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<東京怪談・PCゲームノベル>


<待雪草>

『トイレはいつも清潔に!』
と張り紙されたあやかし荘内の静かな女子トイレに深雪はいた。
「っくしゅっ」
個室の隅に蹲った深雪のくしゃみと同時に、トイレットペーパーホルダーが凍り付く。
「どうしよう……、大変な事になっちゃった……」
鼻を啜って、深雪は溜息を付いた。その息が、今度は壁を凍り付かせる。
「やっぱり風邪引きらしく家で横になってた方が・・・良かったかな……。もう……雪女の癖に風邪引くなんて最悪……」
静まりかえったトイレ内に、深雪の声が僅かに反響する。
「でもこのワインの本……早く返した方が良いでしょうし……」
半泣き状態で深雪はこのあやかし荘の住人であるバーテンダー・九尾桐伯の本を見た。
ソムリエ免許を持つ彼に、ワインの本を借りたのは2週間程前になるだろうか。
「急がなくて構いませんよ」と言われたが、その言葉に甘えて何時までも借りている訳にはいかない。
「っう」
ゲホゲホゴホゲホゴホゴホッ!
激しい咳がとっさに口を覆った深雪の手を通り抜けて便座を凍り付かせる。
苦しさに肩で息をしながら、深雪は目に涙を浮かべた。その涙は小さな氷の粒となって床に落ちる。
更に、「あ…」と思った時には、目の色を隠す為のカラーコンタクトイレンズが凍り付いて目から落ちてしまった。
「はぁぁぁ……。桐伯さんのお部屋を聞くついでに風邪薬を分けて貰おうと話しかけただけなのに……熱のせいかしら……頭がぼぅっとするわ……確か……玄関で……白い服の女性に声を掛けられてから……」
少し眩暈もするらしい。クラクラする頭を抱えて深雪は呟く。
「ほら……今もその女性の声がする……。もしかして憑依されたのかな……私……?」
小さな口から漏れる僅かな呟きだが、その呟きさえ白く空気を凍り付かせ始めた。
「たぶん……同族……?あの白い服の人の声……、冷たくて……心地よくて……私の心と体に侵入り込んで………」
夢現のようにぼんやりとしてきた頭の中に、か細い声がこだまする。
《暖かい……色……頂戴……》
「……え……?」
《優しい…声……頂戴……》
哀しげな声。切ない……。
《死……》
「死……?とにかく……皆の前に出て……助けなきゃ……」
重い体を引きずるように深雪は立ち上がり、出口へ足を進めた。
しかし、辿り着く前にガクリと膝が折れ、深雪はその場に倒れ込んだ。
《……哀しい……》
消え入りそうな声を聞きながら深雪は意識を失った。



「これは……立派ですねぇ……」
凍り付いた扉の前に立って九尾桐伯は感嘆の息を付いた。
鍋の買い出しに出ていた九尾があやかし荘に戻ると、神にすがるかのような勢いで三下が飛び出して、皆が氷漬けになってしまったのだと話した。嬉璃が言うには、雪女の仕業らしい。取り敢えず二人は雪女を捜すために片っ端から建物中の扉を開けて回っていたのだが、その内の一つの扉が厚い氷に覆われて氷壁と化していた。
「ひぃぃぃぃっ!な、な、ななんなんですかぁぁ!?一体どうなってるんでしょうぅぅっ!!」
「他の扉は何ともないのに、ここだけこんな風になっている。とすれば、恐らく、ここに雪女がいるのでしょう。」
細い指を顎に当てて、すっと九尾は扉に近付く。
「ああああ危ないですよぉぉっ!!九尾さんまで凍ってしまったら、一体どうなるんですぅ!?」
九尾より5〜6歩下がった場所で三下は九尾に手を伸ばした。
「大丈夫ですよ。直接触れなければ……。三下さん、もう少しさがって下さい」
言いながら九尾は目の前の扉に意識を集中させた。
と、ジュゥゥと言う音と共に氷が溶け、辺りに湯気が立ちこめ始めた。
「ひぃぃぃぃぃっ!!!!」
慌てて逃げ出す三下。
「あ、三下さん……、逃げなくても大丈夫ですよ……」
しかし既に三下の姿はない。
「仕方がありませんね」
九尾は更に意識を集中させて氷を溶かす。一気に溶かしてしまっても構わないのだが、極力他の部屋へ影響を及ぼさないようにしなければならない。
足元に溶けた水が流れ、黒い靴を濡らす。
5分程が過ぎただろうか、厚い氷は融解し、閉ざされていた扉が開く。
中に雪女がいれば、それを退治して一件落着である。しかし、扉の向こうには雪女は雪女でも、九尾の良く知った女性の姿があった。
「深雪さん…!?」
驚きに一瞬目を見張る九尾。
深雪は部屋の中央に立ち、静かにこちらを見つめていた。
その目は、赤い。そして普段は黒い髪が、真っ白になっている。
「一体どうして……?何があったんです……?」
確かに深雪は雪女である。しかし、訳もなく建物中を凍り付かせる筈がない。
何が起こったのかと、九尾は静かにこちらを見つめる深雪を見た。
少し、様子が違うようだ。
「……頂戴……」
「え?」
深雪が口を開く。しかしその唇から漏れたのは、深雪のものとは全く違う弱々しいか細い声だった。
「深雪さんではないのですね……?」
姿形こそ深雪だが、その様子は全く深雪と異なる。どうやら何者かに憑依されているらしい。
「暖かい……頂戴……寂しい……」
赤い瞳から零れた涙が氷の粒になってポロポロと床に落ちた。
「……お願……死……」
白いコートを着込んだ深雪……いや、深雪の姿をした別の女性は消え入りそうな声で何かを訴える。
死、と聞いて九尾は少し焦った。それは深雪を指しての言葉なのか、それとも深雪に憑依した己を指しての言葉なのか。
「…優しい……頂戴…」
その時、ふと窓辺の鉢植えが目に入った。
その鉢植えを守るようにその周囲だけを雪が囲っている。
「あれは……花……?」
守っていると言う事は、恐らくそれが深雪に憑依している者の本体であろう。そこを攻撃すれば深雪の体に入り込んだ別の女性を引き離す事が出来るのだろうか。
九尾は素早く鋼の糸を伸ばす。深雪が素早く振り返り糸に吹雪きを吹きかけたが、熱を帯びた糸は容易く雪を溶かし鉢を九尾の元へ運ぶ。
絡め取った鉢は手にすっぽりとおさまる小さな物だった。
乾燥した僅かな土と萎びた葉。
「枯れてしまっていますね……」
声が弱々しいのは、本体が既に力を失っているからだろう。建物中を氷漬けにしたのは深雪の力を使っての事らしい。
「……て……お…がい……」
アッサリと本体を取られて、深雪は苦しげに手を伸ばす。
九尾は糸を僅かに発火させた。
「ぎゃぁっ!!!」
深雪は叫び、その体は激しく床に倒れ込んだ。近付いて無事を確かめたい処だが、まだ油断は出来ない。
「深雪さん……?大丈夫ですか?」
呼びかけると、深雪はゆっくりと体を起こした。
「あ……」
短い声と共に軽く頭を振って意識を呼び戻す。
「深雪さん?」
「……はい……、大丈夫です……」
その声は、確かに聞き慣れた深雪のものだった。
酷く頭が痛むが、体に異常は見られない。熱も少しマシになったようだ。
九尾は鉢を床に置き、深雪に近付いて助けて立たせると、鉢に向けて火を放とうとした。
深雪が無事ならば、あとは何の心配もない。諸悪の根元を葬り去るのみである。。
「あ……、待って、待って下さい……」
その手を深雪が止める。
「燃やしてしまわないで下さい……、もう、大丈夫ですから……」
慌てて駆け寄って、深雪は鉢を拾い上げた。
「一体どう言う事なのでしょう?」
尋ねる九尾に、深雪は借りていた本を返しに来たところで人の形になり助けを求めようとしていた花に出逢った事情を話した。
深雪に憑依した花は助けを求めるつもりで建物中を彷徨い、間違って皆を氷漬けにしてしまったらしい。
「この花、待雪草と言うんです。」
「待雪草……?早春に咲く花ですね。英名はスノードロップ……」
深雪の持った鉢を覗き込んで、九尾は言った。
「私……、この花に憑依されていたから、分かったんです……。この花、とっても寂しくて、苦しくて、今にも死にそうだったんです……」
深雪は鉢を抱きしめて、九尾に微笑んだ。
「このお部屋の方、この花を残して引っ越してしまったのですね……。お水も貰えずに、ずっとここで一人きりで待っていたんです……。お花って、お水だけではいけないんです。優しい言葉や、暖かい気持ちで育ててあげないと、駄目なんです……。この花は、哀しくて哀しくて、もしかしたら咲けないかもしれないと思って、助けを求めたんですね……。」
深雪はゆっくりと鉢に雪を吹きかけた。
「もう、大丈夫……。何も心配しなくて良いの。ゆっくり眠っていてね……、春はもうすぐだから……」
カラカラに乾き、枯れてしまった葉に優しく語りかけ、笑みを浮かべる。
その様子に九尾も顔を綻ばせた。
「ところで、凍ってしまった皆さんはどうなるのでしょう?」
結局、逃げ出してしまった三下は戻って来ない。
「あ……。そうですね。」
深雪は自分が凍らせてしまった人たちを思いだして頭を掻いた。
「この花の責任ですけど……、凍らせてしまったのは私ですし……。大丈夫です、ちゃんと解凍します……。ちょっとお手伝いして頂ければ助かります」
九尾は頷き、二人は早速建物中を回り始めた。



その後、凍傷にかかることもなく無事解凍された住人達は鍋を囲み、夜中を過ぎるまでのどんちゃん騒ぎになった。
最終的に何の役にも立たなかった三下は嬉璃に小突き回されて皆の笑いを誘い、深雪は待雪草の鉢を抱いて家路についた。
春はまだ、少し先である。



end

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0174 / 寒河江深雪 / 女 / 22 / アナウンサー
0332  / 九尾桐伯 / 男 / 27 /バーテンダー
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■         ライター通信          ■
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いっ如何でしょうか……(滝汗))