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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


++ 死神の噂 ++
「ホラースポットねえ……またえらく時期外れな……」
 三下の机の上を勿論当人に無断で漁っていた凪が、企画書らしきものを発見して目を通す。
「あ、駄目ですよ凪さんそれは社外秘なんですから。返してください〜!」
 編集部の隅で凪のためにコーヒーを淹れていた三下が、慌てた様子で机へと戻ってくると、凪は企画書を取り戻そうと手を伸ばしてきた三下の額をぴしゃりと叩いた。
「うるさい馬鹿。黙れ馬鹿。ああ……もう場所は決めてあるのね。そこのことを記事にするってこと、へーえ。三下この場所ってのはどーやって決めたのよ?」
「読者からコンスタントにそーゆー手紙が届くんですよ。それでせっかくだから特集でもしてみようかってことに……」
「へーえ。あ、でも面白そうなのもあるわねー」
 紙片を机の上に置くと、凪は企画書の一部を指で指し示す。
 そこには『死神が住む病院』なる文字。
「今は廃屋と化している病院の建物に死神が出るという噂がある……病院の近くに行くと、女の呼び声が聞こえるらしい……ですって。でもコレ私も聞いたことないわよ……変ねえ……この手の情報は網羅してるはずなんだけれど」
 凪はアトラス編集部が扱うような――幽霊やオカルトといった情報を集めることを趣味としている人物である。面白そうな話題がある時など自分から編集部に売り込みにくることもあるので既に三下や碇とも顔馴染みだ。
 三下は首を傾げる。
「でもいくら凪さんだって、都内全てのホラースポットを把握してるわけじゃないでしょうし……」
「馬鹿。救いがたく馬鹿。もう失せろ――あのねえ、大抵のホラースポットって幽霊が出るってそれだけでしょーが。それを『死神が出る』よ。こんな変なの私が知らないわけないじゃないの。これも読者からの情報なんでしょ? 元になった葉書とか手紙とかはドコ?」
「そういう台詞は僕の机の上からどいてから言ってください……」
「うるさい馬鹿。黙って探せっての」
 がさがさと机の右の引き出しを探し始める三下を横目で見下ろして凪は首を傾げる。
「本当にコレ聞いたことないわねぇ……で三下手紙は?」
「うーん。ここにあったはずなんですけれど……」
 難しい顔をしながら机の中をあちこち探している三下に凪はあからさまにため息をついてみせた。
「なくしたのね。手紙の管理もマトモに出来ないの三下……」
「違いますよ! だってその証拠に他の手紙はここにこーしてありますし……おかしいなぁ……女の人のものっぽい手紙だったと思いますよ。僕大抵の仕事は苦手ですけれど何かを大事にとっとくのは得意だったと思うんですけど……」
「仕事苦手って致命的じゃないの……しかし妙ねぇ……」
「凪さんは人事だからいいですよ……僕はココに取材に行かないといけないんですよ。誰か頼りになる人いないですかねぇ……やっぱり怖いですし……」
 途方にくれたように三下が呟いた。
 どうやら、問題の病院を取材するのは三下の役目らしい。


++ 消えた手紙 ++


 吹き付ける風は冷たいにもかかわらず日差しは明るい。そんな冬の日だった。


 編集部では、半泣きになった三下が床に散らばった紙片を拾い集めていた。それらは全て三下の机の中からひっぱり出されたもののようだ。
「これは……ひどい有様ですね。お手伝い致します」
 ひとしきり編集部内を見回してそう言ったのは、夜藤丸・月姫(やとうまる・つき)だった。とりあえず足の踏み場を確保するのが先決だろうと、彼女は大きさの同じファイルや書類を細く整った美しい指先で拾い上げていく。
 すると、それまで彼女の影のようにつき従っていた夜藤丸・星威(やとうまる・せい)もまた書類を集め始めた。
「あ、ありがとう」
 三下の礼の言葉に、星威が無言で頷いた。
 今、アトラス編集部にいるのは月姫たちと、ソファのすぐ側のあたりで話をしている二人の人物だけだった。つい先ほどまではその他にも凪と、その知り合いであるところの人物がもう一人いたのだが、凪はいつもの如くふらふらとどこかに出かけてしまったし、もう一人は病院に向かう前に調査したいことがあるのだと編集部を後にしたらしい。
「けれど一体どなたが、このようなことを――?」
 とんとん、と集めた書類の隅を揃えながら月姫が問いかける。星威もまた同じ疑問を抱いたのだろう。じっと、促すような無言の眼差しを三下に向けた。
 二人の視線を受け、三下は落ち着きのなく視線をさ迷わせた。言うべきか言わざるべきかを思案しているようであったが、やがて彼は意を決したのだろう。ぽつりぽつりと話し始める。
「僕が病院についての手紙をなくしてしまったから――みんな探してみるって」
「でも、手紙は消えたのでしょう?」
「僕はそう思っているんだけれど、ほら……僕は仕事が苦手だから」
「三下様――そのように自分を卑下するようなことを仰ってはいけません」
「うん。ありがとう」
 三下が照れたような笑みを浮かべた。
 床に残された紙片はだいぶ少なくなってきたようだった。少なくとも足の踏み場分くらいは見えてきただろう。すると、それまで三下たちとの会話には参加せずに、じっと紙片の数々に見入っていた崗・鞠(おか・まり)がふと口を開いた。
「消えた手紙のことが、気になります――」
 気になるのは、手紙のことだけではなかった。
 病院に出現するモノが、何故幽霊ではなく『死神』と呼ばれるのだろうか?
 それは病院に出現するモノが、人の命を奪うような恐ろしいものであることを指しているのだろうか?
 鞠の隣には、不機嫌そうな顔をした水無瀬・龍凰(みなせ・りゅうおう)が立っていた。おそらく街の雑踏の中であっても、彼の姿は埋もれてしまうことはないだろうと、月姫は龍凰に対してそんな感想を抱く。
 ひどく、目立つのだ。
 赤い髪というのも目立つ要因の一つではあるだろう。だがそれだけではない。
 身に纏う空気が、それはおそらく雰囲気というものなのだろう――それが圧倒的に違う。他者を交じり合うことを拒絶するかのような存在感は、彼の意思の強さを具現しているかにも思える。
 龍凰はつまらなそうな眼差しで三下を見やった。
 三下はびくびくと怯えつつも口を開いた。消えてしまった手紙のことは、三下も気にはしていたのだ。
「手紙は確かにここに保管していたと思うんだ。それにあの一通だけがなくなってるなんて変だよ」
「三下様のおっしゃる通りです」
 月姫が綺麗にそろえた書類を三下に手渡しつつ言った。
「もしかしたら、これもまた『呼び声』の一つであるのかもしれません――手段は違いこそすれ、あの病院に人を集めるための……」
「だとすると罠の可能性もあります。あえて病院に行くのは危険では?」
 星威の言葉に、月姫がかぶりを振った。
「三下様の仕事はあの病院の取材です。病院に行かずして取材を行うことは不可能でしょう」
「では、月姫様も病院に行かれるつもりなのですね?」
「三下様をお一人で、かように危険な場所に行かせることなど出来ません」
 決然と言い切った月姫の姿に迷いは感じられない。星威は静かに頷いた。
「ならば、私も参りましょう。月姫様が在る場所に、私もまた在るのです。それが私ですから」
 淡々と告げられた星威の言葉が、紛れもない真実であることを月姫は知っていた。彼は饒舌なほうではないどころか、とても無口だ。だが語られる少しの言葉が、全て真実であるならばそれはそれでよい、と月姫は思う。
 そんなことを思いながら、月姫が顔を上げた。その視界に映るのは編集部の隅に置かれた小さな鉢植えの前にしゃがみこんでいる鞠の姿だった。
 気分でも悪いのだろうか?
 月姫と星威が顔を見合わせた。そしてその後、ゆっくりと月姫が鞠の肩に向けて片手を伸ばすと、龍凰がそれを制止した。
「今はちょっと黙って見てろって」
「彼女は何を――?」
「会話してるんだよ。お前らはそういうのに理解ありそうだから教えてやるけどな、鞠は動物とか植物と会話できる。もっともその力のせいで、合わなくていい嫌な目も見たけどな」
「けれど、それだけではないのでは?」
 あまり多くを語らない星威の言葉は、とても重い。
 頷き返した龍凰は、じっと鞠の背を見つめていた。その眼差しが、それまで龍凰が見せていた表情とは違った、穏やかな光を浮かべていることに気づいた月姫は思う。彼の言動は乱暴ではあるが、それでも彼には大切にしているものもあるし守りたいものもある――本当は、彼は優しい人物なのであろう、と。
「――まあ、悪いことばっかじゃねえよ。多分な」
 星威が、鞠の背から視線を外して龍凰をじっと見つめた。
「では、あなたはどんな力を?」
「そんなの秘密に決まってんだろ、秘密に」
 あまりに真っ直ぐすぎる星威の問いかけに、龍凰がにやりと笑った。
 すると、鞠がようやく鉢植えの前で立ち上がる。いち早く反応した龍凰が軽く片手を上げた。
「おう、どーだった?」
「手紙は消滅したそうです。盗まれたということではなく、ただ消えただけなのだと」
「勝手に消えたってことか?」
「そのようですね。ただ、危険であると警告を発しています。力を持つものが、あの病院を訪れるのは危険だと」
 すると三下がびくびくと怯え始めた。鞠の言葉をしっかりと聞いていれば、特殊能力を持たない三下の身の安全は確保されたも同然である。だが三下はそこまで気が回らないらしい。
「……本当に取材しないと駄目かな……」
「ご安心くださいまし三下様。わたくしも参りますから三下様には傷一つ……」
 じっと三下の瞳を覗き上げる月姫に、三下はうんありがとう、と言葉を返す。それでもやはり不安の全てが拭いされれた訳ではない。
 いつまでもはっきりとしない三下の姿に、龍凰がちっと舌打ちする。
「いくら説得してでも駄目だろこーゆーのは。蹴りだしたほうが早いんじゃねえの?」
「なりません。三下様はこのわたくしが見込んだお方です。そのようなことをなさらずとも、必ずご立派に取材をなさるに違いありませんし、わたくしもそのためには出来うる限りの努力をするつもりです。暴力など必要ありません」
 きっぱりと言い切った月姫と、ぶるぶると震えている三下とのあまりに対照的な様子に、龍凰と鞠は互いに顔を見合わせ、小さく笑みを交し合った。


++ 導くもの ++
 病院の前で、彼らは二手に分かれた。
 鞠と龍凰はアトラス編集部で、鉢植えに忠告された内容が気になっているのだろう。もう少し情報収集を続けるつもりらしい。
「暗いね……」
 三下の腕時計が指し示す時間は、まだ夕方だった。にもかかわらず、今三人がいる場所は薄暗く空気もひんやりと冷たい。おそらく病院の周囲に鬱蒼と茂った木々が、太陽の光を遮断しているのだろう。
 昔は清潔感のあるデザインの建物であったのだろうが、太陽の光が当たらぬ場所で見ると冷たさしか感じられない。伸び放題になった雑草や壁を這うようにして伸びた蔦の背の高さが、この病院が廃屋となって長い時間がたつということの他ならぬ証のようにも思える。
 正面玄関はガラス張りで中央には、今は稼動していない自動ドアが見えた。ドアの横のガラス部分は大きく穴が空いており、そのガラスの破片が床に転がっている。革靴の底でガラスの破片を踏みつけながら建物の内部に足を踏み入れようとした三下が、緊張からかごくりを喉を鳴らして動きを止める。弱々しい眼差しで、ガラス一枚隔てた内部の様子をちらちらと伺っていた。
「ご安心ください――」
 立ち止まってしまった三下の背後から、月姫がそう声をかけた。
「たとえどのような事態に陥りましても、三下様へ危害を加えようとする輩は許しません――たとえ命に変えてもお守りしますから、どうぞご安心下さい」
「ありがとう――でもただでさえ夜の病院って怖いのに、周りが森だったりすると余計に怖いよね……あ、ごめん別に信用してないとかじゃなくて……いやだから、その……」
 しどろもどろになり言い訳をする三下に、月姫はゆっくりと頷いて見せる。
「分かっております――」
 三人は周囲の様子に細心の注意を払いながらも、病院の奥へ奥へと向かう。やがてその視線の先に、階段が見えてきた。地下と上階の両方に続くそれを三階まで上った。
 月姫と三下の足元を重点的に懐中電灯で照らし出していた星威は、今後のことについて一人思いを巡らせていた。
 三下はすっかり怯えてしまっている。これでは取材などとうてい不可能であろう。だが三下が仕事を完遂できなければ、彼が碇に怒られて月姫が悲しむことになるのは目に見えていた。
(答えは一つ、ですね――)
 最悪の状況を回避するためには、どうしたらいいのか?
 こんな現状にあっても冷静に状況判断を下す星威の頭脳は、既に答えをはじき出していた。
 彼は服の胸ポケットに入れていた薄型のデジタルカメラの感触を、布地の上から触れて確認した。いざとなったらこのデジカメを使い現場の写真を入手しておけば、碇の雷が落ちることくらいは回避できるだろう。
 つらつらとそんなことを考えながら、星威は懐中電灯の光を片手にさらに奥へ奥へと向かう。やがて病院の階段を上ったその場所で、星威は立ち止まった。
「ど……どうかしたのかい?」
 階段の踊り場で、星威が三下たちの方を振り返る。
「不思議だとは思いませんか?」
「不思議?」
 問いかけに、月姫と三下が揃って首を傾げた。
「この病院の周囲では、死神の呼び声が聞こえるという話だった筈です……けれど、それらしいものが聞こえましたか?」
「そういえば……」
 顎のあたりに指先を押し当てながら、月姫はここに至るまでの道のりを思い出す。星威の言う通りだった。確かに、死神の声など月姫たちは聞いていない。
 三人は揃って沈黙した。そしてその沈黙に耐えかねたらしい三下が、おそるおそる口を開く。
「や、やっぱりただの噂だったんだよ。そうに決まってる……だからそろそろ帰ったほうが……」
「ですが三下様……碇様がそれで納得なさるでしょうか――?」
 月姫がそう言うと、三下は碇のことを思い出して顔を青くした。
 その時、月姫がふと窓の外にあるものに目を留めた。
「……煙が……!」
 窓の向こうには、もくもくと黒い煙が見える。
「……な、なななんで煙なんか……に、逃げないと……!」
 三下がびたんと窓に張り付いて、窓の外を見た。煙はどうやら今三下たちがいる病院の建物の下の階が燃えているために生じたもののようだ。
「まさか、火事でしょうか……」
 三下の隣に立ち、踊り場の壁部分にあった窓から外を見つめる月姫。二人の背後では、やはり同じようにして星威が外に視線を向けるが火の手は見えない。見えるのは煙ばかりだった。だが煙は尽きることがないどころか、時がたつにつれてその量を増しているようにすら思える。
「下の階で火事が起きているのだとしたら、この場に留まるのは危険ですね」
 淡々と告げる星威の言葉は、とても危険にさらされている当人の言葉であるようには思えない。
 だが彼の言葉は事実だった。
 このままではいつか、三人がいるこの場所とて炎に焼かれることになるだろう。
「ここは戻りましょう……!」
 月姫の言葉に頷くと、二人とも頷いて走り出す。
 既に廃屋と化した病院に電気などひかれている筈もない。だが三人は走った――そして踊り場から次の踊り場へと差し掛かったその時、階下から人影が飛び出してきた。
 長身の人影――それは一瞬のためらいもなく階段の影から飛び出すと、月姫を背後から羽交い絞めにし、そしてその首筋に鈍く光るもの――鋭いナイフを突きつけた。
 薄手の黒いハイネックのセーターの上に、白衣を羽織った男は薄く笑った。
 底の見えない表情からは、男の考えていることを伺い知ることはできない。月姫はちらりと男を斜めに見上げただけだった。
「……月姫様……!」
 星威には分からなかった。
 月姫は居合と合気道の達人である。対する白衣の男は、確かにナイフを持ってはいるが体術を極めているとも思えない――いわば素人だ。月姫が本気になれば簡単に撃退できるであろう相手に、何故彼女が捕まったままでいるのかが、星威には分からなかった。
 だが、理由が分からないからといって見過ごすつもりは毛頭ない。
 星威は右手で、左手にはめた黒い皮手袋を取ろうとした――だが、男はそれを見逃さなかった。男が手にしたナイフの切っ先が、月姫の白い首筋に朱色の球を滲みあがらせる。
「動かないで下さいと、ありきたりの台詞でも使うべきですかね?」
 男は薄い唇ににっと笑みを浮かべて、そう言った。


++ 死神が住む処 ++
 三下ははらはらとした様子で、ナイフを突きつけられている月姫へと視線を注いでいた。その眼差しや三下の態度からも、彼が本当に月姫を心配している様子が伝わってくる。
「何を企んでいるのか、聞かせていただけますか?」
 静かに問いかけた星威。だがその静けさの中に紛れもなく含まれているのは、月姫の身を案じ、彼女を一刻も早く男の手から救い出そうという思いだった。
「本当ならば僕が出る必要はなかったが、『彼女』が失敗したようなので――仕方のないことです。目的を達成するためには、多少のリスクはつきものですから」
 今の自分にしか出来ないことがある。
 男の手から抜け出すことならば簡単だった。三下には余計な心配をかけてしまっていることを、心の中で詫びながら月姫は僅かに首を上げた。その拍子に、首筋に押し当てられていたナイフの切っ先によって皮膚が浅く切られ、小さな朱色の球を作った。
 首筋の痛みが、かえって思考をクリアにさせた。
 窓の外にはもうもうとした灰色の煙が見える。だが、月姫が見ていたのは煙ではなく、窓ガラスそのものだった。
 頭の芯がすうっと冷えていくような慣れ親しんだ感覚。それは彼女が占いをするときに常に感じているもの。
 いつもならば、水晶球の中に人々の未来などを見る。だがそれは水晶球でなければならないということではない。水たまりでも、ガラスでも、月姫が覗けばそれは見えるのだ。
(手術台……?)
 薄く目を閉じた月姫の目に見えるのは、手術室らしい薄暗い部屋の光景だった。
 手術台の上に腰掛けた女の前には、鞠や龍凰たちの姿が見える。


『そう――けれど意味はなかった。かつて私に教えた人はこう言ったの――強い力を持つ人の命と引き換えに、お前を蘇らせてやると。だから私はずっと、ずっと探していた。気の遠くなるような長い時間、ずっと』
 それは女の言葉だった。
 漆黒の緩くウェーブがかった髪で腰までを覆った細身の女は、夢見るように笑う。鞠をその腕の中に閉じ込めたままで。
「そのために……この病院に人を呼び寄せていたのですね」
 鞠が問いかける。すると女はゆっくりと頷いた。
『けれど彼らは力を持たなかった。ただの人間だった――けれど、貴女は違う』
 女が、笑みを浮かべた。それは今まで浮かべていた空虚な笑みなどではなく、長い間探し続けていた獲物を見つけた捕食者の笑み。
 村上・涼(むらかみ・りょう)が、ドアに背をつけたままで言った。
「騙されてるのよ! 鞠を連れてったって生き返れるはずなんてない!」
「言っても無駄だろ」
 女が鞠をターゲットにした時点で、龍凰は女を倒すことを心に決めていた。人間達を呼び寄せていたこともまた確かに許しがたいかもしれないが、鞠を危険に晒したことの方が彼の中では大きい。
「おい、俺はもう決めたぞ。あの女が泣いたってもう絶対に許してやらねえことに決めたかんな」
「後半部分は同意しかねるけれど……そうね」
 龍凰の言葉に、シュライン・エマ(―)は鞠たちに視線を向けたままで頷いた。
 彼と同じくシュラインも、みすみす鞠を連れていかせるつもりは毛頭ないのだ。
「――で、どこに鞠を連れていこうっていうのよ?」
 ドアの前にいた涼が、ドアの前から右手に――見たこともない機材が並ぶほうへと歩く。あえて龍凰から距離を取った涼の行為の意味に気づいたシュラインは、涼の隣へ並ぶ。二人は龍凰を一人にし、女の注意を自分たちに向けさせることで鞠を救出する機会を伺おうというのだろう。
 それに気づかず、女は鞠を腕の中に抱きしめていた。その様子は愛しげですらある。
『必要なのは、体だけ』
 生き返るのではない。抜け殻となった体に自分が入り込むだけのこと。
 女の言葉に込められた本当の意味に、真っ先に気づいたシュラインの顔は蒼白に近い。彼女の表情の中に秘められた恐れと怒りを見て取った涼もまた、女の真意に気づく。
「じゃあ、今まで呼び寄せた人たちも……」
 問いかけた涼の声は震えていた。
『彼らは力を持っていなかったから――だから使えなかったの。でも今度こそ大丈夫』
「殺したの? 全員を?」
 突きつけられた現実は、あまりにも惨い。
『だって、殺さなければ私が体を使えるかどうかなんて、確かめようがないでしょう?』
 夢見るように紡がれる言葉に、シュラインは頭の芯が冷えていくような感覚に襲われた。
 それは涼も同じであったが、だが涼はシュラインほどに辛抱強くはない。怒りに身を任せた彼女は女に駆け寄り、襟元を掴み上げようとする。
「ふざけるのも大概にしなさいよ……!」
 いきなり距離をつめてきた涼に、女は目を奪われて気づかなかった。涼と同時に真横から足音を殺して走り寄った龍凰の姿に。
「調子に乗るのも大概にしとけよ……!」
 気配を消して間合いをつめた龍凰が、女の手首を捕まえるともう片方の手で鞠の肩を押した。シュラインが鞠に駆け寄るのを視界の隅に映し、龍凰は言う。
「お前が死んだのはここなんだろ? だからお前はここを動けず、その声で人を呼び寄せるしかなかった――違うか?」
 にまりと笑った龍凰の笑みに、女は不思議そうに首を傾げる。
『――どうして、邪魔するの……』
「俺は鞠みたいに寛大なタチじゃねえからな――」
 この女は、してはならぬ罪を犯したのだ。
 人々を殺したこともそうだが龍凰にとってはそれ以上に、女が鞠に目をつけたことが気に入らなかった。
 龍凰がふと右手を自分の頭の位置まで上げる。赤い瞳で見つめた掌の中に、少しずつ集まってくる熱。
『やめて――!』
 炎の奔流。
 龍凰の右手に生み出された炎は、眩いばかりの真紅。凪ぐようにして右に滑らせた右手から放たれた炎は、瞬く間に手術室の床を、壁を食らうようにして飲み込んでいく。
『やめて。やめてやめてやめてやめて――』
 その場に膝をつき顔を両手で覆うようにしている女を、龍凰は冷めた視線で見下ろしている。
「ふざけんなよ。お前に殺された連中だって、同じこと言ってたんじゃねえの?」
『……おな、じ?』
 呆然と、女は炎の中で呟く。
 無垢な、まるで今生まれたばかりのような女の眼差し。まるで先ほどまでの女の姿とは別人のようなそれに、龍凰は少しだけ胸が痛むのを感じた。もっと、手段はあるのではないかとの思いがちらりと胸を掠める。
 龍凰がぎゅっと右手を握り締めると、鞠がそっと両手で包み込むようにして彼の手を握り目を閉じると、彼の拳を自分の額に押し当てた。
「ちょっと! 開かないわよ!」
 手術室のドアノブをがちゃがちゃと回していた涼がシュラインたちの方を振り返った。 シュラインが鍵の部分を動かしてみるが、やはりドアはびくともしない。
『そう……おなじ、なのね……』
 ゆらりと女が顔を上げて人差し指をドアに向けると、それまで沈黙を保ち続けていたそれが開いた。炎に舐めつくされた手術室から、四人は走り出す。


「あの方に、偽りを教えたのはあなたですね……?」
 月姫には全ての真実が見えた。
 あの――手術室の女の霊に偽りを教えた張本人が、この男なのだ。
 月姫の物言いに男はしばし首を傾げる。だがその末に、彼女が何をして、何を見たのかを察したのだろう。
「あの方――……ああ、彼女ですね。けれど嘘をついたつもりはありませんよ。死者をね、蘇らせること――それは僕にとってずっとずっと夢見ていたことだった。本当は、医者になれば多少なりともヒントが掴めるのかと思っていたのですが……案外、現実はつまらないものですね。けれど、貴女の能力は素晴らしい」
「一体どういうことなんだい……?」
 訳が分からないと言いたげな三下の様子に、月姫が答える。
「死神というのは、この方に嘘を教えこまれた霊のことです。あの女性の霊は、今も信じているのです――力ある人を殺してその体を手に入れることが出来れば、生き返ることができると」
「嘘を教えた訳ではありませんよ。ただ、僕にも死者を蘇らせる手段なんて分からなかった――分からないならば、試行錯誤するのは仕方のないことだとは思いませんか?」
「世迷言を……」
 呟いたのは、星威だった。
 氷の冷たさを思わせるような冷たい眼差しは、真っ直ぐに男へと注がれている。自分の優位を信じて疑わない男は、星威の視線を真っ直ぐ受け止めていた。
 星威が、動く――左手に常に着用したままの黒い皮手袋。右手をそれに伸ばし、手袋を外そうとする。流石に男は星威が何らかの切り札を持っていることを察したのだろう。ナイフを持つ手に力を込めた。
「……っ!」
 月姫を危険に晒すわけにはいかない。その思いが、星威の動きを止めた。
 だが月姫は目を逸らすこともせず、真っ直ぐに星威を見つめて、そして告げる。
「わたくしは大丈夫です――」
「ですが……」
「わたくしは、大丈夫です」
 もう一度、月姫は繰り返す。
 その言葉に頷き返し、星威は左手の皮手袋を外した。男がナイフを持つ手を振り上げる。だが、ナイフが突き刺さるよりも早く月姫は動き出していた。振り返り、両手を交差させるようにして男の腕を受け止める。
 そしてすかさずその手を掴み、くるりと振り返ると勢いよく上体を前へと倒した。男の体が宙を舞い、床に叩きつけられる。
 星威が走り出し、男と月姫の間に割って入った。月姫を庇うようにして立つと、その左手からうっすらと、青白い陽炎のようなものが出現する。
 少しずつ、星威の手から生まれるそれ――それは青白い炎を纏った一振りの剣だった。
 男が小さくうめき声を上げながら体を起こした。床に叩きつけられたときに、頭をしたたかにぶつけたのだろう。動作がどことなく鈍い。
 それでも男は立ち上がろうとした。床に落ちたナイフを拾い上げる。
「月姫様にこれ以上の無礼をはたらくことなど、この私が許しません」
 星威が腕を大きく振った。剣ではなく、その剣の周囲を覆っていた冷たい炎のみが男の手と、彼が拾い上げようとしていたナイフごと床に凍りつく。
「……煙が……!」
 三下の言葉に、月姫と星威がはっと階下に視線を向けた。それまでは窓の外から見えるだけであった煙が、今や階段の下から立ち昇ってくる。
「早く逃げよう」
 三下に促されて、月姫は走り出した。そして振り返る。
 男は動き出そうとはしない。星威の力で腕は凍りついてしまったが、逃げ出そうとすればそれは可能な筈だった。
 にもかかわらず、男は動こうとはしない。
 まるで諦めたかのような表情のままで、男は月姫に小さく笑いかけた。
「いいことを教えてあげましょうか。僕は、もう疲れたのですよ――この病院が閉鎖されてからずっと同じことの繰り返しでした。そんなことにはね、もう飽き飽きしていた」
 そして、その場に跪いたままで男は言葉を続ける。
「けれど、嘘はなかったつもりだったんですよ。彼女を助けてやりたいと思ったその気持ちは、少なくともあの瞬間は嘘ではなかった――それが、どうしてここまで、歪んでしまったのでしょうね」
 自嘲するように笑った。
 男は諦めていたのかもしれないと、月姫は思う。
 もしかしたら、彼はもう分かっていたのかもしれない。
 自分たちの望みが、決して叶えられないものであるということを――。


++ 交差する地点 ++
 その後、新聞で病院の火災のことが報道された。
 病院で月姫たちが出会った男は、吾妻恭介という人物であるらしい。
「吾妻恭介? それが黒幕かよ?」
 場所はアトラス編集部。あの夜、龍凰たちは手術室にて女の霊と対峙していた。
 そして月姫たちは、吾妻恭介と対峙した。
「――彼女が失敗したから、自分が出ざるを得なかったと、そう語ったのですから間違いはないと思います。今、水無瀬様からお伺いしたことから考えると、女性の幽霊にそのような嘘を教えたのは、間違いなくあの方でしょう」
 そう言う月姫の首筋には、気をつけて見なければ分からないほどの小さな傷があった。傷はごくごく小さなもので血も完全に止まっているようだ。これならば一週間もすれば傷跡が残ることなく綺麗に直るに違いない。
 龍凰は編集部内に放置されたままの新聞を手にする。
「逃げ遅れたってことか?」
 すると、星威が首を横に振った。
 吾妻という男が死んでしまった今、男の内にあった真実など知りようもない。
 だが月姫は見ていた。そして聞いていたのだ――吾妻という男の最後の言葉を。


『――それが、どうしてここまで、歪んでしまったのでしょうね』


「見届けるため、だったのかもしれません」
「どちらにしろ、あそこはサラ地になって、もう死神の声が聞こえることもなくなったってよ。ホラースポットじゃなくなっちまったら、三下の取材も無駄だな」
 龍凰がばさりと新聞を放り出した。
 分からない、何も。
 ただ、事件は確かに解決したのだということだけが救いだった。
 編集部の隅で、鞠は小さな鉢植えを前にしてしゃがみこんでいる。
 その背中をぼんやりと見つめながら、月姫は思う――吾妻という男と、薄暗い手術室で笑みを見せていた女の霊のことを。
 死者と生者。
 多分、おそらく――自分たちはその二本の線が交差する境界線ぎりぎりにある存在なのかもしれないと、そんなことを思いながら月姫は静かに目を閉じる。
「ですが本当に、助けたかったのではないかと思うのです」
 小さく呟いた声が聞こえたのは、三下と星威の二人だけであったようだ。
 二人の視線が自分に注がれる中で、さらに月姫は呟く。
「あの女性を、助けたかったのだと――方法は確かに歪んでしまいました。けれど、わたくしはそう思うのです」
 首筋の傷に手を触れながら言うと、三下がうん、と頷いた。
「そうだね――そうなのかもしれないね――……」
 そして、星威も頷いた。




 吹き付ける風は冷たいにもかかわらず日差しは明るい――そんな冬の日の、出来事だった。


―End―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0445 / 水無瀬・龍凰 / 男 / 15 / 無職】
【0446 / 崗・鞠 / 女 / 16 / 無職】
【1124 / 夜藤丸・月姫 / 女 / 15 / 中学生兼、占い師】
【1153 / 夜藤丸・星威 / 男 / 20 / 大学生兼姫巫女護】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちわ。久我忍です。
 今回は発注どうもありがとうございました。
 手術室の女の霊についての詳細は、村上・涼(0381)さん、シュライン・エマ(0086)さん、水無瀬・龍凰(0445)さん、崗・鞠(0446)さんの方で詳しく描写されています。よろしかったら目を通してみてください。


 つい一週間前から一日一時間のウォーキングを開始したのですが、これがなかなか疲れます。しかもウォーキングしてお風呂に入ると眠くなって仕方がないので、今回は毎日が睡魔との闘いでしたが、無事に書き終えることができてほっとしています。


 それでは、ご縁がありましたらまたよろしくお願いします。