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<PCシナリオノベル(シングル)>


   美人の湯? 幸せを呼ぶ宿
 
「白鬼! ねえ、行こうココ! 『そこの温泉に入ると数年後に美人になれる』だって。ゆっくり温泉に浸かれて、美人にもなれるなんて一石二鳥だよ!」
 チラリ。
 と、彼は恋人の指が指ししめす記事に目をやった。そしてそのまま腕を組み、深く深く考え込む。
 抜剣・白鬼(ぬぼこびゃっき)──顔に体躯は豪侠にして、その物腰は柳の如く。今日は気心の知れた彼女を前に、普段の僧服を脱ぎ、ラフなセーターにデニムを身に纏っている。
 そして、テーブルの上で開かれている雑誌は、事もあろうに『あの』月刊アトラスだ。怪しさにかけては絶妙な程に信用性の薄い、奇々怪々な情報誌。
 それがこれでもかと言わんばかりの見開きで、盛大に『美人になれて良い事が起きる温泉宿』を紹介している。
 どうなんだ?
 アトラスだ。
 あのアトラスだぞ?
 美人になれるとか、良い事があると言うのは引き寄せの文句で、本当は美人になれる『といいね』とか、良い事があ『りますように』とか、どこか見えない所に注釈が添えてあるんじゃないのか?
 まるで信じられない。
 これが普通の旅行雑誌なら、悩む必要は無いのだが。
「う〜ん」 
 白鬼は首を傾け目を閉じた。
 彼女──紗希はテーブルから身を乗り出し、そんな白鬼の顔を覗き込む。目を開けると、いつになく嬉しげな紗希の顔がそこにあった。すでに気分は温泉に向け旅立ってしまったようだ。目が期待に輝いていた。
「ね? 行こうよ! 白鬼もアタシが美人になった方が嬉しいでしょ?」
「いや、君は今でも充分美人じゃないか。これ以上綺麗になられたら、俺が困るな」
 白鬼の真摯な眼差しに嘘は無い。
 ただ、逃げられるモノならこの会話を上手くごまかし、と紗希の朱に染まった顔をジッと見る。
「ば、バカ……。でもホラ、効果が出るのは数年後って言うしさ」
 全く退く気配の無い紗希に、白鬼は溜息をついた。
 ここで断った後の、彼女の行動は目に見えている。
 恐らく──「白鬼のケチ! いいよ、アタシ一人で行ってくるから」となり、結局は心配で付いてゆくのがオチではないだろうか。
 それならば、最初から潔く同行した方が気持ちも易く収まる。
 それに何より、この楽しげな顔を曇らせるのはどうか。
「まあ、温泉でのんびりも悪くないか」
「やった、さすが白鬼! そうこなくちゃ! そうと決まれば早速手配しないとね!」
 揚々とした彼女の声を耳に、白鬼は諦めの笑みを浮かべていた。

 ■■ 美人の湯? ■■

 その旅館は小さな庭園を構えた和風宿だった。部屋数にして四十。二階建てで、しっとりとした趣のある旅館だ。
 お世辞にも大きいとは言えないが、ゆっくりと情緒に浸るには十分だろう。周囲は緑に囲まれ、宿の右手には『散策路入口』という案内板が見えた。
「いやあ、それにしてもキレイな女将さんだよなあ」
「ホント、ホント。それだけでも、来て良かったよ」
 鼻の下を伸ばした男性客とすれ違いながら自動ドアをくぐると、白鬼でさえ「ほお」と声を上げそうになるほどの笑顔が出迎えた。
「ようこそ、いらっしゃいました。長旅、お疲れでございましょう? 早速、お部屋にご案内致しますので、まずはこちらへどうぞ」
 線の細い色白の和装美人。
 先程、先客が噂していた若女将に違いない。柔和な笑みを浮かべ「さあ」と手向ける様は、まるで天女にたおやかだ。
 二人は靴を脱ぎ後に従うと、赤い絨毯を踏みしめた。紗希が白鬼に耳打ちする。
「ホントに綺麗な人だね」
「ああ。もしかすると温泉効果かもしれないよ?」
 白鬼は軽口を飛ばした。
 若女将に誘われたのは玄関向かって右手にあるカウンターだ。左手は小さなロビーになっており、柔らかそうなソファーが置かれている。そこには今朝の新聞を読む男性客が数人、タバコを飲みながらくつろいでいた。
 白鬼が帳簿にサインをしていると、賑やかな女性達の声が耳に入った。横を通りすぎて行くのは、まだ陽も高いと言うのに浴衣を身に纏った若い女性達だ。通路の反対側からは、襟の裾をホッコリと湿らせ、頬を桜に染めた湯上がりの娘がやってくる。
 さすがに『美人になれる湯』と言うだけあって、それにあやかろうと訪れた女性が多いようだ。早々に風呂を楽しんでいる。
 そしてそんな娘達を盗み見するソファーの上の男性陣。
 白鬼は思わず苦笑した。
「目の保養になると言う事を考えると、少なくとも『良い事』にはなるのかな?」
 紗希は白鬼に意味深な視線を向ける。
「ふうん」
「どうかしたのかい?」
「何でもないよ」
 白鬼に他意は無いのだが、紗希はそう思ってはいないようだ。やきもちを焼き、へそを曲げかけている。そんな紗希が白鬼にはたまらなく愛しく思えた。
「でも俺にはまだ『良い事』は起きていないかな」
 紗希は白鬼をジトリと睨み付ける。
「『目の保養』、じゃなかったの?」
「このくらい、いつも見ているからね」
 事も無げに言う白鬼に、紗希は顔を赤らめた。
「どうぞ、抜剣様。お部屋はお二階、『桜の間』になります」
 受付の差し出した鍵を手に、仲居の案内でエレベーターに乗ると二人は部屋へと向かった。
「ここのお湯は美人になれるって聞いたんだけど」
 廊下を歩きながら、紗希が仲居に話しかける。
「美人になれるかどうかは分かりませんが、お肌にはいいみたいですよ。お湯の中にミネラルが豊富に含まれておりましてね」
 その手もあったな。
 仲居の話を聞きながら白鬼は思う。
 美人になれる──
 『かどうかは分かりません』。
 いずれにしても、呼び込みの為の過大な触れ込みには違いないだろう。そもそも湯に浸かっただけで美人になれたら、整形外科が不要になってしまう。
「お風呂の方は一階、先ほどの受付を右へ向かった突き当たりになります。男も女も、内湯、外湯とありまして、外湯の方だけお湯は男女一緒になっております」
「まさか混浴?」
 眉を潜める紗希に、仲居は「いいえ」と笑った。
「竹垣で仕切がありますので大丈夫ですよ。さ、お部屋はこちらになります」
 仲居は部屋の一つで足を止めると、その扉を開いた。
 部屋は続き二部屋の和空間。目立って素晴らしい所は無いが、よく陽が差して乾き居心地が良さそうだ。
「お食事の時間は五時頃にお部屋にお運び致しますが、ご都合が悪ければお早めにお申し付け下さい」
「ああ、ありがとう。とりあえずそれで構わないよ」
「はい。では、ごゆっくり」
 仲居が行ってしまうと、二人はまず上着を脱ぎ、テーブルに向かい合って腰を下ろした。窓の外では微かな風に、緑が葉を揺らしている。束の間の静けさを二人は楽しんだ。
 ふとテーブルの上に置かれた、御茶請けの和菓子が目に入る。のし梅とあられの入った小袋だ。紗希もそれに気づいたようだ。
「お茶でも入れようか?」
「旅路の果てに飲む君のお茶は、さぞかし旨いだろうなあ」
「大げさだよ」
 照れながらも紗希は動く。細い指先が押さえる急須の蓋を、白鬼は何気なく見つめていた。
「綺麗だな」
「うん?」
 顔を上げた紗希に、白鬼は笑いかける。
「さて、時間までまだ大分あるが……どうするね? 早速、湯に浸かりにでも行こうか」
「うーん。それもいいけど……あ! そうだ、ねえ、白鬼」
「ん?」
「さっき、散策路ってあったけど、そこへ行ってみようよ」
 二人は茶請けと茶で一服。冬の遊歩道へと繰り出した。
 
 ■■ 二人歩く散歩道 ■■

「ウワミズザクラ。果実は赤く、この実で作った酒は熟成すると琥珀に変わる」
 整備された遊歩道を歩きながら、白鬼は一本の落葉高木を見上げていた。春に花咲くその木には、冬のいま全くの色気が無い。
 紗希はそんな白鬼の顔をマジマジと覗き込み、悩ましげに目を細めた。
「ねえ、どうしてそんなに植木に詳しいの? それもここへ来てから急に」
 そう、白鬼は先程からこの他にもウラジロノキ、ナナカマド、シモツケ、ヤマブキなど、話の中断や邪魔にならない限り一人呟いていたのだ。
 それを紗希に突かれた。白鬼は思わず笑ってしまう。
「何がおかしいのさ」
「いや、君も詳しくなってみるかい?」
 白鬼は紗希の背を軽く押し、より木の根本がよく見える位置へと案内した。
「種明かしをしよう」
 そこにあるのは果たして、簡単な説明の添えられたプレートだ。目立たないような場所を選んで、地面に突き刺してある。
「ず、ズルイ! さっきからこれを読んでただけだったの?」
「君は空が気になっていたみたいだね」
 快晴の青を眺めながら上機嫌だった紗希は、どうやらこれに全く気がつかなかったようだ。
 微笑する白鬼に呆れた顔を見せたのは、飄々とそれを見、口にしていた事に対してなのか。それとも自分に対してなのか。
 と、紗希は突然、一本の樹を指さした。
「じゃあ、あれは? 白鬼」
 そしてイタズラっぽく笑う。
 それは大きな桜の木だった。春じゃないのが残念に思える程の巨木。きっと見事な花を咲かせる事だろう。
「サービス問題かな?」
「答えてみて」
 ふむ。
 白鬼はしばし冬枯れの桜を眺めた後、ニッコリと笑ってこう言った。
「これは、君と同じ名前の木だよ」
 思わず紗希は桜を見上げる。
 誰よりも春を待ち望み、静かに佇ずむ染井吉野。
「冗談言ってる……んだよね?」
「いや、本気さ」
「?」
「しなやかで強く美しい」
 白鬼の言葉に、紗希は顔をパッと赤らめた。

 ■■ 覗き見への代償 ■■
 
 宿へ戻った二人は食事までの小一時間。冷えた体を温める為に、待望の温泉へと向かった。
 その風呂の豪勢な事。
 広々とした浴槽と高い天井。床は漆黒のタイル張りで、ガランの数もかなりある。大きなガラス張りの向こうには、ゴツゴツとした岩の露天と夕景の山並みが見えた。
 白鬼は思わず感嘆の声を上げた。
「やあ、これはいい眺めだなあ。ガラス越しじゃ勿体ないぞ」
 内湯の横にあるガラス戸を開けると、さらに鮮やかな夕暮れのオレンジが白鬼を出迎えた。湯は先客もなく貸し切り状態で、右手には仲居の言っていた竹垣があった。その向こうからは華やかな娘達の笑い声が漏れている。
 白鬼はザバリとお湯に浸かり込んだ。
 顔と肩を冷やす冬の寒さと、体を包むお湯の熱さに言いしれぬ心地よさがこみ上げる。
「ふー」
 一息つきながら、顔を一撫で。
 白鬼はただ夕焼けに見入った。
 全てを一色に染める陽。それはひとえに素晴らしい。
 目を閉じて、頬に触れる冬の気に浸る。
 気分は最高だった。
 背中に視線を感じるまで、は。
(やっぱり『アトラス』で紹介されるだけの事はあるな)
 戸が開いた気配は無い。よって、人が入ってくる事は出来ない。実体が無いモノ──つまり幽霊が、白鬼の背中を見つめている。
(殺気も悪しき波動も感じられない。まあ、放っておくさ)
 白鬼はこめかみに湧いた汗を拭った。
 何しろ休暇を楽しむ為の旅だ。こちらから動く事は無いだろう。
 すると、それが向こうから話しかけてきた。
『お加減はいかがでございますか?』
 女の声だった。
 六十に差しかかるか、かからないか。そんな印象を受けた。
「ああ、ちょうどいい」
 白鬼が振り返らずに言うと、それは正面へ回ってきた。
 ふっくらとした面立ちと、綺麗にまとめ上げた髪。着物をキチリと着こなしている所を見れば、この旅館の関係者だと言う事はすぐに知れた。
 女はどこか厳しい眼差しで、ジッと煙立つ水面を見つめている。
『そこの竹垣の向こうは女湯になっております』
「そうらしいね」
『自然の竹をそのまま利用しているので、隙間が空いておりまして』
 白鬼はチラリと竹垣に目をやった。言われてみれば、確かに覗けと言わんばかりの細い空間が見える、が。
「それがどうかしたのかい?」
『中には覗かれるお客様もいらっしゃって』
「それは感心しないな。もう一つ竹垣を立てたらどうだね? 二つも重ねれば、向こうが見える事はあるまい」
『……』
 フーッと息をついて顔に浮いた汗を払う白鬼に、女は黙り込んだ。襟足の髪を整える仕草を見せる。
「あなたは先代の女将さんかい?」
 白鬼が言うと、女はしっかりと頷いた。
『はい。今の若女将の母です。あの子がもう少ししっかりしてくれたら、私もゆっくりしていられるのですが』
「そうかね? しっかりしたいい女将だと思うが」
『そうでしょうか』
 今度は女が溜息をついた。白鬼が見るに、あの女将は女将でよくやっているように見えたが、大女将の目にはまだまだ心許ないのだろう。心配で成仏できず、こうして彷徨っているようだ。
 大女将は白鬼をジッと見つめてきた。
「何かして欲しい事があるのかね?」
『いいえ。貴方は殿方として良い方でいらっしゃいますね。私の愚痴などにこれ以上付き合わせてしまっては、湯アタリをしてしまいますので』
 女はそう言って静かに消えた。
「やれやれ、本当にのぼせてしまいそうだな」
 赤い体を湯から上げると、すれ違いに数人の男達が入ってきた。こそこそと笑い合って、竹垣を指さしている。
 白鬼が風呂から上がる時、大女将が覗き目当ての男性客に金ダライを落としているのが見えた。

 ■■ その夜 ■■
 
 風呂に次いでの売りは、食事のようだった。大きな鯛と伊勢エビの舟盛りを中央に、並びに並んだその料理の数には紗希の目が輝いた程だ。
「すごいね、白鬼!」
「こりゃ旨そうだ。二人で食べきれるかな」
「それだけ大きなお体をしてますもの。大丈夫ですよ」
 配膳にやってきた仲居は、二人の声にニッコリと笑った。テーブルの脇の盆には、ビールを二本と『大吟醸』と書かれた一升瓶を添える。これで全てが出そろったようだ。
 パタリと戸が閉まると、紗希はホクホクとした顔を白鬼に向けた。
「この一升瓶もサービスなの?」
「ああ。置いていったと言う事は、そうなんだろうね」
「それじゃ早速、乾杯といこっか」
 二人は満面に笑みを浮かべて、グラスを手にした。
 だが──
 実は、板場の注文票が温泉幽霊──大女将の手によって『大吟醸・一』と書き足されていた事を、二人は気づく由も無かった。

 ■■ 帰路 ■■
 
「これで美人になれるかな?」
 宿を後にしながら、紗希は満足そうにフフッと笑った。
「弱ったな。蝶をカゴで飼う趣味は無いんだが、そうしないと飛んで行ってしまうかな?」
「何言ってんのさ。でも効果は男にもあるみたいだし、白鬼ももっといい男になれるよ」
「君が惚れ直す程にかい?」
 白鬼が片目をつぶると、紗希は照れて俯いた。
「惚れ直すも何も……」
 ──もう十分だよ。
 口を尖らせて小さく囁く紗希の言葉を、白鬼は聞き逃さなかった。
 温泉は十分に堪能、食事も素晴らしかった。『アトラス』の記事を頼って訪れた旅としては大満足と言える。
 が──
「結局、『良い事』の方は起こらなかったね」
 美人になるならないは別として、もう一つの触れ込みは全くのガセネタに終わったようだ。
 本当は、白鬼が女湯を覗かなかったと言う単純な理由と、その男気を見込んだ大女将からの『大吟醸』で片は付いているのだが、二人はそれを知らない。
 だが、果たして本当にそれ以外に『良い事』は無かったのだろうか。
 思い馳せるような眼差しで白鬼は笑んだ。
「そうかな?」
「あったの?」
 謎めいたその言葉に、紗希はわけが分からずキョトンとしている。
 ああ、と白鬼は内で呟いて笑った。
 お茶を入れた時に見せた紗希の和やかな笑みと細い指先。
 あの瞬間、白鬼は様々な記憶を思い起こしていた。
 道が平坦で無かったからこそ感じる、ささやかな幸せ。
 二人でこうして穏やかに過ごした時間こそ、『良い事』そのものでは無かろうか。
「アトラスに感謝しないといけないなぁ」
「……変な白鬼」
 訝しみながらも紗希は腕を回してくる。
 白鬼は片笑んで、空を見上げた。白い雲がゆっくりと流れて行く。今日も冬晴れのいい天気だった。



   終わり