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<PCシナリオノベル(シングル)>


殺人鬼の哄笑〜詠う夜の住人達〜

序章 闇夜に響くもの
 不夜城と呼ばれる都市でさえ、闇と言うものは存在する。
 或いは不夜城だからこそ闇が深いのだろうか――。
 バブル崩壊後借りる人もなくなったビル群の狭い路地で、それは起こっていた。
 登場人物は二人。少女と青年。そう、たったのそれだけ。
 戦いを挑んだのは青年。己の分身とも言える愛刀を携えて彼は少女に向かった。
 少女の手には武器はない。ただ眼差しを向けただけ。
 それだけで勝敗はついた。アスファルトに倒れ伏すのは青年。
 少女は笑う。
 楽しげに、いとけなく、花のように。
 青年の呻きと彼女の笑い声だけがこの無言劇を彩っていた。
 少女は嗤う。
 愉しくて仕方がなくて。愉快で堪らなくて。
 彼女は思う。自分は殺人鬼だと。だからこそ笑いがこみ上げてくる。
 自分のような殺人鬼がいるのだから、それを狩る存在もいるだろうなと思っていた。
 それが今目の前にいる青年。
 でもと彼女は思う
 でも、弱すぎる。
 私は視線を向けただけ。そう、それだけでこの通り。刀なんて届きはしない。
 でも、そう彼女は思う。
 とても綺麗。
 そして、血の半分を失って、まだ生きているなんて……。
 捉え所もなくただ思いついたからと紡がれる思念。それには理論も理屈もなかった。
 ただ、そう思った。それだけが真実。
 ふと彼女は過去を思い出し唇を曲げた。唐突に今までの無言劇が破られる。
「今まで我慢して私、本当にバカみたい……」
 少女は夢見るように目を和ませた。まるで憧れの先輩でも見ているような視線。
「全部あの人のおかげ……」
 青年が体を起こし何かを言おうと乾いた唇を開いた。言葉は紡がれない。
 しかし、どこからか声が聞こえてきた。それは若い男性の声。
「ハニ〜……出来る快感をやっと理解してくれたみたいだな?」
 詠うようなその声に少女は笑みを浮かべる。どことも知れない相手に頷きを返す。
「ぶっ飛んだ気分だろお〜」
 そこで声は唐突に口調を変えた。詠う口調から甘い誘惑の声へと――。
「さあ、凪ぎ払おう。見る物全て……」
 誘惑に少女の笑みが深くなる。それはただの少女のものではない。
 闇を知った者の妖艶なそれ。
 跪くと彼女は男の顔を覗き込んだ。最早助かる見込みが微塵もない男はそれでも目に強い光を宿し彼女を見据えた。
「ば……化物が……!」
 その奥にある恐怖の色を敏感に見つけた少女は満足げに頷き、笑みを浮かべた。優しげな仕草で彼の頬を撫でた。
 その瞬間男は消えた。残されたのは下半身と、彼に脈々と流れていた赤い血。
 少女の頬を、髪を、腕を、足を、体を――。青年の血が赤く染める。
 少女は心底愉快そうに声をあげた。それは次第に笑いに代わっていく。
 禍々しい程、赤い月だけが少女の哄笑を見守っていた。

第一章 英国貴族と三下と辞典
「――と言うわけなんですよぉぉ。お願いします!」
 三下は額を床に擦りつけんばかりの勢いで頭を下げた。
 目の前にいる男にちらりと目を上げて「だ、駄目ですか?」と聞くのがさらに情けない。
 リチャード・ノーフォークは白い陶器製のティーカップに口をつけながら自分の身の上を鑑みた。何故自分が選ばれたのか皆目見当がつかない。
 大きながっしりした体躯の青年だ。金髪碧眼。イギリス人であり、家の躾もあってノーブルな発音で自国語である英語を話す。ひょんな事から日本にいつく事になったが、それに当たって就いた職は農業である。年は30。そろそろ「おっちゃん」と言われると強く「あんちゃん」と呼んで欲しいと言えない年頃になってきているのが悩みの種だ。
 そう、間違っても彼は殺人鬼の取材に同行して護衛の役割をするようなタイプではない。
「ちっと興味あるのぉ。リチャードで良いきゃあ?」
「……は?」
 三下が何か妙なものを見たような視線でノーフォークを見た。
 金髪、碧眼、手に持った白い陶器のティーセットには紅茶。
 なのに、その口調。
 あまりにも違和感がありすぎる。
 ノーフォークはそんな三下の視線を受けて不思議そうに首を傾げた。
「三下さん、にし、えっれぇ困った顔してんべぇ?」
 そういうと三下はさらに困った顔をした。
(……にしって何だろう。西じゃあないよなあ)
 そう思いつつも何とか笑みを作って大丈夫ですよと三下は答える。ノーフォークはそれならよかったと大きく頷いた。余談ではあるが「にし」とは「あなた」を示す上州弁である。
「で、その女の子の名前は何と言いるん?」
「森崎晴美(もりさき・はるみ)です。被害者はこれまで七人で……警察とか退魔組織とかが動いているらしいです……」
 書類とにらめっこをしながら三下が答える。どうでも良いけれど、碇編集長どうやって調べてきているんだろう、等と疑問が浮かんだが、そもそも碇はこの場にいないし、仮にいたとしても面と向かって聞く度胸など三下にはない。
 そんな三下の物思いに気付いているのかいないのか、ノーフォークは少し考えてから三下に確認を取るように言った。
「まあ、警察の邪魔になんねぇ範囲で頑張るとよかんべ。おおかんにゃぁ出てきないげだんべぇ、路地を回るとよかんべな」
 沈黙が落ちた。大通りを示す「おおかん」と言う言葉は三下には「お母さんじゃないだろう」という事しか判らない。バッグの中をしみじみと眺めながら三下はノーフォークに尋ねた。
「きゃん・ゆー・すぴーく・いんぐりっしゅ?」
 とてもたどたどしい口調だった。

幕間 少女の見る夢――鳥篭の小鳥
 夢はうつつ。過去の幻も眠る時に見れば夢――。
 あの人によって孵化した私が見るのは、もう私じゃないものの夢。
 鳥篭の夢はいつも静かだ。誰も口を開いたりしない。
 だって、口を開いても意味はないから。
 ――ねえ、そんな事ないって言うならなんで止めてって言っても喧嘩したりするの?
 聞かれる事のない言葉は声じゃなくて音に過ぎなくて、だから喋ったりしない。
 耳のボリュームを捻ってしまえば、音すらも聞こえない。
 ――だって父さんと母さんが言い争う声なんて聞いたって意味ないじゃない!
 あそこは確認されないノイズに満ちた世界。
 飛び出してしまいたかった。あそこには私の居場所なんてない。
 ――いいよ。ちゃんと知ってる。私さえいなかったら二人は別れられるんだよね?
 だけど、飛び出す方法なんてない。
 たった16歳。世間ではまだ一人では生き難い年齢。
 ――まるで小鳥。鳥篭の中で外に焦がれても外で生きてく事なんて出来ないの。
 そうじゃなかったらとっくに自由になっていた。
 きっと、外に行けば自由で素敵な世界が待っている。
「そうじゃないだろ? ハニ〜、綺麗な外の世界なんてどこにもないのさ、あるのはこの汚い世界ばかり」
 ――だったらどうしたらいいの!?
「簡単だよ、薙ぎ払って壊してしまえばいい。世界を全て壊しちまえば綺麗になる。その前に消されてしまえば……」
 ――消されてしまえば?
「俺達の世界は終る。死んじまえば、本当の自由が訪れる。永遠に眠っていられる」
 ――どちらにしてもこの世界はなくなるの? 素敵……
「その為の力を俺があげるよ。だから」
 ――ええ、だから
 二人の声が重なる。
「世界を壊してしまおう」
 鳥篭を飛び出した小鳥はどこへ行ったの?
 いいえ。小鳥はもういない。いるのは――。
 世界を破滅させるものだけ。
 彼女は今宵も街にでる。世界を壊す為に、自分を壊す為に――。

第二章 その人をその人にするもの
 ノーフォークと三下は連れ立って繁華街を歩いていた。
 深夜に差し掛かった繁華街は平日の夜だけあって人がまばらになりつつある。落ち着かなげな三下に比べてノーフォークは淡々としている。時折何かに耳を傾けるように、首を軽く傾けるのが印象的だ。
「見つかりますかねえ」
 見つからなければ良いなあというニュアンスのある三下の言葉にノーフォークは自信有り気に答えた。
「安心してくんない。絶対見つかるがね。……何か起きたら風が知らせてくれるだいね」
 彼の能力によって生み出された風の妖精は血の流れを探してこの町をさ迷っている。何かあれば即座に知らせてくれるだろう。それにしても、ノーフォークは思う。この街は自然が少なすぎる。
 ため息をついて辺りを見回したノーフォークが彼女を見つけたのは全くの偶然だった。目を留めたのは何故だったのか彼自身にもよくわからない。
 路地の向うに立っているのは白いワンピースの少女。背は小さい方だろう。ノーフォークと並べばきっと胸の辺りに頭があるに違いない。
 何かを探すように視線をさ迷わせる彼女は不確かな足取りで暗い路地の奥へ向かう。
 その時ノーフォークの頭に浮かんだのは、その少女を止めなければという事だった。
 彼女に目的があってそこに足を運ぶとは思えなかった。きっと迷子なのだろう。そんな目をしていた。
 それにここには殺人鬼と呼ばれる少女がいるのだ。出会わないとも限らないではないか。
「にし! 待つだいね」
 突然走り出したノーフォークを三下が追うが、コンパスの違いで大きく遅れた。ノーフォークは構う事なく路地へと入って行った。
 近付いてくる足音に少女が振り返る。金髪碧眼の長身の男が走ってくるのを見て目を丸くした。
「女の子が暗い道一人で歩くのはなっからあぶせえだいのぉ。まっと明るいおおかん通るとよかんべ」
 走ってくる男の口から出た言葉に少女は笑い出した。三下といい、そんなに自分の言葉はおかしいのだろうかとノーフォークは内心少し傷付いた。
「大丈夫よ。危険じゃないし、それに大通りよりこっちの方が近道だから」
「ぼっと、あぶせえ目にあったらどうするんきゃぁ? リチャードでよければ明るい所まで送っていくだいのぉ」
 彼にとっては紳士として当然の申し出だったのだが、少女はクスクス笑い出した。
「田舎のおじいちゃんみたい」
「おじいちゃん……そったら、リチャードの話し方は変きゃぁ?」
「ううん。懐かしいの。おじいちゃんもおばあちゃんももういないから久しぶりに聞いたなあって」
 変じゃないと言われてノーフォークは少しホッとした。少女が拒絶しないので一緒に歩き始める。
「リチャードさんいくつ?」
「どこの国の人?」
 そんな他愛もない質問を繰り返す少女にノーフォークは答えを返した。散々質問して気が済んだのか少女は黙り込んだ。それからぽつりと言う。
「いいなあ、リチャードさん」
 首を傾げたノーフォークに少女は心底羨ましそうに言う。
「他の人にない特徴があって、他の人じゃ代わりにならない事をして。いいなあ……私には私じゃないとだめな事なんて一つもないよ」
「……リチャードのキノコはリチャードにしか作れねぇけど、くう人はリチャードのキノコだからってくうんじゃねぇだいのぉ」
「でも、リチャードさんはキノコを大切に作ってるんだよね。リチャードさんのキノコはリチャードさんには替えがないし、キノコだってリチャードさんじゃなきゃ嫌なんじゃないかな?」
 むしろそうである事を願うように願うように少女は言う。
「そうだと嬉しいのぉ」
「きっとそうだよ。必要としてくれる誰かがいるから、その人はその人なの。リチャードさんと違って私には何にもない……。だから私は私でいる必要もないよね」
「リチャードがリチャードなのはキノコのおかげきゃあ? 嬢ちゃんも嬢ちゃんが大事に思っている人がいるだのぉ」
「いないよ!」
 本気で怒った口調になった少女にノーフォークは少し驚く。
「リチャードは嬢ちゃんがいて欲しいと思うベぇ」
「……なんで?」
 そうだなあとノーフォークは考えるように間を置いた。
「今いなくなったら、せっかく話していた事もねえ事になるんきゃあ? それは淋しいだいのぉ。それにいない嬢ちゃんに話し掛けとったらリチャードは誰と話しとるんきゃあ、わからんのぉ」
 少女は楽しそうに笑った。
「そういえばそうねぇ。私がいなかったらリチャードさん、独り言で真剣に悩んでる事になっちゃう。いいなあ、リチャードさん。……皆がリチャードさんみたいだったら良かったのに」
(殺したくなくなっちゃうじゃない。殺さなきゃ終われないのに……)
 そんな少女の内心をリチャードは知る筈もない。
 ただ、急に真剣な口調になった少女にノーフォークは首を傾げた。心配そうにした彼に少女はなんでもないと言うように首を振った。
 その時だった。辻になっているその道の向うから悲鳴じみた声がかかる。
「晴美! もう止めてちょうだい! 今度はその人を殺すつもり!?」
 少女は、森崎晴美は久しぶりに聞く母の声に自分への恐怖を確かに見つけたと思った。そして、叩き返すように叫んだ。
「どうせ私なんて要らないくせになんで今更母親ぶるの!」
 ノーフォークは彼女が自分の探していた殺人鬼だと悟り、少女と母親の対峙を見つめた。ここに近寄ろうとしている誰かの足音を聞いた気がした。

第三章 ソドムを振り返る者
 その場所に駆けつけたのは晴美の父親と三下だった。
「ノーフォークさん、危険ですよぉ」
 三下が心配そうにノーフォークに声をかけてくる。ノーフォークは自分の横に立つ少女を見直した。彼にはどうしても危険には見えなかった。彼女はただ傷付いているだけなのだろう。そう思うのに、何故ここで距離を取ってさらに彼女を傷付ける選択が出来るだろうか。
 中年の男女が――恐らくは晴美の両親が――、青い顔で晴美に声をかける。怯えながらも彼らは晴美に声をかけるのを止めなかった。
「晴美、もう止めるんだ。罪を償おう、と、父さんと母さんもついてるから」
「そうよ。もう止めてちょうだい」
「今更ついてるなんて、おためごかし言わないでよ! ホントは怖いくせに! ただ、自分達が犯罪者の親になりたくないだけでしょ!? お生憎様、もう私は立派な殺人鬼よ! ……リチャードさんも私が怖くないの? 私はあなたを殺せるのよ?」
「……嬢ちゃんの本当にしたい事は違う事じゃないきゃあ?」
 ノーフォークの言葉に晴美が怯んだ。ノーフォークは思う。彼女はただ受け入れられたいだけなのだろう。それをどう表現して良いのかわからないだけなのではないか。だからこそ彼は先ほどまでの態度を維持しつづけた。戦わずに済むのならその方が良い。
「嬢ちゃん、リチャードは嬢ちゃんが好きだいのぉ、嬢ちゃんがいい子だってちゃんと知っとるんでなあ」
 晴美が泣きそうな顔になった。その時彼女を励ますように声が届く。
「ハニ〜? どうしたんだい?」
 そして声は詠うように響き渡る。
「何を迷ってるんだい。世界の全てを凪ぎ倒そうよ。そうすれば」
「そうすれば、この世界が終る。新しい世界に行ける……」
「そう。この背徳の世界を壊して新しい綺麗な世界を手にいれよう」
「ええ。ええ、そうしましょう。そうしなくちゃ」
「さあ、どうすれば良いのかわかってるだろう?」
 陶然と晴美は頷く。彼女の母親が詰問の声をあげた。
「誰なの!? うちの娘を誑かさないで! 晴美を返してちょうだい!」
 その声に晴美は眦を吊り上げた。
「あの人の事を悪く言わないで! 今まで放っておいたくせに!」
 そうしてそれは起こった。彼女はついにその意志を持って母親を見てしまった。
 母親が崩れ落ちる。体の中から何かを失って、血の涙を流す。
 これまでと同じようにそれは起こった。
 その気になって眼差しを向けるだけで倒れた。
 いつもと同じなのに、これまで何度もしてきたのに、晴美は立ち尽くした。
 母親が手を差し伸べていた、自分の名前を呼んでいた。
 恐怖はどこにもない、あるのは娘への愛情だけだった。
「いやあああああ!」
「ハニ〜? どうしたんだい? この背徳の世界をなぎ倒そうよ……」
 今まで彼女を支配していたその声はもう彼女に届かない。少女は狂ったような笑い声を上げた。涙に濡れた眼差しを中にさ迷わせ、夢見るような足取りで歩き始める。
「もういや……私は私なんていらない、世界なんていらない……。見たら壊れてしまうものなんていらない。壊してしまう私なんていらない。あはっ……あーははははは!」
 ノーフォークは聖書を思い出していた。背徳の街ソドムを逃げたロトの一家の中でただ一人振り返ったロトの妻は塩の柱になる。それは神の導きに従わなかった為だった。
 しかし、彼は思う。故郷に二度と帰れないと知りながら振り返らずに出て行く事など誰が出来るだろう。自分だってイギリスを離れる時名残惜しく見つめていたではないか。
 あの詠うような声は背徳の世界とこの世界を呼んだ。背徳のソドムをなぎ倒そうと言う。しかし、例え背徳の世界でも誰一人愛しいものないなどありえないのではないだろうか。そして、愛しいものが引き裂かれるのを目の当たりにすれば心はどんな悲鳴をあげるのだろう。ロトの妻は塩の柱になり、晴美は自分の心を壊した。故郷の破滅が耐えられなかったから。
「ノーフォークさぁぁんっ、助けてくださいぃぃ」
 三下が悲鳴混じりの声をあげて近付いてきた。晴美が驚いたようにリチャードの方を見た。
「リチャードさん、強いの? ねえ、でも私は止められないよ? だって見るだけでおしまいなんだもん。誰も勝てるわけないよねえ……あははは……リチャードさんも死んじゃう? 苦しめないであげるよ?」
 それはノーフォークの耳に自分を殺してといっているように聞こえた。

第四章 終焉
 ノーフォークは三下を抱えて、横に跳んだ。そのまま、物陰に三下を押し込むと、彼に従う妖精を招き寄せる。
 ノーフォークは自然を友にし、彼らの力を借りる事が出来る。彼は友を呼び出し、助力を願った。
「リチャードに力を貸してくれるきゃあ? あの子を救ってやりたいだんべぇ」
 小さな声で二人の妖精に告げる。首肯した妖精達に指示を与えるより前に晴美が追いついた。
「見ぃつけたぁ……」
 壁の向うから声がする。ノーフォークは反射的に奥へと下がった。壁を蹴る音がする。少女の力ではどうにもならない筈のそれがあっさりと崩れ落ちる。岩の妖精が類似の性質を持つコンクリートが内側が空洞になってしまった事を教えてくれた。晴美の力だろう。
 外の明かりに照らされて少女のシルエットが浮かび上がる。
 泣き顔の晴美はゆっくりと首を巡らせる。
 今だ。ノーフォークは思った。
「かんませぇ!」
 言葉通りに風の妖精が床の上の埃とキノコの胞子をかき混ぜて少女を包むように風を起こした。
「見えないっ!?」
 晴美は目を必死に擦るが視界が回復していないようだった。ノーフォークの近付く足音に気が付いたのか、手を止めて彼の方に顔を向けた。
「目が見えなきゃ、何も出来ないよ……やっと、やぁっとだね」
「嬢ちゃん……」
「だぁれも止められなかったのにねぇ……。やぁっとこれでおしまい」
 黙りこんだノーフォークに晴美は疲れたように座り込んで告げた。
「殺してよ……消しちゃってよ、私は私なんていらない。死体なんて残さないでいいよ」
 ノーフォークは拳を握り締めた。妖精の助力を得る自分には苦しませずに殺す方法が思いつかなかった。それを敏感に感じ取ったのか、少女が笑う。
「私は殺人鬼だから、色んな人を苦しめて殺したの。楽しかったぁ……。だから、いいんだよ……ねぇ、早く」
 早く殺してよ。そう言われてノーフォークはためらうのを止めた。
「嬢ちゃん、うんにゃ、晴美ちゃん、リチャードはにしの事、好きだったんだべぇ」
「ありがと」
 ノーフォークは溶岩の精霊を呼んだ。
 高熱が晴美を一瞬で溶かす。悲鳴さえあげる暇もなく晴美は消え去った。後には晴美の形をした岩が残る。晴美は消え、殺人鬼と同じ形をした晴美の姿だけが残った。
 ノーフォークは大きく息をついた。安堵と悲しみと憤りと何種類もの感情をため息と共に吐き出す。
 そうして立ち上がると三下と合流する為に歩き始めた。
 三下を無事に編集部まで連れ帰る事、晴美の両親に彼女の死を知らせる事、晴美を導いた男の事、他にもしなければならない事はある筈だ。とにかくそれを片付けなければ。
 ノーフォークは一度だけ晴美の姿をしたそれを振り返った。
 最早呼びかけても返事が返る事はない――。

fin.