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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


++ 死神の噂 ++
「ホラースポットねえ……またえらく時期外れな……」
 三下の机の上を勿論当人に無断で漁っていた凪が、企画書らしきものを発見して目を通す。
「あ、駄目ですよ凪さんそれは社外秘なんですから。返してください〜!」
 編集部の隅で凪のためにコーヒーを淹れていた三下が、慌てた様子で机へと戻ってくると、凪は企画書を取り戻そうと手を伸ばしてきた三下の額をぴしゃりと叩いた。
「うるさい馬鹿。黙れ馬鹿。ああ……もう場所は決めてあるのね。そこのことを記事にするってこと、へーえ。三下この場所ってのはどーやって決めたのよ?」
「読者からコンスタントにそーゆー手紙が届くんですよ。それでせっかくだから特集でもしてみようかってことに……」
「へーえ。あ、でも面白そうなのもあるわねー」
 紙片を机の上に置くと、凪は企画書の一部を指で指し示す。
 そこには『死神が住む病院』なる文字。
「今は廃屋と化している病院の建物に死神が出るという噂がある……病院の近くに行くと、女の呼び声が聞こえるらしい……ですって。でもコレ私も聞いたことないわよ……変ねえ……この手の情報は網羅してるはずなんだけれど」
 凪はアトラス編集部が扱うような――幽霊やオカルトといった情報を集めることを趣味としている人物である。面白そうな話題がある時など自分から編集部に売り込みにくることもあるので既に三下や碇とも顔馴染みだ。
 三下は首を傾げる。
「でもいくら凪さんだって、都内全てのホラースポットを把握してるわけじゃないでしょうし……」
「馬鹿。救いがたく馬鹿。もう失せろ――あのねえ、大抵のホラースポットって幽霊が出るってそれだけでしょーが。それを『死神が出る』よ。こんな変なの私が知らないわけないじゃないの。これも読者からの情報なんでしょ? 元になった葉書とか手紙とかはドコ?」
「そういう台詞は僕の机の上からどいてから言ってください……」
「うるさい馬鹿。黙って探せっての」
 がさがさと机の右の引き出しを探し始める三下を横目で見下ろして凪は首を傾げる。
「本当にコレ聞いたことないわねぇ……で三下手紙は?」
「うーん。ここにあったはずなんですけれど……」
 難しい顔をしながら机の中をあちこち探している三下に凪はあからさまにため息をついてみせた。
「なくしたのね。手紙の管理もマトモに出来ないの三下……」
「違いますよ! だってその証拠に他の手紙はここにこーしてありますし……おかしいなぁ……女の人のものっぽい手紙だったと思いますよ。僕大抵の仕事は苦手ですけれど何かを大事にとっとくのは得意だったと思うんですけど……」
「仕事苦手って致命的じゃないの……しかし妙ねぇ……」
「凪さんは人事だからいいですよ……僕はココに取材に行かないといけないんですよ。誰か頼りになる人いないですかねぇ……やっぱり怖いですし……」
 途方にくれたように三下が呟いた。
 どうやら、問題の病院を取材するのは三下の役目らしい。


++ 誘う声 ++


 吹き付ける風は冷たいにもかかわらず日差しは明るい。そんな冬の日だった。


 白い病院の外壁は、建設されたという数年前そのままの美しい白さを保っている。建物に反射する日差しにシュライン・エマ(─)は秀麗ともいうべき鋭さをあわせ持った──けれど美しい眼差しを僅かに伏せた。
「この病院には、一年前から勤務しています」
 芝生の上に転々と設置されている赤いベンチに腰掛けた男が、そう口を開いたのを期にシュラインが振り返る。
 薄手の黒いハイネックのセーターの上に白衣を羽織った男。一言で言えば食えない男、というのがシュラインが彼に対して抱いた感想だった。普通、見ず知らずの人物に突然呼び出されれば不審そうな様子を見せるなりするものだろう。だがこの男――吾妻恭介と名乗った彼には、そういった様子が微塵もない。
「あの病院ではどういった仕事を?」
 問いかけに彼は薄く目を閉じた。それがシュラインの発した問いに対する動作なのか、あるいは日差しの強さに目を細めただけなのかはシュラインには分からない。それでも彼女はじっと吾妻を見つめていた。彼の一挙一動を見逃すまいとするように。
「今こそこうして医師を務めていますが、研修医だった頃にあの病院でお世話になっていました。僕が始めてあの病院を訪れた頃は、人手が足りなくなるくらいに患者がいたものですが」
「あの病院についていろいろな方に話を聞こうとしましたが、誰も何も語ろうとはしません。あそこで、一体何があったのですか?」
 何かがあった筈なのだと、シュラインは思う。
 当時は毎日患者が訪れていたという病院が、何故今廃屋と化してしまったのか? そして病院に『死神』が現れるようになった原因が、あの場所にはある筈だった。
「それを分かっている者なんて、本当は誰もいないんですよ。だから、誰も貴女の問いに答えることができなかった。彼らは答えなかったのではなく、答えられなかった。それが真実です」
「では、吾妻さんは何かをご存知なのですか?」
「何も――」
 吾妻は白衣のポケットを探り煙草とライターを手にする。そして一本を抜き出してからそれを指先で挟んで軽く上げ、片方の眉だけを器用に上げてみせる。喫煙しても構わないかと許可を求められているのだろう。シュラインが頷くと、ライターの小さな音と共に煙草の先端にオレンジ色の光が点った。
「僕たちにも、何が怒っているのか分からなかった。ただ始まりは一人の女の死であったような気がします。それ以降、彼女の声が――『死神の呼び声』と呼ばれる声が聞こえるようになったのだけは確かです。だが、これは僕の思い込みでしかないのかもしれない」
「けれど、声に誘われて行ってしまった人は帰っては来なかったのでしょう?」
「その通りです。病院側も、そんな事態にどう対応したらいいのか分からなかった。だがそうしている間にも次々と行方不明者は増えていく――そして最後に下された決断は、貴女もご存知の通りです。もっとも、その時には既に『死神』の噂が囁かれていたので患者も減り経営も危うかったのでしょうが。けれど、問題は残った」
「死神の呼び声、ですね?」
「そう。そして今も死神の噂のために、あの場所は廃屋のままということです。実はね、僕は当時あの病院に勤めていた人々が口を閉ざし続けるには、無知であること以外にも理由があるような気がしてならないんですよ――彼らは説明できない現象を認めたくないのではないか、とね」
 ならば、彼は認めているのだろうか?
 シュラインはこの病院に来る前に、何人もの人々に話を聞こうとした。直接顔を会わせて話をすることができたのは数人だったが、彼らの態度と吾妻のそれとは明らかに違う。その違いはどこから生ずるものなのかに興味があった。
 吾妻という人物は言った。
 彼らは説明できない現象を認めたくないがために口を閉ざしているように思える、と。
 ならば、シュラインとこうして話をしている吾妻は認めたのだろうか?
 心のままにシュラインは問いかける。
「あそこに……あの病院に死神は本当にいると思いますか? それとも……」
 シュラインの言葉が終わらぬうちに、吾妻は首を横に振った。
「それは、僕にも分からない。今の僕にできることは想像することでしかないからね。貴女が真実を求めるならば、貴女は貴女の目で見に行かなければならないと、そう思うよ」 吾妻の吐き出した紫煙がゆらゆらと立ち昇っていく。
 やはり、行かなければ何も変わらないのかもしれない。
 死神が住むという病院へ。


 二人が落ち合ったのは問題の病院のすぐ近くにある、寂れた公園だった。
 誰も手入れする者がいないのだろう――公園の隅には腰の高さにまで雑草が伸びきってしまっている。錆びたブランコが風に揺られる度に立てる耳障りな音が響くたびに、不快げに目を細めるのは一人の女。
「不覚だったわ……」
 ぎりりと爪を噛む彼女は、不機嫌そうな様子を隠そうとすらしていない。
 黙って大人しくしていることができさえすれば、彼女をここのところ悩ませている就職活動ももう少し進展しようものだろうが、それが出来る性格ではない。つまり、村上・涼(むらかみ・りょう)とはそういう人物だった。
 ぶつぶつと口の中で小さく、何事かを口にしているその内容が気になったシュラインはゆっくりとした足取りで歩み寄った。別段足音を殺したりはしていないのだが、考え事に夢中になっている涼はシュラインの接近には気づかない。
「エサにして逃げようにも、肝心のエサがいないんじゃ自分の身は自分で守るしかないってことね……」
 近づいてみれば、かなり怖いことを呟いているようだ。
 だがここ最近の付き合いで、完璧ではないにしろだいぶ涼のことは分かってきたつもりではある。おそらく病院に向かうにあたり、涼は万が一の事態に陥った際には三下を置き去りにして身の安全を確保しようとしていたのだろう。
 くすくすと、こらえ切れないシュラインの笑い声にようやく涼が顔を上げて振り返る。視界には、シュラインと遊びに来たらしい小さな子供が自転車を停めている姿。
「いろいろ聞いてきたわよ。そっちはどう?」
 涼は肩をすくめて首を横に振った。大した収穫はないということだろう。
「せめて病院が閉鎖された原因だけでも分かればと思ったんだけどねー。現場に行ってみないと話にならないんじゃない?」
 互いに違う場所で情報収集を行い、そして得た結論は同じようだった。
 得られる情報は真偽すら怪しい、あくまで『噂』の域を出ないものばかり。ならば、涼の言うとおりに現場に行くしかないだろう。
「そうね……」
「エサがいないからちょーっとだけ不安だけど逃げ足には自信あるし」
 しかし病院とて安全ではないだろう、と考え込んだシュラインを、涼は涼なりに元気づけようとした発言であるようだ。言葉の内容はともかく、その心遣いに小さく笑いながら頷いたシュラインの目に、先ほど公園にやってきたばかりだった子供の姿が映る。
 見たところ、小学校の低学年といったところだろうか?
「ねーちゃんたち病院行くのか?」
 少年はシュラインと涼の会話を耳にして、それに興味を引かれたかに見える。
 だが、それだけでないことは少年の眼差しが如実に物語っていた。少年の瞳には、二人が息を呑むほどに真摯な光が輝いていたのだから。
「そうよ。死神とか胡散臭いことこの上ないモンが出るって評判の病院に、これから暗くなるってのにのこのこと出向く予定よ」
 自棄になったらしい涼は、両手を腰にあてて仁王立ちしている。
「だって知ってんのかよ!? あそこって死神が出るって噂だぜ」
「知ってるわよ! 知ってていくのよ私たち! その死神とやらに会わないともう話になんないのよ! 私だって就職決まってればこんな怪しげなバイトに手ぇ出すことだってなかったわよ……!」
 あ、なんか悲しくなってきた、と言葉を続けると涼は足元に転がっていた石ころをてい、と蹴り飛ばす。
「怖くないのかよ?」
 大きく目を見開いて、シュラインと涼とを不思議そうに見上げる。
 シュラインは自分の顎に白い指先を押し当て、小さく首を傾げた。視界の隅では蹴り飛ばした小石に小走りで駆け寄り、さらに蹴り飛ばしている涼の物悲しい姿が見えるが、それについては見えないフリを決め込むことにした。
「そうねえ……まあ怖くないって事はないけれど、死神なら死期が近づいた人しか連れていかないだろうし幽霊みたいに感情で動くってイメージがないから、何となく安心感があったりするんだけれど……」
 楽天的な言葉に、思わず涼も小石を蹴り飛ばす足を止める。
 だが、少年の反応は涼とはかけ離れたものだった。握り締めた拳をふるふると震わせるその様子は、まるで何かを押し殺しているかのようだ。
「どうしたの?」
 少年の様子に気づいたシュラインがそう声をかける。
 彼はしばし唇をぎゅっと噛み締めていたが、やがてきっと顔を上げた。
「オヤジは死期なんて近くねえよ!!」
 見上げた目は僅かに潤んでいるようにも見える。彼はきっと泣きたい気持ちを必死で堪えているのだろう。
 二人が、少年の言葉に含まれた意味を察したのは数秒の沈黙の後だった。
 涼の視線を受けてシュラインが頷き、できうる限り優しげな顔で少年の顔を覗きこむ。
「オヤジって……もしかしてお父さんが、あの病院に?」
「声が聞こえるって言ってた……俺の誕生日に、いなくなったんだ」
「呼び声、ね」
 シュラインは思い出す。
 病院から、まるで誰かを呼んでいるような声が聞こえるという噂のことを。
 そしてそこに行ったものたちは、戻っては来ないのだということを。
 消えた人々が戻ってきたという噂が全く聞こえてこないことが、不吉な予感を募らせた。呼び声が聞こえるといって父親が姿を消したとなれば、少年が感じる不安はシュラインたちの比ではないだろう。
 にもかかわらず少年は泣こうとはしない。
「偉いわね小僧! そーゆー根性あるのはお姉さんは大好きよ」
 涼がぐりぐりと少年の頭を撫でる。
 その手の下で、初めて弱々しい声が聞こえた。
「なあ……オヤジもう戻ってこないのかな……本当に、あの病院の死神に……」
「大丈夫よ」
 考えるよりも早く、シュラインの口からそう言葉が発せられる。
「大丈夫よ。きっとお父さんは帰ってくるから――さあ、もう遅いわ。そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃない?」
「そうそう。夜遊びは大人になってからよ。なんなら送ってくけど小僧」
「……小僧じゃねえよ!」
 目を真っ赤にしてくってかかってきた少年の姿に、涼は僅かに目を細めて口元に笑みを浮かべた。
「それじゃ一人で帰れるわね?」
「帰れるに決まってんだろ! 自分は大人みたいな顔してるんじゃねーよオバサン!」
「次に会ったら殺すから覚えてなさいねー」
 実ににこやかな顔で不穏なことを言う涼に、ぺろっと舌を出して駆け出す少年。
 公園の入り口付近に停めてあった自転車に乗った影は、ぐんぐんと小さくなっていく。
 ふと涼は、先ほどのシュラインの言葉を思い出した。
 シュラインは少年に言ったのだ。『きっとお父さんは帰ってくる』と。
「ねえ、もしかして自分の逃げ道を自分で塞いじゃうタイプ?」
 果たして病院に何が待ち受けているのか分からないというのに、父親が帰ってくると告げてしまったシュラインに対する言葉である。
 夜の冷たい空気の中、シュラインは大きく伸びをした。
「自覚はないのよね、いつも。で――どう思う?」
「どうって死神? 胡散臭いなーとは思うけれど」
「胡散臭い?」
 涼は大きく、何度も何度も頷いた。
「だって骸骨でマントで大鎌持ってるんでしょ、目立つわよ絶対。案外オカルトとか関係なくて、人攫いの変質者とかなのかもしれないわよ」
 思わず涼の言う人物を想像してしまったシュラインが顔をしかめた。
「そっちのほうがリアルに怖いわね」
「でしょ?」
 だが涼とて冷血人間ではない。自分たちに出来るのであれば、あの少年の父親を無事に返してやりたいとも思う。
「エサもいなくて気が進まないけれど、やっぱり行ってみるしかないのかもしれないわねー」


++ 導くもの ++
 病院近くに目立つ人物と見知った人物の二人を見つけて、涼は思わず立ち止まった。無言でシュラインに手招きすると、ちょいちょいとその二人の方を指差す。
 一人はまるで夜の闇の中に溶け込んでしまいそうな、漆黒の髪を伸ばした美少女である。ぴんと背筋を伸ばして病院の建物をじっと見つめるその姿は凛として、美しさの中に紛れもない強靭さが見え隠れしているようにも見えた。彼女――崗・鞠(おか・まり)は自分に向けられる視線にいち早く気づいたのだろう。くるりと振り返るとそれにつられてシュラインたちの方を見た男の顔を歪む。
「…………」
 鞠とは対照的な男だった。
 目を引くのは、夜闇に決して埋もれない赤い髪。そして何よりも彼と他者とを分かつのは容姿の問題ではなく、彼が纏う意思の強さを具現したかのような研ぎ澄まされた雰囲気だった。
 彼の名は、水無瀬・龍凰(みなせ・りゅうおう)。
 龍凰は剣呑さを含んだ眼差しでシュラインたちを一瞥する。
 龍凰と涼は今朝アトラス編集部で顔をあわせたばかりであったが、シュラインとは初対面だった。
 鞠が龍凰の方を斜めに見上げて、右手をシュラインたちに向けて紹介しようとした矢先の出来事だった。鞠の言葉が終わるよりも速く、涼がちゃっかりと鞠の腕に自分のそれを絡めると首を小さく傾げながら龍凰をちらりと――挑発するような眼差しで見上げた。
「…………」
「…………」
 不機嫌そうな龍凰の視線と、涼の何故か勝ち誇ったような視線とが交錯する。
「……なんだよ?」
「べつに」
 ふふんと鼻で笑う涼とは裏腹に、ぴくりと片方の眉だけを上げる龍凰。
 何故か見えない火花が散る二人をよそに、シュラインと鞠はしごく友好的で一般的な挨拶を交わしていた。だがこれも場所が深夜の、それも廃屋と化した元病院の前とあっては奇妙な光景ではあるだろう。
「この間の事件以来ね――元気だった?」
「はい。お二人も例の『死神』の件で?」
「ええ。一応調査はしたんだけれど、直接ここに来るのが一番の近道のような気がして」
 和やかに交わされる会話の横で、龍凰と涼は無言の睨み合いを続けている。勿論、涼はしっかりと鞠の腕にしがみついたままだ。
 無言での睨みあいに先に耐え切れなくなったのは龍凰だった。
「……だからなんだよ?」
「……べつに」
 さらにふふん、と鼻で笑うととうとう龍凰が動いた。とはいってもくるりと涼に背を向けただけだった。
 夜闇の中でうっすらと浮かび上がるようにそびえる白い病院の建物。目の前のそれをしばし無言で睨みつけた末に、龍凰は自分の肩ごしに僅かに振り返り鞠に視線を向けた。
「鞠、行くぞ」
 はいと、鞠がそう返事するよりも速く涼が口を開いた。
「私たちも行くわよ――一緒に」
 嫌そうな顔をしつつ龍凰が振り返ると、初めて涼はにっこりと笑みを見せる。だが龍凰にとってその笑みは、『何かを企んでいるに違いない』笑みでしかない。
「鞠の知り合いだと思うから遠慮してやってれば調子に乗りやがって……タチ悪ィ女だな……」
「友達に会ったから一緒に行きましょうって言ってるだけで、別に不思議なことは言ってないと思うけど」
 ねー、と首を傾げてシュラインと鞠を見やると、鞠とシュラインがこくりと頷く。そしてそれがさらに龍凰の不機嫌を加速させたらしい。
 龍凰の機嫌が悪くなればなる程に、涼の機嫌は良くなっていく。
 つまり涼は、龍凰をからかっているのだろうとシュラインは思う。涼の性格ならば実に有り得ることだ。
「いっぺん死ぬかお前?」
「……ああ、つまりそういうことね」
「人の話聞いてねぇだろお前?」
 くるりと龍凰に背を向けた涼が、ぽんと手を打つ。
 そしてちらりと、横目だけで龍凰を見た。
「……嫉妬ね」
「人の話聞いてねぇんじゃなくて、さては聞くつもりねぇんだろお前?」
 だがやはり涼は龍凰の話に耳を傾ける様子はない。
「鞠を独り占めしたいのよね。それならそうと先に言ってくれれば、私もシュラインも邪魔したりしないのに」
 何故かシュラインまでもが当然のように巻き込まれている。
 剣呑な眼差しで龍凰が涼をじろりとねめつけたが、涼はどこ吹く風といった様子でさらに言葉を続ける。
「女にまで嫉妬するようじゃ鞠もタイヘンねー」
「さてはお前、俺に喧嘩売ってんだな!」
「喧嘩なんてしないわよ。からかってんのよ」
「……マジでいっぺん死ぬかお前?」
 二人のやりとりに、鞠とシュラインがそれぞれため息をつく。
 業を煮やしたシュラインが涼と龍凰を停めるべく、二人の間に割って入った。
「こんなことしてる場合じゃないでしょ。病院に行くんじゃないの?」
「そうですね――この場所で夜明かしするのは得策とは言えません」
 鞠にまで言われてしまえば、流石の龍凰といえども頷くしかなかった。渋々といった様子で涼との会話を打ち切った彼は、気だるげに首の後ろに手を添えて頭を左右に振りながら問う。
「本当に行くんだな?」
 その言葉は、鞠に対する確認だった。
「まだ反対ですか?」
「鞠が行くなら俺も行くだろ普通。けどな、ホラースポットなんてのは本当なら放っとくのが一番だってことくらい、お前も分かってんだろ? 下手に手ぇ出すからヤバくなんだよ」
「ただのホラースポットならば、干渉するつもりはありません。けれど、あの病院は違います」
 あの病院は多くの人を呼び寄せている。
 そして呼び寄せられた人々の生死は今も不明のままだ。どうしてこれを放置しておくことなどできよう?
 鞠が静かな眼差しで龍凰を見上げた。この少女が、実はとても芯が強い人間であること、そしてその根本にあるのが優しさであることを龍凰は知っている。
「……しゃーねえなぁ……」
 がしがしと、赤い髪の中に手をつっこむ龍凰。
 病院に向かう意志を固めたらしい龍凰の横を擦りぬけ早くも病院に向けて歩き出した涼が、すれ違いざまにぽつりと囁く。
「惚れた弱味」
「……お前マジでいっぺん死ねよ」
 その言葉には構わず、涼はずんずんと雑草の生い茂った中を歩き続ける。
 そして龍凰と鞠、シュラインがその後に続こうとしたその時だった。


『こちらに、おいで――』


 小さな声が、風にざわめく木々の音の中で小さく響く。
 隣を歩いていたシュラインと鞠は、息を呑んで病院のほうを見つめた。


『こちらに、おいで――』


 再び女の声が響く。
 立ち止まった涼の額には、冷や汗が浮き出ていた。そんな彼女の背を、シュラインが軽く叩く。
 引き返すことはできない。
「行きましょう――」
 シュラインの言葉に、涼がぐいと額の冷や汗を拭い頷いた。


++ 死神が住む処 ++
 呼び声に導かれるようにして雑草を踏み分け古びた病院の正面玄関の前に立つと、今は作動していない筈の自動ドアが静かに開いた。
 明滅する蛍光灯の明かりの下、開いたばかりの自動ドアに涼が顔をしかめる。
「危険じゃない?」
「でも、あそこで立ち止まっている訳にもいかないわ」
 シュラインの言うことももっともである。


『ここへ、おいで――』


 再び響いた声に龍凰が顔をしかめ、病院の奥を指差した。
「まだ奥からみたいだぜ。行くんだろ?」
「…………」
 龍凰が指差した方向にじっと目を凝らす鞠。
 その先には真っ直ぐ奥に続く廊下と、階段が見える。
「地下のほうから聞こえているようですね――声は」
「ああ。お前ら腰引けてんじゃねえよ」
 びくびくとした様子でシュラインにしがみついていた涼が、ぴくりと眉をしかめた。
「誰の腰が引けてるってのよ誰が!?」
 慌てて食ってかかるが、既に龍凰はひらひらと片手を振りながら奥へと歩き出している。そして、鞠も。
 むー、とうなっていた涼だったが二人の影が小さくなっていくに連れて不安になったらしい。おそるおそる、傍らのシュラインに向けて小さく言った。
「い、行く?」
「そうね」
 その様子に小さく笑いながら、シュラインは頷いた。


 白い階段を降りたその先は、薄暗い廊下が続く。
 そしてさらに歩くと、突き当たりに鉄製のドアがあった。ドアの上には『手術室』という表示板が張られている。
「手術室って、ありきたりね」
 この状況でありながらきっぱりと告げるシュラインに、流石の龍凰も感心したような視線を向けたが、すぐにその視線は再びドアへと向けられることになる。
 ぎぎい、と耳障りな音とともに開かれるドア。
 それはまるでシュラインたちを歓迎しているかのようだ。
「でも、ロクな歓迎じゃないんでしょうけどね……」
 シニカルに呟き、シュラインは再び歩き出した。涼と鞠も緊張にごくりと喉を鳴らしてその後に続く。
 そして、四人全員が手術室に足を踏み入れたその時。
 ドアが、ひとりでに閉まった。
「ちょっと、何よコレ!!」
 慌てて涼がドアノブをがちゃがちゃと回すが、ドアは開こうとはしない。鍵がかかっているのだろうか、と思ったがどうやらそれも違うらしい。


『ここで、私は死んだ――』


 その声は、女のものだった。
 シュラインたちをこの病院の、この手術室に呼び寄せた女。
 今まで幾多の人々をこの病院に呼び寄せた、『死神』と称された女。
 そして今このドアを開かないようにしたのも、この女の仕業なのだろう。
 歌うような声に、皆の視線が手術室中央にある手術台へと向けられた。軽くウェーブした長い黒髪が白い服を身に纏う細身の女の腰までをゆるやかに覆っている。
「今まで、この病院で人々を呼び寄せていたのは――……」
 鞠の静かな問いかけに、女は赤く塗られた薄い唇に笑みを刻み頷く。
 そして音もなく――まるで床の上を滑るように鞠へを歩み寄った。すると龍凰が僅かに腰を落とし女を睨みつけるが、鞠が首を横に振ってそれを制すると龍凰はちっと舌打ちした。
 女はそっと両手を伸ばし、鞠の頬を包み込むようにして触れると間近で顔を覗きこむ。
 吐息が、冷たい。
 それは彼女が紛れもない『死者』であることの証。
 だが鞠は目を逸らすことも、目を閉ざすこともしなかった。
『そう――けれど意味はなかった。かつて私に教えた人はこう言ったの――強い力を持つ人の命と引き換えに、お前を蘇らせてやると。だから私はずっと、ずっと探していた。気の遠くなるような長い時間、ずっと』
「そのために……この病院に人を呼び寄せていたのですね」
『けれど彼らは力を持たなかった。ただの人間だった――けれど、貴女は違う』
 女が、笑みを浮かべた。それは今まで浮かべていた空虚な笑みなどではなく、長い間探し続けていた獲物を見つけた捕食者の笑み。
 涼が、ドアに背をつけたままで言った。
「騙されてるのよ! 鞠を連れてったって生き返れるはずなんてない!」
「言っても無駄だろ」
 女が鞠をターゲットにした時点で、龍凰は女を倒すことを心に決めていた。人間達を呼び寄せていたこともまた確かに許しがたいかもしれないが、鞠を危険に晒したことの方が彼の中では大きい。
「おい、俺はもう決めたぞ。あの女が泣いたってもう絶対に許してやらねえことに決めたかんな」
「後半部分は同意しかねるけれど……そうね」
 龍凰の言葉に、シュラインは鞠たちに視線を向けたままで頷いた。
 彼と同じくシュラインも、みすみす鞠を連れていかせるつもりは毛頭ないのだ。
「――で、どこに鞠を連れていこうっていうのよ?」
 ドアの前にいた涼が、ドアの前から右手に――見たこともない機材が並ぶほうへと歩く。あえて龍凰から距離を取った涼の行為の意味に気づいたシュラインは、涼の隣へ並ぶ。二人は龍凰を一人にし、女の注意を自分たちに向けさせることで鞠を救出する機会を伺おうというのだろう。
 それに気づかず、女は鞠を腕の中に抱きしめていた。その様子は愛しげですらある。
『必要なのは、体だけ』
 生き返るのではない。抜け殻となった体に自分が入り込むだけのこと。
 女の言葉に込められた本当の意味に、真っ先に気づいたシュラインの顔は蒼白に近い。彼女の表情の中に秘められた恐れと怒りを見て取った涼もまた、女の真意に気づく。
「じゃあ、今まで呼び寄せた人たちも……」
 問いかけた涼の声は震えていた。
『彼らは力を持っていなかったから――だから使えなかったの。でも今度こそ大丈夫』
「殺したの? 全員を?」
 シュラインの脳裏に過ぎるのは、公園で父親を思っていた少年のこと。
 違っていて欲しいと、心から思った。
 だが突きつけられた現実は、あまりにも惨い。
『だって、殺さなければ私が体を使えるかどうかなんて、確かめようがないでしょう?』
 夢見るように紡がれる言葉に、シュラインは頭の芯が冷えていくような感覚に襲われた。
 それは涼も同じであったが、だが涼はシュラインほどに辛抱強くはない。怒りに身を任せた彼女は女に駆け寄り、襟元を掴み上げようとする。
「ふざけるのも大概にしなさいよ……!」
 いきなり距離をつめてきた涼に、女は目を奪われて気づかなかった。涼と同時に真横から足音を殺して走り寄った龍凰の姿に。
「調子に乗るのも大概にしとけよ……!」
 気配を消して間合いをつめた龍凰が、女の手首を捕まえるともう片方の手で鞠の肩を押した。シュラインが鞠に駆け寄るのを視界の隅に映し、龍凰は言う。
「お前が死んだのはここなんだろ? だからお前はここを動けず、その声で人を呼び寄せるしかなかった――違うか?」
 にまりと笑った龍凰の笑みに、女は不思議そうに首を傾げる。
『――どうして、邪魔するの……』
「俺は鞠みたいに寛大なタチじゃねえからな――」
 この女は、してはならぬ罪を犯したのだ。
 人々を殺したこともそうだが龍凰にとってはそれ以上に、女が鞠に目をつけたことが気に入らなかった。
 龍凰がふと右手を自分の頭の位置まで上げる。赤い瞳で見つめた掌の中に、少しずつ集まってくる熱。
『やめて――!』
 炎の奔流。
 龍凰の右手に生み出された炎は、眩いばかりの真紅。凪ぐようにして右に滑らせた右手から放たれた炎は、瞬く間に手術室の床を、壁を食らうようにして飲み込んでいく。
『やめて。やめてやめてやめてやめて――』
 その場に膝をつき顔を両手で覆うようにしている女を、龍凰は冷めた視線で見下ろしている。
「ふざけんなよ。お前に殺された連中だって、同じこと言ってたんじゃねえの?」
『……おな、じ?』
 呆然と、女は炎の中で呟く。
 無垢な、まるで今生まれたばかりのような女の眼差し。まるで先ほどまでの女の姿とは別人のようなそれに、龍凰は少しだけ胸が痛むのを感じた。もっと、手段はあるのではないかとの思いがちらりと胸を掠める。
 龍凰がぎゅっと右手を握り締めると、鞠がそっと両手で包み込むようにして彼の手を握り目を閉じると、彼の拳を自分の額に押し当てた。
「ちょっと! 開かないわよ!」
 手術室のドアノブをがちゃがちゃと回していた涼がシュラインたちの方を振り返った。 シュラインが鍵の部分を動かしてみるが、やはりドアはびくともしない。
『そう……おなじ、なのね……』
 ゆらりと女が顔を上げて人差し指をドアに向けると、それまで沈黙を保ち続けていたそれが開いた。炎に舐めつくされた手術室から、四人は走り出す。
 部屋を出たその場所で、シュラインの目に入ったものがあった。ここに来るときには、怒りのためか緊張のためか気づかなかったもの。それは小さく包装されたプレゼントのような包み。
「これは……」
『前に、呼び寄せた人が持ってたの――子供の誕生日なんだって、いってた』
 シュラインはそれを拾い上げ、そして駆け出した。


 正面玄関を出たところで、シュラインたちは振り返る。炎に包まれた白い病院を。
 燃え盛る炎の中で、何故か女の姿だけがはっきりと見える気がした。女は空を見上げている――真っ直ぐに。


『私は、自分の我が侭でいろいろなものを、いろいろな人から、奪ったのかな――?』


 女は空を見上げたままだった。
 老朽化した建物は、炎の中にたやすく陥落する。
 がらがらと音を立てて崩れる建物と炎の中に、女の姿は消えていった。


++ プレゼント ++
「顔をあわせるのは、辛いわね……」
 シュラインはあの病院から拾い上げてきたプレゼントの包みを、じっと見つめる。
 あの事件の翌日。新聞で病院での火災とともに幾つかの事実が報道された。
 病院で発見された死体は一つだけだった。吾妻恭介という医者のものだ。
 今思えば女は、蘇るための方法を教えてもらったのだと言っていた。もしかしたら女にそれを告げたのが彼であり、密かに死体を処理していたのも彼なのかもしれない。
 もっとも吾妻恭介という男が死んだ今、真実を知る者は誰もいない。シュラインにとってもそれはあくまで推測でしかない。
「それ、届けるんでしょ?」
 神妙な顔をして問いかけた涼に、シュラインは小さく頷いた。
 あの公園で会った少年の家は、二階建ての小さなアパートだった。一階の一番奥の部屋に、今は母と二人で住んでいる。
 シュラインはそっと、あの病院から持ってきたプレゼントを玄関のドアに立てかけるようにして置いた。炎の中を走ったためか、あちこち煤がついている上にリボンもところどころ焦げてしまっている。
 助けられなかった。
 シュラインは思う。できればここで父と子供が対面する姿を見たかった、と。
 プレゼントを置いたままの姿勢で止まっていたシュラインに、涼が背後から声をかけた。
「行きましょ」
 その声に頷き、シュラインは涼がこの場にいてくれてよかったと、何故か思った。


 そして、せめてあのプレゼントが、少年にとって救いになればいい、と。



―End―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0445 / 水無瀬・龍凰 / 男 / 15 / 無職】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちわ。久我忍です。
 今回のシナリオの最初と最後に出てくる吾妻という男についての詳しいところは、夜藤丸・月姫(1124)さんと夜藤丸・星威(1153)さんの二人のノベルに描写されています。興味があったら是非一度読んでみて下さい。


 つい一週間前から一日一時間のウォーキングを開始したのですが、これがなかなか疲れます。しかもウォーキングしてお風呂に入ると眠くなって仕方がないので、今回は毎日が睡魔との闘いでしたが、無事に書き終えることができてほっとしています。


 それでは、ご縁がありましたらまたよろしくお願いします。