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砂の器〜愛で空が落ちてくる〜
■ プロローグ・桜田門のその奥
──千代田区霞が関2丁目1番1号。
そこに、先端を切り落とした三角柱といった外観を持つ巨大なビルがそびえている。
日本が誇る警察機構の大本営、警視庁本部である。
通称は桜田門。
目の前に江戸城内郭門のひとつである同名の門があるため、いつからか通り名としてそう呼ばれているようだ。
この門自体の名は、万延元年(1860年)、時の大老井伊直弼が水戸、薩摩の浪士達によって暗殺された事件、桜田門外の変で知っている人も多いだろう。
そして今、その場所にかつての侍達と同じ気持ち……かどうかは知らないが、とにかく2名の人影が立ち、警視庁という名の鉄の城を見上げていた。
1人は一抱えもあるアフロヘアと赤いジャケットが印象的な男で、名前はアフロ中畑武。そのまんま名が体を表している。
そしてもう1人が、切れ長の瞳を持った中性的な女性だった。
名は、シュライン・エマ。
翻訳業をこなすかたわら、ときおりちょっぴり秘密でゴーストライターなどにも手を染め、さらには草間興信所で事務のバイトなどもしている苦労肌の才女である。
全体的に颯爽とした印象なのだが、今、その顔は苦悩とも疲れとも取れる微妙な表情に覆われていた。
「……武彦さんが捕らわれているのは、本当に”あそこ”なのね?」
「ああ〜、そうだぜシュラインちゃぁ〜ん。ヘロヘロになって出てきた北波のダンナを抱えて、スタコラ逃げたんだからよ〜ぅ」
「……そう」
アフロの言葉にため息をつき、ふと視線を落とす。
やはり、行くのはとてつもなく気が重かった。
が、しかしそれでも行かねばならない。草間武彦を助ける……そのために。
「じゃあ、行きましょう」
「おぉ〜ぅ、目的地は地下の警視庁特殊(……な趣味)部隊本部だぜシュラインちゃぁ〜ん!」
「……」
彼女の足がものすごく重い理由が……それであった。
■ 捕らわれの子羊・草間の操大爆発2秒前
「ふふふ……ムッシュー草間……私の前に舞い降りたダンディーな天使……もう離さないよ……ジュテーム……」
暗い中に、低い声がこだました。
渋さに加えてふんだんに男臭さを封じ込めた雰囲気を持った美声は、往年の名優テリー・サバラスの吹き替えや、紅の豚のポルコ・ロッソの声で知られる森山周一郎氏にどことなく似ている。
照明が落とされた室内には、黒人男性ボーカリストのバラードが甘く切なく流れ、中心にぽつんとひとつ、真っ赤な皮張りの立派なソファが置かれていた。
部屋の中で、そこのみにムーディな色彩のカクテルライトが当てられ、闇の中に浮かび上がっている。
上には、人影がふたつ。
片方は、我らが草間名探偵である。
が、いまや彼は誰が見ても大変な状況に陥っていた。
口には穴のあいたボール状の緘口具(かんこうぐ)が押し込まれ、全身は芸術的とさえ思える荒縄のテクニックでもってがんじがらめに縛られて、完璧なまでに動きを封じられている。
髪は乱れ、服もそこはかとなくはだけられ、ただ、
「んむぅ〜! むぅ〜!」
と、首を振る姿は、普段からは想像もつかないあられもない格好だ。
一方、その草間をソファに腰掛けた自らの膝の上に乗せ、片手で年代物のワインが注がれたグラスを揺らしながら、魅力的な笑顔でもって見下ろす紳士……
オールバックで固められた、一分の隙もない銀髪。
流し目のよく似合う瞳は、宝塚も真っ青の、7色のラメの入りまくったアイシャドウで縁取られている。
着ている衣服は、アイドル時代全盛期の西城秀樹か、沢田研二を彷彿とさせる程にハデハデでピカピカだ。
胸元は大きく開けられて、下からよく鍛えられた筋肉と、セクシーダイナマイツな淡い胸毛が覗いている。
ただし、下半身はそれらとはまるで別次元であり、身につけているのは穢れを知らぬ純白のハイソックスと、同じく清純さもまぶしいBVDのブリーフ……それだけであった。
ありとあらゆる意味で敵に回したくないと、一目で老若男女、国内外、異星人から微生物にまで瞬時にそう思わせるミスターダンディー美中年……
彼こそは警視庁の最終奥義にして秘密兵器、犯人検挙率、事件解決率が共に100%を誇ると恐れられた最強軍団、警視庁特殊(……な趣味)部隊総司令長官、美神小次郎(みかみ・こじろう)警視正その人である。
チームワークが必要とされる警察活動において、彼らだけは全てのしがらみに束縛されず行動できる特権を与えられているのだが、常に自分達の美意識にのみのっとって行動するため、ややこしいときにしか顔を出さないという、本当にややこしい集団だ。
実は、草間が受けた警察からの講習依頼というのは、彼らの仕掛けた甘い罠であった。
彼の手腕を高く評価した小次郎長官が、是非にスカウトしたいと勧誘することを決め、それが今現実に行われている真っ最中というわけだ。
手段としてはかなり強引であるが、これが小次郎のいつもの手……というか趣味なのだからしょうがない。
「……草間君、君と私との間には、運命と愛と友情と宿命という名で結ばれた、太くて長い赤い糸の姿がはっきりと見えるよ……君にも見えるだろう?」
「むぅー!! んんぅーーー!!」
「うんうん、そうだろう、そうだろうとも。私もうれしいよ。ジュテーム……」
「んんんーーー!!!」
ぶんぶんと首を振り続ける草間に代わって、勝手に自分で通訳をする小次郎長官。
熱っぽく獲物を見つめる瞳からは、本気の2文字しか伝わってこない。
「さあ、君もいよいよ私のものだ。隊員になった暁には、特別に君の名前入りの木綿のブリーフを進呈しよう。身体ばかりか心の隅々までジャストフィット間違いなしだよ……ジュテーム……」
「んぐぁーーーーー!!!」
どこから取り出したのか、1本の羽ボウキを取り出して草間の首筋をくすぐりながら、うっとりつぶやく。
草間はもちろんわめきちらすが、気にも留めていない様子だ。
やがて、その首筋へと、小次郎の真っ赤な唇が舞い降りていく。
「むむむぅーーーーー!!!!!」
あと数センチで、それが届こうとしたとき──
「……ん〜、長官、ご公務の最中に申し訳ないのですが、この階に賊が侵入した模様です……OK?」
ふいに部屋の一点にスポットライトが降り注ぎ、そこに1人の男の姿が浮かび上がった。
目を閉じ、両手で自らの身体を抱きしめるようにして、悩ましげに身をくねらせるポーズを取ったその姿。
やっぱり顔には特上に派手なメイクと、キンキラなジャケット、下半身はハイソックスにBVDのブリーフのみという衣装は、特殊(……な趣味)部隊の正式採用の制服だ。
ただし、口には紫に咲き誇る一輪のバラを咥えているのが一味違う。
彼の名は耽美小五郎。
警視庁特殊(……な趣味)部隊の実動隊長であった。
「……ふむ、それは無粋だね……ジュテーム……」
報告を受け、小次郎もすっくと立ち上がる。
もちろん膝の上の草間の身体は、丁寧にソファの上に横たえられた。
その草間はというと……精神的に追い詰められたせいか、あるいは自らのアイデンティティが崩壊したのか、白目を剥いて気を失ってしまっている。
「いかがいたしますか長官……OK?」
「ふっふっふ。決まっているじゃないか小次郎君。イケナイ人にはお仕置きだよ……ジュテーム……」
何のつもりか、次々におかしなポーズを取りながら、そんな会話をする2人の男……
そしてふいに照明が落とされ、その場から全ての気配が……消えた。
■ 侵入そして決戦・草間争奪特殊バトル
「……静かね」
広い廊下を歩きながら、シュラインがつぶやいた。
案内図に間違いがなければ、ここは特殊(……な趣味)部隊本部のあるフロアのはずである。
存在が極秘のはずなのに、受付で場所を聞いたら、そこにいたお姉さんが明らかに嫌そうな顔をして直通の専用エレベーターの場所を教えてくれた。
あとはそれに乗って一直線。警視庁に入ってわずか数分で、敵の本部に辿り着いた事になる。
エレベーター脇のフロア案内図にも、赤丸付きで「おいでませ特殊(……な趣味)部隊本部へ☆」とか書いてあったりして……えらいオープンな極秘もあったものだ。
とはいえ、さすがに”特殊”などと冠されているだけあって、やはり普通ではない雰囲気が漂っている。
地下なので廊下に窓がないのはまあ当然として、磨き抜かれた床や、所々に立つ太い柱は、見たところ全て天然の大理石のようだ。天井の照明など、冗談みたいに大きなシャンデリアである。
幅10メートルはあろうかという廊下は長く続いており、緩やかにカーブしていて先が見通せない。
そしてその両端には、ギリシャ彫刻を思わせる筋骨たくましい男性の裸像が等間隔で立ち並んでいた。
……まるで古代文明の神殿か何かを思わせる程の豪華さである。
「こんなものが私達の税金で造られているのかと思うと、めまいがするわね……」
「そうかい〜? もし倒れるんなら、いつでも胸を貸すぜシュラインちゃぁ〜ん」
「……結構よ」
返事の代わりに殴ってやろうかとも思ったが、やめた。今はアフロ相手にパワーを無駄に消費するべきではない。
なにしろ、この先さらに無駄で恐るべきパワーを秘めた連中と一戦を交えなければならないのだから。
できれば顔を合わせず、草間だけを見つけてさっさと帰りたかったが……おそらくその願いは叶うまい。
シュラインはそんな予感……というかもはや確信を持っていたのだが、やはりそれは正しかった。
──ブロォォォォォォォォォォ……
遠くから、低く聞こえるエグゾースト・ノイズ。
「な、なんだぁ〜?」
「……車……みたいね」
2人の表情に、緊張の色が走る。
音は加速度的に大きくなり……そして通路の彼方から、それが姿を現した。
車は、真っ赤なフェラーリ360スパイダー。
V8エンジンの鋭い咆哮を上げつつ大地を駆ける美しき鋼の獣だ。
ガブリオレ、つまりオープンカー仕様の運転席でハンドルを握るのは、警視庁特殊(……な趣味)部隊実動隊長の耽美小五郎。
そして長官である美神小次郎は、走るフェラーリのボンネットの上にいた。
気だるげに、しかしあくまで優雅に横たわり、じっと前方にアンニュイな視線を送っている。
それを見ただけで、もうお腹いっぱいになったシュラインだったが……
「……」
助手席に縛られた草間の姿を見つけ、なんとかくじけそうになる心を支える。
けたたましいブレーキ音と共に、大きくドリフトした車体が2人の眼前で横向きに停止した。
ほどなく、ひらりと華麗に車から舞い降りる2つの影。
言うまでもなく、小五郎と小次郎である。
「……君達だね、私達の秘密の花園に迷い込んだイケナイ子猫ちゃん達というのは……ジュテーム」
「ん〜、そんな君達には、とっておきのご褒美をあげちゃうぞ……OK?」
手を取り合い、くるくると踊りながらそう告げる両名だ。
「……単刀直入に言うわ、武彦さんを返して頂戴。そしたらおとなしく帰るから」
どこか遠い声で、シュラインが言った。できれば会話などしたくないが、話さないと意思は伝えられない。
が、小次郎はふぁさっと髪をかきあげると、
「……断る」
きっぱりと、言った。
「ミスター草間は実に素晴らしいスゥイートハニーだ。是非私達の一員として活躍してもらいたいと思っている。もう既に彼のユニフォームもオーダーメイドで用意したしね……ジュテーム」
「……おーだーめーどって……」
ふと、純白ブリーフにハイソックス姿で変なポーズを取る草間の姿を想像しかけて……慌てて首を振った。
「だ、だめっ! 絶対そんなのだめっ!! だいいち武彦さんがそんなの引き受けるわけないでしょっ!!」
「ふっ、なぁ〜に、最初は少々恥じらいと戸惑いを感じるかもしれないが、そんなのはじきに慣れるよ。皆そうだ。朱に交わればまっかっかと言ってね……ジュテーム」
「何言ってんのよ! 武彦さんを勝手に染めないでっ!!」
「……ん〜、だが、染まるか染まらざるか……それを決めるのは、あくまで彼自身の自由意思だよ。君に止める権利などない……そうじゃないかい……OK?」
「何が自由意思よ、誘拐しといてよく言うわ。おまけにどうせ洗脳しようとか思ってるんでしょ。そうはいかないんだからね。いくら相手が警察でも、やっていい事と悪いことがあるわ。横暴な権力とは、徹底的に戦ってみせるから覚悟なさい!」
「……ほう」
「……ふーむ」
「……へぇ」
強い調子で反論してのけるシュラインに、小次郎、小五郎、そして隣のアフロまでもが、感心したような声をあげる。
「な、なによ……」
「……これは……愛かな、小五郎君」
「ん〜、愛ですねぇ……小次郎長官……」
「愛なんだねぇ〜、シュラインちゃぁ〜ん」
「お、おおおおだまりっ!!!」
3人の台詞に、シュラインの顔が一瞬にして赤くなった。
「とにかく! 武彦さんは返してもらうわよっ!!」
「ふふっ、そう言われて、はいそうですかとマイスィートを返せると思うかい……ジュテーム」
「マイスィートとか呼ぶんじゃないっ!」
「……元気のいい子猫ちゃんだ。ならこっちも、元気のいいのをいっぱい出しちゃうとするかね……ジュテーム」 と、小五郎に流し目を送る長官。
それを受けて、小五郎の腕が上がり、指が鳴らされた。
石造りの廊下にその音が高く響くと……そいつらが動き出す。
立ち並んだ彫像と思われたオブジェは、全て特殊(……な趣味)部隊の精鋭だったのだ。
「さあ、僕達と共に素敵な夢を見よう……」
「僕達の大きな愛で、君達を包み込んであげるよ……」
「心の触れ合いって素晴らしい……そう思わないかい……」
「僕は君と出会うために、生まれてきたんだよ……」
口々にそんな事をつぶやき、あんこと生クリームと生卵と大トロとマヨネーズを混ぜたくらいに濃ゆくてドロドロでコテコテなポーズをとりつつ迫ってくる純白ブリーフ軍団。
心臓の弱い者が見たら、それだけでもう天に召されるかもしれない。
全身にモザイクをかけてもなお足りぬ程の視覚的感覚的神経的精神的暴力である。
「しゅしゅしゅ、シュラインちゃぁ〜ん。どどどどうするんだぁ〜い?」
完全に雰囲気に飲まれたアフロが、情けない声を上げて尻込みする。
「どうするって……戦うしかないでしょ」
「あ、あれの相手をするのか〜い?」
「大丈夫、人間死ぬ気になればなんでもできる……と思うわ。だから……がんばってね」
と言いつつ、怯えるアフロの手をぐっと捕まえるシュライン。
「え? あ、あのがんばってって……シュラインちゃぁ〜ん?」
「がんばってあんたが戦うのよ! それいけーっ!!」
「わきゃーーー!!」
言うなり、ブリーフ&ハイソックスの群れの中に、アフロを思いっきり蹴りこんだ。
「ふふふ、ほぉ〜ら、捕まえた〜」
「もう離さないぞ〜」
「さあ、こんな服なんか全部脱ぐんだ。虚飾の仮面など、僕達には不要だよ……」
「ひぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃぃぃ〜〜〜!!!!」
アフロの悲鳴が空気を切り裂き、すぐに薄れていく。
「……やっぱり役に立たないわね……あれじゃ」
瞬く間に取り押さえられ、とても正視できない”取り調べ”を受け始めるアフロを横目で見て、冷静にそうつぶやくシュラインだ。
……仕方ない、こうなったらあの手しか……
気乗りはしなかったが、自分の力ではどうすることもできないだろう。
シュラインは、最後の手段へと手を伸ばした。
ポケットの中の、小さな物体へ。
取り出されたそれは……銀色の円筒。金属製の笛だ。
すぐに口に当て、吹かれたが……
「……」
音は、まったくしない。
が、しかし、まもなく背後でチーンとエレベーターが到着した事を知らせるや、
「お呼びですかー、シュラインさーん」
トコトコと、零がやってきた。
そう、今彼女が吹いたのは、零を呼び寄せるための”零笛”であり、犬笛と同じく人間の耳には聞こえない高周波の音波を発する仕組みだったのだ。
ご存知の通り、零は旧日本軍がその粋を結集して開発した最終兵器少女である。
その戦闘力のポテンシャルならば、十二分にこの軍団と戦うことができるだろう。
さらに、彼女の穢れなきまっすぐな心は、特殊(……な趣味)部隊の言動も行動も存在自体も素直に受け止めて、単に「そーいう人達」としてあっさり認識、ショックを受けることもほとんどない。
これは前回の「萌え皇帝」達との戦いでも実証された事であった。
ただ……いたいけな少女をこんな奴らにぶつける事には多少の抵抗はあるが……
それでも、シュラインはこの方法を選んだのである。
ひとえに……草間を助けるために。
決してシュライン自身が”あんなのの相手なんか絶対したくない”と心の底から思ってるから、なんて理由ではない……はずだ。たぶん。おそらく。
「零ちゃん! というわけで、こいつらの手から武彦さんを救い出すの! いい?」
「……えっと……よくわかんないですけど……はい、了解です」
コクリと頷いて、ブリーフの群れへと進みかけたが、ふと、一旦立ち止まって振り返る。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なに、零ちゃん?」
「その、草間さんを助けるのって……やっぱり”愛のため”なんですよね?」
「……は?」
いきなりな質問に、目を丸くするシュラインだ。
どうやら、先程の小次郎達の台詞が彼女には聞こえていたらしい。
「うむ、もちろんだとも……ジュテーム」
「ん〜、愛とは、決して恐れない心なのだよお嬢ちゃん……OK?」
「……なるほど、深いですね。勉強になります」
「なな何納得してるのよっ!! そんな事勉強しないでいいのっ! あんた達も零ちゃんに変なこと吹き込まないで頂戴っ!!」
「……ほら、こうやって落ち着きをなくしていることが、暗に認めているという事なのだよ……ジュテーム」
「あ、あんたらねぇ……」
おかしな話の展開に、またシュラインの顔が朱に染まった。
「……」
そしてその様子を、零が興味津々といった顔でみつめている。
「零ちゃん、騙されちゃだめよ! これが奴らの手なの! 聞く耳持たずにやっつけちゃって!!」
慌てて、目の前の2人を指差し、叫んだ。
……これ以上こんな話を零に聞かれるのはかなり恥ずかしい。
「はーい」
にっこり笑って、霊が素直に従う。
「……ふっ、小五郎君、なにやら今日は良き日だよ。さあ、愛のために戦おうではないか」
「ん〜、そうですねぇ、長官。さあ、ものども、共に手を取り、心のままに舞い踊るぞ。愛のために……OK?」
小五郎の声に、周りのブリーフ達が一斉に「愛」「愛」「愛」と連呼を始める。
「愛のためにー!」
零までもが、一緒になって言い出して……
「だーっ!! もうあんた達黙んなさいっ! 零ちゃん! 遠慮することはないわ! そんな奴ら、もう片っ端からズボンはかせて再教育よっ!!」
……1人、シュラインのみが顔を真っ赤にして叫ぶのだった。
世にも恥ずかしい”愛のための戦い”は、それから数時間にわたって繰り広げられ……その一部始終を記録した報告書は、警視庁の金庫の奥深くに”最重要機密、閲覧禁止”のスタンプを派手に押されて、永遠に封印される事となったという……
■ エピローグ・さまざまな愛の行方
「……私の声が聞こえますか……貴方の名前は……?」
「草間……武彦……」
「職業は、なんですか?」
「……興信所を……やっている……」
「では、ブリーフをどう思いますか?」
「……う……うぅぅ……あ、頭が……」
その言葉に反応して草間が頭を押さえ、脂汗を流し始めた。
「……だめね。もう少し時間をかけて、ゆっくりやりましょ」
「そうですね」
頷いて、零が草間の顔の前で揺らしていた振り子を止める。
場所は、昼下がりの草間興信所。
何をやっているのかというと……催眠治療である。
警視庁特殊(……な趣味)部隊に拉致され、特殊過ぎる”取り調べ”を受けたため、草間の心は雨の日に捨てられた子猫のように傷ついていた。それを癒すために、シュラインと零が催眠をかけてその記憶を消そうとしているわけだ。
「大丈夫ですよ、草間さんは基本的には強いですから。これくらいならすぐに復活するはずです」
「……だといいけどね」
零の台詞に、わずかに苦笑するシュライン。
その点については、もちろん彼女も信用している。
草間の強さ、タフさを。
そして、次々におかしな事件に巻き込まれてしまう、どうしようもないほどの運の悪さもまた。
しかし、それらも全て含めてこその、怪奇探偵草間武彦なのだ。
シュラインは、その事をよーく知っている。
「ねえ、零ちゃん」
「はい、なんでしょう?」
ふと、シュラインが零へと振り返った。
「今、武彦さん、催眠状態なのよね」
「ええ、そうです」
「ということは、何か質問したら、正直に答えると思っていいのかしら?」
「まあ、一応……」
「……ふーん」
それを聞いたシュラインの顔に、悪戯っぽい微笑が浮かぶ。
「何か聞きたい事でも?」
「ふふ、そうねえ……色々あるけど、とりあえず……」
と、そこで一旦草間のデスクへと赴き、ゴソゴソと何かを取り出して戻ってきた。
「この前資料に紛れてるのを偶然見つけたんだけど、これって何かしら?」
そう告げて草間の目の前に突きつけてみせたのは……1冊の分厚い本だ。
表紙には”世界メイド服大全”とあり、金髪碧眼のメイド服美少女が微笑んでいる。
「……う……」
一瞬、草間はビクリと身体を震わせ、
「あ……頭が……頭が……」
か細い声で、うめき始める。
「なにか、言いにくい事のようですね。今はあまり精神に負担をかけるのもどうかと思いますけど……」
「……そう、なら質問を変えようかな。そうねえ……初恋の相手の事とか」
「ぐぅ……」
聞こえているのかいないのか、目を閉じた草間が、また喉の奥で押し殺したような声を上げる。
「そんな事……聞いちゃうんですか?」
「あら、零ちゃんは知りたくないの?」
「……えっと……それは、まあ、その……」
「普段なかなか聞けない事を聞ける、またとないチャンスだと思うけどな」
「…………そう、ですね……」
チラリと草間を見て、遠慮がちに小さく頷く零。が、その瞳は好奇心にキラキラと輝いていた。
なんだかんだいっても、この辺は女の子である。興味がないわけがない。
「この際だから、色々聞き出しちゃいましょ。武彦さんの秘密を」
「……いいんでしょうか……」
「いいのよ、助けてあげたんだから、その位の役得がないとね」
「はあ……」
そんな事を言い合って、零はちょっとだけ困ったように、シュラインは楽しげに微笑むのだった。
「……」
一方の草間は、タラタラと脂汗を流していたが……無論催眠状態なので抵抗のしようもない。
果たしてこの状態で、彼は助かったと言えるのだろうか。
……少々、疑問かもしれない。
この後、翌日には草間もすっかり元通りになり、興信所にはいつもと変わりない風景が戻って来たとの事だ。
何故かシュラインと零が、ときおり草間の方を見ては含みのある笑顔を浮かべていたそうだが……草間には何故なのか、さっぱりわからなかったらしい。
なにしろ、都合の悪いことは全部”忘れて”しまっていたのだから。
──暗い部屋に、スポットライトの明りが灯った。
浮かび上がったのは、豪華な皮張りのソファと、それに座る2人の男である。
いや、正確には、座っているのは1人で、もう1人は華麗なる荒縄の技でもって全身をがんじがらめに縛られ、口も猿轡で封じられて、座った男の膝の上に横たえられていた。
片手で年代物のワインが注がれたグラスを優雅に揺らしつつ、愛しい子猫を撫でるかのような手つきでもって膝の上の男の頬をくすぐる美中年……それは言うまでもなく、警視庁特殊(……な趣味)部隊総司令長官、美神小次郎その人である。
「……ムッシュー草間は惜しかった……がしかし、シュラインと言ったか、あのマドマァゼルの手腕もなかなかに鮮やかであった……彼女が男だったなら、総力を上げて我が部隊に勧誘するものを……ああ……何故に神はこの世に男と女などという2種類の性を作りたもうたのか……恨まずにはいられない……ジュテーム……」
「んむぅーーー! むむーーー!!」
「ん? ああ、もちろん君のことも忘れてはいないよ。安心してくれたまえ……ジュテーム……」
声を上げてモコモコと動く男に歯を光らせて笑いかける小次郎だった。
膝の上の男とは……なにを隠そうアフロである。
「ここで会ったのも何かの縁だ。特別に我が部隊への体験入隊を許そう。しばらくねっとりと楽しんでいってくれたまえ……ジュテーム……」
「むーーーーー!! ふんむーーーーーー!!」
「はっはっは。そう喜ばないでくれたまえ。お楽しみは、まだまだこれからだよ……ジュテーム……」
「むぐぁーーーーーーーー!!」
……アフロの叫びを通訳すると、助けてぇ〜! シュラインちゃぁ〜ん!! と言っているようなのだが……
残念ながら、そのシュラインはというと、彼のことなどもうすっかり忘れているので、草間と違って救出の手は永遠にやってこない。
「……さあ、まずは俗世にまみれたその衣服を脱ぎ捨てるがいい。そして身も心も、この真っ白なブリーフとハイソックスのように生まれ変わるのだ……ジュテーム……」
「ふぐぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
魂震える、絶叫。
それが尾を引いて消えていくのと同時に、部屋の照明もまた、落とされる。
光差さぬ暗闇の中で、一体何が始まるのか……
……さらばアフロ中畑武。僕らは君の雄姿を忘れない。
──合掌。
■ END ■
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