 |
東京怪談･月刊アトラス編集部「本物に出来ない書籍」
■オープニング
「編集長〜！ 特だねですぅ！」
息せき切って編集部に飛びこんできた三下は立場も忘れて麗香のデスクに飛びついた。遅刻と言う、三下忠雄と言う存在ならば命取だろう失態を犯した立場を、綺麗に忘れて。
「……それで？」
麗香の冷やかな視線にも三下は怯まなかった。
「これ、この本なんです！」
三下は麗香のデスクの上に分厚い革表紙の本を置いた。紙が茶色く変色しているところから古さが窺えたが手入れは悪くない。黒皮の表紙は光沢を保っている。
麗香は本を手に取り、眉間に更なる一本の皺を刻んだ。
「なんなの？」
「アカシックレコードです！」
麗香の、そしてあなたの動きが一瞬止る。
アカシックレコード（Akashic Records）。世の始りから終りまでが記されているとされる書物。こうしたオカルト関係者には割かし有名な――まあ与太話の一種だ。幾らなんでもそんなものが有るわけが無い。あったとて三下の手になど絶対に入らない。
麗香は怒る気も失せて額に手を当てた。
「あのね、三下くん。一体何処でこんなもの……」
言いつつ麗香はその本をぱらりと捲った。
「はい！ 編集部の前でリーマン風の男性から２９，９２５円で！」
ご丁寧に税込みか。
麗香もあなたも同時にそう思い息を吐きだした、その時だった。
荒涼たる荒野、鋭角的な人目で険しいと知れる山、何処からともなく聴こえてくる獣の声。冷たい風、どんよりと曇った空。
「……ひえええええっ！！」
真っ先に三下が雄たけびを上げる。あなたもまた目を見開いた。
何処だここは？
うろたえる三下を構おうともせず、麗香は本に目を落した。
「荒涼たる荒野、鋭角的な人目で険しいと知れる山、何処からともなく聴こえてくる獣の声……」
そう言って麗香は本をあなたに示す。そこには景色そのままの文章が記載されている、ご丁寧にも日本語で。
そして冷ややかに麗香が怒り、三下が雄叫び、……そうそこにはあなたの名前もある。
「さて……私が恵んであげたお給料２９，９２５も使って、一体何を買ってきてくれたのかしら？」
「……ひいいいいいっ！！」
怒る麗香と雄叫びを上げる三下は兎も角。
さあ、あなたはどうする？
■本編
荒涼たる荒野にまず響いたのは、そこに吹き荒ぶ風よりも無い冷たい女の声だった。
「三下」
唱和したその声の持ち主は二人、一人は無論三下の飼い主である所の碇麗香、そしてその隣に立つ冴木・紫（さえき・ゆかり）である。揃ってどちらかといえば硬質な顔立ちである。それが二つ並んで怒りの白い気炎を吹き上げているとなると三下でなくとも怖い。奇声を発してうろたえまくっていた三下も、ぴたりと押し黙った。
「とりあえず正座」
紫の声に、もともと尻餅を付いていた三下は即座に足を正した。その真正面に腕組みをした麗香と紫がずいと進み出る。
「さて、この始末をどうつけてくれるつもりなのかしら？ 三下君？」
「は……そのぅ……」
「って言うか29925円も持っててどーして私におごんないでそんな妖しげな本とか買うのよ？」
基本的に困窮している紫にはこれが最も許し難いらしい。
真名神・慶悟（まながみ・けいご）は大きく溜息を吐いた。霧原・鏡二（きりはら・きょうじ）、石和・夏菜（いさわ・かな）の二人も同様に呆れた目で紫を見ている。
「……相変わらず貧乏してるようだな」
取り出した煙草を加えながら慶悟がぼそりと呟くと、鏡二が意外そうな顔で慶悟を振り返った。慶悟が一見したところ遊び人風に見えるのに比べて、紫は見た目はキャリアウーマン風にも見える。その印象と今のいかにも事情を知っている風な発言がどうにもかち合わない為だろう。
「知り合いか？」
「被害者だ。――さて」
それ以上触れられてなるかとばかりに慶悟は一方的に話を打ち切った。鏡二もさっさと追求を諦めた。未だに麗香と紫による不毛な三下への責め苦は続いてる。当分終らないだろう。荒涼たる荒野に行き成り放り出されてのこのマイペースさはいっそ見習うべきかも知れない。その様子を見れば何処となくだが被害の内容も程度もわかろうというものである。
そしてもう一人、別の意味でかなりマイペースな者が居た。
夏菜はきょとんと目を瞬かせ、小首を傾げた。
「税込みで三万円弱なんだ。自由に行き帰りできるんならお得なの？」
「……激しく問題が違うと思うが」
思わず突っ込んだ鏡二に、夏菜は更に首の傾斜を深める。
「え、でもお得だと思うの！」
「帰れればな」
ぼそりと呟き、慶悟は煙草に火を付けた。ゆっくりと立ち昇る煙はそのまま風に吹かれて流れていく。その風は冷たく、そして煙の味も香りも変わらない。
その言葉の重みに、夏菜ははっと口を噤んだ。
まあ確かに自在に、こんな荒野のある場所まで移動できるならお得だろう。
その切符が往復ならば。
片道では何の意味もない、意味がないどころか有害極まりない。
「妙な話だ」
鏡二の声に、慶悟が深く頷いた。
さてどうする？
最も基本的な問題に一同は立ち戻った。
何しろ見渡す限りの荒野、自分たち以外にはこの際何も無いと言ってしまってもいい。土くれや砂塵が一体何になってくれるというのだろう。
さっさと式を放った慶悟はその情報を待ちつつ二本目の煙草に火を付けた。
「さて、だな」
放心して座り込んでいる三下を勿論無視して、一同は顔を見合わせた。紫も三下を責める事に飽きたらしく、その会話に混ざり込んでいる。
「とりあえず閉じてみたらどーよ、この本」
そう言いつつ、紫は麗香から受け取ってきた本を示した。
「んー、やってみてもいいんじゃない？」
夏菜が頷きを返す。特に鏡二にも慶悟にも依存はないらしい。
「じゃ……」
と言って紫は本を閉じた。正確には閉じようと手に力を入れた。そして我が意を得たりとにまっと笑った。
「――やっぱりね」
紫はそう言って開いたままのページを顎で示した。真っ先にそこを覗き込んだのは慶悟だった。先刻の三下への対応から夏菜も鏡二も僅かに紫には腰が引けている。その点慶悟には免疫があった。そこに新しく記述が浮かび上がっている。
『冴木紫は本書を閉じた』
慶悟に続いて本を覗き込んだ鏡二と夏菜も、その記述に眉を顰めた。
「閉じて、ないよね？」
「閉じようとはしたがな」
「――つまり？」
慶悟の問い掛ける視線を受けて、紫は小さく頷いた。
「つまり、これはアカシックレコード（Akashic Records）なんかじゃないって事よ」
「そだね。はじめっから最後まで全部載ってる本なら、閉じようとしたけど閉じなかったってちゃんと最初から書いてあるはずだしっ！」
夏菜が拳を握り締めて力説する。
だが慶悟と鏡二は顔を見合わせて肩を竦めた。
「そんなことは端から分かっていることだろう？」
「だから、その上であんたは何が言いたいんだと聞いてるんだ」
「察しが悪いわねー。だからどうとでも対処できるって言ってるんじゃない」
胡乱な目で鏡二は紫を眺めた。
「具体的には？」
「頑張ってね」
「それは何も考えてないという事だろうっ！」
思わず怒鳴る鏡二の腕を、慶悟は頭痛を感じながらも引き止めた。振り返る鏡二に慶悟は静かに頭を振った。
つまり言うだけ無駄と言う事である。
すっかり置いてきぼりを食らった夏菜は紫の手からひょいと本を取り上げてまじまじとその表紙を眺めた。Akashic Records、その黒皮の表紙には確かにそう刻印が打たれている。
「大体三下のお兄さんになーんで売りつけたのかなあ？ 「無事帰ってきました」って書き込めば帰れないかなあって…書けないかな？」
不毛に睨みあっていた三人はその言葉にはたと顔を見合わせた。
一同に行き成り見つめられ、夏菜は本を抱えて思わず身構える。
「単純？ 単純だとでもいう？ なんですとぉ！」
シャドーボクシングの要領でシュシュと空に拳を叩きつけて威嚇してくる夏菜に、慶悟は頭を振って応えた。
「そうじゃない」
「まー確かに単純だけど」
「混ぜっ返すなあんたは！」
紫を一喝し、鏡二がその後を引き継ぐように夏菜に向けて手を伸ばす。正確には、その胸に抱かれた本に向けて。
「何の目的でそんなものをわざわざ三下に売りつけた？」
「その目的に、俺達を導きたい……そうじゃないか？」
明らかに自分よりも大きい二人の男に詰め寄られ、夏菜は一歩後ずさった。こうなってくるとシャドーボクシングなどより余程威嚇である。
「だ、だから？」
「だからその本よ？ 目的は？ それが知りたかったら一番手っ取り早い手があるわ」
紫が幾分優しく言った。そこで漸く、夏菜は威嚇されているわkではない事に気付いた。慌てて手の中の本を開いた。
目指すは、最後のページだ。目的があるならそこには何かが、彼らをそこへと導きたい、何者かのメッセージがあっても不思議ではない。この本は名乗っているのだから――Akashic Records――世界の運命だと、自ら。
かさかさとページを捲った夏菜は、目的のページに辿り着くなり冷凍されたように硬直した。
「……これ……」
震える手で、夏菜は本を一同に向けて翳す。
真っ白な最後のページ。その中央にまるで染みのように記されている言葉はただ一つ。
death――すなわち死。
「まー洒落にならないわねー」
「落ち着くな！」
暢気に紫が言う。それをギッと睨みつけ、鏡二は怒鳴った。その鏡二を更に免疫がある慶悟が叱咤する。
「あんたも構うな一々」
「すまん」
短く謝した鏡二は眼前の敵に集中した。
一同は完全に包囲されていた。
慶悟が放った式も、鏡二の放っていた風の精霊も何故か帰っては来ず、状況をつかめないうちにわらわらと現れた何かに周囲を囲まれてしまったのだ。勿論友好的な何かでは在り得ない。『敵』と表現されて然るべきものだ。一旦は一目散に逃げて背後に岩山（らしきもの）を確保したおかげでどうにか完全包囲は免れているが逃げ場が無いという意味ではそれに近い。
慶悟と鏡二が前に立って防衛ラインを確保し、夏菜がその背後に紫と麗香、そして最早物言わぬ物体と成り果てている三下を抱え込んでいる。別に三下は黄泉へと旅立ったわけではない、念のため。
この状況でありながら未だにマイペースを保っている紫は麗香と共に次々と増えていく本の記述を読み進めていた。
慶悟が放つ符の起動が、鏡二が風を使って敵を押し戻す様が、夏菜が気弾を放つ瞬間が、まるで小説のように一拍後にはそこに浮かび上がってくるのだ。
「はーこりゃ面白いわ」
「全くね」
麗香もまた同意を示す。こちらも平常心を失っていない辺りが恐ろしい。
じりじりと狭まってくる敵に呼応するように、本のページも残り少なくなっていく。一々後ろを振り返らずとも、はーだのほーだのという声と共にぺらぺらと紙を捲る音が聞こえてくる為に慶悟にも鏡二にも夏菜にも、それは把握する事が出来た。
「このままじゃジリ貧なのー！」
夏菜の泣声に鏡二はチッと舌打ちを漏らした。確かにこのままでは最後のページに、即ち死へと導かれてしまう。
その焦りさえも、本は記述として浮かび上がらせる。紫は流石に眉を顰めた。
「ちょっと冗談じゃなくなってきたわね」
「今まで冗談だと思ってたのかあんたは！」
怒鳴り声と同時に鏡二の指先から放たれた風が敵をなぎ倒す。空いた隙間にすかさず慶悟が符を放った。何某かの呪と共に放たれた符は、その場に鈍く輝く幕を張り巡らす。かなりの大技だったのだろう、慶悟は額に滲んだ汗を拭って振り返った。夏菜が驚いたように目を見張った。
「なに？」
「結界だ。まあそうは持たないだろうが……二、三分は持つ」
その声に鏡二も一時構えを解いて振り返る。
「はあ……流石にきついな」
「大丈夫？ 夏菜はまだいけるよ？」
「そうか。そりゃあ何よりだ」
あやすようにポンポンと夏菜の頭を叩いた鏡二は、紫の手の中の本を親の敵でも見るような目で睨みつけた。
「……後どのくらい残ってるんだ？」
「三ページこっきりね。その後は例のページよ」
death――死の最終ページだ。
「ふ……ん？」
慶悟は指先を顎に当てて鼻を鳴らした。
「すると……無駄でもないかもしれないな、この攻防戦は」
「どういうことよ？」
柳眉を跳ね上げる紫に慶悟はふふんと笑って見せた。
「あんたが言ったんだろうが、この本は本物のアカシックレコード（Akashic Records）なんかじゃないってな」
「はい？」
「成る程」
未だきょとんとしている紫に変わって、鏡二が大きく頷いた。
「強制的な運命の記述なら逃れようは無いだろうが……コイツは本物じゃない。現に俺たちの戦いを実況する事は出来ても、予知する事は出来てない」
「あ！」
夏菜が大きく声を上げる。
「じゃあ、ページがなくなるまで夏菜達が生きてたら……！」
鏡二は夏菜に頷き、片目を瞑ってみせる。
「俺たちの勝ちだ」
毅然と鏡二が言い放ったその時、みしみしと結界が嫌な音を立て始める。慶悟はやれやれと肩を竦めた。
「後三ページ分、ね？」
悪戯っぽく笑う紫に苦笑を返し、慶悟は身を翻した。
そこに、後三ページ分の敵が待っていた。
そして三ページ後、
そこはいつもの、雑多な雰囲気を醸し出す編集部へと変じた。否、戻った。
「なんだったの結局？」
編集部の壁に引っ付いていた慶悟の式符を引っぺがしながら、紫は小首を傾げた。先刻まで紫の手の中にあった本は最早無い。
「感覚自体が狂わさせられていた、と考えるべきだろうな。式はあった、戻っても来ていたのかもしれないがそれを俺は知覚することが出来なかった」
「風精もだな。酷くリアルな幻覚だ」
何しろ疲労は本物だ。
未だ正気に帰れない三下の頬を容赦なく張っていた麗香も、それには同感らしく肩で息をしている。
紫が式符を挟みこんだ指を顎に当てた。
「――妙に……実験的って言うか……何か試されてたみたいな感覚ね」
鏡二と慶悟もそれに頷く。
酷く、確かに、実験的だ。
「……リーマン風の男、ねえ？」
沈黙が下りる。
黙りこんだ一同の間を殊更に元気な声が突き抜けた。
「皆無事で帰ってこれて良かったの！ 夏菜も頑張ったし！」
一拍の間。
一同は思わず互いの顔を見交わし、同時にプッと吹き出した。
確かに、無事に帰って来れた事に比べれば、些細な事かもしれない。夏菜のさっぱりとした無邪気さに、一同は笑いを禁じえなかった。
一気に爆笑へと変じた笑いは、編集部を飛び越えて通りにまで高らかに響き渡った。
「ふむ。失敗は失敗ですが――実に面白い」
男はにっこりと笑んだ。
ギリギリ二十台といったところだろうか、きっちりとスーツを着込んだ、物腰の穏やかな男だった。整った冴え冴えとした美貌の上に丸眼鏡が乗せられその顔の与える印象を緩和させている。人好きのする笑顔だった。営業エースのサラリーマンと言った印象がある。
その手に握られているものは黒皮の表紙の書籍。
本物になることの出来なかった、一冊の書籍。
その男はその本を手に、ゆっくりとその場を立ち去った。
もしかしたら誰かは何処かで、出合ったこともあるのかもしれない、その男は。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【1021 ／ 冴木・紫 ／ 女 ／ 21 ／ フリーライター】
【0389 ／ 真名神・慶悟 ／ 男 ／ 20 ／ 陰陽師】
【1074 ／ 霧原・鏡二 ／ 男 ／ 25 ／ エンジニア】
【0921 ／ 石和・夏菜 ／ 女 ／ 17 ／ 高校生】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちは、里子です。再度の発注ありがとうございます。
今回はお話が真っ二つに分かれております。そちらは全く違ったアカシックレコードの物語となっておりますので、興味のある方はどうぞご覧下さい。
ところでマジホンのアカシックレコードがあったとしても読みたいとは到底思いません。回避不可能な事でしょうからねーそれは。
そう……昨日何も無いトコで転んだとかそういうことが予知されてても全く嬉しくないです、痛いです。＜待て
今回はありがとうございました。また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
|
|
 |
