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<PCシナリオノベル(シングル)>


街角の二人
 死は、自分と同じ顔で其処に立っていた。

 申し合わせたかのような人の流れは、足を止めただけで目立つ。
 学生服の首元まできっちりと止め、イマドキの高校生らしからず生来の黒い髪を排気ガスの多量に混じった空気に揺らして、塚原庚矢は平均的な人々の群れから突出した。
「…ドッペルゲンガー?」
道の向こう、道路越しに自分を見つめる視線。
 ドッペルゲンガー…そのドイツ語の意味は『二重身』。
 欧州に於いて『影の病』と呼ばれる現象である。
 今、彼を見つめるその人物は、服装も顔の造作も全くに同じくし、ビル影が落とす陰が、間を抜ける車がなければ、結ばれた鏡像かと錯覚を覚える程に…それ以上に仕草も表情も、全くに異なる部分を見出せぬ程に自分自身としか言い様のない姿。
 それに気付く事が出来たのは、注がれる視線の熱のなさ…好意も敵意も感じられず、ただの物体として注視されているような、居心地の悪さの為だ。
「目前に現れると死期が近付いているというな…」
実体として己が姿を見た者は、三日を限りに命を落とすという。
 その不吉な伝承を知りながら、奇妙なまで素直にそれを受け止め…庚矢は口元に笑みを刻んだ。
 車の流れに遮られてか、道向こうの庚矢が動く気配はない。
「どうしたの、庚矢」
かなり先で、庚矢が立ち止まっているのに気付いた同道者の呼び掛けに首を巡らせた。
「用事が出来た」
言い様、反対方向へ足を向ける。
 黒い瞳に楽しげな感情と物騒な光とを器用に宿し、庚矢はひたすら自分に視線を注ぎ続ける己にあっさりと背を見せて、以降。
 彼は姿を消した。


 3日の間、沈黙を守らせていた携帯電話。
 庚矢は親指で電源を入れると、命を取り戻して光を点すディスプレイを眺め…待つ事、五分。
 着信を示す画面に切り替わるのに、コール音を待たずに応じた。
「もしもし?」
『……今、何してるの?』
まず名乗る、その基本的な礼すら欠くのに、電話先の主の怒りの深度は如何ともし難い域であるのだが、それは自分が起因しての事と思うと自然と頬が緩む。
 さほど時を置かずにかかってきた電話、彼女は折を見ては同じ番号にかけ続けていただろう事は想像に堅い。
「今は特には何もしてない」
『……そう、それで今は何処なの?』
ごく普通の会話…のはずだが、微妙に混じる間がその激情の程を示している。
「学校」
端的に答えて相手の反応を待つ…3日前に別れたその足で纏まった現金を下ろし、連絡が付かぬように携帯の電源を落として、足が付かぬよう細心の注意を払いながら…何せ彼の友人知人には情報収集に長けた人間が多く、生半可な逃亡では消息不明にすらなれない。
 別の意味でスリルに満ちた三日間を、自身の最後の目撃者である彼女がどんな思いで過ごしていたかは想像も容易だ。
 長い沈黙は、彼女の胸の内に怒濤のように渦巻く言葉、そこから最も効果的に心情を伝える一言を探っているのだろう。
 心のままに全てを吐き出してもいいのに、それをしない矜持もまたいい。
 そして、その一言の為に吸い込んだ息の気配を制するように、庚矢は押さえられない笑いで先んじた。
「俺の死ぬ所を、見てみるか?」
応えは待たずに、電源を切る。
 携帯から視線を揚げれば夕刻、斜陽の鋭さに窓枠の影が切り分ける鋭さで教室に伸びる。
 行儀悪く教卓の上に腰を下ろしたままの一段高い位置から見えるグラウンド、そこにぽつりとひとつ、影が落ちる。
 それが己の姿をしている事を、庚矢は疑いもしない。
 如何なる場所に身を置いても、いつの間にか視線を感じる先に認めた姿。
「ストーカーってのはこんなカンジか」
一人ごち、傍らにこれだけは自宅に取りに戻った荷を掴んで立ち上がる。
 細長い布、包まれた二振りの刀剣がまるで不満を示すように、金属の触れ合う音を立てた。
『趣味悪ィ』
 引き戸に手をかけた庚矢の一歩後、彼以外に生徒の姿はなく…無人であった筈が、黒髪に小柄な少年がいつの間にやら従うようについて来ていた。
「何がだ?」
対する庚矢はごく自然に問いを返す。
『だって庚矢なんかつけてみたトコでどーすんの?着替えが見たいとか、片時も目を離したくないとかだったらともかくさ』
『そちらの方が気色が悪いのう…』
それに応じる女性は印象的に整った造作と純白の髪を持ち、先に居れば目に止まらぬ筈もない…ましてや白ばかりの打ち掛け姿…地の白に銀糸で縫い込められた精緻な意匠が光の照り返しに誤った認識を破るが、学校という舞台にそぐわぬ事この上ない。
「俺の魅力は死も魅了するって事かな」
『厚かましい』
二人は異口同音に…彼を分かりすぎる程に理解している二振りの刀に宿る剣神は、主をにべもなくそう断じた。


 休日を前にした放課後とはいえ、校内に人の姿がなさ過ぎた。
 校庭へ出る昇降口、菱形に鉄線の入った硝子戸を大きく開け放つと、影は変わらずに其処にあった。
「………よぉ」
学生服の黒さに自体が影のように見えるのは、落ちかかる日に伸ばす影を持たずに居る為か。
「死神か?」
噂に聞く、と庚矢は笑顔で続けながら袱紗を解く…現れるのは二振りの剣。
 白と黒の拵えに対照に、陰と陽とを示すかの如く。
「目的を、教えてもらおうか?」
抜きはなった刃は、黄昏にも染まらぬ純白と漆黒。
 庚矢は無防備な足取りで影に…己の姿をした別の存在へと近付くが、彼はひたすらに庚矢に眼差しを注ぐのみで、いっかな口を開こうとしない。
「いつ見かけても制服だったからな…舞台を選んだつもりだが、気に入って貰えたか?」
担ぐように刃の背を肩にあて、軽口を叩く。
 その余裕は、故なきものではない。
 敷地の四隅を支点に、配された…呪符師である叔父直伝の呪縛符。
 が、本来ならば対象に直接貼り付けて効力を発揮する物の筈をアレンジし、結界符の要領で符の力の指向を線に変えて直線上に重なる点に足を踏み入れれば発動…するようにしてみたのだが、
『自分がひっかかったらどーするつもりだったの?』
カタ、と右の肩に負った妖刀・地后が鍔鳴りに先の黒髪の少年と同じ波動の意識を伝える…その疑問は最もだ。
「実は本当に使えるとは思ってなかったんだけどな」
『…………………』
人の姿ならば白髪の美女の形を取る、神刀・天后は剛胆とは決して呼びたくない主の気性に沈黙する。
「何故」
それまで黙していた、影を持たぬ庚矢が初めて声を発した。
「お前が其処に居る」
声だけに初めて感情が…否定が籠もる。
「同じ姿だ、同じ声だ…俺がお前でも問題あるまい」
「そんな同意を求められてもなぁ…同じ姿なら、気も合うかと思ったんだが…色々便利そうだし」
肩を竦める庚矢の呑気さが、一瞬で形を潜めた。
「残念」
その一言が、否定に返す庚矢の答え。
 主の静かな気の変化に反応し、神刀・天后で震える。
『小奴偽者の癖に生意気なのじゃ』
憤然とした言に、笑いを含んで地后が返す。
『同じ顔してる分気兼ねなくやれるけどな』
どこかわくわくとした気持ちを覗かせる語感に庚矢は地后を下ろした。
「…天后と俺とで片付けるか」
そのまま地面に置いた袱紗、その上に並べた漆塗りの鞘を取り上げるのに慌てる剣神。
『冗談だって。年寄りだけに任せられるかっての』
『なんじゃと?こわっぱ』
いつもの言い合いが始まるのに苦笑し、庚矢は双刀を両肩から離すとチキと小さな鍔鳴りに持ち手を変えた。
「こういう訳で二刀流ってのは苦手なんだが…少なくとも俺と同じ姿をしているからには相応に相手をしないとな」
口元に笑いを刻んだまま、庚矢はすいと前に踏み出すともう一人の自分の脇を抜け、長く伸びる影を引いて距離を取る、無防備な背。
 ふと、庚矢は中空に視線を向ける。
「解けたか」
口中に小さな呟きは、四点に配した符のどれかが破られた…結界の役も為していた彼等と別の人間が、敷地に入った事を意味する。
 同時にもう一人の庚矢も動きを見せた。
 己の動きを縛る術が解けた彼は、身を屈めて…何の抵抗もなく地面に肘までを入れる。
 否、彼は庚矢の影に手を入れていたのだ…そしてその両の手に一振りずつ、黒と白の拵えの刀が現れる。
『厚かましい!』
自身を模写された二振りの剣神は、異口同音に憤然とした響きまでを同じくさせた。
「……庚矢!?」
不意に。
 よく通る声に名を呼ばれた。
 視線を上げれば先まで庚矢自身が居た教室の窓が開かれ、長い茶の髪を持つ少女が名を呼んだ知れる。
 白いカーテンが風に揺れ、彼女の姿を際立たせた。
 一瞬、庚矢の気が逸れた機を逃さず、沈黙する両刀を構えた庚矢が距離を詰めた。
 黒の刀は右下から腰骨の位置、白の刀は肩口から袈裟懸けに振り下ろされた刃を身に触れる…事は適わなかった。
 上からの斬撃を払う妖刀に、真っ直ぐに突き出された神刀が、相手のそれよりも先に身を抉る。
 更に低く沈む陽に、更に濃さを増した影に血の色は見えない。
「苦手なだけに、自分の悪いクセってのはよく分かってるんだ」
防ぐべくを過たず。
「俺の分身にしては…器が小さかったかな」
 僅かに目を細め…庚矢はもう一人の自分の手から落ちる刀の音を聞いた。


 その身体は、千々に散って消えた。
「よぉ、咲夜」
庚矢は片手に刀を纏め持つと中空に手を掲げた…長い尾を持つ白銀の鳳凰が、その手を宿りに舞い降りる。
「さんざ探させて悪かったな」
微妙に不機嫌そうな鳥…親友の扱う式神に微笑で謝意を示す間に、その主が昇降口から駆けだして来た。
「…庚矢、無事ね!?」
時間から察するに、電話を切ってから慌てて学校まで来たのだろう…怪我の有無を検分する彼女に軽く手を広げ、庚矢は笑みを浮かべた。
「三日ぶりの逢瀬なのに、感動の再会と洒落こまないのか?」
彼女の代わりに、鳳凰がゲシッと庚矢の頭を踏み台に再び空に舞い上がる。
「……上から見た時、貴方がもう一人居たように思ったけれど?それが原因ね?」
女というのは何とも賢い。
 前後関係を知らなくとも、容易に真実のみを見出す能力に長ける…内心で舌を巻きつつ、「さあ?」と庚矢は肩を竦めてみせた。
「で、結構見物だったと思うんだけど見れたか?」
己を指差しての言に、彼女はこの3日を改めて思い出す…突然連絡が取れなくなったと思えば不登校の上行方不明、これと有力な情報も集まらずに事件が事故かと募る不安に漸く携帯が繋がれば不穏な発言で一方的に通話を切られ、学校まで出向いてみれば結界を破らねば入れない羽目に陥っていた上、悪趣味な感想を求められ…無言で背を向けると校舎に向かって歩き出す。
「……もう知らない!」
その語尾が少し震えている事に気付き、庚矢は少し笑うとからかいが過ぎたと内省しつつも改めるつもりはない。
「咲」
歩幅を広く、その背にすぐ追いつく。
「咲ちゃん、悪かった……心配したか?」
足を止めない咲を背から柔らかく抱き締め、問う。
 逃れる様子はなく、咲はほんの少し俯き加減にしていた顔を上げ肩越に庚矢の顔を見た。
 黒い眼差しは浄く、強い。
「厚かましいわよ」
そのにべもない物言いに、剣神達が笑っているのが聞こえた。