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ある夜の出来事
■ 妖女と会長・危険な情事
──夜。
誰もいない路上に、空気を切り裂く音が響いた。
2度、3度とそれが連続し、その度にアスファルトに深い溝が穿たれ、街路樹が根元からへし折れる。
まるで名も知らぬ不可視の獣が、怒り狂って暴れているかのようだ。
ふと、中天にある月に雲がかかり、世界が薄く陰った。
破壊の音が止み、わずかな風が流れる。
それが通り過ぎ、再び雲間から差した月光があたりを照らすと……そこに忽然と1組の男女が姿を現していた。
女の方は濃紺のメイド服のようなものに身を包んだ、金髪碧眼の美女だ。
年の頃は、10代後半から、20代といった所だろうか。
口元に浮かべた花のような微笑と、整った顔立ち、抜けるように白い肌……
いずれも1級品であり、男性のみならず、女性であっても一目見ればため息を漏らすのではないだろうか。
……が、しかし。それらの全てには、人間らしい”温度”がまったく感じられない。
確かに美しい、美しいが、それはあくまで形だけであり、見る者には正体不明の不安しか与えない冷たさを秘めている……そんな美貌と容姿だ。
名は、ミラルダ・マクラミラン。
今、彼女は青く澄んだ瞳で、じっと前方を見つめていた。
そこに……男がいる。
こちらは大体、40前後といったところであろうか。壮年の、偉丈夫である。
高い上背と、ぴしりと伸びた背筋は、いかにも高そうなスーツに包まれていた。
胸板も厚く、がっしりしており、ほれぼれするような体つきだ。
そして、その上に太い微笑を結んだ顔が乗っている。
自信と、余裕と、男臭さを結集したかのような表情と雰囲気は、誰が、どこからどうみても、只者ではないと思うだろう。
実際、いくつもの会社を裏から表から巧みに操り、その全てを成功へと導いているという実績もあった。
鋭すぎる手腕と、凄まじいまでの実力から、人は畏れと尊敬の念を込め、こう呼ぶという。
──凍れる獅子、荒祇天禪(あらき・てんぜん)と。
「……さすが、ですわね。こちらの攻撃がまるで当たりません」
微笑んだまま、どこかうっとりとした声で、ミラルダが口を開いた。
「ふっ、当たったら痛そうなのでな。こう見えて、痛いのは苦手なのだ」
一方の天禪も、やや楽しげな声でそうこたえる。
「まあ、ご冗談を」
「冗談ではないさ」
「ふふふ、そうですか……それならば、なるべく痛くないように、殺して差し上げます」
「そうか、できればそうしてもらえると助かる」
「では……まいります」
と──その瞬間、ミラルダの姿がかき消えた。
「ふむ、情熱的な娘だな」
頷く天禪は、落ち着いたものである。
はっきり殺すと告げられているのに、まったく気にした風もない。
「さて……」
笑みと共に、低くつぶやく。
そして、その身体もまた、不意に姿を消した。
──ドコッ!!
間を置かず、まさにその部分のアスファルトが大きくめくれあがり、破片を撒き散らす。
続けざまに、ビルの壁面が、電柱が、分厚い強化ガラスのショーウインドウが次々に破壊音を上げ、砕けた。
常人の目には一切映ることのない、超高速の戦いである。
が、一方的に攻めているのは妖しきメイド、ミラルダの方であり、天禪はただ、その全てを余裕を持って交わしているだけだ。
「……どうしました? 抵抗なさらないおつもりなのですか?」
声のみが、静かに流れる。
「ふっ、女性に拳を向けるのは、やはり男として気が引けるのだよ、お嬢さん」
「……なるほど、それは良い心がけですね。ですが……」
轟音と共に、再びアスファルトが弾け飛ぶ。
「私は、遠慮など致しませんよ……」
しゃがみ込んだメイド姿の腕が、肘まで道路にめり込んでいた。
立ち上がると、土くれと共に、ゆっくりと両腕が引き出される。
一体、その細い身体のどこにそんなパワーを秘めているというのか……
が、天禪は天禪で、相変わらず余裕の表情を崩さず、
「うむ、結構だとも」
平然と、そうこたえていた。
一瞬前まで自分が立っていた地面を深くえぐった女性に、じっと目を向けながら。
「ひとつ、ご忠告差し上げますわ」
「ほう、何かな?」
「いくら貴方様でも、激しく動き続ければ、いつかは疲れるでしょう。ですが……私はそのようなことはありません」
「ふむ、そうなのか。それは困った」
「……気のせいか、まるで困っているように見えませんが……」
「ふっ、実はそうだ」
「まあ、嘘はいけませんね」
「すまんな」
「ですが、その余裕……憎らしいほどに惹かれます。ますます、貴方が欲しくなりました……」
「ふふ、実に刺激的な言葉だな。恐れ入る」
「紛れもない、私の本心ですわ……天禪様……」
魅力に溢れた男の笑みと、冷たい微笑……
同じようで、180度異なった2つの笑顔がその場に生まれ……次の瞬間、またもやミラルダの身体が消失した。
「……ふふふ」
間を置かず、天禪の頭上で声。
逆さまに宙に浮かんだメイド姿が、大きく片手を振り上げ──振った!
気付いているのかいないのか、天禪は避ける気配もない。
──ガッ!!
硬い音が、夜気を震わせた。
「……では、そろそろ有意義な話とやらを聞かせてもらおうかな、お嬢さん」
言いながら、ようやく上を見上げる天禪。
世にも美しい女性の顔が、そこにあった。
ビルの壁面すら砕いた彼女の魔手は、あっさりと天禪の手に受け止められている。もちろん片手でだ。
「……」
逆さまに片手を取られた姿勢のまま、メイド姿は身体を折り曲げ、今度は膝蹴りを放つ。
「おっと」
天禪は寸前で首を傾けただけで、それをやり過ごした。
髪の毛1本分の距離を置いて、破壊の衝撃が駆け抜けていく。
勢いのままに空中へと飛んだミラルダが、一回転して地上に降り立った。
「……なんて恐ろしい方……」
さすがに顔から笑いが消えている。が、代わりに天禪を見つめる瞳からは、より一層危険な輝きを放ち始めていた。
「天禪様……私の胸を熱くさせる方……どうしても、私は貴方が欲しい……あなたの血を、肉を……魂を自分のものにしたい……ああ……食べたい……今すぐに食べてしまいたい……」
うっとりとつぶやくメイド姿。
対して天禪の方はというと、わずかに苦笑じみた笑みを浮かべ……それだけであった。
「俺と話をするのではなかったのかな、お嬢さん」
「気が変わりました。どうしてもというのなら、私の五体をバラバラにして下さいませ。そうでもされないと、私の今の心は、とうてい収まるものではありません」
「……やれやれ、随分と過激な申し出もあったものだな」
「お手数をかけるようで申し訳ありません。では……まいります」
優雅な姿勢で一礼すると、真っ直ぐに天禪へと飛びかかるミラルダだ。
表情にも、行動にも、迷いや遠慮などといったものは一切感じられない。
「……仕方ない、か」
ある意味一途とも言えるその姿に、天禪も静かに頷いた。
目前まで迫ったメイドから繰り出される腕の一撃。
わずかに下がり、紙一重でかわした天禪が──
「むん!」
気合と共に、ついに拳を繰り出した。
ただし、それはミラルダへ向けてではなく、その直前の地面へと向けて。
──ズン!!
腹に響く音と、あたりに駆け抜ける鳴動。
とてつもなく重く、速い一撃によって、縦横に地割れが走る。
「……こんな所でいかがかな、お嬢さん」
ゆっくりと立ち上がり、天禪が聞いた。
「……」
ミラルダは、青い瞳で目の前の偉丈夫を見上げるだけだ。
彼女の身体は、胸元まで地中に埋もれてしまっている。
天禪の拳によって瞬時に粉砕され、細かい粒と化した地面が、底なし沼のようにメイドの身体を飲み込んだのである。
「動かぬ方が良いぞ。動けばそのまま、お前の身は地の底まで行く事になる」
得意げでも、自慢げでもなく、ただ淡々と、天禪の口が事実のみを告げた。
「……ふふ、ふふふ……」
それを聞いて、微笑むメイド姿。
「本当に素晴らしいお方……どうしましょう。どんな代償を払っても、たとえこの身が砕けようと……貴方が欲しい……狂おしいほどに……」
「……まあそう言わずに、とりあえず話でもせんか? こちらも2、3、尋ねたい事があるからな」
と言いつつ、天禪の視線がまったく別の方に動いた。
ミラルダの目も、それに倣う。
「だが、どうやらそうもいかんようだ」
「……」
新たな人影がふたつ、こちらへと近づいてくる。
ビルの谷間に、その靴音が高く響いていた。
■ 宵闇の決闘・機神 VS 鬼神
この場所は、いわゆるオフィス街であり、通りのほとんどは何がしかの会社が入っているテナントビルで構成されている。
天禪が通りかかったのは、たまたま気まぐれな夜の散歩の最中だったからに過ぎない。
途中で妖しげな気配にも気付いていたし、余人が入る事を許されない結界の存在も察知していた。が、彼は特にそれに引かれたわけではなかった。
かといって、あからさまに無視するわけでもなく、足の向くままにただ歩いていたら、いつのまにかこうなっていた……という所だろうか。
自分を狙っての事か、あるいは何か他の意味を持つのか……それも不明だ。
わからないなら、解明する方法はただひとつ。巻き込まれてみるしかないだろう。
天禪にしてみれば、それ以上の深い意図などはない。
よく言えば泰然自若。悪く言えば行き当たりばったり……かもしれない。
が、男臭い微笑を刻んだその顔は、あきらかにこの状況を楽しんでいるようだ。
──荒祇天禪。
その名を持つ男は、いかなる時でも余裕と貫禄を持ち、そして何事もすべからく楽しむ心を忘れないのである。
「……何か用かな?」
と、天禪は尋ねた。
現われたのは、黒のスーツの上下を着た2人の男だ。夜だというのに、揃って濃い色のサングラスをしている。髪は金髪であり、どちらも背が高い。アングロサクソン系の顔立ちだと、天禪は判断した。鍛え抜かれた体つきと、隙のない身のこなし。ただの通行人などではあるまい。
「……貴様、ミラルダ・マクラミランだな」
片方の男が、口を開いた。
天禪には、一度チラリと目を向けただけだ。
「だとしたら、どうだというのです?」
微笑と共に、メイド姿がこたえる。
それに対する男の返事は、短かった。
「処分する」
言うなり、男が胸元に手を入れ、黒光りするものを取り出すと、ミラルダへと向ける。
「よせ」
天禪が止めたが、聞く男達ではない。
──ドン!
鮮やかな火花が街路を照らし、鋭い音が夜気を切り裂いた。
男が手にしているのは、軍用の拳銃だ。
コルトM1911A1、ガヴァメント。45口径の弾丸は、コンクリートブロックですら楽々と破壊する。
その凶弾が、まっすぐにミラルダの額へと吸い込まれ、背後へと抜けた。メイド姿の身体が衝撃で大きくのけぞり、そのまま止まる。
「破壊を確認、処理班を送ってくれ」
もう1人が、そう口にした。胸元に小さく見えるバッチのようなものは、おそらくはピンマイクなのだろう。さらに片耳にはイヤホンが押し込まれ、線が上着の中へと伸びていた。こちらは無線受信機に違いない。それらの装備を2人共身に付けている。
「……問答無用か。気に入らんな」
重い声に、男達が振り返る。2人をじっと見る天禪がそこにいた。
「貴方には関係のない事だ。それに、貴方はこの者に襲われていたはず。助けて礼を言われる事はあっても、文句をつけられるいわれはない」
静かな声は、感情がないかのようだ。外国語訛りなどもまったくない、鮮やかな日本語である。
「理屈だな。だが、ひとつ……いや、ふたつ言わせてもらおう」
「何かな?」
「こちらの女性は俺の身が目的だったようだ。だが、それとは別に何か話があると言っていた。その話とやらの内容の見当が、お前達にならつくのではないか?」
「……さてな。もうひとつとはなんだ?」
あっさりとした、男の返答。
天禪もそれ以上は触れず、そして……言った。
「この女性だがな、これくらいで倒したつもりか? だとしたら、お前達の目はとんだ節穴だ」
「……なに?」
さすがに、男達の顔色が変わる。
さらに、
「……ふふふ……やはり気付いておいででしたか……油断させておいて後ろから、と考えておりましたのに……残念ですわ」
そう言いつつ、ゆっくりと身を起こしたメイド姿を見て、天禪の言葉が真実であると知った。
撃たれた跡には、確かに穴が開いている。が、当然流れるはずの血は一切見られず、空ろな空洞の奥に覗くのもまた肉でも骨でもない。明らかに木材の質感だ。
ミラルダは人などではなく、生きた人形だったのである。
「な……!?」
「くっ!」
すぐに銃を抜く2人だったが……
「無駄だ、やめておけ」
両者の間に、天禪が割って入った。
「どけ! さもなくば……」
「俺も撃つか? 面白い、やってみろ。ただし、俺にもそんなオモチャは通じんぞ」
「……」
ニヤリと笑う天禪から放たれる、言い知れぬプレッシャー。
2人の男の目には、この時眼前の天禪が、見上げる程の大きさに見えていた。
……この男……一体何者なのか……?
あらためて感じる、未知の戦慄。
そして、とどめの一言が放たれる。
「お前達、IO2という組織の手の者だな」
「……!」
「聞いた所によると、世界の破滅を目論む虚無の境界という組織と争っているそうだが……あちらの女性がその所属という事か。どちらも興味はないが、今見せてもらったお前達のやり方は好きになれん。それに、俺はどちらかと言うと美人の相手の方がいいのでな。そんなわけだから、黙って失せろ」
「……貴様……」
にべもない台詞だったが、彼らは構えた銃をゆっくりと下ろしていた。
2人も、その道ではプロである。目の前にいる者が自分のかなう相手かどうかの判断はつく。そして、勝てない戦いは決してしない。それがプロたる所以でもあるのだから。
代わりに、胸元のマイクに向かい、荒々しく告げた。
「……クォーターバックよりイーグルワン。タッチダウンされた。最終フェイズへ移行する」
後は、足音も高く、この場より走り去っていく。
「捨て台詞もなしとはな……味気ない連中だ」
遠ざかる背中を見送りつつ、つぶやく天禪。
「……よいではありませんか。邪魔者が消えて、なによりです」
笑いを含んだ声が、言った。
メイドの片腕が上がり、硬い音を上げて何かが袖口から飛び出す。
天禪の目は、それが細いワイヤーだと、すぐに見破っていた。
銀色の線が側の街路樹に絡み付き、固定される。
あとは……手で掴み、たぐるだけだ。ボコリと地中から這い出してくる。
「……ふむ、そういう事もできるか」
「はい、他にも色々と」
「それは楽しみだ」
「そう言って頂けて幸いです」
口調はどちらも、世間話でもするかのような気楽さだった。
しかし、これから行われるのは、間違いなく死闘である。
「……」
天禪の目が、ふと空に向けられた。
満天の星空の中で、ひとつだけ異質な、明滅する赤い光点。
それが爆音とともに、どんどんと近づいてきていた。
「……どうやら、また無粋なものが来るようですね」
「うむ、そのようだ」
おそらくは、立ち去った男達が最後に告げた言葉──最終フェイズを意味するものだろう。
天禪も、そしてミラルダも、既にそれは察している。
「……聞いていいか?」
メイド姿へと目を戻し、天禪が言った。
「何をですか?」
「お前が俺にしたい話とは、おそらく虚無の境界とやらへこの俺を勧誘する──そういう類の話ではないのか?」
「……まあ、よくご存知ですこと。さすがは天禪様、ご明察ですわ。ですが、そのような事はもうどうでもいいのです」
「ほう、何故?」
「もとより、あのような組織など、私にはどうでもいいのです。単に強い力を得るために利用しているだけですから。最も強く、逞しい力を見つけた今は、どうなろうと知った事ではありません」
「随分と俺をかいかぶっているようだな」
「かいかぶりなどと……天禪様、過ぎた謙虚さは、嫌味にしか聞こえませんよ」
「そうか……では撤回しよう」
「はい、それがよろしいかと」
嬉しそうに頷くミラルダであった。
そんな両者をよそに、天空より飛来したものが、しだいにその姿をはっきりとさせつつあった。
爆音を上げて接近するそれは、双発の巨大なヘリコプターだ。
輸送用らしく、胴体下部に何かを吊り下げている。
上空10メートル程で停止し、ホバリングをすると、その荷物を切り離した。
銀色の巨大な何かが、轟音と共に舞い降りてくる。アスファルトが悲鳴を上げ、破片が周囲へと派手に飛び散った。
見た目は……金属の光沢を持った卵、といった趣だ。大きさは長さが10メートル、高さが6メートルといった所だろうか。もし本当に卵だったとしたら、中に入っているものの想像はちょっとつかない。
が、その心配は無用だった。
重低音の駆動音を響かせつつ、銀色の巨体がゆっくりと持ち上がる。
下部には、逆間接の2本の足がついていた。
両脇からは多間接アームが伸び、先端に猛禽のそれを思わせる鉤爪がついている。
さらに上部には長大な砲身と、2基の丸い円筒──ミサイルポッドまで装備されていた。
……シルバールーク。それがこの卵の名だ。秘密機関IO2の誇る空挺二脚機動戦車である。
物騒な子供を産み落としたヘリは、その役目を終え、また天空へと帰っていった。
そして……残された破壊の化身が本格的に稼動を開始する。
──ズン。
地響きを立てて、シルバールークが旋回した。
どうやら卵形の尖っている方が機体の前面らしく、そちらをピタリとミラルダ向け、止まる。どうやら彼女を第一目標と定めたようだ。
ミラルダもまた、正面からじっと見返している。両者の距離は、約10メートルといった所だろうか。
青い瞳が、すっと細められる。
……興味を持った。とでもいう風に。
──ドドドドドドドドドドドドドドド!!
警告も誰何もなしに、銀の巨体がいきなり仕掛けた。
右腕をミラルダへと向けると、けたたましい音の連続と共にオレンジの火線が彼女に集中する。
腕に装備された20ミリ機関砲の猛射であった。
道路のアスファルトが瞬時に弾け、道路脇に止めてあった車が数発でスクラップに変わる。
人間など、1発でもこの巨弾を食らえば、その時点で5体がバラバラになるだろう。元々が対戦車や対航空機用のものなのだから。
……ミラルダはどうか?
彼女は、撃たれる瞬間に姿を消していた。常識を超えた高速移動の成せる技だ。
が、シルバールークの機体が素早く反応し、見えない彼女の姿を追って攻撃先を的確に変えていく。この巨体もまた、常識の2文字などあっさり超えた存在だった。
どうやら、対霊的、対魔的な追尾センサーも完備しているらしい。
空中を移動するメイド姿に、今度はミサイルポッドが吼えた。
片方16発、2つで32発の多目的小型ミサイルが、惜しげもなく一気に全弾放たれる。
ロケット推進で生じる煙の尾を引き、まっすぐにミラルダへと殺到する科学の槍。
──ゴゥン! ゴゥン!
真っ赤な炎の花が、空中でいくつも開花した。
破片、爆風、熱が一体となって地上にまで降り注ぎ、オフィス街を駆け抜けていく。
「ふむ、なかなかに大した迫力だな」
やや離れた位置で、その戦いの感想を落ち着いた声で述べる者が約1名。言うまでもなく、天禪だ。
興味深げな顔をシルバールークへとしばし向けていたが、ふいにその目が鋭さを帯びた。
次の瞬間、空中にいきなり青白い雷光が走り、迷うことなく銀の卵へと襲いかかる。
が、それは巨体の表面に届く寸前に、何か見えない壁にでも当たったかの如く四散し、空中に弾け、消えていった。
「……ほう、術に対する防御も施してあるか。面白い」
自分の放った力を無効化されたというのに、気にした風もない。
シルバールークは、その天禪へと左手を向けた。
そちらの腕の上部には、四角い箱型の装置が確認できる。
──バシュッ!!
何かが、その装置から射出された。恐ろしい程の正確さで、一直線に天禪の頭へと向かう。
ゴッ!! と、重い音を上げて、背後のビルへと長い物が突き立った。
「ふっ、どうやら余計な事をしたようだな。俺まで攻撃目標にされたようだ」
無論、苦もなくかわした彼である。
背後を振り返り、武器の正体を見た。銀製の杭だ。太さは直径5センチといったところか。
近づき、手をかけて引き抜く天禪。ずるりと引き出された長さは、1メートルちょっとはある。
「物騒なものを撃つ。食らえば俺でもたまらんな」
じっとみつめてつぶやき、それからシルバールークへと視線を戻した。
「もっとも、当たればの話だが」
不敵な笑みを浮かべる彼だ。
殺人メイドと銀の破壊マシンの戦いは、さらに激しさを増していた。
追尾ミサイルに追われたミラルダが身体を反転させ、一直線にシルバールークへと突っ込んでいく。
20ミリ機関砲が迎え撃ったが、もちろん無駄だ。
メイド姿が目の前まで迫った時、機械の豪腕が持ち上がり、振り下ろされた。
地響きが上がり、地面がクレーターを成して陥没したが……それだけだ。
「……ふふふ……」
一瞬早く、楽しげな微笑を残して、空中のミラルダがかき消える。
そこに、残った全てのミサイルが殺到した。
──爆発。
自ら放った凶弾を身に受け、機体全体が爆煙に包まれる。
音もなく、メイド姿が地上へと降り立った。
もうもうと立ち込める煙の中、銀色の巨体を求めて細い首が左右に振られ……
突如、背後で大きな影がのそりと動いた。
気配を感じて振り返ったが、それより早く、太い3本指がミラルダの身体を押さえ、空中へと持ち上げる。
──シュゴッ!!
銀の杭が射出され、美しい顔を粉々に粉砕して、夜空に消えた。
すぐに次の杭が装填され、今度は心臓の部分へと照準が向けられる。
さすがに連続で撃ち込まれれば、いかに人形の身体とはいえ耐えられなかったろう。
が、必殺の一撃は、もう発射されなかった。
「……待て」
堂々たる、男の声。
意思などないはずの機械の足が、わずかに後退する。
風に流され、薄れゆく煙の向こうに現われる、ひとつの影。
「少々、おいたが過ぎるようだな。美しいものには、敬意を払うものだ。それが女性なら、なおさらな」
渋い声でそう告げるのは、無論、天禪だ。片手には先程の銀の杭を携え、自然体で立っている。
ずいっと足を踏み出すと、今度ははっきりと、銀色の巨体が1歩下がった。
全長10メートルの兵器が、それより遥かに小さい生身の男に飲まれている。
たった1人の、荒祇天禪という男に。
「……どうした、俺が恐いか?」
天禪の顔に刻まれる、薄い笑み。
鋼の腕が、それに応えた。
多間接アームが唸りを上げ、天禪の頭上へと振り下ろされる。
──ゴッ!!
轟音と共に、震える地面。
天禪は、動いていなかった。いや、最初から避けるつもりなどなかったようだ。
おそらくは数十トンにも達したであろう衝撃は、なんと片手で受け止められていた。
足首までアスファルトにめり込んでいたが、本人はまるで余裕の表情である。
「こんなものか? 俺を失望させるなよ」
言いざま、無造作に機械の腕を掴み、捻る。
軽く、としか見えなかったが、特殊鋼のアームは破滅的な音を上げ、あっさりと途中からもぎ取られた。
バランスを崩し、倒れそうになりながらも、巨体はすかさず反撃へと移る。
上部に搭載された長大な砲塔が旋回し、先端をピタリと天禪へと向けたのだ。
それは大口径を誇る、140ミリ戦車砲である。これを食らって無事でいられるものなど、この地上にはほぼ存在しないと言っても過言ではないだろう。
が、今の両者の距離は、ほとんどゼロだ。そんな状態で撃てば、自らも無事では済まされない。自殺行為にも等しい暴挙だった。
常識を超えた天禪の力に、既にまともな判断が下せなくなっていたのかもしれない。
──ゴゥン!!
轟音、そして爆発。
道路を挟んで向かいのビルが、中程から真っぷたつに折れ、倒壊する。
天禪は……どうなったのか?
「残念だが、またはずれだ」
声は、シルバールークの上でした。
銀の巨体の上に立つ、逞しいスーツ姿。
あの瞬間にどうやって消え、どういう方法でそこに移動したのか……
シルバールークに搭載された最新電子機器の能力をもってしても、まるで解析不能であり、答えは出なかった。
最終的にコンピューターが天禪に下した結果は──UNKNOWN──正体不明の4文字だ。
「次はよく狙う事だな。もっとも、次など永遠にないが」
言葉と同時に、片手が閃いた。
銀の槍が、一直線に巨体へと突き立てられる。
そこは、シルバールークの中枢制御を行っている、まさにその一点。
いつ、どのようにして見抜いたのか、1ミリの狂いもなく正確に貫き、地面へと抜けた。
機体全体が何度かガクガクと震え……あとはもう、ピクリとも動かなくなる。
機能停止、静かなる死──
1人の男が、鋼鉄の巨大兵器を倒した瞬間であった。
と──
「……ふふふ……お見事です。さすが天禪様……」
笑みを含んだ声が、どこからか流れてきた。
姿は……ない。
いつのまにかミラルダは消えており、気配すら残されてはいなかった。
ただ言葉のみが、妖々と聞こえてくる。
「助けて頂いたお礼もせずに去るのは心苦しいのですが……今宵はこれでひとまず失礼させて頂きますわ。次は余人を交えず、ゆっくりと……ふふふ……」
笑い声がしだいに遠ざかり、それもまた、消えていく。
しばし、静かな瞳を虚空へと送っていた天禪だったが、
「……悪いが、待つのは性に合わんな」
軽く笑い、ポツリとつぶやく。
片手を顔の高さに持ち上げ、じっと目をやった。
よく見ると、太い指が何かをつまんでいる。
1本の金色の線──髪の毛だ。ミラルダのものに違いあるまい。いつのまに手に入れたのかは、無論誰にもわからない。
「……」
何事かを口にし、瞳に不思議な色が宿った。
すると、髪の毛全体が淡い光を帯び、みるみる姿を変えていく。
瞬きを数度するうちに、それは1羽の白い鳩へと変化していった。
天禪の手の上で小首を傾げ、じっと丸い目で生み出した者を見上げる。
満足げに頷くと、それから今度は逆の手を背広の内ポケットへと差し入れ、携帯電話を取り出す。どこかの番号をプッシュすると、ワンコールで相手が出た。
「俺だ。明日の役員会だがな、少々遅れるかもしれん。役員達には俺が着くまでに議案をまとめておくようにと伝えておけ。ん? 遅れる理由か? そうさな……デートだ」
そう告げた後、天禪は耳から電話をやや遠ざけた。相手が向こうでなにやら声高に叫んでいる。
苦笑しながらそれが収まるまでしばし待ち、再び話し始める天禪。
「……冗談だ。そんなに怒るな。いつもの戯れ事だと思ってくれればいい。とにかく頼んだぞ」
それだけを喋ると、あとはすぐに通話を切った。
切った瞬間にすかさず着信音が鳴り響いたが、迷わず電源を落とし、内ポケットへと戻す。
「これで良し。さて、では逃げた女を追うか。そう言うと、言葉は悪いがな」
ニヤリと笑い、鳩へと視線を送る。
意図を悟った鳥が、羽を羽ばたかせ、夜空へと飛び立った。
もとより、自分に拳を向けたものをそのままにしておく天禪ではない。
それに彼ら──IO2や虚無の境界といった連中は、消えた草間探偵やアトラス編集部の連中と、どこかで繋がっているはずである。
そのうちに出向いて挨拶せねばと思ってはいたのであるが、向こうから来てくれたのであれば、調度良い機会というものだろう。
──今宵は、まだまだ面白い夜になりそうだ。
そんな予感を感じつつ、鳩に続いてこの場を後にする天禪であった。
逞しい笑みを、その顔に刻みながら。
■ END ■
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