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謎のメモ(必ず戻る)
●強行手段をあなたに
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
唐突なその声に、草間武彦は読んでいた新聞から顔を上げ、珈琲を運んできた女性に視線を向けた。目の前に居る女性――シュライン・エマはほんの少し、問い詰めるような口調で言葉を続けた。
「例の事件が一応の終結をみて、もう1ヶ月以上経ってるんだもの。まさかあれだけ皆に心配かけておいて、何にも説明しないなんてことはないでしょうね?」
例の事件――『虚無の境界』による『誰もいない街』を用いた心霊テロ事件のことだ。無論その事実を知る者はそう多くはない。現にひとまずの終結となった浅草での事件も、公には暴力団抗争ということで処理されていた。
もっともそれに疑問を感じ異議を唱える者や、月刊アトラスのようにそれとなく真相を流す者も居たのだが……このまま真実は闇の中、ということで落ち着きそうな気配である。
しかし、シュラインには闇の中に仕舞い込まれたくないことがあった。それは、草間が『誰もいない街』に取り込まれていた最中、どう行動していたのかということだった。
こちらへ戻ってきた草間に機を見計らっては聞いてみようとしたのだが、その度に草間は話題を変えたり席を外したりして何故か答えようとしなかった。救出時、『後でおいおい』と話していたくせに、だ。
そうして今日、さすがにシュラインもたまりかねて、先述のような言葉が出たのであった。
「……終わったことだろ。別にいいじゃないか、どうだって」
草間はそう言って渋い表情を見せた。そのまま珈琲に手を伸ばそうとしたが、シュラインがぺちっと草間の手の甲を軽く叩いた。
「ダメよ。ちゃんと話してくれるまで、この珈琲はおあずけ」
シュラインが珈琲を取り上げ、草間に背を向けた。
「おあずけって……俺は犬か?」
しょうがないなといった表情を浮かべ、代わりに草間はライターを手に取った。珈琲がダメなら、煙草でも吸おうというのだろう。
が、肝心の物が見付からない。そう、煙草だ。確か半分以上残ったのが机の上にあったはずなのだが、いくら見ても見当たらないのだ。
「おかしいな」
無意識に他の所へと置いたのかと思い、他の場所に目を向けてみた草間。その時、ふと零と目が合った。
「あっ……!」
草間が短くつぶやき、苦虫を噛み潰した表情を見せた。零の手に、探していた煙草が握られていたからである。
それだけではない。買い置きの煙草も、カートンごと零の背後にきっちりと並べられていたのだ。
「草間さん、おあずけです」
にこっと笑って零が言った。零だって草間のことを凄く心配していたのである。
「ナイスだわ、零ちゃん」
パチンとウィンクを送るシュライン。シュラインと零の連携プレイ、グッドジョブだった。
それからシュラインは再び草間の方へ向き直った。
「分かったでしょ、武彦さん。私だけじゃなくって、零ちゃんや他の皆も心配してたってこと」
「……心配してたのは分かってるんだがな」
草間は小さく溜息を吐いた。
「分かったよ。このまま話さなきゃ、そのうち酒まで取り上げられそうな勢いだしな……降参だ」
両手を大きく広げ、肩を竦める草間。それを見たシュラインと零は顔を見合わせて頷き合い、珈琲や煙草を草間の前に置いた。
●話せなかった理由
「言い訳になるが」
さっそく煙草を1本取り出し、草間はライターで火をつけた。
「こっちだって、どう話せばいいか迷ってたんだ。何せ、あそこはずっと夜だったからな……どのくらい居たのか知ったのは、無事に脱出出来てからのことだ」
それは確かに言い訳だったが、納得出来る部分もなくはない。時間の概念が失われていた環境でのことなのだ、説明しろと言われてもそれは少し難しいことだろう。
「ん……じゃあ、とりあえず姿をくらまして、最初にメモを置いた辺りのことを教えてほしいわ」
シュラインは数秒思案して草間に言った。
「メモか。だいぶばらまいた覚えもあるが……そうか、ちゃんと届いた物もあったんだな」
「あったから、こっちだって色々と動けたのよ。ねえ、零ちゃん?」
同意を求めるようにシュラインが言った。
「あ、はい。あの、家出の件はそうでしたよね」
家出の件――それは家出した高輪泉なる少女を渋谷で探し出した時の話だ。
「うん、泉ちゃんを保護した時の」
「ん? あの事件を解決したの……だったのか?」
草間が少し驚いたようにシュラインを指差した。
「ええっ!?」
だが、それ以上に驚いたのはシュラインの方であった。
「ちょっと武彦さん! 武彦さんだって、見てたでしょうっ? 私と泉ちゃんがあそこのラブホテル街で並んで歩いていた所……ほんの一瞬だったかもしんないけど」
「悪い……道玄坂のあそこは歩いた覚えはあるが、見ていないぞ」
煙草の灰を灰皿に落としながら草間が答えた。
「そんな……。じゃあ、あれは別人だったのかしら」
腑に落ちない様子のシュライン。もっともあの時のシュラインだって、それが草間だと100%確認出来た訳ではないのだから、無闇に草間の言葉を疑うことも出来ないのだけれど。
「……ん、いいわ。それはそれとして、その辺りのこと、とにかく何があったのか聞かせてほしいわ」
気を取り直し、シュラインが草間に言った。
●あるいは極めて希な偶然
「あそこに取り込まれることになった理由は、もう別にいいな? そもそも、話しててあまり気分のいいもんじゃない。あ、思い出したら腹立ってきた、くそっ……」
舌打ちする草間。この様子では、誰かがドジを踏んでしまったのかもしれない。……まあ想像はほぼつくけれど。
「それはいいわ。何より聞きたいのはメモのこと。どうやって、ここにメモを挟んでゆけたの?」
『誰もいない街』に取り込まれていたはずの草間が、どうして現実世界にメモを残すことが出来たのか。シュラインには、その辺りのことがどうも分からなかったのだ。
「ああ、そのことか」
ニヤッと笑う草間。すると零が不思議そうに言った。
「草間さん、何がおかしいんですか?」
「いや……きっかけは三下の奴だったからな」
「三下くんが?」
シュラインが怪訝そうな表情で聞き返した。三下はドジや失敗こそ数多いが、役立つようなことなど滅多になかったと思うのだが……。
「まず、あそこでは3人一緒に行動してたんだ。別れた後で再会出来る保証もなかったからな。でだ、その時三下が妙な行動を取ったんだ」
「妙な?」
「道すがら、自分の名刺を何枚もばらまいてきたんだ」
「……そのうちに、お菓子の家でも出てきたのかしら? 別に三下くんの妙な行動を聞きたい訳じゃなくって」
シュラインが呆れたように言った。
「眼鏡をかけた魔女は居たけどな」
誰かさんが聞いたら怒りそうなことを、草間が笑って冗談っぽく口にした。
「麗香の奴が『何してるんだ』って、叱り飛ばした訳さ。そりゃそうだ、わざわざ敵に自分たちの居場所を知らせてるようなもんなんだからな。慌てて回収するため引き返したさ。ところが……」
「敵に見付かってたの?」
シュラインが口を挟む。だが草間は否定するように頭を振った。
「数が合わないんだ。ばらまいた数と、回収した数が。最後の1枚を残して、その時は3枚足りなかったかな」
「拾われてしまったんですか?」
「いいや、最初はそうかと思ったが違っていた」
零の言葉もすぐに否定する草間。
「最後の1枚を回収しに行った時、その名刺は忽然と消えたんだ。俺たちの目前で」
「消えたの? ……って、ひょっとして?」
はっとするシュライン。草間が何故このような話を始めたのか、ようやく気付いたからだった。
「ああ。恐らく、こっちの世界に出てきたんだろう。何故そうなるのか、理由は全く分からなかったけどな」
「理由……」
シュラインは多少思い当たる節もあったが、あえてそれは口にしなかった。
●もう1つの謎
草間は吸いかけの煙草を灰皿で消すと、少し冷めてしまった珈琲に手を伸ばした。
「災い転じてと言うんだろう。それに気付いた俺たちは、メモをダメで元々の気持ちでいくつかばらまいてみた。渋谷の街中を中心にその他の場所……ああ、ここもだな。やりかけの仕事も気になったんでな。そして、いくつかのメモはなくなっていた」
「なるほど、ね。ここに残していったメモは、運よくこっちに来た中の1つってことね」
うんうんと頷きながらシュラインが言った。
「それを私が見付け、零ちゃんに詳しいことを聞いて……」
後はもうわざわざ口にすることもない。手がかりを元に渋谷に出かけ、何とか泉を見付けて説得して家に帰らせることに成功していた。
「メモが来てなかったら、まだ解決してなかったかもしれませんね」
零がそうシュラインに話しかけてきた。その可能性は大いにあるだろう。
「そうね、もしかすると悪い方に転がってたかもしれないわ。それを考えると……皆にとって、運がよかったのかも」
しみじみとシュラインがつぶやいた。これを強運と呼ぶべきか、悪運と呼ぶべきかは少し迷ってしまうけれど。
しかし、もう1つ分からないことがあった。どうして草間は中に入らず、メモを扉に挟んでいったのか。鍵がかかっていたとしても、いくら『誰もいない街』だとしても、鍵を持っていた草間なら入ることが出来ただろうに。
「ん、そのことか?」
シュラインが疑問をぶつけてみると、全く単純な答えが返ってきた。
「2人には下で待っててもらってたんだがな、鍵を開ける前に三下の悲鳴が聞こえてきて……メモだけ挟んで、慌てて戻ったんだ。それからしばらく走ったなあ」
苦笑いで答える草間。
「……なるほどね。三下くんが原因だったのね」
そういう理由であるのなら、扉にメモを挟んでいたことも納得出来た。
「あーあ、あの時散々悩んだのが馬鹿らしいわ」
溜息を吐くシュライン。けれど、こういうことも今こうして草間が無事な姿で居るからこそ言えること。シュラインもそれは自覚していた。
「ま、妙なことだらけだったさ。何だか、俺たちを見守るような気配もあったし、同じ場所を迷路のようにぐるぐる回ることになったり……もうごめんだね、あんな場所は。気も滅入る」
「だったら、いっそ気分転換してみれば?」
最後の方、愚痴っぽくなった草間に対し、シュラインはくすっと笑って提案してみた。
「それもいいな」
乗り気になった草間に、思い出したように零が言った。
「あ、そうだ。草間さん、昨日『無料だから』って、券をたくさんいただいたんですけど」
「へえ、何の券だ? 温水プールか? 遊園地か? ボウリングか?」
そう言ってから、珈琲の残りを一気に飲み干そうとする草間。零が笑顔で答えた。
「えっと……巨大迷路です」
草間は飲みかけの珈琲を、盛大に吹き出した――。
【了】
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