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<PCシナリオノベル(シングル)>


鋼の救世主(メシア)

 ササキビ・クミノ。
 一三歳。
 外見は、どこにでもいるであろう、小さな女学生。
 だが、彼女は、決定的に人とは趣を違える異能を備えていた。



 とある野暮用――血の臭いを洗う、という意味だ――で、裏路地のストリート・ドクターを訊ねた帰りのこと。
 その異脳の一つが、人一人通らぬビル群の狭間、深夜の空気の内に、今まさに行使されようとしていた。
 受けた痛覚を、物理的な殺傷威力を持った道具に変換し、それを現実のものとして行使する能力。
 その力は、本人の体験や知識に基づいて発される。
 刃物。拳銃。手榴弾から対戦車用ミサイル。
 自身に体験の無いマテリアルを紡ぎ出すことは出来ないものの、彼女の歩んで来た境遇は、そういったミリタリックな予備知識を植え付けるにはあまりにも充分過ぎた。
 暗殺。
 年端も行かぬ、そして絶対的に実戦的勘の足りぬ、しかし見た目が普通のそれである彼女をして、もっとも効率の良い方法。
いや、むしろ、逆説的な意味で、この方法しか無い、とも言えた。
 手に持ったナイフの刃を、腕の表面に軽くなぞらせる。
 浮き上がる緋色の稜線。
 その線は、まるで意志のある生物のように手首へと流れて行き――
 一瞬の変容を経て、その手にサイレンサ―のついた自動小銃を握らせるに至った。
 現行の、どのようなモデルにも一致しない、しかし実用的なメカニズムは完全に備えた具現物。
 即座に、目の前に立つ標的へと構えた……それでも、彼女の心は焦燥に包まれていた。



 目の前にいるのは、はたして何なのだろうか?
 人の姿をしていながらに、人ではないもの。
 アンドロイドとか、そういった系譜に連なるものであるならば、こうして、特別な意識――敵対的警戒を向けることも無かったであろう。
 しかし、眼前のシルエットは、彼女のまだ短い、だが密度の濃い経験の内において、どのようなケースにも当てはまらなかったのである。
 生命の気配を感じられぬ時点で、既に非日常の領域であるし、その枠組みにおいても、相手はそのどれにも当てはまらない対象だったのだ。
 "虚無の境界"でも無ければ、"IO2"でもない。 だが、その両者の勢力すら霞むほどの違和感が、相手からは放出されているのだ。
 どちらかと言えば、理詰めでことを運ぶ彼女であったが、それでも、言い様の無い不安のようなものを否定しきれずにいた――だからこそ、こうして『抜いた』のだ。
 自分の身を守るため、獣が牙を剥くのと全く同じ様に。
 それでも、不安は拭えない。
 あくまで具現化するだけで、実際の兵器の扱いやその応用にまで優れていない……そうした面の焦りもある。
 でも、本当に彼女の心を揺さぶっているのは、もっと別の次元の話だ。



 こいつとフィジカルでやりあっても、絶対に、勝てない――!



 そう思った瞬間、クミノは銃のトリガーを引いていた。
 空気が抜けるような音と同時に――影は、僅かに動いていた。
「あっ……」
 クミノはうめいた。
 その、影の微かな動きが、回避のそれであると悟った時には、既に影の全身は姿を表していた。
 背がとても高い青年だった。
 ワイシャツを素肌に着込み、下には黒いスラックスを穿いていた。靴は何てことのない、皮のローファーだ。
 短髪が、まるで金属のように銀を伴って光っている――瞳も同様に。
 クミノは、自分の理知が正しかったことを理解した。
 例えるならば――純粋な鋼の匂いを感じたのだ。
 使役の気配……言うなれば"つくられた"という雰囲気を全く感じさせない。
 人ならぬものが生みだした、人の姿をした機械。
 もし、そのようなものがあれば、それは、この目の前に立つ男のような存在だろう。
 ……一瞬の感情の揺らぎは、彼女に様々な情報の構築を許すと同時に、彼女に恐怖を感じさせる因子ともなった。
「一体……どうしたというんだ……」
 青年が、錆びついたようなかすれ声をクミノにかけた刹那。
 ――第二の異能が吠え声をあげた。



 あらゆる物理的な干渉を遮断し、尚且つ、その方円状の広径内に収まっている生命を、条件無く死に至らしめる力。
 その障壁に振れし生物は、二十四時間後、段階を踏まず即死する――暗殺というフィールドでは、相当に強力なワイルドカードである。
 相手に自分の存在が知れたとしても、その相手が常識の範疇に収まる力しか持っていなければ、その場においてそのまま壁を展開していれば良いのだから。
 ……とは言え、一方で、霊的な力を操るような異能者に対しては、決定打には成り得ない力でもある。
 彼らの操る力は、現実の現象として働く――物理的なマテリアルとしての縛りがあるゆえに、障壁で多少はガード出来る。
 しかし、完全に防げるわけでは無い。
 よしんば受けたダメージを兵器に変換しても、その後に待っているのは、霊源あらたかな欺道のプロと、コンバットスキルに乏しい少女の対決。
 ――結果的に相討ちとなる可能性は非常に高い。
 実際、現ならぬ能力を持った者と戦って、彼女は完全なる勝利を収めたことは一度も無かった。



 しかし、それでも、クミノにとっての選択肢は一つしか無かった。
 逃げることも考えたが、いくら素人寄りのそれとは言え――銃弾を見て避けるような奴から逃げおおせることが果たして可能なのだろうか?
 ドクターを訪れる原因ともなった、数刻前の交戦で使ったスタン・グレネード……閃光弾。
 その使用もクミノは考えたが、すぐさま却下した。
 弾道を読める程の相手。
 自分が手に持った閃光弾を確認したならば――確実にその意図を読み取り、然るべき行動を――それは即時の攻撃以外には有り得ない――取ってくるだろうから。
 緻密なまでの冷静な状況判断は、時に自分の身動きを固めてしまう時がある……今のクミノは、まさしくこれであった。
 結果、彼女は脊髄の動きの如く障壁を張って――そして感覚で理解した。
 効いていない、と。



 ……こいつ、生きていない!



 当然だ。機械なのだから。
 揺れる心と冷めた認識。
 ……どうにせよ、運命は決まった。
 万事休すとはこのことだった。
 青年が、ゆっくりと近づいて来る。
 五メートル。
 四メートル。
 三。
 二……
「うわぁああッ!」
 小銃の遊底が、何度もスライドした。
 それでも、最小限の動作で、その弾道を逸れる青年。
 近づいてくる――弾切れだ――近づいて……手の届く距離。
 もう一度、障壁を張った……張ってどうする?
 わたしは、亀のように、うずくまることしか出来ない――いつもそうだ。
 いつも、誰かがわたしを追い詰めては、わたしは泣き寝入ることしか出来ない。
 ……それは純粋な悔しさだった。
 したくもない殺し。
 あざ笑う者ども。
 そして、いつも、心のどこかで泣いている自分――
「……!」
 ふと、頭の上に生じた感触に、彼女はつぶっていた瞳を見開いた。
 青年の、不器用な、けれど朗らかな微笑がそこにあった。
「何も……怖がることなんて……無いんだ……」
 髪の毛から、くしゃくしゃと撫でられていた。
「俺は……君を……傷つけないから」
「くっ!」
 馬鹿にされているような気がして、クミノは後ずさるように青年と間合いを取った。
 青年は、微笑みはそのままに言葉を次ぎ続ける。
「大丈夫……この街は……君が生きていくことを望んでる」
「何を……何を言っているの? どうして、そんなことを言えて――?」
 クミノの問いに、青年は芒洋とした表情を浮かべて、言った。



「だって、俺は……そうさ……人の夢のために生まれたから……」



 優しい風が吹いているような錯覚を、クミノは感じた。



 人の夢のために生まれた?
 そんなの……それが何だというのか。
 そもそも、そんなのは自分で決められるものなのだろうか?
 いや、ただ単に、わたしはこいつに嫉妬しているだけなのだろうか。



 ――どうしても癪に感じられて、即座にクミノは応じた。
「良かった……ですね――」
 一刻も早く、この青年の前から立ち去りたいと思った。
 敵意が無いのであれば、自分が引けば何もかも無かったことになる――そう決めたら、あとは早かった。
「さよなら」
 さっと振り向き、靴の底を響かせるように、その場を後に……しようと思ったが、足を止めた。
 それを聞いたのは、ただの気まぐれだった。
「あなたの……名前は?」
「名前?」
 問いに少々戸惑いながらも、青年はたどたどしく答えた。
「鉄鋼(くろがね・はがね)……そう、忠雄が教えてくれた……」
「ふうん、そう」
 忠雄、という単語に何か引っ掛かりを覚えたが、それも一瞬のことで。
 走って去らなかったのは、彼女なりの精一杯のレジスタンスであった――