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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


腐りゆくもの


■ オープニング

 その男が入ってきた時、味気ない事務所は何かの花の香りに包まれた。
 どうやらコロンらしいが、少々派手につけすぎているようだ。
 黒いジャケットに同色のスラックス。長身で、端正な顔つきではあったが、顔色はまるで病人のそれだ。
「──頼みがある」
 とりあえず椅子を勧める草間だったが、男は立ったまま、低い声で話し始める。
「俺はこれから、ある男を倒しに行く。それに手を貸す人間がいたら紹介してもらいたい」
「……倒す、だと?」
 そっけない台詞と表情の裏に、何か嫌なものを感じた草間が、眉を潜めた。
 はたして、男はあっさりと、
「殺すという事だ」
 そう、言い直した。
「無論、俺もここが殺し屋の斡旋所じゃない事は承知している。男を殺すのは俺だ。それを他の人間に頼みはしない。依頼を正確に言うなら、男の周囲を守っている存在を片付け、俺がその男の側に無事で着けるようにしてもらいたい──という事だな」
 静かな言葉に、冷たい視線。
 普段なら即座に断って追い出す所だが、草間は何故か、この時それができなかった。
 吸いかけのタバコを灰皿に押し込むと、さらに質問を重ねる。
「守っている存在とは? それはやっかいなのか?」
「いや、ある程度の力があれば、個々はたいした脅威ではない。問題はその数だ。おそらく100体以上の相手をしなければならないだろう。さすがにそれは、俺1人では問題があるのでな」
「……なるほど。で、その相手をしなきゃならんものってのはなんだ?」
 そう尋ねると、男はじっと草間を見詰め、数瞬の間を置いて、短くこたえた。
「ゾンビだ」
「……ゾ……」
「その男はハイチでブードゥの秘術を学び、体得したのだよ。現地では秘術を用いて呪いをかける神官の事をボコールと呼ぶのだが……まさにそれというわけだ。そして奴はその秘術と共に海を渡り、各国で殺しの稼業に手を染めてきた……倒さねばならない相手だ」
「……」
「信じる信じないはそちらの判断に任せよう」
 黙る草間に男はそう告げると、テーブルの上にポンと何かを放り出した。黒い皮の財布だ。しかもかなり分厚い。
「現地への地図もその中に入っている。もし引き受ける気がある奴がいるなら、夕方6時までに来るように伝えてくれ」
「おい、まだ引き受けるとは言っていないぞ」
「いいさ。それは騒がせ賃だとでも思ってくれ。誰もよこさなくても構わん。中の金は俺には不要のものだ」
「……お前」
「時間がないのでこれで失礼する。では」
 一方的に話を終わらせると、男は軽く礼をして、そのまま本当に出て行ってしまった。
「…………」
 自分のデスクに腰掛けたまま、じっと男が残した財布に目をやっていると、
「……あの人……」
 ふと、零が奥から小さな声と共に現れる。
「あの人、生きている人じゃありません。私と同じような匂いを感じます」
「何だと?」
「それに、あの人の身体にかけられている術がどんどん弱くなっているようです。このままだと、長くはもたないかと……」
「……そうか」
 零と同じという事は、つまり誰かに造られたか、あるいはそれに近い存在……という事だろうか。
 彼は”時間がない”と言った。それに強すぎるコロンの香りは、あるいは腐敗臭を消すためか……
 草間はそんな事を考えたが、もちろんそれが正しいのかどうかは不明だ。
「なぜかはわかりませんけれど、あの人……」
「うん?」
「……とても、悲しい目をしていましたね……」
「……」
 頷きも、否定もせず、草間はただ、残された財布に目を戻した。
 受けるか、受けざるか……
 それを悩む時間も、あまり残されてはいないようだった──


■ 破滅への乱戦

 ──ゴゥン!!
 暗い通路に大音響が響き、巨大な火柱が上がった。
「オラオラオラ! 片っ端から火葬にしてやるぜ!!」
 威勢のいい声と共に、1人の少年がびしりと指を突きつける。
 と、次の瞬間そこにも新たな炎が吹き上がり、次々に人影を飲み込んでいった。
 彼の名は、水無瀬龍凰(みなせ・りゅうおう)。発火の異能を持つ物騒な少年である。
 何もない空間に瞬時にして生み出される超高温の猛火に、対象はことごとく灰まで残さず焼き尽くされ、消滅していく。
 対象とは、無論ゾンビの群れである。
 この場所に足を踏み入れたとたん、通路をひしめく生ける死者の大群に襲われたのだ。
「はあっ!」
 通路の反対側で、空気を切り裂く気合。
 同時に繰り出された警棒の一突きがゾンビを捕らえると、死せる者の身体が一瞬ビクンと震え、膝を着き、どうと床に倒れ付す。あとはもう、ピクリとも動かなかった。
 基本的に生ける死者を無力化するには、頭を破壊するか、あとは行動不能になるまで四肢を解体するしかない。
 が、彼の行っている方法は、そのいずれでもなかった。
 そういった物理的手段ではなく、言うなれば魔的な手段によるものなのだ。
 よく見ると、彼の手にした警棒が、淡く柔らかな光を放っている。
 ──エーテライズ。
 現実世界の物質をアストラル界へと転移、変質させる事で、現実にある物質、非物質、霊的存在に至るまで、ありとあらゆる存在に効果を及ぼす”魔剣”と化す。
 それが、彼の持つ能力だった。
 ここで言うアストラル界とは、全ての存在が純粋なエネルギー体としてある世界の事である。
 何の混じり気もない澄み切ったエネルギーは、それこそ神の手のごとく、全てのものに等しく力を振るう万能の武器であり、万能の盾であり、時には癒しの力ともなる。
 ゾンビ達にとっては、これ以上はない程の恐るべき武器であり、同時に、瞬時に呪いによって縛られた魂を開放してくれる救いの手でもあった。
 流れるような動きで、次々に生ける死者を単なる死体へと還していく秀麗な横顔。
 彼の名は、灰野輝史(かいや・てるふみ)。古代ケルト人の神官であったドルイドの血を現代に受け継ぐ日英ハーフの若者である。
「……我は神の手より放たれし雷。神罰の体現なり……」
 一方で、感情のこもらぬ静かな声。
 それと同時に、黒い影が凄まじい速さで場を駆け抜けた。
 一陣の風が舞い、何かがぼとぼとと床に落ちる。
 ボロをまとい付かせた腕が、足が、死魚の瞳をした生首が……
 はらりと、長衣の袖と裾が降りる。
「……我が声は神の勝鬨」
 低くつぶやく台詞の主は、白く美しい顔をした女性だ。
 濃紺の、修道女のような衣装を身につけた、華奢な身体。
 ただし、手には宵闇の中でも不気味に光るおおぶりの銀の刃があり、蠢くゾンビ達を見る眼にも、一切の怯えがない。
 ──いや。
 怯えが、というより、人間らしい感情そのものが希薄な瞳の色をしていた。
 瞬きをする間にも銀光が数条流れ、死者達は赤黒く腐りかけた血を吹いて次々に倒されていく。
 そのすべての行為からも、一切の情け、容赦、そして迷いすら感じられない。
「我がこれより成すは、邪なる教えを粛正する神の意と知れ……!」
 声と共に、修道女の姿が霞んだ。
 両腕を大きく広げ、空中に舞い上がった姿は、まるで死を告げに来た黒き天使だ。
 それぞれの手に握られた刃は、いつのまにか姿を消していた。
 代わりに──
 音もなくその両腕が振られると、白い軌跡が空気に刻まれた。
 それらはひとつ残らず、群れなす死者の頭部へと吸いこまれていく。
 硬い音を上げて突き立ち、あるいは貫き通ったそれは、白銀の投げ矢であった。
「……」
 無言で彼らの背後へと降り立ち、結果を確かめもしないで更なる獲物へと向かう静かな影……
 通り過ぎた後には、累々たる屍のみが横たわるのみだ。
 ……その名はロゼ・クロイツ。
 美しき死をもたらす神の使途であった。
「……正面、16体確認」
 暗闇の中で、更なる声。
 そこに、巨大な銃を手にした人影が立っていた。
「出力68パーセント……セット」
 音声認識機構により、全長2メートルにも及ぶ兵器に灯火が宿る。
 ──重装複合型突撃銃。
 70キロは優に超える重さの怪物を、その人物は苦もなく振り下ろし、まっすぐに標的へと向けた。
 機能性のみを追及した無骨な鈍い鉄色のボディから、幾本ものケーブルが延び、射手の身体へと直接コネクトされている。
 銃は今、その持ち手──霧島樹(きりしま・いつき)と一体だった。
 視覚から得られた情報がケーブルを通して銃の制御系へと伝えられ、マイクロメーター単位での照準微調整が瞬時にしてなされる。
 発射OKのサインが銃から伝えられると、迷うことなく引き金を引いた。
 ──カッ!!
 瞬間、廊下全体が白光に包まれる。
 打ち出されたのは、実体を伴う銃弾ではなく、加速増幅された重粒子だ。
 言い換えると、荷電粒子ビームである。
 瞬間最大出力0.4メガワットを誇る電子光の槍は、触れるもの全てを焼き尽くし、廊下を死で蹂躙して、最後は轟音と共に突き当たりの壁を破壊、暮れなずむ空へと抜けていった。
「……」
 無言のままにそれを見つめていた顔が、不意に横を向く。
 動体センサーが、新たな敵を捕らえていた。
 ぽっかりと空いた四角い入口。
 今はドアすら失われた部屋の中から、数体の生ける死者が両手を振り上げて向かってくる。
 どうやら息を潜め、通りかかる者を待ち伏せていたらしい。
 彼らには体温がなく、気温と身体の温度が等しい。そのせいで温度センサーは効果がなく、音と動体反応、あとは目視による確認のいずれかが必要だった。その点は生者よりはやっかいと言えたが、発見してしまえば、あとは同じである。
 相棒の銃は、現在ビーム照射による熱を放出するため、冷却モードになっている。20秒程は役に立たない。
 が、樹は迷いもひるみもせず、自ら部屋の中へと足を踏み入れていった。
 真正面から突っ込んでくる相手に、銃を手にしていない左手を振り下ろす。
 よく熟れたスイカを、道路に叩きつけたような音が響いた。
 血と、脳漿と、腐った肉体の破片を撒き散らしつつ、頭を失った相手が倒れる。
 続く相手にも手を、足を、巨大な銃身を叩きつけ……
 都合4体のゾンビを、2秒とかからず肉の塊へと変え、最後の一体へと振り返った時、
「……」
 樹は何もせず、そいつに背を向け、部屋を後にした。
 ぽつんと立つゾンビの側で、およそこの場には不釣合いなものが舞っている。
 ヒラヒラと白い羽を羽ばたかせるそれは、1匹の蝶だ。
 何の気まぐれか、ゾンビの頭へと近づいていき、その目の前まで来ると……
 ──ドン!
 突如、激しい音と共に可憐な姿は巨大な火球へと変化した。
 貪欲な青白い炎が、生ける死者の肩から上をすっぽりと包み、瞬く間に炭化させていく。
「余計なお世話でしたか?」
 部屋から出てきた樹に、そんな言葉と人懐こい笑顔を向ける男が約1名。
 彼の周囲で、先程のと同じと思える無数の蝶が踊っている。
 斎悠也(いつき・ゆうや)。皆にはそう名乗った青年だった。神道系の術を使うとの事で、この蝶もそのひとつらしい。
「……いや」
 チラリと目だけを悠也に向けて、樹が短くこたえる。
「それはよかった。俺は常に美人の味方なんでね」
「ただ、ひとつだけ言っておく」
「なんでしょう?」
「なにをするのもお前の勝手だが、私の邪魔だけはするな」
「……はぁ」
 無表情にそう告げられ、苦笑する悠也だった。


「ひとまず、近場のは片付いたようですね」
 輝史の言葉が、暗い廊下に流れた。
 それが合図だったかのように、部屋の中や、廊下の角、もしくは他の通路などから、6人の男女が集まってくる。
「そうですね。このフロア一帯は、だいたい制圧したとみていいでしょう」
 と、頷く悠也だ。
「へえ、随分自信ありげに言うじゃねぇか。わかんのかよ?」
 龍凰がすぐに聞いたが、
「ええ、建物全体に無数に放った、この蝶達が色々教えてくれますのでね」
「……ほー、便利だなそりゃ」
 微笑と共に返された返事に、龍凰の目は、悠也の周囲に舞う白い姿へと向けられる。
 樹と、ロゼは無言だった。
 樹もそのくらいは”体内に内蔵された”動体センサーですでにスキャン済みであったし、ロゼも気配で状況くらいは掴んでいる。
「それより、ちょっとお伺いしてよろしいでしょうか?」
 裕也の視線が、ふっと動いた。
 青白い顔をした黒衣の青年──この件の依頼者へと。
「……なんだ?」
 目だけを裕也に向けて、男が口を開く。
「貴方が目的の男を殺そうと考える理由ですよ。お見受けしたところ、正義の義憤にかられて……というわけでもないように思えますのでね。それと、もしよろしければ、貴方と、そのお相手の名前を教えてはもらえませんか? ご存知かもしれませんが、何かの術を施す場合、相手の名前を知っている事は強力な武器になりますからね。僭越ながら、俺の術が多少なりとも貴方のお役に立つかもしれません。いかがです?」
 と、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべ、そう告げる悠也だ。
 端正な顔と、その柔らかな表情は、見るものになんとなくほっとしたような安心感を与える。
 もし彼が営業職のサラリーマンだったなら、この会話と表情だけで、たちまちトップに上り詰めるだろう。
 ……たとえ、それが彼の視線に込められた魔力の力だったとしてもだ。
 が、その2つを真正面から受けた男は、眉一筋動かさず、
「断る」
 あっさりと、切り捨てた。
「あらら」
 思わず、目をぱちくりさせる悠也。
「俺の依頼は、ここにひしめくゾンビ共の相手をしてもらう……それだけだ。それ以上の行為は、契約違反ということになる。雇われた以上は、契約に従ってもらおう」
 にべもない、男の言葉。
「……たしかに、その通りだな」
 しかし、樹はそれを素直に認め、
「……」
 ロゼもまた、静かに頷いてみせた。
「はは、あんたの負けだな、兄ちゃんよ」
「……どうやらそのようですね。レディ2人を敵に回してまで、反論する気はありませんよ。いいでしょう。今の質問はなかった事にして下さい」
 龍凰にもそう言われ、手を軽く上げ、降参する悠也だった。
 とはいえ、面白そうに微笑んだままの顔からして、大してこたえた様子もないようだ。
 と──その顔がふと上がり、とある方向に向けられる。
 示し合わせたわけではなかったが、全員の目がまったく同時に動いていた。
 廊下の先へ、そこに色濃くわだかまる闇へと。
「……なにか、来ますね」
 輝史が、低くつぶやいた。
 手にした警棒を包む光が、その輝きを次第に増していく。
「そうだな、しかもかなり大きい」
 無表情に告げたのは、樹だ。
 彼女の電子の瞳は、すでに巨大なシルエットをはっきりと捕らえていた。
「……」
 ロゼは何も語らず、ただ冷たい色の目を闇へと向けている。
「へっ、おもしれえ。何でも来やがれ!」
 威勢のいい龍凰の声に、何かの雄たけびが重なった。


■ 魔と死の虜囚

 ──FUUUUUUUUUUUUUUNG!!!

 それは、異様な声だった。
 押し塞がれた口の奥で、無理やりに大声をあげたような……そんな響き。
 やがて、一行の前に姿を現したのは……
「……な、なんだよありゃ……」
 ひとめ見るなり、龍凰も思わず顔をしかめる。
 外見は、2メートルを遥かに上回る裸の巨人だ。
 それだけでも十分に威圧感があるが、さらに異質な点が多々見受けられた。
 身体の表面には体毛が一切なく、凶悪なまでの筋肉の盛り上がりは、焼け爛れたかのようなケロイド状の肌で覆われている。
 さらに、全身には縦横に手荒い縫い目があり、目や口などは完全に縫い合わされていた。
 鼻や耳は削ぎ落とされ、見えるのは単なる暗い穴だけだ。
「……なんともまあ……あまりお近づきになりたくないですね。あれもゾンビですか?」
 本当に嫌そうな顔で、悠也が依頼人に尋ねる。
「そうだ。死体の中でも特に優秀な部分を繋ぎ合わせ、それに施術を行った……いわば特別製だ」
「ゾンビというよりは、むしろフランケンシュタインか……あるいはフレッシュゴーレムというべきかもしれませんね」
 輝史が眉を潜め、そう感想を口にした。
「なんにせよ、片付ければいいんだろ。いいぜ、俺がやってやる!」
 不敵な笑みと共に、目を細める龍凰。
 瞬時に異形の死者の周りに無数の火の玉が生まれ、一斉に弾けた。
 ──ドドドッ!!
 爆炎と、それによって生じた烈風が通路を駆け抜け、床が震える。
「どうだこの野郎!」
 避ける様子もなく、無論そんな隙も与えず、一気に焼き尽くしたはず……だったのだが、

 ──FUUUUUUUN!!

 炎の中から押し殺した声が上がるや、急速に火の勢いが衰え、何のダメージも受けていない巨体が再び姿を現した。
「な、なんだと!?」
「……ほう」
 龍凰が目を剥き、悠也が感心したような声を出す。
「あいつの体の表面で、紋章が光ってますね……」
 と、いち早くそれに気づいたのは輝史だ。
 確かに、仁王立ちの胸に、いかにも意味ありげな模様がうっすらと光を放っている。
「あれは……オゴウンというロアの紋章だな」
 依頼人の男が、低くこたえる。
「ロア……というと、ブードゥにおける神々の事ですね?」
「そうだ。オゴウンはその中でも、火と戦いと鍛冶のロアだ。どうやら”奴”は、先程のゾンビとの戦いでこちらの手の内を探り、それに合わせて調整した刺客を出してきたようだ」
「……なるほど」
「では、つまり火やその他の熱を伴ったエネルギーによる攻撃は、一切無効なのだな?」
 代わって聞いたのは、樹である。
「ああ、そういうことになる」
「了解した」
 頷くと、巨大な銃を巨人へと向けた。
「──ガンモード、フルオート斉射」
 囁いた声は、あくまで淡々としており、抑揚がない。
 音声認識機構が働き、多目的銃が低い唸りを上げる。
 主の命令に忠実に従って荷電粒子砲の砲身が後退し、代わりにレンコン状の回転式8連装銃身が姿を現した。
 ……発射OK。
 銃から伝わる返事を受けて、引き金を引く樹。
 ──ブロォォォォォォォォォォォォォォォ……
 例えるなら、それは肉食獣のため息とでもいう表現が合っているかもしれない。
 消音機構により、極限にまで静音化された発射音。
 5.56ミリの小口径高速弾が毎分3000発の嵐となって、巨人に襲いかかった。
 樹の腕と、銃の性能はどちらも1級。1発とて外れる事はない。
 きっちり20秒、1000発あまりを目標の全身に叩き込み、一旦引き金から指を離した。
 ……が、
 チン、と、硬い音が何度か響く。
 それは、銃弾が床へと落ちる音だ。
 全ての弾丸は、巨人の体表からわずか数ミリ食い込んだだけで、全ての力を使い果たして止まっている。
「……固い奴だな」
 真面目な顔で、樹がつぶやいた。

 ──FUNNNNNNN!!

 雄たけびを上げて、巨体がまっすぐに向かってくる。
 こちらからは、真っ先に細い影が飛び出し、迎え撃った。ロゼだ。
 両手に刃を振りかざし、巨大な死者へと迫る。
 彼女の胴回り程もある腕が上がり、振り下ろされた。
 ドカンと破壊音が響き、コンクリートの床にあっさりと大穴が空く。
 しかし、その時にはもう、ロゼの姿はそこにはない。
「罪深き魂よ、神の御許へ召されるがいい」
 静かな声は、空中でした。
 巨体がそちらへと向き直るのと同時に、銀色の筋が降り注ぐ。
 首筋に、両腕の肘関節の内側に、心臓の上に……恐るべき正確さを持って、銀の刃が打ち込まれる。いずれも人の形を持つものならば、弱点となりえる場所だ。
 しかし、それでも巨人は倒れなかった。
 倒れないばかりか、ロゼが床へと降り立った瞬間を狙って、凄まじい回し蹴りを放つ。絶対に避けられないタイミングで。
 ゴン! と、肉が肉を打ったとは思えない音がした。
 大きく吹き飛ばされたロゼだったが、身を捻り、足から着地してみせる。
 何事もなく立ち上がる彼女の顔には、苦痛の影すらなかった。
 冷たい美貌が、ただ死者へと向けられている……それだけだ。
「ちょっと、大丈夫なんですか?」
 見ていた裕也の方が、やや慌てた様子で近づいてくる。
「……無論だ。戦う事に支障はない」
「ですが、貴方も女性なら、少しは自分を大切にしませんとね」
 と、言われて、初めてロゼが裕也へと目を向ける。
 限りなく澄んだ瞳に一瞬たじろぐ彼だったが、さすがにそんな事は表に出さない。
「私の身体は、私のものではない」
 はっきりと、彼女はそう言った。
「は? では誰の……?」
「私は私という全存在を、神に捧げている。故に、私はここにあって、既にここにないのだ」
「……はあ、なるほど」
 あいまいに頷く彼ではあったが、無論理解不能である。
 ……やれやれ、今回のレディ2人は、色々な意味で普通ではありませんね。
 1人、胸の内でつぶやく悠也だ。
 彼の目には、既に彼女達の”真の”姿が、おぼろげに見えているらしい。
 一方、死せる巨人には、今度は輝史が挑んでいた。
 魔剣化した警棒の一撃は、本来ならばかすっただけでも呪われた身には必殺の一撃となり得る。
 が、しかし、この巨人はブードゥ魔術の呪力による加護を受けており、アストラル体のエネルギーですら相殺してしまう。
 先程から輝史の打撃は確かに何度も巨体に打ちこまれているのだが、その都度オーロラの如き不可思議な色調の光が当たった部分に走り、衝撃と共に警棒が弾かれていた。
 それでもどこかに隙はないかと、輝史はあくまで接近戦を仕掛けているわけだが……さすがに彼の頭にも、無駄の2文字が浮かび始めている。
 このままでは、埒があかない。他の方法で攻めなければ……だが、どんな手がある?
 考えてはいるのだが、そう簡単に思いつくものでもない。
 ──と、
「……炎が無効だと? 面白ぇじゃねかよ。本当かどうか試してやるぜ!」
 背中の向こうでそんな声がして、同時に恐ろしいまでの熱を感じた。
「な……」
 嫌な予感に、思わず振り返る輝史。
 巨体ゾンビまでもが、一瞬動きを止めていた。
「おらぁーーー! 食らえーーーーー!!」
 叫びと共に、龍凰の手から放たれる大火炎。
 圧倒的な真紅の奔流は、みるみるうちにその姿を変えていく。
 雄々しくも猛々しい、龍の姿へと。
 ──緋炎龍。
 全てを飲み込み食らい尽くす、貪欲なる炎の術である。
 現在の龍凰の扱える、最大の技であった。
「!!」
 一直線にこちらへと突進してくる龍の姿に、輝史は慌てて床を蹴り、すぐ脇の部屋へと飛び込んだ。
 その足先をかすめるようにして、龍が通路を駆け抜けていく。身体に触れたものは、廊下の壁、床、天井に至るまで、何もかもが炎を吹き上げ、激しく燃え上がった。
 巨体のゾンビには、避けるだけの余裕はない。
 通路一杯に広がった龍の顎に飲み込まれ、紅蓮の猛火に全身が包まれる。
 一旦通りすぎた龍は、通路のすぐ先で壁を破壊しつつ反転し、第2撃、3撃と、連続で体当たりを食らわせた。
「どうだこん畜生! 灰になりやがれ!!」
 轟音を上げて建物を壊し、巨体の化物に挑みかかる炎の龍……
 その様は、もはや怪獣映画に近い。
「……なんて事するんですか。俺まで燃える所でしたよ」
 気勢を上げる龍凰の前に、輝史が戻ってきた。
 所々服が焦げているのは、完全にかわしきれなかった証拠だろう。
「はは、だけど無事だったろ。あんたなら大丈夫だって信じてたからな。でなきゃこんなマネはしねえさ」
「……どうですかね……」
 まったく悪びれていない龍凰の台詞に、思わず天を仰ぐ輝史だ。
 この炎術師殿は、果たして本当にこちらを信頼して、この大技を放ったのだろうか……
「そのまま火葬になりやがれってんだよ! このデカブツが!!」
「……」
 ……どうも、にわかには信じがたい。
「ま、炎を操る人というのは、多かれ少なかれ、気性の激しい方が多いですからね。怒るだけ無駄だと思いますよ」
 輝史の肩にぽんと手を置いて、悠也がそう言った。
 ただし、顔は笑顔だ。慰めるというより、明らかに面白がっている。
「……はあ」
 とだけため息交じりにつぶやいて、輝史はそれ以上もう何も口にしなかった。
 表情から察するに、怒るより、むしろあきれるか……あきらめている気持ちの方が大きそうだ。
「あれの倒し方について、何か有効な手段に心当たりはないのか?」
 依頼者に向かい、樹が尋ねる。
「……そうだな、心当たりはないが、気づいた事ならある」
 それまでずっと無言で戦いの動向を見守ってきた男が、ゆっくりと口を開いた。
「ほう、では聞かせてもらおう」
 全員の目が、男へと向けられる。
「あいつはあれだけの炎を浴びても、さしたるダメージは受けていないようだ。が、炎に全身が包まれている間だけは、じっと動きを止めている。それもなぜか、顔を手でかばうようにしてな」
「……なるほど、確かに妙ですね。顔を気にする程、美意識が強いとも思えませんし」
 薄い笑みを浮かべて、頷く悠也。
「炎の中では呼吸ができない。そのせいか?」
「呼吸って……おい、相手はゾンビなんだろ?」
 樹の台詞に、龍凰が眉をひそめる。
「ああ、だが、一定以上のパワーとスピードを求めるなら、完全な死体より、生体の筋肉組織の方が勝っている」
「そして生体の組織を動かすためには、わずかでも酸素が必要というわけですね」
「そうだ。あくまで仮定だがな」
 輝史が言い、男が認めた。
「ふふ、では、あれは死人というより、半死人とでも呼ぶべきかもしれませんね。で、どうします? 面白い話だとは思いますけれど、あくまで仮定でしょう?」
 その裕也の問いにこたえたのは、依頼人ではなかった。
「……簡単だ。仮定が正しいのならば、相手が守る部分とは、要するに弱点だ。それを確かめればいい」
 言いながら巨銃を構えたのは、樹である。
「一瞬でいい、炎を止めろ」
「あいよ。でも本当に一瞬でいいのか?」
「ああ」
「……格好いいな、姐さん」
 樹の短い返事に、龍凰がニヤリと微笑む。
 そして、鋭い視線を自らの生み出した龍へと向けた。
 主の命令を受け、炎の化身がただちに空中で停止する。
 それは、ちょうど巨人の目の前であった。
 不意に止んだ攻撃をどう思ったのか、思わず目の前の巨大な龍の首を見上げる。
 自らの顔を覆った手のひらの隙間から、わずかに黒い穴──鼻腔が覗いていた。
 まさに、一瞬の隙。
 もちろん、樹が逃すはずがない。
 ──ドン!!
 重い音を上げて、多目的複合銃が吼える。
 放たれた鉄鋼弾は炎の龍を貫き、真っ赤に赤熱して、狙いたがわず目標へと吸い込まれていった。
 ほんの1センチ程の、小さな鼻の穴──その奥へ。

 ──FUGAAAAAATH!!!

 瞬間、両手で顔面を押さえ、巨人が大きくのけぞる。
 それまで決して炎を寄せ付けなかった身体に、廊下を埋め尽くす猛火がたちまち燃え移っていった。
「呪力が弱まった」
「成功だな」
「おっしゃ! これなら!」
「……」
 全員が、一斉に次の攻撃へと移る。
「無駄なことはしない主義なので今まで手を出しませんでしたけど……もう大丈夫そうですね」
 裕也の蝶が無数に群がり、さらに全身へと炎を広げていく。
 ロゼの手から放たれた鋼線が、炎の人型と化した巨人の身体に縦横に巻きつき、動きを止め。
 輝史の魔剣が深く食い込み、四肢を切り裂き。
 樹の射出した40ミリグレネード弾が、爆炎と共に容赦のない破壊を送った。
 そして──
「くたばりやがれぇぇぇ!!」
 気合と共に、龍凰が炎龍にとどめを命じる。
 輝きを増した巨体がうねり、通路に破壊と獄炎を撒き散らしつつ全てを飲み込み……あとはあっけなく勝負がついた。
 超高温により、燃えるというより蒸発した死せる巨人は、灰すら残さずこの世から消滅していく。
「っしゃあ!」
 ガッツポーズを取る龍凰。
 対照的に、樹が静かな声で、
「……あの男がいないな」
 と、つぶやく。
 いつのまにか、依頼者がこの場より消えていた。


■ 戒めの解ける時

 窓に全て板が打ち付けられ、闇に支配されたひとつの部屋に、その男はいた。
 部屋は、かなり広い。少なく見積もっても、30畳はあるだろう。ここが廃ホテルとなり果てる前は、会議室か、あるいはパーティルームとして使われていたのかもしれない。
 ただし、今はその面影はどこにもなく、家具調度などはもちろん、過去の姿を想像させるようなものは何もない。ただ剥き出しのコンクリートの床に、元の姿が何かすら分からないような残骸の山がいくつか見られる……そんな惨状を呈していた。
 部屋のほぼ中心付近に、黒いローブ姿がぽつんとひとつ立っている。
 顔はフードで覆われていて見る事はできなかったが、わずかに覗く顎先や、自然に垂らした手の指など、見える部分はくしゃくしゃにした紙のように深い皺が刻まれていた。おそらくは、相当な年齢に違いない。
 男を囲むようにして、幾重にも同心円状に蝋燭が並べられ、毒々しい色をした炎が灯っている。
 その小さな明り達が、ある時不意に、同じ方向へと揺れた。部屋の中の空気が、わずかに動いたのだ。
「……ようやく来たか」
 皺だらけの唇が、そう言葉を刻んだ。
「ああ」
 短い返事が、すぐに返される。
 部屋の入口に、人影がひとつ。
 依頼者の、男だった。
 そして……
「俺達を置いていくなんて、ひどいですね」
 もうひとつの入口からも、声がかかる。
 裕也を先頭に、5人の姿がそこにあった。
「ふむ、さすがに場所はすぐに知れたか」
 そちらを見もしないで、ローブ姿が言った。
「ええ、ここだけ、どうやっても俺の蝶が入れなかったですからね」
「覗かれるのは、趣味ではないさ」
「ふふ、俺だって、ご老人の姿など覗きたくはありませんよ。だからこうして、直接話を伺いに来たんです」
「なるほどな」
 頷いた後、口元に笑いを浮かべ、
「面白い友人を持ったな」
 と、依頼者の男へと言った。
「そいつらは関係ない。これはお前と俺とでつけるべき決着だ」
 一方の男は、まったくの無表情である。
「素っ気ない奴だの。誰に似たのか……まあいい。確かにわしも、お前以外の、しかも生きた人間などどうでもよい。別の者に相手をさせよう──起きろ」
 ローブ姿の声と同時に、部屋の片隅で何かがもそりと動き始める。
 ゆっくりと立ち上がったそれは……あの巨大ゾンビであった。それも全部で4体。
「先程の戦いも見せてもらった。今度は活動に酸素も必要ない。せいぜい好きなだけ遊んでいくといいだろう」
 その説明に嘘はないようだ。
 4対の死者の頭部には、確かに鼻の穴などは確認できない。
「……まったく、改良好きのジジイだな」
 うんざりした顔で、龍凰が吐き捨てた。
「せっかくの親子の対面を、邪魔しないでもらおうか」
「……何?」
「親子……?」
 ローブ姿から発せられた台詞に、一同が2人へと目を向ける。
「……ほう、お前、説明していなかったのか?」
「……」
 意外そうな老人の顔。依頼者の方は、何も語らない。
 ただ、固く結ばれた口と、一層鋭さを増した瞳の色が、それが事実である事を示しているようだ。
「言ったはずだ、そいつらは関係ない。俺の目的は、あくまで貴様を殺す事……それだけだからな」
 低く言いざま、男が懐から何かを取り出す。
 形も大きさもレンガ程の物体に、何かのメカがくっついたそれは……プラスチック爆薬と起爆装置だった。
「あの男……自爆する気だな」
 ひとめ見て、樹がつぶやく。
「おいおい、穏やかじゃねーな」
「止めようにも、このゾンビ達がそうさせてはくれない……か」
 輝史が警棒を構える。瞬時に鉄の棒を包む柔らかな光。
 どうする事もできないかもしれない。しかし、それでも退く気はなかった。
 他の皆も……また。
「愚か者め。創造物は創造主に危害を加える事はできん。それが定めであり、絶対の戒めだ。忘れたか?」
「……いや」
 嘲りの笑いを含んだ台詞に、男がゆっくりと首を振る。
「確かに、この身に受けた呪いにより、俺は貴様に敵対する行動の一切を封じられ、一定距離以上近づく事すらできん。だが……」
 男が開いている方の手を背中に回し、ベルトに挟んでいたらしいものを取り出す。
 蝋燭の明りに鈍い輝きを見せる刃……おおぶりのサバイバルナイフだ。
「……」
 さして迷った風もなく、あっさりと爆薬を持つ腕にそれを突き立てた。
 無言で、そして無表情のまま、鋼の刃が動かされる。
 ぶちぶちという腱の切れる音、ゴリッという骨の断たれる音。そして最後にドサリと何かが落ちる音……
「貴様……何を?」
 訝しむ老人を真正面から見返し、自らの腕を切り落とした男は……こう言った。
「自分の身体は好きにできる。そして切り離された身体は、単なる物体だ。お前の制約もきかん。この起爆装置は敏感でな。ちょっとした事でもスイッチが入る。そう、落としただけでもな」
「な……!」
「俺の身体を操って止めさせるか? それともおまえ自身が止めるか? あのゾンビ共に命じてもいいかもしれん。だが、もう遅いぞ。あと3秒、2秒……」
「やめぬか馬鹿者!」
「断る」
 きっぱりと言い切った男の顔に、初めてある種の表情が沸いた。
 ……笑いが。
「伏せろ!!」
 誰かが叫ぶ。
 轟音が響き、爆炎が部屋を支配した。
 破片が空中を駆け巡り、建物全体が振動で大きく揺らめく。
 それらが全て過ぎ去ると……後には静寂のみが残された。
 次々に5人が立ち上がる。
 他に……動くものはなにもない。巨人達も主を失ったせいか、単なる死者へと戻ったようだ。思い思いの格好で、床に転がっている。
 爆発のあった地点には、床と天上にそれぞれ大穴が開いていた。
 そこにいたはずの2人はどうなったのか……
「……」
 輝史が壁の一点に目を止め、そちらへと歩き出した。
 ぼろぼろの何かが、床の上にわだかまっている。
 男──依頼者の上半身だった。
 おびただしい量の血液が壁に付着し、周囲の床にも血溜まりとなって流れ出している。
 爆風によって叩きつけられ、ここにずり落ちたらしい。
 下半身は千切れて既になく、腸があたり一面にぶちまけられていた。
 顔半分も大きく割れ、裂けた頭蓋から白っぽい脳が覗いている。
 胸から突き出た幾本もの突起は、折れて飛び出した肋骨に違いない。
 死体というより、その姿はもはや残骸といった方がふさわしいだろう。
 しばし、輝史は静かな瞳でそれを見下ろしていたが……
「これが、貴方の望みですか……?」
 ふと、そう尋ねた。
 どうみても、返事など返せそうもない骸に向かって。
 が、しばしの間を置いて、
「…………ああ……」
 男の唇が、小さく動き出す。
 それを見ても、言葉を耳にしても、誰も驚かなかった。
「……”奴”が俺の前に現れたのは……今から半年前だ。それまで俺は、父親の事を何も知らなかった……母親も、何も教えてはくれなかった……」
 消え入りそうな声が、ぽつぽつと話を紡ぎ出す。
「ある日突然現れ、奴は母親と……そして俺を殺した。俺は蘇生させられた後で、奴から全てを聞かされたのだ……母親は身重の身体で、奴の元から逃げ出した事。しかし俺は腹の中にいたときから既に術をかけられた……呪われた身である事……要するに、生まれる前から、奴のオモチャでしかなかった事をな……」
「……」
 一同は、皆無言だった。
「奴の術は強力で……完璧だった。が、それ故に、俺も奴の術に完全には縛られなかった……皮肉なものだな。最後まで、俺は俺でいる事ができた……決着をつけるまでに半年もかかったが……それも今日で終わりだ。母親と、自分自身の仇を取った……お前達には礼を言う。後は早く逃げろ。ここにはあらかじめ、建物全体を吹き飛ばすだけの爆薬が仕掛けてある……時間は……あまりないぞ……」
 そう告げて、男の口が止まる。
「……確かですね。建物に放った蝶達も、それらしいものをいくつか見つけています」
 裕也も、言葉が事実である事を認めた。
「じゃあ、とっととずらかろうぜ」
「そうですね……ですが……」
 龍凰に促されたが、輝史は何事かを言いかけ、朽ちかけた男へと目を戻す。
 この人をなんとかできないか……
 そんな思いが、彼の胸にはあったのだが……
「無駄だ」
 はっきりと、誰かがそう言い下した。
 輝史の顔が上がり、そちらへと向けられる。
 神の僕たる証の衣装を身に纏った女性がそこにいた。
「死者は死者、生者は生者、2つの線が交わる事は決してない。お前にも、それは分かっている筈だ」
 美しい澄んだ瞳が、まるで責めるかのように輝史を見つめる。
「……ええ、そうですね」
 輝史の顔が、すっと横を向いた。
 ロゼの言う事は、確かにその通りだ。間違ってなどいない。
 ただし、納得できるかどうかは、また別問題だろう。
「……俺に構うな。気にすることはない。死人が塵に還る、それだけの事だ……」
 男の小さな声に送られて、この場を後にする一行であった。


■ エピローグ

 眼下に廃ホテルを望む小高い丘の上に、3人の人影があった。
 建物は今、連続的に起こった爆発により炎上し、崩れ去ろうとしている。
 すっかり沈んだ夜の闇の中で、紅蓮の炎が何かの生物のごとく、天高く伸びて揺らめいていた。
「……これで終わったな。あれだけ派手に燃えてりゃ、証拠も何も残らねえだろうさ」
 最初に口を開いたのは、龍凰だった。
「バブル期に秘湯ブームを当てこんで建てられたホテルのようです。地の利も恐ろしく悪い。消防が来た頃には、もう完全に手遅れでしょうね」
 裕也も、淡々とそうつぶやく。
「だからこそ、あの人もここを戦いの場所に選んだのでしょう。ここならば、他の誰にも見られる事はないですから」
 最後に言ったのは、輝史である。
 あとの女性陣2人──樹とロゼは、いつのまにか姿を消していた。
 あるいはどこかでこの光景を見ているのかもしれないが、さすがにそこまではわからない。
「依頼人はともかく、あの術師の方、死んだと思いますか?」
「どういう意味だよ、そりゃ」
 裕也の台詞に、他の2人が振り返る。
「あの場に死体はなかった……そういう事ですね」
「ええ、死体だけでなく、その痕跡すらなかった。衣服や身体の破片、その他一切がね」
「でもよ、どう考えたって、あの状況で生きてるわけねえじゃねぇかよ」
「さて、どうでしょう。少なくとも、俺は疑り深くてね。死んだ事を確認できない以上、どうにも素直には納得できないんですよ」
「……損な性格だな」
「自分でもそう思いますよ。で、あなたはどう思ってるんですか、その辺」
 と、裕也が輝史を見る。
 端正な横顔は、じっと炎を見たまま、
「……さあ。わかりませんね」
 ぽつりと、こたえた。
「俺達はともかく、依頼人は倒したと信じていたんですから、それでいいのではないですか。それに、俺達の受けた依頼は、そもそもゾンビの相手だけです。考えてもしょうがないでしょう」
「……へえ……」
 ──意外に冷めてますね。と、裕也は言葉を続けようとしたのだが、それは輝史の顔を見た瞬間に飲み込まれていた。
 炎上する廃ホテルをじっと見るその瞳……
 表面に写る炎は、実は彼の内面で燃える情念の現われなのかもしれない。
 依頼人を救えなかった事もあるが、それ以上にあの術師が許せない……言外にそう訴えている。
 もし、生きて再び輝史と顔を合わせることになれば、その時術師はこの若きドルイドを敵に回した事を後悔するだろう。
 後は何も言わず、3人はただ炎を見つめる。
 しばらくの間、揺れるオレンジの光が、男達を闇の中に浮かび上がらせていたが……その姿も、いつしか夜気に紛れるように消えていった。
 後に残されたのは、まさに死者の静寂。
 それだけだった──


■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

※ 上から参加順です。

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0445 / 水無瀬・龍凰 / 男性 / 15 / 無職】

【0996 / 灰野・輝史 / 男性 / 23 / 霊能ボディガード】

【0423 / ロゼ・クロイツ / 女性 / 2 / 元・悪魔払い師の助手】

【1231 / 霧島・樹 / 女性 / 24 / 殺し屋】

【0164 / 斎・悠也 / 男性 / 21 / 大学生・バイトでホスト】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです。ライターのU.Cです。
 書いてる最中に友人からGBAと逆転裁判を借りてしまい、えらい事になりました。
 ハマるのハマらないのって、そりゃもう大騒ぎです。
 おかげですっかり仕上げるのが遅れてしまいました。この上なく申し訳ございません。

 龍凰様、はじめまして。設定ではあの方と敵対関係にあるんですね……なるほど。
 一緒に出る事になると、依頼を無視したとんでもない決戦になりそうで、なんとも惹かれます。
 いえ、実際依頼そっちのけで戦闘になだれ込まれたら困りますが……それにしても面白そうな。良いですなぁ。

 輝史様、またのご参加、ありがとうございます。
 プレイングで依頼人の事を「できれば救いたい」と書いて下さったのは、実は貴方様1人だけでした。
 輝史様の優しさを称えるべきか、他の方の徹底ぶりを称えるべきか、非常に難しい問題です。
 間を取って、皆様を一様に称える事にします、はい。

 ロゼ様、はじめまして。とにかく戦いに身を投じ、終われば去るのみという、実に颯爽としたプレイングとキャラ性に美を感じました。私は何も考えずに書くとどんどん脂っこくなってしまう病気に冒されてまして、その発作が出ないように念じつつ書きましたが……ご気分を害されていなければ幸いです。

 樹様、はじめまして。男の子の血が騒ぎ、武装の解説とメカ描写ばかりに妙に力が入ってしまいました。
 ひょっとしてレーザーというのは体内内蔵火器だったんでしょうか? レーザーの文字を見て、よーし、でっかい武器持たせちゃうぞー、と喜んで書き進め、後になって、はて? と気付いた次第です。
 調子に乗って、危なく攻撃衛星からの大口径粒子砲とかまで書きそうになりました。怪談だとメカ描写をする機会がなかなかないので、ついつい調子に乗りがちです。

 裕也様、はじめまして。このお話では、主に進行と解説の役をお願いしました。
 バイトでホストもやっておいでとの事ですが、今回の女性陣は手強かったのではないでしょうか。
 華麗な術でのご活躍、お疲れ様でした。


 参加して下さった皆様、及び当物語を読んで下さった方々に、深くお礼申し上げます。
 なお、全ての参加者の皆様に納めました文章は、全て同じ内容となっております。その点ご了承下さい。

 では、また次の機会に恵まれましたら、その時にお会い致しましょう。

 ではでは。

2003/Jan by U.C