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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬
 久喜坂咲は夜の大気に目を凝らした。
 人間社会が吐き出す澱が漂い、夜天に薄く靄がかるように見えるのを一、二度瞬きをして払拭した。
 一仕事を終えてすぐ後、感覚が鋭敏になっている。
 細い指を瞼にあてると、冷えた指先の感覚が心地よかった。
 人も通らぬオフィス街…時折、ビルに点る灯に人の営みを見はするが、安らぐ為の街でない為か安堵を覚えるようなものではない。
「…ちょっと疲れた、かな」
学業に薙刀、合気道の部活に併せて演劇サークルの部活動、と日頃活動的に過ごす咲だが、如何に陰陽師の修行と些か人並み外れた鍛え方で培われた体力でも、多少の疲労を覚える日はある。
 終電も危うい時刻、それよりも有名女学校の制服姿で酔客が利用客の80%は占めるであろう地下鉄をうら若い娘が利用するには相応しくない…けれど、タクシーを利用しようにもこんな人の姿すらないオフィス街を流すような車両はなく、どうしても駅前までは出なければならない。
「もう、タクシー呼んじゃおうかな…」
携帯を片手に頬に手をあてる。
 家業である退魔、それは常人に目撃されるに好ましからざる為、遂行後は素早く確実に人目につかずに現場を後にしなければならない…ので、どう考えても運転手は一般人なタクシーを拾うワケには行かない。
「まるで犯罪者じゃない」
ふと、そう思いが及んでムッとした矢先。
 暗闇に続く道向こう、灯りは欠片も見えないというのに激しいタイヤの擦過音が夜気を裂くのに咄嗟、身構え…る間もない猛スピードで、それは鼻先を走りすぎた。
 その黒光る車体に、遠い街灯の光を丸く映して行きすぎる、それがなければただ轟音が通ったという認識しか抱けなかったろう。
 咲は、手にした携帯の…着信履歴を呼び出し、耳に当てた。
 コールは三度。
「もしもし?」
『よぉ、咲ちゃん、今幸せ?』
電話口での挨拶がわりのそれは変わらないのか、と奇妙な感心をしつつ、咲は身を抱くように腰に腕を回した。
「わりとね…ところで、それ新しい遊び?」
『んにゃ、わりと前から…ってなんで知ってんの?今どこ』
今度は左側から接近するスリップ音。
「丁度ピュン君の…」
道の先は工事中…封じられたが古のあまりか、見境なく車を蹴倒す妖を咲が封じ直したのはつい先ほど。
 危険を避ける為、道路工事を装った封鎖が解けるのは明日の朝になってからだ。
「目の前ね」
道を阻む障害物を急ブレーキで辛くも避けふんばりが効かぬまま、横に路面を滑る…車のフロントに部分に膝をつく黒衣の青年が、手にした携帯を左右に振るのに、咲の耳元でも『お〜い♪』と声が届く。と、彼は呑気さを拭って後方に…咲に向かって跳躍する、その身に遮られて見えぬ向こう砕けたフロントガラスから一瞬炎が吹き出たように続く爆音。
「熱ッ!」
勢いよく歩道まで跳んだ、というよりふっ飛ばされた感の強いピュン・フーを、咲は一歩横に移動して避けた。
 路面に片手を突いて勢いを殺し、皮のコートに名残る炎の残滓を軽く腕で払う。
「よぉ」
派手な動きにも頑固に顔の上にある円いサングラス、その脇から覗く目は不吉な月の赤さを変えずに陽気に笑う。
「相変わらず可愛いぜ。そのコートも良く似合ってんじゃん」
てらいのない誉め言葉に咲は僅かに染まった頬に手をあてて、微笑んだ。
「そう?お気に入りなの」
アンゴラ地に淡いベージュのコートはやぼったい厚さで身体のラインを曖昧にする事なく彼女の身を包む。
「俺のもお気になの、誉めて♪」
「かっこいーわよ、ピュン君♪」
一瞬前までカーアクションをかましていた不審人物を相手に、互いの服を誉め合う妙にほのぼのとした空気が漂う…ままにすれば、車中の人物が気の毒だろうか。
 和んでいる間にガードレールで漸くターンを止めた黒塗りのベンツ、から多少よろめきつつ黒服の人影が出て来た。
「その男から離れろ!そいつは危険なテロリストだ!」
居丈高々とした命令口調で、向けられる銃口…その手元に気付き、咲は緩く首を振って背に流れる髪を揺らす。
「困った事があったら連絡してって言ったのに…奥ゆかしいのも過ぎると美徳じゃないわよ、ピュン君」
「特に困った事態でもなかったもんで」
傷つける目的以上も以下もない敵意を向けられておきながら、二人して呑気さが拭えないのは果たして度量が大きいと評していいものか。
「お前も『虚無の境界』のメンバーか」
せいぜいの威厳らしき欠片を含んだ問い掛けは咲に向けて、だが答えたのは隣に立つピュン・フーで「ちゃうちゃう」と顔の前で手を振る。
「あ、咲ちゃんとはこないだ偶然道で会って一緒にメシ食った仲なだけ」
「能力者か」
黒服は妙に自然に納得した風で、咲からピュン・フーへと銃口を逸らして顎をしゃくった。
「なら、早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
「貴方に保証される必要はないわね」
にっこりと。
 咲は意図をふんだんに含んだ微笑みを男に向けた…激するよりも圧倒的な怒りを敏感に感じ取り、男が気圧される。目だけが笑っていないのがとても怖い。
「そいつは我々の組織に反してテロリストについた裏切り者だ。与するならばお前も処分する」
それでも平静を装って続けられた言葉は、咲の笑みを深めたのみだった。
「なに、咲ちゃん手伝ってくれるつもり?」
「まぁいいわ。困ってるの見すごせないし」
気にしないでおいてあげる、との咲の言に「だから困ってねーってば」とのんびりした応答が続くのに、シリアスな筈の場面が締まらず沈黙するしかない銃口、黒服の男も些か戸惑っているようだ。
 咲は、軽く息をつきすいと人差し指を男へ向けて上げた。
「だいたい…淑女にそんな不粋なモノを向けるなんて礼儀以前に問題外よっ!…で、ピュン君は何がどうしたいの」
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。だからくれっておねだりしてんの」
咲の問いにニヤリと笑ってあっけらかんと…気のせいでなければ爆弾発言じゃなかった、今の?としばし悩まねばその意を理解するには難しかったが、それを黒服の冷笑が肯定した。
「組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど…!」
吐き捨てる言葉には悪意しかない。
「…ピュン君」
声音を押さえ、見上げる咲にピュン・フーは軽く肩を竦め、楽しげに目を細めた。
「んじゃ遠慮なく手伝って貰うかな」
並び立ったピュン・フーがすいと手を翳した…無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
「咲ちゃんは車ん中のケース取って来てくれな。アイツは俺が始末すっから」
相手に気取られぬ程に僅かな体重の移行、瞬時に攻撃に移ろうとしたピュン・フーだったが、動きを転じさせる前にその腕を咲が抱き留めた。
「…必要以上に怪我させる必要性ないでしょ?」
「え、なんで?」
心底不思議そうに返すピュン・フー…どうやら怪我どころか殺る気満々だったらしい。
 咲は呆れを吐息に混ぜるとピュン・フーの腕に自らの右手を絡める…容易に抜け出せないようにする為だ。
「勿論ピュン君は私に力ずくで止めるなんて真似させないでくれるわよね?嫌よ?私ただでさえ繊細なんだから」
左手で肩に緩く触れ。トドメの笑顔。
「それでもやるっていうなら…ピュン吉くんって大声で呼んじゃうからっ!」
決め手だった。
 ピュン・フーはその場に膝をつくと、左の腕は咲に預けたまま、空いた片手で顔を覆ってひーひーと笑う。
「ピュン…吉ッって!………カエ、ルじゃ………あるめーし…ッ!」
Tシャツに張り付いた両生類が大活躍する今は懐かしい子供アニメを連想したらしい…咲が片手を預かっていなければ路上を笑い転げていたであろう青年は、呼吸が危うい。
「…笑い上戸なのね、ピュン君って」
自分が導いた思わぬ事態に、咲は多少ならずも呆れながら、虚空に向かい名を呼んだ。
「咲夜」
その声に。
 まるで星の光の粒子が集い、形を為したかのように純白に尾に長く綺羅を散らせた…一羽の鳳凰が中空に姿を結んだ。
 咲の式神である。
 それは主の意を汲むと、優雅とも言える羽ばたきでいながら瞬きの速度で硝子の破砕された車のフロントの内に飛び込み、その両足に軽々と黒いアタッシュケースを掴む。
「貴様等ッ!」
唖然としていた男が、憤りに声を荒げて銃口を上げた…が、それが火を噴くよりも早く、咲夜が足にしたケースの角がカイーンといい音を立てて後頭部にヒットした。
 思わず、頭を抱えて踞る黒服。
「ピュン君、薬ってコレ?」
ことさらゆっくりと翼を動かしながら咲の元へ戻る鳳凰からケースを受け取る…と、どうにか復活を果たしたピュン・フーが笑いすぎて目尻に浮かんだ涙をサングラスを外して拭いながら軽く目を見開いた。
「うわ、コレいいな咲ちゃんの?いーなー可愛いなー」
そう手を伸ばすが、咲夜はそれを厭って身を離す。
 その動きに残念そうに手を引いたピュン・フーがぼやく。
「俺の使えるのってめっちゃ可愛くねーんだもんな」
「そうよね。やっぱり可愛さを追求するのって大事だと思うわ」
咲の同意に「そーだろッ!?」と味方を得て妙に嬉しげだ。
「こんなのしか扱えないのはちょっと人生、潤いに欠ける…」
言い様、月明かりに出来たピュン・フーの影、その背がぎこちない動きで皮翼を形作り、薄い影の色を闇へと塗り替えた、瞬間。
 その影から、白い靄が吹き出した。
 ピュン・フーを取り巻いて広がる霧は、地からずるりと伸びる無数の手を、繋がる肩を、身体を、まるで地の底から湧き出すような人の姿の朧な輪郭を散らぬようその白さに止める。
「でかい事故でもあったかな?」
理不尽な運命に身を損なったままの姿で…実体を伴った死霊の群は、無言、無表情でゆらりと立ち上がる。
「怨霊化…!?」
男が頭を上げて驚愕に上げた声を余所に、己が周囲を生者に有り得ぬ肌のそれ等を眺め回すと、ピュン・フーは背に大きく生えた蝙蝠に似る皮翼を動かして小さく溜息をついた。
「……やっぱお前等、可愛くねェ…」
そういう問題ではない。
 彼はついでとばかり、長く伸びた爪の先端を、男に向ける…それを合図に、己がとうに失った血肉と命とに飢えた死霊の群れは、示された先へずるりと動き出す。
「ピュン君…?」
咲が目元を険しくした。
 寸前まで、霊の気配は薄かった。
 それを無理矢理に起こし、更には負の状態のままに救いなく使役する…人で、あった者を。
 人よりも彼岸近くに身を置く世界のある咲にとって、生者も死者も単純に別っするに難しい…流転の内に形は違えようども、それは人の魂だ。
 咲の表情に気付かぬのか、ピュン・フーは長い爪で器用にサングラスを摘むと元のように顔
に乗せた。
「でーじょぶだって。多少囓られて血は出ても死んだりしねーよ」
んじゃ、とっとと逃げっか。
 笑みかけて歩き出すピュン・フー…咲は死霊とその背とを交互に見比べると、黒い背を追って足を踏み出した。


 黒のアタッシュケースに並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
 幾つかの小路を曲がった先、ビルの下にひっそりと隠されたような緑、小さな公園の街灯の下で中を改めたピュン・フーは小さく口笛を吹いた。
「お陰さんで寿命が延びた。こりゃ奢っただけじゃ足りねーな」
紛れない感謝の意を込めた微笑みに、咲は一度瞼を閉じると髪に指を入れる…ウェーブがかった茶の髪はひっかかる事なく、容易に梳ける。
「…ホントに可愛くなかったわね…アレは、何?羽から出てくるの?」
調子を崩さないように、気を落ち着けて。
 咲の問いにピュン・フーは来る、と指の間で注射器を回すとその紅を光に透かした。
「んにゃ、皮翼は『ジーン・キャリア』っつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んであっからああいう真似が出来んだけど…定期的にこの薬がねーと吸血鬼遺伝子がおいたを始めるんで命がヤバいワケ。アレは『怨霊化』っつって、その辺の霊を呼び出すんだよ」
自分の胸を指し。
「ここに埋めた怨霊機ってヤツを使うんだけど、詳しい事はよくわかんねー。『虚無の境界』のヤツに聞きゃもーちょい詳しいかも?」
あまりに気楽な…というよりも無頓着な言い分に、こちらが呆れとも怒りともつかぬ言を吐く前に、彼は小さく首を傾げた。
「そーいや咲ちゃん、なんでまだ東京にいんだよ。もしかしてもう死にたかったか?」
 心底、不思議そうに。
「…死なないわよ?」
咲は、向けようとした感情の矛先を収め…微笑んだ。
 何故か、憤りをぶつける気にはならず、そしてそれが届くとも思わなかった為。
「殺したいっていうなら殺してくれても構わないけど、そう簡単に死んでなんかあげないから」
そして、不思議とその子供めいた仕草が真実、笑みを誘った為でもある。
「覚悟、しておいてね?」
咲はすいと片手を上げ、ピュン・フーの頬に触れ…黒く汚す煤を指で拭う。
「そりゃしんどそーだな…ま、咲がまだ要らないってんならいーけど」
ピュン・フーはニ、と口の端を上げると咲の手を取った。
「まぁ、その気になったらいつでも言いな。下手に苦しめたりしねぇから」
妙な事を自信たっぷり請け負うピュン・フーに、咲はもう一つだけ、問う。
「ねぇ、『虚無の境界』って…何なの?」
対するピュン・フーは異形のそれである瞳の赤を紅に変じさせ、更に深い笑みを口元に刻んだ。
「テロリスト」
悪戯を見つかった子供の微笑みで。
 彼は悪びれなくそう真実を告げた。