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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に
 彼女の姿は目立つ。
 小柄な身体はともすれば人混みに紛れて見失ってしまいがちなのだが、その緑の瞳が一瞬、瞼に残す残像と存在感は容易に逸したりはしない。
 そして明るい瞳の色と揃えたように鮮やかに染めた緑の髪は、ダークカラーを纏う人々の中で春を先んじたように仄かな暖かさを感じさせた。
「ふーん、何処も地下鉄の作りって変わんないのね」
ともすれば平均に満たない身長から中学生に見誤られてしまう彼女だが、これでもれっきとして役所(臨時)職員、きょろきょろと周囲を見回す動作は無駄に視界を補おうとするのでなく、目的の物を調べる為の確たる動作だ。
 夜籐丸絢霞は、一人小さく頷くと、地下鉄のホームへと続く階段を軽い足取りで下りて行った。
 今、このホームを利用する乗客は少ない。
 それもその筈…先週末位からか、ニュースが報じ続ける謎の神経症…何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 そしてこここそが、問題の沿線である為だ。
 コの字に地下に向かう踊り場に足をつける背に、声がかけられた。
「お嬢ちゃん!」
呼び掛けに首を巡らせて見上げれば、冬の薄く低い雲の灰色に四角く切り取られた空を背景に暗く恰幅の良いシルエットが声の主らしい。
「この地下鉄は危ないってニュース聞いてないの?一人じゃ危ないよ」
両手に下げたビニール袋をガサガサと鳴らし、絢霞を見下ろす。
 影になって表情は見えないが、絢霞の身を案じての行動というのはその口調と眼差しとで判る。
「バスにしなさい。どうしても急ぐんなら、おばさんが話してあげるからお巡りさんと一緒に…」
子を持つ世代、特に母たる年代は未成年(に見える)者は須く己が保護すべきと思い決めている節がある
 彼女も、絢霞の迷いのない様子を若年者の無分別と取ってか、わざわざ追って来てくれたららしい。
 絢霞はきょとんと彼女を見上げ、その意を理解すると破顔した。
「ありがとう!」
差し延べた手を払われなかった安堵から、女性がほっと肩から力が抜くのが判った。
「じゃあ…」
だが、続けられようとした言葉には首を横に振る。
「先にカレが来てる筈だから」
その表情は自信に満ちてそれ以上の言を阻む…けれども、絢霞自身、確証がある訳ではない。
 事の始まりは、willies症候群に関するある情報からであった。
 それは噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる… 放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 そして、流れてきた情報の最後、「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という一文が添えられていた。
 あの、赤い瞳を持つ青年との繋がりを持つ単語はそれだけだ…が、動く理由はそれだけで充分。
 絢霞は女性の善意に勢いよく身を折って謝意を示すとすぐ、靴音を残して女性の視界から消えた。


「カレって便利な言葉よね」
開口一番。
 絢霞はホームに立つ黒衣の背にそう話しかけた。
「はぁ?」
前置きなく求められた同意に、カレ…ピュン・フーは肩越しに後顧する。
 身を異形に蝕ませて平気で笑い、会話を楽しむ事も、人を傷つける事も同じ引き出しに放り込む、赤い瞳を持つ青年。
 相も変わらぬ円いサングラスの縁から覗く瞳は赤い。
「なんだ、絢霞じゃん。今、幸せ?」
いつも通りの軽口めいて挨拶代わりの問いと笑う口元に、変わりない、と評してしまいたい…その手に意識のない男性の胸倉を掴んで支えていなければ。
「今仕事中なんだよ、この後暇?したら茶でもしばかねぇ?」
呑気な口調でそう手にした男性を放り出すと、重い音が存外に大きく響いた。
 その左右に闇に繋がる空間に点在する人々、男性は何れも倒れ伏し、幾人かの女性は脅えて逃げる事すら出来ずに寄り添うように座り込む…この場で己の足で立つのは絢霞とピュン・フー、そしてもう一人。
 ピュン・フーの肩越に、淡い金の色が見えた。
「…憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような聖句が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱えた。
 同時に脅えていた女性達に変化が起こった。
 瞳が焦点を失い、中空に向かって恐怖の叫びを放つ様、その意味する所を察し、絢霞は咄嗟、階段に駆け戻った。 
 けれど、それは一人この場から逃れる為でなかった。
 階段下、沈黙する火災報知器の赤いライトの脇に添う、同色のボタン…赤は危険を示す色なんだな、と、ふと、絢霞は己が身にも類が及ぼうとしている段でもそんな事を思う自分を少し笑う。
 悪戯目的で、もしくは誤ってそれを押す事のないよう保護する、薄く透明なプラスチックのプレートに固めた拳で横様に叩き付けて割った。
 途端、けたたましい音と光が空間を満たし、ゴゥ、と低い位置に空気が排気口に吸い込まれ、天井の各所に配されたスプリンクラーが豪雨の様相で水を振りまく。
 火事を想定した場合、地下という場所柄、炎よりも容易に充満する煙が人命を奪う…消火設備を作動させれば鎮火と同時に排気システムも稼働する、と、役所勤めの立場柄、公共施設の構造を調べるに容易であった。
「壁で仕切られた中で発生してるなら…「灰」なら吸い込んだり体に触れなきゃいいかな?って」
それこそが悪戯っ子の微笑みで、絢霞は水を含んで艶を増したような緑の髪を掻き上げた。
 けたたましいベル音と流れる水に洗われてか、異常を来していた女性達はぐったりと意識をなくして倒れ込んでいる。
 思わぬ結果に安堵する…いざとなれば、恐慌に周囲を見失った彼女達が自傷せぬよう、気絶させなければと思い決めてはいたが、やはり同性とはいえ、心得のない女性に手を上げたくはない。
「あーあ…」
回転しながら吹き出す水は頭上に膜状になり、端から千切れて降り注ぐ。
「こんな姿じゃどっこも入れねーじゃん…ヤならヤって口で言えよなー」
天を仰いだピュン・フーがぼやく口調に絢霞は片手を腰にあてた。
「水も滴るイイ男っていうじゃない?そんな些細なコト、気にしないの」
「そーゆー絢霞はイイ女?んじゃ、遠慮なく茶ぁしばき…」
それは営業妨害になりはすまいか。
「勝手は許しません」
介入した口調は柔らかく、声音は冷たく。
 ほのぼのとした空気に突入しようとした場を止めた神父が、溜息混じりにゆっくりと振り返った。
「またお前は浅はかな行動を…救い難いとはまさにこの事」
淡い金の髪を短く刈り、穏やかに瞳を閉じた神父…手に持つ白い杖で、コツ、と床を探るように鳴らす様に、その目が光を映さぬのだと知る。
 神父はピュン・フーに顔を向ける事すらせず、反論を許さぬ強さで断じると、絢霞に向けた。
「いーじゃん、どーせ今日はもうコレで仕舞いなんだろ?」
「闇に棲むならば闇にのみ潜めばよいでしょう。光の内を歩む者に触れようなど…身の程を弁えなさい」
 けれど静かに向けられた怒りはピュン・フーが絢霞をお茶に誘った、その一点のみに向けられるらしい。
 苛立ちからか一度カッと杖で地面を突くと、神父は顔を上げた。
「ご挨拶がまだでしたね」
短く刈り込まれていても柔らかな金髪の頭を軽く振ると、神父は閉じたままの目蓋を開けた。
 焦点を結ばない瞳は、青。
「初めまして…私はヒュー・エリクソンと申します」
口調は何処までも静かで、穏やかだ。
「貴方は『死の灰』をご存知なのですね」
「どういうモノか詳しくは知らないけど…路線図を教えた彼女は、貴方を心配してたわよ?」
それは真実である…裏に、何が隠されていようと。
 そしてその隠した裏を責める形に、自然となる。
「これもまた主の御心でしょうか」
胸の前で小さく十字を切り、ヒューが動いた。
 杖で床を探りながら、絢霞に向かう…杖先を水が弾いて感覚を掴み難いのか、閉じた瞳に緩く眉根を寄せ、ゆっくりと。
 その動きは、ごく普通の人間の者だ。
 合気道、体術に親しんで自然と隙のなくなる絢霞や、人と重力の感じ方が違うかのような軽々しいピュン・フーと違い、歩く為だけの体重の移行。
 ましてや神父の目は見えず、手にした白杖も人を殴打する用途でなく、彼がどんな行動に出ても対応仕切れるという安堵が絢霞の中にあったのは確かだ。
 が、それが油断だった。
 杖先が絢霞のつま先を探って止まり、神父は安堵の息に少し微笑む。
「世界に果てがない、というのは厄介ですね」
触れてもよろしいですか、と遠慮がちに手が上げられた。その指先から水滴が滴る。
「どうぞ?」
神父の男性にしては細いと感じさせる手が絢霞の頬を包み込むようにあてられる…が、それは指の長さから見える錯覚のようで、彼女の肌に意外と骨ばった感触を伝えた。
「感謝を怖じぬ勇気のある、よい表情をなさいますね」
穏やかに神父は瞳を虚空に向けたまま微笑んだ。そして続ける。
「…救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
 謂われのない恐怖で心の内から蝕む、救いが。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか…中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する…けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
まだ水は上から降り注ぐ…彼の見えぬ眼、その開かれたままに瞬きのない目の眦を伝う雫は哀しみのそれとも思わせる。
 トン、と額が突かれた。
 その恩恵を、現代の人々にも。
 ヒューの指先が奇妙に白かった…疑問を感じる間もなく、足先から灼熱の痛みが湧き上がる。
 眼前に立つ、神父が手にした聖書の皮表紙が水を弾いて滑らせる…ただそれだけの事が酷く恐ろしい焦りで胸を占拠した。
 殺さなければ、殺される。
 それは生きる為に本能に近すぎ、抗いを許さなかった。
「ピュン、フー…」
せめぎ合う意志が、彼女の声を、手を、震わせる。
「あたしを止めて!!」
その叫びだけが、残された正常な思考で出来た最後の行動だった。
「りょーかい」
軽い応意を絢霞が認識出来たかどうか。
 ほとんど0に近い両者の距離で過たずに急所に繰り出された掌刀、抑制をかけるべき理性を失い、本来ならば骨や肉を庇って力を加減する事のない攻撃を、ピュン・フーはその手首を掴んで止めると同時、絢霞の首筋に一撃を加えてその狂いかけた意識を失わせる。
「あっぶねぇなぁ」
爪の先ほどで身に届かず、事なきを得た神父は微動だにせず、絢霞にむけていた微笑みをかき消した。
「何が起こったのですか」
ピュン・フーに向ける問い掛けに青い瞳は冷めて感情を覗かせない。
「ヒューよぉ…もうちょい考えて術使えよ、人にって症状の違う呪いなんだからてめーにもどんな風にかかってくっかわっかんねーじゃん。アンタ弱いんだし」
「それで費えるならば私の役目も其処までという事です」
揶揄ともとれるピュン・フーの口調をすげなくあしらい、ヒューは足を踏み出す。
「戻ります」
「おい、ちょっと待てって!」
腕に抱いたままの絢霞の処遇に悩んだピュン・フーは慌ててその身を壁に凭せかけようとした…意識のない手からカラン、と硬質な音を立てて転がり落ちる、澄んだ紅色。
 ピュン・フーの身を人に抑止する為の薬剤。
 彼は軽く眉を上げると、濡れた床に皮のコートを広げて絢霞の身をその上横たわせ、その手に筒状の硝子瓶をもう一度握らせた。