には遊歩道の周辺に色とりどりの花が咲き乱れることから、観光スポットとして確立されているのが判る。
 妹の悲しい話もまた、観光には『悲恋話』として客寄せの意味を成しているようだ。
 その場所に四人が此処に到着したのは、二十二時を少し回った時だった。

「妹は何処にいる。まだ現れていないのか?」
 朔羅が暗闇に目を凝らして周囲を見渡す。人の気配らしきものがないということは、此処に訪れているのは自分達だけということだ。朔羅は返って好都合な場面だな、と思う一方で、妹の霊気を探してみる。
 虎之助も傍らの月姫に小さな心遣い─寒くないかなど声を掛ける─をしながら、朔羅同様に霊気を探ってみた。
 そして淵を前方に四人各々が散らばった瞬間、
「来ます!」
 月姫の声と共に女性の姿をした、明らかにこの世のものではない存在が淵の傍に現れる。
 見た目だけなら麗香の話通り美しい女性。けれどその表情は、美しさを半減させてしまう程物暗いもの。此処で彼女と出逢った人間は、一瞬背筋が凍り付く感覚が襲うことだろう。

”……あの人は何処?……私は兄が憎い……”

 虚ろな瞳で妹は誰に問うわけでもなく言葉を紡ぐ。その瞳には誰も見えていないのかもしれない。ただ愛しい男の姿だけが残り、他のものは色褪せ消えていく。
 そんな印象を与えた。
「貴女に話しがあります。どうか私達の声に耳を傾けて下さい」
 意を決して朔羅が声を掛け、その悲しき魂を救う手助けをしようとする。このままでは彼女の魂が浮かばれないばかりか、兄の魂もまた成仏することがないからだ。
 しかし妹は目をギロリとこちらへ向け、いきなり朔羅の首目掛けて、その細い腕を伸ばしてきた。
”兄を隠したのはアナタ?出して……出せ〜!!!!”
「私じゃ……うぐっっ……」
 腕は朔羅の首を容赦なく締め上げ、苦痛の声が朔羅から洩れる。言霊で反撃しようにも、今の朔羅にはその言葉を紡ぐ術がない。
 ギシリと締め上げてくる冷たい手は、更に力を入れてきた。
「やばいんじゃないのか?……」
 目の前の現状を見て、虎之助は舌打ち交じりにそう口にすると、月姫の腕を引き自身の後ろに隠すように庇った。月姫にしたらそんなことされなくても自分の身は守れるのだが、この状況でそれを口にし、前に出るのは得策ではないと身を任せる。何より兄の魂が此処にあることが判っては、朔羅の命に危険があるかもしれない。
「どうする、シルバ!!」
 虎之助が声を掛けた先では、シルバが様子を伺いつつ朔羅を助ける為に思案を巡らせていた。

 と刹那──…。

”もうやめてくれ!!私なら此処にいるから!!”

 兄の声が、月姫の持つ水晶球から発せらた。水晶は月の光を浴びて、淡く光を放っているように見える。
「えっ!?どういうことでしょう…」
 困惑する月姫を他所に、妹の視線がこちらへと向けられた。そして強まっていた腕は緩やかに解かれ、スーっと月姫の方へ進んでくる。
 それを見逃すシルバではなく、首への拘束が解けた朔羅が膝から倒れ込む前に、腕を伸ばして抱き止めた。おかげで朔羅は倒れることなくその腕に支えられる。
「………すまない」
「呼吸は……大丈夫のようだな」
「あぁ……一応な」
 流石に乱れてはいるものの、心配するような事態にはなっていないようだ。
 そして寧ろ最も恐れていた事態になっているのは、月姫の元へ向かった妹の存在だった。
 虎之助は月姫を庇うように立ち塞がりながら、妹の霊を体内に取り入れようと胸の前で印を組む。自身の体内へと降霊させて、内から制御しようと思ったのだ。
 しかし虎之助は妹の姿に印を組む手を解いた。
「……泣いてらっしゃるのですか?」
 月姫が一歩前に出て、目の前の妹へと慈悲の表情のまま手を伸ばす。
 妹の頬には止め処なく、大粒の涙が流れ落ちていた。
 そこにはさっきまでの荒れ狂うような怨念は存在していない。
”どうか私を妹に会わせて下さい”
 水晶球の中から、兄の声が聞こえる。
 月姫は考えチラリと虎之助へと視線を向けるが、相手がコクリと頷くのを確認すると、静かに水晶球へ手を翳す。
 月明かりを受けていた水晶球は青白い光を発して、目の前に兄の姿を現した。
「状況が上手く飲み込めないな…」
 シルバの肩を借りながら歩いてきた朔羅が、事の様子を伺って首を傾げる。
「兄の魂に任せてみた方がいいみたいだぜ?妹の波動も落ち着いているしな」
「危険があれば──…どうにかするまでだ」
 虎之助に続き口を開いたシルバが懐の相棒に手を掛けながら呟き、とりあえずは口を挟むのをやめ、霊となり再会を果たした兄妹を見守ることにした。

”すまない……お前が死して尚、私のことを怨んでいるとは……。私が死んだくらいでは許せなかったのだな”
”何故あんな酷いことをしたの?私は信じたくなかった──。身を投げても、兄さんへの怨みが消えることはありませんでした”
 その言葉に兄の目は悲しそうに伏せられる。
”何故なの?どうしてあの人を殺してしまったの?私にとってあの人は……”
 その言葉に、兄からの返事はなかった。ただ妹の流れる涙を見つめ、寂しそうに微笑んだのだ。全てを口にすれば妹は納得するのかもしれない。けれど兄は本当の意味での全ては話さない。
 それは兄がこの世に留まっている理由ではないからだ。
 そして妹が聞きたい真実も、そこではないはず。

”ねぇ何で?なんであんなに優しかった兄さんが…”

「思い出して下さい。此処で兄妹仲良くいらした日のことを。そして兄上様が妹様を、大切に思っていたことを」
 耐えられず月姫が割って入るように言葉を紡ぐ。
 兄の気持ちを全て伝えなくても、きっと伝わる感情がある。
 月姫はそれを信じてみたかったのだ。
”大切ならば、何故私の愛しい人を殺めたのです?”
「大切だから……貴女のことを思っての行動だったんです」
”判らない。私の為?どういう意味なの……”
「兄はお前の幸せを願っていたに過ぎん。それを知っているのは、傍にいたお前だけだろう」
「大切な妹の不幸を願う兄なんていませんよ」
 柔らかな口調で、虎之助は自分の妹を思い浮かべつつ、妹の霊へと語り掛ける。
 方法は間違っていたのかもしれないが、兄もまた妹を思っての行動なのだ。そこに兄妹では越えてはならない一線があったとしても、根底にあるのは妹の幸せに他ならないのだから。
”……そうなの?……兄さんは私の為に──…”
”許してくれとは言わない。けれどあの男はお前の気持ちを、利用していたに過ぎない。本当にお前を大事にしてはいなかったんだ。私に出来ることは、そんな男をお前から引き離すことだけ……”
 ぽとりと兄の眼から涙が零れ落ちる。後悔はなくとも、妹にしたら愛した男。それを殺めた上妹に身を投げさせた兄は、妹の幸せを奪った酷い男なのかもしれない。
 けれどそんな兄へ手を伸ばしたのは、誰であろう妹だった。
”私のことを愛してくれてありがとう。…そして辛い思いをさせてしまってごめんなさい──”
 妹の霊はそう言って笑みを浮かべ、シルバ達に向かって一礼した。
”…本当は知っていたんです。あの人が私の織物が目当てだということも……兄が私を思って殺めたことも……”
「ならどうして兄上様を怨んだのですか?」
”どうしても教えて欲しかったのです──殺めてしまった本当の理由を……”
 けれど…と続けて、妹は兄に寄り添って小さく微笑んだ。それは妹が漸く幸せになった瞬間だったのかもしれない。
 兄の霊も小さく一礼すると妹の傍らに立ち、共に淵の中心へと向かって、月明かりに照らされながら泡のようにその姿を消した。
 今度こそ二つの魂は安らかに眠りにつき、天に召されたことだろう。

「妹には兄の気持ちが、判っていたんじゃないだろうか」
 淵を眺め、朔羅がポツリと呟く。兄へ向けた最期の言葉は、全ての意味を理解した上での言葉だったんではないだろうか。気付いていたからこそ、妹は兄の傍を離れるために、行商人に恋心を抱いたのかもしれない。
「もしくは……」
 そこでシルバは言葉を区切り、珍しく煙草を口に咥える。
 妹も兄を兄妹以上に慕っていたのかもしれない。そんな自分の感情が怖くなり、突然現れた男に恋をしていると、思い込もうとしていたのではないだろうか。
「まっ全ては俺らの想像だな」
 虎之助はそんな愛の形もあるだろうな、と満月を見上げる。ただ自分には当て嵌まらないけど…と可愛い妹の姿を思い浮かべ苦笑した。
「お二人が天に昇られて良かったですわね」
 虎之助と同じように満月を見上げていた月姫は、自分のことのように嬉しそうな笑みを浮かべる。普段あまり表情の変わらない月姫にとっても、嬉しい結果となったようだ。

 想ヶ淵。
 そこは兄を慕ったからこそ、兄を怨んだ妹の霊が出た場所。

 しかしこれからは、その姿を見る者はいないだろう。
 満月に照らされたあの美しい笑みを見た四人は、そう確信したのだった──…。

 余談だが、三下は無事特別ボーナスと特典を麗香から貰うことに成功する。
 しかしその内容とは『休み返上のネタ探し&取材旅行』だったそうだ。アトラス編集部では「話が違いますよぉぉぉぉぉ」と泣く三下の姿があったとか、なかったとか……。


了。

□ ■■■■■□■■■■■■■ ■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□ ■■■■■□■■■■■■■ ■■■■■■■■■■□
【0689】湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21歳
→大学生(副業にモデル)
【0579】十桐・朔羅(つづぎり・さくら/男/23歳
→言霊使い
【0900】シルバ・J・レインマン(しるば・じぇい・れいんまん)/男/35歳
→ブラックリストハンター
【1124】夜藤丸・月姫(やとうまる・つき)/女/15歳
→中学生兼、占い師

□ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
東京怪談「そよ風のように」にご参加下さり、ありがとうございました。
ライターを担当しました佐和美峰と申します。
作成した作品は、少しでもお客様の意図したものになっていたでしょうか?
年内に納品するつもりが、気が付けば年越してました。
申し訳ありません。

この作品に対して、何か思うところがあれば、何なりとお申し出下さい。
これからの調査依頼に役立てたいと思います。
それではまたお会いできるよう、精進致します。